Episode252 失敗は成功の基
黒い外套の男が遠くからこの結末を眺めていた。
アザレアの至る所で起きた土柱の大隆起。
――王城の沈没は地盤沈下の影響か?
弟子のティマイオスの裏切り。
――クレアティオ軍の残党に唆されたか?
街中に点々と立つ『高台』から戦果を俯瞰すると、以前は解らなかった敗北の要因と、それに至る経緯が考察できた。
なるほど、と喉を唸らせる。
遥か昔、男は自らが歴史を一つ動かした。
あれは間違いだったと今、思い知らされる。
かつて科学者だった者が神に誑かされて殉教者に堕ちた。――既に十分生き、前世と異世界を経験したエンドウという男は神に認められ、それと同等の存在になれたと思い上がっていた。
だが、当時の自分もまだ未熟だったのだ。
「失敗もまた成功への一途である、か……」
黒い外套が風に靡く。
転生する以前、尊敬していた時間理論の創始者の名言を思い出した。世紀の天才は偉大な発見だけでなく、そこで導き出した人生観にもまた大いなる価値を見出す。
――そう。此処に君臨した半神としての自分はこれらを基に完成した存在。故にアザレア大戦での失敗は悔やむことでも何でもない。
男は心が躍るのを感じた。
大敗を迎えた過去の自分の末路を目に焼き付けながら。
「マウナはどこにいるのよっ!」
戦場に似つかわしくない少女の声が響き渡る。
半神の聴覚が遥か遠くの声を聞き取った。
「……安全の為に王城の地下に匿ってますわ」
「えぇええ、またすれ違い!?」
頭を抱える純白の髪の少女がいる。
あれは――と男は気づいた。
ペトロ皇国の第一皇子ジョゼフ=ニコラ=パンクレス閣下が見初めた女だ。ずっとあの女に執着した結果、国が一つ滅びに向かっている。
エンペドにとってはどうでもいい女だが、気が触れてしまった皇子を元に戻す治療には使えるかもしれない。少々荒療治だが。
エンペドには皇子を支援する理由があった。
この時代や千年後の未来に置いてもそうだったが、『依り代』というものは必要だ。何を始めるにもまず隠れ蓑となる根城が重要なのだ。
アザレア王家、オルドリッジ家がそうだった。
それぞれ寄生させてもらったが、今回はもっと大きな地盤が欲しい。歴史に介入するのなら盤石な国一つを根城にするべきだ。
だからペトロ皇国に依存しようとエンペドは考えた。その野望は潰えたが、まだジョゼフ皇子がいればペトロの側近を従え、新しい国の建国にも繋がるだろう。
「また私より先にジェイクとマウナが鉢合わせちゃう。ああ、もう……っ!」
「ごちゃごちゃうるせぇな! どっちにしろ、あたしらもリゾーマタ・ボルガを封印しに城を目指すんだからいいだろ。さっさと行くぞっ!」
標的は一足先に王城に向かったようだ。
情報を掴んだエンペドは「止まれ」と念じた。
「あたしのアーセナルで――」
赤黒い魔力に覆われ、時間が静止する。
まずは封印されてしまう前にリゾーマタ・ボルガを奪取してしまおう。世界を掌握するのならあの実験兵器は必要不可欠。
『神の羅針盤』は時間旅行の為のトンネルだ。
◇
サラマンドから飛び降り、高高度降下作戦によってアザレア王城付近まで一気に近づいたジェイクとリアとアンダインは、水魔法で生成された『水玉』を利用して着陸に成功した。
兵力を分散したとはいえ、さすがは巨城。
まだ中心区でも護衛の兵士は多かった。
アザレア城門前は不埒な侵入者の出現に大騒ぎしている。
「本当に、いいのですか?」
リアがジェイクに尋ねた。
最終決戦に臨む真剣な表情だ。
その面影が、かつてアザレア城へ一緒に挑んだ母親と重なった。
「いいってなにがだよ?」
「この先にエンペドが待っています」
「知ってるが――」
ジェイクはリアの意図を遅れて理解した。
エンペド・リッジとは宿縁の仲である。
恨みつらみも山ほど溜まった状態でアンダインと一緒にその野望を打ち砕かれる瞬間を見に行かなくていいのかと問いている。
リアなりの父親に対する気遣いだった。
「いいんだ。あいつに関わるとロクなことない」
「でも……」
「でも、なんだよ?」
「なんだかこう、釈然としません。悪の親玉を倒すのは正義の味方の役目でしょう? 『主役』が最終決戦で裏方に回るなんて聞いた事ないですよ」
ジェイクは眉を顰めた。
娘にとって父親とはそうなのだろうか。それともリアが客観的にそう言ってくれたのだろうか。
いずれにせよ、今のジェイクは腑に落ちない。
納得できる表現じゃなかった。
「俺は正義の味方なんかじゃない」
「ええ……今更なに言ってるんですか」
「だってそうだろ? 主役じゃないし、裏方がお似合いだ」
「はぁ……おそらく皆さんそうは思ってませんよ」
