Episode260 無名の戦士
『それは、生体憑依で体を奪うという方法』
ケアは最後にそう助言した。
どこかで聞いたような言葉だった。
『ターン……オーバー』
『魂を収容する術のようなものよ。魂にもカタチがあって、常に同じ容の器を求めている』
『ああ……俺がエンペドに似てるのは、いや、似せて作られたのはそういう理由だったな、確か』
『そういうこと』
オルドリッジの祝典で体を奪われかけたときに、エンペド本人が言っていた。
ターンオーバー。選手交代だ、と――。
『もし空っぽの生体さえあれば、遊離した魂はそこに引き寄せられて、自ずと収容されるはず。だから――今度は貴方がエンペドから体を奪いなさい』
『待てよ。もうあいつと俺の体にはそれぞれ、入れ替わる形ですっぽり魂が収まってんだろ。どうやって奪えばいい?』
ケアが目を閉じて、嘆かわしそうに目尻を下げるのを、そのときの俺はばっちり見てしまった。
成功の可能性は極めて低いと言った。
それ相応の難易度は覚悟していた。
『二つの肉体を一つに結合する』
『結合?』
『――そして分離する。貴方たちは一瞬だけ肉体を一つにして、直後には二つに別れさせる。少なくとも魂にそう誤認させることができれば、安定したエンペドの魂と入れ替わることもできる……かもしれないわ』
『気色悪いな……』
『合体しろとは言ってないわ。傷口同士を合わせるとか、貴方の生の血を口に流し込むとか、どうにかしてアレの内側に穴を開けて、そこに生体が道を通せばいい』
頑丈な半魔造体に穴を開けるには、そいつ本人が作り出した『魔力剣』を利用するしかなかった。
雷槍で穿つことができなかったのだから。
『道を通してもエンペドの魂が半魔造体に残る可能性はないのか?』
『ある。だからこれは一つの賭けよ』
『やっぱり望み薄か……』
『でも、どれだけ精巧に作らせた模造品も寸分程度の誤差はある。今のあなたの体は元来エンペドのもの。今のエンペドの体も元来あなたのもの。――なら、お互いの魂がどちらを選ぶかに、少しは期待してもいいと思わない?』
そうだ。俺がエンペドに似せて作られた無銘の人形に過ぎなくても、その在り方は違っている。
考え方も違う。頭の構造も違う。
積み重ねてきた経験だって、だいぶ違う。
だからこれは元に戻っただけ。
本来あるべき器に収まっただけだ。
「久しぶりの自分自身の体はどうだ」
「――――」
「そっちのが魂もよく馴染むんじゃないか?」
「――――ィ」
俺は皮肉を込めてそう言い放った。
平原に倒れたまま、びくともしない魔術師。
手足はひしゃげ、胴も傷だらけ。
言葉を発せようにも肺腑を膨らます力もなく、かろうじて捻り出す言葉は掠れた笛の音のようだ。
これが稀代の魔術師エンペド・リッジの、千年越しの幕引きか。
「今まで散々こき使ってくれたが……物事は収まるとこに収まるってな……」
「ギ――ァ――」
エンペドは何かを言おうとしている。
歪んだ顔。もはや拍動も僅かなようで、体中の血はじわりと染み出すばかりだ。傷口は"竜の血"の副作用で修復を続け、無惨にも竜鱗への硬質化が進行し続けている。
もう手足の関節は動かないだろう。
俺とエンペド、どちらが人形かと聞かれれば、今のこいつの方がよっぽど人形らしい。
でも、まだしぶとく生きているようだ。
それがありがたい。
俺自身が、この手で断ち切ることができる。
「このまま放っておいても死ぬんだろうが」
「――――ゥ」
「お前は、俺が引導を渡してやるよ」
左手で握り拳をつくり、力を込めた。
こっちだってほとんど魔力は残ってない。
