Episode225 イリカイ川の戦いⅡ
イリカイ川から撤退を余儀なくされた。
クレアティオ・エクシィーロの防衛の布陣は厄介だった。高々と張られたぶ厚い防護壁は、橋から遠すぎて容易に近づけない。
――『魔砲銃』でも破壊に失敗した。
しかも、防御に徹するわけでもなく、そのぶ厚い壁の向こうから矢の弾幕攻撃と、変幻自在の軌道で翔ける疾風の矢『鎌鼬』――と勝手に名付けたが、それのせいで攻めも完璧。
籠城ではなく"迎撃"の構えだった。
あれはアザレア兵には突破できないだろう。
後から考察すると最初の布陣は、
前衛のドワーフ突撃隊が橋の袂で白兵戦を。
中衛のドワーフ支援隊が荒野で土魔法の岩石、長距離弾頭を造って火力支援を。
後衛のエルフ弓兵部隊が高台から援護射撃を。
――という配置だった。
それを、中衛の砲撃が俺とリアの登場によって封じられると今度は、
前衛はそのまま、
中衛が一斉に数枚の防護壁を生成して重ね張り、
後衛のエルフ弓兵部隊がメイン火力に。
と役割を変更したようだ。
しかも、主砲となるエルフが一人いる。
『鎌鼬』を操る風魔法と狙撃の達人……。
「狙撃手はシルフィード様だ」
今、俺たちは街の一画にある民家にいた。
度重なるドワーフの砲撃で街は破壊され尽くし、民家といっても屋根や壁は抜け、内装も剥き出しなのでアザレア市民が住んでいる様子はない。
その崩れた壁に背を預けて座っていた。
「シルフィード? 風の賢者の名ですね」
「会ったことないのか?」
「未来ではリバーダに上陸した事がありません」
リアは拗ねた顔で俺を見上げた。
年下の父親より知らない土地があることが不服な様子である。
……当然だ。アザリーグラードは俺が過ごした当時と様子も異なる。
地下迷宮はアンファンの事件で崩落した。
行ったところで冒険者としての腕を試せるわけでもない。リゾーマタ・ボルガが封印されているわけでもない。リアにとっては史跡探索をするか、両親の出会いの場所巡りをする程度の価値しかない。
「それで、狙撃手の正体が分かったところで何か策が思いついたんですか?」
「いや……」
不甲斐ないけど何も思いついてない。
そも、戦力差が圧倒的だった。
時間魔法発動中に橋を渡り切れない。
……渡り切っても魔力が枯渇し、弱体化して対岸で集中砲火を浴びる。
敵も前衛、中衛、後衛の役割は切替可能。
誘い出されて向こうが進軍してくれれば、その隊列も変わるのだろうが、長距離弾頭で街付近まで砲撃が可能ならクレアティオ・エクシィーロが進軍してくるメリットがない。あの布陣で橋を守り抜き、アザレア王国を降伏させれば勝ちなのだ。
――しかもエンペドの狙いは勝利ではない。
なるべく戦争を長引かせ、どちらの国でもいい、絶望さえ集めれば邪神の信仰が潤う。
今のところ、エルフとドワーフの砲撃は兵士のみならず、一般市民にまで恐怖を与えている。
この廃墟の数々が物語っていた……。
西日が射し込む物憂げな廃墟。
人の気配を感じさせず、生暖かい風と遠くから未だ響く殺戮の残響しか耳に届かない。
早くこの事態を何とかしたい。
時間の問題じゃないとはいえ、エトナが死んだ状態のままなのは気持ち的に嫌だ。
「整理すると……」
虚空を眺め、捻り出した案を言葉にした。
「ドワーフ兵は無視でいい。一番厄介なのはエルフの弓兵だ」
「私もそう思います」
「そこで弓兵対策を、時間と場所と手段の三つの視野で考えてみた」
リアが小首を傾げる。
怪訝な顔して指摘してきた。
「時間魔法はダメですよ」
「分かってる。現実の時間の話だ」
「……?」
物は試しだ。
時間的にも今がちょうどいい頃だろう。
立ち上がり、手を差し出してリアのことも起こしてあげた。
○
まずは"時間"。
昼が駄目なら夜はどうだろう。
――というわけで夜にやってきた。
昼間と同じように小高い丘から橋を見眺める。
ぽつりぽつりと夜営の灯りが点いている様子が遠目に確認できた。アザレア王国の陣営も、クレアティオ・エクシィーロの陣営も。
さすがに彼らも四六時中は交戦してない。
交替の兵がいない限り、どこかのタイミングで休戦するはずだ。
両者とも大軍を引き連れてイリカイ川を境にいがみ合っているから、戦力を総入れ替えするのは難しいだろう。少数で夜襲をかけて寝首をかくという作戦も難しいはず。
砲撃は音が大きいし、対岸に歩兵だけ進めても少数しか嗾けられない。
