Episode218 バッドエンドの檻
途中から『Episode217 古今境界線』の最後の場面に戻ります。
リア視点→ジェイク視点へ
約束の十五の歳、古代へ行く時が来た。
メルペック教会本部の地下聖堂。
ここに『神の羅針盤』は開門し、私という通過者を待ち侘びていた。
既に盃は神性魔力で満ちている。
見送りは『名も無き英雄』の正体を知るお母さんとリピカさんの二人だけだ。
あれだけ多くの出会いがあったわりに別れを惜しむ人はいないのかというものだが、単純に惜しむ別れがないというだけの話である。
――何故なら別れは一瞬の間だから。
きっと、お母さんとリピカさんの視点で見れば、私が「いってきます」と言ってリゾーマタ・ボルガを通り抜けた直後には、お父さんを連れて「ただいま」と戻ってきている事だろう。
それが時間旅行の罠だ。
「こっちの時空座標の暗証は大丈夫かしら?」
リピカさんが確認を入れる。
「はい。座標(51・507.3509・0.127・7.583)、メルペック暦1013年の王都エリンドロワです」
――時間座標。
これが未来へ帰るために必要な情報だ。
別の時間軸へ移動するには時間の概念を超越し、相対時間を静止して傍観する不動の存在が必要である。その不動なる存在がリゾーマタ・ボルガという時間座標指定の魔道具を道標にして、初めて時間旅行ができる。
「現在の羅針盤の座標も確認して」
「行き先は……覡暦623年。父の時間旅行より5年、先回りする座標です」
リゾーマタ・ボルガを構成する三つの円月輪から座標を読み取る。
「大丈夫そうね」
私はお父さんより五年ほど先回りする。
案内役を全うする為に最低年月でそれくらいかかるのだ。
古代における私の地位確立。
鍵となる双子の巫女への事前介入。
名も無き英雄をボルガへ導く予定調和。
すべて偶然を装って因果を編み上げ、不時着した名も無き英雄と覡暦628年でドッキングする。
この任務を遂行する上で限界が一つある。
重複するが、私が消えている間は一瞬だ。
だが過去で五年ほどの年月を経験する。
つまり私は現在十五歳だが、戻ってくる頃には二十を過ぎているだろう。
一方で母シア・ランドールは現在三十二歳。
戻ってきても三十二歳のままだ。
古代にいる父は十七歳だから、連れ帰っても十七歳か十八歳程度だろう。
きっと、あべこべな家族になる。
この時間旅行において家族の年齢構成がぐちゃぐちゃになるのはリゾーマタ・ボルガという魔道具の限界だった。
所詮、これは"羅針盤"なのだ。
時間を巻き戻せるわけではない。
それにしても初めて会う父が年下とは……。
戸惑うが、まぁ貴重な経験だと思って前向きに考えよう。それに私と父は不老の肉体で、母は長命の種族なので然程、大差のない年齢だろう。
「リア……お父さんのこと、お願いします」
一番かわいそうなのは母だ。
母の笑顔を見るためにも何としてもこの任務をやり遂げる。
決意を新たに返事をした。
「はい。これ、一瞬だけ借りておきます」
胸から提げたペンダントを示す。
母がこの十六年、大事に持ち続けた物だ。
今の魔道技術においては古臭い品だが、この世に二つとない貴重な代物である。
そうして私は羅針盤を頼りに古代へ送られた。
○
リア・アルター。
それが私の古代における秘匿名。
未来での訓練を経て技能も知識も蓄えた。
覡暦末期では何が起きていて、どう振舞うべきなのか。
どんな脅威がいて、どう対策すべきなのか。
すべて熟知してきた。
メルヒェン家では貴重な巫女が双子で生まれ、教育に力を入れている。
そこで、父譲りの頬の魔族紋章を利用して魔族と偽り、母国語(古代におけるロワ語)と教養を披露して、言語学を学ぶ清浄な魔族と認知されておく。
