Episode70 窮地の激情
ルクールには森イノシシがよく現われる。
縄張り意識が強いから凶暴化して襲ってくるのだ。
私は手慣れた動作で弓を射た。
手早く軽く射るだけだ。あとは風の力を利用して矢を加速させる。
加速度と矢の威力は比例する。
これを使うと毎回豪快な音を立てて鏑矢のように空気を裂くような音が鳴り響いてしまう。だから敵に居場所を悟らせないためには"空圧制御"の力は使わないほうがいい。
「シアちゃんのレンジアタックはすごい威力ね」
リズベスさんという方に話しかけられた。
この人はロストさんのかつての冒険者仲間らしい。女の私が見ても綺麗で格好いい女性だと思う。
「魔法の力です」
「魔法? 魔法を利用して威力を強めてるのかしら」
「………」
それを教えてしまえばネタばらしだ。
信頼できる人以外には黙っておきたい。
…
魔術ギルドの方たちとユースティンさんをお連れして、ルクール大森林へと辿り着いた。もうこの森林へは通い慣れたものだった。初めてシルフィード様に会わせてもらってからというもの、第二故郷のようによく遊びにきた。
「シルフィードか。アイツとは約700年ぶりだぜ」
「サラちゃんはシルフィード様と仲がいいのですか?」
「仲良いも何も、俺様とアイツは100年このリバーダ大陸を旅歩いた仲だ」
「それは長いです」
「だろう?」
肩のサラちゃんも旧友に会えるのを楽しみにしているみたいでご満悦そうだ。ドワーフの村の入り口を通過して、いつもの2人に止められた。
「まーた人間がきたど!」
「あ、青髪だべ!」
ここのドワーフたちの会話のテンポにもいい加減慣れた私だ。
「こんにちわなさい。シルフィード様にお会いしてもいいですか?」
「青髪なら問題ねーだど!」
「そうだべ、いつでも会って問題ないべ」
「ありがとうございます」
我ながら見事な顔パスだと思ってる。そのまま4人の方たちをシルフィード様の住まう大木の根幹へとお連れした。私は形式的にその台座の前で手足をついてシルフィード様の登場を待った。
「シア・ランドール、顔を上げて楽にしなさい」
台座の方から例の温かい声が耳に届く。
心地良い声だ。
「随分、大勢を連れてきたようですね」
「よぉ、シルフィード!」
私の肩から顔を覗かせて、サラちゃんは片手をあげて挨拶した。
「あら、見た事もないトカゲですね」
「な、なんだと?! 俺様の事を忘れやがったのかっ」
「ふふっ、冗談です。その姿、誰かにこっ酷くやられたみたいですね」
「まぁ、今時珍しく見込みある野郎が現れやがってな」
「あら、そう。それでまた旅に出ることにしたのですか?」
「そんなところだ」
サラちゃんとシルフィード様は世間話を始めてしまった。これは魔術ギルドの人たちを待たせてしまって失礼だ。
私としても用件だけ早く済ませてさっさと迷宮都市に戻りたいと思ってる。アイリーンさんがロストさんをめちゃくちゃに連れ回してバテさせてもらっても困る。
「シルフィード様、今日はお会いしたいという方がいらっしゃるみたいです。よろしいですか?」
「ええ、いったいどちら様ですか?」
「ありがとうございます――――どうぞ」
私は大木の隙間で控える4人の方たちを招き入れた。今日シルフィード様のお会いしたのは後ろの4人の要望に応えた結果だ。そこに特に深い意味はなかった。
