◆ 聖女の伝説
かつてはるか北東にフリーデンヒェンという国があった。
戦争に敗れてから、国土は乏しかった。
残された大地は凍土に支配され、作物も育たない貧しい国だった。
しかし、そんなフリーデンヒェンの国にも聖女の伝説があった。
「ケルベロスの宵が赤く燃ゆるとき、白い神子は産声を上げる。
子は白き肌に真紅の瞳を持つ聖女となり、神の力によってフリーデンヒェンの民を救い、世界を平和にする」
そのような伝説だった。
ある日、ケルベロス座の星座が広がる夜空に、巨大な隕石が落ちていった。
その隕石ははるか上空で破裂して赤く燃え広がった。
その光景を目の当たりにしたタマラ・ローレン。
彼女は妊娠していたが、その瞬間に産気付いた。
まだ産むには早すぎる。ここで子どもが堕ちてしまったら死産となるだろう。
しかし産気は収まらず、タマラは自宅で出産した。
生まれた赤子は、雪のように白い女の子だった。瞳は真っ赤で、いかにも日差しに弱そうな子だ。
死産かと思われたが、子どもは産声を上げた。
その子はメドナと名付けられた。
…
母親となったタマラは伝説を知ってはいたが半信半疑だった。
争いの絶えないこの世界だが、メドナには戦いとは無縁の世界を生きて欲しいと思っていた。
ましてや初めて生んだ可愛いわが子。そんな世界を平和にするといった大義名分なぞ背負わず、健康に普通の女の子に育ってほしかった。
しかしメドナは不思議な力を持っていた。
フリーデンヒェンには魔法を使えるものは少なく、タマラも父親の男も魔力は低かった。
メドナの不思議な力というのは、人々を癒す言葉の力だった。
最初にその力に気付いたのは母親が高熱の病で倒れたときだった。
メドナは町の住人たちと母を看病していたが、そのときメドナが祈りの言葉を呟いた瞬間に、赤い瞳がキラリと光り、母は健康を取り戻した。
伝説が本当だった、と町中で瞬く間に噂は広まった。
しかしその噂とともに、メドナは忌み嫌われた。
国力の低下が国民を卑屈にさせていたフリーデンヒェン。
そこではメドナが病気を自在に操る疫病神だと蔑まれる結果につながった。
人々は離れ、ローレン一家は孤独になり、メドナ自身も友達はいなくなった。
「銀色の世界は私を祝福してくれるの……?」
一人で白銀の雪の中を遊んでいるとき、そんな疑問を口にするほどだった。
白い世界に白い少女。
まるで雪の化身だった。
しかしメドナの噂が耳に届いたフリーデンヒェン国王は、その家臣をメドナの元へ向かわせた。
既に権威を失っていた国王だったが、国の再建には執念を燃やしていた。
○
また今日も国王の遣いのおじさんが家に訪ねてきた。
「お願いしますよ、奥様」
「メドナはうちの娘です。王宮で暮らすなんてありえません」
お母さんがいつもこんな調子で追っ払ってくれるのだけど、今日に限っては向こうもしつこく食い下がってきた。
「悪いようにはしません。王宮での暮らしは素晴らしいものですよ。もちろん旦那様も奥様も一緒にお招きします」
「だから、もう帰ってください。私たちの意思は変わりませんから」
「そうですか………それでは残念です。こちらも余裕がないので―――おい、やれ」
「きゃあ! やめてください!」
お母さんの悲鳴が届いた。
私は即座に玄関へと向かい、その様子を確かめた。護身用の薪割り斧を携えて。
「おや、お嬢さん。こんばんわ。おじさんたちはキミに協力してほしいことがあるんだ。この状況、見れば分かるよね?」
お母さんは屈強な偉丈夫2人に雁字搦めに拘束されていた。
「メドナ、逃げなさい!」
「………ッ!」
私は逃げる気など毛頭なかった。どうやってあの男2人をひれ伏せ、解放して、逃げ切るか、それを考えていた。
「おっと、変な気は起こさない方がいいよ。お母さんが死んでもいいのかな?」
もう友達もいない。家族も失ったらもう私は立ち直れない。斧を落とし、おとなしく男たちに従って付いていく事にした。
でもそれは間違った選択だった。
名目上、王宮へは私たち家族は歓迎されたことになっているが決してそんなことはない。まるで牢獄の中のような生活が待っていた。
表沙汰では「聖女様」と呼ばれ、裏では酷い扱いだった。
やがて私の言葉の力は軍事利用されるために、いろいろと実験された。
人々を癒す能力は最大限まで伸ばされ、ついには脳渉魔法として完成された。
―――"脳渉魔法"
それは人々の脳へ干渉し、自在に操る能力。
洗脳や人格形成に留まらず、潜在能力を引き出したり、幻覚を見せたりしてしまえるような究極の魔法だった。
