◆ アルターⅥ
お母さんの仕事は見張り台だった。
王城の天辺と同じ高さはあるだろう高台から、王都郊外を眺め、不穏分子がいれば牽制し、敵意を見せるようなら狙撃して射落とす。
最近、腕の良い弓師が前線に出向いてしまい、見張り台の当番が回らなくなっていたそうだ。
狙撃に長けた人物と聞いて、エスス様とランスロットさんがすぐ思いついたのが学生時代の知人シア・ランドール――つまり私の母だった。
私もよく仕事に付いていった。
近年は、空を飛ぶ魔術師もいるらしい。
この高台で初めて狙撃されたのは、魔法大学で研究に明け暮れる変人魔術師だったそうで、牢獄に拘留されたその日の内にエスス様の知り合いだったと判明し、すぐ釈放されたというエピソードがある。
お母さんも魔法で空を飛ぶが、それは風魔法の応用で体を押し上げたモノだ。風の力で結果的に飛翔する技であり、『空を飛ぶ』魔法とは異なる。
拘留された魔術師は文字通り『空を飛ぶ』。
そんな例外が頻繁に現れるわけもなく――。
「暇ですね、お母さん」
「暇ですねー」
私たちは暇を持て余していた。
母子揃って高台から大空を仰ぐ。
澄み渡っていて綺麗な景色だった。
東を見れば、黎明の森。
西を見れば、黄昏の谷。
ここは王都北区に当たる貴族街の末端に位置するため、地上も長閑な雰囲気で雑踏なんかも見られない。たまに使用人らしき服装の人が買い出しに出歩いている程度だ。
山脈の向こうは戦争中だとは信じがたい。
じっとしてられずに赤黒い弓矢を生成した。
魔砲銃の試し撃ちをしたくなったのだ。
「リア。それは駄目ですよ」
「だって暇ですし」
「高台ごと吹き飛んで大騒ぎになります」
「威力は多少セーブできるようになりました」
「 多 少 ?」
「多少……です」
「……」
無言の圧力を感じた。
これ以上、お母さんの神経を逆撫ですると高台から叩き落されるんじゃないかと思って自重することにした。
高台から落ちることなど別に怖くないが、せっかく仲直りしたばかりなのに、また喧嘩したら馬鹿馬鹿しい。
「せっかくなのでお勉強をしましょう」
「お勉強ですか」
「リアが古代にいっても地形を知っていた方が便利だと思います。地理のお勉強です」
確かに時代が変わっても変わらない物もある。
黎明の森や黄昏の谷はあるだろうか。
レナンサイル山脈は?
――それを機に、地理を教えてもらった。
高台から眺めるエリンドロワの風景は私の胸を高鳴らせる。
ちょっとだけ古代が楽しみになった。
だんだん親子間で熱が入ってきて、宮殿の保管庫に眠る古い文献や歴史書を持ち出して、それと高台からの風景を照らし合わせながら、どの時代にどういう大地があったか想像して遊んだものだ。
メルペック暦何年に其処で戦いがあった。
何百年前に災害があって此処に沼が出来た。
等々……。
私がロワ三国について学んだのもこの時だ。
仕事はそっちのけである。
女王陛下に推薦されて就いた仕事なのに親子揃って何してるんだろう。
○
ある日、高台にランスロットさんが訪れた。
銀の鎧姿ではなく騎士の正装姿だ。
「やぁ。いつも仲良さそうだね」
「こんにちわなさい。ランスロットさんも子どもが出来れば可愛くて仕方ないと思いますよ」
「え……!? いや僕たちはまだそこまで――と、というか、そんな関係じゃないからっ」
「王都市街の人たちは皆知ってます。公表しても誰も驚かないかと」
言われ、騎士は顔を赤らめていく。
救国の英雄と讃えられる存在と思えない。
「その様子だと騎士王の誕生はまだ後ですね」
「からかわないでよっ、シア!」
「ふっふっふ」
私もそこで察した。
きっと彼は女王様と、騎士以上の関係なんだ。
物語でも騎士とお姫様のカップリングはよく見かける。エスス様はもう女王陛下だけど、王族の繁栄を望むなら反対する人もいないだろう。
「――真面目な話、今はそれどころじゃないよ。僕とエススも此処十年は王都復興と北方戦線の対応ばかりで忙殺されてたからね」
