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魔力の系譜 ~名も無き英雄~  作者: 胡麻かるび
第5幕 第4場 ―アザレア大戦・裏―
310/322

Episode253 揺り籠の創造主


 シルフィードがその異常事態を感じ取ったのは城内での惨劇のすぐ後のことだ。


 高台から狙撃手として見下ろすアザレアの街並みは、ティマイオスが軍門に下ってからというもの鎮まりつつあり、兵士たちの鬨の声や黒き機獣の不快な駆動音は聴こえなくなった。

 ティマイオスの生み出した雷雲も霧散し始め、淀んだ空気も澄み渡っている。

 今では晴れ間すら見え、次第に晴天となった。



 ……『神の羅針盤』を押さえたのだろうか。

 俯瞰する街の静けさを全身で感じ取る。

 風は穏やかになり、争いの気配は消失した。


 アンダインとリアがやり遂げたようだ。

 確認のために風魔法による音声通信で語り掛けようと試みるが、何分この魔法は対象が屋外にいないと使えず、二人が無事にリゾーマタ・ボルガを確保できたのかどうかを知る術がない。




 その直後のこと。

 突然、高台が次々に破壊されていった。

 グノーメが街の至るところで築き上げた"目印"である。


「――!?」


 戦争は終わったと確信していただけに不穏な爆風が舞い上がったことにシルフィードは驚いた。

 戦慄が奔る。

 たまたま一つだけ高台が崩れ去っただけかと思えば、また別の箇所から煙が上がり、高台の目印が爆発した。


「グノーメ、聞こえますか!?」


 今なおアーセナル・ボルガで駆ける仲間へ声を風魔法に乗せて語りかけた。

 移動中なのか、雑音混じりだ。


『聞こえてるぜ。なんだ?』

「ジャイアントガーディアンは停止しました。ですが、そこから王城を挟んで裏手の方で爆発が起こっています」

『あぁ!? それはどういうことだよっ』

「誰かが故意に街を荒らしていますね」

『……』


 ブォオオンという駆動音が響いた。

 要因を考えているようだ。

 その奥からエトナの「何かあったの?」という音も混じっていた。二人で相乗り中らしい。


『チッ、こっちはマウナ嬢の救出が優先だ』

「お城の地下ですか」

『あぁ。その件はジェイクに向かわせな!』


 遊撃隊は本来、ジェイクの役割だ。

 だが、既に戦いが終わったと確認できていて、かつメンバー最大の機動性を誇る彼女の方が対処に向かいやすいと考え、臨機応変にそちらへ話しかけたのだ。

 シルフィードは慌てて風の気流を操り、ジェイクがいる城門前に照準を絞る。

 視界が狭まり、城門の光景が視界に映った。


「ジェイクさん、緊急事態です!」

『うぉ!? びっくりした』


 初めて体験する風魔法の通信に驚いていた。

 この緊迫した状況の中で、彼らしいといえば彼らしいが、今はその動揺を気遣う状況ではない。


「そこの城門から西の方角で誰かが暴れてます」

『誰か? 誰かって誰ですか』

「分かりません。死角なので……。ただ、リゾーマタ・ボルガは無事に停止したようなのでアンダイン達もお城は攻略したはずです。いまさらアザレア軍が抵抗に出るとは――」


 ジェイクが通信の先で息を呑んだのを感じた。


『リゾーマタ・ボルガが、停止した?』


 それに困惑する意味がシルフィードには分からなかった。

 『神の羅針盤』を止めることがアザレア大戦終結の最終目標だった。それが停止したことは喜ばしいことではないのだろうか。

 ジェイクの反応を不審に感じながらも、彼が悪巧みするような人間ではないと知っているので気にせず、話を続けた。


『リゾーマタ・ボルガが停止したんですか』

「おそらく。リアさんは戻ってませんか?」

『……まだ城に入ったっきりです』


 ジェイクの意気消沈ぶりは不自然だ。

 それよりも二人が戻らないことも気がかりだ。

 神の羅針盤を抑えたのであれば、勝利を収めたことは間違いないはずである。それならば王城の窓から身を乗り出して、作戦成功の一報をくれてもいいではないか――。




 刹那、城の上階の壁が内部から破裂した。

 シルフィードが視線を上に向けたのとほぼ同時である。

