Episode58 報復の魔術師
バトル・トーナメントの試合は第一回戦こそ苦戦したものの、あとの第二回戦、準々決勝ともに余裕だった。ユースティンもアルバさんも、最初より舞台慣れしたのか、本領発揮してきてうまく連携が取れるようになってきた。
準々決勝ではラインガルド、タウラスが所属する「闇夜の烽火」という変態チームが勝ち上がってくるかと思ったが、なんと試合直前に棄権したらしい。事情はよく分かってないが、黒髪黒衣に青い眼をした選手の様子がおかしく、棄権せざるを得ない状況だったという噂を小耳にはさんだ。
ラインガルドのことだ。……あの変態は結局なんだったんだろう。
俺のかつての知り合いなんだろうか。
仮にそうだったとしても関わり合いたくはないけれど。
「はぁぁぁぁあ………」
いつものシムノン亭の酒場。俺とシア、アルバさん、タウラスの4人はいつもの会合を果たしていた。今晩に限ってはなぜかユースティンがいなかった。
テーブルを挟んで向かいのタウラスが盛大に突っ伏した。
俺たちは準決勝まで勝ち進め、スタルワート・ウォーリアを打ち破ったダークホースとして優勝が期待されてやまない。
タウラスの目的としては優勝候補として躍り出ることで、ハーレム展開まっしぐらを期待していたものの、結局周りからチヤホヤされているのは俺やユースティンになってしまった。
「タウラス……なんか悪いな」
俺はそんな彼にどう声をかけていいか分からない。
「いや……俺の運命だ。お前を恨むのは筋違いってもんだろ? 最初からお前らにだけ声かけてればよかったんだ」
「ふふん、タウラスめ。その弛んだ根性と浮気性がここにきて仇になったというわけだな」
アルバさんはその特大おっぱいをいつものように腕に抱えて隣で突っ伏した男を鼻で笑った。
そう追い打ちかけるようなこと言うなよ。
「なーんだよ、アルバさんがそのロケットな胸で癒してくれよ」
雪崩れ込むようにタウラスはアルバさんに抱きつこうとする。
「きもい! 近寄るなっ」
この辺はいつものやりとりだ。いい加減この2人、お似合いに見えて仕方がない。
「ねえ、あなたスピードスターのロストくん?」
呆然と2人のやりとりを眺めていると、後ろから青い肌をしたスタイルのいい女性に声をかけられた。
まただ。
バトル・トーナメントの大会が進むにつれて、俺の知名度は鰻登り状態だった。
そして付いた二つ名が「スピードスター」
動きの素早さ、そして名が知られてからの人気度の急上昇からスターという派手な二つ名が付いてしまった。我ながらそんな大それた二つ名がつけられていると知ったのはつい最近のことだ。
「明日は準決勝かしら?」
「えぇ、まぁ……」
それからというもの、こうしていろんな女性から声をかけて頂いている。
その様子をタウラスは憎々しい様子で眺めている。
「ねえ、お祭りが終わったらあたしと迷宮デートしない? その頬の模様、ロストくんも魔族なんでしょ?」
俺は魔族ではないことは自分でもわかっている。この右肩に無理やり付けられた魔造義肢によってマナグラム上では魔族と人間のハーフということになっていることも理解していた。
「魔族同士、仲よく、さ?」
唐突に肩に手を置かれ、さりげないボディタッチを挟んでくる。これは今まで何人もの男を虜にしてきた女の手だ! 騙されて堪るか!