エンペドが時間魔法を乱発してくれたのと、アーカーシャの呪いが絞り取ってくれたおかげで、もう小さな『魔力剣』一本つくるのが限界だ。
だが、体は十分に動く。
さっきの死に物狂いの――文字通り、死に物の戦いと比べたら驚くほど体は軽い。
「これで十分だ」
ナイフのような赤黒い刃物。
それを生成して、逆手に持ち替える。
「ァ――! ギ――、ィ!」
エンペドが暴れていた。
必死に体を揺らしているが、寝返りすらできず、仰向けで戦慄した眼を向けている。
俺からの手向けの斬殺を拒絶している。
『きっと、貴方たちは引き合う運命なのよ』
ケアは憐れむようにそう言った。
『目を背けていても魂が喚び合ってしまう』
『お得意の"運命"ってやつか』
『そうよ。だから自分の手で――』
断ち切らないといけない。
ここで俺とお前の因縁を。
エンペドを蹴り上げた。助走もなしで凄然と。
軽く足を振っただけで骸は高々と舞い上がる。
「ン――、――ッ!」
声にならない悲鳴も聞こえてきた。
俺はその場から跳び上がり、宙を舞う屍を蹴り穿つ。逆回し蹴りの要領でその傷だらけの背を蹴る。
ガシャンと音が鳴った。
ひしゃげた機械の脚が破損する音だ。
「この体はなぁぁぁああ!」
体の向きを変え、エンペドの腕を掴む。
それを力づくで引き寄せる。――肘で喉元を打ち、払い、地上へ叩き落とす。
背筋に小さな魔力剣を突き刺した。
「こうやって使うんだよ!」
それを鎌のように横に裂き、俺自身も体を下に向かせて大地を俯瞰する。エンペドも背筋を切り裂かれた反動で、きりもみ状に回転している。
その回転を見極めて、胴体の表がこっちを向いた瞬間に腹を突き刺した。
「ギ、ゥ―――!!」
そのまま重心をかけて大地に突き落とす。
二人揃って地上へと落下していく。
まだ……生きている。
相変わらずしぶとい。
エンペドの腕を掴んで上空へ放り、その反動で地上に先回りした。しっかり地に足つけて振り返り、上空を仰ぎ見た。振ってくる屍を見定め、振ってきたタイミングで斬りかかった。
「ハァァア!!」
胴を穿った赤黒いナイフを、そのまま振り下ろしてばっさりとエンペドを真っ二つにする。小さめの刀身は、完全に奴の肉を切り離すことはでぎす、半分程度で止まって、先に奴の肉体が、どさりと地上に落ちた。
飛び散った返り血が全身に雨のように降り注ぐ。
――――。
気配が消えた。エンペドの気配が完全に。
ついに朽ち果てたようだ。
平原に投げ出された無惨な骸。
それを確認して俺もようやく呼吸をする。
深く、深く吸い込んで、長く吐き出した。
はぁぁぁ……。
「……じゃあな。お前ともこれっきりだ」
祈るように宣言しておく。
赤黒いナイフを投げつけると、それはエンペドの体に辿り着く前に霧散して消えた。
呼吸が荒くなっていく。
死に体から死にかけの体に移っただけで、魔力切れはこっちの半魔造体の方も同じだったのだ。
一度そう認識すると、溢れ返るように眩暈に襲われた。
「ん?」
懐に違和感があり、黒い外套をまさぐると中の頭陀袋から黒い宝玉が何個も出てきた。
それが渦巻くように中で煙を漂わせている。
徐々にその煙も失せ、宝玉の内部が鎮まった。
グゴォォォォ……!
キィィ……キィィ……。
平原に犇めく魔獣の群れが、宝玉に呼応するように黒い霧となって軒並み消滅していく。
――のが遠目に確認できた。
随分、最初の地点から離れていたらしい。
しかも今の所在地は平原より少し小高い丘。
魔獣の気配もしなかったわけだ。
魔獣の群れは、エンペドが何処かからくすねてきた『使役』とか『召喚』の力を秘めた魔法水晶から出てきた紛い物だった……のか?