 そこから黒い影が飛び出した。

 黒い。――王城攻略組二人の装いを考えるに、そのシルエットはおかしい。

 その黒い影は単体で地上へ落ちていく。

 二人組ではないことは視認できた。


『あれは――』


 ジェイクの声が届いた。

 黒い影の直下にいる彼も気づいたようだ。

 シルフィードは風に乗って届くジェイクの声と、狙撃手としての『鷹の目』で黒い影を視線で追いかけ、付近の様子を五感で感じ取っていた。


 何故だか、その二つが同調(シンクロ)する。


 通信越しのジェイクの声が、たった今、城から飛び降りた黒い影が発した物のように錯覚(・・)した。

 捉えた黒い影が、通信相手に酷似していた。


「ジェイクさん!?」

『待ってください。上から何か来ます!』

「それは貴方自身ではなく?」

『え? それはどういう意味です……か……』


 ジェイクの顔色が青ざめる様子が声で解った。

 おそらく今、彼は城の上から迫る正体に驚愕している。


『――――』


 声は聞こえなくなった。

 代わりに、激しい衝突音と剣戟の乾いた音。

 千里眼で覗く視界では爆風が舞い上がった。



     ◇



 水流が街の障害物を薙ぎ倒していく。

 海岸沿いから海の水を引き連れて、波に乗る存在がいた。

 まるで特大の津波に波乗りするかのようだ。

 乗り合う木材は港にあった船の残骸。


 その船の残骸に乗るのはたった二人だった。

 人の形で受肉した海神と女神である。


「くっ……はぁ……はぁ……」

「リィール。貴方これ以上、力を使ったら……」


 雄の神は満身創痍である。

 体中に傷や痣があり、見るからに辛そうではあるが、彼が悲痛に顔を歪める原因は肉体の傷なんかよりも魔力切れの方だった。

 女神ケアもその様子を心配そうに眺めている。



 二人は直前まで拘束されていた。

 港のすぐ傍の海岸で、ロワ三国から遥々やってきたハイランダー軍に見張られ、神としての威厳もむざむざ、捕虜として捕らわれていた。

 それを命からがら、海辺という好条件を利用してあしらったのだ。だが、それもあってリィールにはもう神としての力がほとんど残っていない。


 自ら神を否定し、そんな信仰を扇動した。

 信仰こそ力の源とする神にとって、それは自殺行為である。その扇動は見事に成功し、エリンという小国では着実にオーガスティン・メルヒェンの指導の下に、人類は神から独立を図っている。

 すべてはヒトという我が子らの為だった。


「大丈夫。まだ、大丈夫だよ……まだね」

「……」


 それが裏目に出て、もはや彼は土くれへと成りかけていた。

 ヒビ割れ、干ばつした大地のような表皮。

 青々とした髪は色を失い、白くなりつつある。

 それでも進まなければならない理由があった。



 未来の女神が遺した最後の汚泥。

 この時代から始まった女神の陰謀の残滓だ。

 それが世界を崩壊に導く腐敗の種となり、この時代に降り立った。――それがあの男。半魔造体(デミ・マギカ)の肉体を有する悪神エンペドだ。


 オルドリッジの子孫は神を超えた。

 神の超越者は生物種に平等に与えられる『時の支配』から脱却し、あらゆる可能性を生じさせる。

 それが『並行世界』というもの。

 時間魔法という不可能を可能にした瞬間から発生した無限の可能性なのである。


「ぐ……なんなんだ。この支柱の数々は……」  


 街には至る所に『土台』が高々と建っていた。

 道としての機能を考えるなら邪魔でしかなく、木が生えるように存在するそれらは、最近誰かが無理やり造った土魔法由来のものだろう。

 それがリィールの波乗りの行く手を阻む。

 残された力で水流を操り、破壊していく。


「私が間違っていた……あんな事を始めなければ」


 ケアは慙愧の念に堪えかね、項垂れた。


「神々の尊厳を取り戻したかった。

 リィールだって分かってくれると思ってた。

 滅びに向かうのを待つなんて誰だって――」


 今のケアは二つの可能性として生じた『抜け殻』と『邪神』が融合した存在だ。並行世界が一つの時代で邂逅したとき、不安定な精神体が肉体(うつわ)へと引っ張られて同一の者となる。


