Episode254 たった一つの哀れな才能
悪夢は続いていた。
きっとこれは、長い長い夢の途中なのだ。
暗闇の中、俺は闇雲に腕を振り回して何か掴むものがないかを探している。
その昏い空間には何一つなく視界に映る自身の体だけが視えた。
みんな何処にいったんだ。
みんな……? みんなって誰だっけ。
俺は、誰だっけ。
色んな"記憶"があった。
ある朝、俺は魔法大学のような小奇麗な建物が立ち並ぶ街に出かけ、四角くて細長い建物の中に入って同僚に挨拶した。
そこでは皆、同じような服を着ている。
部屋に入ると白衣に着替えて、実験を始めたり、変な箱のガラス板に映る文字を目で追ったりした。
これは何の記憶だ。
自問自答したとき、視界は再び暗転した。
相変わらず白衣を着ているが、腕に違和感があり、ふと自分の体に目を向けた。
「あ……れ……」
右腕がなくなっていた。
肩の付け根あたりから消えている。
気づけば大量の血が吹き出して白衣を真っ赤に染め上げる。嗚咽が漏れ、呼吸が荒くなり、その場に立っていられなくなった。
「ハッ……ハッ……ハッ……」
跪いて目の前に左腕を伸ばす。
暗闇の奥、一筋の光が見えた気がした。
その光に照らされて女の人が映った。
あの人は。
確か、大切な人だったはずだ。
でも思い出せない。純白の長い髪。怪しさすら感じさせる黒いフェザーハットも被っている。
『ほら、あと少し。あと少しだ。頑張れ』
何があと少しだ。
遠すぎて……ちっとも届きそうにない。
『いや、君ならあと少しで手が届くはずだ。
子どもの頃から追いかけ続けた理想。
辛い境遇でも挫けなかった信念。
今までずっと続けてきたじゃないか。
君なら、いつかは辿り着けるはずだよ』
でも、もう立ち上がれそうにない。
無様に這いつくばることしか……。
『それでいい。地べたを這いつくばってでも、それでも少しずつ前に進んでいる。そんなこと出来るのは君くらいだよ。これまで私も多くの人が野垂れ死ぬのを見てきたからね。まったく、感服した』
駄目だ。本当に苦しい。
『はぁ……仕方ないなぁ。ほら、昔のよしみだ』
手……?
『そうだ。手を伸ばして。何が映ってる?』
指輪……だ……。
『そうとも。君に残された左手の薬指。その贈り物は誰からもらったのかな。よく思い出してごらん』
ああ、覚えてる。
これを……これをくれた人に俺は救われた。
名前はそうだ――。
○
「エトナ!」
目が覚めた。
天井は塗装が剥がれ、ヒビが入っている。
「あれ」
伸ばした左手に"指輪"がない。
それどころか見慣れた自分自身の腕ではないことにすぐ気がついた。視線を徐々に下げ、左腕だけでなく体全身がおかしいことに気がついた。
普通の人間の皮膚をしている。
体を無理やり起こしたら異様な音がした。
まるで機械が軋むような物音。
鉛のように重たい右腕――。
「え……え……!?」
右腕がない。
あるにはあるが、人間の腕じゃない。
剥き出しの歯車と鉄骨で出来た腕だ。
蜘蛛型機械『アラクネ』のパーツのような有り様だった。
嘘だろ。
今の俺は半裸状態なのだが、肩の付け根を確かめたところ、機械の腕は浅黒い肉で無理やり接着されたようになっていた。
気が動転して立ち上がる。
だが、うまく動かず、ベッドから転げ落ちた。
がちゃりと鉄製の武器が床に転がる音がする。それは自分自身の左足が床に触れる音だ。
左足もない……。
人工の脚が右腕と同じように接着され、それも上手く動かなかった。
「ど、どうなってんだ!」
俺が落下した反動でベッド際のテーブルに置かれていた色んな物が一緒に床に散らばった。そこに金属の乾いた音が小さく響き、俺の目の前まで転がってきた。
――それは指輪だった。
『私は、貴方を愛しています』
ぼんやりと覚えている。
