Episode250 第五元素のプラトⅡ
赤き竜は火輪を反射する流星のようだった。
優雅に広げた翼をまざまざと見せつけ、地上の文明を嘲笑うように空を翔る。
サラマンドはアザレア上空を飛んでいた。
初めての"街"に好奇の目を向けている。
「あれが人間の街か……。意外と綺麗だな」
「意外と?」
それに応えた青髪を靡かせる混血の少女。
竜の肩に乗るリア・アルターが同じように街を俯瞰した。
「もっと雑駁で穢れた世界を想像してた。少なくとも先代から聞いていた街の様子は、有象無象の塊ばかりって話だ」
「ふむ……間違ってはいません」
人の創造には無駄が多い。
……だが、それらは決して無価値ではない。
リアもこれまで歩んだ人生で、無駄だ無意味だと切り捨ててきた物の多くは、誰かにとっては価値ある何かだった。
勝手に有象無象と決めるのは烏滸がましい。
そう気づけたのは実の父のおかげである。
「確かに上空から見ると綺麗な街ですね」
区画整備は行き届き、城の裏手は色とりどりのアザレアの花が咲き誇る。
これを賛美せずして何を愛でよう。
――だが、綺麗だからこそ何かが足りない。
人の営みから漏れる"無駄"が排除された街。
それは致命的に人間らしさが欠如していた。
「これが、エンペドの根城……」
リアは街から先祖の無情さを垣間見た。
己も歩みかけた、効率を極める綺麗な世界。
整えられた理想郷は、今では酷く歪に見える。
しばらく上空を旋回して街を眺めていると、土製の支柱が街の至るところで伸び、高台がいくつも形成され出した。
「グノーメの合図じゃな」
青魔族の族長レナンシーがそう呟いた。
今頃、先発部隊はアザレアを単車で疾走中だ。
目を凝らしても二人の姿は見えないが、高台が次から次へと建てられていく様子から、彼女らがだいたい何処を走っているか見て取れる。
次第にアザレア城から扇状に広がる町のほとんどに"高台"が建った。
まるで杭打ち工事のようだ。
目印は上空で待機する仲間にアザレア兵の配置を伝えている。
――そんな中、まだ目印のつかない区域の上空にぶ厚い雲が立ち込めた。
「あれだ! 『神の雷』を喚ぶ雲!」
ジェイクが叫ぶ。
身を以てその最上位魔法を体験した彼は暗雲にいち早く気づいた。
同時に、暗雲の直下にも目印が立つ。
先発のグノーメとエトナが到達したことを意味していた。
「よし、それでは本格的に作戦開始じゃな」
「ああ、手筈通りに行くぞ。エンペドのことは二人に任せた。もし何かあったらシルフィード様経由で俺に合図を――シルフィード様もいいですね?」
ジェイクが快活に指示を送る。
仲間を見回し、それぞれの士気を確認した。
シルフィードは戸惑いながらも頷いた。
その困惑はアンダインやリアも同じようで、面食らったようにジェイクを見返している。
「……どうした?」
温度差を感じたジェイクが少し冷静になった。
天空に荒ぶ強風が彼らの髪を激しく揺らす。
「お父さんがいつになく元気なので……」
「同感じゃ。これまでで一番活きがよいのう」
「そうか?」
ジェイクはふと冷静になる。
言われ、そういえば今日は不思議と力が漲る――と気づいた。
朝からこんな調子で原因は分からない。
アガスティアに初めて辿り着いた頃、特に胸に食い込んだ指輪が外れて以来、ずっと気怠かった。
それが今では機敏になっている。
エトナとの『血の盟約』で一命を取り留めたものの、あの時から怠さはあったのだ。指輪を嵌めていなかった左半身が特に。
今はそうでもない。バランスが取れている。
何か、左手に違和感が――。
「まぁ此度は捲土重来。リベンジマッチの最終決戦じゃ。俄然そうあるべきよな。妾も見習おうぞ」
「はい。戦争を終わらせる最後の戦いになります」
「ですね! 狙撃手として腕が鳴りますよ……!」
