Episode220 対オルドリッジ専用聖典
「ふー……」
気合いを入れるために息を大きく吸って、長く吐き出す。
あと少し。……あと少しだ。
ダリ村の峠を越えて視界が開けた。
村を遠目に確認する。――湿地帯や畦道、石造りの神殿が見えた。
うむ、もうすぐ到着する。
懐かしい光景に胸を撫で下ろした。
別に故郷へ帰ってきたわけじゃないのに、それに近い安堵感がある。あそこにさえ辿り着けば俺の徒労の日々も少しは軽減されるかもしれない。
そんな期待が膨らんだ。
峠を越えた先。
そこにギャラ神殿と青魔族の集落がある。
やっと帰ってきた。
ケアのことも随分待たせてしまった。
しばらく歩き続け、村の入り口に着く。
相変わらず青魔族の門番が二人いた。
木組みの粗末な門の前だ。
「エル パウォ エッキ ジェイク!?」
「パウォ エル サット!」
二人が興奮して駆け寄ってくる。
しばらく留守にしていて魔族語なんて久しぶりに聞いたけど、なんとなく伝わった。
多分、歓迎しているのだろう。
どうせ言葉は通じないから挨拶代りに片手を挙げてみせた。
青魔族の若造二人も満面の笑みだ。
まるで地元のような雰囲気さえ感じた。
「ゴォーディ……エグ エル フェギン アウォ フウ コムスト ティ バッカ ジェイクっ」
「ケア・トゥール・デ・ドゥ バル リッカ アウォ ヴィオア!」
嬉しそうな様子は伝わるけど、魔族語は一音一音の発声が大きくて耳を劈く。彼らの無垢な姿は好きだとはいえ、さすがに疲れ果てて苦笑いしか出なかった。
こちとら問題山積みのまま歩いてきたのだ。
「"ジェイクさんが帰ってきてくれて嬉しい"。"ケアさんも随分と待ち詫びてましたよ"――と言っています」
「あぁ、通訳ありがとう」
「いえいえ」
いつものリアの通訳だ。
ただ、以前は『言語学者の通訳』として聴いていたが、『娘の通訳』と思うと有難みも倍増する。その魔族語はシア直伝のものなのだ。
心なしか、リアの距離も近い。
一応、親子だからいいか……。
リアも事実を打ち明けてから気兼ねしなくなった気がする。元々の計画が崩れて開き直ってる雰囲気も感じるが、変に隠し事されるよりもこの方が気楽である。
――それに今はこの現状だ。
俺の心労を察しているのだろう。
殊勝な存在はそれだけで癒しである。
門番二人をやり過ごし、そのまま俺たちはぬかるんだ道を歩いた。
季節柄、暖かい日続きだ。
湿地帯の大地も余計にぬかるんでいた。
歩いている最中、村人たちが藁の家から飛び出して道沿いに並んで歓声を上げてきた。大人から子どもまで嬉しそうで、本当に俺たちの帰りを待っていたらしい。
それにしても、こんなに村人多かったかな。
なんか赤ん坊が増えてない?
青魔族繁殖してない?
一軒ごとに乳飲み子が一人いる。
突然やって来たこちらも悪いが、これからすぐ民族大移動するんだけど大丈夫だろうか。
畦道を横切ってギャラ神殿に到着した。
神殿前では青魔族の女性が迎え出た。
慣例行事のようで、例の牛肉料理を振る舞われそうになったものの、全力で拒んで早くケアに会わせてくれとお願いした。
正直、今は時間がない。
「アナ ゲッツゥル エルィ ヘルベーゲヌ」
「なんだって?」
「今は別のお客さんと会ってるそうですよ」
「別の客?」
ケアに客人なんているのか。
長い留守の間に友達が増えたとでも?