アザレア大戦の最終決戦に向かうときは全く気づかなかったが、これはエトナがくれたものだ。戦いに挑む前、魂の不安定さを案じたエトナが渡してくれたものだった……。
その指輪に、俺は救われた。
またあの子に助けてもらったのだ。
「うっ……うう……」
涙が込み上げてくる。
そうだ……また俺は負けたのだ。
右腕が切断され、体が暴走した隙を突かれ、まんまと負けた。エンペドに。
あの何処から現れたか分からない宿敵に。
床を這いずり、部屋の中に置かれた鏡まで辿り着いた。
「は――」
自分の顔を見て驚愕する。
そこにいるのは白い肌の男。
普通の人間が映っていた。
頭にも傷があるらしく黒いバンダナを頭に巻き、そこからぐしゃぐしゃに髪が飛び出ていた。
この顔に既視感を覚えたが、それは自分自身が以前イザイア・オルドリッジとして生きてきた頃の記憶によるものだろう。もし俺がサードジュニアのまま成長していたら、こんな青年になっていたかもしれない。
でも……そんな青年は存在しない。
だからこの肉体は誰かの借り物だ。
「――こんな形でお目にかかるなんてな」
誰からの借り物かはすぐに判った。
稀代の魔術師エンペド・リッジの肉体。
あれだけ忌避して会うことを避けていた宿敵の顔を、まさか自身のものとして拝むことになるとは。
何が起きたかは想像がついた。
深呼吸して頭の中をクリアにする。
そこに誰かがやってきた。
物音を聞きつけたのだろう。
「お父……さん……?」
リアだった。
そんな悲痛な表情を浮かべられても……こんなナリでも中身は今まで通りだ。体の性能は随分変わってしまっただろうけど。
○
リアから事情を聴いた。
思っていた通りだ。元の半魔造体が暴走して、人間の形を留めないほどに奇形化してしまったらしい。
だから代わりの肉体としてエンペド・リッジを城から運び出したそうだ。
魂の収容には同じカタチをした体が必要だ。
そんなような話を一昔前にも聞いた。
オルドリッジ事変のときだったか。
「ふむ。やっぱりな」
「やっぱりって……随分あっさりですね」
「悔やんだって仕方ないだろ」
「……」
リアが怪訝そうな顔を浮かべた。
「どうした?」
「泣くか、塞ぎ込むかのどちらかと思いました」
「今更これしきのことで泣くもんか。まだ仲間も死んでないんだ。俺はむしろ皆が生きていて良かったと思ってるよ」
「……成長しましたね」
「親に向かって言う言葉か」
「ごめんなさい。嬉しくなってつい……」
まったく失礼な娘だ。
表面では明るく、自身にもそう言い聞かせる。
――そうだ。まだ何とかなる。
誰かが死んだらどうにも出来ないが、そうでないならやり直せる。リベンジできる。
さっき泣いたのは内緒にしとこう。
「でもエトナとマウナが連れ去られました」
「ああ」
エンペドが二人を連れ去った目的は不明。
どうせくだらない理由だろう。
あいつは念願のリゾーマタ・ボルガも虚数魔力も手に入れてご満悦だろうから、これ以上何か陰謀を企てようという気はないと思う。
まさか彼女らの可愛さに一目惚れでも?
いやいや、冷血なあの男に限ってそれはない。
どういう理由にしろ、俺がやることは一つだ。
「当然、助けにいくに決まってんだろ」
「え、あの……えっと……」
「なんだよ」
体を起き上がらせる。
どうやらこの半分機械化してしまった腕と脚は魔力を通すと動く魔法兵器のようだが、まだコツが掴めずに苦戦した。
昔、ジャックだった頃にマナグラムが融合した右腕に魔力を込めて使っていたから、腕に魔力を通す感覚は分かっている。
「お父さんが出向くつもりですか?!」
「そうだよ」
「無理ですよ! 相手は半神のエンペドですよ」
「半神の……エンペド……?」
「はい。未来でお父さんから肉体を奪うことに成功したエンペドです」
その辺がいまいち理解できない。
いや、言葉の意味は分かるけど"半神"とは?