おー、という掛け声が上空に響いた。
サラマンドもそれに呼応して咆哮を上げた。
ジェイクもこの絶好調を好機と捉え、気にせず気合を入れ直した。
「では、あそこを着陸地点にします」
シルフィードが暗雲の直下から少し離れた箇所の『高台』を指差した。そこはグノーメが造り上げてくれた絶好の狙撃地点だ。
「了解! 皆、健闘を祈る。いくぞ!」
「グォォオオオォォ!!」
ジェイクの掛け声。
サラマンドが雄叫び。
それらを合図に四人は竜から降下した。
ジェイク、アンダイン、リアの三人は思い思いの体勢で降下速度を上げ、アザレアの街の中枢を目指した。
彼らの着陸目標はアザレア城の近くだ。
リア、アンダインの二人はエンペドの潜伏先へと直行。ジェイクは城周囲のアザレア兵の引き付け役を任された。
状況次第で突撃と援護を切り替える遊撃手だ。
一方、シルフィードは単騎で先発隊の支援へ。
他三人のような超高速の降下でなく、風魔法の力を借りて滑空するように『高台』を目指した。
その背後を追走する赤い影――。
サラマンドはガーディアン殲滅に向かう。
『神の雷』の避雷針となるジャイアントガーディアンの殲滅が彼女の役割だ。
途中でシルフィードを追い越し、伝え聞いていた己が標的――黒光りする大きな虫型の機体を見定めて雄叫びを上げた。
「グァァアアアアァァア!!」
「な、なんでドラゴンが……!?」
「竜の援軍がいるなんて聞いてねーぞ!」
地上で隊列を組んで待機していたアザレア兵が、上空から突如と迫る赤い巨影に竦み上がる。
ある者は悲鳴を上げ、ついには逃げ出した。
「ひ、ひぃぃいいぃい!」
サラマンドはそんな彼らに目もくれず、黒き機獣へ急接近して炎を浴びせた。
口から吐き出した業火は機体に容易に引火して激しく燃え上がる――。
表面に塗られた潤滑油のせいだろう。
燃え上がるガーディアンはうねうねと触覚を動かしてのたうち回り、次第に動かなくなった。無人機に積まれた制御盤が誤作動を起こしたようだ。
「ハッ! 大したことないな」
所詮はヒトが生んだ基板の魂。
竜種の中でも『火竜』の称号を冠する彼女の焔には敵わない。
――ぶわりと突風が吹き抜けた。
竜が街を通り抜ける度、羽ばたきによって風が舞い、あっけなく兵士の武器が吹き飛ばされる。
サラマンドはもう一度旋回してジャイアントガーディアンが犇めく道に舞い戻り、今度は滑空しながらヒトの姿へ形態変化した。
炎が竜の全身を纏う。
それが掃けたときには竜鱗と翼を持つ少女が中から飛び出した。大地に着地すると、後から弧を描いて落下した"筒"を造作もなく掴む。
「これも試させてもらおう」
静かに呟き、その筒へ火焔の力を通す。
すると燃え盛る炎の刀身が先端に出現した。
――熟練の剣士の技を記録した再演の剣。
それが火剣ボルカニック・ボルガの正体だ。
対するはアザレア兵と黒き機獣の大群。
「ふっ……!」
以前の彼女なら人間相手といえど凶器を向けられれば怯えていたかもしれない。
しかし、今は火剣が勇気を与えてくれる。
「――…………ッ!」
その剣技の数々はすべて投影されたもの。
前傾に構え、刃を振りかぶるだけで連撃が繰り出された。
剣を下段に構えて疾風の如く駆ける。
"――疾風迅雷の暗殺者の如く"
サラマンドは兵士の脇を通り抜け、道に犇めくガーディアンに向けて刃を振るった。洗練された動きはおよそ初めて剣を取る少女のものとは思えぬ技の数々。
炎の塊で出来た刀身は一閃でガーディアンを業火へ誘い、消し炭にしてみせた。
すぱりとそれらを斬り裂いた後、まるで刀身についた錆を払うように剣を払い、サラマンドは惚れ惚れするようにボルカニック・ボルガを眺める。
「ははっ、こいつはいいな!」
街道の先には無限に湧き出る黒い機体。
リゾーマタ・ボルガの力で"破壊された過去をなかったことにされた"ジャイアントガーディアンが立ち塞がった。
