Episode231 怪しい草
目が覚めると、胸に違和感があった。
なんだろう……。
手のひらで触れて確かめる。
「あ――」
あるべき装備がなくなっていた。
その代わりに胸の中心が爆発したような痣が出来ている。
口も乾いてうまく声も出てこない。
しばらく呆然として、次第に見知らぬ部屋にいることに気づいた。
薄暗い一室。壁は砂色でヒビもある。
朝か昼か分からないが、太陽の光は差し込んでいるから夜ではないのだろう。でも日除け目的なのか、あまり開放的じゃなくて薄暗い。
乾き切った土倉のような有り様だ。
一体、何処の誰の家だろう。
そういえば俺は戦闘中に倒れたのだった。
蠍の形をした機械に襲われて、胸を抉られ……あの指環が剥ぎ取られた。そして、いつぞやも体験した、体を内側から蝕まれる感覚に襲われ、長いこともがき苦しんでいた気がする。
しかし、今はこの通り平気だ。
何があったのか皆目見当もつかない。
……実を言うと、メドナさんとの再会をちょっとだけ期待していた。
前回も、同じ現象の後にお呼ばれした。
冥界に時間の概念があるか分からないが、エンペドの生い立ちを一緒に眺めたときのように、今の俺のことも何処かで見守ってるような気がする。
あの人ならひょっこり現れて「見てたよ。さぁ、攻略のヒントはこれだよ」と軽くアドバイスしてきそうなもんだと思っているんだけど。
廊下から床が軋む音が聞こえた。
誰かがこの部屋に近づいている。
勘繰る間もなく、部屋の木戸はゆっくりと開けられて、ぎぃと音が鳴った。
――エトナが顔を覗かせた。
直前まで思い浮かべていた人と同じ顔の女の子が現われて、一人で笑ってしまいそうになった。
「えっ」
「ん?」
目が合い、俺が起きていると気づいたエトナが驚いた声を上げた。
「おはよう……で合ってるのか?」
「……っ!」
エトナは慌てて戸を閉め、逃げるように何処かへ行ってしまった。もしかして、俺がこの部屋で寝ていたことを知らなくて驚いたのかな。
それでも逃げることはないだろうに……。
エトナが何しに来たか分からないまま、次の来客が訪れた。リアだ。様子を見に来たというよりも、ちゃんと話があって来たという態度から、エトナから俺が目覚めたことを聞いたのだろう。
「ジェイクさん、おはようございます」
「おはよう? 今は朝か」
「はい。まだ早朝です。ちなみにジェイクさんが意識を失ってから一晩明けただけなので、どうかご安心ください」
「そうか。それはよかった」
リアは求める情報を口に出さずとも教えてくれる。読心術のように。
リピカから訓練を受けたのだろう。
矢継ぎ早に俺が戦闘不能になってから今までの経緯も教えてくれた。
レナンシーが巨大蠍の相手を引き受けてくれて戦線離脱できた事。
クレアティオ都市部に着けず、夜の砂嵐から逃れる為に家を間借りした事。
俺を助けたときの事も――。
「血の盟約?」
「エトナとの『血の盟約』によって事なきを得ました。今の二人は色んな意味で繋がってます」
「……」
血の盟約って、まだ古代に不時着して間もない頃にマウナからせがまれた専属契約の魔法だ。
言われるままに腹部を確認したら、象形文字のような模様の魔法陣が赤く刻まれていた。だだでさえ女神の眷属の紋様もびっしり刻まれているのに、上書きするように魔法陣も追記されてしまった。
タトゥーだらけで柄の悪さに拍車がかかる。
まぁ、命には代えられないからな……。
あとでエトナにはお礼を言っておこう。
さっき顔を出したのも俺の様子が気になったということだろうか。
でも、それなら尚更逃げた理由が謎だ。
「そのエトナにはさっき逃げられたぞ」
「逃げられた?」
「目が合った瞬間にドタバタっと……」
「彼女は見た目以上に初心なのです」
今頃になって人見知り?