この世界が物語のように典型に嵌るものでもあるまい。
ジェイクは娘の妄言に呆れた。
正義の味方ならもっと上手く活躍した。
『主役』なら立派な名前に立派な装備を付けて栄光の道を歩み、歴史にその名を刻んでいた。
ジェイクは……否、ロストは……。
それもまた違う。
ジャックは……イザイアは……。
男は生涯を振り返っても自分には何も残らないと悟っている。
最初から名前すらなかった。
どんなに頑張っても功績が讃えられるわけでも記録に残るわけでもない。『アザリーグラードの迷宮』の古代文献がその証拠であり、エリンドロワ王都での出来事を経験した彼だから悟った境地。
『無銘』を起源とする男の生き方だ。
――だが、この生き方に後悔はしていない。
「俺は、俺にできることを精一杯やるさ。これからはお前の時代だ。頑張れよ」
「父とはいえ年下の男に言われると複雑です」
「はは……。それにエンペドにはもう近づかない方がいい気がするんだ」
エンペドとは既に二度も戦った。
一度目はオルドリッジの屋敷内で。
二度目はエリンドロワ王都の闘技場で。
どちらも良い思い出じゃなかったとジェイクは感じている。もちろん嫌なことされて憎んだときもあったが、その度に清算は付けてきた。
この時代ではその役目を賢者たちに譲ろう。
「わかりました。そこまで言うのなら」
そう言い残してリア・アルターはアンダインとともに城内へ進んでいった。
ジェイクはその背を見送る。
――自分にはこっちのがお似合いだ。
ジェイクは全身鎧姿のアザレア兵に向き直った。
彼らにも彼らの生き様がある。
兜に隠された奥には幾つも人生があるだろう。
――俺もその一つに過ぎないのだから。
戦士は魔力剣を構え、兵士と対峙した。
◇
リアとアンダインは王城の中を走った。
アザレア兵が進攻を妨害しようと迫るが、流れ作業のように倒していく。アンダインは水魔法で足元を滑らせて転ばせ、リアは兵の後ろに回り込んで首元を締め上げてすぐ気絶に追い込む。
その調子で順調に突き進んでいたのだが、なにぶん道のりが分からない。エンペドが女神とともにリゾーマタ・ボルガを操り、戦況を操作しているのだとしたら街を見渡せる場所から高みの見物を決め込んでいるだろうとは推測していた。
「こっちじゃ!」
「本当ですか!? 同じ所を走ってません?」
単純に『城』と言っても広い。
アザレア城は未来では『迷宮』とも呼ばれた。
アザリーグラードは、地下三十層以降の入り組んだ迷路を攻略した冒険者が存在しないと噂されるほどだったと話には聞いている。
「似たような景色ゆえ仕方あるまいよ」
「でも上階に行かないと……」
豪華な調度品や甲冑が並ぶその長い長い通路を走っていると、兵士の鎧姿とはかけ離れた黒い外套の男が佇んでいるのを見かけた。
「……?」
これまでの兵士とは何か違う。
装備もなく外套一枚で、尚且つ手ぶらだ。
しかし、立ち尽くす男の威風はどこか勇ましくも思えた。
「うむ? 何故おぬしが此処に」
アンダインが近づいて誰かと気づき、知り合いのように話しかけた。
リアも後から追いかける。
「下の雑兵の相手はどうしたのじゃ」
「――っ!」
リアは驚いて足が止まった。
そこにいたのは先ほど城門前で見送られた父親本人だったのだ。その希薄な服装と丸腰の装備。
容姿も瓜二つだった。
「お父さん!? 来ていたのですか」
「お父さん?」
男が振り返る。恍けた顔までそっくりだ。
城内に何故かジェイクがいた。
「自分はエンペドの相手はもういいと言っていたじゃないですか。近づきたくないとか何とか」
「ああ――――」
ジェイクは気怠そうに斜め上を向く。
その億劫な反応にリアは違和感を感じた。
この最終決戦に臨む父は溌剌としていて正念場を越える戦士の顔つきをしていたのだ。それが今では恍けた男に戻ってしまっている。
「気が変わったんだ」
さらには気まぐれな様子さえある。
リアは愕然とした。父親は頑固なところもあったから一度こうすると決めたことは急に変えたりすることはなかった。
少なくともこの時代では――。
それとも知らないだけで、父親にもこんな一面があったのかもしれない。リアは無理やり自分を納得させるしかなかった。
体中に魔族紋章を宿している。
虚数魔力や神性魔力の気配もあり、その証拠に目も真紅の色をしていた。
ならば父親本人でなく誰だというのか。
リアは違和感を押し殺すことにした。
「そうですか……。と、とにかくリゾーマタ・ボルガを目指しましょう」
「リゾーマタ・ボルガ」
男はにやりと野卑な笑いを浮かべた気がした。
「そうだな。こっちだ。ついてくるがいい」
「……?」
ついてくるがいい?
