Episode63 眷属の印
バイラ火山の麓に位置する魔族の村。
実はここでは言葉が通じない。
人間族が使う言語は共通語として普及しているものの、魔族に限っては魔族言語という独自の言葉が根強く使われているため、言葉が分からないとこの村で過ごすのは難しい。
俺たち8人一行は魔族の集落に着くやいなや、町の門前の見張り2人に止められた。
「―――――、――――?」
片方のひょろっと背の高い青い肌をした青年が声をかけてくる。目がぎょろぎょろしているが人間族の美的感覚でいっても美丈夫だ。それに対してアンファンさんがすぐ受け答えをしていた。俺からは何を言っているのかさっぱり分からないが、両者落ち着いた雰囲気で話しているから特に問題はなさそうだ。
「――――、――――――――。――――?」
「――――」
今まで言葉で不自由したことがないから、何の会話をしているのかとてももどかしい。何て会話しているんだろう。
「なぁ、ユースティン」
「なんだ?」
「お前天才なら魔族言語くらい分かるだろ?」
「………ッ! あ、あぁ、もちろん分かるともっ」
本当かな。
「じゃあ、お父さんとあの魔族が何て会話しているか訳してくれよ」
「え………」
「言葉わかるんだろ?」
「あ、あぁ……!」
「じゃあちょっと通訳してくれ」
このリアクションは絶対分かってない。
だけど、プライドの高いユースティンの事だ。
今更、実は知らないなんて言えないんだろう。最近アクアラム・ボルガを手に入れて調子に乗ってる事だから、ちょっと弄ってやってもいいだろう。
ユースティンは意を決してまず自身の父親の言葉を通訳し始めた。
「――――――?」
「"今晩の天気はどうだ?"」
無難だ。
さらに続いて喋る青い肌の魔族の青年の唇の動きに合わせてる。
「――――。―――――」
「"そうだな。まずまずと言ったところか"」
だが意外にも唇に合わせて声を当てるのが上手い!
本当にそう言っているように感じる。
もう正解不正解なんてどうでもいいくらいに、その上手さに感動した。
「ユースティン、うまいなっ」
「ふんっ! 僕にしてみればこんなこと容易い事だ」
なんか負けた気がする。
だけどそこにシアが口を挟む。
「内容は全然違いますけどね」
「……うるさいぞ、シア!」
「正しくは"数日ほどこの村に滞在させて貰えないか?"に対して"村長に会え。目的が分からない限りダメだ"です」
「すごいな。魔族語が分かるのか?」
「……父に教えてもらいました」
あ、触れてはいけないやつか。
それにしてもシアが魔族語が分かるというのは意外だった。
さすが考古学者の娘。
語学にも精通してるって事か。
…
もう一人の門番に案内されて、俺たちは魔族の村へと入れさせてもらえることになった。この村は特に名前がないらしい。
魔族にとって魔族語で「村」と呼び合っているだけだ。
火山の麓ということもあって見晴らしのいい村だが、特に目新しい物は何もない。家がいくつもあって畑があって、細々と暮らしているだけの村。
「――――! ―――――ッ!!」
だが俺が村へ侵入しようとしたまさにその時、さっきアンファンさんが言葉を交わしていた青い魔族の青年にいきなり吠えられた。
「なんだ、どうしたんだ?」
片手に持つ槍を右腕に突き刺さんばかりに、俺の右腕を警戒している。
「――――! ―――――!?」
何を言ってるか分からねえ。
そこにシアが通訳してくれた。
「"お前はなんだ。ケアの刺客か?"と言っています」
「ケアの刺客? 何の話だ?」
「―――――――――!!」
「"その巻物は、ケアの眷属の印だろう"と言っています」
さっぱり意味が分からん。巻物って……俺のこの右腕にラッピングしている"アーカーシャの系譜"の事を言っているんだろうか。シアが冷静に通訳してくれているからそんなに恐怖心は感じないけど、その青年の物言いは何かに怯えるように切迫していて、こっちも怖くなってくる。
吠えるように喋ってくるし。
そこに騒ぎを聞きつけたアンファンさんが駆けつけてきてくれた。それから何度かその青い魔族の青年とやり取りをしながら、彼を|宥<なだ>めようとしてくれた。その最中、アンファンさんも驚いたような素振りを見せて、俺の方へと振り返った。
