Episode259 ハイランダーの業火Ⅲ
殴り飛ばした虫けらが何処かに消えた。
エンペドは平原に向き直って、標的がいないことにようやく気がついた。
それまで己が肉体の不調を訝しんでいた。
おかしい……。
神に匹敵する魔力を手に入れた。
圧倒的な破壊力を手に入れた。
時間の支配をも可能とした。
だが、それらの力はもしかすると、"無制限"ではないのかもしれない。
「――――」
苛立ちが形相に現れる。
ぎり、と下唇を噛んだ。
汚物を払うように手に付いた血を払う。
虫けらを斬り裂いたときに浴びた返り血。
そんなものが付着していると、自分まで同類に堕ちていく気分になる。この神の力を持ちながらに人間の特性も秘めた半魔造体の万能性が妄信に過ぎなかったと、そんな疑惑が虫けらの執念によって真実になる気がしてくる。
眩暈がした。
先日の時間魔法発動後の気分の悪さは、連続的な時間停止による"酔い"のようなものと思った。
今日はまだ二回だけ。
それで酔うとは……。
確かに魔力切れの兆候と似ている。
だが、無尽蔵の魔力を手に入れたはずだ。
たかが数回の魔力行使で枯渇など在り得ない。
在り得ないはずなのだ。
――エンペドは魔術師だった。
それ故に魔法の使用回数が数回に制限される、という発想がなかったのだ。
あのゴミはどこへ消えた。
この怒りを盛大にぶつけてやろう。
そう考え、エンペドはイザイアの影を追った。
怒りは収まらない。遊んでやるだけのつもりだった男が、意地汚くも生き残り続けている。
その不可解な事実も苛立ちの原因だった。
エンペドは無駄が嫌いだ。
何事も効率を重視して事を進める癖がある。
しかし、ふと……。
少しだけ此処にきて魔が差した。
怒りをぶつけてやる為に、最後にガラクタを使ってやろうという魔が――。
大岩の影から、まさにそれが飛び出した。
平原をかける土くれの単車。
それに武骨な鎧姿の男が跨っている。
既に足がなく、土の賢者が残した機械に依存してしか、もはや進むこともできない。無様な男だ。
「あれだけ醜く足掻いたというのに、自ら死期を早めるか。虫けらの行動原理はやはり理解ができぬ。だがまぁ……今ではそれも都合がいい……!」
アーセナル・ボルガは平原を駆け、大回りしてから真っ直ぐ、エンペドのもとへと迫り来る。
「人間魚雷のつもりか。無駄なことを」
その余りにも一直線の突進に怒りを通り越し、呆れて笑いが込み上げた。
おまけに、今度は『兜』まで装備している。
ラーダ兵が被っていた支給品の廉価品だ。
先ほど首を刈ると宣言され、恐怖して頭の防具を充実させたのかとエンペドは鼻で笑った。
「せっかくだ。貴様が架け橋となったこの魔術、この訣別に手向けとして捧げてやろう!」
――"手向けを送る気はない"。
エンペドは戦いの前にそう宣言した。
興に乗ることも、無駄に弄ぶこともなく、ただ捻り潰すと――。だが、悪足掻きの果てに二度も時間魔法を使うこととなり、終いにはその欠点まで突きつけられた気がした。
エンペドは此処にきて焦りを感じていた。
敗北の焦りなどではない。
時間魔法の底が知れるかもしれない焦りだ。
再度、この魔法の素晴らしさを確かめたい。
そんな気で、最後の一回を放った。
「止まれ!」
赤黒い魔力が空間を覆いつくす。
この静かな空間においてエンペドは神になる。
何事も動かなその空間を、ゆっくりと歩いた。
――ぞわりと、悪寒がした。
魔力切れの兆候だ。
やはり、時間魔法は、魔力消耗が激しい。
その欠点を今になって思い知ったことを腹立たしくなり、エンペドは握り拳に自然と力が籠った。
この鬱憤はイザイアで晴らさせてもらう。
アーセナル・ボルガのもとへ辿り着いたエンペドは、魔力剣を宙に並べて、跨るイザイアの四方八方を囲うように配置した。
「死ね……! 死ね死ね死ね死ね死ね!」
ありったけの呪詛の言葉を向ける。
命じた魔力剣はまるでマジックショーのように鎧を全方位から串刺しにした。
まだ時間は止まっている。
既にイザイアは死んでいる。
