Episode240 足りないもの
グノーメの精霊契約完了を報告した。
何が起きたかをシルフィード様に詰問され、正直に答えると、
「そんな……そんな横暴な召喚で……」
――カルチャーショックを受けていた。
歓迎していないわけではないようだが、自身のときとの差や、ティターニア直伝の契約儀式の絶対性が崩れたことが衝撃だったようだ。
唖然として幼女化したグノーメを見ている。
グノーメは今尚、眠り続けていた。目を覚ましたら、自分の姿をどう思うのだろうか。シルフィード様は妖精王に近づけたという充足感で、受け入れていたが……。
仲間につけた賢者はこれで三人。
水の賢者アンダイン。
風の賢者シルフィード。
土の賢者グノーメ。
アザレア大戦の史実から逆考察すると、あとは火の賢者と雷の賢者を味方につけるべきだと思うのだが、どうやらパーティー内にそんな空気はない。
今はグノーメの目覚めを待ち、
「此奴が目を覚ましたらアザレアへ向かうのじゃ。よいな?」
性急にイリカイ川の向こう岸を目指し、この戦争を終わらせようとレナンシーが提案した。
当然だ。――俺たちは最初からそうしてきた。
ただ、色々と"足りない"と感じている。
この不足する何かが、五人の賢者が揃っていないことに対する事なのは明白だが、それ以外にも何か忘れている気がした。
リアへと視線を投げかける。
彼女は俺の娘にして古代攻略におけるアドバイザーでもある。歴史の一ページとして刻まれた『アザレア大戦』を知る存在。
俺と同じ心配をしてるはずなのだ。
「もちろんです」
リアは俺の視線も意に介さずに頷いた。
憮然として言葉が出ない……。
その動揺を感じ取ったか、レナンシーは目敏く指摘した。
「ジェイク。何か不服があるようじゃの?」
「不服、ではないけど……」
発言に迷いがある。
言うべきではないのかもしれない。
「なによ。はっきり言ったら?」
エトナが腕を指で突いてきた。
寄り添うようにぴったりと傍にくっついているのだが、男女仲を意識して、動揺した。それもこれもレナンシーやシルフィード様の煽りのせいだ。
「何か足りない気がするんだ」
「足りない?」
いや、言うべきではなかったか。
結末をぺらぺらと語り明かすものではない。
賢者が相手でもだ。
奇しくも俺たちが未来人だとを知っているのはメルヒェン姉妹と海神リィールのみで、他の賢者にはアンダインも含め、その情報をまだ公開していない。
「――ジェイクさんの言う通り、準備不足は否めません。ただ、今回はどんな準備が必要かを推し測る、偵察の意味も兼ねてます」
リアの反論が警告のようにも思えた。
それ以上言うな、と暗示している気がする。
「偵察? そんな余裕あるのか?」
「余裕というか……こちらも警戒してるのです。両国の戦力を単純な兵士の数で比べれば、いまやアザレア軍に圧倒的な軍配が上がる。だというのに敵国が攻めてくる様子はない。これは何か罠があるのでは、と思いまして」
敵国。――ついこないだまでそれはクレアティオ軍を指す言葉だったというのに、今はアザレア軍を指す言葉に変わっている。
皮肉な話だ。
言うなれば、これは裏側から見た戦い。
歴史に語られた『アザレア大戦』の裏。
そういえば――。
"一晩経ってもアザレア軍が攻めてこぬのは些かおかしいぞ"
レナンシーも同じようなことを言っていた。
そういうことか。
「むしろ、相手の出方を待つ余裕の方がないです。こちらが先手をかけない訳にもいきません。マウナの所在も、早いところはっきりさせないといけませんし……」
リアがエトナの顔色を窺うように眺めた。
エトナは真剣な顔つきで頷く。
そうだ。彼女の心情を考えたら、足踏みしている場合じゃなかった。なんだか踏み留めるような言葉をかけて、悪い気がしてきた。
○