 『邪神(ケア)』は確かにエンペドとともにこの時代まで戻ってきた。だが、引き寄せられて用意された肉体には、自らが持ち得ない記憶をたくさん保持していた。

 それは『抜け殻(ケア)』が見てきた未来。

 あの日のオルドリッジの屋敷で『名も無き英雄が勝利していたら』という、もしもの並行世界で成立した世界だ。

 神がいなくなった混沌の世界でも、ヒトは逞しく時代を生き抜いていく。



 名高き英雄ランスロット・ルイス=エヴァンス。


 魔術の改革者イルケミーネ・シュヴァルツシルト。

 と、その弟ユースティン・シュヴァルツシルト。


 赤の系譜を辿る炎の奏者リナリー・リベルタ。



 稀代の傑物は急速に誕生した。

 すべて神がいなくなった先の未来で。

 『名も無き英雄』の下支えによって。



「いや、間違いなんかじゃなかったよ」 

「え……」

「きっとこの世界はさ、ケアの力で進歩したんだ」

「嘘……こうして終わりに向かってるわ」

「未来は繋がっていくものだ。君がこの時代で歴史的"大事件"を起こさなかったら『名も無き英雄』も存在していなかった。そうだろう?

 だから……余は君の功績を讃えよう」


 ケアは目を見開き、リィールを見返した。

 船の残骸に乗り、津波を操って街を駆けるその勇姿は我が夫として誇らしく、ケアは目頭が熱くなるのを感じた。


「私は貴方と夫婦(めおと)の統禦者に選ばれて幸せ者ね」

「はは、今更そんなこと言うのかい? まったく卑怯な女だよ、君ってやつは」

「妻とはそういうものらしいわ」


 たおやかに緩ませる表情は、まるで無機質だった神の頃とは姿かたちを変えている。リィールもそんな妻の様子を見て決意を改めた。


「そうかい……じゃあ、後始末も夫の役目だ」


 アザレアへ向かう街道の先。

 暗黒城に着実に近づいている。

 それはリィールに死を宣告する十三階段(デスロード)

 その道を前にしてもリィールは臆せず上を向いていた。体中が軋みを上げ、ボロボロと表皮が塵になっていても……。



     ◇



 舞い降りた脅威は突然、攻撃を始めた。

 その姿はヒトの形をしているのに、情の欠片も見せない様はまるで昆虫か悪魔か、はたまた機械のような有り様だった。


「――――!」


 ジェイクはその脅威が急に赤黒い刀身を出現させたのを垣間見て、驚きの余り反応が一手遅れた。

 されど、彼は英雄とも呼ばれた歴戦の強者。

 反応が一手遅れようが、慣れ親しんだ剣術の動きは神速に迫るもので、降りかかる火の粉のような剣戟の数々を影真流奥義『ソニックアイ』の下、そのすべてを叩き伏せた。


 ――錬鉄が悲鳴を上げて飛び散った。

 大地に散らばった赤黒い刀身の数々は、周囲を取り囲んでいたアザレア兵の何人かに突き刺さり、悲鳴を上げた。


「あ……っ、くそ」


 彼らを死なせてはならない。

 ここは突然の脅威と剣を交えるには不適だ。

 そう考えてジェイクは横に跳んだ。

 その動きを見切り、城の上階から落下する正体不明の黒い影も『魔力剣』を手に握り、それを城壁に突き立てて垂直落下を止めた。――直後、剣をつるはしのようにして体を支え、壁を蹴りながら真横に走り始めた。


