Episode244 水の理想郷ネッビア
ボルガはボルガで封印する。
子どもの頃はその原理を理解してなかったが、まさか古代に来てから知ることになるとは思いもしなかった。
『盃』とは魔力を貯蔵して強大な力を具現する儀式である。
魔力を貯蔵する"盃"――。
裏を返せば、魔力が枯れれば力が弱まる。
あの羅針盤は『四元素』で出来ているから火・風・水・土の魔力勾配が高い状態にあるらしい。
魔力勾配とは魔力の偏りのこと。
その辺の知識は魔力因子環境分配学の講義で学んだ覚えがある。
それらの四種の魔力を分散させる『盃』を用意すればリゾーマタ・ボルガは鎖をかけられたも同然となり、力を失う。
例えるなら作物を育てるときに周辺の雑草を取り除かないと上手く育たないように、リゾーマタ・ボルガも周囲に雑草を蒔けば機能を妨害できるだろうという理屈だ。
必要な属性は火と風と水と土。
風、水、土の三属性はシルフィード、アンダイン、グノーメが得意とする魔力だ。
あと残り一つに火のボルガが必要になる。
そういえば未来では何種もの魔力を一人で操る魔術師が多いのに対し、古代人は住んでいる地域や種族次第で扱う魔力属性が異なる。
青魔族は水魔法。エルフは風魔法。
ドワーフは土魔法などだ。
酒は酒屋に、茶は茶屋に。
炎魔法のことは『火竜』に任せよう。
斯くして俺たちはバイラ火山を目指した。
○
ボルガ・シリーズの作製と火竜サラマンドを仲間に引き込むことを同時に、なるべく最短で進めなければならない。
エンペドがこちらの目的に気づく前にだ。
そのため、編制は二手に分かれた。
俺とリア、レナンシーはバイラ火山へ。
エトナとシルフィード、グノーメは居残り組。
居残り組はボルガ作製に着手してもらう。
風のボルガと土のボルガだ。
レナンシーは療養も兼て故郷で水のボルガを作製すると云う。
つまり最終目的地のバイラ火山に乗り込むのは俺とリアの二人だ。
猶予はあるが、のんびりしてられない。
グノーメ監修の下、急いで大型の筏を造ってイリカイ川の上流まで運び込んだ。あとはレナンシーの海神の力で川上り開始だ。
「こんなイカダで大丈夫なのか?」
「グノーメさんの腕を信じるしかないです」
リアと二人で岸に繋がれた筏を眺める。
乾いた丸太で土台が組まれ、その下には浮力を補うための別種の木や葉が綿密に組まれている。推進力はほぼ無視しているのか、立てられた一本の丸太からは布が掛けられ、日除け用に屋根も用意されていた。
突貫工事にしては見事な出来だが、簡素すぎる。
少なくともこれで数日は川の上生活……。
不安だった。
グノーメ曰く、先の火災のせいで素材不足が深刻なのだとか。
「まぁ、贅沢は言ってられないか……」
「安心せよ。万が一のときは妾の力で舟無しで其方らを運ぶこともできるぞ」
「どうやって?」
「水玉に包んで無理やり引っ張るのじゃ」
カードゲームで戦ったときにエトナやマウナが閉じ込められた水玉を思い出す。あれが川の上を滅茶苦茶に滑っていくと考えると、酷く乗り心地が悪そうである。
筏が壊れないことを信じよう……。
レナンシーは身構えもせず、船首から川の上流を眺めて筏を操作した。
何か魔力が発動している様子もない。
それなのに筏は川の流れに逆らい、すーっと逆走していく。
「この分なら日暮れにはネーヴェ高原を超えてネッビアに着くはずじゃ」
「魔力は足りるのですか?」
「妾の力の源は水にある。川辺や海中なら魔力も無限じゃ」
「……? 水中に存在する魔力因子は大気にある量と然して変わらないはずですが? 人間で言えば、呼吸だけで魔力を回復しているようなものですよね?」
リアが不思議そうにレナンシーに尋ねた。
「魔法生物というのはな、そも、人間と体の構造が異なる。其方らは魔力以外にもあらゆるものを動力に活用し、魔力もまた、魔法とは別のモノに使うじゃろう。魔法生物にはそういった無駄がない」
「便利な体ですね」
「そうでもないぞ。妾は『海神』の特注品じゃから魔力の貯蔵も無尽蔵じゃが、半端モノはすぐ魔力が切れる。それはそやつの死を意味するのじゃ。
人間どもの方が便利なものよ。
魔力以外にも動力源があるのじゃから」
「まぁ、それは半魔造体も同じですが」
俺たちも魔力の枯渇に弱い。
爆発的な力を手にした反面、魔力に依存して体を維持している。
そのエネルギー源が絶たれれば終わりだ。
普通の人間は魔力が切れても眩暈がする程度で、体は動くし、生きていける。
「どちらが優れるかなど比べようがないのじゃ」
