Episode215 黒幕考察Ⅱ
身近な存在から当たるべきだろう。
旅疲れが残るエトナに聞くのは気が引ける。
ここはまず、マウナからだ。
当主のオーガスティンと比べて話しやすい。
それに、なぜかマウナは夜な夜な屋敷の廊下を徘徊するという徘徊癖があるようだ。寝間着のネグリジェ姿に羽織り物だけでどこかへ行ってから自室へ帰ってくる。
だから偶然を装って遭いやすい。
「え、リア先生のこと?」
屋敷に帰ってきたその日の晩も、四階の廊下を歩いていた。
しかし、今日は怪訝そうな様子だ。
リアの事を尋ねたのが気に食わなかったらしい。
「なんでリア先生なの?」
「詳しいことは話せない。ホシを追っている」
ホシ……そう、黒幕の目星だ。
俺は自分と同じ力を持った存在が気になる。
それがリアじゃないかと疑っているのだ。
「星って……」
「大人が使う隠語みたいなやつだよ」
「……」
マウナは眉を顰めた。
さすがにきな臭いオーラを感じたか?
しかし協力してくれるようで、マウナは自室に入って中から手招きして俺を呼び寄せた。
「ジェイクさん、部屋に入って」
「む――」
より詳しい話を聞けるのだろうか。
内緒話みたいでワクワクする。
さぁ、リアについての新情報を教えてくれ。
「廊下だとお姉ちゃんにも聞こえちゃうから」
「ご協力、感謝する」
マウナの部屋へお邪魔する。
構造はエトナの部屋と同じようだが、マウナの方が少女らしく、飾りつけが女の子っぽかった。
かわいげな刺繍入りの掛物から調度品の模様まで、何かワンポイントのお洒落を感じさせる。
あんまりジロジロ見たら失礼かと思って、なるべくマウナに目を合わせるようにした。
立ち話のまま、マウナは口を開いた。
「遠征で何かあったの?」
「何かって、まぁ色々あったよ」
「お姉ちゃんと喧嘩した?」
「喧嘩……はしてないと思う。なぜ?」
リアのことを訊きたいのに、マウナは頻りにエトナと俺の関係について尋ねてくる。
「なぜって! 何もないのに、なんでリア先生にいっちゃうの?」
「リアにいく……とは?」
「待って。冷静になろう」
マウナは複雑な表情で口を押えたり、前髪を掻き分けたりと取り乱していた。
素行調査って聞き取り相手次第では面倒くさいな……。
「あのね、直接聞くけどジェイクさんはお姉ちゃんが好きなんだよね?」
「もちろんだ」
「……よ、よし。そう、それならいいよ。はい、それで一ヶ月も一緒にいたわけだけど、お姉ちゃんと何かした……よね?」
「いや、何も」
「なんでよっ」
マウナに言及される。
傭兵として戦地で重鎮を守るくらいのことはしたつもりだけど、掻い摘んでエトナと何かしたかと聞かれたら何もない。
遠征途中の町では普通に過ごした。
ペトロの都でも特別何も……。
四六時中、よく話をしてたくらいだ。
というか聞き込み調査をしてるのはこっちなのに、これじゃすっかり立場が逆じゃないか。
「それより、リアのことを教えてほしい。例えば、巫女の教育係として雇われた経緯とか。彼女が何年前からこの屋敷にいるとか。あと"強い"という評判はどこから?」
「……」
マウナは黙ってしまった。
「どうした?」
「ジェイクさん……実の妹の前でそんな堂々と浮気目的の聞き込みするなんて、さすがに節操なさすぎるよ……」
「浮気? そんなことはしない」
その線引きは分からないけど。
未来では嫁が待っているから俺が此処まではしないと決めたことはしないようにする。
「そう……なら良かった。じゃあなんでリア先生のことが知りたいの?」
怪しいからだ。
そう言ったらマウナが不安がるだろうか。
いや、信用を失うのは俺の方か。
彼女たちがリアと一緒にいた時間は俺の何倍も長いのだ。
「一週間後には一緒にリバーダ大陸へ向かう。未だに謎めいた人だから、どんな人か知っておきたい」
「え!?」
マウナは初めて聞いたとばかりに驚いた。
あれ、聞いてないのか?