あいつの友達は村の牛くらいだろ。
確か『ペロ』とかいう暴れ牛だ。
○
「やぁ!」
「――って、あんたかよっ」
白い布地の服に薄緑の短髪。
爽やかな雰囲気を漂わせる優男。その辺に居そうな人当りの良い青年という印象だが、正体は天地創造の神である。
――リィールだ。
此処は神殿奥のケアの個室。
ケア本人は机の上に座って何か書き物をしているようだが、リィールはそれに寄り添うように何かを教えていた。
「はっ……ジュニアさんっ」
ケアが突然、リィールを突き飛ばして俺の背後に回り込み、先程まで家庭教師と教え子みたいな関係で接していた神を睨み、威嚇し始めた。
わざわざ嫌いアピールしなくていいのに。
「やれやれ、困った……。余が培った幾星霜の労力も、君の登場で一気に崩壊だよ。じっくりゆったり夫婦の絆を取り戻していたというのにさ」
「待て。ここで何をしていた」
「ハッハッハ、別に如何わしいことは何も?」
リィールが両腕を軽く広げてみせる。
余は無実です、と言わんばかりだ。
知らないうちにギャラ神殿が愛の巣に成り代わっていたら衝撃すぎて大陸横断の気力が失せていたかもしれない。
「神族内では夫婦の間柄でも、このケアは女神本人じゃないぞ」
「でも女神が残した人型だろう?」
「そうだけどっ」
リィールのやつ、俺がロワ三国のことで奔走している間、一向に姿を見せないと思ったら女の子を口説いてたのか。
しかも、よりにもよってケアを。
そういえば初対面からデヘデヘしていた。
この少女趣味の変態め。油断大敵だ。
「本物の女神は今頃、リバーダ大陸で俺の先祖と共闘してる。これは謂わば、寂しさを紛らわす為の浮気みたいなものだぞ、リィール!」
「うぇえ? そんなつもりはなかったな」
「分かったらケアに色目使うなっ」
「ううむ……何より君に言われるのは不服だけど、浮気と指摘されたら神として不貞を晒し続けるのも不名誉だよね……」
観念したようだ。
溜め息交じりに居住いを正した。
まったく、神族は変わり種だらけである。
だいたい頭がピンクな奴ばかりだ。
「――でも、彼女が女神本人だって事は否定できないけどね」
「どういうことだ?」
「その証拠がこれだよ、これ」
リィールはケアの机に置かれた物をぱんぱんと叩いて示した。
そこに獣皮紙が広げられていた。
禍々しい魔族文字が刻まれている。
それは原聖典『アーカーシャの……。
違う。聖典じゃない。単なるポエムだ。
俺の半生をケアが詩に綴っただけのモノ。一応、封印魔法を付与したらしいが、対レナンシー戦では効力は無かった。黒歴史を抉るポエム効果しか……。
背後にしがみつくケアを見やる。
本人は相変わらず赤面状態。あれほど嫌っていた神と親しげにしている様子を見られて恥ずかしかったらしい。
別に仲直りすればいいと思うけど。
ケアが顔を上げて膨れっ面を見せた。
「ジュニアさん、おそいー」
「……ごめん。色々あったんだ」
「おそいよー」
「ごめんって」
俺の帰りが遅いから仕方なくリィールと遊んでやったと言わんばかりだ。
「ケア、リィールと何していた? 暇を持て余してポエム研究会でも立ち上げたのか」
「あぅ……」
ケアが視線を逸らした。
説明が面倒くさいようである。
リィールが代わって話し始めた。
「ま、少し情報交換といこうか。ジェイク君も込み入った事情がありそうだし。どうかな? 世間話も兼ねて余の神殿でお茶でも――」
「いや、今はそれどころじゃないんだ」
「なんだか焦っているね?」
「ああ。すぐに国外退去しないといけない」
「ふむ、その二人と関係ありかな?」
リィールの視線が俺の後方に向く。
そう……存在感が薄いが彼女らも一緒だ。
旅の途中も、村に入った時も、神殿に来てからもずっと黙ったままだが、エトナとマウナもちゃんと居たのである。
喋れなくなったわけではない。
ただ、絶望してるんだ……。
彼女らの心中を察したら当然だった。
○
現状、メルヒェンは失脚したも同然だ。
ペトロ法廷への出廷に応じず、国内外では北方戦線の戦犯扱い、屋敷まで焼失した。
王都市民の手で理不尽に放火されたのだ。
あまりにも悲劇すぎる。
――"娘たちを連れてってくれないか"。
オーガスティンの頼みも断れなかった。