シルフィード様は精霊で、絶対的な力を持っている。
だからこれから何かが起こるとも、私は微塵に思わなかった。
「―――シュヴァルツシルトの大魔道士!」
シルフィード様の温かい声が一気に張り詰めた。
私にはその御姿が目に映っている。驚愕の表情を浮かべるシルフィード様のその表情が。不可視の真空を纏ったシルフィード様は、風の力を借りない限りは見納めることはできない。だからこの驚愕の表情は、後ろの4人には見えていないはずだ。
「ほう、シルフィードはここにいたか」
不穏な空気が支配する。
ジョバンバッティスタさんの渋い声が、その緊張感を一層高めた。
「あなたはティマイオスの……!」
「事情は察してくれたようだな。僕らがこうしてやって来た理由はもはや言うまでもない」
アンファンさんが一歩前に踏み込む。
私にはその"事情"というものを全く察することができなかった。頭の疑問符ばかり浮かんだまま、茫然としているうちに時間と彼らの会話だけが流れていく。
「父様、いったい何を……?」
ユースティンさんも私と同じ状況のようだ。私たちの世代には理解できないところで、話が進んでいく。しかし睨み合う3者は一言たりとも喋り出すことはなかった。
「………」
「………」
ジョバンバッティスタさんが右手のボルガに一瞬だけ稲妻を走らせた。それが合図となったみたいだ。
「―――バースト・エア!」
シルフィード様が何事かを叫んだ後、突風が本人の体から全方位へ向けて拡散する。風は勢いを強め、大木の台座に訪れた来訪者を、容赦なく場外へと弾き飛ばした。
私も堪えられずに飛ばされてしまいそうだ。
「シア・ランドール! 空圧制御を使いなさい!」
「………っ!」
私は指示通り、ぶつけられる風を何とかコントロールしてその場を凌いだ。風塵が舞い上がり、神聖な雰囲気を漂わせていた台座が、頭上の大木の樹皮が剥がれおちて荒れてしまった。
他の人たちは皆、ドワーフの村の方まで飛ばされてしまったようである。
風が止み、台座の間には私とシルフィード様以外はいなくなっていた。私だけが風の加護によって何とかこの場に踏みとどまることができた。
「……シルフィード様?」
シルフィード様はその綺麗な緑色の長髪を後ろに流しながら、肩で息をしていた。空中に浮かんではいるものの、今までのような神々しさが薄い。
「不可視の真空を解放しました。ひとまず時間稼ぎにはなるでしょう」
不可視の真空を解いた。
さっきの突風は、その解放とともに浴びせかけた強制排除の風魔法ということなんだろう。
「私は彼らを排除します。貴方は早く逃げなさい」
「……排除、ですか?」
「また貴方たちが利用されます! もう彼らには関わらないで!」
"また"?
"もう"?
私の疑問符の合間にも、再度戦闘は続行される。
「きます……! 下がって!」
大木の根で覆われたこの台座だが、その神聖な台座に電撃の咆哮が轟く。
シルフィード様は私の体を押しのけた。そのまま空中を滑るように素早く移動し、正面に空気の乱流を作り出した。その乱流の渦が障壁を生み出し、歪曲しながら襲い掛かる電磁砲を受け止める。
その電磁砲は、私のヒガサ・ボルガからも放たれるレールガンに似ていた。
――――パァン!
