Episode62 ニヒロ砂漠
アイリーンのおかげで俺は自分のことがぼんやりと分かってきた。
どうやらルクール海岸の漂着以前にはラウダ大陸で冒険者をやっていたようだ。シュヴァリエ・ド・リベルタという伝説的パーティーとともに。
"ねぇ、いつソルテールに帰るの?"
ふとアイリーンの言葉が頭に浮かんだ。俺にも帰る場所があるんだ。
誰かが待っている、いつか帰る故郷のようなものが。
…
迷宮都市アザリーグラードから東へ丸1日ほど歩いたところで大河にぶち当たる。その大河を超えて湿地帯を超えると"ニヒロ砂漠"に辿り着く。
そこから遥か2,3ヶ月の砂漠の旅で、ようやくバイラ火山へと着くわけだ。バイラ火山の麓には魔族の集落がいくつかあるという話だが、砂漠に休憩地点はない。
なかなか辿り着くことすら難しく、体力の必要な旅になるのだ。
俺たちはニヒロ砂漠との間を裂くように流れる大河"イリカイ川"へと到着した。この川の近くまで初めてきたが、改めて見るとかなり水流が激しい。イカダで渡るにしてもかなり大変そうだ。
しかも今回は大所帯での旅ということもあって荷馬車を用意している。馬も一緒にこの河川を渡らなければいけない。アンファンさんは後から付いてくる7人を手で静止させて、ユースティンを呼び寄せた。
「ユウ、アレはある程度使えるようにはなったか?」
「あぁ」
ユースティンはそう言うと、空中からそれを引き抜いた。彼のポケットは亜空間にある。どこからでも物を取り出せるというのは便利だ。
それはただの青いガラス細工で出来た筒だ。
水の賢者アンダイン様からもらった"アクアラム・ボルガ"だった。
今はユースティンの物になっている。
「………ッ!」
それを前に突き出して、ユースティンはその青い筒に魔力を注入した。
それと同時に筒の両端から、氷の柱が形成されていく。
まるで、つららが形成される様を早送りで見せられているかのように、どんどん伸びていった。そしてその氷は、先端が丸く変形していき、長い長い杖のようになった。
あれがアクアラム・ボルガ……見た目は氷の杖だ。所有者の魔力を増幅させて、凡愚な魔術師さえも強力な魔術を放てるようになるという規格外の魔力増幅用の杖らしい。
「いいぞ、ユウ。あとはお前の魔術に任せた」
父親からの期待の言葉に対して、一度だけ頷くユースティン。
「――――Eis Bereich」
一言命じるだけで発現する魔法。ユースティンの魔力を吸い上げてアクアラム・ボルガは反応を示した。そこから青々しい魔力が空中で波紋上に放出された。それがイリカイ川へと到達すると、怒涛の勢いで流れていた川の水が、一瞬にして凍りついた。
「凄まじい技です」
その光景を見て同じ魔術師であるジーナさんは惚れ惚れとしている。
「では渡ろう。ユウ、全員渡り終えたら元に戻しておけ」
「わかった」
あの壮絶な親子喧嘩以来、ユースティンは父親の言葉に素直だった。
俺たち8人が全員渡り終えたところで、ユースティンはアクアラム・ボルガを使って川を溶かして元通りの流れに戻した。
○
アクアラム・ボルガはさすがボルガ・シリーズの一つ。その凄まじさは水や氷魔法に特化して、その芸当を見せつけてくれる。
例えば砂漠のカラカラに乾いた砂上に、広大な水溜まりを一気に作り出すこともできる。またユースティンの足元に多量の水による波を作り出し、術者を運ぶ移動手段として使うこともできる。なかなかこの潤沢な魔法生成というのは出来ることではない。
基本的に魔術は、上級と位置づけられるものまでは魔力のエネルギー弾の応用例でしかない。その形成する結晶の大きさで消費魔力が変わるし、消費魔力の大きさで初級から中級、上級まで格付けされているわけだ。
しかし、ユースティンがアクアラム・ボルガを用いて放つ魔法は、準神級・神級に位置づけられるほどの大規模な魔術。それは自然界に影響を及ぼし、災害をも引き起こし兼ねない禁忌の技だ。準進級・神級に位置する魔力を放てる者は歴代数えても片手で数えられる程度しかいないのだが、ボルガの力を借りればその限りではなくなってくる。
というのは、俺が日夜読んでいる本の情報。
ユースティンが準神級レベルの魔法を放てるのはそれこそボルガの力によるものなのだろう。
自然界に悪影響を及ぼす……術者の倫理観が問われる兵器だ。
「ユウ、あまり使い過ぎるな」
だからこうして偉い人に怒られることもある。
