Episode228 震える砂塵
勇姿は見届けた。
きっと、この無意味な戦いは必要だった。
彼女の生き様を探す為に必要だった。
イリカイ川に架かる橋を、両陣営の兵士たちはただ黙って見ている。
橋は『鎌鼬』によって撒き散らされた砂埃に覆われていて、とてもじゃないが何も見えない。一番近い位置にいる俺ですら、眼前には土色の煙しか広がらないのだ。
だから何も見えない。
その先に何かあるかも分からない。
だが、両陣営の軍勢は黙り、見惚れていた。
脳裡に焼きついた直前の砲戦に――。
例え、橋半ばにいた美麗な勇姿が見えなくとも、今の戦いが羅針盤に上書きされてしまう刹那のものに過ぎないとしても、戦士たちの記憶には強く刻まれたことだろう。
弓兵の壮絶な一騎打ちに魅せられた、と――。
砂煙は一向に収まらない。
心配になった俺は誰よりも先に動き出して、リアを探した。
「リア! 大丈夫か!?」
「こっちです」
呼び声に応じて真横からリアが現れた。
心配していたが、無傷なようだ。
……しかも、普段通りの無表情っぷり。
先ほどの熾烈の砲戦に挑んだ弓兵と思えないほど、あっけらかんとしていた。
おまけに、髪や肩が砂で汚れている。
笑いすら零れる。俺はそんな間抜けな女の子の姿に安堵して駆け寄り、体に付いた砂を両手で丁寧に払い取ってやった。
「無事で良かった……。鎌鼬はどうなった?」
「ああ――」
視線だけを斜め上に向けるリア。
反応が薄い。俺も人のこと言えないが。
まるで今になって考察し始めたようだ。
いや、事実そうなのだろう。
きっとさっきの『鎌鼬』と『魔砲銃』の撃ち合いに無我夢中で、一番呆気に取られているのはリア自身なのかもしれない。
「空圧制御の限界です……多分」
魔術師の末裔らしく論理的に合理的に、リアは自分なりの推察を客観的に導き出す。細かいことはいいんだよ、の俺と血を分けた娘とは思えない
この子らしいと云えば、この子らしい。
「鏃側が耐えられなかったのでしょう。私に被弾する直前、アレは燃え尽きて消えました。あの魔法は無理やり矢に圧を掛け、貫通力以上の爆撃に近い威力を付与しています。如何な魔弾とはいえ、物質的な鏃がベースですから大気圧縮に耐えきれず燃焼してしまったようですね」
限界を超えて『空圧』を強め過ぎた。
それがシルフィード様の敗因。
……最期に見た、震える瞼の意味か。
得物を自ら消滅させてしまった故に己の未熟さを知り、敗北を感じたのだ。
「そ、そんな理由で……。シルフィード様は自分の術に溺れたってことか」
「はい。もちろん、あの矢も耐久性に優れた特注品だったのでしょうが、それでも限界はあります。だから魔力そのものである魔砲銃が勝ちました」
不敵に笑ってみせるリア。
清々しささえ窺える顔つきには、これまでの無機質な印象は微塵もない。
探した答えは見つかっただろうか。
多少は、近づいただろうか。
"昔からお父さんを連れ戻すことを使命に生きてましたから"
"それに対する最短ルートばかり……"
半生をそれ一つに費やしてきた。
目標があったからこそ感じた幸せもあったかもしれない。得られた力もあったかもしれない。だが一方で、失う物も多かっただろう。
俺を迎えに来てくれた事は感謝してる。
でも、これからの生涯は自分らしく生きて欲しいし、自分らしさを探してほしい。
これまで傍で成長を見守れなかった自分が、生意気に父親面するつもりはないが、他者の幸福を願う一人の人間として、そう思った。
「気持ちが良いものですね」
視線を感じ取ったか、リアが付け加えた。
考えている事を見抜かれた気がする。
その洞察力が今では有り難い。
「全力で戦って、勝つってことがですよ」
「それでいい。よく頑張ったな」
「ふふ……」
リアから自然に零れる微笑みが嬉しかった。
未来でシアが教えてあげられなかったことを、古代で俺が教えてあげられたらいいな。
そんな風に考えて微笑み返した。
……まぁ、年の功はリアのが積んでるけど。
三歳くらい誤差だし。
人生経験は俺の方が積んでるし。
気にしたら負けだ。
「ほら、二人とも。さっさと行くわよ!」
え……!?