だけど結局、王国の再建という名の他国への侵略行為は、空しく空振りに終わった。国王はまた戦いに敗れてしまったのだ。
しかし相手国に致命的な被害を負わせた私の実力は怖れられたようだ。
その戦いにおいて私の名は"フリーデンヒェンの魔女"として記録された。
○
お母さんは過労で死ぬ間際まで、争いなんてなければ、と悔やんでいた。
私も常々そう思う。
"残される子どもたちには……なんとか良い世界を残してあげたいわね"
囚われた冷たい石造りの牢屋の中でふと母親の言葉を思い出していた。
"メドナ、子どもたちを守ってあげて……"
お母さんは最後の最後まで他人の心配をしていた。そういうお節介なところは嫌いじゃなかったけど。
「………」
コツコツと静かな牢獄に足音が響いていた。でもその足音の主が誰なのかを確認することはできない。鎖で手足は繋がれているし、目はきつく布で縛られて目隠しされていた。
口にも猿轡が当てられていて声を出せない。
私の脳渉魔法の力は、声と眼がなければ発動しない。猿轡はたまに無理やり取られて、食事が詰め込まれることもある。
食事以外のものを詰め込まれる日もあったけれど……。
だからこういう足音が聞こえてくると、自然と恐怖で身震いした。
何が迫っているのかも分からない。また酷い仕打ちが待っているんじゃないかと思うと、心底死んでしまいたいと思えた。
ガチャと大きな音を立てて、牢屋の鉄格子が開け放たれた。体がびくりと反応して、自分はまだ五体満足なのだと感じた。
「あら、思ってたのよりよっぽど可愛いじゃない」
想像していた声と違って、綺麗な声をした女性だった。ここに捕まってから初めて聞いた同性の声に、少しだけ安心した。
「……がっ………あ……」
猿轡のせいでちゃんと声を出すことが出来なかった。
「酷い状態ね」
その女性はコツコツと乾いた音を響かせて近くへと寄ってきて、ぐわっと轡を外して解放し、おまけに目隠しも解いてくれた。
そこにはブロンドの綺麗な女性がいた。軽やかな服装で、しゃがんで私を見守ってくれていた。
「……だ……れ……」
「私の名前は……うーんと、グレイスでいいわよ」
「グレ……ス……」
それにしても酷い声だ。まともに声を出していないから全然声がでない。
「へ……兵士、たちは……」
「あー」
この女性が新しい私の世話役には見えない。
「さっきこの国滅ぼしちゃったから、もう来ないわよ」
「え……?」
軽い調子で淡々と答えていくグレイスと名乗る女性。
「まぁまぁ。あなたの噂は聞いているわ。さっさと行きましょう」
「いく………って……ッ! ごほっ! ごほ!」
久しぶりに声を出して思わず喉を突っ返させてしまった。衝動的に咳きが出る。
でも咳をしたおかげである程度、喉のつっかえも取れた気がした。
「ごめん……こんな声で……」
「こんな声? あなた良い声してるわよ」
「………」
声を褒められたのは、そのときが初めてだった。
…
囚われていた城の牢屋から脱出して、数か月ぶりに外へ出た。
雨が降っていて、ぼろぼろになった街が露わになっていた。
「な……」
グレイスの言うことは本当だった。私が知らないところで戦争が起こり、この国は滅んでしまっていたらしい。
それにしてもそんな激しい戦闘の音なんか聞こえなかったということは、私自身が相当やられていて耳に届かなかったのかもしれない。
「驚いた? 城門で兵士たちがあまりにも失礼な態度するもんだから、国ごと破壊してやったわ」
驚いたのは今だ。戦争が起こったわけじゃなく、これはグレイス1人の力。
「ちょうどいいから火事場泥棒でもしていきましょ。あなたのその格好、ちょっと下品よ」
「あ……」
思えば私が身に着けていたのはボロボロの布きれ一枚だった。下着すらつけていない。
それからグレイスはまるで自分の故郷のように洋服屋へと案内してくれた。店主のいない洋服屋で、これなんかいいんじゃない、と私に衣装をあてがっては楽しんでいた。
その背後には八つ裂きにされた店主が血をまき散らして絶命しているのだから、狂気の光景でしかない。
「なんでそんなに優しくしてくれるの?」
「ん~?」
「私は、その―――」
もう戦いに利用されるのは疲れた。人殺しは好きだけど、もうそんな気力はない。結局戦ってもその何倍もの仕打ちが待っているだけだ。
「フリーデンヒェンの魔女」
「その名前は―――」
「あなた、ヒトを洗脳できるんでしょ?」
「ま、まぁ……はい……」
なんだかこの人は不思議だ。言葉一つ一つにカリスマ性がある。
「それ、ぴったりなのよ。私と一緒に伝説的バンドでも結成しない?」
今、この人なんて言ったんだろう。伝説的バンド?
