Episode238 燻る戦火の残党
運命樹はレナンシーの力で鎮火した。
特大の水魔法を打ち上げ、雨を降らしてくれたおかげだ。
だが、アガスティアは酷い惨状である。
正確には数えきれないが、死者は住民の過半数に及ぶ。特に、運命樹の内部で暮らしていたエルフ族は八割ほどが死んだ。
そして大樹が横倒しになったとき、洞窟住居で暮らしていたドワーフ族もその下敷きになり、三割ほど死んでしまった。
――後で気づいたことだが、千年後の未来でエルフが極端に少なく、ドワーフもルクール大森林に生息していた種しか見かけなかったのも、この大災禍で種を減らしたせいかもしれない。
それに妖精王も死んだ……。
アガスティアという大樹が死滅したことで、そこに宿る精霊と契約していた妖精王も同時に消滅する運命だったらしい。
酷い話だ。
クレアティオ・エクシィーロは壊滅。
アザレア大戦で圧倒的に優勢だった妖精の国は、内部に潜んだ『身中の虫』に食い荒らされたというわけである。
その『虫』の所在を確かめる為、運命樹の内部を調べてきた。
さすがに他の仲間に行かせたくない。
内部の惨状は……多くは語るまい。
中はほとんどが焼け爛れていた。
かつての最上部と思われる場所まで隈なく調べたが、エンペドらしい姿は確認できず、この時代のケアの気配もなかった。
「どうでした?」
「……」
「やはりですか……」
運命樹から出てきた俺を出迎えたリアは、こっちの表情で察したのか、エンペドの不在を悟り、残念そうに目を伏せた。俺も大樹の中で大勢の死を目にし、精神的にも辛くて言葉が出ない。
「状況から判断して、羅針盤が使われたのは間違いないです」
リアが冷静にまとめた。
「サソリ型兵器の復活。マウナの失踪……因果の書き換えが行なわれたとしか考えられません」
そうだ。マウナがいなくなった。
街中を探したが、痕跡がない。
荷がなくなっているのだ。
羅針盤の力で別の場所にいたことになったと考えられる。
そっちも早く捜索しないと……。
エトナの時のように死なれてたら心が折れる。
エトナは、俺との『血の盟約』で神性魔力を共有し、羅針盤の影響を受けなくなったが、片割れのマウナはフリーのままなのだ。
この戦いは、麾下争奪戦と云えよう。
どれだけ多くの人間にエンペドの陰謀を伝え、味方に引き込めるかが鍵だ。
だから、これからやるべきことは二つ。
マウナを探して保護する。
戦力を整える。
そして、今度こそエンペドを捕まえる。
「ティターニア様……ああ、あぁああ!」
離れた場所から少女が悲鳴を上げた。
焼け焦げ、倒れた大樹を仰ぎながら嗚咽を漏らしていた。
シルフィード様だ。
大人の女性から少女の姿に変わっていた。
確か精霊力は、枯渇状態に陥ると全盛期の肉体を維持できずに幼くなるのだ。今のシルフィード様は精霊と契約を結んだばかりで"未熟"な状態なのだろう。
「うるせえ、ぎゃんぎゃん喚くなっ……!」
その嗚咽を疎ましがり、しかし本人も悔やむように注意するドワーフもいる。
グノーメ様である。
暴れるので近くの鉄柱に縄で縛りつけた。
グノーメ様も近くで悲しむ者を見ると、堪え難いのかもしれない。
この国の人々の心のケアが優先か。
でも、アザレア軍がこの隙にいつ攻めてくるか分からない。
王も死んで、棲家も奪われた。
彼らはアザレアに降伏するつもりなのか。
それとも最後まで抗い続けるだろうか。
ん、最後まで……?
そういえば何故、大勢死んだままなのか。
これでは絶望の声が集めにくい。
エンペドの目的と合致しない結果だ。
「羅針盤が使われたのに、なんで運命樹は焼け落ちたままなんだ?」
ふとした疑問をリアに尋ねた。
それに『エンペドがクレアティオ軍の軍師である』という事実が消されたとすれば、誰が大樹の内側から火を放ったことになる?