その声が橋に響いて驚愕した。
リアと揃って目を見開き、本来ここにいる筈のない者の声であることを認識し合う。
それは喜ばしいことだが――。
「まったく……川の何が珍しいのよ」
「でも、お姉ちゃん。これだけ大きい川ってなかなか見れないよ」
もう一人、同じ声が別の方角から聴こえた。
双子のうちの妹の方は、橋の欄干から身を乗り出し、眼下で流れる激流に目を奪われている。
――視界を広げる。
気づけば砂埃は一切なくなっていた。
それどころか、交戦していたはずのアザレア重装歩兵やクレアティオ側のドワーフ尖兵も居ない。瓦礫、橋を抉る爪痕も少なくなり、しかも最近付いたものではなく、古傷のようになっていた。
「敵の本陣に向かうってのに緊張感ないわね」
「まぁまぁ……。リア先生もジェイクさんも、少しは親子旅行みたいなものがしたいんじゃないの? たまには息抜きは必要だから、ね?」
マウナが姉を諭す。
その言葉の中で一つだけ違和感も覚えたが、今はそれ以上に気を留める存在が、先に立っていた
――目指した橋の向こう。
そちらの砂塵の大地に目を向ける。
遮る物がなく、背景には俺たちの行く手を阻み続けた巨大防護壁の影もなかった。
橋の袂。砂漠地帯から川辺に至る合間の荒野に、その女の子は不満そうに立っていた。
「エトナ……!」
生きてる。
エトナが平然と其処に立っている。
無事だった。……無事になった!
その理由も原因も、すべて分かりきったことではあるが、今はそんなことはどうでもいい。エトナが死なずに此処にいて、マウナが悲しむ様子も怒りを向けずに、一緒に旅した頃のように傍にいる。
それが嬉しく、目頭が熱くなった。
「エトナが……生きてる……っ!」
「はぁ?」
俺の言葉を受け、そしてこの態度を見て、彼女が怪訝そうに眉を顰めた。
「なに言って……――って、ちょ、ちょちょ、ちょっとっ! ジェイク!?」
ガバりとその身体にしがみついた。
またいつ彼女が死の運命に囚われるかの不安もある。何か、かけがえのない大切な存在が奪われたような気がして、それを取り返せたような気がして、嬉しさで思わず抱きついてしまった。
戸惑い、赤面して暴れるエトナ。
驚いたまま、表情が固まるマウナ。
リアに至っては背後にいるからどう反応しているか分からない。
記憶違いによる認識のズレだ。
傍から見れば恥ずかしいことをしてしまったと、あとで反省するかもしれない。でも、直前まで繰り広げていた戦いの熱も冷めやらぬうちに、そんな冷静に彼女と向き合えなかった。
「良かった……。本当に……良かった」
「あ……え……えーと……」
もっと時間がかかると思っていた。
最悪、リゾーマタ・ボルガをエンペドから奪うまでエトナの死が続くような気がした。今までこの『因果』の魔の手が絡むことは大抵、最悪なことばかり起きていたからだ。
でもそれは杞憂だった。
リアの推理通り、『エトナの死』は『イリカイ川の戦い』の前日譚に紐づけられていた。
戦いを終わらせれば――。
"この戦いは戦死者も少なく終結する"
――という結果が一度さえあれば、収穫の矛先は別の舞台へと修整するようだ。
しばらく力強く抱きしめていると、エトナの力が抜けていくのを感じた。そこでようやく冷静になり、少し力を緩めて顔を離した。
綺麗な顔立ちの美少女が至近距離にいる。
きめ細やかな白い肌や一点の濁りもない瞳が視界いっぱいに覆い尽くされている。
徐々に気まずくなって頬が熱くなった。
エトナの頬も赤い。
「ああ、なんていうか……」
「ま、まぁ、暑さにやられたってことで大目に見てあげる」
「ごめん……いや、ありがとう」
生きててくれたことに感謝だ。
大目に見ると言われても尚、まだ抱きついた体が離れない。――離さなかった。無意識に俺は怯えているのだろうか。離れたらまたエトナが死んでしまうんじゃないだろうか、と妙な恐怖心に囚われているのだろうか。
自分でもこの感情が何だか分からなかった。
「そ、そうだ。お礼を言い忘れてたわ」
「お礼って何のことだ」
「ほら、これ」
俺の異常な態度はいつものこと。それに慣れているとばかりに、エトナは平静を装って、腰の遠征用ポーチから小箱を取り出した。
包装は解かれているが、それは間違いなく俺がエトナの為にと用意した物。
――『万年筆』だ。
字を万年書けるという魔法のペン。
「こんな高そうな物、どこの市場で買ったか知らないけど……凄く嬉しかったわ。ありがとね」
そういえば、それはなぜ羅針盤の"書き換え"の時に消失しなかったのだろう。二国間の貿易が行われていない現在では、アザレア王国で手に入らないはずの品物だ。
謎多き品だ。でもエトナの手元に届いたこと自体は俺自身嬉しく、考えても仕方ないこともある。
今は深く考えないでおこう。
「私が寝ている間に枕元に忍ばせるなんて……ジェイクも粋なことするのね」
「……?」
エトナの枕元に忍ばせた覚えはない。
そういう渡し方をした……ことになった?