「ウソ……」
「本当だ」
「ちょっと! お姉ちゃん!?」
マウナはついに大声を出して、隣の姉の部屋へと駆け込んでいった。
一人、女の子の部屋で置き去りにされる俺。
エトナは寝てるんじゃないだろうか。
呼び出されでもしたら面倒だ。
マウナのことだから姉の疲れもお構いなしにあれこれと土産話ついでに聞き出すかもしれない。マウナは他人には優しいが、姉には甘え尽くす傾向がある。それじゃエトナが可哀想だ。
どうしよう……。
何一つ訊けてないけど、また明日にしようか。
マウナが戻る前に立ち去ることにした。
○
翌日、オーガスティンさんへ帰還報告。
そのついでに聞き込みしようと思った。
いつもの書斎へ通された。
「君も大変だったな。王家経由で遠征の報告文書には既に目を通してある」
書斎は暖炉の薪の香りがして落ち着く。
オーガスティンさんもこれ以上のことは俺に望んでこなかった。油断すると「また頼みごとがあるのだが――」の切り口で何かを依頼してくるから。
「それはそうと、君はリバーダ大陸への旅の後、行く宛てはあるのかね?」
旅の後……?
少し考えて気づいた。
リゾーマタ・ボルガを通って未来に帰るという目的を知っているのはエトナだけだ。オーガスティンからすれば、俺が何かの目的のために小旅行でリバーダへ行くものだと思っているのだろう。
行く宛ては未来だけど、適当に誤魔化すか。
「そのまま腰を据える予定です」
「もしこの家の生活が気に入ったなら――」
「腰を据える予定です!」
「いや、そんな強調せずとも……」
この人はやたらと俺を屋敷に置いておこうとするから毅然とした態度で話をしないと推し負ける。
エトナが逃がしてくれると言ったが、俺自身もズルズル引き込まれないよう、気を付けるべきだ。
「ところでリアのことを教えてほしいです」
「リア・アルター女史?」
「はい。彼女と一緒に大陸を横断するつもりなので、最低限の素性くらい知っておきたいなと」
「それは初耳だ」
「え……聞いてないんですか?」
マウナの時と一緒だ。
この家で暮らしてるのだから、当然、当主や世話になった人に連絡しているものと思っていた。
何やってるんだ、リア。
あいつこそ本当に行く気あるのか。
「まぁ、彼女は魔族語の通訳ができるから向こうの大陸で役に立つだろう。魔族の中には青魔族のように野蛮な種族もいる。気をつけなさい」
想像以上にあっさりしている。
住み込みの教育係がいなくなるのだ。
もう少し別れを惜しんだり、連絡がないことを怒ってもいいだろうに、オーガスティンさんはどうでも良さそうだった。
当主としての器か?
「あの、ちなみにリアはいつからこの屋敷で暮らしているんですか?」
「この屋敷で? 君は何か勘違いしているな」
「勘違い?」
「彼女は此処で暮らしてなどいないよ」
「え!?」
「どこに住んでいるかも知らない。エトナとマウナに魔族語を教えるために家庭教師として雇っただけだ。森伏の儀のときも、魔族語の教育が間に合っていないからと勝手に付いていっただけだからな」
なんだと……。
教育係兼侍女を名乗るぐらいのお屋敷ご用達の教師だと思っていた。
この屋敷内でも何度かすれ違ったし。
それがただの訪問家庭教師だと。
"――いえ、ずっと屋敷にいました"
あの言葉は嘘だったのか。
やっぱりアイツは嘘つきだ。
そして、どこまでが嘘かよく分からない。
益々怪しい。
「ところで森伏の儀とは?」
「伝統儀式のようなものだ。巫女は幼い頃から『神の御業』を使いこなすために自立しなければならない。そこで親元から離して長年過ごさせるのだ。覡暦の創始期の巫女は、それこそ本当に独りで森に篭って修行したそうだが、今となっては世話役も付けている」
「そうですか……」
二人は『林間学校』だと言っていた。
まぁ慣わしで続けてるだけなんだろう。
そんな伝統儀式に殊、リアの関心を引く何かがあるとも思えない。
それから何人か使用人を呼び止めて尋ねた。
だが、リアの素性を知る者はいない。
屋敷内ですれ違うことはあっても、それはメルヒェン姉妹の教育の一環で来訪しているだけだろうと考え、使用人たちも一人で歩き回っている様子を黙認していたと云う。
一体、何なんだ……。
お前は誰だ。
以降、張り込みや尾行も考えるべきだな。
これ、メルヒェン家も危ないんじゃないか。
財産狙いで出入りしてる可能性がある。
◇
帰省して次の日の朝のこと。
早速マウナが部屋へと飛び込んできた。
昨晩もこの部屋に来て何事か騒いでいたが、あまりに眠かったので片手で追い払った。
その続きだろうか。
