Episode245 骨肉相食む竜Ⅰ
「そのとき、サラちゃんは言いました。
俺様の逆鱗を毟り取ったのは後にも先にもお前だけだ、と……。それは勲章にして大切にしろって意味だったようなのですが、小さい頃の私には意味がわからず、翌日、ソルテールの小川でリナリーお姉ちゃんと遊んでたときに舟のように浮かべて流してしまったのです。
ふふ、帰ってサラちゃんに会ったときの落胆ぶりと言ったら……。今度は失くしてもいいように新たに二つ、鱗を毟り取ったんですけどね」
今は激流の川を筏で下っていた。
此処と比べたらソルテールなど平和なものだ。
俺はそこに帰ろうとしている。――帰ろうとしているのか?
「聞いてますか?」
「……」
「お父さんっ!」
リアにお父さんと呼ばれ、はっとなった。
「あっ……ああ、サラマンドだな」
「聞いてなかったですね」
「いや、ちゃんと聞いてたよ」
リアは不満そうに眉を顰めている。
そんな仕草をしていると実年齢と比べて遥かに年下に見える。母親譲りの童顔だから、表情がつけば少女らしく映るのだろう。
実際に娘のリアは俺より年上なのだが。
「じゃあ私は今、何の話をしてました?」
「アルフレッドとサラマンドが野犬を退治しに行ったら二人で喧嘩して傷だらけで帰ってきたとか何とか」
「それは前の前の話です」
語るに落ちた……。大失態だ。
完全に聞いていなかった。
リアは溜め息一つつき、冷たい表情に戻った。
顔から一気に色が失せていく。
もうすぐバイラ火山の麓まで着くそうだ。
ネッビアを抜けて何日か経ち、視界が開けて下流の先に平野が見えた。そこに一つだけ高々と聳え立つバイラ火山が拝めるようになると、リアは目に見えて興奮し始めた。
これまで賢者に興味を示さなかったのにだ。
サラマンドには思い入れがあるらしい。
「……エトナが恋しいのですか?」
「なんでエトナが出てくるんだよ」
「もう何日も会ってないです。最近遠くを見るような眼をしてるので、てっきり置いていった事を後悔されてるのかと」
リアはいじけるように口を尖らせた。
「勘違いするな。俺が愛した女はシア・ランドール、ただ一人だ」
「じゃあ、エトナのことは愛してないと?」
「む……」
「ほら、否定しませんね?」
否定はしない。
本心でいえば愛しているかもしれない。
だが、一線は超えていない。不貞を犯したわけでもなく男女の関係になったのはシアだけだ。
そこを超えるのは俺自身が許さない。
「……まぁ、私も幇助したようなものですが」
「幇助?」
「例の『血の盟約』ですよ」
「ああ、俺を助ける為だったんだろ」
「とはいえ、若い二人がその……そういう事をしたらお互い意識して当然です」
若い二人って。片方はお前の父親だ。
リアは一体どういう心境なんだろう。
「随分と寛容なんだな」
「私は彼女と五年も一緒です。五年ですよ?」
「それは……長いな」
「はい。教え子としての情もあります」
「その割りには見捨てようとしたじゃないか」
罪人としてペトロへ連行された時だ。
「あれは見捨てた訳ではなく、お父さんが関与せずとも助かると信じたのです」
リアみたいな運命論者は根拠もないことで消極的になるから手に負えない。
未来に帰ったらリピカに注意しよう。
娘に変なことを吹き込むなって。
「とにかく、お父さんをお父さんではなく、ジェイクさんという一人の男性として見れば、教え子を応援したいです。ですが、お母さんのことも考えると複雑です」
リアにもリアの人生経験がある。
エトナのことを無下には扱えないようだ。
「仮にシアがこの場に居たらどうする?」
「うーん。私にとっては母親なので応援するという感覚はないですが……二人の仲を取り持とうとは思います」
「二人ってのは?」
「お母さんとエトナの……」
それは一体どういうことだろう。
眉間に皺が寄る。リアは俺の顔を見て、続けた。
「ジェイクさんなら二人の女性を抱えるくらい、訳ないですよ」
「浮気を認めるってのかよ」
「昔から偉大な人は側室を持つものです。エリンドロワ王家も、先代の王には王妃様が沢山いたでしょう?」
そういえばラトヴィーユ陛下は子沢山だった。
エススなんて七番目の子かつ隠し子だ。
王家の感覚で言えば妻が何人も居ても不思議ではないのか。俺自身は別に偉大な人物でも何でもないが、人目を憚らなければ複数の女性を侍らせる人も世界にいるのだろう。