「あの動き……なんなんだ、あいつ!」


 頭上を仰ぎ、人間離れした動きに驚愕した。

 敵は『赤黒い魔力』を使う。

 それは神性の色だ。

 魔法剣士。それも神から魔力を託された存在がアザレアの秘密兵器として存在しているという話は聞いたことがない。


 黒い影は壁を蹴りながら走り、跳んだ。人間の身体能力を遥かに凌駕している。

 まるで自身と同じ戦闘スタイル。

 ジェイクは戸惑いながらも迫る脅威と対峙した。

 黒い影は再び魔力剣を両手に握り、ジェイクへと跳び込んできた。同じ得物で向かい合う。

 その男と剣戟を交える刹那――。


「え、俺……!?」


 間抜けな反応だが、剣術の手は止まらない。

 剣を下段に構えて上から振り下ろされた刃を、こちらは振り上げで受け止める。

 同じ性能の剣が拮抗して赤い火花を散らした。



 刀身越しにお互い睨み合う。

 まるで鏡を見ているようだ。

 浅黒い肌。黒の外套。

 扱う得物もまた、同一のものだった。

 紛うことなく自分自身(・・・・)と剣を交えている。


「誰だよ、お前……」

「……」


 男は応えなかった。

 ただ、鬩ぎ合う刀身を引き、不格好に剣をこちらへ振り払った。それが返事なのだろうか。言葉を交わすこともなく、ただ自らを殺す為だけにやってきた自己幻視(ドッペルゲンガー)だとでもいうのか。

 しかし、姿かたちは似ていても――。




 男は魔力剣を構えて、また踏み込む。

 その剣筋はぶれたもの。まともに剣術を教わらなかった者の剣技だ。

 それに体も不自然な動きをしている。

 驚異的な力を持っている癖に、反応が追い付いていないのか、胴体や頭が前のめりになって後から剣を振るうように腕がついてくる。

 その猪突猛進さは無様ではあるが、どこか狂気的だった。

 姿かたちは似ていても、こちらの方が強い。

 ジェイクはそう確信して冷静になった。



 迫りくる一閃は凄まじい速度だ。

 そのすべてを受け止めて往なし、押し払う。ガリンッと硝子が擦れ合うような音を立てて魔力剣同士は拮抗した。

 敵の『魔力剣』が刃こぼれしたようだ。

 生半可な剣技なら然も在りなんと言った所だ。

 黒衣の男はボロボロに崩れゆく己が得物を見て、首を傾げた。

 ――おかしい。同じ武器で何故こうなる。

 そう考えているようにジェイクには見えた。


「誰だか知らないが、劣化版もいいところだな」

「劣化版……?」


 同じ声が耳に届いた。


「お前、ケアか誰かが魔力で練り上げた俺のコピーみたいなものだろう。もう驚かないぞ。ケアだって同じ姿をした女が何人もいたんだからな」


 ――そうだ、と自身に言い聞かせた。

 同じ容姿の者がいても不思議ではない。

 なにせ、ケアだけでなくメドナやエススの瓜二つの存在ともこの時代で既に会っている。

 そんな不思議体験があってもいいだろう。

 疑問なことはその経緯だ。

 何故自分と同じ顔をした存在が此処にいるのだろうか。エンペドも自分と似ているそうだが、こんな風に神性魔力を操るはずがなく、体表に禍々しく魔族紋章の入れ墨が刻まれていることもない。


