Episode34 脱走劇
化粧を拭き取って、素顔を曝け出した。アイリーンは俺の右頬の魔族刻印にびっくりしていたけど、特に指摘もされなかった。
アイリーンは半年前のダリ・アモールのカーニバルから今までの記憶が飛んでいる。パーシーンと一緒に祭り見物していた最中、いきなり周囲に人がいなくなり、綺麗な女の人に声をかけられたとか。その女の人と一緒に過ごしている時間は、とても幸せな気分だったようだ。
「言われてみれば不思議な気分だった。パパがいなくなったのに気にしてなかったもん」
「それは仕方ないよ」
「パパは今なにしているの? わたしがいなくなったことを何て?」
「……パーシーンさんはすごく心配してた。マーティーンさんもね」
「え?! お爺ちゃんにも会ったの?!」
会ったどころか、竹刀で怪我まで負わせてしまった。
「じゃあ、バーウィッチから来たの? そもそもここはダリ・アモールじゃないの?!」
アイリーンはひどく混乱していた。
彼女からしたらダリ・アモールのお祭りに参加していて、気づいたらここにいたんだ。俺も半年間の記憶が抜けた衝撃は身に染みて感じたことがある。あまりショックを与えないようにしないと。
「アイリーン、きっと混乱するだろうけど、ここはダリ・アモールじゃないし、キミの思っている以上に時間は経ってる。だから早く帰ろう」
アイリーンはその綺麗な瞳をパチパチと瞬きして少しの間なにやら考えている様子だった。しかし俺の真剣な言葉に、意を決したようだった。
「わかったわ……どうやってここから抜け出すの?」
「まだ準備がいる。夜まで待ってほしい」
夜になったら外でトリスタンと合流する予定だ。それまで脱出ルートの確保をしなければならない。
しかし、アイリーンと俺だけ抜け出していいものなのか?
もし点呼を取っているとしたら、ここの2人がいなくなったことはすぐバレてしまう。だけどアイリーンはこの施設での記憶がないので、そんなものがあるか知る由がない。
あ、そうだ。
「アイリーンにも協力してほしいんだけど」
「うん、もちろんよ」
アイリーンはまたしてもぐいっと顔を近づけた。
「きっとチャーリーンもここにいるはずなんだ」
「お兄ちゃん?! なんで?」
「キミを助けにきて、捕まった」
「そんな……」
アイリーンは事の重大性に徐々に気づき始めたようだった。思った以上にショックを受けている。
「それでさっきキミがそうだったみたいに、魔法にかけられて操られてるはず。でも、キミとは普通にコミュニケーションを取ってくれるはずだ。だからお兄ちゃんを見つけ出して聞いてきてほしいんだけど」
俺はアイリーンに、チャーリーンから点呼とルームメイトの有無について聞いてくるように指示した。もしかしてこの施設が2人部屋で構成されているのは、すぐ友達ができるようにっていうのに加えてお互いの監視体制も取っているんじゃ?
相部屋だったらもっと管理しやすいように5人でも10人でも相部屋にすればいいのに、わざわざ2人っていうのはな……。チャーリーンまで連れだしたら、そこのルームメイトが報告する危険性がある。
「もし聞けなかったらそれはそれでいい。俺は脱出ルートを調べてきて必ずこの部屋に戻ってくる」
「わかったわ!」
「それじゃあ、気を付けて」
「……うん、あなたもね。わたしのヒーローくん」
アイリーンが最後なにか言っていた気がするけど聞き取れなかった。部屋の戸をそっと開けて、廊下に誰もいないことを確認し、ささっと飛び出した。
○
トリスタンから貸してもらった魔道具を首のチョーカーに付けながら施設内を隈なく探索した。途中誰かに見つかるかと思ったが、けっこう無防備な施設だったので簡単だった。
部屋に戻って落ち着いてから脱出ルートについて再考する。
楽園シアンズを囲む外壁は背が高くて、乗り換えて脱出するとしたらライトスラスターで飛び上がる必要がある。
でもそれだときっと見つかるか。
壁に穴をあけて脱出する、というのは……?
