Episode241 アザレア偵察
イリカイ川の橋の袂まで引き返した。
砂場の往来はそれだけで体力を消耗する。徒歩で半日ほどの距離とはいえ、この移動だけでも十分、戦力を削がれるだろう。
一番体力が心配なのはエトナだったが、平然としていた。
旅慣れてきたのだろうか。
エリンでの旅路もだったが、今は数段逞しい。
「なんだか最近、疲れにくくなったのよね」
エトナが打ち明けた。
体力がついたんだろう。――言いかけたところ、リアが口を挟んだ。
「それは『血の盟約』を結んでからですか?」
「そうね。ええ、多分そう」
「ふむ……」
リアが顎に手を添えて考え込む。
「血の盟約が精霊契約と同じ原理なら、シルフィードさんやグノーメさんのように魔力だけでなく肉体も変化しても不思議じゃありません」
「体も……?」
「はい。彼女たちは『精霊』という自然界の力と契約し、不老不死へ肉体が変化しました。エトナも、ジェイクさんとの繋がりで肉体が変化してるのではないかと」
なんだって。
それは要するに、エトナも『半魔造体』化したということか。
「――『Tout Le Monde』と言いましたか。あの魔法も、自己の心象を具現化して現実に浸食する虚構世界形成のそれです。虚像を結ぶなんて技、虚数魔力がなければできないでしょうし、お二人の結びつきは明白ですからね」
あの歌の魔法も、虚数魔力が由縁か。
それなら『心象抽出』や『時間魔法』がエトナでも使えるのかとか、裏を返せば俺も『三千世界』が使えるのかとか、――その魔法を初めて披露したメドナさんも、などと様々な疑問が湧いてくるが、検証する余裕はない。
この時代にマナグラムがあれば……。
エトナは拳をそれっぽく前に突き出したり、足を蹴り上げて格闘術のようなものを試みたが、ぎこちない動きで終いには盛大に転んだ。
笑いを堪えるためにそっぽを向く。
「あ、今、笑ったわねっ」
「笑ってない。気のせいだ」
「絶対笑ったわ!」
「俺は頑張ってる人は馬鹿にしない主義だよ」
「むー……素直に笑ったって言えばいいのに」
いじけているようだが、裏では満足そうだ。
俺に笑われた方が嬉しいのだろうか。エトナはそんな自虐的な人間ではなかったと思うが。あるいは俺と同じ体質に変化しつつあるのが嬉しいのか。
昨晩のこともある――。
そういえば。
エトナを振り切ってリアへ声をかけた。
移動の合間に少し擦り合わせた方がいい。
最近、リアと碌に口を利いてないし、疑問も山積みだ。
耳打ちで"五人の賢者"の話をした。
それだけでリアは理解した様子で答えた。
「抑止力の話を覚えてますか?」
それをリアから聞いたのはいつだったか。
俺が強く印象に残っているのはリピカとのやりとりの方だ。
"抑止力は因果の綻びを修正する『深礎』から派生した強制的な力。私という大司教となりうる少女を、そして『ハイランダーの業火』の雛形となる男を、過去に用意する力が既に働いているかもしれない"
「知ってるよ。『神の見えざる手』だろ」
「はい。……この時代に来て、私はお父さんを未来へ連れ帰るためだけに動いてましたが、どうにもうまくいかない事ばかりでした」
泣き虫な女の子のような痴態を晒した時か。
メルヒェン姉妹のことは放置してリゾーマタ・ボルガを目指そうと、リアは立ち塞がった。
あの頃からリアもだいぶ人間味が出てきた。
「それが抑止力というものです。どう足掻いても、運命力が強い人物がいれば、それを軸に因果が引っ張られます」
――と或る騎士の栄光の物語のように。
リアはそう付け加えた。
誰を指しているのかは分からない。
「私たち二人でクレアティオ・エクシィーロを目指した理由は『誰』が引き金だったか。対リゾーマタ・ボルガのための精霊契約は『何』をきっかけに閃いたことだったか。思い返せば、この場で一番運命力が強い人物が誰か、分かりませんか?」
イリカイ川を死に物狂いで攻略した動機。
――それは一人の少女の死だ。
賢者二人に精霊契約をさせた背景。
――少女が初めに『血の盟約』を結んだから。
元々はエトナが辿った来由。
歴史の源流はエトナ・メルヒェンにある。
「彼女がすべての鍵を握ってます」