口調もおかしい。
それにリゾーマタ・ボルガがこの城の何処にあるのか、エンペドが何処に潜んでいるかを何故ジェイクが把握しているのだろう。
「おぬし、城内の構図が解るのか?」
「ああ。事前に下調べ済みだからな」
「待ってください。お父さん……いつの間にそんなことをしたのですか。それに分かっているのなら先ほど教えてくれれば」
ジェイクは冷たい視線をリアに向けた。
気怠そうに、娘の存在がさぞ面倒くさそうに。
これまで家族にそんな目を向けたことはなかったはずだ。
「気が変わってからだ。早くお前たちも連れていった方がいいだろうと思って時間を止めている間に調べた。納得したか?」
「ジェイクにしては備えがいいのう」
「……」
時間魔法による事前の下調べ――。
父親はそれほど長く時間魔法を使えたのか。しかし、この世界に時間魔法を使いこなす存在は父から続くオルドリッジの家系しかいない。
不審な点はいくつもあるが、今は仲間内で疑い合っている場合じゃない。信じて先に進もう。
◇
その部屋に辿り着いた。
大きな両開き式の扉が待ち構えている。
誰かの個室ではなく会議室のようなものだろう。
かなり上の階層だから王家の会合場だろうか。
――リアはそう冷静に情景を確認しながらも多少は緊張していた。エンペド・リッジの悪名は千年後も薄れることはなかった。
歴史上の偉人にして恐れ戦かれた稀代の魔術師。
エンペドが残した魔術理論は後世まで語り継がれている。
その本人とこれから対面しようというのだ。
勝てる勝てないの次元で云えば臆することはないが、それとは別に緊迫感は感じていた。
「よし、入ろう」
「え……え?」
ジェイクも既にそんな悪の化身と何度か戦っているからには何か感じることもあるだろうとリアは考えたが、そんな様子は微塵も見せない。
「どうした?」
「いえ……先ほどは会いたくないと言っていたのでジェイクさんも少しは躊躇うかと思って」
「そんな暇はないだろう。リゾーマタ・ボルガを差し押さえなければ、アザレア大戦は終わらないんだからな」
そうでした、と呟いてリアは己を諫めた。
いかんせん、父親との交流を通じて、ここぞという時に踏み止まる癖が移されたようだ。今それを注意したのが移した本人なのだが、その辺の自己コントロールはやはり父親の方が上手なようである。
そしてジェイクは躊躇うことなく扉を開けた。
赤黒い光が強く差し込んでくる。
「おのれ、貴様ら……。ついに此処まで……」
広い部屋に大きなテーブルが一台。
直角な背もたれの椅子も並んでいる。
その先には、銀の円月輪が三つ折り重なって回転し、禍々しく赤黒い魔力を溜め込む『神の羅針盤』が宙に浮かんでいる。
「ケア、どうして此奴らにここが分かったのだ」
『こやつら――敵は複数ですか?』
リゾーマタ・ボルガの脇には赤黒い靄。
それはこの時代の女神ケアの姿。
まだ現世に受肉する前の思念体の塊だ。
「三人もいるぞ! くっ、アンダインまで……。この裏切者めが」
稀代の魔術師は狼狽していた。
リアはその姿を見て少し安堵した。皆から恐れられたエンペド・リッジという男もまた、普通の人間だったのである。
『私にはアンダインしか見えません』
「何を言っている! 怪しい男と女もいる」
エンペドが赤黒い靄に話し続けた。
靄は無機質な返事をしている。
その無感情な様子がエンペドの焦りを駆り立てていた。
「ふむ、そういうことですか」
リアは冷静に状況を俯瞰した。
こちらは確かに三人だ。女神はジェイクやリアの存在に気づかない。――何故か。
状況から察するに虚数魔力のおかげだ。
女神は"魔力"を司る神。
現世に受肉していない状態では視覚に頼ってこちらを認識するのでなく、魔力を嗅ぎつけていると考えられる。
この時代に未だ存在しない『虚数魔力』を嗅ぎつけられず、それを有した半魔造体のジェイクやリアを認識できないのだ。
――同時にアザレア大戦を鎮めた存在が何故『五人の賢者』なのかを理解した。