「お姉ちゃん!」
「なに? 昨日と云い、やけに懐っこいじゃない」
「それより、ジェイクさんのこと!」
朝から息を乱して必死な様子だ。
マウナは最近そればかりだ。
正直のところ、あまりその話はしたくない。
妹の期待するような話は何もない。
「しつこいわね。何もなかったわ」
「それだけじゃなくて、ジェイクさんがリア先生とリバーダ大陸へ逃避行するって!」
「あぁ――リア先生なら通訳が出来るし、いいんじゃないかしら」
そもそも青魔族を引き連れて旅するなら通訳の一人はいないと不便だろう。
賢明な判断だと思う。
「なんでそんなあっさりしてるの?」
「あっさりって……あのねぇ、マウナ。ジェイクにはジェイクの事情があるのよ。私たちが変に掻き回していい人じゃないんだから。マウナもそろそろ大人になりなさい」
そうだ……。
ジェイクは出会ったばかりの頃から抱えている物が大きかった。
谷底で事情を聴いて余計にそう思った。
女神の陰謀。"時"を巡る戦い。復讐の連鎖。
戦って、滅ぼして、また憎まれて……。
ジェイクは、未来では少しでも多くの人を助けようとしただけなんだろう。
普段の振る舞いを見てても分かる。
彼はヒトの期待を裏切れない人だ。
そうやって生きてるうちに大きな陰謀に巻き込まれて、人の悪い部分をたくさん見てしまったんだと思う。
救って、救って、救い続けて、
最後にはどうしようもなく救われなかった、
そんな英雄の末路の姿。
だからあんな怯えた目をしていたんだ。
年齢だって私と変わらない。
人前に立とうとすると怖くて逃げ出す。
泣き虫のくせに、無邪気に恥ずかしい言葉を平気で言う。
心は普通の男の子だった。
――だっていうのに抱え過ぎなのよ。
生きている世界が違うんだ。
私たちが恋だ愛だのと弄んでいい人じゃない。
……そりゃ、大切な人がいるって聞いたときはショックだったけど、冷静に考えたら、あれだけ強くて正義感のあって格好いい人、周りの女の子が放っておかないだろうと納得してしまった。
そも、少しでも良い雰囲気になろうとしていた私自身、ジェイクに申し訳なくなった。
それは彼の荷を増やしてしまう。
マウナも何かは感じ取っているだろう。
双子だし、私と同じ考え方をよくする。
でもジェイクの事情を知らないから、きっと私の為を想ってくっつけようとしてるんだ。
気持ちは嬉しいけど――残念、それは失敗。
「ほんとにそれでいいの?」
「何が?」
「だってお姉ちゃん、帰ってから暗い顔してる」
「そりゃ、明るくはなれないわね」
マウナが詰め寄ってくる。
椅子に座っていたのだけど、少し仰け反った。
きっとジェイクの事情をちゃんと知らない限り、マウナは追及をやめないだろう。
双子として情報共有しないとだろうか。
ジェイクに悪いけど、妹に隠し事もしたくない。
私の口から彼のことを少し話してしまおう。
「そうだ、ジェイクにはもう奥さんも子どももいるらしいわ」
「ええ!? そんなの絶対にウソだよ」
「嘘じゃない」
「じゃあ何でその人と一緒にいないの?」
「ジェイクは今よりずっと未来で生きてた人らしくて、魔法の力でこの時代に来てしまったとか……それで今は帰る方法を探してるんだって……ってジェイクが言ってたわ」
マウナの表情がどんどん雲っていく。
怒っているのか。呆れているのか。
当然だ。
今、口に出してみて、自分でもどれだけ荒唐無稽なことを言っているか思い知った。
途中で恥ずかしくなったほどだ。
「そんな分かりやすい嘘、誰が信じるのよ。絶対口実だよそれ。リア先生と愛の逃避行するための口実! 私は信じないっ」
マウナが部屋を飛び出した。
あぁ……ジェイクの評判を落としてしまった。
あの妹のことだ。ジェイクに何をふっかけに行くか分からない。
私ってほんと馬鹿ね。
守るどころか逆のことをしている。
なんだか二重に悲しくなってきた。
歌でも歌おうかしら。
私が人の為に出来ることは、魔法を普及する為に『詠唱』を考えるくらいだ。
私ってジェイクより不器用なのかも。
――彼の戦士は駆け抜けた。
この時代、この歴戦……。
――姫は待ち侘び、戦士を迎える。
しかし何ゆえと神に問おう。
――戦火を沈めた彼の英雄、
幻影を残してその灯は儚く散る……。
「ジェイクには幸せになってほしいな」
いつも彼を想って歌っていた。
ぼそりと呟いて今一度、ジェイクの顔を思い浮かべる。
そういえば、と其処で気がついた。
彼が笑ったところを見た事がない。
この恋が届かなくても、笑顔を一度見るくらい、願ってもいいかもしれない。
◇