それらを前に不敵に笑う竜の少女。
戦場はサラマンドの独壇場と化していた。
○
シルフィードはふわりと高台に降り立った。
同郷の相棒が用意した特注の土台は、やけに馴染みやすい高さをしていた。
ここはアザレアの街を一望できる、中心部から少し離れた郊外に立つ物見台だ。グノーメがアーセナル・ボルガで疾走中に建てた"目印"の一つである。
天高く聳えるアザレア城が視界に広がり、そこから扇状に民家が並んでいた。民家の隙間を縫うように打ち立てられた"目印"の真下では、鬨の声が響き渡り、点々と煙が燻っている。
既に戦いは始まっていた――。
「グノーメも、だいぶ荒らしてくれましたね」
思わず笑いを零す余裕すらある。
皮肉を込めて感想を漏らし、街を見渡した。
一部の区域の空に雷雲が立ち込めている。
エトナとグノーメはあの辺りか。――シルフィードは悟り、鷹の目を向けた。
冷血な眼が遥か先の小さな影を見定める。
彼女は"枝"を腰から抜き、淡々と準備をした。
それは彼女の『王』の形見だった。
腐敗臭すら漂う、この終わらぬ戦争から同胞を解放してくれた王の亡骸の一部に等しい。
グリップのように掴んだそれに風の力を通す。
徐々に"枝"が伸び始めた。
――深緑の魔力に呼応して風が吹き荒ぶ。
鋭利に尖った弭。
禍々しく反り返る弓身。
それはシルフィードの復讐心を形にしていた。
エアリアル・ボルガは筆誅の弓。
標的を穿つまで追尾する狂気の魔弓である。
「……」
ぎり、と弓弦を引いて構えた。
その音は彼女の歯軋りとも重なった。
「ティターニア様、仇は討ちますよ」
○
加速する工廠、アーセナル・ボルガ。
その機体は道に犇めく黒き機獣を嘲笑うように追い抜いた
ガーディアンは酷く鈍間だ。
まして、搭載された兵器は雷魔法レールガンの砲台のみ。
装填速度も劣り、それらが砲身を構えるよりも先にグノーメはアーセナル・ボルガの弾頭ユニットの数々を射出して破壊した。
その弾頭も大地の砂塵より常に生成される。
無尽蔵にして無敵の銃器だった。
「ひゃっほーーーう!」
圧倒的な速度と兵器力を前に、アザレアの兵器は鉄屑と化していく。――アーセナル・ボルガは如何なる騎乗物をも凌駕する最速の神造兵器。
ボルガの力によって顕現したそれに、一介の魔導師が作り出したガラクタがいくら束になっても敵うはずがない。
破壊されたガラクタが無数に倒れる道の先、突き当たりの家の屋根に標的の魔導師が佇んでいる。
グノーメは土魔法で踏み台を道に生成した。
――グォンと車体を加速させて跳躍する。
平たい屋根に乗り上げて車体を横滑りさせ、そこでようやく停止した。
「……」
刹那の静けさが屋根上に漂う。
エトナは恐怖の騎乗戦を乗り越えたことに安堵して、じわりと痛みを感じるほど嚙み締めた歯をようやく緩めた。
「こ、こ……こ……」
だが、膝が笑ってまともに喋れない。
この超速の世界もジェイクのおかげで以前より慣れたものだが、アーセナル・ボルガは別格だった。こちらから掴まってないと振り落とされる危険性もある分、ジェイクに乗るより恐怖は数倍も高い。
「まだだ。まだ掴まってな」
エトナが手の力を緩めた途端に忠告が入る。
グノーメは気配りを入れるでもなく、視線は真っ直ぐ標的を睨んでいた。
その視線の先――。
そこにアザレアを代表する宮廷魔道師がいる。
「テメェがこの国の魔道師かい?」
「……」
「想像してたより随分と若ェじゃねえか」
グノーメは煽り文句を投げた。
宮廷魔道師ロクリ・プラト・ティマイオス。
その姿は以前ジェイクとリア、マウナの三人が会った時より随分と幼い。
――そう、彼女は宮廷魔導師より一つ上の階級に昇華していた。
蜂蜜色の髪の少女は顔を引き攣らせていた。
グノーメを憎々しく睨んでいる。
