Episode233 運命樹アガスティア
もうすぐ夜明けだ。
砂漠では、朝日が昇ると盛り上がった斜面にくっきり明暗ができる。
日の当たる東側が光の世界。
日の当たらない西側が闇の世界。
そして俺たちが歩くのは、その境界線。
空は深い瑠璃色を黄金が染め上げる。
これだけ見ても幻想的な風景だ。
俺たちが進む方向は闇の世界。
西へ西へと砂漠を横断する。
その先に待つのは悪の化身エンペドだ。
「――なので仕方なかったのです」
そんな緊張感の中、パーティーメンバー内には気まずい空気が漂っていた。その発端となった事件を、俺は『血の盟約事件』と勝手に呼んでいるが、元はといえば俺が不覚を取って死にかけたのがいけないのだから、自業自得だった。
渦中の巫女は俺の背中で寝ている。
マウナ曰く、寝不足が原因らしい。
「わかってるよ」
「エトナもまだ一人前とは呼べませんし、契約相手との接し方も知らないのです」
「ほうほう」
「動揺しているのも察してあげてください」
「はいはい」
釈明にも似たリアの注釈を話半分に聞く。
「聞いてますか?」
「いや、あんまり」
リアは不服そうな顔を向けた。
態度が悪いと感じたのだろう。
でも文句は言ってこない。この件に関しては負い目を感じているのかもしれない。別に俺も怒ってないんだが……。
フォローを入れておく。
「だいたいのことは理解したからいいよ。俺のためにやってくれたんだ。怒るのはお門違いだろ」
顔色を窺われているような気がする。
そういう気遣いが厭なのだ。
「気にしてるのは、エトナが嫌々やったんじゃないかってことと、未来に帰ったとき、シアになんて弁解しようかなってことの二つだ」
「エトナは嫌そうじゃなかったです」
「それならいいよ」
「お母さんには…………言うんですか?」
言うんですかって。
黙っておけばいいと諭しているのか。
それは言語道断だ。
「言う。隠し事はしたくない」
「隠しておいた方がいいこともありますよ」
「娘のくせに冷たいんだな?」
「大人の対応というやつです」
「ダメだ。正直に話す。シアなら分かってくれる」
「どうですかね~」
リアがニヤりと笑った。
そこはフォローしてくれないのかよ。
家族で過ごす夢が遠ざかるかもしれないっていうのに。――いや、単に俺が齷齪してる姿を見るのが楽しみなだけだろうか。
とことん性格悪いなぁ。
シアに似ていると云えば似ているけど。
「皆さん、見えました。クレアティオ・エクシィーロの都アガスティアです」
先導するシルフィード様が遠くを指差した。
朝焼けに染まった砂漠のど真ん中で、オアシスのような湖が目に飛び込み、その周辺を青々とした木々が覆っている。
さらに地上の切り立った岩々には洞窟住居が広がっていた。それらの入り組んだ都市は迷宮都市アザリーグラードを彷彿とさせた。――だが、一点だけ彼の迷宮都市とは大きく異なるものがある。
「でかっ!」
「あれが運命樹アガスティアです。我々エルフ族はあの大木の中で暮らし、ドワーフ族は地上の洞窟住居で暮らしているんですよ」
聳え立つ大木にはエルフ族。
地上から盛り上がった岩石に掘られた洞窟住居にはドワーフ族。
一応、棲み分けがされているのか。
それにしても運命樹が大きい。
アザレア城をも超えている。
太々と伸びる枝からは、これでもかというほどに葉も茂り、まるで傘のようだ。
未来では痕跡さえ残されていないが、クレアティオ・エクシィーロのシンボルと云ってもいいほどに存在感を示している。
――アガスティア。
魔法大学の図書館で見かけた本に書かれていた気がする。
○
夜明けとともにアガスティアに着いた。
敵襲を警戒したが、シルフィード様の助言通り、夜中は軍も動いていない。
遠くから全景が望めた都市だが、中に入れば迷子になってしまいそう。地上の入り組んだ洞窟住居が視界を塞ぎ、自分たちが何処にいるか分からなくなる。
俺たちには現地人の案内があるからその心配はなさそうだが――。
アガスティア内を誘導されている最中。
エトナが目を覚ました。
寝惚けているのか、寝言と一緒にびくりと体を動かした。
「――鎮魂歌!? ……ふぇ、あれ?」
「大丈夫か?」
一体どんな夢を見てたんだろう。
"鎮魂歌"ってなかなか夢でも聞かないぞ。
「ジェイク……。あ、私また……」
肩越しに視線がぶつかる。
寝言のこととその他諸々のことを恥じているようでエトナは顔を引っ込めた。残念ながら、その遮蔽物も俺自身の背中なのだけど。
「エトナが眠りこけてる間に都市に着いたよ」
「そ、そう……。ごめんなさいね。いつも私ばかりお荷物になって……」
「何言ってんだ。あっちの大陸では俺の方がお荷物だったんだから。お互い様だ」
未来での経験の直後で疲弊しきった俺を癒してくれたのはエトナに他ならない。
それに今回も命を助けてくれた。
足手まといなんて、以ての外だ。
「そりゃ、あんな経験したら誰だって……」
エトナの声はくぐもって聞こえなかった。
でも俺に譲歩した言葉なのは明白だ。
どっちにも非はないんだから、これ以上気まずい関係になるのは間違っている。それに俺はこの時代に辿り着いたとき、この子の命令に従うことに心地良ささえ感じていた。
今の『血の盟約』を結んだ関係も、それの延長線上だと思えば、すんなり受け入れられる。
「今は主従関係みたいなものだろ? 召使いが主人の"足"になることもあるだろう」
「む~~……!」
「背中の寝心地はどうでした? お嬢さん」
敢えて茶化すように聞いてみる。
そんな改まった敬語で察したのか、エトナもいつもの調子を取り戻し始めた。
ぽかぽかと俺の背中を叩いて反論した。
「バカバカ! …………うん。まぁでも悪くなかったわ。良い夢も見れたし」
えっへんと偉ぶるエトナを見て安心した。
それは何よりだ、と肩を竦めてみせる。
これで少しは普段通りに戻れただろうか。
キスのことはお互い様。チャラだ。
それにしても良い夢……?
