Episode217 古今境界線
リアが首から提げていたペンダント。
その写し絵には『俺』の姿が写されていた。
――未来で片割れとして置いてきたはずのもの。
あの朝焼けの光景を覚えてる。
穏やかに写し絵を眺めるシアの横顔は幸福に満ちていた。英雄譚は終わりだと諌め、王都決戦の前に俺の背を押した。
シアにとっても大切な代物なはずだ。
安易に手放さないだろう。
それをなぜ、こいつが持っている?
そもそも此処にソレがあるということは……。
立ちふさがる障壁は微動だにしない。
睨み合ったままだ。
その障壁の遥か向こうの街道では、慌ただしく馬車が王都へ向けて走っていく。
エトナを乗せた馬車だ。
刻一刻と守りたい者が遠ざかる。
追い駆けていたマウナも走れなくなり、道端の途中で足を崩して泣き出した。
今はこいつに構ってる状況じゃなかった。
「……退けよ。マウナが泣いてるだろ」
「退きません。貴方が助けてはいけない」
「なんでそんなこと言うんだ!」
「先ほども言った通りです。彼女たちにこれ以上関われば、貴方はこの時代の因果に呑まれ、時の人として此処で生涯を終えることになります。だから見捨ててください。貴方自身が救われるためにも――」
冷静に、薄情に、リアはそう言ってみせた。
最初からこうなると知っていたのか。
信じられない……。
あれほど仲睦まじく、北の森からメルヒェン邸への旅路でも協力し合って、楽しく話をして、これまで仲間のようにやってきたというのに。
それが全部、演技だったのか。
「――――」
怒りが込み上げていた。
世の中、不条理というものはたくさんある。
でもこんなものは初めてだ。
俺自身のために、あの二人を犠牲にしろ?
そんなことが出来ると思うのか。
人の願いばかり気にして生きてきた偽善者を、
ガラクタみたいに生きてきた男を、
許してくれた少女がいる。
庇ってくれた少女がいる
"――私がずっと守ってあげるから"
そう言ってくれた子を唯一、見捨てろと?
生涯で最も裏切ってはいけない少女だ。見捨てるという選択肢があるはずがない。もしそう企てたというのならリアはやっぱり敵だった。
世界の原理を識り、運命を優先する薄情者だ。
「最初から……こうなると知ってたのか」
「はい」
「だったら何で平然としてやがる……」
「嘘つきじゃないとやっていけない世界もあると言ったでしょう。私には使命があります。何にも代えがたい使命です。その為にも貴方を『ボルガ』のもとまで案内する必要があります」
――嘘つきじゃないとやっていけない。
それは青魔族に尋問をかける時に聞いた話だったか。リアがどんな使命を背負っているか知った話じゃないが、彼女はその使命のために嘘を吐き続け、ここまで俺を誘導していたという事だ。
「ふざけるな……」
「――!」
「ふざけるなよッ!」
堪えていたものが飛び出した。
決壊した感情は五臓六腑から体幹四肢に渡るまで隅々に流れ込み、エネルギーとなって爆発した。
踏みしめたら大地は窪み、駆け出せば空気は切り裂かれる。
止めるものなら止めてみろ。
最強兵器である肉体の最高の速度。
砲弾に匹敵する速度でリアへと肉迫し、その腹部を殴りつけた。
リアは頑丈な魔造体の体だ。
きっとまともに受けたところで大したダメージにならないだろうが飛距離を稼ぐことは出来る。
殴り飛ばされたリアが平原に身体を滑らせる。
――障壁は消えた。
そのまま勢いを止めずに走り続けた。
時間を止めるべきか迷ったが、まだ大した距離じゃない。エトナを乗せた馬車まで数十秒も走れば追いつくだろう。
しかし……目の前にはまた障壁がいた。
脚を止めた。急ブレーキして足が滑る。
「イタタ……お腹を殴られたのは初めてです」
つい直前に殴り飛ばし、別方向へと距離を開いた相手がまるで"しばらく"時間をかけて戻ってきたかのように其処にいた。
些細なことのようにお腹を擦りながら。
「喧嘩というやつですか。いいですよ」
「お前は……」
リアはメキメキと右手で握り拳を作った。
その直後には俺の懐に飛び込んでいる。
――駿足の域を超えている。
俺が披露してみせた速度を凌駕していた。
真似するように繰り出したボディブローが俺の腹部を抉った。もろに喰らい、俺はその驚異的な力で遥か後方へと吹き飛ばされた。