グノーメは目を覚ますや否や、動揺して声を荒げていたが、見た目の幼さや小人族という種族の都合で、同じく幼体化したシルフィード様と比べてもかなり小さく、以前のような威圧感は薄れていた。
シルフィード様が十歳程度の可憐な少女のようになったのに対し、グノーメは五歳児のようだ。
――狂犬の異名も見下げたものじゃのう。
――これじゃ単なる子犬ですね。
と、他の賢者に揶揄されて地団駄を踏む姿すら可愛かった。
偵察は視界が良好な方がいいだろうと判断して翌朝に出発することになった。大火で生き残ったドワーフ族や少数のエルフ弓兵も同行を希望したが、断ることにした。
人手が足りないのは街の方だ。
アガスティアの再興は困難だろうが――既に未来で滅亡していた事実から、"出来なかった"のだろうが――そっちを優先するよう伝えた。
気持ちは分かるが、やることが山積みだろう。
一日一日を生きることさえ大変な筈だ。
俺に……その苦悩を分かち合う権利はない。
夜、或る廃墟の屋上から星々に照らされるアガスティアの街並みを眺め、そんな感傷に耽った。
この惨劇に責任を感じているとか、ここで生きている人たちに同情しているとか、そんな横柄なことを考えるつもりはない。
戦いには最善を尽くした。必死だった。
卑屈になってるわけじゃなく――。
「眠れないのかしら?」
屋上に昇ってきた誰かに声をかけられる。
言うまでもなくエトナだ。
「いや……そういうエトナの方こそ」
「私は眠いわ」
「じゃあ寝た方がいい。休めるときに休む。冒険者の基本だぞ」
「冒険者?」
この時代に冒険者なんていなかった。
無意識に言葉が漏れてしまった。
「未来ではそういう職業もある。依頼を受けて報酬を貰う何でも屋だ」
「ジェイクも冒険者だったの?」
「十歳から十五歳くらいまでかな。その後は前も話した通り、騎士団にいた」
「随分小さい頃から働いてたのね?」
「そんな気はなかったけど結果的にだ」
家もなく、生きる事に必死だっただけだ。
それは今もそうか……。
行く先々でトラブル続きで、腰を据えて生活することがないし、これから先もそんな生活が送れる保証はない。
その意味では常に『冒険者』だ。
依頼をこなすだけの掃除屋。部外者。
一度、シアと英雄稼業をやめると約束したときには、今には無い安住を求めた事もあったのだ。
でも運命はそれを赦してくれなかった。
結局こうして戦い続けている。
苦悩を分かち合う権利がないと思うのは、そういう事だろう。
単に部外者だから。俺自身の戦いではない。
誰かの肩代わりをして戦ってるんだ。
"――戦いが何を生むの?"
昔、俺を停めようとしてくれた人がいた。
メドナさんは既に知ってたのだろうか。
俺の歩み続ける道の、この結末を……。
星空と静謐な街を眺めて少し時間が経った。
夜風がエトナの髪を撫でる。眠いくせに、なぜ此処へ来たんだろう。
視線を向けると気づいたように口を開いた。
「ねえ、昼間は"足りない"って言ってたでしょ」
「ああ、それか……」
そのことは申し訳なかった。エトナの気持ちを考えたら、早くマウナの居場所を探しにアザレアを目指したいに決まってる。
そこで待ったをかけるのは配慮に欠けた。
振り返って面と向かう。反省の意だ。
「あ、違うのよっ。そうじゃなくて」
エトナは大袈裟に手を振った。
「ジェイクが、私たちとはまた別の何かと戦ってる気がして――」
「別の何かって?」
「未来からきたってことは、本当は……知ってるんでしょ?」
心配してる。そんな目で覗き込まれる。
おそらく、アザレア大戦の結末を指している。
「知ってるけど……詳細なことは知らない」
「嘘よ。足りないって思うのは、アザレア大戦を終わらせる方法を知ってるからでしょう? それを言えない事情があるような気がして、なんでかしらって思っただけよ」
「それが、何かと戦ってるように見えた?」