レナンシーは遠くを見て呟いた。
今の一言にはどこか憧れのような雰囲気を感じた。
リアもそれに気づいて問いかけた。
「人間に憧れたことがありますか?」
「もちろんじゃ」
「そう、ですよね」
そういえば、リアも生まれつき『半魔造体』の肉体だったはずだ。仮に古代へ父親を迎えに行くという宿命がなくても、普通の女の子として生きられたかどうかは怪しいところだ。
だから共感しているのかもしれない。
「妾が人間であれば純粋に『愛』も理解できた。それは神々の命題なのじゃ」
「あれだけ愛情表現が過剰なのにですか」
「それは愛を理解してのものではない。愛を追究するが故のヒトの真似事じゃ」
アレが真似事なら名役者も驚きだ。
「しかしな、形から入ったところで所詮、妾のような人ならざるモノに『愛』など到底理解はできぬ。――アレを見て気づいてしまった」
「それってこないだの?」
「応さ。おぬしも娘ながらに嫉妬したじゃろ」
「ええ、まぁ」
リアがこちらに一瞥くれた。
……アレというのは血の盟約のことだろう。
むず痒い。仰向けになって寝たふりをした。
○
ネッビアに着いたという声で目を覚ました。
うたた寝していたらしい。
体を起こして仰天した。
いつの間にこんな鬱蒼とした樹海に入っていたのやら。
霧が立ち込めて空気も薄い。
川辺に生い茂る木々の先には全景を囲む山脈が見えた。
「ここは……?」
「ようやく起きたか。此処こそ青魔族の理想郷ネッビアじゃ」
「早いな!?」
「其方は昏々と眠っていたからの」
ギャラ神殿が建造されたエリンの湿地帯と似ている。
湿った土地の空気感が特に……。
だが、こちらの方が樹木の密度は高い。山脈も近く感じるし、エリンと比べると自然の豊かさは格段上だった。
「よくあんな状況で寝てられましたね」
「なにかあったのか?」
「何かというか、ここまで登るまでかなり起伏のある激流を通過しました。何度か岩肌に激突しましたし……」
リアは青い顔していた。
酔っているみたいだ。
「まったく気づかなかったな」
「その方が幸せだったかもしれません」
よく見ると筏が悲惨な姿になっていた。丸太の尖端は削れてボロボロになり、屋根用の柱もあらぬ方向に傾いている。
そんな激しい川登りだったのか。
激流に逆らって筏を操るレナンシーと、必死にしがみついて酔いに堪えるリアと、何も気づかずに眠り続ける俺……。
想像するとシュールな光景だ。今ではそんな荒々しい道程からかけ離れ、穏やかな川の上を滑るようにゆったり進んでいた。
「洞窟では巨大コウモリに襲われたのじゃ」
「ジェイクさんに群がるので追い払うのに苦労しました。護衛の報酬が欲しいくらいです」
「荷も食い荒らされたしのう」
「エマグリ草は香りだけでも興奮作用があるようですね」
「何故そのようなものを持ち歩く?」
「趣味です」
二人の会話を聞くに大惨事だったことが窺い知れる。
本当によく起きなかったな。
安心というか……二人がいれば俺の出る幕もないと思い、爆睡できた。
「まったく、エトナが居らぬからと油断しているようじゃの」
「それは私も考えてました」
「ち、違う。疲れが溜まってただけだ」
「庇護の対象がいないと暢気なものよ。……まぁよい。それだけ日々苦労しておるのじゃから、たまには休むがいい」
からかわれているようだ。
しばらく穏やかな川の流れに沿って進むと、木々が減り、その奥に神殿が見えてきた。ギャラ神殿と同じ構造をしている。
青魔族の建造物なのが一目瞭然だった。
レナンシーは岸辺に筏を寄せた。近くに生えていた太めの樹に筏をロープで括りつけて固定し、俺とリアも降りた。
大地を踏むと草地がふわりと揺らいだ。
足元を見る。地面から水が染み出している。
「ネッビアは湿地帯じゃ。地面がぬかるんでおるから滑らぬようにな」
こちらの戸惑いに気づいたようでレナンシーは忠告を挟んだ。湿気は強いが、空気が涼しいからあまり不快ではない。
青魔族がエリンでコロニーを建造した理由も分かった気がする。
冬場はあの辺の気候も少し似ている。
石造りの神殿を目指して奥へ進む。
茅葺き屋根の家々が見えた。
「ペィル コゥム アフトゥール!」
「ギューヴ モージル、レナンシー!」
視界に入るや否や、青魔族たちが出迎えた。
懐かしき青肌の姿と魔族語だ。
一人が現われて大声を出すと続け様に集落の奥からどんどん青魔族たちが現われて、あっという間にレナンシーに群がった。エリンに住んでいた頃よりも元気そうだ。
やはりネッビアの土が合うのだろう。