「化け物同士………」
隣でお茶をすするシアがぼそりと呟いて立ち上がった。
「帰ります」
そして二言目にはくるっとターンしてシムノン亭から出て行こうとした。シアは当初こそありとあらゆる女の魔の手を妨害してくれていたが、次から次へと俺に押し寄せる女の子に限界を感じたらしい。最近はあんな感じで怒って帰ってしまうのだった。
「あーー、待て待て!」
「え? もしかして彼女? ごっめーん」
青い肌の魔族の女は軽いノリで謝罪を入れて遠くへいってしまった。
まったく無責任な。
…
先行くシアを追いかけるも、なかなか追いつかない。怒った人ってのは歩くのが早い。
そんな夜道。
「―――――」
遠くに見える暗闇の中、誰かがすすり泣く声が聞こえきた。
なんだなんだと近づいてみると、その小さな体を抱え込んで蹲るのは青い髪のエルフの女の子。俺が探していたシア本人だった。
それにしてもなんで泣いているんだろう。
「………シア、どうした?」
「………はっ」
咄嗟に目をごしごし拭いて立ち上がり、すくっと立ち上がって、慌ててどこか行ってしまいそうだった。
「なんで泣いてるんだ?」
「気のせい、というやつです」
「気のせいじゃないだろ! 今明らかに腕で顔をこすってたぞ!」
「独自の筋肉トレーニングです」
「そんなの筋トレになるかっ」
まぁ、冗談かます余裕はあるってことか。
「なんか悩んでるなら、その……」
「別にないです」
そのままスタスタと行ってしまうので、不安になって腕をつかんだ。
その反動で何かがヒラリと落ちる。
それは一枚の手紙だった。ちらっと目に映った文章の最後には「ロア・ランドール」というサインがあるのを見てしまった。
中身は読む前にシアにさっと奪い返された。
「これはダメです」
「いや、別に読む気はないけど………ロアって……お父さんか?」
「……っ!」
シアは目を見開いて、またすぐ目を細めた。とても悲しそうにしている。
やってしまった。
シアの両親は死んでいるんだ。しかもある魔術師によって殺されたとかいう話を人づてに聞いている。
今のは無神経だっただろうか。
シアは家の方面へと向かって走り去ってしまった。
……やってしまった。もしお父さんからの手紙だったとしたら、亡き父を悼んで泣いていたに違いない。それを俺が簡単に踏み込んでいい領域じゃない。名前を口に出しただけでも無神経と言うやつだ。
やっぱり両親がいないって辛いよな。
これからもずっと一人で生きてかなきゃいけないんだし。
○
アーバン・フラタニティ5日目の準決勝も難なく勝ち進んだ。相手は剣・弓・魔法のバランスのとれたパーティーだったが、敵剣士が前衛の俺との打ち合いで押し負け、場外アウト。魔術師はユースティンとの詠唱対決により場外アウトに、弓師はアルバさんの盾による突進で弓矢を防ぎ、場外アウト。
そんな流れで負けなしで勝ち進むことができた。
そしていよいよ6日目、決勝戦へと至る。
6日目でバトル・トーナメントは決勝戦を迎え、最終日の7日目で表彰式だ。
転移魔法陣が刻まれた発射台へと3人で立たされ、もう5回目ともなる闘技場のバトルフィールドへと転移させられた。湧き上がる歓声。いつもより特大の声援だった。決勝戦だけ見に来た冒険者も多いのか、今日は闘技場の観客席は満員で、階段で立ち見している者も見受けられた。
「いよいよ、ここまできたか」
「当然だ。僕は絶対に勝たなければいけない理由があるんだからな」
そうだ。本来の俺たちの目的は水の賢者アンダイン様の魔道具だ。優勝でその賞品を獲得し、そしてアンダイン様へと返還する。巨人族の村人も助かり、ユースティンはアクアラム・ボルガを手に入れる。
それが目的だ。
実は決勝戦は時間が制限時間が2時間もたっぷり用意されている。
時間制限で終わらせるというより、しっかり両チームの決着を付けさせるためらしい。
だからだろうか。
俺たちが予測していたのは長期戦だ。
敵の「アーレル・ブレンネル」チームは大柄な槍術士1人と、痩せ型でひょろひょろした格闘家が1人、そして魔法使いが1人ということだ。バランス的には俺たち「暗黒覚醒チーズパン」と同じようなメンバー構成をしているらしい。
アーレル・ブレンネルのこれまでの戦い方は慎重そのものだった。あまり目立つ戦い方をするタイプではなかったが、戦略勝ちによって決勝まで登り詰めたという印象が強い。
だから今回も戦略を十分に練って俺たちと交えるつもりだろうと思っていた。
―――しかし。