リアが異常にエンペドを怖がるのもそうだ。
――今のあいつは以前の俺自身だ。
そう思うとまったく怖くない。
○
部屋を出て階段を下りると、みんな居た。
此処はアザレア郊外の一軒家らしい。
地盤沈下で崩壊した中心街と比べると被害が少なく、家として使えそうな場所に避難したそうだ。
他のアザレア市民もそうやって郊外に逃げた人が大半らしいが、アザレア王家は全滅。――リアがエンペドの遺体を引っ張り出すときに確認したら、惨殺されていたそうだ。
きっとあいつの仕業だ。
「エンペドが蘇ったのじゃ!」
「ジェイクさんですよ。魂を移したとか何とか」
「じゃが、肉体はエンペドなのじゃろう」
アンダインは肌が白くなり、魔力切れのサインが出ているが、興奮している様子から察するに元気そうだ。それを諫めるシルフィード様も相変わらずだが、何故か腕を包帯で吊るしている。あれでは弓を取れそうにない。
サラマンド、グノーメ、ティマイオスも居た。
五人揃って五大賢者だ。
まだ仲良くはなさそうで会話する様子はない。
お互いダンマリを決め込んでいた。
五大賢者と呼ばれるわりに、こうして一堂に会する姿を見たのは初めてじゃないだろうか。
美女揃いで圧巻な光景だ。
そしてもう一人、賢者と無関係の人物もいた。
女神の成れの果て――"ケア"だ。
「イザイア……」
「なるほど。また騙したんだな」
「騙すつもりはなかったわ。エンペドから逃げる為には何も知らないフリするのが一番だったの」
諸々の事情は教えてもらった。
俺と一緒にやってきた抜け殻のケアと、エンペドと一緒にやってきた邪神に堕ちたケアが融合した存在が今、目の前にいるケアだった。
ケアはその融合の過程で改心した。
そしてエンペドを止めようと考えた。
聖典『アーカーシャの系譜』を書いたのはその為で、ポエムに見立てたのは偽装だったようだ。
その聖典も裏目に出てしまったが……。
「経緯はよく分かったが、問題は何であんな奴がいるかってことだよ」
「それを言うなら貴方たちの方こそよ」
「どういうことだ?」
「私が描いた筋書きではイザイアが敗れて肉体を捧げ、エンペドが完全無欠の存在として時を超えるというのが本来のエピソードだった。イレギュラーなのは貴方たちの方」
「……」
時間旅行は無数の並行世界を生じさせる。
もしかしたら枝葉の主軸はあちらのエンペドの方で、俺やリアはその枝の末端の末端の……極めて起こりにくい未来の内の一つだったのかもしれない。
つまりこうして存在する俺やリアはそんな奇跡の賜物と云う訳か。だからといって負けを認め、このまま泣き寝入りするつもりはないけど。
「虚数魔力なんて在り得ない魔力を、この世界に結び付けたのが始まりだった。虚数次元に引っ張られて世界がズレ始め、こうして二つの存在を重ねることになってしまった……?」
ケアはさすがは神だったとだけあって高説もお得意そうだ。
いずれは『リピカ・アストラル』などと名乗り、とある宗教の教皇として君臨している姿が目に浮かぶ。
「……俺と同じ力を持ったエンペドがいるってだけだろう? みんなで力を合わせれば、きっと勝てるさ。俺を相手にすると思えばいい」
「…………」
誰も反応しなかった。
よく見ると、みんな気力がなさそうだ。
アザレア大戦で力を使い果たした者、エンペドの襲撃にあって傷を負った者、様々だ。
「お父さん、そのことですが」
リアが背後から口を挟んだ。
彼女も力が残っていなさそうである。
「おそらく、お父さんはご自身を過小評価し過ぎている。だから楽観的なのでは? "相手が自分自身なら勝てる。何故なら以前の自分が大したことなかったから"――そう考えている気がします」
その通りだ。
それに、既にあいつとは一戦交えた。
剣術は酷いもので俺より劣っていた。
時間魔法も「止まれ」と「固まれ」の使い分けすら出来なさそうだ。リアのような『自家静止』なんて器用な芸当も論外。
あいつには決定的に経験値が足りない。
トリスタンの剣術指南も、イルケミーネ先生の魔術講義も受けていない。だからあの体をまだうまく使いこなせていないのだ。
勝てる。……勝てるぞ。
「それは間違いです。お父さんを相手にすると思えば……と言いましたが、この場で以前のお父さんに勝てると思ってる方は一人もいませんよ」
「そうか」
まぁ、それなら仕方ない。
皆が戦えそうにないのは分かっていた。
「なら、俺一人で行ってくる」
「正気ですか!?」
「正気だよ。一人でリベンジに行く」
「今のお父さんでは時間魔法も使えません! それにベースとなる肉体性能も半魔造体だった頃と比べて遥かに弱い。これまでが鉄の装甲なら今は紙切れ同然です! 殴られただけで破裂するかもしれません」