「ご活躍は東方でもよく耳にしてました」
「はは……ありがとう。北方十字軍の力さ。でももう少しで戦いも終わる。僕も最近は前線に出向いているし、獣人族の親玉の潜伏先も判ったんだ」
ランスロットさんは褒められて照れ臭そうだ。
「でも公表は次の戦いが終わったら、かなぁ」
「その言い方は嫌な予感しかしません」
「え、そう?」
「はい。今、ランスロットさんが戦死する確率が八割くらい上昇しました」
「そんなに!? 僕、かなり高確率で死ぬね!」
「だいたいそう言い残した人は死にます」
「理不尽な世界だなぁ」
ははは、と騎士は笑ってみせた。
本気にはしていないのだろう。
「まぁ、シアも知っての通り、僕は死んだ方が戦況も有利だけどね」
「白の魔導書は持参されるのですか?」
「それはお守り代わりに。本命の蘇生魔法は鎧の裏に仕込んである」
「もうそんな魔術が……」
私には理解が追いつかない話をしていた。
死んだ方がいいとか。
魔導書とか。
蘇生魔法とか。
一体、何の話をしているんだろう。
「それも実は『名も無き英雄』が残した魔力結晶のおかげさ。……僕は彼には死んでも死にきれないほど感謝してる。戦いも魔法も、心構えもすべて与えてくれたんだから」
広大なエリンドロワの空を眺めて、ランスロットさんは誰かのことを思い浮かべていた。そしてその視線は私に向き、或ることを提案した。
「恩返しになるか分からないけど、リアちゃんに剣術を教えてあげたいと思ってるんだ。直に大聖堂にも行くんだろう? 迷惑かな?」
突然、私に話が振られて困惑する。
剣術指南は間に合っている。
トリスタンから教えてもらった。
「そうですね。ランスロットさんの指導ならきっとリアにとっても実践的だと思います」
「……?」
しかし、お母さんも大賛成していた。
おかしい……。
私の剣の腕前はお母さんも把握してるはず。
なのに、何が実践的なのだろう。
侮られた気がして子供ながらイラッとした
だが、この『実践的』の意味は実際に手解きを受けて知ることになった。
○
相手は救国の英雄といえど生身の人間だ。
私の肉体は規格外の魔造体。
頑健さには自信があったし、影真流の剣技も使い熟す。九歳の子どもでも、私の剣は、その辺の王宮騎士にも引けを取らないと自負していた。だからまず実力試しのときにランスロットさんへ私の凄さを知らしめてやりたいと生意気ながらに考えた。
隙あらば打ち負かしてやろうとも思った。
――だが、侮っていたのは私の方だった。
「この辺なら大丈夫かな……よし。それじゃ、まずリアちゃんの剣の腕前を見るよ」
ランスロットさんが優しげに語りかける。
少し遠慮がちで気迫がない。
これなら打ち負かせるだろう。
王都郊外の大平原。
背景には南レナンサイルの荘厳な霊峰。
これほど広大な場所なら、私がどれだけ人外バトルを繰り広げたところで建物を壊すことはないだろう。
「いいんですか」
「うん。本気で来ても――まぁちょっと怖いけど、多分大丈夫だと思う」
「わかりました」
私は心象抽出で魔剣を生成した。
長すぎず短すぎず、一番応用が利く刀身だ。
対するランスロットさんは支給のロングソードを片手に携えているだけで、構えもせずに私が攻めるのを待っていた。
――悠長な。
私がトコトコ駆け寄るとでも思ったのか。
最初から全力で攻め込んだ。
披露したのは影真流・影斬りドップラーアイ。
正面から残像を見せ、その実、裏から暗殺を図る騙し打ちである。
「行きます。――――……!」
威圧からの強襲。残波。
相手はこの猪突を見て必ず正面から攻めると錯覚する。その隙をつき、本体はより加速をつけて裏へ回り込み、背後から一突きにする。
瞬速で後ろへ回り込み、まだ暢気に前を見ているランスロットさんの片腹に魔力剣を突き出した。
だが、腰から抜刀したロングソードでランスロットさんは私の攻撃を防いでみせた。
しかも二手も――。
一突き目は弾かれ、動揺しながらも放った横一閃は斬り捨てられた。