戦いでもなんでもなく、バンドと言ったのか。
「ちょっと面白そうだから音楽で人々を熱狂させてみたいのよね。最初は多少のサクラが必要だから、あなたの洗脳魔法で洗脳曲でも作ってみたいわ」
滅びた国の、死体が転がる物騒な場所で、そんな話を平然とするこの人に、私ははまってしまった。
ちょっと面白そうという理由で国一つ滅ぼしてしまうんだ。
「……ふ、ふふふ」
「え? なんか変かしら?」
「ううん、それとっても素敵」
「でしょ? 今まで1人だったかもしれないけど、これからは2人。楽しみましょ」
今まで1人でも、これからは2人。
家族も失って、生きる術もなくなって、でもまた2人になれる。
この気持ちを大切にしよう。
絶望してもまた新しい希望がやってくるんだ。
「あらためて自己紹介。私の名前はメドナ・ローレン。殺し好きの聖女だけど、それでも大丈夫?」
「もちろんよ! あなたの声、最高にいいわ! 私はそうね、音楽好きの暗殺者ってところかしら」
「なにそれ。ふっ……ふふふ、はははは」
「何か違ったかしら。あっはっはっは」
そうして私はグレイスと笑い続けた。
雨の降りしきる廃墟と化した国の中で。
○
そんなグレイスと旅してきた日々は最高に楽しかった。グレイスはとても頼もしい。付いてくる人はたくさんいて、いつのまにか2人組が、楽団を結成するまで組織は大きくなった。
グレイスとはいろんな話をした。
そこで話して決まった事がある。
いつか争いのない平和な世界を作ること。
それは私の母と同じ思想だった。
私はよけいにグレイスの事が好きになった。
一つ不満があったとすれば、これからは人殺しが楽しめなくなることだろうか。
争いのない世界を作るという目的と矛盾して、私はいつも殺しを求めていた。その内包された矛盾には何度も悩まされた。だけど母の言葉に加えて、グレイスと目指す理想。
それを裏切るわけにはいかない。
――――だから、この子ぐらいは最後のお楽しみとして。
息を荒げて楽園シアンズに飛び込んできた異様な子ども。
彼の噂を初めて聞いたのは、バーウィッチで戦力集めをしていたときの事だった。グレイスの思想に付いてきてくれる、戦いが嫌いな戦士という矛盾した存在を探していた。
そのときメラーナ洞窟で子ども2人が命を落とし、1人だけ子どもが生き残ったという話を聞きつけた。
私とグレイスはさっそく目を付けた。
戦いにトラウマを負った子は、戦いのない世界を求めるものだ。
周りはどんどん強く成長していても、そういう子は置いてかれる。
そうなるとこう考える。
「最初から戦いなんてなければ」と。
子どもは結局のところ負けず嫌いなんだ。
ラインガルドもアリサもそうだった。
…
ソルテールという田舎町はとても長閑でいい町だった。
さっそくその子がどんな子なのかすぐ分かった。町の広場で死んだような目をして世界を眺める少年だった。
どんな絶望を味わったんだろう。
今の私はただの道化だ。音楽を聞かせて笑顔が見てみたい。
選ぶ曲は多種多様だけど、今日はいまいちどれにしようか決まらない。
そのときぱっと頭に浮かんだのは「ハイランダーの業火」
戦士を謳う歌はトラウマを負った子どもには適さない。なぜそれを歌おうと思ったのかは今となってはさっぱり覚えていない。
でもその曲を聴いて子どもは生気をすっかり取戻し、羨望の眼差しで私を見つめてきた。
「良い歌でした」
目を輝かせて感想を言う子ども。
綺麗で透き通った良い声をしていた。将来は歌手にでもなれそうだと思った。
でも戦いの歌を良い歌だと言うのはちょっとおかしい。本当にこの子はダンジョンで仲間を失ったんだろうか?
