◆ アイリーンの船出
「アイリーンお嬢様」
「なによ?」
「アルフレッド様のお宅はそちらではありませんよ」
「わ、わかってるわよっ」
メイドのリオナに言われて気がついた。
前と舗装された道が変わってしまったから、別の道からじゃないとアルフレッドさんとリンジーさんの家には辿り着けない。
田舎町ソルテールはすっかり様変わりしてしまった。
黒い巨大なタコの魔物が村を襲ってからというもの、建物や街灯のほとんどが破壊されてしまい、うちとオルドリッジ家のバーウィッチの貴族が復興支援をしたことで、2年かけて村はすっかり自治機能を回復させた。
でも全部元通りってわけじゃない。
オルドリッジが派手に作り変えてしまったといっても過言じゃない。
わたしからしたら田舎としてのソルテールの景観の良さは残してほしかったけど、建物が新しくなると田舎の良さってのは少しずつ減っていってしまうんだ。
旧シュヴァリエ・ド・リベルタのアジトに着いた。アルフレッドさんとリンジーさんの愛の巣だ。
想像してなんだか顔が赤くなる。
わたしもいつかジャックと愛の巣で過ごす日々がくるのかな。
「―――ん? なんだ、お前たちか」
相変わらず粗暴な振る舞いで迎え入れるアルフレッドさん。
最初こそ貴族のわたしに失礼だと思ったりもしたけれど、別に本人に悪気はないみたいだ。むしろこの口調の方が親しみも湧いてくるってものだと納得した。
ソファに座らせてもらう。
「もしかして手紙のことか?」
「……そうよっ」
「そうか」
予想していた反応と少し違っていた。
もっとこう「うおおおお、まじかよおおお」みたいな反応が来ると身構えていたわたしがバカみたい。
手紙というのは、ジャックと思われる少年が迷宮都市アザリーグラードの5年に一度のイベント「アーバン・フラタニティ」の大会で目撃されたという事実だ。ストライド家の使用人が四苦八苦して探した結果、手に入れた貴重な情報だ。
それを「そうか」の一言で返されたら、わたしも腹が立たずにはいられない。
「なによその反応! 嬉しくないの?!」
「いやまぁ……嬉しいんだが……」
アルフレッドさんはその自慢の赤い頭髪をポリポリと掻いた。
「俺もリンジーも話し合ったんだ」
「それで……?」
アルフレッドさんは椅子に座って両腕を膝に乗っけて、片足をゆすり始めた。
なんだか落ち着きがないように見える。
「そっとしておいてやろうって思ってな」
「えぇ! 何よそれっ!」
信じられない。あんなに仲間仲間って言ってた情の厚い男だったくせに。
なんだかちょっと見損なった。
「アイリーンにはまだ分からねぇかもしれねぇがな……。アイツにはアイツの世界があって、冒険がある。俺たちがそれをかき乱しちゃいけねぇんだよ」
アルフレッドさんの言うことは納得できるけど、でも薄情な気がした。
わたしはそんなアルフレッドさんの言葉を、大人の説教みたいに聞き流しながら、実のところ子どもが出来てから丸くなっただけじゃ? と捻くれて考えてしまう。
「俺たちはジャックに期待をかけすぎちまった。アイツは、その期待に全部応えられちまうくらい優秀だった。それに甘え過ぎたんだ」
遠くを見るような目。きっとわたしも知らないジャックとの冒険の日々を思い出しているんだろう。
「そうやって俺たちが早くから"オトナ"にしちまったからな……そういう奴は夢や希望が無くなっちまう。俺はジャックにそんな男にはなって欲しくねぇ」
「………ふーん。あ、そう」
「なんか不満そうじゃねぇか、お嬢様」
冷やかされるようなその言われよう。わたしはますます気に食わなかった。
「わたしは会いにいくんだからっ!」
「それはお前の自由だと思うぜ。ジャックに会ったらよろしく伝えといてくれよ」
結局まともに話もできずに、わたしとリオナはアルフレッドさんの家を出た。
最後には子どもの泣き声を聞いたアルフレッドさんは「おお、リナリー!」と慌てて愛娘に駆け寄っていった。
あれはもうただの親ばかだ。
○
「ちょっと! 2人とも早く早くー!」
逸る気持ちは抑えられない。この船に乗って大陸を渡れば、そこには愛しいわたしのヒーローくんがいるんだ!