そんなアイテムは初耳だから知る由もない。
宝玉の類は未来で何回か見たが――。
それより今は眩暈で倒れそうだ。
魔力も枯渇した。
肉体のダメージは少ないが、右手首から先を切り捨ててしまったから無傷というわけではない。
ふらつく視界の中、その広い平原を望んだ。
日は斜陽。赤く霞む風景が惨状を照らし出す。
黒い霧は消え失せ、獣の気配は消えた。
代わりに転がる兵士の屍の山々。
ほぼラーダ兵だが、ハイランダーの鎧姿も幾つか見える。
生きているのか死んでいるのか分からないが、各々平野に投げ出されるように腰を下ろしたり、倒れたりしてる者ばかりで、鉄の得物も大地に散らばっている。
誰一人として戦意が無い"孤高の戦場"。
そんなものを眺めてみて、目指した理想を振り返る。
"――――戦士になりたい"
これがどうやら求めていた戦場で、
辿り着いたときには何も残らない、
そんな哀れな戦士の、理想郷だ。
「……」
呼吸を整えて無理やり意識を保った。
哀愁漂うこの眺望を目に焼き付けよう。
もう二度と拝めないかもしれない。
そう思うと大切にしたかった。
「これが……」
なんとも言葉が出てこない。
あれだけ憧れた戦士に、ようやく成れたのだとここに来て初めて自覚した。
周りから『英雄』だの『主役』だのと呼ばれ、持て囃されても、どうしても認められなかった自分自身を今、初めて認めることができた。
こんな孤高の戦場を、ずっと探していた。
太古より続く、勝者に許された情景だ。
そこに偽善も、欲望も、悪意もない。
ただ己が信念を貫いて勝利した者のみ望むことが出来る、刹那の静けさがあるだけだ。
清らかで、純粋で、
血生臭い空気を吹き飛ばすほど美しい。
いつか夢中になって読んできた物語の戦士たちはこんな気持ちだったんだ。
英雄譚、叙述詩、戦士の"伝承"。
それらすべてに刻まれた結語の想い。
それを努々、忘れるな。
今一度、深呼吸をする。
――俺は、戦士になった。
戦場を駆る英雄と肩を並べる何かになった。
その事実を目に、耳に、鼻に……五感すべてに、刻む。
「ジェイク……っ! ジェイクなんでしょ!?」
ふと気づくと女の子の声。
俺を導いた女の子だ。彼女が丘を駆け上がる。
息を荒げ、その名を呼んでいた。
俺のところまで近づき、歩みを止め、不安そうに胸元へ片手を添えている。
西日を反射して指の銀環が輝いていた。
「……」
「……」
女の子は俺の目を見て微笑んだ。
言葉もなく、お互いが誰であるかは既に分かっている。
目は口ほどに物を言う、というものだ。
「あなたは、誰?」
だから彼女が尋ねたのは俺の名前じゃない。
その問いの答えは互いの胸の内にある。
証拠に、彼女は笑顔だった。
溢れる涙を堪えて笑う、歓迎の表情だ。
――あの怯える誰かさんではないわよね。
俺自身にそう悟らせたかったらしい。
「俺は……名前の無い、一人の戦士だよ」
素っ気ないが、整然と答えてみせた。
するとエトナは泣きながら歩み寄った。
倒れかける俺の体を抱き、支える少女。
その温もりで、ついに琴線が切れたように体が傾いた。
「強くなったね、ジェイク」
「ああ――」
戦いは終わった。
後に語り継がれる"名も無き英雄"の物語。
その男はようやく己の運命を断ち切り、目指した理想を目に焼き付けることができた。
長い長い、旅を終えて。
(第5幕「太古と伝承」 完)
まだ第5幕のEpilogueが2話、終幕が1話あります。