戸惑いの中でリアにも相談したけど「成るように成ります」と開き直る始末。本来辿る筈だった予定調和が崩壊し、先の展開がどうなるか、リアにも分からないのだと云う。
ロワ三国の有名人だった『双子の巫女』が揃いも揃ってリバーダ大陸へ向かうなんて歴史上の記録にもないそうだ。
つまり今、この時代は混沌の渦中にある。
何が起こっても不思議じゃない。
リピカ風に言えば、抑止力がどう働くか分かったものじゃないって訳だ。
放火にしても誰かの陰謀を感じた。
もちろんペトロ側の目論みもあるだろうが、ジョゼフ閣下一人で企てたとも思えなかった。オーガスティンさんは信頼できる伝手を頼りに一時行方を眩ませ、真相を追うらしい。
一通りの事情を神に打ち明けた。
黙って聞いてくれたが、話の途中でマウナが泣き始めた。
「うっ……ぐすっ……お父さん……」
「お気の毒に。それにしてもエリンという国は臆病者の大馬鹿揃いなんだなぁ」
「お、おい。リィール……」
神の無遠慮な言葉を遮る。
「だってそうだろう? 彼女を晒し者にした王族も、放火に加わった市民も、ペトロの言いなりだったってことさ。メルヒェン家が人身御供になったようなものだ。元々慕っていたって話も、彼女らのスター性に惹かれて擦り寄っていただけで心の底から好きだったわけじゃないんだろう」
リィールの指摘はご尤もだった。
俺も人の悪意に敏感だから察していた。
でも本人たちの前でそんな残酷な言葉を突きつけなくても……。
「神様かどうかは置いておいて――」
エトナが重く閉ざしていた口を開く。
「貴方の言う通りよ。エリン人は温厚な反面、弱腰な民族性で有名だもの。長い物には巻かれるのが普通なんでしょうね」
「エトナ……」
「ただ、それが良い所でもあるのよ。闘争心がない反面、協調性はあった。そのおかげで平和な国を維持してきたわ。問題は不平等な力にある」
エトナの信条はいつもそうだ。
不平等な力は争いの種。――それは『巫女』という立場で生まれ育った彼女だからこそ日々感じてきたことなのだろう。
「私は、お父様の言い付けに従ってリバーダに行くわ。太古から魔の発祥と謂われるアザレア王国なら『詠唱』のヒントもたくさんあるはず。私は『魔術』を編み出して魔法を普及したい」
力強く、そう宣言した。
ある種、彼女にとっては大陸横断は逃亡ではなく修験の旅に近いのかもしれない。国に裏切られたことをいつまでも悲観するのではなく、より良い世界に変える為に旅立つというのだ。
なんて強い精神力だろう。
「私もお姉ちゃんと一緒に行く……! もっと『巫女』の力を磨いて帰ってきて、エリンの人たちを見返したい。ペトロなんて相手にしなくても良いんだってことを……ちゃんと見せないと駄目なんだっ」
マウナもそれに賛同して宣言した。
メルヒェン家の人々は皆逞しかった。国に裏切られて、家も失くして――すべてを失っても尚、しっかり前を向いて進めるんだから。
「素晴らしい! 余は感動した。猛烈に!」
「え?」
「余も出来る限り君たちを支援するよ。――そうだ。君たちのお父さん、オーガスティン・メルヒェンだったか。彼の真相追及の手助けをしよう」
「本当ですかっ」
「もちろんだとも」
マウナが喜んで聞き返した。
突然、神の助力を得られた。
「すごくありがたいけど、神が人間個人に肩入れしていいのか」
「え、なにか問題があるのかい?」
「何かって……全知全能の存在が人に肩入れすると自然の調和が崩れるとか……それ系の複雑な事情はないのか?」
「全知でも全能でもないよ。余は人類に揺り籠を創っただけだ。今もそれを創り変える力があるくらいで、ヒトのような知性体の考えることなんてさっぱり分からないからね。それに女神はエンペドという個人に肩入れしているみたいだけど、それについてはどう捉える?」
「む……言われてみれば確かに」
端から神という存在が破綻していた。
連中の間では『統禦者』と呼び合っているらしいが、要するに人間が想像するほど万能な存在でもなく、各々の能力で世界一個一個を管理しているだけのようだ。
「じゃあ今回ばかりは甘えさせてもらう。ただ、俺たちはすぐリバーダ大陸へ向かうぞ。ケアに呼びかけてもらって村人にも出発の準備をしてほしい。レナンシーも東の街で待たせているから」
俺が促すも、ケアは呆然としている。