声を低くしてリアは断言した。
エトナをラウダ大陸に置いていくことは抑止力が許さなかったわけだ。このアザレア大戦の結末を迎えるために必要不可欠な存在だから――。
「私が口出しして変に因果を捻じ曲げると、また厄介な力が働くでしょう。エトナがマウナを探しにいきたいと言うなら、それを優先する。それが歴史上でも"正しい"選択なのです」
「なるほど……」
賢者不足を指摘するのは杞憂だったか。
リアは一早くそれに気づき、黙認を決めた。
聡明なのは結構だが、少しはデキの悪い父親を気にかけ、教えてほしかった。
…
一方で先に音を上げたのはグノーメだった。
彼女はついに重荷を引くために肩に掛けたロープから手を離し、そのまま砂地に倒れ込んだ。
「っだぁあ……イリカイ川はまだか」
「そんなに重いなら俺が持ちますよ?」
大砲を積めるほど大きな荷台には、ガラクタばかりが乱雑に積まれている。どうやら『アラクネ』の残骸のようなものまである。
「いい! テメェの荷はテメェで持つもんだ」
「でも明らかに重たそうなんですが……」
今のグノーメの体格の倍量は荷がある。
一体、なぜそんなものを運ぶのか謎だ。
グノーメは着慣れない小さな服を煽いで風を取り入れ、汗を乾かそうと腕を動かしていた。同時に、服に入った砂もぼろぼろと零れ落ちてくる。
「仕方ねぇだろ。目覚めたらもう出発するってんだから現地で組み上げるしか」
「それ、組み立てるんですか!?」
「あったり前だろ。あたしは機械工だぞ。鉄屑がなきゃ戦う気なんかしねえ」
彼女の武器はあの蜘蛛型機械だけか。
生身では戦う術がないということだ。
しかし、武器を現地製造するなんて――いや、剣をその場で生成する俺が言えた話じゃないが、こっちは魔力の塊を剣に変えているだけで鉄の得物を製造しているわけではない。
天地創造の神リィールならまだしも。
「畜生……。思い通りに姿を変える足でもあれば楽なんだけどよ。あと武器庫だ。せっかくこんなナリになっちまったんだから、工廠丸々一戸持ち運ぶくらいの力が欲しいぜ」
グノーメは独りごちた。
非力な腕や足を眺めながら溜め息をつく。
元来、魔法使いでもやっていれば『精霊力』の使いどころは山ほどあるのだろうが、グノーメは機械工だ。土の精霊の力が借りたところで、そもそもそれを戦いに取り入れる機会が薄いのだろう。
「工廠ってなんですか?」
「武器や弾薬の製造ラインだ」
「それを持ち運ぼうなんて発想が凄い……」
足りない何かのことを思い返す。
その何かの正体は思い出せなかったが、今のグノーメの様子を見ていて、あと一歩で思い出せそうな気がした。
手を貸そうと、荷台の後ろに回って押そうとしたら怒られた。自分のものは自分の力で運ばなきゃ気が済まないようだ。
頑固さは昔から変わらないらしい。
○
鬨の声は突然、上げられた。
イリカイ川に辿り着き、慎重に歩を進めていたのだが、どうやら何の気配もない。ここまでは良かった。橋も、件の戦いが終わった後に見た、爪痕残る状態で放置されていた。
兵士は何処に潜んでいるのか。
このままではあっさり敵の領土内に侵入できてしまう。やはり罠だったか。そう思いながらも偵察を進めるべく、俺とリアとエトナの三人は普通に橋を渡った。
賢者三人は散開して別ルートから進んでいる。
街の建造物が視界に映った。
平野を少し歩き、ついぞアザレアの都市内部に入ってしまったのである。
その建造物の数々は初めて見たアザレアの街並み――整備の行き届いた『繁栄都市』の様相に姿を変えている。
エンペドが介入した都市の姿だ。
やはり奴の逃亡先はアザレア軍だった。
だが、そのときだ。
閑静な街並みの中、戦士たちの声が轟いた。
おおおお、といきり立つ、鬨の声だ。
「な、なに!?」
「見ろ、街の奥だ」
坂になった街道の奥から重装歩兵が飛び出た。
目算、百程度の兵だ。
少ない。――その違和感も束の間、すぐ背後から同じようにアザレア兵が小奇麗で高層な家々から飛び出してきた。
立ち並ぶ三階建ての家の窓からは弓兵がこちらへ矢の矛先を向けている。砲台も運び入れたようで、何軒かの窓からは大きな砲口も顔を出していた。
