◆ 正義の大魔術師
僕は3歳の頃には"天才"と呼ばれていた。
シュヴァルツシルト家は、まだ世界が東と西に分かれて戦争していた頃から、東流の魔術を生業としていた魔術師家系だ。
その一族の本流で生まれた僕は、魔術の才能が長けていて然るべきだった。
たまに一族でも落ちこぼれが生まれることがある。
そういう輩は幼い頃から勘当されてしまうという話を聞いた事があるが、僕の場合は歴代の当主と比べても尚、類い稀なる才能を発揮していた。
だから、むしろ丁重に扱われていたのは記憶に新しい。
東流の魔術とは、すなわち実戦力が重要である。魔力をいかに効率よく使うか、いかに戦術的な魔術を扱えるかが鍵となる。そのため、東流の魔術は、西の魔術と相反して、魔法発現に長々と詠唱を盛り込む事はしない。一句で区切り、必要最小限の単語で詠唱を完結させる。
とはいえ、魔法の詠唱を短縮させることはそんなに簡単なものではない。詠唱に一定の方程式があり、1句ごとに何を命じるのか唱えなければ、魔法をうまく発現することはできない。
例えば、以下の詠唱
「"Chant" "Start" "Eis Spear"」
この3つの単語でジーナは氷の槍を作り出す。
この1語目の"Chant"はすなわち魔術の種類である。
"Chant"、"Behandlung"、"Starkung"、"Veranderung"の4つの種類から、何の指令なのかを告げる。
そして2語目には"Start"、"Ende"、"Stopp"、"fortsetzen"など、発現させる魔術の進行についてを告げる。
3語目以降は具体的な魔術名、対象、反復数などを組み合わせる。
このスクリプトを守ることで、東流の魔術は、より確実に、再現性を持って発動する。
この3語目以降のスクリプトをどれだけ省略できるかが、東流魔術師としての技能の見せどころである。
一般的に、4語のフレーズで魔法を発現させられるか、あるいは5語のフレーズでも魔法発現と実践的な操作が出来れば優秀とされている。
3語のフレーズで魔法の発現と実践的な立ち回りが出来るジーナは、極めて優秀な部類だ。
魔法大学や魔術ギルドからの評価が目覚ましいのは言うまでもない。
だが、僕の父アンファン・シュヴァルツシルトに関して言えば、その次元を超えていた。魔力総量は比べるまでもないが、本来唱えなければ方程式が成立しないはずの1語目、そして進行を表す2語目を詠唱する事なく、放出系の魔術であればワンフレーズで魔術を扱える。
その才能はエリートと称しても足りないくらいだ。
奇しくもその才能は僕にもしっかり遺伝していた。
◆
僕には年の離れた姉がいる。
僕が5歳のとき、姉は既に17歳だった。
多分に漏れず、姉も優秀だったため、飛び級の末に15歳で魔法大学を卒業した。大学卒業後は教師となり、さらに昇格して17歳には"宮廷教師"に任命されている。
この"宮廷教師"という存在は、非常に珍しい職種だ。
ただ優れた魔術師というだけでは勤まる仕事ではない。
姉の場合、その魔術師としての能力以外の特殊なスキルによって、この"教師"という職業に型が嵌り、その才能を惜しみなく発揮している。
宮廷教師は身分的にも優遇される。それに希少な存在であるがために、貴族たちからも高額報酬を提案されて、たまに短期間の専属"家庭教師"としてアルバイトを頼まれる事がある。
僕が5歳になるときの夏、姉さまは宮殿から一時帰還を許されて、屋敷に帰ってくる予定だった。しかし、ある貴族からの突飛な高額依頼により、夏休み中もアルバイトに出る事になった。
僕は姉さまの帰省をとても楽しみにしていただけに、とても残念だった。
そんな夏の日、屋敷の庭で転移魔法を使って遊んでいた時の事だ。
庭にやってきた小鳥の目の前に、ポータルサイトを作り出し、逃げ出そうという小鳥を無限ループさせて遊ぶ。
転移魔法は、そのポータルを出現させる幅、開通先の空間座標など、精密な魔法操作が必要となるため、他の基本魔術と比べてもとても難しい。
だが僕はそれを幼い頃から感覚で理解できていた。
だからこうして手のひらを開くように、空間と空間を繋げることができた。小さな動物が、慌てふためいている様子を観察するのを楽しいと感じた。当時の僕は、自身のやっている残酷さに気づいていなかった。
僕が夢中になっているその時だ。
「―――"*******"」
透き通ったその声に、僕ははっとなって後ろを振り返る。
無限ループに閉じ込めていたはずの小鳥は、一瞬にして消え去った。
少し後には、そこに突如現れた人物の手の平に小鳥は存在し、元気に羽ばたいて往ってしまった。
「こら、生き物で遊んじゃダメじゃない」
屋敷の門の入り口付近。大きな四角い革製カバンを右手に提げて、その人物は、やれやれと言いたげに左手を腰についている。
大好きな姉さまがそこにいた。
僕と同じシルバーブロンドの髪の姉である。