リアが必死に止めようとしている。
それは、ありがたい。
でも止めないでくれ。決意が鈍るから。
「じゃあ鎧でも何でも着込んでいくよ」
「ま、待ってください! あと一日か二日ほど休めば私も回復します。その後でエンペドを探し出しますから。それまで我慢してください」
一日か二日。
その間にエトナとマウナはどうなるのか。
いよいよ俺も我慢の限界だった。
「ふざけんな」
「……」
「エトナは……俺を何度も救ってくれた。その子が今もしかしたら辛い思いをしてるかもしれない。だったらすぐ助けに行く。すぐにな」
俺だって敵を舐めてる訳じゃない。
ああ、知っているとも。
今のエンペドは完全無欠の最強最悪の存在で、俺が挑んでも敵わないってことくらい。それでも行かなければならない理由がある。
リアは目を伏せた。
声が掠れて、今にも泣きそうだ。
「もう……前のような力は無いんですよ。英雄のように圧倒的な強さを持ってるわけじゃないのに、どうしてそれでも行こうと言うのですか」
リアが大粒を涙を目に溜めている。
俺が死ぬと思っているのか。
……まぁ実質、死ぬ確率の方が高いか。
「俺は英雄なんかじゃない」
最初からそうだった。
ただ一つの事を成し遂げようと必死に足掻いていただけの哀れな男だ。それは昔も今も変わらない。
「正義の味方でも主役でもない。そう言った筈だ。力があるから戦うのか? 強いから英雄なのか? ――違う。俺はずっと昔からこうしてきた」
夢の中で語りかけてきた魔女がいた。
『今までずっと続けてきたじゃないか。
君なら、いつかは辿り着けるはずだよ』
無力でも地べたを這いつくばって前に進む。
それが俺の持つ唯一の才能なんだ。
「ジェイク。やっぱりお前は凄い奴だよ」
「エルジェ?」
「ボクには真似できない。これを持ってけ」
エルジェ――火竜サラマンドが渡してきたのは鉄の筒だ。
それは剣豪の技が記録された再演の剣。
火剣『ボルカニック・ボルガ』。
「これに記録した剣術はジェイク自身のだ。魔力を通せば前のように剣が振えるんじゃないか?」
「そうだ! この剣があれば」
と閃きかけたが、それは無理だ。
「いや、俺にはボルガは使えない。魔力が――」
「使えるわ! 今の貴方なら使える!」
珍しく大声を上げたのはケアだった。
「今の貴方にはエンペドの魔力がある」
「あ……」
「それも転生者として私が付加した極上の魔力が」
奴と入れ替わったことで、こちらにも一つだけ利点があった。エンペドが虚数魔力を手にしたように俺も普通の魔力を手に入れた。
今の俺になら基本属性の魔法が使えるのだ。
試しに念じてみた。
イザイア・オルドリッジとして生きていた頃から久しく基本魔法なんて使ってなかったが、それでも感覚はすぐ取り戻した。
炎を出現させたり、氷を出現させたり、電撃を起こしたりすることもできる。魔法が使えるということは『ボルガ・シリーズ』も扱えるということ。
「私のケラウノスの電磁網が防護になるかもしれませんわ」
「魔力効率を上げるのならアクアラム・ボルガが適すぞ」
「機動性ならアーセナル・ボルガだな。お前に乗りこなせるか分からねぇが」
「エアリアル・ボルガはどうでしょうね……まぁ使い方次第でしょうか」
全ての『ボルガ』が机の上に並べられた。
これがボルガ・シリーズ。
五つの神器。五属性の神秘の力。
エンペドの肉体には、それらに適したすべての魔力が備わっている。今の俺にしか出来ないことも十分あったのだ。それは五人の賢者が造った兵器を借りて、最後の戦いに挑むことだ。
「あと、こんなこと言うのは気が引けるが」
グノーメが口を開いた。
リアの方に一瞥くれ、気遣う様子すらある。
一人だけ反対する中で、さらに煽り文句を告げるのが心苦しそうだ。
「アイツは"既に四回か"って言ってやがった」
「四回? 何の話だ」
「多分、時間を止めた回数だと思うんだ。今までのジェイクとリアの話によると『時間魔法』ってのはそんなにたくさん使えないんだろ? エンペドもそうなんじゃねぇのか?」
「四回……! あいつは一日で四回も時間を止めたのか」
それはこちらのアドバンテージになる。
俺が以前、短時間で時間魔法を乱発したとき、あの体の魔力限界を思い知った。
――六回だ。
六回使ったら魔力が切れた。
「俺がやられてからどれくらい経った?」
「丸一日です」
「一日……魔力はまだ完全に回復してない」
その日のコンディションで魔力の回復速度も変わるから正確には分からない。でも一日程度じゃ一回分しか回復しないだろう。
それだけ時間魔法の魔力効率は最悪なのだ。
エンペドの弱点はそこにある。
時間を止められる回数は残り二回か三回。
それを乗り越えれば、まだ勝機はある。