必然、外相のメルヒェン家は私に関心を示す。
魔族語の教育係として雇われる。
すべて手筈通りだ。
手筈通りだったのだが――。
「貴方が――」
「ん?」
青い月光の下。
照らされた偉大な姿を忘れない。
その人は私の予想以上に真っ直ぐ正義を貫く人物だった。
初めて会った日の夜、
――シア……絶対戻るからな。
そう泣きじゃくる父が見れて嬉しかった。
未来でもお母さんが貴方を待ち侘びている。
二人の想いが共通のものと知り、娘ながら安心したものだ。
そのためにも案内を完遂しようと誓った。
不器用な二人の幸せのために。
……だが、父は病的に正義を貫き過ぎる。
正しくない自分をすぐ責める。
上手くできない自分をすぐ呪う。
研鑽して、研鑽して、それでも慢心せずに、ひたすら正義の為に走り続ける人だった。
おそらく幼少期にオルドリッジ書庫で読み続けた英雄譚が呪縛になっている。
英雄はこうあるべき。
戦士はこう身を投げ出すべき。
そんな偏った思想。
それは羨望というより汚染に近い。
エンペドの陰謀に汚染されている。
そんな典型を模倣し続けた父の運命を変えることは難しかった。
このままでは戦士思想のまま、父は古代で第二の人生を謳歌し、未来にいた頃の事さえ忘れてしまうだろう。
それはバッドエンドだ。
その運命から父を抜け出させてあげたい。
私は変革者として出来る限りのことはしたつもりだ。
本来、変革者は直接手を下さず、複雑系の応用で標的を誘い、謀り、導くもの。
一方で、父と遭遇してからの私は突如飛び込んでくる不測の事態に何度も自ら手を下した。
下してしまった……。
青魔族との会話で率先して通訳をした。
カードゲームでは手札をすり替えた。
相手の手札になるべく特殊カードが行かないようにした。
ペトロの執着を振り払う為に戦陣に出た。
ハイランダー軍を翻弄して戦力を削いだ。
山岳帯で魔獣の群れを沈めた。
駆逐し尽くして帰還を早めた。
――それらは失敗だった。
本来筋書きを作る私が表舞台に立ったのが失敗だった。
私のお父さんは根っからの英雄なんだ。
ぶつかれば、こうなると分かったはずだ。
「人を見捨てることが正しいはずがないんだよ!」
突きつけられる否定の言葉。
それは知っている。
――けれど、正義以上に大事なモノがある。
すべて……すべて次の予定へ進むためだというのに、何故こうにも……。
「ハァ……ハァ……じゃあな」
平原を歩く、その背が遠ざかる。
私はお父さんの、訳の分からない心象武器を一度も砕くことがでぎずに敗北した。
お父さんが向かうのは双子の巫女の許。
連れ去られたエトナを救出すべく、覚束ない足取りで立ち去った。
その先はもう引き返せない……。
戦いに生きる運命だ。
堅く縛りつけた運命は名も無き英雄を捕らえる檻のよう。
それだけは駄目……。
「待っ……」
なぜ、こうも頑固なんだ。
なぜ、私を置いて行ってしまうんだ。
私たち家族のことはどうでもいいの?
「待っ……て……!」
私はただ、家族揃って暮らしたかった。
そんな平穏な日々に憧れた。
それだけなのに……。
確かに過ごした日々は幸せだった。
貴方がかつて救ってきた大勢の人たちに支えられる日々は温かかった。
きっと貴方よりずっと幸福な幼少期だった。
でも、そこにお父さんがいなかったら何の一つも足りていない。
お母さんと泣き合った日もある。
お父さんがいなくて辛いとか、寂しいとか、そうやって娘らしく考えたこともあったんだ。
だから……!
振り向いて、戻ってきて。
"私たち"を置いていかないで。
お願いだから……!