世界最大の領土を占めるエリンドロワ王国の国民感覚では、一般的に相手の容認がなければ不倫や浮気に当たる不貞行為である。
「そんな状況には成り得ませんから例えばの話ですけど」
「……」
エトナとシアが顔を合わせることはない。
生きる時代が違うから当然だった。
俺も覚悟しておかなければいけない。いつかの別れを――。
「そういえば、サラマンドはずっとあの家に居座ってたのか?」
気を紛らわせるように話を戻す。
深く考えても仕方がない。
エトナ自身も、それは判っていたのだ。
「そうですね。私の知る限りでは、ずっと」
リアも空気を察してか、先程は聞く耳持たなかった話題へ俺自ら戻したことを不服に思うことなく話に乗ってくれた。
未来でもサラマンドは相変わらずらしい。
事あるごとに見え見えの不遇に向かって果敢に飛び込み、噛ませ犬っぷりは見せていたようだ。それでも好んでリベルタ邸で暮らすのだから、あいつはひょっとすると真性の阿保か、超がつくほどの自虐体質かもしれない。
○
ウォードは「着いたぞ」と魔族語で言い、川辺に筏を着けた。
青魔族三人衆が先に降りた。
この筏もよく耐えた。さすがグノーメ特製だ。
筏を降りてバイラ火山を拝む。
此処には一度しか訪れなかったが、それでも鮮明にバイラ火山の姿は覚えている。アンファンやユースティンと一緒に攻め込んだことも。
確か、山の中腹にバイラ火山ダンジョンの入り口があった。
懐かしみながら山の中腹を注視した。
――そこに蠢く岩のような影が見えた。
「あれは……」
「どうしました?」
指を差してリアに怪しい影を示す。
その影はバイラ火山の中腹から飛び上がり、翼をバタつかせて滑空した。決して優雅な羽ばたきではなく、ふらつきながら必死に足掻いて飛び回っているようだ。
――竜だ。遠目だが、間違いない。
赤々と輝く竜鱗が太陽の下に晒され、存在感をまざまざ発揮していた。
後を追うように火山の中腹から影が飛び出した。
それもまた竜だった。
後から出てきた竜は口から炎を吐き、ふらつく竜に攻撃している。炎を浴びた竜はさらに負傷したらしく、羽ばたきも虚しくバイラ火山から放り出されるように落下していく。
「レッドドラゴンが二頭いる!」
「いえ、二頭どころじゃありません!」
二頭目の竜が満足げに滑空していると、そこにまた別の竜が襲い掛かった。三頭目だ。
火炎弾のようなものが放たれ、二頭目に直撃する。
そこから激しい攻防が始まった。二頭の攻防の隙をついて漁夫の利しようと企てたのか、別の竜が飛びかかって参戦した。四頭目……。
「なんだよ、アレ」
「竜同士で争っているようですね」
――そういえば。
サラマンドからは『竜族最強の』と聞いていたレッドドラゴンだが、サラマンド以外の竜に遭遇した事がない。世界は広いから色んな土地に巣食っているのだろうと考えていたが、未来でバイラ火山に一頭しかいないというのも不思議な話だ。
「ヴァッ! スケフュギュール……」
ウォードや他の二人も竜の姿に怯えている。
「何が起きてんだろ。仲間割れか?」
「近づいてみましょう!」
「そうだな。百聞は一見に如かずだ」
リアが草原を駆け出した。その後を追う。
青魔族三人衆も困惑していたが、置いていかれることの方が危険と感じたのか、戸惑いながら付いてきた。
…
しばらく進むと背の高い草むらに体が埋もれ始めた。その生い茂る草原の中に焼け石を引き摺ったような痕があり、草原の先まで続いていた。
焦げ跡を辿ると赤い巨体と遭遇した。
竜がいる。……凄まじい大きさだ。
川岸からはサイズ感が測れなかったが、間近で見るとその巨体に度肝を抜かれた。
赤竜は伏せたまま、ゆっくり呼吸している。
まだ生きている。
「これが野生のレッドドラゴン」
「最初にやられていた竜ですね。逃げ延びて此処まで這ったようです」
周り込んで、頭を確認する。
赤竜は目を瞑って苦しそうに息をしていた。
傷は深そうだ……。大丈夫だろうか。
気配に気づいたのか、竜は突然目を見開くと大きな図体を起こした。
「ゴアアアアアアッ!!」
竜は大口開けて吠えた。息がかかる。
火炎を吐いた訳でもないのに凄い熱気だ。
俺とリアは呆然とその巨大な頭を眺めていたのに対し、青魔族たちはその場から逃げ出した。
竜はグルグルと喉を呻らせて威嚇してくる。
俺たちの姿を見て卑しく目を細めた。
「カッ、ニンゲン……」
喉の奥から野太い声を発する。