「ク、クククク……」


 不思議とその嗤い方に戦慄した。

 どこかで聞いた邪悪な笑い。


「この私が劣化版だと……。それは違うな。

 ああ、断じて違うぞ。イザイア(・・・・)よ」

「――っ!」


 顔を歪めて笑うその表情。

 ジェイクは目の前の敵が誰であるか理解した。


「お前が……お前が何で……っ!」


 敵はこちらを"イザイア"と呼んだ。

 そんな風に呼ぶのはジェイクがその前世、一介の魔術師として生きていたことを知る人物のみ。そしてこの姿。この力。その邪悪な表情。



「エンペド、か……」



「ああ、そうとも。本来、この虚数魔力を宿した肉体を手に入れるのは私の方だ。劣化版は言うなれば貴様の方――」

「虚数魔力を、宿す――」


 未来においてエンペドの陰謀は封じた。

 肉体を奪われかけたときも、仲間に助けてもらって危機を脱した。その事実は間違いなくジェイクが体験してき――――……。




 その思考の最中、世界が一瞬ブレた。


 丸々切り取られたような世界の溝。

 それを感じたということは……。



 振り向いた時、既にエンペドは背後にいた。

 魔力剣を突き立てようとしたらしく、背後から胸に突き立てられていた。

 黒衣の一部が破けて"胸"がはだけた。


「そうか。魔造体(マギカ)は刃では穿てぬか」


 ふむ、と実験結果を評する稀代の魔術師。

 未来で一度は戦ったエンペドが再来したのだ。

 だが、エンペドの残留思念のような黒魔力も消滅させたはず。一体この"かつて陰謀を企てて成功した"風に語る男は何処からやってきたというのか。

 ジェイクは驚愕して声が出てこない。

 今、エンペドは一瞬で背面を取ったのだ。

 それは時間魔法が成せる技。

 対する男もまた虚数魔力を有し、『時を止める』能力を持つ――。


「まぁいい。狙いは其処ではなかったようだな」

「……」


 エンペドは何処かを見ている。

 裂かれた服の奥……を見て、何かを探していた。その視線は腕の方に移り、ジェイクが剣を握る右手(・・)を見た。


「どれ、かつての"父"として遊んでやるか――」


「止まれ!」


「止まれ……」


 ジェイクは直感からエンペドの次なる手を読み、先回りして時間魔法を駆使しようとした。しかし、時間魔法を発現させたのは奇しくも同時だった。

 赤黒い魔力が世界を覆い尽くしたが……。


「ほう……なるほど、こうなるか」

「くっ」


 ジェイクが展開した赤黒い魔力。

 エンペドが展開した赤黒い魔力。

 それはお互いの縄張り(テリトリー)を奪い合うように鬩ぎ合っていた。




『いい? 魔法は、魔力の粒子が届く範囲までしか発現しない有限のものなの』


 イルケミーネの言葉を思い出す。

 時間魔法もその行使範囲は空間的なもの。


『それは同一位相の時空支配権を奪う能力です――自己存在領域での行動圏を奪われた者は支配された時間内を体験することが出来なくなる』


 リア・アルターもそんな話をしていた。



 今、同時に時間魔法を行使したジェイクとエンペドは己が支配した時空間の檻の中にいた。

 世界すべては静止している。

 だが、彼らはそれぞれの支配権内で行動できる。


「これでは互いの魔力が尽きるまで終わらぬぞ」


 エンペドは赤黒い膜の向こう側から語り掛けた。

 そのときジェイクは閃いた。

 リアもやっていた『自家静止』だ。

 体の輪郭をなぞるように『時間魔法』を展開すれば、エンペドの時間魔法の中でも自分自身の体感時間を奪われることがない。

 範囲を狭めれば魔力も温存できるはず。


「……」


 徐々に『時間魔法』の範囲を萎めていく。

 それを魔力切れと誤解したエンペドは不敵に笑ってみせた。ジェイクはこちらの作戦を悟らせないよう、苦しそうな表情をわざと浮かべ、油断を誘う。


 突然『自家静止』なんて高等技術をマスターできるとはジェイクも考えていない。だが、せめて魔力を温存できる程度まで範囲を萎められれば――。



 ぎりぎりまで時間静止の範囲を狭めた。

 そしてジェイクは魔力剣を練り上げ、エンペドに向かって駆け出す。


「これなら、どうだ!」


 まるで水の中を進むような抵抗感があった。

 赤黒い海はジェイクの動きを緩慢にさせた。

 しかし、エンペドはその魔術の工夫を嘲笑うかのように腕を振り上げた。