それとも気まずいことでもあるのか。
まぁいい……。俺の方は何も変わらない。
変わらないどころか、指環の弱点も克服されたのだからパワーアップだ。そう思って左手の指に嵌められた指環を外そうとした刹那――。
ぶわりと内側が爆ぜる感覚。
視界が大きく分裂する。
また内側と外側が乖離した。
「……っ!」
慌てて指環を指へ押し込んで嵌め直した。
すると元通りになる。
リアと顔を見合わせて硬直し、納得できない状況とエトナとの血の盟約の意味について黙考する。
「もしかしたら、どちらか一方が欠けても駄目なのかもしれません」
リアの方が頭の回転が速い。
いつものように仮説を立てた。
「魂を封じ込める『指環』と、魂を繋ぎ止める『血の盟約』の二本柱で今のジェイクさんが在るのだとしたら、両方必要だ、ということです」
「なんだそれ……。今まで指環の力だけで何ともなかったのに変な話だな」
「例えば、あの蠍の砲弾が直撃したことで指環の方が壊れかけているとか、胸に埋め込まれていたものが剥離して表面的に指に嵌めているだけだから効力が弱いとか、エトナとの血の盟約もそれを補う効果しか得られていないとか、色々要因は考えられます」
そんな――。
パワーアップどころか、パワーダウンからの微妙に回復して結果的にパワーダウンなのか。
そういえば元々『Presence Recircular』は二つで一つの魔道具だった。その片割れは既に壊れてしまっているから、手元に残ったコレも老朽化で壊れかけていても不思議じゃない。
爆弾を抱えている状態じゃないか。
代えが利く物でもないし……。
「いずれにせよ、以前より魂が不安定な状態にあると考えた方がよさそうです」
幽体離脱体質、という認識でいいのか。
酷い話だ……。
最初は不老不死とか人外的な力とかのメリットばかり感じていたが、半魔造体ってリスクの方が大きい気がしてきた。
○
指環なんてサイズがぴったりなら早々外れるものじゃないと思うけど、今までめり込んでいた物が"外側"にあると不安なものだ。
せめて不注意や戦闘時に外れないよう、指にがっちり固定したい。
何なら、焼き鏝か何かで無理矢理にでも身体のどこかに打ち込んだ方がいいのではなかろうか。しかし、そうすると指環そのものが耐えられなくて壊れる危険性がある。
怖ろしい……。
落ち着かずに部屋を出て家の探索。
誰ともすれ違うことなく一階の居間のようなところに着いたのだが、階段に降りた先、
「……?」
卓テーブルに突っ伏して誰かが寝ている。
寝てるというか、死んでると言っても過言ではないほど力なく項垂れていた。
蓬色の長い髪もテーブルから床へ垂れている。
このシルエットは……。
近づいて確かめる。
裏側に回って横顔を確認すると、驚きのあまりに言葉を失った。
「シルフィード様?」
俺の認識ではこの時代のシルフィード様は敵将だったし、リアの放つ『魔砲銃』で撃ち殺した筈である。
その人物が幸せそうに涎さえ垂らしている。
純血のエルフだからというのもあるのだが、おそらくこの人はその中でも随一を誇るほど美形と云える。しかし、あまりに無防備すぎて見てはいけないものを見ている気がした。
寝間着姿なのか、薄手のネグリジェのようなものを着ていて、垂れ下がる髪がテーブルから零したお茶に濡れてペタペタになっていた。
そう。テーブル上のカップが突き出されたシルフィード様の腕で倒れたままだ。
まるで死体現場のようである。
「あ、あの、すみませーん。シルフィード様? ……だよな?」
白い頬をぺちぺちと叩いた。
しばらく返事がなくて本当に死んでいるのか心配になって頬を抓ることにした。
この人が家主なのか……。
どういう因果かさっぱり分からないが、ここに匿われている以上は今は味方という認識で間違いなさそうだ。
「起きてください。シルフィード様」
「ふへ?」
間抜けた声をあげ、美女が顔を少しあげた。
目が合う。死んだ魚の目をしている。
「ふへ、ふへへへ、ふひひひ」
「ん!?」
笑い声がおかしい。
目の焦点もあってない。俺の知っている高潔なシルフィード様じゃない!
誰だ、この人!