時間がかかりそうだな。
5階フロアからスラスターで滑空するように脱出するのがいいかな。
どちらにしろ5階へは侵入予定だったから、夜間にアイリーンと潜入してそのまま脱出するか。残った子どもたちは、ここの状況をトリスタンたちに報告してからにしよう。依頼主の子どもが最優先だ。
アイリーンが部屋に戻ってきた。
「おかえり」
「ただいま、ダーリン」
「ダーリン?」
「知らないの? 夫婦はそういう呼び方をするんだって」
「いや、俺たちは夫婦じゃないし」
「えー」
かなり懐かれたもんだな。ママゴトのつもりだろうか。
「チャーリーンには会えたの?」
「うん……なんか変だったわ」
「どんな風に?」
「わたしの知ってるお兄ちゃんは、もっとオドオドしてて自信がなさそうな感じ……でも今はなんか人が変わったみたいに自信満々で、なんだか怖い」
「それはきっと魔法のせいだよ。すぐアイリーンみたいに元に戻せるはずだ」
「……うん」
それからアイリーンがチャーリーンから聞き出してきた事だが、点呼のようなものは無し、チャーリーンはルームメイトと仲良し、ということだ。というわけで正気に戻した責任を取って、アイリーンだけは連れ出そう。
…
夜も更けてきた。
アイリーンと部屋の中で他愛無い話をした。それは俺が操られている最中にアイリーンと話した話題と重複していたけど、今度は俺も真実を話した。
オルドリッジの生まれについては隠して、あくまでジャックとして冒険者をやっていること、一般的な魔法は使えないけど特殊な能力は持っているということなど。俺の話をアイリーンは興味津々に、そして目を輝かせて聞いていた。
相変わらず至近距離で。
ガランガランと夕食を告げる鐘が鳴った。このタイミングを待っていた。子どもたちが夕食を食べている間、つまり別棟に集まっている間に脱出だ。
「よし、そろそろ行こうか」
「ねぇ、やっぱり一晩だけわたしとこの部屋で過ごしてみない?」
「え? なんでだよ」
「んー、なんとなくよ!」
そういうわけにはいかない。トリスタンも待っているし、ここの子どもたちを早く親御さんの元へ返してあげたい。そのためにはここの状況を早く伝えないといけないんだ。俺一人ではあの子たち全員を解放する術がない。俺が無視して扉の方へ歩いていくと、アイリーンはつまらなさそうに膨れっ面になって後から付いてきた。
廊下は静まり返っていた。すっかり外は暗くなっていて、窓からは月明かりすら漏れてこない。闇に紛れるにはちょうどいい。
階段へたどり着き、上のフロアへ上がる。鎖が掛かっていて、「この先、立ち入り禁止」という警告文が書かれていた。
俺とアイリーンは気にせず、5階へと向かった。
5階の廊下はステンドグラスが多めだ。厳粛な雰囲気は昼夜問わず醸出されている。あと、ここのフロアは各部屋の扉と扉の感覚が広かった。きっと部屋の間取りが広いのだ。
――――カツ……カツ……と乾いた足音が廊下に響く。
アイリーンだ。ついつい足音が響いてしまう。努力してくれてるのは伝わるけれど、俺のブーツと違って踵が高く作られているようだ。
潜入調査は昼間だいたい見て回ったし、さっさと脱出してしまった方がいいかもしれないな。案外この5階も職員の泊まり部屋ってだけで重要そうでもない。
廊下を少し進んだ先―――。
「あの子はどうも変だ。他の子と違って何かまだ意志が残っているように感じるよ」
歪曲した廊下の先から話し声が聞こえてきた。こちらに向かってきているようだ。
マズい!
俺は咄嗟の判断ですぐ近くの部屋の扉を開けて、すぐさまアイリーンの手を引いて侵入した。扉に鍵がかかっていたら終わりだったけど、運よく鍵はかかってなかった。
―――カチャリ……とゆっくり扉を閉める。急ぎながらも、音を立てないように。俺はアイリーンが物音を立てないように扉側へ押さえ込んで、息を殺した。
「失敗なんじゃないか? あとで様子を見に行った方が」
「クレウス……あなたは心配性すぎるわ。今まで失敗なんてなかったわよ。それに相部屋のお友達も熱心な信者に育ってるんでしょ?」
「そうだが」
この声はクレウス・マグリールと団長のグレイス・グレイソンだ。
「メドナは何て?」
「私がかけた呪いだ。信用しろ、だとさ」
「呪い? 変な言い方するわね。でもまぁメドナがそう言うならいいじゃない」
―――カツ、カツ、カツ、。
―――カチャ、カチャ、カチャ。
グレイス・グレイソンのハイヒールの音と、クレウスの鎧のプレートブーツの足音が響き、近くを通り過ぎているという緊張感が走る。
「だが嫌な予感がするんだ」
「まったく臆病者ねぇ」
そんな会話をしながら、グレイスとクレウスは、俺たちがいる部屋を通り過ぎた。ある程度歩いたところで足音が止んだ。
「それじゃあ、また後で落ち合いましょう」
「あぁ。ところでグレイス」
「なによ?」
「……どこまで広げる気なんだ?」
なんだ、なんの会話をしているんだ?
