Episode232 呪いのお札
「木札? なにそれ?」
「やっぱり知らないのか……」
すぐマウナに声をかけて尋ねたところ、アザレア王国の入国手続きのことは覚えていなかった。木札そのものを見せるも身に覚えがないと云う。
やはりエンペドの策略だ。
推測だが、奴がクレアティオ・エクシィーロに向かう前、既に『神の羅針盤』の性能は想定していたのだろう。
"例外的に羅針盤の影響受けない者が現れるかもしれない"
――という仮説。
それが脅威になったとき、すぐ特定できるよう、入国手続き制を導入したんだ。
オルドリッジ家の系譜の原典であるエンペドは念には念を入れる性格だ。女神の力を授かった存在は自分だけではない可能性を考えたに違いない。
奴が思いつきそうなことだ。
「燃やそう!」
「燃やしましょう!」
リアと顔を見合わせて木札を捨てる。
砂漠に穴を掘ってそこに投げ入れた。
「マウナ、炎魔法だ!」
「え、燃やしちゃうの!?」
「燃やす!」
マウナは突然のことで困惑している。
勿体なさそうに穴に投げ入れられた木の板二枚を眺めている。
「旅の途中で焚き木にした方がよくない?」
「一理あるが、これは呪いの札だ! すぐに手放した方が厄も払える」
「厄払いのため?」
「そうだ」
エンペドの狙いの真偽は定かではないが、どういう意図であれ、木札など持っていて良い事はないだろう。危険因子はすぐに捨てるべきだ。
意志を固めたのか、マウナが穴に手を翳した。
しかし、はっとなって手が止まる。
まだ躊躇いがあるのか。
マウナは後ろを振り向き、シルフィード様の家に声をかけた。
「お姉ちゃん。厄払いするって!」
なんだ。単なる姉に対する気遣いか。
二階の小さな窓からエトナが顔を覗かせた。
だが一目だけ見てすぐ引っ込んでしまう。
「わ、私は大丈夫だからっ」
後から声だけ届いた。
人見知りが加速してしまっている。
一体、エトナはどうしてしまったのだろう。
普段の彼女らしくない。
「ジェイクさんと会うのが恥ずかしいのかな」
「恥ずかしい? なんで?」
「だって血の盟約で――」
「わぁああああああ!」
マウナが何か言いかけた直後、リアが慌てて口を塞いだ。
なんだ。何があったんだ。
ひた隠しにされたら余計気になる。
リアを見ても目線を逸らすだけで「知りません」って顔してやがる。この際、エトナ本人に聞いた方が早いかもしれない。
リアはマウナの口を塞いだ手に、重ねるように人差し指を一本立てた。
暗に「口外無用です」と示しているようだ。
マウナはこくこくと頷いて解放された。
取り繕うように続けた。
「……まぁ、魔法で契約なんて結んだら誰でも恥ずかしいから」
「そんなものか?」
「そうだよ。『私たちずっと友達だよ』って公言してるようなものだし」
「それは確かに恥ずかしいな」
「ねっ!」
なるほど。
一歩踏み込んだ関係になってしまったが故に、余計に会うことに煩わしさを感じているという事か。
なんとなく分かる気がする。
でもそれは今後の為にも良くない。
ちゃんと腹を割って話をしよう。
その後、木札は無事に焼却させた。
途中、燃え盛る木札から出た煙をリアが煽ぎ、体に浴びせるようにしていた。何をしているか尋ねたところ、アルフレッドから教わった極東の作法を実践してお祓いの効力を高めているらしい。
なんで呪いのアイテムを燃やした煙をわざわざ、また浴びるのだろう。
呪いが舞い戻るじゃないか。
何かを間違えて教わってる気がする。
○
火遊びで燥いだところで――否、呪いの札も処分したところで家に戻った。
シルフィード様が復活していた。
アンダインと膝を突き合わせて相談している最中のようだ。さっきの陳述書の情報照会も済んだようで、昨日から未だにリゾーマタ・ボルガの因果改竄が発動していないことも確認できた。
しっかり背筋を凛と伸ばしている。
正気に戻ったようだ。
その方がシルフィード様らしい。
「先ほどはお見苦しい姿を見せましたね」
「いえ、お気になさらず……」
実を言うと、すごく気にしている。
心に闇を抱えた人は隙が出来やすい。
イルケミーネ先生がそうだった。
先生も心の隙を突かれて黒魔力の闇に引き込まれてしまった。
この時代に闇魔法や黒魔力なんて新種も存在してないけど、それを差し引いてもエンペドや女神ケアのような、ヒトを謀ることを専売特許にしてる『悪役』には付け入られやすい。
「……して、昨夜の続きじゃが、其方らも国を掻き乱されぬ内に小童を追い出した方が良いぞえ?」
「それもそうだけど、私一人でどうにかなる問題ではないわ。妖精王に事実を伝えないと、と考えています」
「妖精王!?」
仰々しい肩書きの人が出てきた。
妖精王。そんな人がいるんだ。
――現在クレアティオ軍を統べる最高指揮官エンペド・リッジは大戦を企てた黒幕であり、元はアザレア王国側の軍師だった男。
王政国家なら王への進言あって当然か。
この国の国王陛下かな。
「ふむ。妖精王ティターニアか。あのボンクラが頼りになるとは思えぬが……」