ユースティンは足元に作り出した水で波乗り移動をするのを止めた。彼は魔術師にしては思いつく発想がなかなかにスタイリッシュで、遊び人の嗜好がある。
…
暑い。
このクソ暑い砂漠の旅だというのに、アイリーンは相変わらず引っ付くのをやめない。そしてそれに対抗するように、シアは必死に腕を伸ばし、反対側から日傘で相合傘をしてくれている。俺は両手に花状態だが、その花たちが熱源になって俺の体力を確実に奪っていく。
「ちょっとっ」
「なんでしょう?」
「わたしのジャックから離れてよっ」
アイリーンはシアを睨みつけて歯ぎしりしていた。
「ロストさんの風通しが悪く、熱そうなので、こうして日陰を作ってあげているだけです」
「わたしが邪魔みたいな言い方しないでっ」
「そんなことは言ってません………多分」
「たぶんっ!? 今、たぶんって言った!」
「多分を使うのは私の自由です」
この2人は言い争いを始めたら終わることはない。
「あなたがくっつくことで余計に風通しが悪いんじゃないっ」
「それはお互い様、というやつです」
「ジャックはあなたの方が暑苦しいって思ってるわっ」
「アイリーンさんの方が熱いと思います。背丈的に」
不毛だ。
このやりとりの果てには何もない。
ただ俺の体力は奪われ、水分が奪われ、意識が朦朧としていくだけなのだった。砂漠の地平線を見据えては、俺は途方もないこの旅、この論争に意識が遠のくのだった。
……というか、まじめにフラフラしてきた。
「ほらっ、ジャックの顔色が悪いわよ!」
「大変です。水分補給です」
シアはヒガサ・ボルガの取っ手の蛇口を捻り、先端から水をじょぼじょぼと放った。それは思った以上に威力が高く、俺の目の前を通り過ぎてアイリーンの顔面へと襲い掛かった。
あるあるだ。
蛇口を捻る勢いを見誤って凄い勢いで水が飛び出してしまうことはある。
だからシアを責めないであげてほしい。
「きゃ……! なにするのよっ」
「あ、すみません。手元が狂いました」
「絶対わざとでしょ」
「わざと? 違いますよ……多分」
「またたぶんって言った!」
「多分を使うのは私の自由です」
何かが起こればそれが火種となってまた2人の戦火は拡大する。
被害者は俺だ。
でもこれで死ねるなら悔いはない。
2人の美少女に挟まれて幸せに死ねるのだから。
「だいたいその日傘はなんなのよっ」
「これはヒガサ・ボルガです。ロストさんがプレゼントしてくれました。全財産はたいて」
「え……?!」
シアは最後の「全財産はたいて」をかなり強調して言った。
青い髪の半妖精が、珍しく張り合っている。
だんだん毒キャラになってしまっている。
さすがのアイリーンもその言葉にショックを受けたようだ。
「ふ、ふんっ……どうせオネダリして買わせたんでしょっ! ジャックは優しいんだから」
「ロストさんが自主的にサプライズでプレゼントしてくれたんです」
「えぇ……?!」
シアは「自主的に」と「サプライズ」を強調して言った。それを聞いたお嬢様は、耐えきれずに発狂してしまった。
「きぃぃいっ! この泥棒猫ぉぉお!!」
アイリーンは涙目になりながら、腰の刀を鞘に納めたまま、シアへと振るった。ついに怒りが頂点に達したようである。シアは悪魔のような冷たい微笑みを向けたまま、その刀をヒガサ・ボルガで防いだ。
ヒガサ・ボルガのフレームはメタルスケルトンの骨で出来ているため、とても頑丈なのだった。バンっと乱暴な音が俺の目の前を横切り、アイリーンは再度刀を振るった。
斬ることに特化した秘蔵の剣術がシアを襲う。
それをシアはひらりと躱した直後、ヒガサ・ボルガのブースターを展開し、空へと舞いあがった。
「え、なによそれ?!」
「ふっふっふ」
そして空圧制御スキルを駆使し、風の力で空中からふわふわと落下した。着地したところで日傘を畳み、その石突の先端をこちらに向けて構えた。バチバチとフレームから高電圧の電撃が先端へ集中していく。
あれは土の賢者グノーメ様がロマンのために無理やりねじ込んだ殺人兵器レールガンだ……。
あの日傘が「ヒガサ・ボルガ」と呼ばれる所以である。
「おいっ! シア、本気か?!」
「な、なに……なにが来るの?!」
「レールガンだ! 当ったら体が粉々に吹っ飛ぶぞ」
「えぇぇ! 本気で私を殺そうというの?!」
シアはそれでも引き金となるスイッチを押した。
「避けろっ!」
「きゃあ!」
俺は覆いかぶさるようにアイリーンを庇って地面へと押し付けた。
―――パァンッ!