風の力と雷の力が拮抗して弾け合う。
今の電撃はケラウノス・ボルガから放たれたもので間違いない。ジョバンバッティスタさんがシルフィード様に襲いかかる理由。その理由は頭の中では理解できていた。でも現実として起こっているこの暴力が、どうしても直視したくない。
シルフィード様は大木の外へ出て、村の方面へと滑り出た。
私も居ても立っても居られず、その後を追った。
「ブラストガスト!」
シルフィード様はどこからともなくやってくるケラウノス・ボルガの雷砲に、風の力で抵抗していた。でも私が見てもそれは劣勢にしか映らない。風の力は本来、攻防戦には向いていない事は空圧制御の力を使う私でも理解していた。
でもこうしてシルフィード様が必死に抵抗してくれているのは、私が連れてきてしまった厄介を抑えようとしてくれているからだ。
「シア! 早く逃げなさい!」
でもなぜこうなってしまったんだろう。
私に悪気があったわけじゃない。まさかこんな事になるなんて思いもしなかった。アンファンさんだってとても紳士的な人だった。急に襲い掛かるような人じゃないと、勝手に思っていた。
「あれが、あの連中が貴方の両親を殺したのです……! だからもう二度と―――」
その事実が、すべて告げられる前にはシルフィード様はその雷鳴に直撃していた。
「あぁぁあ!!」
浮遊の力を失って地面に倒れるシルフィード様。
その映像がやけにゆっくり映った。
衝撃は、私自身の頭にも。
思考が停止して、世界が認識できていない。
"あの連中が、―――――を殺したのです"
「シア、シルフィードの言う通りだ! ここは離れろ。悪ぃが、今の俺様にはあいつらを相手にできるほどの力はねぇ……」
私は真っ直ぐその敵影に向かいあった。
シルフィード様の目の前に立つ。
「おいおい、シア、逃げた方がよくねぇ?」
今日は森林浴だから不要と思って日傘は置いてきてしまった。だから今手元にある武器は父の形見のロングボウだけ。矢筒の補充は十分だ。
私にだって戦える。
「殊勝とは、勝利を修めてこその賛辞だぞ? シア・ランドールよ」
「……!」
恐怖の象徴がその歩みを止めた。
金髪の槍遣いは余裕そうに私たちの傍まで迫ってきていたのだ。
距離にして10メートル。
そのレンジを、彼の雷槍は無効化させる。
「だがここで死ねば、我らもその奇特は讃えよう。シルフィードをこうして引きずり出すことに成功したのだからな」
ロングボウを構える。
私に与えられた空圧制御は弓師だからこそ活かせる方法がある。
ぎりぎりと弦を引く。
真空を纏わせ不可視の矢へ。
矢羽根に風圧の出力を付加させる。
「ううむ、つくづく奇妙な女よ。栄光に関心は持たぬのに、それ自体を否定せぬとは。欲望なきガラクタの少年と似た者同士ということか」
ガラクタの少年……。
確かに私と彼は似ている。それは出会ったときから分かっていた。絶望を味わった人は、自分の手の届く範囲の事にしか興味がない。
でもそれの何が悪いんだ。
虐げられる側の人間だとしても、いつかは牙を剥いてもいいはずだ。
「ジョバン、時間があまりない。手間取るようなら加勢する」
そしてその背後、森の奥から恐怖の象徴がもう一人、歩み寄っていた。
銀髪の大魔術師が濃紺の瞳をこちらへ向けた。
恐ろしい形相だった。
私の両親を殺したという話も、その表情が信憑性を与えた。
「リズ、お前はシルフィードの台座へ向かえ。そこにエアリアル・ボルガがあるはずだ」
近くに立つ弓師の女性は躊躇っていた。
顔も歪ませて苦そうな顔をしている。
「何をしている、早くいけ。次に命令には逆らえば……分かってるだろう」
「は、はい……承知しました」
そうしてその女性も大木へと向かって駆け出した。
取り残された私。倒れたままのシルフィード様。
そして銀髪の大魔術師と、金髪の槍遣い。
1対2だ。
状況は絶望だった。
「………ッ」
次弾、装填の準備。
複数の標的には速射迎撃と、必殺の一撃が必要だ。
「では死ね、シア・ランドール。親と仲良くこの森にその骸を返せるのだ。奉謝して果てよ」
私は怒りの頂点に達し、がむしゃらにその矢を放った。
私の弓矢と彼の雷槍が、両者ともに鳴動を貫いた。
◆
グノーメ様の魔道具工房に辿り着いた。
そこはもう魔道具工房としての機能は果たしていない。
「ここで何を?」
グノーメ様はお構いなしに崩壊した正面口を跨いで中に入っていった。幼女体型だから跨ぐのも一苦労のようだ。俺も後からその後を追った。工房の中で、グノーメ様は瓦礫や魔道具の残骸をひっくり返し、床を掘り返していた。ある床が露わになると、その床が隠し扉になっていた。
どうやら床下にも収納庫があったらしい。
その収納庫にグノーメ様はひょいと飛び込むと、またあれでもないこれでもないと古い道具を漁りだした。
「あったぜ!」
そして取り出したるはただの黒い筒だった。
埃まみれで、いかにもオンボロ。
中に古代聖典でも巻き付いて入ってるのだろうか。
「そんなもので………」
いや待てよ。この筒状の物には見覚えがある。色こそ違えど、アクアラム・ボルガやケラウノス・ボルガと同じ形状をしている。
ボルガ・シリーズは初期形態はただの筒なんだろうか?