その事実ごと消えなければ不自然だ。
辻褄が合わない。
「エンペドは羅針盤の担い手ですから、本人が起こした事実は消えません。
……私たちと一緒ですね。
ティターニアも羅針盤の影響を受けないので、理由はどうあれ『妖精剣で運命樹を斬った』という事実は変わらないでしょう。私たちにとっても最悪の結果ですが、エンペドにとってもこの事態は"不測の痛手"でしょうね」
となると、これからリゾーマタ・ボルガによる過去改竄がどう行われようと、アガスティアの人々が生き返ることはないのか。
エンペドも獲り逃した。
妖精王が報われないじゃないか……。
○
その後、街の人の救助が終わった。
俺とエトナ、リア、レナンシー、シルフィード様の五人は合流し、何がどうなっているのかの推測も交えて現状を共有した。
縛られたグノーメ様も近くにいるが、すっかり大人しくなって項垂れている。
寝てるのか……?
気づけば夜も更けて周囲は真っ暗だ。
避難させた人たちは身を寄せ合って寝ている。
俺たちも寒いのは変わらないが、さっきの大火災もあって焚き火をしようという気も起きず、マントなど羽織って星空の下で座っていた。
「エンペドのことじゃ。こちらの動きがバレた以上、徹底的に標的をこちらに変えるだろうよ」
レナンシーが告げた。
それにリアが返答する。
「……では、軍備の整ったアザレア王国へと根城を変えた可能性が高いですか」
「そうとしか考えられまい」
リゾーマタ・ボルガなら何でもありだ。
エンペドがアザレアの参謀役に戻り、本来の歴史の筋書きになったのだろう。
「ちょっと待って。エンペドはこの国の軍師だったんでしょ? なんでそんな人をアザレア王国が迎え入れるわけ?」
エトナの発言に、この現象に慣れている俺たち三人は呆然とした。
ボルガ体験は初めてか? 力抜けよ。
――と言わんばかりだ。
「迎え入れたんじゃない。元からアザレアの軍師だったんだ」
「ええ?」
「それがリゾーマタ・ボルガの力だ。今までの事実を簡単にすり変える」
「うー、頭が混乱しそう」
俺も同じ気持ちだ。
リバーダ大陸に来てからというもの、こっちの認識と過去何日かの出来事がめちゃくちゃに引っ掻き回されて訳が分からない。
さすが『神の羅針盤』と言われるだけある。
その現象に気づける人物が少ない事も、余計に頭を混乱させた。
「あとマウナのことよ。――あの子は私なんかよりしっかり者だけど、一人で知らない土地にいたら不安に決まってる。もし変な人に捕まってたらどうしよう……」
「もちろんマウナも探しに行く」
言うは簡単だが、行き先に検討がつかない。
行き先……という言葉には語弊があるか。
マウナは"元からそこにいる"のだから。
「羅針盤のバタフライ効果に巻き込まれたなら、彼女もアザレア王国にいる可能性が高いです」
「なぜそう言える?」
リアが推測を挟んだ。
彼女は母親同様、頭の回転が早いから推測が十中八九当たる。
でもあまり信じたくない。
アザレア王国は現在、エンペドの庭だ。
其処にいれば、アガスティアと同じ運命を辿るかもしれない。
「私たちがリバーダに上陸して最初に立ち寄ったのがアザレア王国だからです。彼女が私たちと一緒にイリカイ川を渡ったのは、エンペドの居場所がこちらの国に移ったから――その動機がなくなれば、川を渡る必要もないですからね。そのままアザレアに滞留している可能性が高い」
ぐうの音も出ないほど正論だ。
因果関係は筋の通った状態に置き換わる。
突然、マウナがネーヴェ高原やバイラ火山へ転移していたら不自然だし、アザレアに居残っている可能性は高い。
「それなら、アザレアに引き返せばいいのね?」
「そう簡単にはいくまい。いまや妾らはクレアティオ・エクシィーロの残党じゃ。エンペドの指示でアザレア軍の攻撃の矛先も妾らに集中すれば、戦いは避けられんのじゃ」
レナンシーがエトナの言葉を遮った。
確かに多勢に無勢だが、戦力は十分だ。
イリカイ川では俺とリア、レナンシーの連携で敵陣を圧倒した。
懸念点を挙げるなら、エンペドが介入したアザレア軍の力が如何ほどか分からないこと。こちらに神の娘が加勢していると知られていること。
その程度だ。
だから、こっちが戦力が増やせば――。
「結局、アザレアと戦い続けないと戦争は終わらないのですね」
同調するように交わる視線。
俯きがちだったシルフィード様が呟いた。