「馬鹿め」


「え……!」


 剣戟がエンペドの身に届こうかという刹那、ぶわりと舞い上がった『帯』が視界に収まる。

 かつて自分自身の力を封印し続けた聖典。


 血の気が引くのを感じた。



 その聖典はエンペドの黒衣の背後から突如として飛び出て、まるで獲物を狙う蛇のように蜷局を巻き、ジェイクに襲い掛かった。

 触れただけで『吸血』の呪いが降りかかる。


「あぁああああああぁぁあ!」


 絶叫を上げた。

 何故それがここにあるのか。ケアが作った聖典が何故こんなところに。ケアは確かまだラウダ大陸にいるはずだ。なのに、それなのに。

 そんな支離滅裂な思考が脳髄を引き裂く。


 時間魔法も反動で解除されてしまった。

 エンペドも、そこだと見極め、時間魔法を解除して世界は元通りの時間の流れに戻った。


「勝った……!」




 ズバン――。猛烈な伐採音が轟く。


 豪快な剣捌きの後、飛び跳ねたのは己が右腕。

 ジェイクは切り離された自分の腕が宙に舞う光景を最後に視界が激しく乱れていくのを感じた。


「――――」


 視界を覆いつくす赤黒い光。

 乱気流の中にいるかの如く振動する世界。

 それは何度か体験したことがある。

 魂を追放されるとき感じる動悸の類いだ。



 ――ああ。とジェイクは嘆いた。

 右腕が切り離された。即ち、魂を繋ぎ止めていた『鎖』となる指輪もまた離れたということである。

 魔道具『Presence Recirc(魂の内循環機)ular』

 敵の狙いはそれだったのだ。

 彼の最大の弱点。それは魂の不安定性。 

 支えを失った魂は追放を余儀なくされる。


「これで終わらせると思うか?」

「……」


 エンペドはまだ手を止めない。

 無茶苦茶に剣を振り払い、ジェイクの胴体を切り刻み、そして最後には首へと魔力剣を突き立てた。

 まるでそれを墓標とするように……。


「不死は首を刎ねればその限りではないというのが前世の通説だった。よもや貴様はもう魂を失った抜け殻であるだろうが、念には念を――。

 これでもう再起はできまい」



     ◇



 リィールとケアがその場へ辿り着いたのはちょうどその時だった。

 ジェイクの右腕が宙に跳ねた。


「ああっ……そんな!」


 ケアが悲鳴を上げる。

 リィールもその残虐な光景に歯噛みする。

 海神は波の操作を続け、津波にヒトを飲み込むようにエンペドへと攻撃した。


「ふっ」


 エンペドはその攻撃を意図も容易く避けた。

 驚異的な身体能力によって地上から跳び上がり、近くの民家の屋根へと登り上がったのである。


「間に合わなかったか!」

「イザイア!」


 水流は消滅して船の残骸は街道に滑り込んだ。

 慌てて飛び降り、ケアは愛した我が子の元へ駆け寄った。


 その肉体は無惨なものだ。

 右腕がない……。

 首に突き立てられた剣は、その肉体から養分(まりょく)を吸うようにしていつまでも消えることはなかった。

 どう見ても、それは死体だった。


「ほう。ハイランダー軍から逃げ延びたか」

「くっ、なんてことを……」


 ケアは屋根上に佇む男を憎々しげに睨んだ。

 それはかつては同盟を結んだ共謀者。


「人間のような素振りをするようになったものよ。だが、そんな紛い物の体で何ができようか」


 エンペドは魔力剣を宙に並べて射出した。

 無数の剣戟が地上の神に向けて刃を振るう。


「――天地よ、我が呼び声に応えよ!」


 リィールが叫ぶと大地が隆起して壁を造った。

 それが防護壁の役割をして、放たれた魔力剣の進行を止める。


「はは! 笑わせる。神も"地"に堕ちたものだな」


 交差する視線。

 神族としての威厳を嘲笑われ、しかしながら対抗する術がもはやケアには残されておらず、悔しくエンペドを睨み続けるしかできなかった。


「おっと……もうこの世界は私のものだ。見ろ」


 男が掲げたのは『神の羅針盤』の銀の円環。


「リゾーマタ・ボルガ!」

「そうとも。神の魔力も、虚数魔力も、そしてこの羅針盤もすべては我が手中にあり! もはや貴様ら神に頼るまでもなく、私はこの世界をすべて手に入れた! もう無様に謀られることもない……! 思う存分、世界すべてを『探求』の名のもとに実験し尽してやろう」