「ふぉぅせ……わぁしはふぇんりょくぁいですよーだ。えへへ……げへ、ひひひ」
待って。なんか色々とやばい。
垂れ流した涎を拭こうともせずに、シルフィード様はまた組んだ腕に顔を埋めて笑い始めた。
これが賢者化する前の彼女の人格?
ただの変人じゃねぇかっ!
――いやいや、そんなはずはない。
イリカイ川の戦いでは冷徹な眼差しで戦況を見、疾風の魔弾を放ってアザレア兵を翻弄していた。これは普段のシルフィード様じゃないと考えた方が妥当だろう。
冷静に犯行現場を確認する。
おかしいといえば、カップから零れたお茶と陶器のポットがあるくらいだ。
お茶……?
そこまで考えたところで検視班が一人加わった。
「ジェイクさん、一つ伝え忘れていましたが、この家に匿ってくれた人は――」
リアが階段から駆け下りてきた。
「って、あああああっ!」
検視班が現場を見てすぐ手掛かりを特定する。
「そのハーブティー!」
「ハーブティー?」
「その色と香り、どう見てもエマグリ草です!」
「エマグリ草ってあの!?」
「はい、あのエマグリ草です」
「ペトロ山岳地帯にだけ生えていて、リラックス効果と幻覚作用があって――」
「煎じて飲むと素晴らしい世界が垣間見えると謂われるあのエマグリ草ですっ」
つまり今のシルフィード様は錯乱状態。
おかしな笑い声や死んだ魚の目をしているのはそれ故か。何者かによって怪しい飲料を飲まされ、こんな状態にされてしまった、と――。
これを持ち込んだ人物は一人しかいない。
「ずばり犯人はリア・アルター、お前だ!」
びしりと名指しする。
事件解決。シルフィード様をこんな風にした動機を洗いざらい吐いてもらおう。
「いえ、私は知りませんよ」
「あれま」
「というか、昨夜あそこに置きっ放しにしていた私の荷が荒らされています」
「本当だ」
リアが指差す方を見ると、荷が解かれて草が持ち出された形跡がある。
持ち込んだエマグリ草を煎じて飲めば幻覚作用を齎すということを知っている、ある程度の薬草学の知識を持った人物が犯人か。
一体、誰がシルフィード様もこんな姿に。
「えまひゅりふぉうとゆうの……うひ……ひゃいこぉでひね、こうぇ。いいこぉりがひゅるぉおもってはいひゃくひまして……ふふふふふ、ひひひひ」
被害者が何か供述している。
しかし、廃人的な語り草で聞き取れない。
被害の凄惨さを物語っていた。
「なるほど。『エマグリ草と言うの? 最高ですね、これ。いい香りがすると思って拝借しました』と自供しています」
「聞き取れた!?」
「言語学者ですからね」
「言語学者すげーなっ」
「通訳の一貫です」
要するに、これはシルフィード様の自爆。
他殺ではなかったようだ。
よかったよかった。
「エマグリ草は虫などの標的を匂いで誘き寄せて錯乱させ、身動きできなくなった状態で地中に生めて養分とするそうです。シルフィードさんも匂いに誘われて吸引。飽き足らず、煎じて飲んでしまったと考えるのが妥当です」
「理屈はいいけど、どうすんだ、これ」
「……水を飲ませて抜け切るまで安静にさせておくしかありません。給水班!」
リアが明後日の方向を見て呼びつけた。
直後、外から砂漠には不釣り合いの波の音が聞こえてきた。
「妾を呼んだかの」
戸口からひょっこり青い肌の女が現われた。
レナンシーだ。
いつからそんな阿吽の呼吸で連携するようになったのだろう。俺が意識を失ってから一晩しか経っていないと言うのは嘘じゃないか。レナンシーも今の今まで何処にいたと言うのか。
「応々、ジェイクよ。良くなったようじゃのう」
「ああ。レナンシーには色々と助けてもらったらしいな。ありがとう」
「よいよい。妾も久しぶりに情愛が滾るものを観させてもらったからのう、ククク」
情愛が滾るもの?