炸裂音が鳴り響いた。闘技場には砂埃が舞い上がる。
石壁のブロックが派手に破壊され、粉塵が俺たちのチームのもとへと転がり込む。
「我はメルペック聖堂騎士団、第六位階ジョバンバッティスタ・ヴィンチェンツォーニ! このような小賢しい障碍、実にくだらぬ! ここまでくれば用済みというものよ」
大柄な槍術士は、石壁や石柱の破壊活動をし続けている。大きな槍を軽々と振り回し、一閃するだけで障害物はことごとく壊されていき、見通しがよくなっていく。
その不意打ち、決勝戦にいきなり慎重さを欠く意味が分からなかった。
「なんだあいつ」
「聖堂騎士団……冒険者じゃないのか」
「聖堂騎士団ってなんだ?」
「僕の知る限りじゃ、教会の慈善活動のための戦力ということしか……」
慈善活動をするのになんで戦力が必要なんだよ。
しかもジョバンバッティスタと名のる男の手に持つ槍、それは電撃を纏った雷槍だった。
こそこそ隠れるつもりはないってことだろう。決勝までくればあとは力のぶつけ合いで戦いましょうねって意味だろうか。それだったらこっちもやりやすい。
「やれやれ、張り切っちまってよぉ。へっへっへ、まぁ……確かにここまでくりゃあ関係ねぇか」
その隣から躍り出る痩せ型の男。彼には武器らしいものが見当たらない。格闘家なのか、拳闘術を得意としているのかもしれない。にしてはそのひょろっとした体は柔で、とても強そうな印象はない。
「何をするのです、ジョバン! 敵にこちらの位置が知られてしまう!」
さらにその隣の魔術師ローブを羽織った女性が障害物を破壊し尽くす雷槍の男に向かって叫ぶ。その羽織ったローブは、俺がバンフラ初日に出会ったユースティンの父親と同じものだった。
というかよくよく考えたら、あの男2人もその場にいた気がする。
「ジーナ、まぁいいじゃねぇかよ。俺たちの目的は優勝じゃねぇんだ」
「コリン! ですが……!」
「ほーら、総力戦といこうじゃねえか。俺はアンファンのガキを頂くぜぇ」
3人のやり取りで、雷槍使いの大柄男がジョバン、痩せ型のひょろっとした男がコリン、綺麗な魔術師ローブを羽織った女性がジーナと云うことが分かった。
「目的が優勝ではないとは舐めたチームだ。そんな生半可な気持ちで他の冒険者チームを……! 私が許さん」
隣に立つアルバさんが久しく正論を言った。バスタードソードを強く握りしめ、盾をしっかりと前方に向け、今にも突進するとばかりに眼前を見据えていた。
俺は司令塔役であるユースティンに問いかけた。
「ユースティン、どうする?」
「遮蔽物が無くなった以上、この際、戦略は関係ない! 各々の戦術で乗り切るぞ!」
「オーケー」
「―――――Elektriche Kugeln」
ユースティンは電撃魔法の球体を用意して身構えた。
「いまだ!」
両チームとも近接戦力が2人、遠隔サポーターが1人。力と技の比べ合いだ。
俺とアルバさんは正面へと駆け出した。
と同時に、敵の女魔術師は詠唱を開始する。
「―――Chant Start……Eis Spear」
氷の結晶が上空に集まり、それが鋭く矢じりのような形状を示すと、その矛先がこちらに向けられた。
「ジーナ、あのガキは"女神の奇跡"が使えるらしい。魔法は気をつけろよ」
「どうということはありません! それ以上の数で応戦するまでです」
「へへっ、威勢のいい女だねぇ」
コリンと呼ばれるひょろっとした男がそれだけ言い残すと、その場から一瞬消えた。
消えた?
また時間制御スキルに頼るしかない。
――――バクッ……バクッ……バクッ……。
動悸とともにスローになっていく世界。不規則な血流が俺の体を加速させていく。
見えた。
今、俺の脇を通り抜ける瞬間だった。俺など眼中にないようだ。一心に向かうはユースティンのところだった。
優勝を狙っていないのは、きっとユースティンがお目当てだからだ。
アンファンという父親が、我が子を連れ戻すため。こいつらはその手先だ。
俺はそのとてつもないスピードで疾走するコリンに斬りかかる。
しかし弾き返された。
俺の時間制御をもってしても反応されるその速さ。
ダークホースは俺たちじゃなくてこいつらだ。
実力を隠しながら決勝戦までやってきたんだろうが、実際こいつらの方が強い気がする。
そしてその背後に殺気を感じた。
振り返ると、大柄の雷槍男が俺めがけて槍を振りかざそうとしている瞬間だった。
こいつがジョバンだ。
雷槍が振り降ろされる。
この男とこの雷槍……どこかで見たことがある。
―――――ガギン!