その眼は泣き腫らしていた少女の物から、決意を固めた人のそれに変わっていた。幼くなっても、イリカイ川から見た凛々しい弓兵の姿と変わらない。
「シルフィードよ、其方……」
「私、決めました。ティターニア様の敵を討ちます……! 受け継いだこの力を無駄にはしません」
手の平で小さな竜巻を生み出してみせた。
小さくも猛り狂う暴風はシルフィード様の闘志を反映している。
戦力は四人。――否、五人か。
エトナもいる。
魔力は未知数だが、『Tout Le Monde』は敵戦力の攪乱に役立つ。
剣士が一人。弓兵が二人。魔術師が二人。
「これならエンペドに勝てるぞ」
此処に集いしは万夫不当の勇士たち。
五人でも、千のアザレア兵に勝るだろう。
「待ちな!」
残党で一国に挑もうと団結したところで、背後からドスの利いた声が響いた。
声の主はグノーメ様だ。
縛られたまま寝てたんじゃなかったのか。
「黙って聞いてりゃ、よそ者のくせに勝手に決めやがって……」
怒りに打ち震えている。
「テメェらが何者かなんて、あたしの知ったことじゃねえが……妖精王の……妖精王の弔い合戦を勝手におっ始めるのは許さねえ。
――これはあたしらの戦争だ」
グノーメ様はこういう人だ。
敵は自ら討たなきゃ気が済まない。
落とし前はしっかりつける。
でないと、彼女の漢気が許さないのだ。
後ろ手に縛られて無惨な姿だったが、それでも下から突き上げる鋭い視線は、それだけで人を射殺せるかと思えるほど恐い。
怖気づく事なく、シルフィード様が応答した。
「あ、仲間外れにされて寂しかったんですね」
「あぁ? 違えよ!」
「恥ずかしがる事ありません。素直に"一緒に戦いたい"って言えばいいんです」
「違うって言ってんだろが! つーかアンタ、エルフ隊の狙撃兵だろ? だいぶ見た目が変わっちまったじゃねぇか」
シルフィード様は尖った長耳をぴくぴくと動かして反応を示した。
あどけない顔立ちに冷淡な目。
大人版シルフィード様を知っている人が見たら不思議に違いない。
「はい。シルフィードです。そう言う貴方はドワーフ随一の無頼漢、グノーメですね。噂はかねがね伺ってます」
「アンタもな」
「この姿は精霊契約のせいですよ。身体が精霊力に順応するまではこのままだそうです。――ティターニア様とお揃いで嬉しいですけどね」
「精霊契約だと?」
グノーメ様は眉を顰めた。
「そいつは妖精王だけに許された王位特権じゃねえのか?」
「私もそう聞いてましたが、ティターニア様は私たちの為に秘密にしていただけみたいです。精霊との親和性があれば誰でもできるようですよ」
「なんで秘密にする必要がある?」
「代償が伴うから、と言ってました。精霊と契約を結べば不老不死になるから、それが辛いことなのだと……」
語れば語るほど、亡き王を思い出す。
シルフィード様も次第に口調が重くなった。
「ケッ……」
グノーメ様は吐き捨て、そっぽを向いた。
難しい顔して目を瞑っている。
――『不老不死』が辛いなんてアホか。
最初はそう考えているように見えた。
でも眉間に皺を寄せて深く考え込む仕草から、そうではないことがすぐ分かった。きっと「余計なお世話だ」と亡き王の恩情を噛みしめ、悔やんでいる。
闘志が湧き上がっているようにも見えた。
「あたしもやる」
「え? 何をですか?」
「精霊契約ってやつをだ。早く教えやがれ」
「本気ですか……」
「ああ。不老不死の辛さなんて、なってみなきゃわかんねえよ。だが、妖精王の弔い合戦に参戦するのにそれしかねえってんなら、あたしは迷わずやる。……やるしかねぇだろ」
やっぱり格好いいな、グノーメ様は。
この時代では単なる不良だと思ってたけど、根底は変わらないみたいだ。
これが『漢気』だ。
「あなたとの契約に精霊の方が応じるか分かりませんけどね」
シルフィード様が茶々を入れた。
こっちは相変わらず空気を読まない!
「それもやってみなきゃわかんねぇだろっ」
「ふふ、冗談ですよ。あなたが仲間に加わってくれたら百人力です。ティターニア様も……きっとそうしていたでしょう」
大丈夫。歴史が証明してくれている。
グノーメ様は優秀な賢者になるだろう。
俺も思春期の頃にはお世話になったんだ。
歴史……?
そういえば、これを機にシルフィード様やグノーメ様が賢者の道を歩むなら、俺自身もアザレア大戦と五人の賢者の物語に深く関わっていたのか。
此処での何気ない采配が未来を作る。
そう考えると時間旅行は怖ろしい。