「ロストくん、キミのその右腕に巻き付いているものは……?」
「これですか? これはアーカーシャの系譜と言うらしいです」
「……なんだって?!」
アンファンさんはまたしても驚きの表情を浮かべる。
そして俺の右側へと駆け寄ると、その聖典を執拗に調べ始めた。
「何故これがここに……ジーナ、来てくれ!」
ジーナさんも呼ばれて俺の近くまで駆け寄ってきた。大人2人に注目される俺の右腕。ジーナさんは俺の聖典に手を翳してヒーリングを駆使し、それがバチバチと弾かれるのを確認した。
「どうだ?」
「間違いありません。これはアーカーシャの系譜そのものです」
「なぜ……キミはいったい!?」
「え、いや、あの……」
そんな在り得ない物でも見るような目で見ないで欲しい。
「これは教会で封印指定になった聖遺物だ。本来ドルイドが管理しているはずの代物だが」
「俺にも何の事だかさっぱりですよ」
「………」
アンファンさんは俺の右腕に巻き付いた聖典を呆然と眺めながら、何か考えているようだった。
「とにかく、話は後だ。ここは僕が何とかしよう」
アンファンさんは門番2人に対して何か適当に取り繕いでくれたが、門番のスタンスは変わらなかった。槍の矛先を俺の方へと向けて、絶対に村には入れないように警戒している。
「ロストくん……申し訳ないけど、キミをこの村に通すことはできないらしい」
えええええ。
「すまないが、この村の周辺でテントを張ってそこで寝泊りしてくれ」
「………わかりました」
不遇な目に遭うのは慣れている。
仕方ないし。でももし分かるなら、俺が村に入れない理由を後でこっそり教えて欲しいものだ。
…
夜。村の外れのテント内での事。
アイリーンもシアも、俺に合わせて村の外で寝泊りすることを願い出た。でも俺はそれを断固拒否して、結局1人で村の外れでテントに寝泊りすることになった。あの子らも長旅で疲れているだろうし、ちゃんとした宿で体を休めてほしい。
っていうのもお人好し過ぎるか。
贅沢言えば、俺だってちゃんとしたベッドで寝たいけど。
だけど、たまには1人で考え事しながらゆっくりするのも良い。
大所帯で長旅のパーティーは気も遣うし、1人になりたくもなるもんだ。
―――ハッ ハッ ハッ……!
テントの外から不穏な声が鳴り響く。"たまにはゆっくり"なんて言っても、1人になるとそれはそれでまた別の厄災が降りかかる。
俺はテントから外を覗いてみた。
そこには顎が異様に発達した犬の怪物が群れを成してテント周辺を取り囲んでいた。
真っ黒な犬だったが、目だけが白く光っている。
白い二つの光が無数に俺を睨んでいる……。
背筋がゾクっとした。
こんな犬の怪物の話、聞いてないんだけど。
―――ガゥゥゥゥウウ……。
しかも完全に警戒態勢だ。犬の群れは姿勢を低くして、俺に飛び掛かろうとする一歩前だった。
「………これはきつい」
でもやるしかない。戦い続けろ。それが戦士を目指す俺の宿命なんだ。
魔改造された俺の右腕。
それが戦えと訴えているような気がして仕方ない。
"ケアの刺客"って何なんだ……?
□
ロストが村の外で魔物の群れに襲われている一方、魔族の村の宿屋でもまた争いが起きていた。
「ふっふっふーん」
アイリーン・ストライドは宿の一室で、夕食として提供されたものを別に取り分けて包んでいた。無論、村の外れで1人寂しく過ごしているだろうロストに届けるためだ。その彼は現在1人どころか、大勢で騒がしく、そしてけたたましく、バトルを繰り広げている最中なのだが、そんなことも露知らず。
「お嬢様、このあたりは夜、冷え込みます」
「それならジャックだって寒い思いをしてるに違いないわっ」
「あとエマグリッジャーという野犬の魔物も出るそうですよ」
「なおさら危ないじゃない!」
アイリーンは急いで支度をして村の外へ向かうことにした。メイドのリオナを同行させて。しかし宿の部屋から飛び出した出会い頭の事である。
隣の部屋からも誰かが飛び出してきたのである。
目の前にいたのはシア・ランドール。
青い髪をしたハーフエルフだ。