弾かれる槍。弾いたのはアルバさんの盾だった。
「アルバさん!?」
「あっちの男は私には早すぎて無理だ。ロスト、いけ!」
かっこいい。
その様子を見て槍を押し付けるジョバンはニヤリと微笑んだ。
「ほう、"怪力屋"のサウスバレットか」
「そうとも、私はアルバ・サウスバレット。最強の戦士になる女だ」
「笑止」
激しい盾と槍のぶつかり合いの音が背後から響いた。
◆
その噂を聞いたのは必然だった。
アーバン・フラタニティへのトーナメント参加はただの寄り道。水の賢者アンダイン作製の魔道具"Mana Ventilator"が手に入るからついでに奪っておけ、という指令のもとでだ。
僕は聖堂騎士団から派遣されたジョバンバッティスタ、コリン、そして魔術ギルドの部下であるジーナに命じて参加させることにした。
しかし祭りも2日目に突入したところ、ある出場者チームが一躍有名になった。
そのチーム名は「暗黒覚醒チーズパン」
ふざけた名前だったが、その実力は優勝候補を打ち破るほどだったという。噂によると尋常じゃないスピードと剣技を奮うロストと言う子どもを筆頭に、早打ちワンフレーズの銀髪の魔術師も一緒だったとか。
僕はそれを聞いて間違いないと思った。
実際に試合を見に行ったところ、そこにいたのは後衛でチームに指令を飛ばす我が子の逞しい姿が目に付いた。
家を飛び出してから早2年。立派に成長したようだ。背丈もかなり伸びているし、顔立ちも少しずつ大人びている。思春期の子どもは成長が早い。
僕はそれを見た瞬間、息子とケンカして家出させてしまったのは失敗ではあったものの、彼自身の為にはなったんだと少しだけ救われた。
親として、息子の成長を見守れなかったことを悔しいと思いながらも、それでも満足だった。
そして息子が指揮するチームは、決勝戦まで勝ち上がった。親としてここまで嬉しいことはない。あとは今の僕の部下連中とどう張り合えるか見ものだ。
◆
アルバさんは槍遣いジョバンと、俺は拳闘士コリンと、そしてユースティンは魔術師ジーナとそれぞれ戦っていた。
砕き合う剣技や、魔法の打ち合い。
「さすがはスピードスターの異名を持つ男だぜ、ちょこまかと小賢しいな!」
コリンは俺と闘いながらも会話する余裕は持ち合わせているらしい。
「でもこれでどうだ?」
コリンはその直後、拳の周囲に光を纏わせた。魔力の塊が拳に宿り、さらに拳のスピードがアップする。 俺はそれをブロードソードで応戦したものの、ブロードソードはその拳に触れた瞬間に粉々に砕けた。
「おらぁ! ブツがなけりゃぁおしまいだろうがぁ!」
だけど俺の戦い方は剣術だけじゃない。もちろん殴り合いにも応じられる。武器を失って身軽になった体は、余計に俺のバトルスピードを高めた。
俺はコリンの殴りを何度か手のひらで受け取り、その直後に渾身のボディブローを叩き込んだ。
「………まじで……化け物じゃねぇか……」
腹をやられて蹲るコリンを、ドロップキックで吹っ飛ばし、場外アウトへと送り込んだ。
観客席から声援が飛び交う。
周囲を見渡すと、アルバさんもユースティンもまだ健闘しているようだ。
ユースティンにはまだ余裕がありそうだ。相手の4単語の詠唱によって生成される魔法を、ユースティンは1単語で発現させている。
相手のジーナという魔法使いも魔法発現がちょっとずつ遅れて、ユースティンに圧されがちだった。
あれだったら放っておいても勝てる。
俺はアルバさんのもとへ駆けつけて加勢につくことにした。
「アルバさん、大丈夫?!」
「私は大丈夫だ、あの武器が強い……こいつ自身は強くない」
対峙するジョバンは固まったように俺を凝視していた。というよりも睨んでいる。
「そこの小僧とは一戦交えたことがあったな」
「なに?」
俺を知っている人物、第3号?