リィールも困ったように頭を掻いた。
「そのことだけど、ケアはもう少し此処に残して余と一緒に居させてくれないか?」
「またお前は……」
「いやいやっ、疚しい理由はないよ」
「怪しい」
「だから、これの事だって」
そう言って再び机の上を叩いてみせる。
『アーカーシャの系譜』だ。
どうやらここからはリィールの番らしい。ケアがこの時代に生み落としたその巻き物の正体はいったい何なのかという話だ。
…
ギャラ神殿を出て畦道に出る。
リィールに指示されて俺は道から外れ、水田の泥土に足を踏み入れた。
「よし、いい感じ。それじゃあ実験だ」
「実験?」
神の分際で何を実験するというのやら。
暇人はこれだからな。――あぁ、いや、メルヒェン一家を助けてくれるようだし、批判的な目を向けるのは止めておこう。どうにも俺の人生観からか、神批判をしてしまう癖がある。
リィールは神殿から持ち出した『アーカーシャの系譜』を持ち上げ、それを突然、近くにいたエトナの肩に掛けた。
「失礼するよ」
「ちょっと。何するのよっ」
「いや、申し訳ない――ところでエトナ。きみは今この聖典を肩に掛けられて、何か体に異変を感じたかい?」
エトナは不満げだったが、肩に意識を集中させて何も感じないことを確認した。
「いいえ、何もないわ」
「いいぞ。では、今度は君だっ――いくぞ、ジェイクくん!」
巻物を剥ぎ取り、そのままリィールは水田に立つ俺めがけて放り投げた。楽しそうな様子に少し苛立ちさえ覚える。
その巻物に何があるというのか。
レナンシーにも反応なし。
エトナにも反応なし。
――となれば、それはただのポエムだ。俺はポエマーの経歴もなければ、黒歴史を築き上げた経験はほとんどない。黒歴史を抉られることもなければ、何ら危険性はないはず。
巻物がひらひらと舞い込んできた。
ちょうど頭に覆い被さるように降ってくる。
刹那――その巻物は突然、生きた蛇のように蜷局を巻き、俺の胴体を拘束するように巻きついた。
「うぎゃああああああっ!!」
痛い。痛い痛い痛い。
胴の臓物が抉り出されるような激痛が襲う。
しばらく忘れていた"刃物で刺される痛覚"。
水田にばしゃりと倒れて七転八倒。
もがき苦しんで暴れ回った。しかし巻物は剥がれることもなく、俺に吸い付いて離れない。ヒルが吸血してを俺の腹を吸い尽くしているかのようだ。力もうまく入らない。
死ぬ……!
このままでは痛みでショック死するか、水田の水で溺れ死ぬかのどっちかだ。
「ジェイクさん!」
リアの声が聞こえる。
俺を助けに水田に入ってきたようだ。
引き剥がす為に、それに触れた。
「うわっ、痛っ……!」
だが、電撃が弾け飛ぶ。
リアでも聖典には触れられなかった。
「ハッハッハ、やっぱりそうかぁ!」
リィールは嬉しそうにゆったりとした歩調で水田に入ってきて、暴れる俺から器用に『アーカーシャの系譜』だけ剥ぎ取ってみせた。
ハッハッハじゃねぇよ!
楽しそうにしやがって!
やっぱり神族の連中とは相容れない!
「ハァ……ハァ……」
死ぬかと思った。
無様に尻餅ついたまま、肩で息をする。リィールが平然と俺を見下ろすものだから思いっきり睨み返してやった。
「あ、大丈夫?」
「大丈夫じゃねえよっ! 殺す気かっ」
「ごめんごめん。いやぁ、まさかこんなに仮説通りだと思わなくて余も嬉しくなってしまってね」
ふざけるな。一体なんなんだ、それ。
ポエムなんてものじゃない。やっぱり何か魔性の力を秘めた外道の凶器だ。聖典というより魔典や外典と呼んだ方が正しいのでは。
「獣皮紙に刻印された言霊の力だろう」
「言霊?」
「うむ。聖典とは元々、刻まれた言葉自体に意味があるものさ。ケアが魔族文字で書き込んだ君への熱意……その子に反応したことも考慮すると『君の一族への想い』が呪文として機能するようだよ」
リィールは丁重に『アーカーシャの系譜』を両手で持ち、神妙な顔つきで眺めた。
「つまり対オルドリッジ専用の魔道具だと?」
「おそらくそうだ。君と血縁関係にある者すべてに効力を発揮する封印法典。ハハッ、面白いアイテムじゃないか」
「なんだそれっ! 意味ねぇなっ」
味方にしかダメージを与えない最凶の自滅魔道具をケアは創っていたということか。
すごい、さすがケア!
予想だにしない物を創り出す天才!