だが、まだ自身が死んだことも気づいてない。
エンペドの鬱憤は晴れなかった。
「そうだ。心臓を抉り出してやればいい」
不可思議な秘薬を以てしても血循環が消え去れば体を巡ることはできまい。
エンペドは指を何度か握り直すと、鷲掴みするようにその胴体を素手で鎧ごと穿った。
――ぐしゃり。
後に鳴るその音で、イザイア死に気づく筈だ。
「ぐ……? ぬ――――」
しかし、エンペドは違和感に気づいた
腕が鎧から離れない。
抜こうにも、鎧が吸着して離れない。
強引に引き抜いてみると、兜や篭手から分離して胸当てのみが腕に付いてきた。
「ガ――、――――!! ア――!」
その絶叫はイザイアのものではなかった。
見るに鎧は"空洞"だった。
中に、何も、入っていない。
ぐしゃりと音を立てるはずもなく、エンペドは己の超人的な力で、鎧ごと貫いた腕が生身の肉など触れることなく空洞を貫いていたことすら気づかなかった。
胸当ての呪いが離れない。
その鉄は、極上の『吸血』対象を見つけたことに歓喜して、鉄を歪ませて凹ませながらもエンペドの腕に張り付いてくる。
「ガアアアアアアア!!」
吸われていく。
枯渇しかけの虚数魔力がさらに飲み干される。
エンペドは絶叫を上げた。
拍子に、時間魔法を解いた。
否、既に解けていた。
エンペドは地面に倒れ、のたうち回った。
これはまるで『アーカーシャの系譜』の呪い。
それが胸当ての内側に刻印されている。
何故だ。
何故だ何故だ何故だ。
確かにアーセナル・ボルガは動いていた。
一直線にエンペドに向かって突進してきた。
乗り手がいなければ、単車が操縦されているはずがない。
「―――アァ、――ッ!?」
アーセナル・ボルガが土くれと鉄筒に戻る。
同時に一本の蔓がエンペドの目前に転がった。
それは運命樹の幹を這う植物の蔓。
エンペドが視認した瞬間、それは風を吹き荒らして消えた。
「風弓の……追尾の矢……!」
力が搾り取られる渦中、エンペドは嗚咽とともにその答えを口にした。
そして地面から臨む光景に思わず目を見開く。
平原の先――。
死に損ないが、喰鬼のように這ってくる。
両足もなく右腕の機械だけで這いずる男。
ゆったりと近づいてくる姿が死神のようだ。
◇
やってやった。
あいつを罠に嵌めてやった。
脳が焼き切れるんじゃないかってほどに酷使した魔力操作。アーセナル・ボルガを具現化する土魔法は遠隔で捧げ続けた。
操縦はエアリアル・ボルガ。
標的を穿つまで追尾する必中の矢をアーセナル・ボルガの土くれに押し込めるように放った。
『鋼の獣』の舵を取っていた正体は、敵を追いかけることに特化した猟犬だ。
その機体に跨らせた『伽藍の鎧』。
乗り手のいない単車は、自動追尾の恩恵と全身鎧の骸によって、まるで誰かが乗っているかのように偽装された。
こんな単純な手に引っかかるなんて――。
エンペドもただの馬鹿だったってことだ。
時間魔法によって体感時間を刈り取られた直後、突然、悲鳴を上げてのたうち回るエンペドの姿は、罠にかかった小動物みたいに見えた。
あとは胸当ての内側に刻印された『吸血』の呪いが虚数魔力を極限まで絞り尽くすだろう。
「…………アア……く、グ……」
だが、俺の方ももはや死に体なのだ。
這いずって近寄ってトドメを刺しに向かう。
お互い地べたを這うしかできない泥沼の戦い。
有利なのはどちらか。
体力を少し残しながらも蛇に噛まれ続けるエンペドか。
四肢のほとんどの機能を失った俺か。
"ほら、あと少し。あと少しだ。頑張れ"
"君なら、いつかは辿り着けるはずだよ"
そんなもの、決まってる……。
"地べたを這いつくばってでも、それでも少しずつ前に進んでいる。そんなこと出来るのは君くらいだよ"
ここからは俺の得意分野だ。
俺が持ち得た、たった一つの才能。
辛くても、地べた這いずってでも前に進む。
高見の見物ばかりしてきたエンペドに、この土俵で俺が負けるものか。いや、負けられない。
絶対に、負けるはずがない。
あんな弱っちい……自分自身なんかに!