金色の瞳が、じとーっとアイリーンを睨む。
「出たわね、泥棒猫!」
「出ました」
シアの目尻は疲れたように垂れ下がっていた。見ていて眠そうな様子である。格好もラフで、そのまま寝れてしまいそうな格好でもある。それに反してアイリーンは身支度をばっちりとしている。
「なによその格好! それにその包みっ!」
「ロストさんへの手土産です」
シアもアイリーンと同様、夕食のあまりをロストへ持っていくつもりだったのである。
「ご飯を持っていくのは将来の妻になるわたしの役目なんだからっ」
アイリーンはそのシアの様子を見て、ずいずいと近寄って文句を垂れる。
「それは気のせいというやつです」
「気のせい?! どういう意味よ」
「妻になる気がしてるだけー、という意味です」
「失礼ねっ! 絶対になるのよ!」
アイリーンは魔物のように怖い顔を浮かべて怒り散らした。
シアは敢えてアイリーンを挑発するようにしていた。シアにとってアイリーンは突如現れた平穏を壊す魔物そのものだった。孤独に生きていく中、唯一見つけた彼女の依り代を突如奪おうという存在が現われたのだから、邪見に扱わずにはいられない。
シアはその無表情で無垢な顔からは想像もできないほど頭の回転が速く、アイリーンを手玉に取るくらい、雑作もない事だった。
「ロストさんはお嫁さんの事なんて考えてないと思います」
「ふんっ! 少なくとも、あなたみたいなレディとしての身だしなみも弁えてない人よりかは……」
アイリーンはシアのラフな格好を見て、はっとなる。アイリーンは気づいてしまったのである。シアのその寝間着のような格好。そして向かう先がテント。それが単なる誤解だと気づけるほど、彼女はまだ大人ではなかった。
「……あ………あぁ………なんてふしだらな女なの……」
「ふっふっふ」
年頃のアイリーンが想像したのは夜這いの事である。
それに対してシアは、そのつもりがなくてもとりあえず怪しく笑ってみる、という選択を取った。アイリーンの誤解を加速させるような言葉を選ぶ事が、彼女自身にとって楽しい会話に発展しそうだと判断したからだ。
「実は私とロストさんは一緒に寝泊りしたこともあります」
「え……?!」
アイリーンの顔がみるみる真っ赤になっていく。
「本当に暑い夜のことでした………気温的に」
「な、なな、な、なんて破廉恥なっ! こ、この泥棒猫っ! 本当に破廉恥っ!」
アイリーンはもうシアの言葉を最初から最後まで聞けるほど冷静ではいられなくなっていた。ショックを受けたアイリーンはシアに指一本を突きつけて批判の言葉を浴びせかけた。その狼狽具合を、シアは涼しげな顔で眺め、ご満悦な様子を示している。
しかしアイリーンはこれで諦めるという発想には一切つながらないようである。むしろ、悪い虫が寄りついている英雄を、自分自身が守ってあげないといけないのだと決意を新たにするのであった。
その女2人の無駄な言い争いは夜更けまで続き、ついぞ夕食の残りをロストへ届けることができなかった。
□
数の暴力とは時として雲泥の差すら埋めてしまう。
黒い犬の魔物は個々で見れば弱い部類に入る魔物だ。だがそれが群れを成して一斉に襲いかかってくると、さすがの俺も……。
延々と続く犬の襲撃はうんざりした。
それにこの犬の魔物、斬撃に対する耐性が強い。皮膚の表面はヌメヌメしている。適当な複製剣で斬りつけても斬りつけても、大きくダメージを与えられている気がしない。少し怯ませることができても、他の個体と闘っているうちに復活しているような気がした。
それに酷い臭いがした。鼻を刺すような刺激臭。表面のヌメリはドロっとしているが、臭いの元はそれらしい。
斯くや絶望感が堪っていた所のことだった。
「―――Chant Start……Brandstifter!」
夜空に透き通った声が木霊する。1節ごとに詠唱し、自然界に命じる東流の魔法詠唱だ。その声の主は、茶色いセミロングの髪に琥珀色の明るい瞳を宿した魔術師。
ジーナさんが杖の矛先をこちらへと向けている。
夜更けだというのに、昼間と変わらず濃い茶色のローブを着ていた。
その姿は……過去の俺のトラウマに重なる。
―――ジャックのばかっ!