結局、「鎮魂歌!?」の意味は訊こうにも訊けなかったが、寝言的に良い夢とは思えない。
何が良かったんだろう。
○
妖精王ティターニアという人物に会いに来たわけだが、運命樹の麓まで来て関門にぶち当たった。そもそも中に入れるのはエルフ族だけらしい。
大きく隆起した根っこの入り口に門番がいて、その男たちに止められた。
青や緑の長髪を靡かせた美丈夫揃いだ。
「誰だ、お前は?」
「え、え……? 私ですよ、私。クレアティオ軍最恐の『魔弾の射手』と謳われ(てい)た(はずの)シルフィードですけど」
おまけにシルフィード様も立ち往生。
市民としても認められなかったらしく門番に止められた。
頭からつま先まで見られてから、
「知らんな」
――と、一蹴される始末。
これには相当シルフィード様もショックを受けたらしく、口をぱくぱく開いて白目を剥きそうになっていた。
「そ、そんなっ! 何かの間違いでは」
「何を言うか。我らが運命樹の住民と言うのなら今まで何処で過ごしていた? ここ何日かでお前のような者は見たことがない。勿論、ドワーフの市井でもな」
「が、ががーん!」
その場で項垂れてシルフィード様は「やはり戦力外……戦力外通告なのですか……」とぶつぶつ呟いていた。
「軍人ならば戦場はどうした? 今はアザレアと戦争中だろうが。まさか田舎者の脱走兵か?」
「ち、違います。ここから数里離れた砂漠で暮らしてました」
「何故そんな辺境に?」
「それが私もよく分からなくてですね……」
門番の男は、話にならんなと首を振った。
シルフィード様は涙目だ。
故郷に帰ることも叶わず、俺たちの期待にも応えられず、二進も三進も行かない状態でしどろもどろになり、最後には膝をついて泣き出した。
打たれ弱いな!
「待たれよ。早計に失するでない」
「アンダイン……私やっぱりダメよ……」
「此奴は本当にどうしようもないのう」
一肌脱ごうとレナンシーが前に出た。
文字通り、脱ぐつもりなのかレナンシーは衣服の片袖を捲り、門番の男二人も動揺を示す。
まさか色仕掛けを――。
と思ったら袖から書簡を一通出しただけだ。
「我らを通せぬと云うのなら、これを妖精王の許へ届けよ」
「なんだ、貴様は」
「妾は神代の皇女にして魔族の長レナンシー。其方らの王とも七百年来の付き合いじゃ」
「七百……!?」
エルフ族でも驚くほどの途方もない年月。
「さすがのティターニアも妾の名を知らぬ存ぜぬとはいくまいよ。きっと我らを通してくれよう」
エルフの門番のうち、一人が訝しげに書簡を携えて運命樹の中に入っていった。
手紙くらいなら渡してくれるんだ。
初対面では年の功を感じなかったけど、レナンシーは八百年以上生きてるのだ。
人間族の俺たちが矮小な存在に思える。
妖精王からの返答を待つ間。
俺たちは地上で適当に時間を潰した。
落ち込むシルフィード様を励ますマウナ。
妖精王との謁見時にこの状況をどう伝えるか、今後の方針を相談するリアとレナンシー。……行動指揮官はほぼこの二人になっている。
俺は戦いに備え、魔力剣の精度を確かめた。
――この大木の上には古代版エンペド・リッジがいるはずだ。
もう目と鼻の先である。
何があるか分からないし、いつ戦闘になってもいいように準備だけはしっかりしよう。最近、何かと油断してパーティーの足を引っ張っているのは俺な気がする。
エトナも俺と少し距離を空けて、魔法の調子を確かめていた。
手を翳して魔法を放っている。
焦ったように必死に火球を出している。
だが様子がおかしい。
放たれた魔法がすぐ掻き消えている。
「どうした、エトナ?」
「なんか調子が悪いわね」
攻撃系魔法として火を放とうしているようだが、ぶわっと小さく燃え上がった直後、すぐに消えてしまう。
「寝不足が祟って魔力がないんじゃ?」
「いいえ。魔力自体は潤沢――というか、今までに無いくらいに有り余ってる感覚はあるのだけど、魔法がうまく使えなくて……」
なぜだ。
山岳遠征のとき、エトナの火魔法は凄く役に立ったし、純粋な基本魔法を使い手はこの時代で大きくアドバンテージだ。
それが不調というのは些か問題だ。