やはり罠だったか。
この擬装された建造物の数々は、残り少ないクレアティオ軍の残党を包囲戦に追いやるためのカモフラージュだったようだ。
市街戦は想定していた――。
イリカイ川での抗戦は両軍、地形を把握しているため、殲滅戦に向かない。
残党に逃げられやすいからである。
ならば自陣営へ誘き寄せて包囲してしまった方が確実に殲滅できる。
市街戦ならば逃げ道も分からないからだ。
「予想外ですね」
「うむ……」
リアと言葉を交わす。
エトナの不安そうな視線が突き刺さった。
「ちょ、ちょっと……敵が迫ってるわよっ」
背を向け、背後の敵兵に向けて片手を構えた。
虚構世界に逃げ去る準備をしたらしい。
「待て、エトナ。もう少し様子を見る」
「様子って、もう見つかって包囲までされてるじゃない!」
「わかった。――止まれ!」
エトナの腕を掴み、時間魔法を発動させた。
怖がらせるのも忍びないので一時停止だ。
リアは自分から俺の腕を掴んで時間魔法を共有した。いつぞやの『自家静止』なる対時間魔法の技も魔力温存のために控えたらしい。
「偵察だと言っただろう」
「追い込まれたら怖いに決まってるでしょっ」
「まぁ、それもそうか……」
エトナは戦場を知らないから無理もない。
予想外。リアがそう言ったのは、戦術がエンペドらしくない、という意味だ。
頭数で比べれば、市街地での殲滅戦に持ち込むことは予想できる。その方が安全で効率がいい。クレアティオ軍がもはや兵士数が少ない以上、降伏するまで放置しても戦争には勝てるのだ。
それは正統な兵士の、正常な戦争の場合。
アザレア大戦は、そうはならない。
参謀が戦争の継続を望んでいる。
さらにはクレアティオ軍の残党が特別だ。
あっちで女神に顔を見られたのは、妖精王を除けばアンダイン、シルフィード、メルヒェン姉妹、リアの五人。
神の娘が相手である以上、包囲殲滅が難しいことはエンペドも理解できる筈だ。
「腑に落ちないな」
「しかし、現にこうなってます。取った戦術は包囲戦。十分な収穫ですよ」
これ以上は時間魔法の消費魔力が気になる。
考える時間は終わりだ。
「――自家静止、開始」
リアは合図して俺の腕から手を離した。
「それでは私とエトナはこれで」
「頼んだぞ」
リアはエトナを抱えて俺から引き離した。
エトナを連れ、止まった世界の中、屋根伝いに去っていく。
二人の次なる任務はマウナの捜索だ。
市街戦とはいえ、さすがにマウナが戦場にいるとは考えにくい。ここはあくまで擬装市街であり、住民達は街の中でも遠くの安全地帯に居るはずだ。
「動け!」
二人が去ったのを確認し、時間の流れを戻す。
あとはどんな展開が待ってるかを見届ける。
アザレア兵は、三人の残党が突然、一人になって動揺した。
だが、彼らは勢いを殺さず突進してくる。
一人に対して坂の両端合わせて二百の軍勢。
瞬く間に取り囲まれた。
ずらりと並ぶ街道の兵士たちは、道の奥の奥まで犇めき合い、こんなに戦力を向ける必要があったのかと後方の兵士達が顔を見合わせた。
「貴様、投降するなら今のうちだ!」
先頭の隊長のような存在が声をかけた。
「エンペドはどこにいる?」
「問答無用。降伏の意志がなければ拘束する!」
「まぁ、そうなりますよね……」
「アザレア軍、こいつを押さえるぞ!」
会話にもならない。果敢に攻めてきた。
おそらくエンペドから一人相手でも油断するなと託けられているのだろう。アザレア兵の軍勢も全力で押し寄せている。
殺傷能力のあるものは使わない。
俺は素手で迎え討った。
まだ敵勢が剣さえ振り被らず、長盾一つで突進している最中、一瞬で肉迫して素手で先頭の兵の盾を粉砕した。ぱん、と小気味よく音が響き、一瞬で二百の兵が黙り込んだ。
――相手の出方を伺う為に少し暴れたい。
無防備になった兵の兜を上からぶん殴り、地面に叩きつけた。
加減はしたから気絶で済んだだろう。
動揺して足を止めた隣の兵士に一歩踏み込み、盾を鷲掴みして引き剥がし、そのまま拳を鳩尾ちに叩き込んだ。
防具も意味をなさず、腹に食い込む。
「ぐほっ……!」
「こ、こいつ、素早いぞ。油断するな!」
「一斉にかかれ!」