 状況は絶望的だった。


「神の時代は終わった。その見せしめに……私が手ずからお前たちを葬ろうぞ」


 エンペドは手を掲げ、魔術発動の動作を取る。

 そしてまたしても魔力剣が無数に宙に浮かび上がった。


「またか……」


 リィールは力を振り絞り、腕を動かそうとした。

 だが、既に腕は岩のようになって動かない。無理やり動かそうとする度に体が軋みを上げて、襤褸のように崩壊した。


「リィール、その腕……」

「気にしなくていいよ。こうなる事はわかってたからね」

「もうやめて。終わりよ……全部」


 ケアはその場にへたれ込んだ。

 そんな女神に対して尚、海神は優しく微笑んだ。


「まだ大丈夫だとも。余は全能なる神であるぞ」


 こんな状況に陥っても茶目っ気すらあるその語り草に、ケアはどうしようもなく、まるで元から人間だったように悲しみが込み上げた。


「何が全能か。滅べ、無能な神どもが!」


 そして凶器の刃が放たれた。

 エンペドの攻撃は容赦がない。もう間違えることがないように徹底して神を滅ぼそうと剣戟の数を増やす。




「余は揺り籠の創造主にして、天地を統べる盤石の雄神」



 大地が広範囲に隆起した。

 アザレアの街々が荒れ果てていく。

 まるで山を築き上げる地殻変動のようだ。

 ケアとリィール、そしてジェイクの遺体を囲うようにして岩々が形成されてそれが三人を覆い尽くした。



「真名"リィール・トゥラム・デ・ルウ"」



 土くれや瓦礫の数々は今、一つの岩となった。

 ドーム状に出現した巨岩が三人の守護者として其処に君臨した。


「チッ、リィールめ。悪あがきを……」


 エンペドは魔力剣が巨岩に阻まれたのを確認してその静けさが漂う大地を見下ろした。これでは時間を止めて倒そうにも、そもそも岩が障害となって接近することもできない。


「だが、もはや貴様らは無力だ。いずれ来たる死をそこでじっくり噛み締めるがいい。くはははっ!」


 エンペドは吐き捨て、その場から跳び去った。

 突然の大隆起現象により、アザレアの地盤は完全に沈下した。アザレア王城は大きく振動し始め、そして地下深くまでじわりじわりと堕ちていく……。





「リィール! リィール……!」


 ケアは巨岩の中で叫んだ。

 暗闇の中、神性魔力そのものを放出して赤黒いぼんやりとした明かりを灯す。


「やぁ……」


 リィールの声がする。姿は見当たらない。

 ケアは闇雲に声の主を探して歩き回った。

 だが、どこにも見当たらない。


「貴方がこんなことして何に……なんでいつもそうなのよ。私を置き去りにして」

「ははは、先に置き去りにしたのは君の方だ。

 それにこれは君を守る為でもあり……。

 これから続く"未来"を守る為だ。許してくれ」


 リィールは絶望的な状況でも笑っている。

 未来。もはや未来などあるものか。

 ケアは必死にリィールの姿を暗闇に探した。


「未来なんてもう、ないわ」

「まだ諦めるのは早い。彼を見つけたら――」


 その声を最後にリィールの声は途絶えた。

 ケアは焦って暗闇の岩のドームの中からその姿を探し出した。

 ようやく見つけたリィールの形をした何か。



 それは既に岩と一体化した無機質な彫刻だった。

 いま、ここに一人の神は剥製となった。

 海神リィールは身を呈して女神(つま)を守り、




 "彼を見つけたら、左手を見てみなよ"




 その残滓の声を置いて消滅した。


 ケアは泣き崩れた。

 彼の左手が一体、何だというのか。

 自ら招いた災厄がこのような形で相方の神まで滅ぼした。その神が守った最後の希望が、その場にいることにまだ気がついていない。


 ――(ジェイク)の遺体にはまだ左手がある。


 右腕は無惨にも切り離されてしまったが、もう一方はかろうじて無事だったのだ。その左手の指に仄暗い岩の空間で銀輪が怪しく輝いている。

 ……ぴくりと、その左手が少しだけ動いた。




 "私は、貴方を愛しています"



 彼を愛する少女が内緒で嵌めた誓いの指輪。

 この時代で初めて造られた、魂を閉じ込める結界の魔道具『Presence Recirc(魂の内循環機)ular』

 少女の想いが希望となった。

 まだ、英雄の魂はそこにある。



リベンジマッチはこれからです。


※次回更新は2017/4/29(土)~ GW中に完結です

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【魔力の系譜~第1幕登場人物~】
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