それだと捕まって捕虜にされるだろう。
あれだけ散々な目にあってもアザレアが兵士を投入し続けているのは、防衛手段の一つなのだ。
静まり返るイリカイ川と架橋。
耳を澄ませば濁流の音さえ届きそうだ。
「これならこっそり橋を渡れるぞ」
「夜の見張りくらい立てると思いますが?」
「でも橋を見てみろ。灯りが無いから真っ暗だ。あの中を俺たちの足で駆け抜ければ渡り切れるんじゃないか?」
「どうでしょう……」
リアは疑い深そうに眉間に皺を寄せた。
「単純だけど意外といけそうだぞ」
あちらの主砲もシルフィード様一人だけ。
昼間の戦闘で休息を取っている可能性も高い。
しかも、弓兵はよっぽど夜目が利いたとしても暗闇は不利だろう。
見張りに突然、射貫かれる危険性はない。
――行ける。自信が湧いてきた。
「まずはジェイクさんお一人でどうぞ」
「なんでだよ」
「二人で行ったら見つかり易くなるかと……」
「それもそうか」
納得して先陣切ることにした。
これであっさり橋を渡れたらリアも悔しがるだろうなぁ。
――などと考えていた自分が馬鹿だった。
なるべく音を立てずに橋の袂まで近づく。
橋の暗がりを見つけ、そこを静かに、しかし俊敏に足を運んで橋を駆け抜けた。
途中までは良かった。
だが、橋の半ばまで来た途端、その魔法陣が発動した。
反魔力の性質で無効化できなかったから、きっと魔法陣発動のスイッチが、振動とか荷重とか、そういうシンプルなものが鍵刺激だったのだろう。魔法陣の線から燐光が放たれ、直後には高々と火柱が打ち上がった。
火柱自体は俺の体に触れた部分から軒並み消失したが、火柱の目的はある種の防犯灯。――火柱が上がった直後に鏑矢が放たれて、ピィーっと警報が高鳴る。
兵士たちが起き上がって臨戦態勢になった。
手に手に武器を携えて一触即発。アザレアやクレアティオは、各々どちらが不可侵を破ったかの犯人捜しのために一斉に橋へ駆け付けた。
糾弾のトラウマが復活した俺は即座に川に自ら飛び込んで逃げ出した。
潜入失敗だ。
――動物か?
――チッ、騒がせやがって!
両兵士ともども文句を言い合って踵を返す。
なるほど……。この戦いは『合戦』のようなもので、長丁場と化したイリカイ川の戦いは、夜間には不可侵を保つために橋の半ばに魔法陣を敷いているようだ。
夜の冷たい川を泳いで岸辺に辿り着く。
かなり流されて下流から這い出た。
這いずり、川の小石が服の中に入り込んでじゃらじゃら不快な感覚に囚われたまま仰向けに寝そべった。
「やはりそうですか」
満天の空の一部にリアの顔が覆った。
「分かってたのかよっ」
「長期の合戦ではありがちな話です」
「……」
戦争の流儀についての無知を指摘されたようで何も言い返せない。
俺たちにとって不可侵の誓いは妨げだ。
それを侵して戦場を荒らし、戦死者を増やすことは望まない。
○
街へ引き返して廃墟の中から布を拝借し、身体を拭いてそのまま部屋を借りて一休みした。エトナの死から一日経ち、早朝からまたリアと二人で主戦場の全景が見渡せる丘に来ていた。
「それで、お次の"場所"というのは?」
「……」
既に自信がなかったが、三つの策があると堂々と言ってしまったために引き返せなかった。
「現実的かどうか意見を聞いて実行するけど」
「どうぞ」
「橋に拘る必要ないんじゃないかって」
戦場では橋付近に陣営を張り、そこから不毛な戦い、悪く言えば殺戮が繰り広げられている。しかし、橋から離れた岸辺には人っ子一人いない。
俺たちの目的は戦う事じゃない。
入国するだけなら川を泳いで渡る方法もある。
「どう思う?」
「……」
リアも何を考えているか分からない無表情な顔つきで視線を橋から上流や下流の川へと首を振りながら眺めている。
何か計算しているのか、あるいは――。
「確かに兵士たちは橋を挟んでの戦いに夢中で、泳いで渡れば見つからないかもしれません」
「じゃあ、やってみる価値はあるなっ」
「……はい」
返事までの少しの間が気になった。
その仕草を自信のなさと受け取り、凄いところ見せてやろうと奮起した。
――どうやら笑いを堪えていたらしい。
川辺に着いてさっそく飛び込み、自慢の体力で川泳ぎも余裕だろうと高を括っていた。
しかし、現実はそう甘くはなかった。