羅針盤は必然性を重視して作用している。
たかが旅人二人の贈り物のやりとりまでも筋書きを決めるのか。
能力は想像を超えて未知数だ。
怖ろしい……。
死の運命だけじゃない。
些細な出来事や認識のズレも生んでしまうリゾーマタ・ボルガという神造兵器は、これから仲違いも生む可能性がある。
絶望集めの大戦自体も許せないが、他にも問題は山積みだった。
早いうちに何とかした方がいい……。
最初から記憶を保持される俺やリアと違い、双子の巫女は書き換えた結果の世界に生きている。
……できれば二人もこちら側に引き込みたいが、神性魔力を血脈に宿した者でないと不可能だ。
上手く立ち回るしかないのか。
「お父さん。周囲の視線と、ご自身の体裁と、家族の未来のことも考えて、いい加減にエトナから離れてください……!」
「そうだよ! いくら仲が良いからって、待ってる奥さんに申し訳ないと思わないの? ――というか見てるこっちが恥ずかしいから離れてよ!」
リアとマウナが背中を引っ張った。
強制的に引き剥がされ、居住まいを正す。
そんな不貞のつもりはなかった。
――というのはリィールと同じ言い訳か。
素直に反省する。
それはそれとして、やっぱりマウナの言動に違和感があった。
待ってる奥さん?
親子旅行みたいなもの?
何故それをマウナが知っている。
まだマウナには、俺とリアが親子関係であることを話してなかった気がするんだが。
それもリゾーマタ・ボルガの影響だろうか。
やっぱり怖ろしい……。
いくら直接影響を受けないとしても、知り合い同士で認識が違うという状況は誤解も招く。
適当に謝罪を入れて歩みを早めた。
最初から最後まで落ち着きのない俺の様子をエトナもマウナも不審そうに見ていたが、リアだけは察してくれたようだ。
駆け足で近づいて半歩後ろを付いてくれた。
○
橋を渡った先の道は轍が続いている。
アザレア軍が砲台か何かを運んだ跡か。
戦況はいったいどうなったのだろう。
少なくともイリカイ川より西側は衝突もなく、主戦場は砂漠に移されたのだろう。しかし、アレだけ響き渡ったアザレア兵の絶叫も、激しい砲撃の音さえ聴こえてこない。
シルフィード様も、あの一騎打ちの最後の瞬間は間違いなく死んだのだろうが、川の主戦場が消え去っている以上は、エトナと同じように死んだことにはなっていないのだろう。
川沿いは石や瓦礫ばかりの荒野。
少し進めば砂漠地帯に入った。砂だらけだが、完全に砂ばかりというわけでもなく、緑の植生も少なからず確認できる。
所々、石造りの建物も点在していた。
きっと無人の廃墟だ。物悲しさを感じる。
橋から続いていた一本の道が砂塵に覆われるようになると、轍も見えなくなった。風に舞って跡がすぐ消えてしまうのか。
「この道を進めば、クレアティオ・エクシィーロの都市に着くんだよな?」
「おそらく……」
リアも自信がなさそうだ。
道の先には地平線しか見えない。
ランドマークもないのでどれ程歩けばいいかも皆目見当がつかない。イリカイ川の戦いではエルフやドワーフの部隊が陣取っていた箇所だが、何もない殺風景な大地が続いている。――まだ橋を渡って少し歩いただけだが、土地勘がないので不安だった。
「ロクリさんの話だと、一日歩けば着く距離って言ってたよね?」
「ええ……キャンプは要らないって話だけど、この様子だと持ってきて正解だったみたいね」
マウナが確認し、エトナが答えた。
それでこんな重量の荷があるのか。
……当然、担いで歩いているのは俺だ。
イリカイ川の戦いでは何も告げずに飛び出したが、現状ではロクリさんから助言をもらって川を渡った事になっているのか。
いちいち会話から過去を類推しなければならず、まどろこしい。
それにしても――。
遮蔽物が少ない故か、吹き晒しの状況で砂漠の風が静かに頬を叩いてくる。
不自然だ。本当に戦争中なのか。
もっとこう、激しい交戦がないと実感がない。
たまたま一時休戦中で、翌日以降から衝突するように仕組まれているとか?