ようやく声を上げ始めてくれた。
背後から忍び込んできたアザレア兵の剣を屈んで回避する。
足払いして転ばせた。
そのまま地面に背をつけ、両足を開脚した状態でぐるりと一回転し、他の敵を複数蹴りつけた。周囲一帯に敵やら盾やらが飛散していく。
「うあああっ」
雄叫びなのか悲鳴なのか分からない声が乱雑に混ざり合う。
多数相手では意外とこの攻撃法がよさそうだ。
相手が怯んだら、今度はこっちから攻める。
一瞬の肉迫。そのまま裏拳で盾を粉砕。
他の兵士の肩に手をかけ、飛び越えながら近くの敵を蹴ったりと、もうやりたい放題だった。こんなに自由に戦うのは久しぶりじゃないだろうか。
敵の数が減り、騒がしさも次第に止んだ。
すると、とうとう誰かが笛のようなものを鳴らして応援を呼んだ。
お次は何が来るだろう。
最後まで敵の戦術を確めたい。
ここまで一人も殺さずに無力化できたことは後でリアにでも自慢したい。そんな余裕すら感じながら身体も温まってきたとき、それが現われた。
市街地の奥から黒光する触覚が顔を出す。
緩慢な動きだが、確実にそれは動いていた。
「あれは、ジャイアントG……!」
黒い装甲の機械である。
アラクネと似たフォルムであるのに、何故か生理的に嫌悪感を感じるのは、あの頭部から背に伸びる長い触覚のせいだろう。
坂の上から現れたジャイアントGは、雪崩れ込むように進攻してきた。がしゃりがしゃりとアレが足踏みをはじめ、徐々にその動きが早くなっていく。
「アザレア兵、道の脇に逸れろ!」
兵士たちは気絶した者をなるべく多く引き摺りながら左右へと掃けた。俺は取り残されるように街道に佇み、その機械の攻撃を見定めた。
きぃぃん、という凝集音が響く。
何か、力を蓄えているような音だ。
徐々に、バチバチとジャイアントGの触覚に稲妻が走り、直後、口元から砲身が突き出され、轟音とともに何か放たれた。
「――!」
弾丸が凄まじい勢いで俺の頬を霞めた。
稲妻が軌道を遺すように走っている。
あれは確か、グノーメ様も未来でヒガサ・ボルガに仕込んだ雷魔法レールガンの原理と同じだ。
弾丸が過ぎ去った直後、今度は左右に立ち並ぶ家々の屋上や上層階の窓から、取り残された俺に向けて弓矢や砲弾の集中砲火が浴びせられた。
「っ……止まれ!」
さすがに直撃はマズい。
直撃の一歩手前で時間を止めて難を逃れた。
徹底している。
あまり舐められたものじゃない。
そもそも、一騎、対、一軍隊なのだ。数の暴力とも云う。隙を生まれる前に離脱するべきか……。
そう思って後ろに飛び退き、主戦場から距離を離してから時間魔法を解除した。この時間魔法も『止まれ』を長時間繰り返すと一日六回しか保たない。
既に二回も使っているのだ。
アザレア軍は他にも色んな秘密兵器を隠し持ってそうだが、リアの言う通り、大事なのは戦術だ。
これ以上、戦力を推し量る必要はない。
俺の役目も終わりだろう。
そう思い、最後に坂下から眼前を仰ぎ見た。
一時離脱したアザレア兵が坂道の脇からぞろぞろ出てきた。進攻するジャイアントG以上に遠目には虫の大群のように見える。
その群れの奥――。
遠くへ離れたからこそ気づけたのか。
半魔造体の眼で驚くべき姿を捉えた。
ジャイアントGの頭を飛び越えたさらに奥の、坂道の突き当りの屋上に二つの影を見た。一方は、黄色い派手な髪色の女性が佇んでいる。
きっと、ロクリさんだ。
ロクリ・プラト・ティマイオス。
彼女はアザレア軍の人間だから戦況を眺めていても不思議ではない。
しかし、もう一方の存在。
純白の髪。――ふわりとした髪のシルエットは見間違えるはずがない。姉とは見間違う可能性はあるが、あんな人形のような造形の美少女は、アザレアに二人と居まい。
「マウナだ……!」
発見の喜びよりも心配が勝った。
なぜ、あの子がいる。此処は戦場だ。
市街地といえど、戦場に指定された危険区域であるはずだ。
なのに、ロクリさんと並び、佇んでいる。
遠すぎて表情までは読み取れない。
……だが、蒼い眼光は冷酷な印象を感じた。
※次回更新は2017/3/20(月) 祝日です。
土日は私用のため、更新が難しいです。
ご容赦ください。