でもアルフレッドのボルカニック・ボルガって普通の大剣だよな?
どういうことだろう。
「話は後だって言ってんだろ。いいから行くぞ!」
そうか、これがアーセナル・ボルガか。
それにしても埃まみれにしておくって……大事なものじゃなかったのか。
グノーメ様はボルガ以外にもいくつか魔道具をかき集めて腰に差し込んだ。そして慌ててまた工房から飛び出していく。
彼女は頭から飛び出るようにジャンプした。
そしてその黒い筒を、グノーメ様は"両手"で握りしめる。
何をするんだと眺めていると、その筒の両端で引っ張り、"分離"させた。
驚くべきは、次の瞬間の光景。
その筒には地面から砂鉄がより集まり、黒々しい物体が徐々に形成されていく。グノーメ様が地面に着地する前に、その体を支えるようにある"乗り物"が姿を現した。
スリムで細長いが、体躯としては猪に似ている。
前部と後部にそれぞれ太い車輪が1つずつ付いていた。
すべて地中の砂鉄や砂金から形成したようで、黒々としたフォルムに金色のメッキがその訝しさを際立たせている。それにグノーメ様は覆いかぶさるように跨っている。車輪がついているから、形状としては馬車や台車だろうか?
人を乗せることに特化した機械のようである。
「な、なんですかそれ!」
「こいつがアーセナル・ボルガだ! 早く、あたしの後ろに乗れ!」
「乗る?!」
俺は恐る恐るその車体の後部にまたがった。
「よし、いいかっ! しっかり掴まってろよ」
その安否確認の合図の途中で、そのアーセナル・ボルガはトンデモなスピードで街を駆けだした。
「ええええええ!!」
「いよっしゃぁ! こいつがあたしのロマンの結晶"アーセナル・ボルガ"だぜ!」
グノーメ様は興奮冷めやらない様子だったが、俺はそんな楽しむ余裕なんてない。ガリガリと荒々しく回転する前輪と後輪。そのけたたましい音も怖いのはもちろんのこと、自分の意志に反して前進し続けるこの機械に、俺は感覚が付いていけなかった。
情けなく、幼女の体にしがみ付くのに必死だった。
…
迷宮都市の街を駆け巡っていたときは、常に人の悲鳴が絶え間なかった。
それもそうだろう。
俺もこんな兵器は見たことがない。
馬を機械で代用したような兵器であることは乗っていて気づいた。
街の外へと一瞬で飛び出し、そのままルクール大森林へと続くドワーフ街道を駆け抜ける。通常なら数時間かけて向かう道のりを、アーセナル・ボルガはあっという間に超えていた。この勢いであれば、だいぶ前に出発した彼らにもすぐ追いつけるだろう。
スピード感には徐々に慣れてきた。
森に入り、ドワーフの村を目指して突っ走ってる。
そのとき、悲鳴が森に木霊した。
「あぁぁあ!!」
高い声だった。
それに合わせて野鳥が数羽、森から羽ばたいていった。さらにどこかの獣たちも忙しくなく動き回り始めたようだ。静かなルクールの森に喧騒が連鎖する。
「シルフィードの声だ!」
グノーメ様がそれに反応を示した。声の矛先はちょうど俺たちが向かっているドワーフの村の方からだった。
やはり襲われていた。