後ろからゆっくりと付いてくるダヴィとリオナの2人。
あの2人はストライド家の使用人。執事とメイドだ。
「アイリーンお嬢様、そんなにはしゃいでは転びますよ」
「わたしはもう15歳よ! そんな子どもじゃ―――あっ!」
忠告の通りに、わたしは盛大に地面に転んだ。
「まったくお嬢様は……」
リオナに手を差し延ばされて、わたしはそれを取って立ち上がった。
「えへへ……」
「それに船の出航までまだ時間があります。お嬢様がどんなに急いでも船は逃げませんし、ジャック様も逃げませんよ」
「そ、そうよねっ!」
改めて名前を言われると我ながら恥ずかしくて顔が赤くなるのを感じる。
ダヴィもリオナも、わたしがジャックを追いかけてラウダ大陸からリバーダ大陸へ渡ることを分かっているんだ。わたしの恋路に付きあわせてしまったというのは、使用人とはいえ申し訳ない。
無事にジャックと再開してストライドの屋敷に戻れたら、お爺ちゃんに休暇でもお願いしてみようかな。
…
港町ダリ・アモール。ここにはいろんな思い出がある。
そして何よりこのサン・アモレナ大聖堂跡地の正面、その大広場に君臨した英雄の像。
武骨に奇凱化した右腕は、勇ましくてかっこいい。
頬に刻まれた模様も只者ならないオーラを発している。
これがジャックだ。
石像の下には「ジャック・ザ・ヒーロー(名も無き英雄)」と書かれている。
にやにやが止まらない。
なんたってわたしはこの少年の頬にキスまでしたことがある。不意打ちによるものだけど、反応を見た感じ、満更でもない感じだったし。
もうその彼も14歳くらいだろうか。あんなに格好いいんだからきっと成長しても格好よくなっているに違いない。
早く逢いたい。
船の出航とともに遠ざかっていくラウダ大陸。
船旅はここから1ヶ月かかるらしい。目指す街は童話でも有名な迷宮都市アザリーグラードだ。
なんでジャックがそんなところにいるんだろう。
迷宮都市はその名の通り、ダンジョンが街中にあるという特殊な街だ。古代の大魔術師エンペドという悪い奴が、そんな風に変えてしまったとか。その迷宮にはいろいろな秘宝や素材が眠っているとされ、冒険者の聖地とも呼ばれている。
駆け出しの冒険者はだいたいこの街に集まってくるそうだ。
わたしは右腕に付けたマナグラムを確認する。
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種族:人間 年齢:15歳1ヶ月
生命:177/177
魔力:95/95
筋力 C
敏捷 C
<能力>
拳闘 B
剣術 C
隠密 C
魔 炎 D
魔 氷 D
魔 雷 E
魔 治 E
魔力放出 E
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なかなか器用貧乏なステータス。
でもCランクがあれば一般的には一人前とされている。
筋力・敏捷ともにCランクであればその辺の魔物にはやられないレベルだ。
ジャックを探す冒険に出るためにここまで頑張ったんだから、なんとしてでも会って屋敷に連れ戻す。
船旅はなかなかにハードだった。財力に頼って特等室の部屋を借りているとはいえ、船はかなり揺れて気持ち悪い。
これもすべてジャックのため……。
でもなんだか嫌な予感もしていた。
ジャックのその強さ、カリスマ性、そして14歳という年齢。
冒険者の街で注目されないはずがないんだ。今回発見されたのも大会で活躍したのを見かけられたかららしい。
そうなると他の女の子も黙って見過ごすはずがない。
もしかしたらもう他の子と結ばれている可能性も!
それだったらどうしよ……。
なんだかジャックがすごく遠い存在になってしまった気がする……。