紫と緑のオッドアイが、呆れたようにこちらを見ていた。
「姉さま……!」
僕は嬉しくなってその胸へと飛び込んだ。今年の夏休みには家庭教師の仕事のために帰ってこれないと聞いていたはずなのに。
「お仕事はなくなったの?」
「あーー……家庭教師ね……あはは……。どうも今回は"教え子"に問題があったみたい。あの子、大丈夫かな……」
「……?」
どうやら家庭教師を頼まれた依頼主の家の子が、魔術を学ぶに足る能力がなかったようだ。
「どこの家の子?」
「それはプライバシーに関わるから言えないわね」
姉さまは遠い目をしていた。
貴族にお呼ばれしてから、途中で仕事が破綻する事はよくあるらしい。我が子の才能に期待して家庭教師を呼んだものの、魔術師としての才能がないと分かった段階で、すぐに解雇されてしまうそうだ。うちも含めて貴族というのは傲慢だから、それも仕方がないと姉さまは割り切っているらしい。
「ところでユウ、転移魔法はかなり上達したみたいね」
そうだ。
魔術の特訓をする時間なら山ほどあった。屋敷の庭でならいろんな魔法を試してもいいと父様から許可も貰っている。
「でもそろそろユウも魔術以上に、魔術の使い方を勉強しないといけないわ」
「魔術の使い方? 僕だって頑張ってるよ。さっきだって―――」
「さっきのはね、"間違った使い方"だよ」
間違った使い方……。
姉さまから否定されてショックが大きかった
何を間違えていたのか、そのとき僕には理解できていなかった。ワンフレーズによる魔法、開いたポータルの幅、出現位置、すべてうまく出来ていたと思っている。それを繰り返すという再現性も申し分ない。何が違うのかが理解できない。
「そうね……」
姉さまは片手を腰について、溜息を一つ吐き出した。何やら言葉を思案している様子だ。
「ユウには"正義の大魔術師"になってほしい」
「正義の、大魔術師……?」
その言葉に、僕は魅了された。
大好きな姉さまの願いだ。
僕の中で、その"正義の大魔術師"は理想となった。
◆
正義とはなんだろう。
僕が目指すべき正義とは……。
「ロスト……シア……」
「ユウ、いくぞ。時間がないんだ」
友達がそこに倒れている。森のやわらかい土の上に倒れ伏し、ロストもシアも泥まみれだ。その姿は、見るも無残だった。
友達を助けるのが正義……。
姉さまだったら、姉さまだったらどの僕を褒めてくれるのか。
でも、理由はどうあれ、ロストもシアも僕の父様を殺そうとした。父様を守ることが僕の中の正義だ。
戸惑う僕を尻目に、父様とジョバンバッティスタが会話を続けていた。
「アンファン、これにてボルガは4つ揃うわけだが―――」
「そうだな。ボルカニック・ボルガについてはどうしよう。彼にはこの森での奇襲を見せたくなかったんだがな。よもや突然グノーメとともに現れようとは……」
父様が泥まみれのロストを見下ろした。その眼には情の欠片も感じられない。一緒にニヒロ砂漠を旅して、バイラ火山で窮地を救ってもらった相手に向ける目には思えなかった。
「これではロストくんを利用するのも難しくなってしまった」
「ううむ……この猛獣は捕らえてもグノーメのように力で捻じ伏せられるとは思えんな」
父様とジョバンが何事か喋っているとき、リズベスが大木から戻ってきた。右手には何か太い枝のようなものを握りしめている。木材で作り出した筒のようなものだ。
「アンファン、ありました。おそらくこれがエアリアル――――」
でもその先に広がる光景を目の当たりにして、リズベスは目を見開いて取り乱した。
「ジャック! どうしてここに?! シアちゃんも……!」
傍へと駆け寄って、その様子を確認した。
寄り添う様子は仲間そのものだった。
リズベスは、ロストがまだ小さい頃に仲間だったと聞いている。記憶喪失ですれ違っていたみたいだが、今はロストも記憶も取り戻した。これから思い出話に花を咲かせるんだと浮き浮きしていたロストを思い出す。
「アンファン……あなた………!」
敵意のある目を向けている。リズベスは一度ボルカニック・ボルガの件で怒られてからというもの、魔術ギルドの方針、そして父様アンファンの命令にはしっかり従うようにマインドセットしていたようだが……。
やっぱり旧来の仲の方が優先のようだった。
「リズ………キミはやはり我が魔術ギルドには相応しくないようだ」
「相応しい? 関係ないわよ! 子どもがこんな風に倒れてるのに! なんて非道なの……!」
リズベスの言動には、今までにない素の感情が読み取れる。
「邪魔だと思えば老若男女問わないさ」
「……あぁ~、もう! こんな頭のおかしなギルド、こっちから願い下げよっ! やめてやるわ!」
「そうか。優秀な部下を失うのはこちらも惜しいものだが、仕方ないな」
それを見定めた父様もまた、リズベスの解雇を告げていた。肩を竦め、その冷徹な目はロストとシアを庇うように身を屈めたリズベスを見下している。