何の話だろう。リアは腕を大きく交差させてバツ印を出し、レナンシーに合図を送っている。口外無用を示しているようだ。
何なんだ。
エトナの反応といい、気になる事だらけだ。
「ジェイクさん不在の間に結束が強まったのです」
「一晩で?」
「女とはそういうものですよ」
「ふむ……」
現パーティーには野郎が俺一人だけ。
仲間外れにされたようで悲しい。
レナンシーはスーっと部屋の中を移動してシルフィード様に近づいた。
「何じゃ! シルフィード、どうしたのじゃ!」
「あむじゃいん……わぁし、まだ……まだふぁあえる……ふぁあえるぉね?」
「幻術の類いか。憐れよ」
水を指先から出して飲ませてあげていた。
シルフィード様の自滅なのだが、そこには触れないであげておこう。それにしても二人は一晩で築いた中とは思えないほど親しげな雰囲気だ。
五大賢者のそれぞれの関係が気になる。
「レナンシーはシルフィード様と知り合いなのか」
「うむ。六十年ほど前に川を溺れておったところを助けただけじゃが」
「六十年前!?」
「何を驚いておるのじゃ」
純血エルフの寿命の長さか……。
なるほど。アンダインとシルフィード様は古い付き合い。グノーメ様は一匹狼かな。ティマイオスはアザレア王国の人間だからクレアティオ軍とは敵対関係だし、サラマンドなんて姿も見ていない。
全く関係のない五人がこれからどう繋がるのだろう。
アザレア大戦とは別にして興味深い。
レナンシーは手際よくシルフィード様の汚れた顔や髪などをそのままバシャバシャと洗い上げた。そんな雑な扱いを受けても「うへへ」と笑っている辺り、シルフィード様は重症だ。
そも、何か気苦労があったのだろうか。
酒に溺れた女の人みたいになっている。
「困ったのう。これでは確かめようがない」
看病を終え、シルフィード様を継ぎ接ぎだらけのソファに寝かせた後、その様子を眺めながら一言呟いた。
「確かめるって何を?」
「実は昨夜一つ思いついたことがあっての」
言いながら、レナンシーは谷間に手を突っ込んで紙切れを取り出した。
収納場所は敢えてスルーし、紙を注視した。
何やら書かれている。
「これはシルフィードに書かせた陳述書じゃ」
「陳述書?」
『戦犯はエンペド・リッジです。
私はアンダインに聞き、確信を得ました』
短文で最後に署名と日付まで書かれていた。
情報を共有した証拠として扱うつもりか。
「其方の話では我らのように神性を宿し者にはリゾーマタ・ボルガとやらの合紋変化は受け付けぬと申したであろう? 故に、このような署名を集め、我らが保管しておくのじゃ。日を跨ぐ度に認めさすれば、いつ因果改変が起きたかをこちらも確かめられようぞ」
「名案ですね」
リアが大きく頷く。
「本人の筆跡で書かせているから、仮に記憶がリセットされても疑いようがなくなる……。同時に黒幕が誰かを信じさせられる。二度おいしいです」
「然様。影響を受けつけぬ方法を編み出すまでは、これしかないのじゃ」
些細な署名活動。
くだらないことだが効果は絶大。
それなら早速、エトナやマウナにも書かせておいた方がいいかもしれない。……あれ、最近似たようなことを俺自身もさせられた気がする。
何処だっただろうか。
記憶を巡らせる。
――この国には入国の手続きがあります。
説明を受けるはずですが。
「アザレア王国の入国手続き……」
「なんですか?」
「確か、あそこの入国手続きもエンペドの発案だったよな?」
「ええ、そうですね」
渡された木札はまだ持ち歩いていた。
札には番号が振られている。
「もしかして旅人の中にリゾーマタ・ボルガの影響を受けない人間がいないか確認するため? 滞在先を書かせたのも邪魔者が現われたら特定して探し出すためか」
現在、エンペドが関与しなかったアザレア王国では入国手続きなど存在する筈なく、木札を持ち歩く人間がいる筈もない。もし木札を持ち歩く人間が今も居るならば、それは平和条約が布かれた過去を知る人間。
――俺たちくらいだ。
それを洗い出す為の布石だったのか。