だがその直後、鳴り響いたのは、またしても乾いたクラッカー音。
空砲のようだ。
「あっはは」
「あぁ……もうそれ心臓に悪い、ほんと」
シアの悪戯はたまに度を越える。
いい加減、からかうのはやめて欲しいものだ。
「こ、これよ……! これこれっ!」
「ん?」
下を見ると押し倒されたアイリーンが頬を赤らめてこっちを見つめていた。仰向けになったお嬢様の視線が俺に突き刺さる。火照ったような体。クリっとした瞳を持つ童顔な顔立ち。
―――"その、わたし、いいよ?"
瞳を閉じる少女。静かな夜。子どもの楽園。黒衣の戦闘服の俺。
「いてっ……」
際どいところで頭痛が邪魔をする。
今、一瞬何か思い出せそうな気がした。
「どう? ジャック、何か思い出さなかった?!」
目の前のアイリーンは期待の目を向けて間近で俺を見つめる。
「今、惜しかったかもしれない」
「……ゆっくりでいいのよっ。わたしも頑張って思い出させてあげるから」
そう言うとアイリーンは俺の頬にキスしてきた。それはいつかの夜のリピートのような気がした。こんなにアピールしてくる可愛い女の子を放っておいて俺は今まで何してたんだろうと、少し反省の念が浮かんだ。だがそれ以上に、背後から向けられた冷徹な金属音を聞いて、俺は今を反省した。
―――カチャリ。
向けられたのは俺が手渡したサプライズプレゼントだ。
構えるのは残酷に微笑む青髪の天使の姿だった。
シアさん、ごめんなさい。
○
夜の砂漠は冷え込む。広大な砂漠は遮蔽物がないため冷たい風が吹く。
雲一つない月明かりの中、焚火を守るために夜の当番で焚火を囲う。
「若いという事はいい事ですね……」
「まったくだ。この女たらしが」
今は俺とユースティン、魔術ギルドのジーナさんの3人で焚火の番をしている。
「女たらし? 聞き捨てならねーな」
「シアという子がいながら、余所では別の女を引っ掻けていたんだろ」
「記憶障害で覚えてないんだからわからねーよ……それにどっちかっていうとユースティンの方が街ではモテてるだろ」
「僕はすぐに避難している。魔術師の道は孤高の道なんだ。ロストみたいにうつつを抜かしてられない」
「俺だってうつつ抜かしてるつもりはないんだけど」
魔術師の道は孤高の道か。ユースティンが言うと説得力があるな。
その意志はネーヴェ雪原でありありと見せつけられた。
「貴方には魔法大学へ進学して、早く勉学に励んでほしいものです」
うんうんと頷くジーナさん。琥珀色の瞳が優しそうにユースティンを見つめる。
「きっと大きな功績を修めると思いますよ。そしてその暁には、ぜひ我が魔術ギルドへ」
「僕は……正義の大魔術師になるんだ」
「魔術ギルドで正義を貫けばいいではないですか」
「………」
ユースティンはその言葉を聞いて、返す言葉が見つからないようだった。きっと自分が今まで漠然と目指していた「正義の大魔術師」が具体的にどういうものなのか、ある程度の歳になって考え始めたんだろう。
何を成せば正義なのか、何をしていれば自分のなりたい理想に近づけるのか。俺も含めて、これくらいの年齢になるとそういうことを具体的に考え始める。
だから次の言葉は、ユースティンなりの進路相談だ。
「ジーナは……なぜ魔術ギルドに所属しているんだ?」
相変わらず年上でも構わず呼び捨てるユースティン。だが、その不安そうな眼差しはいつもの威勢はない。自分の将来に不安を感じ始めた歳相応の少年のものだ。