「なんてことを言うの、アンダイン。妖精王はクレアティオ・エクシィーロの創造主です。その名の通り『虚無からの創造』を成し遂げた御方ですよ。ボンクラとは失礼極まりない」
「おぬしにはそう見えても妾には――」
外野が置いてけぼりで話が進む。
俺にとってはシルフィード様こそ、賢者の中の賢者(というイメージがまだ残っている人)なのだが、古代においては、そのさらに上がいるようだ。
――妖精王ティターニア。
クレアティオ・エクシィーロの王の名か。
『虚無からの創造』とは建国時の話だろう。
この国の名前の由来もそれか。
「妖精王にはすぐお会いできますか?」
リアがシルフィード様に尋ねる。
「あの御方は氏族の進言にはどんな些細なことでも耳を傾けるお方です。ましてや、兵役経験もある私の言葉なら必ず聞いて頂けます」
「ふむ。羅針盤がいつまた猛威を振るうか分かりませんし。そういうことなら、すぐ妖精王の許へ向かいましょう」
最後にリアがそう囃し立てた。
リゾーマタ・ボルガは確かに危険だ。
対物の殺傷兵器ではなく、因果を書き換えてしまう現象魔法の実現器。突然、誰かが死んでいたり、敵に回っていたりする危険な魔道具だ。
悠長に遊んでいる暇はない。
シルフィード様の縁故でエンペドの所まで急接近できる。
さっきまで火遊びしていた俺たちが何を言うかという話だが、アレは遊びじゃなくて祈願の類い。
決して遊んでいた訳じゃない。
……決して。
◇
はぁ……。
ジェイクと話をするどころか、まともに目も合わせられないままだ。
私自身、早く踏ん切りつけたい。
その為にも彼が意識を取り戻さないうちに部屋へ忍び込み、看病していただけの女を演じるつもりだった。そうすれば『血の盟約』を交わしたのも人命救助であって重く受け止めることじゃないとジェイクに伝えることができ、私自身もそう自己暗示して平静を取り戻せる筈だった。
――だというのに彼、目覚め早すぎでしょ。
向かった頃には既に起きていた。
不意を突かれて思わず逃げ出しちゃったし、完全に『普段通り』を取り戻すタイミングを逃してしまった。
嫌われる心配もしていた。
寝込みを襲って勝手に唇を奪った。
聞くは悪いが、事実、そうなのだ。
魔性の女と揶揄されても仕方ない……。
それもあって早く元の関係に戻りたい。
でも昼間はジェイクとリア先生はマウナと火遊びを楽しんでいて声がかけづらかったし、そのまま全員で作戦会議に入っちゃうし、緊急事態だからクレアティオ・エクシィーロに向けて深夜には出発することになっちゃったし……。
目まぐるしくて隙がない。
それだけ今が危険な状況というのは分かるけど、落ち着いてジェイクと話す時間が欲しい。
どうしよう。気まずいままは嫌だ。
夜の出発の理由は安全確保のためだ。
どうやら巨大蠍の機械が暴れているのは昼間が主で、夜は操縦士が休息を取っているようだ。
そんな理由から、私たちは夕方から寝て、深夜には装備を整えて出発する手筈だった。
しかし私は一睡も出来ず終い。
眠気は少し感じていた。
でも、また"あの夢"を見てしまう気がした。
夢とは、変な闘技場の夢。
あれはジェイクが体験したことなんだ。
きっと『血の盟約』によって共有されたモノ。
「夜の砂漠ってなんで寒いんだろ?」
「大気の熱が逃げやすいからでしょう」
「へぇ~、リアは本当に物知りなんだな」
巨大な満月が明かりを落とす。
前を往くジェイクは無垢な子どものよう。
リア先生の知識を素直に聞いて感嘆符を浮かべている。
とてもあんな経験をしてきたとは思えない。
あんな……。
"闘技場に響き渡る罵声――"
"死ね。失せろ。と喚く群衆"
"誰も庇う人もいないまま糾弾される"
思い出しただけでも頭が痛い。
私だったらどう思うだろう。
きっと耐えられない……。ジェイクは昔からあんな酷い仕打ちに遭ってきたのだろうか。だから人の心に敏感なのだろうか。あんな場面に慣れているのなら、それは悲しいことだ。
「ん?」
「はぅ……っ」
「どうした、エトナ?」
背中を凝視していたのがバレた。
彼は勘が良いからすぐ気づかれてしまう。
「な、何でもないわ。前を見て歩きなさいっ」
「……」
ジェイクは黙って前に向き直る。
「ぁ――」
今のはチャンスだったかもしれない。
ジェイクと普段通りに戻るキッカケになったかもしれない。
なのに、また突っ慳貪な態度を取っちゃった。
無言でそっぽ向かれたけど嫌われたかしら。
本当に馬鹿だわ、私。
「いや、でも」
ジェイクが突然くるりと振り返った。
立ち止まるジェイクと、固まる私。
緊張して背筋が張る。
私とジェイクを置いて、他の面々はどんどん先へ進んでいく。……アレは気を利かせているのだろうか。マウナなんか私たちをチラ見して面白がるように笑うと駆け足で離れてしまった。
そんなことより――。
目の前には昨日キスをしてしまった相手。
真顔で見られて身動きが取れない。
顔の火照りは気づかれているかしら。
……残酷にも満月が煌々と私たちを照らす。
「エトナ」
「な、なにかしら」
「俺はどんなことがあっても変わらないから」
ん、んんん!?