「待っ……てよ……お父さん……!」
言ってしまった……。
無理して堰き止めていたものは一度決壊してしまえば敢え無いもの。
溢れ、止めどなく涙が出てしまう。
「……お父さん…………待って、お父さん……うぁぁあっ! うああああ!」
咽び泣いた。
色んな思いが込み上げ、たくさん泣いた。
情けない無力な少女みたいに、ただひたすら泣き続けた。
どれだけそうしていただろう。
大地に俯せて倒れたまま、失敗に終わった任務を嘆いて、父親と離別した悲しみに暮れていた。
私もまた、檻に捕らわれていた。
バッドエンドだ……。
牢獄のように感じた無機質な地面さえ、次第に熱を帯びて暖かみも感じてくる。
きっと涙のせいだ。
失敗の大恥を感じて体が火照ったのか。
虚しい。
心は空虚なのに何故それは温かいのだろう。
直後、ずしりと体を支え起こされた感触。
「ぁ……」
戸惑って吐息を漏らした。
目の前にはお父さんの背があった。
私の体を背負ってくれている。
「あの……」
「お前が誰で、なんで此処にいるかなんて知ったことじゃない。でも力を貸せ。俺だけじゃどうしようもない」
「え……」
「ほら、一緒にいくぞ」
私を背負ったまま、お父さんは歩き出した。
ふらふらになりながらもだ。
口数が少なくても理解できる。
お父さんは娘も助けに来てくれた。
そうか。誤解していたのは私の方だ。
お父さんは正義の味方や英雄である以前に優しい人だった。
弱い人を放っておけない。
泣き叫ぶ人を置いて進めない。
なんて馬鹿な人なんだろう。
そうやって抱え込んでしまうなら私も弱い人間になって最初から甘えていれば良かった……。
それはちょっと狡いか。
でも娘なんだし、せめてこの瞬間は……。
「……」
背に顔を埋めても何も言われない。
ああ、やっぱり……。
きっとお父さんは分かっている。
私のことも、私が苦しんでいた事も。
そういえば昔、お父さんの背中に負ぶってもらうことが夢だったな。
そんな頃を思い出して幸せな気持ちになる。
……なるほど、これは癖になりそうだ。
これに甘えるなというのが無理な話だ。
首に手を回し、少しだけ力を込めてその広い背にしがみついた。
今までの反動で甘え癖が付きそうだ。
「――って、元気じゃねぇかよ!」
「え……ひゃっ!」
お父さんが私を振り下ろした。
後ろから落ちて盛大に尻餅をつく。
突然のことで言葉が出なかった。
「しがみつく力があるなら立て!」
「いてて……。いや、あの、今すごく感動的な空気だったと思うのですが」
「そんな場合じゃないだろ! 早くエトナを助けにいくぞ。本当に俺とシアの子だって言うなら、ちゃんと立ち上がれっ」
なるほど。身内には厳しい人なのか。
それとも――。
「照れてるんですか?」
「……て、照れてないっ」
「照れてるんですね」
「違う!」
「まぁ、お父さんはまだお子様ですし」
「その話は後にしろ!」
早速"あべこべ年齢"の弊害が出ていた。
◇
「ほら、飲んでください」
そう言ってリアは突然、腕を自傷した。
魔力剣ですっぱり躊躇なく切り裂いたのだ。
唖然とした……。
「魔力供給です。血を直接飲めば少しは回復します。親子なので適合性も高いかと」
「そんな回復方法、聞いたことないぞ」
「お父さんが無知なだけです。竜種は互いの血を飲ませ合う生態があったそうですよ。ほら」
ほら、と腕を突き出される。
とにかく差し出されたものは、と半ば自棄になって腕に吸い付いた。
少しだけ力がみなぎる。
まだ本調子じゃないが……。
飲み終わった後、リアの腕の傷口も塞がった。
傷の治りの早さは俺と同じで人外レベルだ。
本当に娘なんだな……。
「よし――」
平原から王都行きの街道を眺めた。
歴史上では遅かれ早かれエトナはペトロ側に差し出されることになっている。
「やっぱり助けにいくのですか」
「あぁ、エトナがどうせ助かるとしてもな」
――同時に、助かることも必然だった。
リア曰く、これを契機に歴史は動き出す。
一時、同盟国間で混乱が起きるが、最終的にはペトロや現エリン国王は失墜してロワ三国の歴史に幕を閉じる。覡暦の時代も終わる。
そして結果的にエトナも助かるそうだ。
……でも、それじゃ意味がないんだ。
俺が気にしてるのは最終結果じゃない。
エトナの今の気持ちだ。
「でも、そういうことならこれで最後だ。エトナを助けたらリバーダ大陸へ行くぞ」
「今回ばかりは約束してください」
「ああ。終わったら必ず行く」