見知った道なのか、街道を少し進んだところから方向転換し、グノーメ様はアーセナル・ボルガを巧みに操って森の中の獣道を縫うように滑走させた。ドワーフの村に到達すると、そこは戦場と化していた。
木の幹を利用した家々から何人ものドワーフたちが荷物を引っ提げて避難している。事態は火を見るより明らかだ。グノーメ様も走りを止めることなく、シルフィード様がいるはずの大木へと向かった。
大木前の拓けた場所では、3人の人間が戦っていた。
余裕そうに仁王立ちするのは銀髪の大魔術師だ。その近くには金髪の雷槍遣いが、猛々しく槍を奮い、電撃を対象に向かって放っていた。
その対象とは、青い髪の女の子だ。
大人2人がかりで、1人の女の子を襲っている。
なんて歪な光景だろう。
女の子の方も必死に抵抗していた。
お得意の弓で何発も速射して彼らの攻撃を迎え撃っていた。不可視であるはずの彼女の弓矢が、雷槍に弾かれ、ポータルサイトに転移されて対処されていた。
「シア!」
「ロストはあいつを守れ! あたしはケラウノス・ボルガをなんとかする!」
さらに加速を付けてアーセナル・ボルガはその駆動音を唸らせた。一定の距離まで近づいて、俺はその土俵へとダイブ。華麗に着地して見せて、シアとジョバンの間に割って入る。
「ロストさん……!」
「ほう……さすがは"ジャック・ザ・ヒーロー"。また救世を嗅ぎつけて舞い降り―――むうう!!」
余裕綽綽のジョバンを、グノーメ様はアーセナル・ボルガで轢いた。相当の衝撃だったのか、その重たそうな図体が吹き飛ばされる。
「ジョバンバッティスタ! テメェの相手はあたしがしてやる!」
グノーメ様はその場でアーセナルを横滑りさせ、ガリガリと大地を削り取る。世界一カッコいい幼女だった。
「アーセナル・ボルガか! なんと丁度いい供物を捧げにやってきたのだ」
ジョバンはむくりと起き上がり、先ほどと変わらぬトーンでグノーメへと問いかける。それと同時に槍を振るった。グノーメ様はアーセナルを再発進させてそれをヒラリと躱す。巧みな操作で黒々としたボディをジョバンへと突進させて攻撃していた。その2人は衝突を繰り返しながら、森の奥底へと消えていった。
俺が戦いやすいようにグノーメ様が遠ざけてくれたんだろう。
俺はその隙にシアの状態を確認する。
「シア、大丈夫か?」
「はい……あ、いえ、多分」
頭が混乱しているんだろう。シアの耳はぴんと張り詰め、目の瞳孔が開ききっている。相当興奮状態だったに違いない。何せ、2人の強敵を1人で相手にしていたのだ。
その元凶が、背後から話しかけてきた。
「ロストくん、キミがグノーメと共にここに駆けつけたという事は、粗方の事は察してくれたようだな」
「あぁ……お前達がやろうとしてることも聞いた」
「それ自体に興味はないか? 僕とともにボルガの真髄を見届ける好奇心は持ち併せてないか?」
何言ってやがる、この野郎。
「ふざけてるのか! こんなめちゃくちゃな事をして、封印を解いたらエンペドだって蘇るんだぞ!」
「そうとも」
そうとも?