広げる? 誘拐の範囲をか?
「どこまでもよ」
扉が閉まる音が聞こえた。
グレイスがどこかの部屋へ入ったようだ。
「……いいんだろうかね」
それに続いて、遠くからクレウスの呟き。
扉が閉まる音が再び聞こえた。
どうやら各自、部屋に入ったようだ。
いいんだろうかね?
クレウスは団長の意向に少し躊躇いがある?
俺は周囲に気配がないことを確認して、はぁっとため息をついた。危なかった。ちょっと1階~4階までの探索が楽勝だったから手抜きだったかな。
「……ね、ねぇ」
「ん?」
気づくと目の前にはアイリーンがその愛くるしい顔を真っ赤にして俺を見つめていた。
「その、わたし、いいよ?」
「なにが?」
そういうとアイリーンは瞳を閉じて俺に顔を近づけてきた。ゆっくりと近づいてくる。これは、俺の蓄えてきたオルドリッジ書庫ライブラリから引き出す情報によると女性が男性に対して唇を許したときにするときのポーズ。
って、そんな状況じゃないだろう!
「ふざけてるの?」
「え?! わたしは真剣よ!」
どうやら相当気に入られているらしい。別にアイリーンが嫌とかじゃないし、むしろその好意は嬉しいけど。俺が何を言うか思いあぐねていると、アイリーンは不意打ちのように俺の左頬にキスしてきた。
「……!?」
「これはわたしのこと助けにきてくれたお礼よ」
「まだ助けてない! これからが大事な時なんだ」
俺が文句を伝えると、アイリーンは俺の背中に足をかけて、ぐるりと回転すると、俺を押し倒してきた。こういう近接格闘術はちゃんと覚えているんだな。
「これから? わたしたちは今が大事なの」
俺はアイリーンの左肩を左手で掴んで、ぐるりと回転させて今度は俺がアイリーンに馬乗りした。
「ここは危ないから、そういうのは脱出してからでいいだろう」
またしてもアイリーンは俺の態勢を崩させて、上下が逆転した。
「脱出してから? してから何してくれるの?」
「だから、そんな話をしているときじゃないんだって!」
「ねえ、なにしてるの?」
「いやだから、今ここから脱出し……よう、と……」
なんだって?
今だれが会話に混じった?
「脱出? 勝手に人の部屋に入ってきたくせに?」
俺は首をまわして声の主へと視線を向けた。そこには二本の巻き角が生えた女の子が立っていた。ふわふわとしたくせのある髪がケアに似ている。
アリサ・ヘイルウッドだ。
周囲を見渡すと、確かに誰かの個室のようだった。部屋がファンシーに飾られて、部屋の外の厳粛な雰囲気はこの部屋には無い。
最悪だ。くだらない言い合いをしていたらバレた。いや、言い合いのせいじゃないか。俺が突入した部屋を間違えたんだ。
「いや、これはその」
「このフロアは立ち入り禁止なの! しかも女神の化身であるこの私の部屋でイチャつくなんて無礼極まりないの……!」
「女神の化身……アリサが?」
俺の台詞にアリサがぎょっとした顔を向ける。
「え……なんで私の名前を?」
しまった。アリサという名前は子どもたちに知られていないのか。あくまで楽園シアンズではアリサが女神の化身。つまりケアの代役ってことか。
「というかあなた、どこかで会ったような? それにその格好……脱出って」
あぁ、失敗した。
俺ことジャック、まだまだお子ちゃまにして抜かりだらけ。
「なによ、わたしとジャックの恋路を邪魔しないでよ!」
アイリーンがムキになって反抗した。
俺の名前をばらすなよっ!