「……っ」
「――」
先ほどまでの惚けた雰囲気はどこへやら。
ランスロットさんは真剣な眼差しで私に振り向くと、鷹の目を向けて抜刀した剣をそのまま縦に振り下ろした。
「え……!」
振りの速さはおよそ人智を超えていた。
最速を極める影真流の剣技を以てしても受けるのがやっとだ。
しかし、あまりの破壊力で私の魔力剣はその支給品の剣に触れたと同時に粉々に砕かれた。
驚いて身を翻し、その場から後方へ跳び上がって間合いを取った。直後、最後まで振り下ろされた剣は大地に届き、意図も容易くクレーターができた。
「……」
絶句。ありえないパワーだ。
ランスロットさんはあんな穏やかな表情からは想像もつかないほどパワー型の騎士だった。しかも、単なる支給品と思っていたロングソードも、おそらく魔力で強化されている。普通なら大地を凹型にする前に剣の方が折れているはずだ。
「大丈夫?」
殺気すら感じた視線は、遠ざかると優しげなものに変わっていた。
おかしい……。
常識の範疇を超えた騎士が其処に居る。ランスロットさんは私のような反則級の肉体を持っているわけではない。
その剣技は生身の体で繰り出す異業である。
これが救国の英雄……。
真の人外が此処にいた。
後に聞いた話では、ランスロットさんの特異能力に秘密があった。
特異魔法『為すべき救国への収斂』
死ねば死ぬほど極限に向けて肉体強化が収束する魔法。ランスロットさんは既に十数回の死を超越して不敗の肉体を手にしている。
それから何度か打ち合いに持ち込んだ。
……結果から云うと惨敗だった。
影真流がいかに最速の剣技といえ、そもそも担い手自体が神速であれば張り合えもしない。ランスロットさんは聖心流という力技の剣術で、影真流の速度を上回っていた。
故に、ぶつかり合ったときは力で押し負ける。
それに剣術だけではない。
魔力剣の生成が間に合わずに肉弾戦に持ち込んだときも、まるで岩石でも蹴ったかのようにランスロットさんはまったく動じなかった。
反面、反撃で蹴られた時には私の体は平原を超えて黄昏の谷まで吹き飛んだほどだ。
その飛距離、数キロはある……。
一蹴りで数キロもヒトを蹴り飛ばすのだ。
私の体はこれでも半魔造体。
ただの人間なら肉片一つ残らないだろう。
……強すぎて話にならなかった。
体がボロボロになってから気づいた。
――母の云う『実践的』とはこのことか。
肉体性能が同じだから、本場の戦いを味わえるという事だろう。
普通の人間同士の戦いではお遊びのようなものになってしまう。ランスロットさんとの戦いで私は初めて力の競り合いで負けることを味わえたのだ。
「カハッ……ハァ……ハァッ……」
でも、これはキツい。
実践的どころか全負けの未来しか見えない。
○
私は井の中の蛙だった。
世界は広く、化け物は山ほどいた。
ランスロットさんはその一人だ。
私は、不服に思っていた聖心流の剣術指南を半ば敗北感の中で受けることになった。
今まで競争相手がいなくて気づかなかったが、私は意外と負けず嫌いだったみたいだ。ランスロットさんの馬鹿みたいな力に適わなくても、聖心流を会得して、せめて張り合いたかった。
私と彼の剣術修行という名の怪物バトルは熾烈を極め、高台の見張りから見える地形も年々少しずつ変わっていった気がする……。
この頃から私は既に弓師や剣士という在り方を超え、戦闘狂の怪物のような有り様になっていた。
なんとかランスロットさんを打ち負かしたいと、『心象抽出』で何でも造れることをいい事に、剣だけでなく鈍器や投擲、あるいは弓による『魔砲銃』までお見舞いして彼に挑んだのに、ついぞ一度も勝てなかった。
現在の戦術は、ほぼこのとき完成した。
魔族が扱う『機神流』だとも世間では揶揄され、王都市民は救国の英雄と戦い続ける私の存在を噂し始めたが、エスス様の情報操作力で騒がれるまではしなかった。
さすが女王陛下。
王都の流行衣装を裏で操るだけの手腕がある。
気づけば二年経ち、私は十一歳になった。