そもそも人生で泳ぐという機会がなかった俺は、慣れない川泳ぎでだいぶ下流へ下流へと流された。一向に対岸に着くことがなく、体力は続くのだが、泳ぎが下手なのか流されてしまい、結局下流で蛇行した川の岸辺に打ち上げられる形に終わった。
しかもアザレア王国側の岸辺だ。
意味がない。
「これだけ大きい川ですし」
「……?」
またしても上から覗き込むリアの顔。
「川は大きいほど中心部の水深が深く、流れも速くなります。岸辺付近は岸自体が水の抵抗になって、流れが緩やかですからね。先の作戦の川流れよりも、もっと巧く泳げなければ無理ですよ」
「そういう話は先に教えてくれよ」
「お父さんの潜在能力ならさては、と思いまして」
……こいつ、絶対愉しんでやがる。
エトナが死んだ状態なんだ。
もう少し真面目にやってほしい。
憎々しげに睨みながらもその手を取った。リアの手には街からくすねてきたのか、身体を拭くタオルが用意されており、俺の頭に掛けられた。
「こんなの用意してるってことは失敗に終わると分かってたな!?」
「ふっふっふ」
小悪魔めいた嗤いを見せるリア。
そういう笑い方も母親そっくりだ。
○
丘まで戻ってきて二人で戦場を眺める。
日は最高潮に高くなり、戦火も激化していた。
「それで、最後の"手段"というのは?」
「ああ……」
「そもそも今までの二つも手段といえば手段と呼べますけど」
――夜の横断。川泳ぎによる遠回り。
いずれも失敗に終わった。
もしかしたら、最初からこれが最適解だったかもしれない。
未だに響き渡る悲鳴の数々。
日に日に死者は増えていくのだ。
それらの声に、心の中で耳を塞いだ。
「真正面から……全速力で駆け抜ける」
「昨日はそれで失敗しましたよ」
「違う。最初から最後まで走り抜けることに徹するんだ。敵の砲撃や狙撃は全部無視する。撃ち抜かれても、他の兵士が倒れてても無視だ。俺たちなら多少の傷は平気だろう」
「それは……」
岩石が四個、凄まじい勢いで打ち上がった。
一つが陣営に直撃して絶叫が上がる。
一つが街の付近まで届いて建物を破壊した。
お次に大量の悲鳴。――遠くから飛来した矢の弾幕がアザレア兵を襲っていた。
「できますか?」
リアは初めて俺に確認を挟んだ。
その目は真剣だった。
現実的に可能かを問うている訳じゃない。
それはきっと意志確認だ。
やりきる意志があるかを、リアは尋ねている。
――"間近で見たらジェイクさんは助けずにはいられないと思いますが?"
昨日はそう提案した。
リアなりの配慮だったのだろう。
俺は息するように人助けしてしまう。
人の恐怖も絶望も糾弾も苦手で、その荒々しい雑音を放っておけない。
人の恐怖を鎮静化するために助け、
人の絶望を鎮静化するために救い、
人の糾弾を鎮静化するために自死する。
そんな生き様を急にこの場で変えられるか。
リアはそう聞いているのだ。
「リゾーマタ・ボルガがあれば、犠牲になった人たちのことも無かったことにできる。その結果のために、手段を……選んでいられない」
口に出してみて既に苦しかった。
結果のために手段を選ばない。――そのやり方は俺が今まで憎しみを込めて対峙してきた敵と何一つ変わらない。
……でも、エトナを助けたい。
その一点に掛けては正しい選択だ。
「でもジェイクさんの通過によってクレアティオ・エクシィーロも混乱します。領土内へ敵兵の侵入を許してしまったら、それ相応の戦力を内部へ向けると思います」
「そのために走りに徹するんだよ」
「……魔力を温存して、という意味ですか」
「あぁ。この布陣を超えれば街中で暴れ放題だ。エンペドの居城も混乱に乗じて探し出して、リゾーマタ・ボルガを間髪入れずにぶんどる」
だから、この作戦はどれだけ自分の信条に背けるかが鍵になる。
○
位置に着いて――。
よーい、スタート。
そう心で念じて俺は駆け出した。
今回も俺一人で試す。
リアは俺が渡り切ったことを確認してから同じ方法で向かうと言っていた。今回ばかりは失敗を悟っていての待機ではなく、本当に成功するかどうかの自信がなかったんだろう。
陣営のテント裏から助走をつけて、ただ走ることだけに専念した。
壮絶な勢いで抜けていく兵士の数々。
橋の袂が見え、隊列を組んで前進する重装歩兵の脇を通り抜ける。
それらを追い越して橋へ到着。
瓦礫が散らばっている。