「……その言い方をすると、戦死する確率が八割くらい上昇するそうですよ」
「え!? なんでだよ」
「お母さんが昔言ってました」
「相変わらず不吉な事ばかり言ってんな……」
○
一旦メルヒェンのお屋敷に戻ると、庭園でマウナが項垂れていて、それをオーガスティンさんが慰めていた。
エリンドロワ王家の親子にそっくりだ。
「あ……ジェイクさん……それにリア先生も」
「エトナは何処へ行った!?」
「王宮に……連れていかれちゃった……」
マウナは泣き崩れた。
オーガスティンさんも拳を握りしめていた。
眉間に皺を寄せている。悔しそうだ
「私も今回のことばかりは不信に思っている。あの子が山岳戦線の戦犯だなんて……」
「どういうことですか?」
経緯を訪ねた。
オーガスティンさんが取り出したのは一通の公文書。それは昨日届いたばかりの王家からの通達で、エトナのペトロ法廷への出廷指示が書いてある。
容疑は山岳戦線を荒らしたこと。
……何を根拠に、こんな嫌疑を。
ジョゼフ=ニコラ=パンクレス閣下も魔獣の第一波が発生したとき、エトナが陣営のテントにいたと分かっているだろうに。
「お願い、お姉ちゃんを助けて……!」
「ああ、もちろんだ。リア!」
「はい」
エトナの所在は王城だ。
だが、連れ去ったエリン兵士が最後に言った事には、すぐにでも護送用の馬車を用意され、即日ペトロ国へ送られることになっているらしい。
あまりの用意周到ぶりに不吉さを感じる。
急いで王都へ向かった。
…
郊外のメルヒェン邸から王都まで駆けつけ、そのまま街門を跳び越えて、検問さえ介さずに市街に侵入した。
時間魔法を使ってる隙に助け出すのも手だが、今の俺は魔力不足だ。戦闘になったときの為の『心象抽出』用に温存したい。リアに時間を止めてもらうのも手だが、術者じゃないと結局、普通の人間と同じように止まってしまうそうで『自家静止』というテクニックが必要らしい。
俺にはそんな高等技術がないので断念した。
いずれ会得したいと思うが、今はそんなレクチャーを受けてる暇はなかった。
市内では屋根上を伝って王城を目指した。
並走するリアが声をかけてきた。
「お父さん!」
「その"お父さん"ってのはやめろ! まだ受け入れられない!」
「……ジェイクさん、あそこ!」
リアが指差す先には広場があった。
各区を分ける大通りの中心に位置する広場。
そこから放射状に道が広がって各地区を繋げているので人通りが最も多い。
その広場に人だかりが出来ていた。
市民は立て看板を読んで騒然としている。
俺とリアもそこへ降り立ち、人混みに紛れて看板を眺めた。
===================
王都市民へ
ペトロ北方戦線に関する重大通知
同盟国ペトロにおける鉱脈資源確保に当
り、進軍中にあったペトロ北部戦線の山岳
地帯を荒らし、ロワ三国の国益を損なった
罪として以下の者のペトロ法廷出廷に応じ
ることを此処に記す。
巫女 エトナ・メルヒェン
<概要>
山岳地帯での魔法乱用(炎魔法等)によ
って爆発を多発させるなどの、本来ペトロ
軍の意図しない地形変動を起こし、撤退を
強いられる事態を招いた。
また、それにより獣人族の聖域を荒らし
魔獣を大量発生させた等の嫌疑がかけられ
ている。
===================
なんだよ、これ……。
晒し者じゃねぇかよ。
いつの間にか拳を震わせていた。
ぶるぶると震える俺の腕をリアは掴んだ。
「概要のところを見てください」
「あぁ……」
――魔法乱用による爆発。
確かに、山岳地帯で巨人が突然現れたとき爆発が同時に何度も起こっていた。それがエトナの仕業だとペトロ側は決めつけているのか。
馬鹿だな。
本陣営から巨人が発生した場所までの距離はかなりあった。あんな飛距離で予備動作もなしに炎魔法なんて放てるわけがないだろう。
「巫女の力は怖ろしいなぁ」
「エトナ様ももしかしたらペトロに不満があったんじゃねーか? ほら、例の縁談の――」
看板を見た王都市民は思い思いに好き勝手なことを言っていた。
すっかり信じ込んでいる。
おかしいと思ってリアに視線を送った。
「この時代では魔法がどんなものか一切知られていないのです」
そうか……。
古代では魔法を使える巫女の存在が貴重だ。
裏を返せば、一般市民は魔法で何が出来て、何が出来ないのかの肌感覚すらないのだ。不思議な力ならば、どんな奇跡も起こせると思い込んでいるんだろう。
理不尽だ。
こんな有らぬ疑いで晒し者にされて黙っておけるはずがない。