お父さんがこの時代にいなくなって十二年経ったことになる。
――この年、ついに『騎士王』が誕生した。
北方戦線はエリンドロワの勝利で幕を閉じた。
獣人族の親玉は敗走して逃げ続けていたが、居所が明るみになるにつれて追い込まれ、ついには討ち取られた。
北方の戦争は終わった。
紛争地帯はエリンドロワの支配下に置かれ、国土も広がり、鉱脈資源も新たに手に入れた。
エリンドロワがまた最上国の座を堅固にした。
すべてが落ち着いた矢先、純白の女王様と騎士は結ばれ、騎士王ランスロットが誕生した。
私もお母さんも、個人的にお祝いをして二人の新たな門出を祝福したのだが、なんとこのとき既に女王陛下のお腹に子どもがいた。
騎士王もやることはやってたらしい……。
吉報ばかりで王都は華やかさが増していく。
魔術研究も最盛期を迎え、宙へと映像を投射する魔法技術が発明されたり、魔力エネルギーを演算機に通して計算の代替わりをする魔道具も造られたりと、四歳で初めて見た王都の街並みとは少し変わっていった気がする。
そんな魔術発明の中に、賢者『リナリー・リベルタ』の名も見かけて誇らしく思ったこともある。
そんな変化の年を経験しながら私は再び"世界の秘密"に出逢った。
――あの修道女だ。
私もだいぶお母さんから離れて行動するようになったが、王都を適当に散歩していたときに、ふらりと通りがかった路地裏で、まるで元から私が此処を通ることを知っていたかのようにその人は現れた。
彼女が誰なのか、もう知っている。
私が四歳の頃から全く姿が変わってない。
「貴方がリピカさんですか?」
「そこまで分かってるなら何も言う必要はなさそうね」
「ええ、まぁ……お父さんに会いに行く方法を知ってるんですよね?」
「呑み込みが早いのね。ついてきて」
彼女はリピカ・アストラル。
女神の成れの果て。
エンペドとともに陰謀を企て、そして父を嵌め落すことに成功し、一度古代から現代まで過ごした存在……。
しかし、父がエンペドの陰謀を打ち砕いたこの世界において存在するはずのない異端。
正体不明の抜け殻なのだ。
連れられたのは王都の西区。
そこは緑が多い地区だった。
古い街並みが残り、その中で一際目を引くのが神聖さ際立たせるメルペック教会大聖堂。
入るのは初めてである。
聖堂の扉を潜るとそこは別空間だった。
「なんだか空気が重たいですね」
「何にも変え難い"あなた"という主役の門出の地なのよ。それがどの舞台より重くなくてどうするの」
「それはどういう……?」
リピカさんは返事もせずに教会を突き進む。
司教座を通り過ぎ、その奥には階段があった。
怪しく光るステンドグラスの直下。
そこに仄暗い世界がある。
「運命論は信じる?」
闇に溶け込む前、ふと質問された。
「そうですね……。私自身の生い立ちを知れば知るほど、父を身近に感じました。それが運命というものなら、よく仕組まれた因果だと思います」
「ふふ、上出来よ」
嗤っていた。
私が過ごした日々を称えるように。
リピカさんは地下聖堂への階段を降りた。
闇に溶け込んだその先から、声が聞こえた。
「――あなたの使命はalteration」
それは聖堂全体から響く音のようだ。
因果改変……。
お父さんは世界の秘密の中心だった。
それが過去へ送られたというのなら、きっとこれは元より仕組まれだ運命の意図。
改変できるのは私しかいない。
「物事を本質から変える者を変革者と呼ぶわ。
――リア・アルター
ここから先はそう名乗りなさい」
私の秘匿名が決められた。
そうしてリピカさんから教わった。
統禦者の世界。深祖の存在。魔力の系譜。
古の時代のこと。
予定調和を編むということ。
人の欺き方から誘導方法まで。
過去に送られた英雄が、その時代で接触しただろう人物も、リピカさんは把握していた。
彼女も十数年の間を無意義に過ごしたわけでないようだ。
次回更新は2016/12/23~25の金土日です。