「ジャック……くん?」
あああああああ。
完全に終わった。
もう修復不可能。
ジャックという存在の侵入が知られた。
「あれ、どこかで会ったことある?」
「くっ……!」
「きゃっ」
―――キィィイイイイイン……奇骸化したマナグラムが呻る。力を集中させて、反魔力の粒子を放出した。俺はアイリーンを左脇に抱え、素早くライトスラスターを展開させた。もう逃亡を図るしかない。
「な、なに?!」
アリサは仰天していたが、そんなものは構ってられない。俺は部屋の扉を突き破るように体当たりして、部屋から脱出した。突き破られた扉が豪快な音を立てる。
「きゃああ!」
アリサは叫んだ。俺はそれを後目に廊下をスラスターをフルブーストさせて廊下を駆け巡った。
「なんなの?! なんの騒ぎ?!」
慌てて飛び出てきた隣の部屋のグレイスの事も後目に俺はどんどん加速した。だめだ。逃げ場はない。窓ガラスを突き破るしかない。勢いを殺さず窓ガラスを突き破り、煙突の内部へ飛び出た。アイリーンは悲鳴をあげながら俺にしがみ付いていた。
「きゃぁぁあ!」
「大丈夫だ!」
右腕を真っ直ぐ上に伸ばして右腕にぶら下がるように空中へ舞い上がる。そして建物の屋根へと一旦、着陸する。ダリ・アモールで民家の屋根の上に上ったことはあるが、5階もある建物の上は初めてでかなり高かった。
「こ、怖いよ……」
「俺に任せて!」
さて、ここからだとトリスタンが待機している場所は正門側から左に行った方だ。再度スラスターを展開させて滑空の準備に入る。
「――――ジャックくん」
ふと後方から声が聞こえた。振り返ると、屋上の円の端と端で対峙するように、メドナさんは立っていた。
どうやってこんなところに……。
早く逃げないといけないのに、俺はなぜか動くことをやめてしまった。メドナさんは会ったときと同じように、黒のローブに黒いフェザーハット、そしてリュートを抱えて幽霊のように立ち尽くしている。
戦おうなんて気はさらさらなさそうだ。
闇に同化して、本当に幽霊のよう。
「私はキミが生きていてくれて嬉しかったよ」
「メドナさん……」
やっぱり最初の洗礼のときにこの人は気づいていたんだ。
「久しぶりだけど、ずいぶん変わったね。何があったのかな?」
「………」
「まぁいい。一曲聴いていかない?」
ふざけてるのか、この人。
「俺は悲しいです。メドナさんがこんな……」
「こんな……こんなって何かな?」
「誘拐事件の犯人の一人だったなんて」
メドナさんはいつものように妖艶な笑みを浮かべた。もはや以前のように魅力的には映らない。まるで悪魔の微笑み。そして、何も言わずにリュートを弾き始めた。
「―――あぁ、目覚ましくや、暴君の侵攻を嘆き姫」
そのフレーズを唱え始めた。闇夜にメドナさんの歌声は響き渡る。
「―――草木も枯れた大地を前に、なぜ我が神ヘイレルは救わぬのか」
「―――屈して祈りを捧げ続け、ついぞ戦士や舞い降りる」
聞いたことがある。以前、俺の荒んだ心を癒してくれた曲。
「―――漆黒の衣纏いし豪傑。瞳の色や、まさに万物の理を見えん」
ハイランダーの業火 第一楽章。
四つの章で構成された古代の戦士を讃えた歌だ。メドナさんは演奏と歌を終えると、赤い眼をこちらに向けて俺に問いかけた。
「戦いが何を生むの?」
「………」
「ここの子どもたちは幸せだ。傷つけられることもない。犯されることもない。それの何がいけないというの?」
問われても答えられない。
つまり、彼女たちは楽園を作り上げたいんだ。
争いのない楽園を。
「ジャックくんは、平和をかき乱したいの?」
俺は戦士になる。その決意は乱れない。なぜなりたいか、と問われれば明確な理由はなかった。俺は家族に生まれてきた事を祝福されなかった。存在意義すら与えられずに捨てられた俺には明確な自己なんて存在しない。ただ、そんなものは無くても生きていける世界があった。意志は神に委ね、国に委ね、それらの操り人形だったとしても、活躍できる舞台がある。
それが戦場だ。
「俺は……」
―――ピィーーーーーッ
刹那、警笛が高らかに響き渡った。侵入者の存在は警備の兵士たち着々と知れ渡っていったのだろう。アイリーンに袖を引っ張られた。
「ジャック!」
「………ッ!」
ライトスラスターを起動させて、アイリーンを抱きしめた。ばしゅっと射出されるように上空へと飛び立った。
「キミはここへ戻ってくる! その答えが見つからない限りね!」
メドナさんは夜空を駆ける俺に向かってそう叫んでいた。滑空して、外壁へと抜ける。なんだか後ろ髪ひかれる思いだった。