「そうよ……ジェイクったら葛藤ばっかり。寡黙な人は好きよ。でも、少しくらい相談してくれてもいいじゃない」
まぁ、あんまり喋る方じゃないが……。
エトナにだけは打ち明けてもいいか。
「実は、あの三人とは未来でも会ってる。レナンシー――未来ではアンダインの名で呼んでたけど、あとシルフィード様とグノーメ様も」
「え……千年後に?」
エトナは一瞬戸惑ったが、すぐはっとした。
「あ、そうか。精霊と契約すると不老不死になるってティターニアも言ってたものね。レナンシーは魔法生物だから元々か」
「そういうことだ。彼女たちがアザレア大戦を終結させたという結末は歴史通りだよ。足りないっていうのは、その人数」
「他にも精霊と契約する人がいるの?」
「あと二人いる。五人を五大賢者と呼んでた」
「……そういうことだったの」
足りないのはそれだけじゃない気がする。
でも、昼間に待ったをかけた理由はそれだ。
あと二人。サラマンドとティマイオス。
雷の賢者ティマイオスは、アザレアで宮廷魔道士の名で知られる彼女のことだから、この先で何かあるのかもしれない。
でもサラマンドはまだ――。
「リア先生は?」
「何も言ってこないな」
「……先生は思慮深いから、何か考えがあるんでしょうね」
俺もそう思って黙ってることにした。
時間があればリアと二人で話したいのだが、最近はパーティーの戦略立案係みたいになって、めっきり話す機会がない。
「でも、ジェイクはリア先生みたいに器用じゃないものね。すぐ顔に出るし、冷めてるようで直情タイプだし」
「はっきり言ってくれるな……」
「だってそうでしょ。不器用だから心配なのよ」
「そりゃあ、ありがたいけど」
エトナが頬を赤らめて少しそっぽを向いた。
何か小恥ずかしさを感じたようだ。
「私なら何でも聞いてあげるわ。皆には言えないことでも、話してほしいの……。寂しかったらいつでも、ね……」
「別に寂しくなんかない」
「それも嘘」
嘘だと断言された。
他人に何が分かる……いや、もはや他人ではないか。今では俺よりエトナの方が俺をよく知っている気がする。
血の盟約で魔力を共有しただけじゃない。
精神的にも強い繋がりを感じた。
だから傍にいてくれると気分も安らぐのだ。
「……」
もう一度、エトナのことを見た。
最近はあまりこの子を見てもメドナさんに似ていると思わなくなった。事実、似ているのだが、そうではなくて、エトナ・メルヒェンをちゃんと一人の女の子として見ている――見るようになった。
昔の憧れの人に重ねるわけじゃない。
俺は、エトナ・メルヒェンが好きなんだ。
「……っ」
待て待て。今、なにを考えた。
不貞どころの話ではない。
まさか、シアのことを忘れてはいまい。今でも肌身離さず、ロケットペンダントを持ち歩いている。そこに映る青い髪の女の子の姿は色褪せてない。
無自覚だったものを自覚して、焦った。
そっぽを向いて屋上の隅で座り込む。
足を投げ出してぶらぶらとさせ、心を落ち着かせようとした。
「ねぇ、もう少しだけ居てもいい?」
そんな俺にエトナが歩み寄ってくる。
「眠いんじゃないのか?」
「眠いから――」
エトナはそれだけ言うと、俺の真横で同じく足を投げ出して座った。
ここはそれほど高くないが、落ちたら危ない。
そう指摘しようとする頃には、肩に頭を寄りかけてきた。
「こんなところじゃ寝るに寝れないだろ」
「ジェイクの傍にいた方が安心して眠れるの」
「そうか……。ご自由に」
抵抗もできない。
安心するのはお互い様か。
乾いた星空と吹きつける涼しげな夜風。
寒くないように彼女に外套をかけてやる。
そうしてしばらく星空と地平線の境をぼーっと眺めていると、エトナが静かに語り始めた。すっかり寝てしまったと思っていたから、声を発した瞬間は想像以上にびくりとした。
「前にも言ったかしら」
「……なんだ?」
「私も未来に行ってみたいって」