「私は……そうですね。私も、正義の魔術師になりたかった」
「なに?」
「魔術ギルドに所属することは、結果的に私の正義を貫くことに繋がると考えたのです」
それはジーナさんの率直な言葉だと感じた。別にユースティンを勧誘するためにおべんちゃら使ったわけではなく、彼女自身の理想を叶えるために今こうしている、と。
本心だと感じた。
ジーナさんの強い眼差しはどこか惹かれるものがある。
その瞳はユースティンを真っ直ぐ見据えてこう言った。
「ユースティン、貴方にとって正義とはなんですか?」
「僕にとっての正義……」
その言葉自体、真を突いていた。その答えこそがユースティンの目指すべき姿になるんだろう。その答えが出せない今は、まだやっぱり漠然としているに違いない。
「ロストさんはどうですか? 貴方の中に、正義はありますか?」
「うーん……」
唐突に聞かれてもなかなか答えにくい質問だ。
「俺はただのヒトです。すべての人を平等に、なんて神様みたいにはなれません……でも、親しい人の事は助けていきたいと思います。それが正義になるか分かりませんが」
その俺の言葉を聞いて、安心したようにジーナさんは微笑んだ。
「それで良いのです。正義が何かという問いの答えは、ご自身の心の中にあるのです」
○
旅は本当に長かったが、歴戦の戦士、弓師、魔術師が揃っているパーティーにとっては怖れるに足らなかった。
砂漠の敵の中には、砂を泳ぐ肉食魚「ウィザードピラニア」や「サンドワーム」といった敵が地中から襲ってくるのだが、砂の敵というのはだいたい水が弱点だったりする。ユースティンのアクアラム・ボルガで砂を湿らせるだけで襲ってこなくなるので、そんなに苦戦しなかった。食糧に関してもシュヴァルツシルト親子のお家芸ポータルサイトによって困ることはなかった。
土の賢者グノーメ様は本来このニヒロ砂漠にいる、という話だったが、こんないつ地中から敵が襲ってくるか分からない土地で過ごしたくない気持ちが重々分かる。本人も「誰があんなところに好き好んで……」と言っていたけれど、本当にその通りだ。
それから俺たちは約3ヶ月の旅を終え、バイラ火山のある火山地帯へと辿り着いたのである。砂の上ばかりで過ごしていたから、しっかり大地を踏みしめられるところに出て安心した。
「ようやくですね。本当に長旅でした」
ジーナさんはようやくと言うわりに平気そうな顔をしている。冒険者歴の長い俺たちも、まぁなんとか乗り切れた。だがアイリーンはかなり厳しい様子で、旅の後半のほとんどは馬車の荷と化していた。
日中も横になっていることが多く、執事のダヴィさんとメイドのリオナさんが付きっきりで看病していた。
「べ、ベッドで寝かせて……」
彼女はかなり頑張った方だと思う。普通の冒険者ですらへこたれるニヒロ砂漠越えを果たしたのだ。
「お嬢様……引き返すときも同じ期間かかりますよ」
「ひ、ひぃ……」
後悔してるのだろうか。
だけど、彼女の意志は固い。
「ジャックがいるんだもん……が、頑張るわっ」
頭を振って意を決する彼女は本当に見ていて健気だった。
持ち合わせた殊勝さは貴族にしては立派である。
俺たちはバイラ火山へ登頂する前に、一旦近くの魔族の村で休憩を挟むことにし、その村を目指した。