レナンシーは青魔族の人たちを宥めた。
「よしよし――ゲラ フゥ クラッカル アッティ ゴォア ヴァル、ん?」
「モージル タクトゥ イーニグ スャ リクレク ニィト アナヴォ!」
「スプゥニンギ エル フォウツ リィシャ?」
「ううむ、そう簡単ではないのじゃが……」
意味は分からないが、レナンシーの表情からは母性愛を感じる。
これが人間の真似事なんて嘘だろう。魔族の一部族の母親を演じているに過ぎないとしても、愛情を持って接してると思う。
リアも魔族語を操って会話に加わった。
俺たちがここに訪れた事情を伝えているらしい。
「――スヴォ、ヴィオ ステフヌ アウォ プヴィアヴオ バイラ ヴォルカノ」
「エルト フゥ ファラ イ ロゥン アウスャ ドレッカ……?」
リアの説明を聞くと不穏な顔つきで青魔族たちはお互いの顔を見合わせた。竜族に会いにバイラ火山を目指すと知って怯えているようだ。
魔族といえど竜は怖いか。
「困ったのう。妾は此処で骨休めじゃから案内役を遣わそうと思ったのじゃが……」
「道順さえ教えてもらえれば私たち二人で向かいます」
「そうはいかぬ。ここからは"下り"じゃから操舵も取れるかもしれぬが、バイラ火山から此処へ戻るときはどうするのじゃ? さてまた道順と云っても数日間の川下り。土地勘のない其方らでは間違った航路を進むやもしれぬ」
レナンシーとはここで一時お別れだ。
彼女の言う通り、リアと二人では川だけ見て順路を判断するのは難しい。川流れなんて一歩間違えれば全く違う方面に流れ着くかもしれない。
「青魔族も水流を操れるのか?」
「水魔法で多少はの。妾ほどではないが」
レナンシーにもう少し頑張ってもらってバイラ火山まで案内してもらうか。
でもそれだと水のボルガの作製が疎かになる。
レナンシーは病み上がりだから休ませたい。
二進も三進も行かずに立ち往生だ。
「エグ ムン ファラ!」
一人の青魔族が名乗りを上げた。
手を挙げ、人混みを掻き分けて出てきたのは見覚えのある男だった。青魔族は皆似たような顔をしているが、この男だけは見分けがつく。
特に親交の深かったウォードだ。
「ウォードか!」
「ジェイク、ヌゥ エル エグ ハーヴル ヒャルパ イェール」
手を差し出してきたので握り返した。男同士が交わす肘を立てた握手だ。
言葉は分からずとも目で意味が伝わった。
――今度は俺がお前を助けよう。
そう言ってる。
「ありがとう、ウォード。勇敢だな」
「マッ カセゥロ」
「任せろ? はは……あぁ、頼りにしてる」
ウォードは俺たちの徒労を知っている。
彼はエリンに居た頃から何のために旅回っているか知っていた。アザレア大戦が原因で故郷ネッビアから逃れ、辿り着いたエリンでも人間に迫害されて居場所がなく……それでも居場所を探そうと尽力した俺やエトナたちに感謝の思いもあるのだろう。
俺がこの時代に来たのも、青魔族の救世主になるべくして送られたのだとしたら苦労の甲斐があるというものだ。
ウォードが案内役に立候補すると他にも二人ほどバイラ火山までの同行を願い出た。いずれも北の森で最初に出逢った青魔族たちだった。
○
「もう行けるのか?」
「はい。悠長にはしてられませんから」
荷物を整理してすぐに旅支度を終えたリアに問いかけた。ネッビアに着いたときは船酔いで気持ち悪そうにしていた。
「あと少しでリゾーマタ・ボルガに辿り着けるのです。休憩はすべてが終わってからで十分です」
リアは囃し立てるように荷を背負い、筏の方へ歩き出した。
確かにもう少しでこんな殺伐とした古代の世界とおさらばできる。あとはサラマンドの力を借りてアザレア王国を攻め落とし、エンペドを取り押さえられれば、それで――。
それで終わってしまうのか。
この旅が……。
『今は全部、言わないで……』
『だって、叶わないことは判ってるもの』
エトナの言葉が甦った。
そうだ。それでお別れなのだ。
俺は惜しんでる。この時代を。
「ジェイクよ、竜種は非道の極みじゃ。奴らと言葉を交わせても人間族の発するそれとは大きく異なることを忘れるでないぞ」
「……」
「ジェイク? どうしたのじゃ」
「ああ、いや。ありがとう。行ってくる」
レナンシーにお礼を言い、川岸に繋がれた筏に乗り込んだ。
既にリアも青魔族三人も乗っている。
『苦悩、落胆、絶望。そういった類いの禍害を其方は求めておる。其方自身がな』
レナンシーもそう言っていた。
戦いを求めているのか、俺は。
こんな争いばかりの時代に居心地の良さを感じている……?