――って馬鹿かっ。
「あぅ……ジュニアさん大丈夫?」
当の本人は心配そうにしている。
ド天然もドの閾値を越すと有害なのだな。
「しかも効力は『吸血』。封印魔法の中でも天邪鬼な属性だ」
「吸血?」
「魔力が強ければ強い者ほど封印の拘束力が高まるのさ。対象から吸い上げる魔力が強いと、より強固な力を発揮するってわけ」
「そんな外道法典が聖典『アーカーシャの系譜』の正体だったのか……」
聖典という崇高さは微塵も感じない。
「言いたいことは分かるけど、世界全体から見れば君の力の方が異端だからね。異端排除には打ってつけだから"聖典"でいいんじゃない?」
「……」
なるほど。世界は辛辣だった。
対オルドリッジ専用なら俺とリアは聖典に触らない方が良さそうだ。
○
文字通り、痛い目にあった俺はリィールの提案を呑むことにした。
ケアを任せて一足先に大陸を渡るのだ。
それが神の謀りならしてやられたという所だが、ケアのことは用件が済み次第、後でアザレア王国へ送り届けると言っている。レナンシーと同様、海神の力で大陸横断など容易なことらしい。メルヒェン家への支援の事もあるからリィールを信用することにした。
神の用件とは『アーカーシャの系譜』の事。
聖典はまだ不完全なものであり、改良すれば将来的に『聖典』と呼ばれるに足る力を持つそうだ。そんなことに夢中になる理由は教えてくれなかったが、様子から察するに単なる私情だと思う。
リィールは剥製化待ったなしの世捨て神。
いつ消えても悔いのないよう、ケアとの時間を少しでも長く過ごしたいのかもしれない。
それが片想いに終わったとしても――。
その様子を見てシアのことを考えてしまった。
十六年……。
俺がいない期間を十六年も過ごした。
リアの話によると色んな人の支えがあったとはいえ、女手一つで娘を育てたということだ。
嗚呼、なんてこと……。
可能なら時間を巻き戻して俺が消えた直後の時代に戻りたいが、リア曰く、時空座標なるものと未来側のリゾーマタ・ボルガの準備も要るようで、それは不可能らしい。
我が家も悲劇といえば悲劇だ。
再会の目途があるだけまだマシだが。
「遅いのじゃ」
「すんません」
東の街――ラウダ大陸沿岸の街に到着して開口一番にレナンシーから言われたことはそれだ。
それもそうだろう。
おそらく俺が双子の巫女をエリン王都へ送り届けるとギャラ神殿を発って三ヶ月ほど経過している。
「其方は本当に焦らしプレイが得意なようじゃの……妾も待ちぼうけの余りに幾度となくアレやコレ、それやそれを――」
「はいはい、分かったって!」
いちいち公言しなくていいことを言いだすから怖ろしい。
あの父親にしてこの娘ありだな。
でも待っていてくれて良かった……。
ギャラ神殿側ではリィールの加護もあり、後からでも大陸を渡れる。そのため、ケアの世話役で何人かの青魔族の女と、乳飲み子のいる家族は村に留まり、後発隊として残してきた。
東の街はエリン人が築き上げた街だけあってしっかりした石造りの建造物が立ち並ぶが、青魔族が占拠している。レナンシー達と此処を発てば、廃墟の街に戻ってしまうのだろう。
ダリ・アモールを彷彿とする街並みだ。
聖典とも、こんな街並みの中に初めて出会った。
あの頃は何も知らず、色んな出来事に翻弄されるきりだった……。
懐かしいな。
昔を思い出して、ぼんやりと街の風景とエトナのことを眺めた。前夜祭の演奏会で魅了されたメドナさんの歌声が脳内再生される。
どこかでメドナさんも見てるかな。
死者の世界に時間の概念はあるのだろうか。
「なによ、ジェイク?」
「ん?」
「あ、もしかして心配してくれてるの?」
俺の視線を感じてエトナが振り返った。
そうだ。今は懐古の情に浸っている場合じゃない。古代でもこうやって苦しむ人や辛い思いをしている人たちがたくさんいるんだ。
「もちろん。帰る家がないなんて辛いだろ」
「ふふ、残念。私はそんな弱くないわ」
「知ってる……でも、辛いときはたまには泣いたっていいんだ」
ほんの少し、エトナが瞼を重たそうに閉じた。
でもすぐに目を開ける。力強い視線だ。
「まだ大丈夫よ。そのときが来たら貴方の胸でも借りることにするわね」
そう悪戯に微笑んでみせる。
思っていたより平気そうで安心した。