「ぐぁあああ!」
「――――追撃です」
まだ地に足どころか背すらついていない状態で、そんな冷徹な声が即時、耳に届いた。背面に吹き飛ばされている最中にリアが接近したようだ。
接近の時間も僅かだった。
容赦なく背中を蹴り上げられる。
進行方向が平行から垂直へ。
大地に接するように飛んでいた俺の体は、垂直に空へと上昇した。
なんてパワーだ……。
上空で体を捻り、態勢を立て直す。
直下からリアが今まさに跳び上がった所だった。放たれた魔造体は大地に円い溝を作り、俺へと一直線に向かってくる。地上から飛来する脅威を見て、俺は刹那に『止まれ!』と念じた。
赤黒い魔力が世界を覆い尽くす。
そして時は止まり、リアも宙に固定された。
静止している彼女を俺も容赦なく殴りつけた。
「この……!」
「うっ――――!」
体に触れていた一瞬だけ、リアは静止した世界を共有し、しかし離れた瞬間にまた静止する。
この戦い方は懐かしい。
魔力切れの心配で避けていたが、人の限界を遥かに超越した魔造体との戦いには『時間魔法』に頼る方が理に適っている。
――それにどうやら、こいつにもちゃんと『時間魔法』が効くようだ。
進行方向が地面へと移ったリア。
俺は一度着地し、すぐさま跳び上がった。
肉弾戦のコンボ攻撃だ。
宙で静止するリアを跳び蹴りして、逆に空へと送り飛ばしてやろうと思った。
「今度は加減なしでブッ飛ばすぞ!」
渾身の力を込めて蹴りつける。
飛距離が必要だ。
どんなに駿足で迫っても追いつけなくなるくらいの一撃が――。
あとは『時間魔法』が続く限りは距離を稼ぎ、エトナの馬車に追いつこう。
跳び蹴りの一撃を食らわせたその瞬間。
「ほらよ――っ!」
「――」
「――っ!」
リアは俺の一撃を喰らったと同時に、即座に俺の足を片手で掴んでみせた。
なんて反射神経だ!
世の物理法則を覆す威力で放たれた攻撃を受けたというのに、それを受けた直後に体を掴むことで時間を共有し続けれるように図ったようだ。
リアに引っ張られる形で俺も空を翔ける。
「離せ!」
じたばたと暴れてリアを引き離す。
体を離してさえしまえば、またリアを静止した時間へ追い込んで俺だけ離脱することができるはず。
そう思って暴れていた時――。
「自家静止、開始」
リアが何やら呟いて掴んでいた足を離した。
何にせよ、体が離れればこちらのものだ。
地上へと落下する最中、世界中がまだ赤黒い魔力に覆われていることを確認しながら敵の姿を見やった。
俺以外のすべてが静止したはずの空間。
……なのに、リアも同じく落下していた。
「仕方ありません。奥の手を使います」
どうなっているんだ。
リアが静止世界を共有している。
魔術の範囲が狭まったのか?
そう思った俺は一度、時間魔法を解除して再度『止まれ』と念じた。
再び世界に赤黒い魔力が蔓延る。
風も止み、静まり返る無音の世界。
――だがリアは平然と動いていた。
「頑固ですね。これ以上は魔力の無駄使いです。諦めてください」
「なんで、なんでだよ!」
もう一度、もう一度と『時間魔法』を何度も使い直したがリアの動きは止まらない。
地面に着地する。
その直後にはリアも舞い降りて猛威を振るう。
――戸惑いによって不意を突かれた。
リアは間髪入れずに俺へと回し蹴りした。
後ろに束ねられた一房の髪が翻る。
そんな映像を最後に眩暈が襲う。
「くっ……」
なんとか倒れないように踏ん張って姿勢を保つ。
俺もようやく『時間魔法』を諦めた……。
使い過ぎて頭がくらくらする。
不覚だった。効かないなんて初めてだ。
「時の支配者」
「……知ってるのか」
「それは同一位相の時空支配権を奪う能力です。自己存在領域での行動圏を奪われた者は、支配された時間内を体験することが出来なくなる。ならば――支配される前に支配してしまえばいいだけの話」
「対抗手段があるってことか?」
「ええ。同じ能力を使えば」
同じ能力を使えば――つまり、リアにも俺と同じ『時の支配者』の力があるということ。
やっぱりそうだったか。
ヒトが繰り出すエネルギーには限度がある。
力もだが、速さもそうだ。
リアはこれまで何度も"消えた"。
忽然といなくなり、また別の場所から湧き出たり……時間を超越しなければ動けないような距離を移動してみせた。俺の時間魔法の技を傍から見れば、きっとあんな風に映るのだろう。