ジェイクもリアもエトナも確かにいた。
だが、神には認識されなかった。
虚数魔力が存在しない世界では透明人間も同然。
『概ね、リィールの陰謀でしょう。アンダインが此処にいて、私に感知されない存在が二人もいるということが何よりの証拠。道理で私の『予定調和』にない予期せぬ事象が発生している訳です』
女神は淡々と機械的な音声を発した。
「ではどうすれば……! 次の手は!」
エンペドは慌てふためいている。
その色白の男は父親と瓜二つだった。
もしジェイクが何事もなく普通の魔術師として生きてれば、こんな容姿をしていたかもしれない、とリアは思った。
『――――』
「おい、ケアよ。なんとか言ったら――」
刹那、無数の剣が宙に浮かび上がった。
それは残像をのこすほどの速度で射出され、直後にケアと呼ばれた『赤黒い靄』を串刺しにして霧散させた。
死んだというより、逃げたような消え方だ。
「なっ――ぎゃぁあああぁぁぁあ」
そして男は追撃の剣士に襲われた。
テーブルを踏み台にして跳んだ黒い外套の男がエンペドの右腕と左脚を斬る。
鮮血が飛び散った……。
支えを失ったエンペドはズシャリと倒れ伏した。
その無様な屍を見下ろす冷血な眼差し。
エンペドを即行で切り裂いた剣士は魔力剣を手放して得物を塵と消し、そして何事もなかったかのようにリゾーマタ・ボルガを向いた。
「"その失敗もまた、成功への一途である"」
「……お……おまえ、は……」
稀代の魔術師は目を見開いた。
前世の座右の銘を突如現れた怪しい男に口に出され、驚きを隠せなかった。
不思議と剣士の方の表情は冷血そうに見えてどこか穏やかであり、まるで先逝く同胞を見送る兵士のようだった。
「お、お父さん……」
リアもアンダインも、その徹底した殺人を前にして言葉を失った。エンペドがすぐに殺されたこともそうだが、何よりも慕っていた仲間の突如として見せた無情さに驚いた。
――否、そこにいるのは本当に仲間か。
斯くの如き残虐性は今まで見たことがない。
ジェイクは敵にさえ情けをかけるほど優しい心の持ち主だったはずだ。
それが何の躊躇もなくヒトを斬り裂いた。
相手がエンペドとはいえ、彼があれほど無惨にヒトを斬り裂く姿を見たことがあっただろうか。
「……」
佇む二人に構うことなく、ジェイクは禍々しく宙へ浮かぶリゾーマタ・ボルガの端を掴み、その回転を止めた。
慣れた手つき。
男は羅針盤の使い方を知っている。
「それを止めてはいけません! 未来に帰るトンネルとして使わなければ――!」
リアは恐れながらもジェイクに問いかけた。
恐れながら――。
なぜリア・アルターは恐れているのか。
これまで父親を怖いと思ったことはない。
その忠告も虚しく、ジェイクは回転を止めて三つの円月輪を折り畳んだ。すると充満していた赤黒い魔力『神性魔力』は霧散して消えてしまった。
「あっ……!」
徐々に縮まっていく銀の円環。
ハンドサイズまで縮小したそれを握り、ようやくジェイクは振り向いた。
「未来に、帰る?」
卑しく歪む顔はもはや父親のそれではない。
「クックック、何を世迷い事を」
違う。――父親ではない。
やはり最初に感じていた違和感は正しかった。
リアはあのとき信じた自分を呪った。
「ジェイクではないな。其方、誰じゃ?」
「誰とは随分な口ぶりだ。一度、ネーヴェで久しく再会を果たしたというのに」
「……もしや」
アンダインもずっと不思議に感じていた。
魔道の修験を歩むと聞いてアザレアへ向かったはずのエンペドと一度、ネーヴェ高原の生家にて再会した。その時のエンペドはジェイクのように禍々しい魔族紋章を体に宿し、体表も浅黒くなっていた。
しかし、アザレア王国の参謀として暗躍しているエンペドは色白の男。その変わり様を気のせいかと考えていた。
「其方がエンペド……? じゃが、其処な男は」
四肢の一部を失った魔術師と、羅針盤を握り絞めて佇む黒衣の男とを何度も見比べるアンダイン。