今のはどういう意味だろう。
言葉が飛躍しすぎていて訳が分からない。
どんなことがあっても?
どんなって……血の盟約のことかしら。
変わらない?
変わらないって何が変わらないのよ。
固まったまま言葉が出てこない私を気遣ってくれたのか、ジェイクが続けた。
「エトナが助けてくれたんだから感謝してる。血の盟約のことも聞いた。俺のために……その、ありがとう」
「ぁ、ぁぁ……」
ひぃー!
血の盟約のこと、聞いたんだ。
私が何をしたか既に知っている?
そんな……。誰が喋ったのだろう。
リア先生か。マウナだろうか。
――眩暈がする。私の頭はもう限界だ。
ずるい。この人はずる過ぎる。
惚れてしまった私の負けなのか。
仕方ない。こんな無垢で優しくて強い人と長らく行動を共にしていたら好きになるに決まっている。妻子持ちと知ってもやはり好きなのだ。
――落ち着け、私。
昨日、私が何をしたか、ジェイクは知っている。
それなら、もう怖れることはない。
尚も彼は「ありがとう」と言ってくれた。
そういうことなら少なくとも嫌われた訳ではないということよね。
大丈夫。ジェイクは向き合ってくれている。
落ち着け。
今更おどおどしても恥ずかしいだけじゃない。
それならいっそのこと、笑って軽く流せるくらいの度胸を見せた方がジェイクも重く受け止めずに元通りになれる。
一呼吸。いや、深呼吸して迎え打つ。
「ま、まぁ……礼には及ばないわ。一応、そう……一応ね。私も初めてのキ……キスだったから、緊張したけど? でも『血の盟約』が成立して良かったわ……。ジェイクが元気になって私も嬉しいし? その、気にせずこれからも――」
――よろしく頼むわ。
と目一杯、明るく言ってみせようと努力したつもりなのだけど……。
ジェイクは怪訝な表情を浮かべている。
眉間に皺を寄せて動揺している。
何か変なことを言ったのかしら、私。
違う。ジェイクは困惑している。
初めて聞いた情報に戸惑っている。
嘘。うそうそうそ。
もしかして。
「キス?」
「……」
「キスしたのか。俺と、エトナが……」
自分の失態を呪った。
余計なことまで喋ってしまった。
ジェイクは知らなかったんだ。
眩む視界と廻る砂漠の地。
どうやら私は限界を迎えたらしい。
「だ、大丈夫か、エトナ!? 皆ー!」
最後に聞いたのは救援を呼ぶ彼の声。
私の体を支えた彼の手は、以前と変わらぬ優しさに満ち溢れていて、私はそれに安堵するとともに、ようやく寝つくことが出来た。
◆
また、夢を見た。
広い会場。パーティーホールか何かか。
座席が均一に並べられている。
劇場と言った方が正しいかもしれない。
ステージがあり、その奥に楽器がたくさん並んでいる。
鍵盤楽器から伸びるパイプが畦り暴れていた。
――ほらほらほら、逃げてばかりじゃいつまでも続くよ!
『え……私……?』
<私>は戦っていた。
対戦相手はどうやら私によく似た人だ。
大きな銃砲を向けて<私>を殺そうとする。
私に似た人は、戦いながら詩を歌い始めた。
悲しげな、それでいて穏やかな音色と歌声。
歌い終わると同時に世界が歪つに曲がり、突然にも周囲を一面の雪景色へと変えた。
そこに<私>は放り込まれた。
――歌も魔法詠唱と変わらない。
想いを込めれば、
それは魔法へとかたちを変える。
雪原の中の私は<私>を見下し、告げた。
――これが私に与えられた奇跡の力。
紡いだ物語で、無数の世界を作り出す
**********さ。
その心象風景が答えだった。
これが奇跡の力。
私が求めた『詠唱』の力だ。
血の盟約はズッ友宣言に近いのかもしれません。
※次回更新は2017/2/4~5の土日です。
来週の更新は私用のためお休みさせて頂きます。