「もっと聞きたかったら"別の歌"も聞かせてあげるよ。こっちへおいで」
そう提案するも、結局その子が聞きたがったのはハイランダーの業火だった。
結局その子―――ジャックくんは憑りつかれたようにハイランダーの業火を最初から最後まで聞き続けた。
話題をそらすためにリュートを教えてあげたけれど、そっちの方も才能が感じられた。子どもにしては細い綺麗な指はリュートの弦と弦を難なく押さえて正しく音を発していた。
この子は仲間にしたい。
楽団の主要メンバーとしてラインガルドやアリサと一緒に。
…
でもそんな思いとは裏腹に、ジャックくんは戦いを求めた。
仲間の子を2人も失ってもなお、戦いを求めるその姿に魔女と呼ばれた私ですらちょっと気味が悪いと感じてしまった。
ただ、それは最初だけだった。
もう目の前にいる彼はただの子どもじゃない。
立派に成長した戦士だ。
「ジャックくん……キミは早くから戦士として成長しすぎてしまった。だから虐げられる側の気持ちが理解できない」
「俺は暴力を振りかざしてるわけじゃないです」
「それはそうさ……でも、アランとピーターの死はどうだったかな?」
悪質な芽は刈り取ってしまわないと。
今となっては神様が、殺し好きの私に残してくれた最後のご馳走なんだと思っている。
「キミはもう立派な戦士だ。私たちを倒そうっていうのは構わないけど、倒される覚悟の方は、できているんだろうね?」
「メドナさん………あなただって狂ってる」
そんなことは、言われなくても分かっている。
最初から聖女として生まれた私は、その時点からおかしかったんだ。
「これはキミへ捧げるレクイエムだ。戦士として完成されてしまったジャックくんはここで死んでしまえ」
○
戦いの最中、彼は何度も何度も蘇った。
経験や実力で言えば私の方が間違いなく上だったはずなのに。
私の編み出したオリジナル兵器"Virginal Arms"は現在ヒトが作り出せる兵器の中では最高傑作だと自負していた。
しかしそこから放出される魔法すら難なく彼は打ち消してしまう。
反則かとも思って使う気すらなかった"Tout Le Monde"をも行使した。
脳渉魔法で最大の奥義。
多数への脳への干渉とリンクが、私の作り出した世界に対象を閉じ込めてしまう究極の獄中魔法。
世界を具現化する力はもはや神の力だ。
神に祝福されて生まれた聖女である私でしかできようがない
それですら―――。
「………また……また破られた……」
憑りつかれた戦士。すわ怖ろしい。
ただの狂人かと思えば、私にとっての脅威と成り代わっていた。
鎮魂歌として捧げた"ハイランダーの業火"は、戦士として一段と彼を成長させてしまったようだった。
「その意地汚さ……気味の悪さを通り越して爽快だ……」
彼の暴走は止まらない。ただの聞き分けのない子どものような事を叫んでは、私たち楽団の思想を全力で否定してきた。
だけどこの戦い、なぜだか私は楽しんでいた。
人殺しとしての血が騒いだ。貯まりに貯まった私の鬱憤、欲望がここにきて爆発して快楽を求めているのかもしれない。
「私のVirginが破壊されそうだ……! ……これが戦い……!」
「終わらせる! 一刻も早く!」
終わらせるなんて、男の子はせっかちだな。私の方はいつまでも楽しんでいたいのに。もう死んでしまってもいいと思えるほどに。
でも私が死んだら、グレイスは?
今は失ってはいけないものがたくさんある。ただ純粋に快楽を求めるだけではいけない。
ふと聖堂のバルコニーから下を覗くと、グレイスとアリサが避難している姿が確認できた。
危険を感じて私が逃がしたんだった。だからここでは思いっきり、快楽に溺れることができるんだ。
そう思うと私の中のリミッターは外れた。
「ふ……ふふ……ふふふふ……! はははははっ! もう思想なんてどうでもいいっ! キミと戦っていると昔を思い出すよ! 殺し合いってのはどうやっても楽しいもんだね」
これは私自身の最後のレクイエム。
グレイス、逃げて。これからはアリサと一緒に過ごしてね。
「私はこんな戦いを求めていたよ! ジャックくん、全力で来なよ!」
「言われなくても――――!」
両者の間で強烈なチャージ音を鳴り響く。
私のVirginと、彼のその乱暴で、綺麗な右手の拳。
そこから炸裂する眩しい光の渦。
「くらえぇぇええええ!!」
あれになら命を犯されてもいいかな。
その手を穢すという意味では犯すのは私の方か。
綺麗な右手の光。
そこには覚悟があった。
どんな悲劇が待っていても、戦い続けるという覚悟が。
彼は綺麗な世界を求めて一歩先へと進むんだ。
私もその世界に連れていってくれないかな……。