或る日、当主オーガスティンは異様な光景を目にした。
彼は公爵家の身分で、やたら公務が多い。
外相なので尚更だ。
そんな日々に忙殺され、意外と屋敷内の事まで目が届かないことが多い。
これまで、それでも困ることはなかった。
しかし、娘たちが帰省してから少しは"パパ"らしいことをしなければと考え、時間を見つけては娘の様子を見に行くという差し障りないことは心がけていた。
屋敷の廊下を歩いているとき、ふと窓から中庭を眺めた。
庭師の仕事が行き届いた素晴らしい庭園だ。
回遊式で、通路を巡回すれば四季折々の草花を眺めて心落ち着かせることが出来る。
冬も終え、木々の蕾も窺える。
「むむ?」
そんな草木の中、小柄で地味な服装をした女性が歩いていた。青みがかった黒髪を持つ、少し変わった風貌の魔族である。
リア・アルター女史だ。
彼女は数年前に出逢った当初から礼儀正しく、種族の違いを感じなかった。娘たちともすぐに打ち解けたのでこの邸内の出入りは自由にさせていた。
勉強熱心にも本を携え、庭園内の程よい椅子を探しているようだ。
――その彼女を影から覗く男がいた。
黒い変わった装束を纏い、色黒で体中に魔族紋章を宿した怪しい男である。
ジェイクだ。
彼は北の森から娘たちを送り届け、道中では青魔族との遊戯勝負に勝ち抜いて青魔族を国外追放へと導いた英雄である。
態度も紳士的で、魅力溢れる男だった。
ぜひ婿に欲しいと思っていたが、やはり真面目な性格なのか、目的を遂げるために来週にはこの屋敷を出ていってしまうらしい。
しかし、彼が雇いの教師を尾行していた。
昨日は探りを入れていたし、一体なんの目的があるのだろうか。
――さらに、その彼を尾行する者がいた。
ジェイクを屋敷の物影から覗く少女がいる。艶のある毛皮のコートに身を包んだ、白い髪に蒼い瞳の少女である。
マウナだ。
最近、屋敷に一人ぼっちで可哀想だとは思っていた。エトナが無事に戻ってきてくれてよかった。
人恋しい頃合いの女の子だとは思うが、ジェイクを監視するように影から眺めているのはどういう事か……。そういえば、あの子はジェイクを婿養子にしようというときに真っ先に挙手して結婚の意志を見せた。
まさか本気で彼に恋をしたのか。
これは俗に言う、三角関係か。
リア女史を追いかけるジェイクを追いかけるマウナ。この構図はいつの間に出来上がっていたのか。オーガスティンは面食らって、その三人の動きに注視した。
――そればかりではない。
その少女や三人の動きを見守るように木蔭から顔を覗かせる少女がいる。白い毛皮のコートに身を包み、隠れるつもりを微塵も感じさせない。白い髪に赤い瞳の少女である。
エトナだ。
長旅から帰省したばかりだというのに中庭で何をしているというのだろう。あの三人の三角関係を見届けるべく、そうしているのだろうか。姉として、妹の恋路を応援したいお節介を焼いているのかもしれない。
「ふむ」
四人の男女が中庭という狭い土地で交わることのない視線を向け続けている。オーガスティンはそれを見て何故か微笑ましくなった。
「若いということは良いことだな」
そう呟いて自身の過去も振り返る。
昔はやんちゃしていたと思いを馳せ、今は亡き妻の面影を思わせる双子の姉妹のことがより大切に思えた。
「あれくらいの年頃には――おや?」
庭園にいた四人のうち一人が忽然と消えた。
リア・アルター女史だ。
よそ見していたわけでもないのにどこへ行っていたのだろう、とオーガスティンは疑問に思った。
彼女を尾行していたジェイクも同じように混乱している。飛び出して、きょろきょろと周囲を見回して行方を探していた。
「むむっ?」
しかし、その直後。
ジェイク本人も忽然と姿を消した。
と思えば、屋敷の物陰に突然現れた。だが、またその直後には別の庭園の影に現れた。そしてまた別の場所へ。
……まるで瞬間移動したようである。
「私も疲れているのか」
オーガスティンは目頭を揉みほぐした。
あるいは彼があまりに早く動き回って、眼で追えなかっただけかもしれない。
気のせいだろうと頭を振り、そろそろ自室へ戻ることにした。
「旦那さまっ!」
部屋へ帰る途中、廊下で使用人に声をかけられた。
渉外ごとを請け負っているメイドだ。
焦った様子に不穏さを感じる。
書簡を渡され、オーガスティンはそれを一読して我が目を疑った。
「なんだと! これはいったいどういう事だ」
書簡は王家から。
内容はペトロ皇族からの勅令だった。
ペトロ北部戦線の山岳帯を荒らした戦犯として『エトナ・メルヒェン』にペトロ法廷への出廷命令が出ていた。