「あれは確か自由の騎士たちとの戦いだったかな。なかなかに小気味良い決闘であったぞ」
「俺の何を知ってるんだ?!」
「………なに? 貴様のその風貌、その模様……3年前のシアンズの決闘は我も胸に刻んでいるぞ」
「だからなんだそれは! 詳しく教えろ!」
何を言っているか分からない。だけど俺の過去を知っている。聞き出したい。
そんな俺の様子に対して、怪訝な表情を向けるジョバン。
「そうか、スピードスターの"ロスト"か……ははは、面白い、実に笑えるぞ!」
なんだかその言われ様は、俺の中の道化を侮辱されているような気がした。
―――――バチバチバチ。
その刹那、闘技場のはるか上空に紫電を纏う巨大魔法陣が生成された。
「……?!」
その巨大魔法陣は闘技場を覆い尽くす勢いで空に広がった。観客席にいる冒険者たちは各々悲鳴を上げる者、歓声をあげる者、まちまちだった。
一瞬、敵チームの魔法によるものかと思ったが、ジョバン自身も驚いて頭上を見上げている。
「―――檻は七天の時にて有限の具象なり。我はその身を解き放つ主の鍵。黒の章魚よ、魔界の盟約に従い、我が意に与するならば応えよ!」
そんなこの場にいる全員が動揺している中、空高くへと両腕を掲げ、高らかに声を上げる誰かが観客席にいた。そいつは黒衣を纏った長い黒髪の男。
目を凝らしてみると、狂喜の表情を浮かべて詠唱していた。
「あれは西の闇魔術だ」
近くに駆け寄ったユースティンが叫んだ。
西の闇魔術……単語を一節ごと詠唱して魔法を発現させる東の魔術と違って、詩文を唱えることで魔法を発現させる西の魔術。
つまりあそこで詠唱している漆黒の男は間違いなくラインガルドだ。
頭上から巨大な異形モンスターが舞い降りる。その黒々しさは迷宮のGGを思い出すが、それ以上の大きさがある。触手がうねうねと広がり、形としてはタコのようだ。
「いけぇ! 食らい尽くせぇっ! ひひっ、僕のブラックオクトパス!!」
観客席で万歳する男がその黒い塊に向かって言い放った。その声は、気が触れた狂人の叫び声だ。
黒い巨大タコは闘技場へとその重そうな図体を着陸させた。
「くそ、トーナメントは一旦中止だ! あれを倒すぞ!」
「ふむ……仕方あるまい。障碍は取っ払うまでよ」
ジョバンも同意してくれた。彼は雷槍をブラックオクトパスに向かって構え直している。
観客席の冒険者たちは事態の深刻さに気づいたのか逃げ惑っている。
「アルバさんも大丈夫か?!」
「……わ、私は……触手はダメなんだ……」
そういえば迷宮攻略のときにサラセニアの触手に散々いたぶられてたしな。
不測の事態。せっかくの決勝戦だというのにめちゃくちゃにしやがって。なんなんだ、あのラインガルドとかいう奴は。
凄いイライラする。
生理的に嫌悪感が湧く。
…
ジョバンや俺、ユースティン、そして敵だった魔術師ジーナも混じって各々の武器でブラックオクトパスを攻撃した。
しかし現実離れしたその大きさのタコは、多少の攻撃を受けても全く動じることがなかった。
俺の石材から精製した剣も、黒いタコの触手を何本か消滅させたが、本体を霧散させることはできなかった。
「こいつ……でかすぎるな」
闘技場はめちゃくちゃに破壊され尽くした。
「ユースティン! ポータルサイトでどっか飛ばせないのか?!」
「ポータルサイトは開通先が見えないと"掘れ"ないって言ってるだろう! それにこんな大きなものを飛ばす穴なんて僕には開けられない……!」
俺とユースティンのやりとりの端で、ジョバンもジーナも息も絶え絶えになっていた。
その途端、ぞくっとするような悪寒が体をかける。
ブラックオクトパス以外の脅威がまた新たに現われた予感がした。
体が硬まる。
恐る恐る後ろを振り返ると、そこにいたのはジーナと同じローブを来た壮年の魔法使いだった。
銀髪に濃紺の瞳。
三白眼はブラックオクトパスを見つめていた。
その姿を見たユースティンもまた、俺と同じように硬直している。
その魔術師は俺たちの近くで立ち止まると、左手を軽く上げた。
「ユウ、魔法はこう使え」
一言そう伝えると、魔術師はパチンと指を弾いた。
「―――Schwerkraft」
ユースティンと同じワンフレーズの魔法。命令の矛先は黒い章魚だ。
タコはグロテスクな音を響かせて、一瞬にしてぺちゃんこに潰れた。
どう見ても絶命した。
「―――Eröffnung」
直後には、地面に特大の穴が開き、その暗闇に呑み込まれて跡形もなく消えてしまった。
あまりの凄まじさに何が起こったのか分からない。
あんなに壮絶に暴れ散らしていた大型モンスターが影も形もなく消え失せたのだ。
静まり返る闘技場。
大魔術師。
そんな称号がこの人には相応しい。
アンファン・シュヴァルツシルトは息子の窮地、そして闘技場の惨劇を2つの動作で封じてしまったのである。
片手をあげて、指先をパチンと鳴らす。
ただそれだけのことで事態を収拾させてしまったのだ。