でもそんな余暇を与えるとも思えない。
奴は毎日毎日、戦死者の悲鳴が欲しいはず。
途方もない地平線を眺めていると、土色の景色にはとても目立つ色の存在が、すごい速度で近づいてきているのが見えた。
砂漠の中の潤い。
水の色を秘めた海神の娘レナンシーだ。
そういえば……さっきイリカイ川の戦いで協力してもらったのに、すっかり存在を忘れていた。
彼女は敵陣に先回りして水魔法でドワーフを翻弄し、防護壁を無力化してくれたのだ。あれが実質的な勝利を戦場にもたらしてくれたのだし、やはり神の力を持つ存在の大きさを思い知った。
レナンシーは勝利の女神だ。
忘れていたことを申し訳なく思う。
うん、申し訳ない。本当に。
……忘れていた理由は、エトナとマウナが突然現れた衝撃が大きかったからであって、別にレナンシーを蔑ろにしていたとかではなく……
本当に感謝しているんだけど……。
申し訳ない。ごめんなさい。
失念してて申し訳ないと思ってる。
しかし、レナンシーは怒っている様子
遠目に見るその表情では、目を見開き、迫る速度も尋常じゃない。とてもじゃないが「どうじゃ。妾の力」と嬉々として自慢に来たって様子はない。
足元の水流で砂漠を滑るように迫ってくる。
まさか、お次は彼女が敵に回ったとか。
――いや、そんなはずはない。
思い直し、首を振る。
レナンシーはリゾーマタ・ボルガの改変の影響は受けない。神性の魔力を持ち、平和条約が二国間に結ばれていたことさえ理解している。
ならば敵対する道理はない。
「……ク…………じゃっ!」
違う。何かを伝えようとしている。
近づくにつれて顔貌もはっきりと見えてきたが、レナンシーは怒っている訳ではなく、余裕なく鬼気迫る表情を向けていた。
何か、叫んでいる。
「レナンシーだ。どうしたんだろ」
「レナンシー? 遠くて見えないわ」
「あそこ。すごい勢いでこっちに来てるぞ」
「何処よ? ……あ、本当ね」
エトナもようやく気づいた。
四人揃ってレナンシーの様子に疑念を抱く。
まだ遠い……。声も半魔造体の耳を通してかろうじて拾える程度だ。
「ジェイク……! ………れるのじゃっ!」
何か指示している。
何だろう。嫌な予感しかしない。
れる? 何かをしろ、と言っている。
より一層スピードを上げて迫る。
レナンシーもこちらが聴こえていないと理解したようだ。これでもかというほど近づいてきてから叫ぶように声を捻り出した。
「早く、隠れるのじゃ!」
微かにそう聴こえた。
鬼気迫る表情はその必要性を物語っていた。
隠れなければならない――。
何から?
そう考えたときには既に遅かった。
ギュルギュルと何かが駆動し、軋むような音が背後から聴こえる。
それは異形の装填音。
この時代の文明では想像し得ない技術の呻り。
後ろを振り向いた。
「え――」
大型の『機械』が暴れ、遥か遠くの砂塵の地中より高く跳び上がる。
まるで巨大な蠍の影――。
それを埋めていた砂を高々と舞い上げ、地割れでも起きたかと思うほど大地が揺れた。
「危ない……!」
リアが叫ぶ。
咄嗟に判断し、小柄な体でエトナとマウナの二人を抱えて後方へ跳び、間合いを取った
蠍なのか蟹なのかよく分からない形状だが、甲殻生物を模した姿の『機械』は跳び上がったままに手先から砲弾を放つ。
――ドンっという単純な音が空気を震わせた。
併せて、ヒュルヒュルという回旋音。
ギュルギュルという駆動音。
様々な音を『機械』は奏でていた。
ありとらあらゆる巨躯を稼働させ、その怪物は暴れ出す。
放たれた砲撃は着弾していた。
俺の胸の真正面に。
「っ……!!」
くらりと、よろける。
次いで、耳鳴りが襲った。
砲弾は至近距離で胸元に被弾した。
砂を舞い上げ、またしても『機械』は頭から跳び込むように地面を掘って地中へ埋まりゆく。
奇襲。そして、敵の目が届かぬ地下への離脱。
それは一種の戦術である。
――アレは、そういう兵器だ。
砂場の立地を最大限生かした、騎乗兵器。
砲弾が被弾した直後。
スローモーションのように映るその視界の中、骨組や歯車だらけの『機械』の内部から視線がぶつかった。
艶やかな肌。緋色の髪。
流麗とした肢体を魅せる女性は、しかして雄々しく、こちらを睨んで歯軋りしている様子さえはっきり見えた。
それは明確な敵意だ。
俺たちをぶっ飛ばすと、表情が語っている。
力技の勝負なら負けない自信がある。
だが……何か違和感があった。
視界には地中へと逃げ込んだ蠍の『機械』に被せて、一つの銀環が目に飛び込んだ。
銀の指環。
それは最近、意識の内から外れていた物。
『Presence Recircular』
胸に埋め込まれていた指環が、砲撃を浴びた拍子に表皮ごと抉り取られた。
それは、魂と魔造体を繋ぎ止める鎖だ。
……それが取れてしまった。
※次回更新は2017/1/14~15の土日です。