俺がどれだけの間――それこそ十歳で家を追い出されたときからどれだけの間、ただ自分を追いつめるという荒修行を繰り返したと思ってやがる。
英雄になんかなれなかった。
主役になんかなれなかった。
それでも……根性だけは人一倍、身についた!
「ぎゃあああああッ! アガァアア!」
エンペドは絶叫を上げている。
俺を見ながら腕を振り回している。
呪いから逃れようとのたうち回っている。
だが、それは剥がれない。
鉄の胸当ては既に凸凹の形状になってエンペドの手首を縛っていた。手枷を嵌めた罪人みたいだ。
死のカウントダウンを始めたのはお互い様。
だが、勝つのは俺だ、エンペド。
『――これらの現状を踏まえても"まだ諦めるな"っていう警告よ』
元・女神が託した三番目の警告。
『成功する可能性は極めて低いけど』
『教えてくれ。今までも何度だって奇跡は起こしてきた』
それは俺がこんな襤褸になっても再起の可能性を見出す、最後の希望。
絶叫を上げ続けるエンペドの傍に辿り着く。
懐から『魂の指輪』を取り出した。
それはエトナがくれた大切な贈り物である。
ぎゅっと手で握りしめ、祈りを捧げた。
成功する可能性は極めて低い……。
だが、きっと大丈夫だ。
ここまで我武者羅にやってきた。
悔いはない。幸運の女神が微笑んでくれたら恩の字だ、程度にしか思っていない。
「キサマ……何をする気だッ!」
半狂乱になったエンペドを見下ろす。
それを組み伏せ、体を押さえつける。
いや、押さえつける力などなかった。
ただ圧し掛かっただけだ。
「グ――――、アア――」
エンペドは残された魔力で剣を捻り出した。
俺の背に腕を回して必死に串刺しにする。
半狂乱になりながら、最後に地獄へ道連れにされると思ったのか、俺を早いところ殺すため、さらなる追い打ちをかけてくる。
だが、残念ながら俺はもう死ぬ寸前だ。
滅多刺しなんて今さら痛くも痒くもない。
体を動かす原動力は、無理やり繋ぎ止めた『魂』と『魔力』だけである。
暴れるエンペドの腕を掴む。
その腕に握られた魔力剣を、ゆっくりとエンペドの胸に向けて力任せに押し返していく。
「……あああああああああああ!」
「ヒッ――――やめ、やめろぉおおお」
右腕にありったけの魔力を込め、最期の魔法兵器を稼働させた。
ガシュ、ガシュ――。
変な音を立て右腕の機械が力を発揮する。
エンペドが握る魔力剣が奴自身の胸に突き立てられた。
「ギ――――」
「――――」
そのまま倒れ込む。
エンペドの腕を掴む俺の右腕には『魂の指輪』が重ねるように握られていた。
◆
暗黒の道を通過する。
その赤黒いベルベットの上を歩いていく。
「……」
「……」
お互い口を開くことはなかった。
考える思考もなく、よく似た誰かとすれ違ったな、と漠然と感じただけだった。
◆
気づいたとき、俺は天を仰いでいた。
目前に覆い被さる仇敵を力づくで退かした。
「ああああ…………ッ!」
左手の魔力剣の感触を確かめ、その腕を迅速に振るった。
切り裂いたのは自身の右手。
嵌められた鉄の手枷の『呪い』を切り離す。
その瞬間、すっと苦痛から解放された。
「ハッ、ハァ……ハァ……!」
深呼吸して起き上がる。
右手は失った。左手は……どうだ。
握りしめた魔力剣を手放して手の平を見る。
そこに『魂の指輪』がある。
「せ……成功した……! 成功した!」
慌ててその指輪を左手の薬指に嵌めた。
エトナがそこに嵌めてくれた。そこがいい。
「ギ、ギザマ! ガハッ、アアア、アア!」
足元の屍が喚き散らした。
呪いを振り撒くように、異様な形相で俺を睨む。
ああ、お前はそんな顔がお似合いだ。
――エンペド。
「何を……ゲガッ……アア、何をしたッ!」
既に死に体の身で声を吐き出している。
エンペドは四肢のほとんどを失った状態で、背中を滅多刺しにされて、機械の体を引きずって這っている。
「生体憑依――選手交代だ、エンペド」
いつかの焼き増しのように吐き捨てた。
本来あるべき器に両者の魂が戻った。