「残念だが、実験は終わりだ。テメェの玩具はご覧の通り、あんな有り様でな」
屋上から背後に広がる街道をグノーメは親指を立てて示す。
そこに転がる黒き機獣の死屍累々。
そのさらに後方ではサラマンドが火剣ボルカニック・ボルガの試し切りだとばかりに単騎で剣を振るい、劫火が滾らせながら機械を翻弄している。いくらリゾーマタ・ボルガで復活させようと、この攻勢は如何様も変えられまい。
「聞こえねェのか。テメェも終わりって事だ」
グノーメは脅し続ける。
ティマイオスの余裕なさそうな表情から、勝利を確信したからである。しかし、雷の魔道師ティマイオスは決して敗北を認めない……。
エトナも、こんな優勢な立場にいながら気がかりなことがあった。
それは妹のマウナの存在。
何故かこの場にいない。
この魔道師を追い詰めれば、必然的に妹に再会できると考えていた。だからこそ、この過激なドライブに付き合ったのだ。
「ねぇ、私の妹はどこにいるのよっ!」
「うるさいッ!」
「……!」
その問いが引き金になったようにティマイオスは反抗的に声を張り上げる。
エトナは不本意ながら押し黙った。
「貴方たちは、神聖な魔法文明を穢し……この私を侮辱した……!」
ティマイオスの瞳孔が絞られる。
眼球も三白眼のように黒目が縮んでいる。
エトナはグノーメの背に身を寄せる。
「アザレアの花も、ジャイアントガーディアンも……私の育て上げた可愛い可愛い子どもたちを踏み躙った! 許しません。決して……決して許しませんのよ!」
金切り声をあげたティマイオス。
グノーメはそれに対して眉間に皺を寄せた。
「喧しい女だぜ……。許さねェから何だってんだ。テメェは一人。こっちは二人。後ろには竜種最強の火竜もいりゃあ、クレアティオが誇る魔弾の射手シルフィードも控えてる。いくら喚き散らそうがテメェの負けなんだよ」
グノーメは睨みを利かせながら断言した。
「ふ、ふふふ、ふふふふふ……」
それを狂ったように笑い飛ばす宮廷魔導師。
ロクリ・プラト・ティマイオスはここに来てもまだ秘策がある。――否、彼女たちをここへ誘き寄せたのはティマイオス本人なのである。
「あっははっ! 愚かですわ。
私の負け? 喧しい?
ふふふ、ははは、はははははははは!!」
「何がおかしい。頭イカれやがったのか」
「イカれてるのは貴方たちの方ですわ。その程度の力でこの私――第五元素のエレメンタルを支配する魔導師に敵うなど本気で考えているのかしら」
「あぁん? えれめんたる?」
刹那、ティマイオスは袖に忍ばせた"何か"をさっと取り出して掴んだ。
すぐに掴んだ何かを高々と空へ掲げる。
「な―――」
「騎兵、剣士、弓兵、大いに結構ですわ。私はその兵力すべてを凌駕する天空の支配者! この星の四元素を超越した第五の元素を統べる賢者ロクリ・プラト・ティマイオスです!」
天高く掲げた代物は硝子細工の筒だ。
そこにティマイオスが魔力を通すと、バチバチと電撃が轟き、筒の両端から電撃の棒が伸びる。
グノーメたち四人が持つ『盃』と同じ物だった。
「あら、これをご存じのようですわね。――リゾーマタ・ボルガとは独立して私オリジナルの盃を造ってみました。天空の魔力を統べるこの雷槍は『ケラウノス・ボルガ』と名付けましてよ」
刹那、暗雲から引き寄せられるように『神の雷』が降りかかった。それが雷槍を避雷針にして襲いかかる。
大砲が撃ち込まれたような雷鳴だ。
――ケラウノス。神話における天空神の力。
「避雷針の実験はとっくに終わってますの。
ここからはその応用!
私の雷槍で塵にして差し上げます」
グノーメは歯軋りしてアーセナル・ボルガのハンドルを強く握り絞めた。対するティマイオスは不敵に笑い、それを見下している。
彼女は既に精霊との契約を終え、賢者と化していた。