でも魔法が突然使えなくなるというのは未来でもよくある話だ。心の問題かもしれないし、あまり神経質に考えさせない方がいいだろう。
「まぁそんなこともあるさ。俺なんて魔法はいつも不調だらけだし」
「でもこんなこと初めてよ」
「あんまり気にしない方がいいって」
「うーん……」
エトナは納得いかない様子だ。
ただでさえ本人が「お荷物だ」と言って最近の自分の有り様を気にしていた。
気が抜けない状況では特にパーティーの士気が大事だ。
今はそっとした方がいいかもしれない。
…
妖精王からの返答があった。
お天道様も高く昇っている。昼が近いのだ。
それだけ時間がかかって有った返答は、ご丁寧にも手紙だった。
門番のエルフが声を掛けて渡してくれた。
でも、圧倒的に文章が短い。
==============
神代の皇女よ。
久しいな。
また我の顔に泥水を掛けにきたか。
今は貴様の遊び相手をしている暇はない。
二度と来るな。
そして地の果てで朽ちろ。
蒸発しろ。おっぱい萎め。
追伸
シルフィードなぞ知らん。おっぱい萎め
妖精王ティターニア☆
==============
これは酷い……。
会えないというよりも私怨で会いたくなさそうな雰囲気だ。
後半なんか、ただの暴言だ。
遊び相手をしている暇がないくせに署名のところに遊び心を感じるぞ。
「あのボンクラめ、この地に干天の慈雨を与えたのは妾ぞ。その恩も忘れおって!」
「ティターニアって本当に王なのか?」
こっちは真剣な話に来たのに。
おっぱい萎めはさすがに頭おかしいとしか。
「彼奴は早くから精霊に昇華して以来、色々と成長が乏しくてのう」
「そんな話は聞いてないが……」
精霊ってことは、未来の五大賢者と同様に魔力ではなく『精霊力』で生きているってことだろう。
それだけでビジュアルは容易に想像つく。
要するに幼女なのだ。
それよりもこの返答を見て一番ショックを受けている人物が、リアに何かを懇願している方がよっぽど問題だった。
「リアさん、エマグリ草をください」
「え……駄目ですよ」
「あれを吸うと気持ちよくなるんです! お願いします!」
「飛んじゃいますよ、精神的に」
「いいんです! お願いします」
尊王に忘れられ、限界を迎えたようだ。
このままではシルフィード様が精神的に病んでハーブ中毒になってしまう。
それはマズい。
「シルフィードよ。妖精王はおそらく其方を覚えておるようじゃ」
「でも、ここには"知らん"って……」
「おっぱい萎めと書いてあろう。其方のバストサイズを知ってるということよ」
「あぁ、本当ね! おっぱいがあって良かったぁ」
「しかし、何故こんな突き放した言い方を……」
その発言を間近で聞いたリアが不機嫌そうな顔をしていた。
彼女はこの場で唯一の貧乳だ。
それは母親譲りだ。諦めろ。
「ジェイクもいるんだから変な方向に話を持ってかないでよ。そんなことよりも妖精王が会ってくれないなら手詰まりじゃない。どうするのよ」
エトナが口を挟む。
そもそも、俺やメルヒェン姉妹はこの二人の会話にいつも引いているのだが、人間族とそれ以外の種では貞操観念も違うのだろうか。
あるいは、それも年の功か。
「うーむ」
指揮官のリアとレナンシーが悩む。
俺も目的を整理してみる。
今はエンペドがクレアティオ・エクシィーロの首都アガスティアの中枢に居る。奴を止めることがアザレア大戦を終わらせることに繋がる。
その結果、リゾーマタ・ボルガも手に入る。
そのためには……。
やはり妖精王に何としてでも会わないと。
例えば、俺たちが勝手に乗り込んでエンペドから羅針盤を強奪した場合、悪者はこっちになる。エンペドが元凶なのだということを全員に知らしめないと戦火も広がるだろう。
「拉致しかあるまい」
「拉致? 誰を……?」
「妖精王を拉致して無理にでも話すのじゃ」
「ええ!?」
――王を拉致。
ティターニアを誘拐し、事情を伝える。
可能ならばそれが一番手っ取り早い。
中々に名案だ。
でも……その選択も悪者のようではある。
『アガスティア』というワード自体は「Episode148 イザヤの受難Ⅰ」にて図書館の本のタイトルに登場していますが、あまり気にしなくて大丈夫です。