こいつら、知ってたのか。
「今の魔術には限界がある。ギルドにはエンペドのような古代のカリスマが必要なんだ」
「狙いはリゾーマタ・ボルガだけじゃなかったのか」
「なんだっていいさ。魔術の発展と原理の探究、その2つがこの街の禁忌を解く事で手に入るんだからな」
狂ってる。
そのためにはこんな風に誰彼かまわず襲いかかってもいい、村や町をめちゃくちゃにしてもいいとでも思っているというのか。
「それが許せないなら、その"奇跡の力"で抗ってみろ。僕は子どもの面倒見が良いほうじゃない」
「言われなくても………ッ!!」
怒りに任せて駆けだした。
スピードスターの異名は存命。
コリンをぶん殴ったときと同じように、俊足で駆けた。
だが――――。
「遅いな―――Schwerkraft」
その瞬速の一撃を、アンファンは意図も容易く避けてみせた。この人はそれほど戦士として強いわけじゃない。見切ったとしてもそれほど速く動けるはずがない。
「なんで……」
「キミの魔力無効の力は古典的なものでしかない。戦闘パターンを分析していて分かったことだが、"新規の魔法"を無力化できるわけじゃない」
「新規の魔法……?」
「つまりは重力魔法だ。それにどうもキミの動きは"時間制御"に依存している。それはオルドリッジの秘術だが、防ぎようはある。時間座標は重力の係数次第で歪んでしまうものだからな」
何を言っているかは理解できない。
だけど俺の戦い方はお見通しだって言いたいんだろう。
しかも、今オルドリッジの名前を出した。よくよく考えたらアンファンもイザイアも同じくらいの年頃だろうか。同じ偉大な魔術師として2人が知り合いだとしても不思議ではない。
魔術師というのはロクな連中がいない。
「父様!」
そこにユースティンが現われた。黒いローブがぼろぼろになっている。それに枝葉もついて、さっきまで森の中を彷徨っていたようだ。何が起こったか分からないが、そういえば息子も来ていたんだった。
「なぜロストが父様を……?」
「ユースティン、お前のお父さんは滅茶苦茶だ。一緒に止めてくれ!」
「なに……どういうことなんだ?」
ユースティンは呆然としている。
対峙し合う俺と父親の姿を見て、状況が整理できていない。
「ユウ、今の彼は冷静じゃない。何か勘違いしているようだ」
勘違いしているようだ、だと?
よくも自分の息子にそんな平然と嘘をつけるな。
「ユースティン!」
「ユウ、父親を助けろ」
ユースティンは俺と父親を見比べて戸惑っている。それも無理はない。友人と父親どちらかの側について相手を倒せというのは究極の選択である。
だけどこっちは四の五の言っていられない。
ユースティンが味方につこうがつかまいが、ここで彼らを止められなかったらまた多くの人たちの命が……世界のバランスが崩壊するんだ。
ユースティンの迷いを切り裂くように、一本の鏑の音が鳴り響いた。
俺の背後から襲い掛かる風の力が付与されたその矢じり。
それが真横を横切ると同時に、アンファンにその矢が襲い掛かった。
「………うぐっ!」
不意打ちで油断していたからか、アンファンの脇にその矢が突き刺さる。だが、それも実は計算だったのかもしれない。
「父様……!」
「ユウ、見たか。彼らは錯乱しているようだ」
ちくしょう、あの法螺吹き野郎。
ユースティンは父親に駆け寄り、その肩を支えた。
そしてその矢を放ったシアに睨みを利かせる。
「シア、なんて事をするんだ!」
「私は……私の両親は……!」
シアも珍しく取り乱していた。
窮地の選択の渦中にいるのはユースティンだけじゃない。
シアもそうなんだ。
"私の両親は"。
彼女の両親は魔術師に殺されたんだ。それはシルフィード様に教えてもらった事実。もしかして、殺したのはこの魔術ギルドの一味なのか?