彼女もまた『時の支配者』だった。
――それは同時にリアも『虚数魔力』を有することを意味している。
「さぁ、私の勝ちです」
「……それはどうかな」
「もう貴方に対抗手段はありません。既に魔力が枯渇して、いつ倒れても不思議じゃない状態です。何ならこのまま行動不能にして、貴方が寝ている間に大陸横断をしてもいいのですよ」
確かにリアにはまだ余裕がある。
俺は魔力酷使の影響で眩暈がする。
力も互角。
張り合えることは出来ても、あとはジリ貧で俺が先に倒れるだろう。
だが、ここで倒れるわけにはいかない。
エトナのことを守りたい。
彼女が窮地に陥って余計にそう思った。
どんな時でも俺を庇ってくれたのだ。俺の弱さを認めてくれるエトナを、俺という一人の男が大切だと思ったのだ。
それは英雄だからじゃない。
理想や憧れの為でなく俺自身の願いだ。
それで救えなかったら俺は偽物だ。
「固まれ」
「……っ! 自家静止!」
時間魔法に気づいたリアは即座に対抗した。
俺とリアの間合いだけを埋める時間魔法。
その範囲だけで十分だ。
「貴方は馬鹿ですか! 魔力の無駄使いと言ったはずです。そんな極小の領域で時間を止めたとしても、私の自己存在領域の支配権は奪わせません。いずれ魔力切れで本当に倒れますよ」
「それはお互い様だろ?」
「は……ジェイクさんは単純な計算すらできないのですか。貴方は既に魔力が切れかかっている。私にはまだ余裕があります。どちらが先に魔力切れを起こすかは明白です」
どちらが先に倒れるか。
そんなものはやってみないと分からない。
昔からそうだった。
自らの不出来を補ってきたのは"根性"だ。
魔力がないとか、力がないとか、そんな理屈で諦められるなら、俺は最初から英雄なんて目指していない。
「ほら、いくぞ!」
さらに魔力剣を生成して魔力を削る。
「いいですよ。次に目が覚めたときにはアザレアの空を拝んでることでしょう」
肉迫する二つの影。
赤黒い魔力で覆われた戦場で、両者とも魔力の剣を携え、攻撃し合った。
これを使い続けている限り、リアも対抗策として『時間魔法』を使わざるを得ない。
あとは魔力剣の本数で稼ぐしかない。
剣の鬩ぎ合いだけで相手の魔力を削りきるのだ。
しかし、剣術は相手が一枚上手かもしれない。
俺の剣技は影真流が基盤だった。
リアは三種も使いこなす。
聖心流、影真流、機神流。
どれも心得があるようだ。
その卓越した剣技を補うには経験しかない。
――踏み込み、叩き落とす。
巨大な剣を構えてリアの量産を圧倒した。
「な、なぜそんな精度の心象抽出が……」
相手の剣を叩き折った。
リアの魔力剣を折り続け、霧散させる。
その都度、リアは剣を新たに創り上げていく。
リアは真っ当な討ち合いをやめ、地を転がるように俺の一閃を回避したかと思えば、足元めがけて剣で斬りつけてきた。
――でも甘い。
俺はその剣戟さえも下段からの振り上げで叩き折った。リアは折られる度に十本、二十本と魔力剣の生成を繰り返した。繰り返される『心象抽出』は徐々に精度が落ちていく。
「既に枯渇した魔力で、時間魔法を使い続けて尚、何故そんな武器が――」
「……!」
落ちそうになる意識。
歯を食いしばって引き留める。
既に魔力は枯渇していた。
寒気は冷気に変わっていつでも奈落の底へ落とすぞと脅している。
足を使い、腰を使い、軸をぶらさずにリアの剣術に抗いながら、その剣を振るい続けた。
消えていく無数の魔力剣にリアは困惑していた。
「お前の剣には――」
"重たい剣だぜ。仲間を守る武器ってのはよ"
力も互角。魔力も同等。
剣術で敵わないのなら剣の出来栄えで競う。
そんな勝負を張ったことがあったのだ。
経験が勝ることもある。
「重みが足りてないんだよ!」
「その刀身は……」
抽出した心象は火剣ボルカニック・ボルガ。
赤毛の男が持ち得た庇護の剣。
そのエピソードを知っているからこそ発揮する守りの剣だ。
そこいらの量産と一緒にしてもらっては困る。
究極の一さえあればいい。
それさえ造れれば他を量産する必要がない。
アルフレッドの剣技と同じように、用途は叩くこと。斬り合いが意味をなさず、魔力の削ぎ合いのための剣殺しであれば、ボルカニック・ボルガの重さが随一を誇る。