形勢はこちらに有利だった。
――いや、そもそもその男は第三勢力。
「レナンシーさん、下がって!」
リアが即時、魔力剣の双剣を構えた。
既に相手が誰であるかは理解した。リアも虚数魔力を有する『神の超越者』として、時間旅行による弊害の可能性は考えていなかった訳ではない。
歴史に介入するとはこういうことなのだ。
「甘い」
しかし、男に向かって駆け出した刹那。
足元に何かが引っかかる。
「ぐ……ああああああああ!!」
それは吸盤付きの蛸の足のようだ。
触れただけでリアの体に吸着して離れない。
何故、それが此処にある。
それはオルドリッジの系譜を辿る者に特化した封印法典――。
「アーカーシャの系譜!」
足首に絡みついた聖典は獲物がかかったことを喜ぶように、ぐるぐると足から胴体へとリアの体を包み上げた。
「くはははは! 甘い甘い甘い!」
「ああああぁぁああ!!」
まるで包帯に覆われた木乃伊のように、リアは完全に『アーカーシャの系譜』に縛り上げられた。凄まじい勢いで魔力を吸血され、力を失っていく。
リアもジェイクと同様、半魔造製の肉体だ。
魔力を失えば一気に再起不能へ追いやられる。
「リア、今に妾が助け――!」
「止まれ」
アンダインが駆け寄ろうとした直後、ジェイクの形をした誰かは時間を止めた。
静止する世界で、男はゆっくり歩み寄る。
魔力剣を生成して、徐に青肌の肩を掴んだ。
「――………ぐっ!!」
突き立てられた反魔力の刃。
魔法生物であれば一溜まりもない魔力の剣を、腸へ串刺しにされた。食い込んだ刀身が蒸気を立てるように煙を上げ始める。
赤黒い刃が魔性の肉体を蝕んでいる。
「アンダインよ。此度の裏切りを許すと思ったか。千年越しになるが、"奴"に代わって恨みは晴らしておくぞ」
男は血まみれで倒れるエンペドに一瞥くれてからアンダインに向き直った。
彼女は顔がどんどん真っ白になっていく。
魔力を失いつつあった。
「どいつもこいつも生ぬるい世界で生きてきたのだな。この肉体なら油断さえしなければ敗北などありえぬ。情けなどかけるから貴様らは負けるのだ」
男はアンダインから魔力剣を引き抜いた。
そのまま乱暴に放ると乾いた音を立てて剣は壁にぶつかり、霧散した。
どさりとアンダインも倒れた。
事も無げ男は踵を返す。
魔力を失ったリゾーマタ・ボルガを手中に収め、男はその場から立ち去った。羅針盤は後でゆっくり自らの神性魔力に漬けて元の状態に戻してやればいい。
今は次の標的のところへ向かうべきだ。
それが男の大陸横断の一番の目的。
ただ一人を抹殺する為に此処までやってきた。
「……」
既に動かなくなったリアの体から『アーカーシャの系譜』を引き剥がした。自ら触れることがないように、椅子から無理やり引き抜いた木の棒を道具にして。
「お父さん、か……。貴様は元より生まれる運命になかった。恨むならあんなガラクタ同然の人形を父親に持ったことを恨むがいい」
男が立ち去ったアザレア王城の一室。
部屋中に飛び散った血が惨劇を物語っている。
「ぐっ……ガラクタじゃ……ない……」
そこで涙をぼろぼろ流す少女がいた。
少女はなんとか這いずり、アンダインの傍まで近寄った。
リア・アルターはかろうじて生きていた。
そもそも不死身だが、予想以上に魔力回復が早かったのは部屋に充満する神性魔力のおかげだった。
「お父さんは……お父さんは……」
泣きながら、仲間を運び出す為に立ち上がる。
リゾーマタ・ボルガに充ちていた神性魔力は霧散した後も大気中に漂っていた。それは普通の人間には気が触れるほどの瘴気だったが、半魔造体の彼女の体にとっては癒しのオアシスとなっていた。
「お父さんは……ヒーロー……だから……」
負けるはずがない。
リアは憧れの父親の姿を思い浮かべた。
姿かたちは瓜二つでも、その勇姿とあの男は重なることはなかった。
※まだ誰も死んでないです。