「ユースティン、お前の父親は俺たちを騙していた! ボルガの封印を解くつもりなんだ! それが解けたらエンペドも蘇る! アザリーグラードの人たちがどうなるか分からないんだぞ」
俺はユースティンを説得するために吠えた。でも必死なあまりにたくさんの情報が詰め込み過ぎて、ちゃんと伝わらなかったかもしれない。迷う必要なんてないのに。
どちらが正義か悪かと問われれば……。
「ユースティン、お前にとって正義とはなんだ! 正義の大魔術師になるんじゃないのか?!」
「ぼ、僕は……」
俺とユースティンの問答の中、背後からのシアの追撃がその数を増してまた襲い掛かる。鏑の音が何本も尾を引いて宙を翔ける。
シアの弓の腕前は一流だ。
俺の胴体に当てる事なく、その渾身の一撃で的へ穿つ事など雑作もいらない事だろう。合計6本の弓矢が俺の脇をすり抜ける。その矢がすべて、アンファンへと降り注ごうとした刹那。
「Eröffnung……!」
ユースティンの詠唱が森に木霊する。そのワンフレーズ魔法を唱えた。シアの放った弓矢のすべてはその闇に引きずり込まれ、掻き消えた。
ユースティンは家族を助けた。
家族を助けただけだ。
「くそ……くそ、くそ!」
俺は地面から剣を引っこ抜く。
心象抽出の動作にも慣れたものだった。
その赤黒い剣を持って、その親子へと一閃振るいにかかる。
ユースティンは悪くない。
こうなったのは、すべてアンファンの策略だ
「ロスト、やめろ! 僕の父様だぞ!」
「お前の親父でも、今は……!」
俺はアンファンへ向けて剣を振り被った。
「―――Übergang」
だが、その時だった。
ユースティンは新しい魔術を口にした。
知らぬ間に新しい魔術を教わっていたのかもしれない。
俺の目の前には闇の穴が切り開かれ、そこから出現したのはシアの弓矢だった。さっき闇に取り込んだ弓矢がそっくりそのまま出現する。
「………な」
転移させるだけじゃないのか。
物体を引き込み、時間差で出現させる転移魔法?
上位クラスの魔法か?
あるいは心象抽出と似たような複製系の魔法なのか?
呆然としているうちに、その6本の矢すべてが俺の胴体を貫いた。
「……ぐ……ごふっ………!」
「きゃぁあ!!」
シアの悲鳴。貫かれた胴体から溢れ出る激しい血流。
そこから体が休息に冷えていくのを感じる。
「よくやった、ユウ。良い子だ」
「……ロ、ロスト…………」
眼前の大魔術師は、俺の元へとゆっくり歩み寄ってきた。
俺は我慢できずに膝をついた。魔術師に情など欠片もなかったようだ。苦痛に悶える俺の腹を、さらに蹴り散らして追撃を与えてきた。
俺は無様に地面を転げた。
倒れ伏し、草木の残骸と土だけが視界に収まった。
苦しい。
横目には、その地獄が視界に入る。
「キミもついでだ。仲良く逝くのは悲願だっただろう―――Brandstifter」
そうして眩しい火球がシアめがけて放たれた。勢いよく射出されたそれは、シアの胴体に直撃して彼女を吹き飛ばす。俺がうつ伏せで倒れる近くに、シアも倒れ込む。
「……シ………ア………」
手を伸ばしても届かない。彼女は目を瞑ったままで、生きているのか死んでいるのか分からなかった。
助けたい。
どうやっても助けたい。
この子を失いたくない。
でも俺の体も、さすがに6本の矢が貫いては限界だった。
「ううむ、仲の良い光景じゃないか。愛とは稀に見るからこそ保養にもなろう」
「ジョバンか? グノーメはどうした」
「あんな猪口才な小娘、大したことなどあるまい。ついでにアーセナルも献上するとは……。精霊という上位存在にしては稀に見る貢献心よ」
「その黒筒がアーセナルか。良い光沢だ」
「ロスト……シア……」
「ユウ、いくぞ。時間がないんだ」
完敗だった。
俺もシアも、精霊たちも。
力だけじゃ足りなかった。奴らが勝ってたのは知略。
悔しさとともに、意識が遠のいていく。
世界を救う?
世界どころか、好きな女一人守ってあげられなかったじゃないか。
この不条理を呪いながらも、もはや考える思考すらなくなっていった。