俺が生成した剣の正体を知ったリアだが、まだ果敢に攻めてきた。
「私の魔力には余裕があります。虚勢を張ってもいずれ落ちるのは貴方の方ですよ……! どうして……どうしてそんな無理をするのですかっ」
それは愚問だ。
リアは剣技を止めずに俺へ問いかけた。
「未来で大切な人が待っていますっ! その人だって抵抗する貴方なんて見たくないはずです。帰ってきて欲しいと願っている――!」
「お前、シアを知ってるな?」
一瞬だけ止まるリアの剣筋。
それで理解した。
やはりリアは未来の人間だ。
俺と同じ時代を生きた人物。俺のことを知っているような素振り、俺を尊敬すると言ったこと、あれらは未来の姿を知っているからだ。
「シアがその写し絵を手放すはずないものな」
「み、見たのですか、ペンダントをっ」
「さっきおっぱいを触ったときに」
「やっぱり触ったんじゃないですか!」
剣の討ち合いは終わらない。
リアは既に百本を超える得物を叩き折られた。
だが俺は一本だけ――偽ボルカニック・ボルガの輝きはいつまでも失われない。
その大剣を、渾身の力を込めて振り下ろした。
「シアだって誰かを見捨てる俺なんて見たくないに決まってんだろうが!」
「……っ!」
リアが携えていた双剣は同時に砕け散った。
再抽出しても、そこにあるのは直前の劣化版。
もう叩き落とすのは容易だった。
あとは俺が気を失わなければ勝ちだ。
「リアが敵じゃなくても、俺を救うためだという言葉が真実だとしても――人を見捨てることが正しいはずがないんだよ!」
「く……ぁ……っ!」
「だから俺はエトナを助けにいく」
容易に叩き折れた魔力剣。
同時にリアの心も折れたようだ。
新たな魔力剣を創ることもなくリアは膝をついて地に伏せた。
戦意喪失。
多勢で挑んだ模造刀は、究極の一を模したモノに叶わなかったらしい。
まだ未熟だな。
おっぱいだけでなく戦闘技術も――。
地面にへたり込むリアを見るのは複雑な気分だ。
目を背けたくなる。
「ハァ……ハァ……じゃあな」
偽ボルカニック・ボルガを大地に突き刺して踵を返す。炎の大剣は役目を終えたとばかりに穏やかに大気へと溶け込んだ。
「待っ……」
敗者の慟哭が耳朶を叩く。
でも無視だ。
いい加減、眩暈も酷過ぎる。
少しでも走り出したら倒れそうだ。
「待っ……て……!」
もうエトナを乗せた馬車は王都へ行ってしまっただろうか。今から追いかけようにも追いつけない。一度マウナから事情を聴いて、向かうべき場所を決めた方がいいだろう。
休む時間はあるだろうか。
「待っ……てよ……お父さん……!」
そう呼ばれて、つい足が止まる。
振り向いてはいけないと思った。
「……お父さん…………待って、お父さん……うぁぁあっ! うああああ!」
慟哭だった。
後ろには泣き叫んでる女がいた。
どんな思いで嘘をつき続け、どんな孤独の中で使命を全うしようとしていたのか。
――あぁ、さすがに気づいた。
魔族紋章を宿し、魔族語も喋れる、
剣も使えば弓も放つ、
神性魔力も虚数魔力も持つ変な女……。
尖った耳と髪が少し青いのは母親譲りか。
初めて会ったときリアは「貴方が、」と何か言いかけた。
"――貴方が、お父さんですか"
そんなことを言いかけたのだろうか。
時間旅行の果てに成長した自分の子と巡り合うこともあるのかもしれない。
そうか。無事に産まれていたなら、その子が同じ能力を持ってても不思議じゃない。
魔力は子孫へと継代的に伝播するもの。
築き上げた能力も受け継がれるのだろう。
でもそれとこれとは話が別である。
今、それは後回しだ。
「お前なんて知らない……」
そっと呟き、振り返ることもしなかった。
泣き叫ぶ後ろの女は俺より二、三個も年上だ。
みっともない泣き虫な女だった。
親の顔が見てみたいぜ……。
そう言い聞かせて再び歩み出そうとする。
しかし、先に進むのがどうにも――。
そこに因果の分岐点がある気がした。
進めばもう戻れない。
未来には帰れず、古代の人間となる道だ。
振り返り、泣き叫ぶ女から事情を聞けば、まだあの世界に帰る運命が待っている。
その境界線が平原に一本走っている。
そんな気がして、どうにも踏み出せなかった。