橋はこれだけ傷モノになっても安定している。建造した人物は橋の建築技術や知識も高かったのだろう。そんな関心を示しながら――あえて、そういう無駄なことに関心を向けて走ることに徹した。
疾風迅雷。
傍から見たら、弓矢か何かが通過したように見えたかもしれない。
一分ほど経過。
橋の半ばを通り過ぎる。
確かに橋は長かった。全速力で走っても確かに二分程度かかる。リアの助言は正しかった。
アザレア兵の重装歩兵のうち、最前列まで進軍していた隊を通り過ぎた。この時点で俺の存在は両軍ともに目視で確認され、クレアティオ側の兵士は何か対策を講ずるべく鏑矢が打ち上げて音を奏で、この脅威を全軍に知らせていた。
気づけば『鎌鼬』が目前に迫っていた。
狙撃手のシルフィード様が真っ先に気づいて放ったのだろう。あまりの速さで俺自身も視界が狭くなり、遠くまで見ていなかった。
迫った鎌鼬の数は四射。
その四つのうち二つが肘と太腿を霞め、血が少し噴き出た。
しかし、無視して通り抜ける。
――背後からアザレア兵の絶叫が聞こえた。
橋の対岸まで辿り着いてドワーフの突撃兵が槍を構えて待機している。勢いを殺さずに突き飛ばし、そのまま俺は対岸の土を踏むことに成功した。
――上空で通り過ぎた矢の弾幕。
遥か後方で兵士の悲鳴が耳朶を震わせた。
辛かった。胸に重たいものが圧し掛かる。
それ故か、少し減速してしまった……。
景色が荒野から徐々に砂漠へと変わっていく。
ドワーフ魔法部隊が見えてきた。
足を取られて走りにくくなる。
俺の減速が、気持ちのせいではなく、砂場で走りにくくなったせいだと思いたい。
長い……。
この大地は広すぎる。
どれだけ進んでもアザレア兵の嘆きが残響となって届いてくる。
ドワーフ魔法部隊にも辿り着かなかった。
それどころか、遠ざかっている?
――おかしい。
気づいたとき、俺はドワーフ魔法部隊の姿を見失っていた。通り過ぎたというわけではなく、彼らの姿が正面になく、さらには遠方に見えた高台やエルフの部隊、クレアティオの街の端さえも無くなっていることに気づいた。
それどころか、地平線が近い。
空と地平線の境界がはっきりしていた。
「あ、れ……」
大地が反り上がっている。
砂塵の大地が隆起して盛り上がり、体ごと押し上げられているのだと気づいた。
つまり坂を登っているような状態。
その隆起は収まらず、細かい流砂がばらばらと俺の脚を掬い、埋没してしまった。どれだけ暴れても――むしろ無理やり力で押しのけようとしたことが仇となり、腰の辺りまで埋没した。
ごごご、という地割れにも似た音が響き、どんどんと俺は流砂に流されてまたイリカイ川近くまで引き戻され――。
「そんなのありかよ……っ!」
砂ごとイリカイ川へと落とされた。
どうやら土魔法はそんな使い方も出来るらしい。知らぬ間に魔法の餌食になっていた俺は足元の流砂に流されて、振り出しに戻された。
土魔法の魔の手は川に落されてからも続き、体はどんどん砂に押しやられて激流のイリカイ川さえも無理やり乗り越えさせられ、そして俺はアザレア側の対岸へと放り出された。
水と砂が口や耳に入って真面目に溺れかけた。
咳き込みながら岸辺に寝そべる。
仰向けになり、息を大きく吸い込んで無理やり呼吸して何とか意識を保つ。
また失敗した……。
心情も捨て去った暴挙だっただけに敗北感が今まで以上に重く圧し掛かる。悔しさとともに、通り過ぎた兵士たちの絶叫が、後から込み上げてきた。
俺は悲鳴をあげる兵士を助けなかった。
置き去りにしてまで突き進んだ手段だったのに、無駄に終わった。
置き去りにした者の命さえ、無駄にした。
「ちくしょう。……ちくしょう!」
このやり方は駄目だ。
三つの中で最も敵陣営に近づけたとか、何度か挑戦すれば成功するかもしれないとか、そういう次元の話ではなくて、失敗の反動が大きい。
俺はこんなやり方は嫌いだ。
心が抉れ、しばらく放心していた。
すると、彼此三度も流されたイリカイ川の方から水面が盛り上がり、内部から爆発したかのように高々と水しぶきが上がった。
それが雨のように降り注ぎ、顔面を濡らす。
びちゃびちゃと水滴が全身を叩いた。
「何をしておるのじゃ? 川遊びにしては些か、度が過ぎた喧騒よのう」
聞き慣れた古びた口調。
川辺から現れて俺の顔を覗き込んだのはリアではなく、水の賢者だった。
初めてレナンシーが救世主に見えた。