「ならばそのエアリアル・ボルガを黙って引き渡せ。そうすれば、元同僚の好で今は見逃してやろう。もっとも、まだ反抗するようなら全力で応じるが?」
「………」
父様の忠告に対してリズベスは分が悪いと判断したのか、押し黙ったようである。そのきつく尖らせた瞳が父様を睨んではいるものの、反抗をする様子はない。そしてエアリアル・ボルガと思われる木製の筒を父様の足元へと投げつけた。
「ふむ、もう少しキミが出来の悪い部下だったら、もう一戦、楽しめたかもしれないがな……。いいだろう。あとは好きにするんだ。僕には去る者を追う主義はない」
父様は、言い終わるまでリズベスを睨み続けた。やがて顔も逸らして回れ右をすると、ゆっくりと森の奥へと向かって歩き始めた。目指すはドワーフ街道。そこから迷宮都市アザリーグラードへ向かうのだろう。
その後にジョバンも続いた。
「ユウ、いくぞ」
僕は、この後に及んでまだ迷っていた。
ロストもシアも大切な友達だと思っていた。でも気づいたときには父様の敵になっていた。必死で父様を守った僕だったが、なぜ2人が牙を剥いたのかが分からない。
普段だったら現状からすぐ予測を立てて、仮説をいくつか瞬時に立てるくらいの頭脳はあったはずなのに、今回に限っては混乱していて頭が働かない。
「お前にはホンモノの魔法を見せてやる。正義の大魔術師になりたいんだろう?」
「なにが正義の魔術師よっ! あなた、友達がこんなになっても父親の言いなりなの?! 父親だって間違えるんだから!」
リズベスが大きく口を開いて僕を言及する。その口ぶりには自身の経験も含まれていそうな言い方だった。でも、こうなってしまった以上、僕は父様を信じて付いていくしかない。
「………」
僕は父様の背を追いかけた。
一度はこの背中とケンカした。いつまでも僕を子ども扱いする父様が許せなかった。正義の大魔術師になりたいと、恥ずかしながらに語った夢を、馬鹿にしたこの大人がどうしても許せなかった。だけど、今は認めてくれた。
認めてくれたんだ。
あとはその理想を目指すだけ……。
理想を目指す、だけ?
その理想とは何だったか。
虚ろな抜け殻のような気がした。
でももう後戻りはできない。ロストも弓矢をまともに受け、シアも父様の炎魔法を真正面から打ち込まれた。
死んでしまった、のだろうか……?
僕のせいで……?
分からない。
基礎魔法も、次元魔法も、詠唱方程式も、魔術座標の制御もすべて理解してきたこの僕が、今ここで分からないことが発生した。
正義が何なのかが分からない。
〇
迷宮都市に帰還してからは即座に行動に移した。
父様もどうやら焦っているようだ。
ジョバンバッティスタとの会話を聞いていると、グノーメがタワーロッジから脱出した件も踏まえて、精霊たちが対策に出る可能性があるらしい。
だから、のんびりはしていられないという事だ。
父様と僕とジョバンバッティスタの三人で、迷宮都市へと潜入する。
洞窟や森(1層~30層)まで一気に駆け抜けた。父様とジョバンはアーセナル・ボルガに2人で跨り、僕はアクアラム・ボルガの波乗りを駆使して駆け抜けた。
数時間でアザレア古城へと辿りつき、何回かの休憩をはさんで僕らはボルガの台座の間へと着々と辿り着く。燭台やブラックコープスのアーマーが並び続ける迷宮の通路、ねじれ通路はもう見慣れたものになっていた。
いつだったか、初めてこの通路に迷い込んだ日々を思い出した。
ロスト、タウラス、アルバ、シアの4人と一緒に、この迷宮に迷い込んだときのことだ。あの頃は楽しかった。僕も存分に魔術師としての才能をあの4人に認められてもらえた。卑屈になっていた時の僕にとっては、あの羨望の眼差しにとても救われた。
あんな日々がいつまでも続けばいいと思っていた……。
でももう、そのうち2人はいないんだ……。
シルフィードの像が彫り込まれた台座に辿り着き、木製の筒エアリアル・ボルガを台座の穴に差し込んだ。この台座の間にも、あの5人で挑んだパーティーの時に初めて辿り着いたんだ。
懐かしい。
エアリアル・ボルガを差し込むと、台座は青白い光を放って反応をし始めた。それと同時に大きく振動するアザレア古城。
「やはり王城の封印は容易に解けそうだ」
その様子に対して、満足そうに頷く父様。
その邪心めいた微笑みを見て、僕の不安はさらに強まっていく。
…
それから残り3つのボルガを、それぞれの精霊の台座の間へと差し込む。
ねじれ通路も子ども5人ではあれだけ迷ったというのに、父様は何の躊躇もなく突き進み、台座の間を行き来していた。
4つ目、アンダインの像のある、同じような台座の間に辿り着く。
「ユウ、もう分かっているだろう。アクアラム・ボルガをその台座の穴に差し込め」
「………」
僕は言われるがままにその台座の前へと歩み寄った。
右手に握りしめる、青いガラスの筒。
これを差し込んでしまえば、何が起こるのだろうか?