息を切らした栗色の魔法使い。洞窟の大空洞。倒れる子ども2人。
火炎魔法がその黒い犬たちを焼き尽くした。火に弱いようで、一匹着火すると他の個体にも軽々と飛び火し、群れは一斉に逃げ出していった。
「大丈夫ですか? ロストさん」
「………あ、ありがとうございます」
なぜジーナさんがここに、という疑問を一瞬浮かべて、気の抜けたお礼を向けてしまった。
「エマグリッジャーは火に弱いのであまり危険視されていませんが、よくよく考えたら基本の火魔法も使えないあなたにとっては天敵だったかと……?」
俺の顔を覗き込むジーナさん。
この人を見ていると誰か大切な人を思い出しそうな気がした。
「泣くほど辛かったんですね」
「え……?」
ふと手を目元に当てると濡れていることに気づいた。
勝手に涙が出ていたようである。
「あ、すみません」
俺は腕でその濡れた目元をごしごしと乱暴に拭った。
…
テント前の小岩を椅子代わりにして、俺とジーナさんは座りながら夜空を眺めていた。
「不便をおかけしてます。そのアーカーシャの系譜を、魔族の村人は忌み嫌っているようです」
「あ、何かわかったんですか?」
おそらくジーナさんもそれを伝えにわざわざ来てくれたんだろう。
「あなたの右腕に巻きついている聖典はアーカーシャの系譜……というのはご自身もわかってますよね?」
「まぁ名前だけ知っていたってだけです」
以前、土の賢者幼女のグノーメ様に教えてもらっただけだ。
「そこに記されている"系譜"とは魔法の継代史の事です。なぜ我々が魔法を使えるか、という根源的な謎に迫るためには貴重な資料です」
それは土の賢者幼女も同じような事を言っていた気がする。俺にとっては別にどうでもいい事だ。気になるのはその聖典が俺にピタリと纏わりついている理由と、魔族の人たちがそれを邪険に扱う理由だ。
「我々にとっては貴重な資料ですが、ここの村人にとってはトラウマのようですね」
「トラウマ……?」
詳しく話を聞いてみると、それは魔族と呼ばれる存在が生まれる遥か過去にまで遡ったトラウマらしい。"魔族"という知性を持つ魔物が生まれたのは、だいたい2000年くらい昔の事。
しかし、その起源は正確には分かっていない。
魔物と人間族の混血が生まれた事が原因だとか、あるいは神が設計した新生物という説もあるが、はっきりとしたことは不明らしい。
ただ、魔族は過去に1度、女神の報復を受けて絶滅しかけた事がある。
神の都合により造られた生物が、神の都合で葬られているということだ。その絶滅に追いやられた時には、女神の紋章を宿した使者が脅威となって襲い掛かってきたそうだ。
女神の名前はケア・トゥル・デ・ダウ。
青い魔族の青年が言っていた「ケア」とはその女神の事のようだ。
この紋章が「眷属の印」。
つまり彼らにとって、俺は絶滅の予兆に見えるということらしい。
「そんなの現れたら俺だったらその場で倒しますよ! よく襲われなかったな……」
「絶滅の予兆と言っても彼此1000年ほど前の事のようです。さすがに長生きな彼らにとっても、もはや迷信の類かと……信心深い人しか反応しないのでしょう」
そういえば迷宮都市にいるときは別に俺の事を見かけた魔族の人たちは特に気にもしてなかったしな。セクシーな魔族の女の人に声かけられたこともあるくらいだし。
「ただ信心深い一部の人のことを考慮して、今回ロストさんはその……」
「まぁ、仕方ないですよねー」
俺は溜息つきながら、焦げついたエマグリッジャーの死体の群れをぼんやり眺めた。その土地にはその土地の都合ってものがある。俺が野宿することで魔族の人たちが平和に過ごせるなら喜んでそうしよう。
俺がそんな破滅の象徴みたいな物を引っ付けて歩いている事自体が謎だが、それは今議論しても分かり様がないから考えたところで無駄だ。
「俺は女神の手先ってことですか……」
「どうでしょう。女神の手先が3年も放置されているとは思えませんが」
確かに。
俺はもう3年もの間、アザリーグラードで冒険者をやっている。もし手先だというのなら、女神ケアというのはかなりの放任主義らしいな。
ジーナさんとは少し世間話的な事をして、テントでお別れした。
去り際に毛布を一枚だけ貸してくれた。
きっと優しい人なんだろう。
魔術ギルドには優しい人が多い。
アンファンさんもそうだが、俺のかつての知り合いのリズベスさんもそうだ。シルフィード様やグノーメ様から聞いていた事前の印象ではもっと冷淡で、不躾な人が多いイメージがあったがそんなことはなかった。どうやら悪い印象がついていただけのようである。
○
ジーナさんが派手にエマグリッジャーを倒してくれたおかげで夜はとても静かだった。ゆっくり考え事でもしようかと思ったのだが、さっきジーナさんが俺を助けてくれたときに思い出した栗色の毛をした魔術師の女性の事が気になる。
それは強烈なインパクトを持っていた。
確か俺の大事な人だったはずだ。
アイリーンだったら知ってるかな?
それに俺の家族……家族はどこにいるんだ……。
それもこれもラウダ大陸へ渡れば会えるんだろうか……?
落ち着いたらラウダ大陸へ渡りたい。