喋った……! 竜が人語を解する姿を見ると変な気分だが、サラマンドもよくトカゲの姿のままで喋っていたっけな。
リアは竜に問いかける。
「言葉が通じますか?」
「ク、ハハハ! 口が利けるかだと。面白い。喰ってやろうか」
その竜は心底可笑しそうに鎌首をふらつかせ、俺たちを脅している。体を動かす度に傷口から煮え滾った血を飛び散らせ、周囲の草原を溶かしていた。
「おい、あんまり無理するな……。身体は大丈夫か? さっき仲間にやられてたみたいだけど何が起きてる。喧嘩か? 喧嘩にしては随分と酷いな」
「……」
竜は動きを止めた。
眉間に皺を寄せて訝しんでいる。
俺の心配が、さぞ不愉快だったようだ。
「ゴァァアアアアアアアッ!!」
また凄まじい咆哮を上げた。
唾液が飛び散って顔に吹きかけられる。
汚ェ……。
「グォアッ!」
竜は体をぐるりと回して尻尾を振るった。
強烈な音を立てながらテイルアタックが襲いかかる。
刺々しい鱗が生える竜尾は当たっただけでどんな生き物でも串刺しにして命を奪うのだろう。凄まじい速度で迫る尻尾をぼんやり眺め、竜という種族の強さを考察した。
――バシ、と尻尾が直撃する。
棘つきの棍棒を叩きつけられるようだ。
左から迫ったそれを腕一つで受け止める。
「ガアア!?」
止められたことに竜は困惑した。
さすがは戦闘種族の竜。困惑したのは一瞬のことで、すぐに尾を振り回して放した。お次は太々と生え揃った五本の鋭い爪を振り翳す。
「だ~から……」
襲いかかる腕をさっと躱す。
右から左からと続く連打を躱し続けると竜はついに大口を開けて牙を剥き、首を伸ばした。
噛みつこうという気らしい。
その頬をぶん殴ってやった。
「言葉が通じるなら質問に答えろッ!」
「グオオオオオ!!」
バクンと鈍い音が草原に響く。
竜は殴られた鎌首に引き摺られるように巨体を倒した。
しまった。やり過ぎた。
怪我した生き物に追い打ちを掛けてしまった。
リアは溜め息混じりに、あーあ、と嘆いた。
「グルルル……」
「大丈夫か?!」
「貴様、ニンゲンか…………?」
「元はそうだけど、今は違うかもしれない」
「グルル……まるで鬼神だな」
竜は口から血を垂らして呻っている。
もう体を起こす力も残ってないらしい。
「おい、死ぬなよ!」
「安心しろ。竜はそう簡単に死なん」
「そうか。良かった」
「竜の誇りに賭け、ニンゲンにやられることはあってはならない。特に今は何としてでも……生きねば……」
赤竜は苦しそうに目を閉じた。
苦痛に耐えているらしい。
生きねば――と言った。事情がありそうだが、竜族の内部事情に関わっている暇はない。一刻も早くサラマンドを見つけ出して協力を煽がなくてはならない。
そうだ。この竜にサラマンドの事を訊こう。
まさかこいつがサラマンドという可能性も無きにしも非ずだ。今までも偶然の巡り合わせで他の賢者に遭遇してきた。
運命に偶然はない。
女神の受け売りだが、もしかしたら。
「おい、聞きたいことがある!」
竜は耳をびくりと動かした。
「俺たちはサラマンドって竜に会いに来た。そいつは何処だ?」
「グオア……ガハッ、ハッ」
喉奥の痰を飛ばすように竜は笑った。
馬鹿げた質問をされたとばかりに。
「火竜か。先代は死んだ……死んだとも」
「なんだって!?」
死んだ……。サラマンドが?
でも今『先代』と言ったか。
代々サラマンドの後継者がいるってのか。
竜族にもお家柄があるのだろうか。仮に後継者がいるのなら、そいつが俺たちの知るサラマンド本人ということだろう。
そいつに会えれば十分だ。
「先代はちょうどくたばったばかり……。だから、我らは闘争を始めた。次代の『火竜の座』を巡り……骨肉の争いを……」
「おい、何の話だ。サラマンドはどいつなんだ」
「グルル。今、それを決めている」
驚いてリアと顔を見合わせる。
――今、決めている。
草原から遥か先のバイラ火山を見やる。
そこでは赤竜の群れが勇ましく翼を羽ばたかせ、口から火炎を吹き荒らしながら戦っている。
それが同種同族で争う理由。
「サラマンドって名前じゃなかったのか」
唖然とした。
十数頭の赤竜が上空を飛び交っている。
あれは骨肉の争い。
竜族最強の存在が『火竜』を名乗るそうだ。
しかし、それでは困る……。
どの竜があのサラマンドかが分からない。
祝、投稿部数300部達成!
完結予定まで一月を切りましたが、頑張って書き上げます。
※次回更新は2017/4/1~2の土日です。