「あぁ、アザレア王国に入国する前だったかな。森でのキャンプでそんな話をした。確か、俺が火の番をサボって、うたた寝し始めたところをエトナが注意してくれたんだった」
ドキドキして自然と多弁になっている。
この体勢は緊張する。
今、エトナと密着している。
「違うわよ。あの時はたまたま声かけただけ」
笑い混じりでエトナが言い返した。
血の盟約の前の出来事だったが、エトナもそれは覚えていたようだ。リバーダに上陸してからの話は何まで覚えているか分からないから話さないようにしていた。
「あの時、憧れみたいなものって言ったでしょ。あれね、実は本気で言ってた」
「知ってるよ」
「知ってる? ……知ってるの?」
「ああ、エトナの気持ちくらい分かる」
家を焼かれ、国に捨てられ――そんな状況に追いやられたら、誰でも遠くへ逃げたくなるものだ。
あの時はそんなことがあった直後だ。
どういう心境かは理解してるつもり。
エトナはそれが予想外のことだったらしく、驚いたように肩にかけていた頭を起こして俺を見上げてきた。
「どうした?」
「……ううん、絶対わかってない」
「そりゃ、一度に全部失うってことがどれだけ辛いことかは分からないけど」
エトナは得意げな顔して首を振った。満足したように目を閉じると、そのまま、また俺の肩に寄り掛かってきた。
「ほら、やっぱり分かってないじゃない」
「違うのか?」
「違うわ。私が未来にいきたいって思ってることとは関係ない。お父様のことは心配だけど、でも家のことは惜しくないし、エリンだって別にどうでもいいわ」
意外と冷めてるんだな、と唖然とした。
というより、エトナが逞しいだけか。
そんな前口上があったせいか――。
「私、ジェイクとずっと一緒にいたいのよ」
その後に続く言葉が、あまりにも自然な吐露に聞こえて何とも感情が湧かなかった。だが、徐々にその言葉の意味が染み出て心に充満していく。
「え……あ……」
「え? あ?」
心の泥濘を見透かされたように復唱される。
エトナは、俺がいまいち意味を理解してないと思ったのか、言葉を補った。
「鈍いジェイクにも分かるように言うわ。
私はジェイクのことが好き」
こんな状況なのだ。
言いたいことはもう十分伝わっている。
だから俺もはっきり言っておこう。
「俺も、好――」
嘘偽りなく思ってることを言おう。
じゃないと、エトナに失礼だ。
そう思って気持ちを打ち明けようとしたのだが、遮られた。
「今は全部、言わないで……」
「なんだそれ。そっちが先に言ったんだろ」
「だって、叶わないことは判ってるもの」
叶わないこと。
それは恋の成就を意味しているのか。
俺は未来に帰ろうとしている。シアも、俺の帰りを待っている。十六年間もだ。それに、未来に帰れるのは俺とリアだけで、いずれ来る別れが刻一刻と近づいているのだけは確かだ。
エトナもそんなことは判っている。
それを踏まえての忠告か。
「私はジェイクの支えになりたいの。その気持ちが本気だってことを先に伝えておきたかっただけ」
「……」
何も言えなかった。
そこまでして俺のことを想ってくれるエトナが、尚更愛しくなってしまった。でも何も言えない。その気持ちを無下にしないためにも、何も……。
――城や宴や、夜ふけて時。
忍ぶればこそや姫の恋。
――夜風が星屑から舞い降りて、
乙女の髪を揺らして囃す。
歌声が夜空に響き渡る。
エトナが目を瞑って歌い出したのだ。
ハイランダーの業火 第二楽章だ。
――夢見る乙女は、風に誓う。
――此度の戦乱、乗り越えん
すなわち我は結ばれよう。
この歌は、俺のことを歌っていた。
エトナの声が次第に弱々しくなり、いつしか寝息すら聞こえるようになった。だが、それでも透き通った歌声は俺の頭の中でいつまでも反芻された。
今はこうして寄り添っていよう。
なるべく多くのことは考えないようにして。