「時間がない。早くするんだ」
「………」
勇気を振り絞った。その手にした青いガラスの筒を―――アクアラム・ボルガを台座に差し込む。
―――さっきのはね、"間違った使い方"だよ。
大好きな姉さまの声がふと頭を過った。姉さまがこの場にいたら何をしたか。でも考える頭はもう残っていなかった。
僕は家族が好きだった。
優秀な父様も、姉さまも好きだった。
「よし、よくやった」
その声はまるで安心の担保だった。父様から褒められ、僕のやったことは間違いじゃないんだと安心する。アクアラム・ボルガの挿入に対して、台座が反応を示して青白い光を帯び始める。
その直後、アザレア王城は激しく振動し、ついには床自体がせり上がっていくような感覚に見舞われた。
「ほう、まるで復活を祝した王城の宴のようだ」
ジョバンバッティスタはその振動に動じる様子すらなく、むしろご満悦な様子だった。目を閉じて天井を見上げ、心地良さそうにしている。城はやがて"天井"にぶち当たったようである。階層を覆った洞窟は崩壊を始め、アザリーグラード大迷宮はもはやダンジョンではなくなっていく。
「ジョバン、ユウ、王城のバルコニーへ行くぞ。この"夜明け"を見届けよう」
〇
アザレア城は、地上へと這い上がった。
無理に浮上した城とその付近の森林は、冒険者ギルドや周辺の施設を破壊し、大きな地割れを引き起こした。
押し上げられた大地の隆起が大きな渓谷を形成した。
その谷間が、街と城との仕切りになったものの、一部は融合し、街と城を跨ぐように大地が架け橋として繋がってしまっている。
アンダインの氷の城と、それを繋ぐ氷の橋と同じだった。
バルコニーからその橋を見下ろすと、迷宮30層に生息していた黒い騎士ブラックコープスやジャイアントガーディアン、そして森に生息していたジャイアントサラセニア、グリズリーが街へと這い出て、アザリーグラードの人々に襲い掛かっていた。
「父様! 街の人たちが……っ!」
僕は居た堪れずに父様を見上げる。
助けにいかないのか、と。
平和に暮らしていただけの街の人々は次々と黒の骸騎士のクロスボウの餌食になっている。駆け出しの冒険者たちも、巨大ゴキブリや巨大食虫植物に喰われていった。
「………」
父様は、それを涼しげな顔で見下ろしていた。
「ふむ、これは"彼"の良い餌になるな」
「父様……?!」
彼?
誰の事を言っているんだ。
それに餌……街の人たちが無残に殺されていく光景を見て、なんでそんな平然としていられるんだろう。
「魔法とは元より戦争の道具だった。お前が今使っている魔法もたくさんの屍の上に積み上がった代価だ」
珍しくも、父様の講義が始まった。
魔術の魔の字も教えてくれなかった父様が。
「これから起こす奇跡にも、それ相応の代償が必要だったと考えればいい」
「奇跡? 父様、何を起こすつもりなんだ……?」
バルコニーから眺める街の地獄絵図。悲鳴の声が僕らの耳にまで届いた。とても不愉快だった。黙って見ていればいるほど、頭が重くなっていく。だが、父様はそんな悲鳴すら邪悪な笑みを浮かべてやり過ごした。
「リゾーマタ・ボルガは、因果を書き換える円盤だ。手にすれば、ありとあらゆる魔術の法則を自由に書き換えられる。いや、魔術だけじゃない。世界すべてを換えられるんだ」
父様の言っていることの大半は耳に入ってこなかった。
僕にはそれよりも下から聴こえてくる無数の悲鳴がどうしても耳に張り付いて仕方がなかった。
―――ユウには"正義の大魔術師"になってほしい。
姉さま、僕はどうすれば……。