Episode214 黒幕考察Ⅰ
狭い谷を蹴り上がってよじ登った。
エトナを負ぶった状態で。
最近、この子と体を密着させる機会が多くて逆に抵抗がなくなってしまった。それはエトナも同じようで俺にしがみつく力に容赦がない。
エトナは魔法使いタイプの肉付きだ。
柔らかくて華奢だった。
這いあがった先は意外にも平らな荒野が続き、大岩が乱雑に転がっている。
そしてそれと同じように……。
「ひっ!」
エトナが短く悲鳴をあげる。
無味乾燥としたこの大地においてソレは生々しい光景だ。
ぱっくりと割れた黒い殻が散らばっていた。
何の美学も感じない……。
夥しい数のバジリスクの甲殻。
血や黄ばんだ体液も飛び散っている。
崖下に向かってきた数十頭のバジリスク以外にも、もっと多くの群れを成してここまで押し寄せてきたんだろう。
――それが全滅していた。
内側から爆散したようで死骸らしい形状を保っているのは僅かだった。
もう一度言うが、バジリスクは『幻獣』と称される種族であり、そもそも一頭でも狩れれば世間一般的には英雄級だった。
王宮騎士団のモイラさんは、未来では『古代幻想種』と呼ばれるバジリスクを斃したことを賞賛されている。
この時代でもその栄誉は変わらない。
それを目算、百頭以上……。
『黒外套』の強さを物語っていた。
「あいつがやったんだ」
「あいつって?」
「王城のパーティーを襲撃してきた奴だ。ここの山頂でも見かけた。こんな滅茶苦茶なことできる奴が二人いるとも考えにくい」
今回の山岳遠征は、ペトロ国がパーティー襲撃を獣人族が仕向けたものと判断し、北アイル山脈への侵略を早めたことがきっかけになっている。
例の『黒外套』がこの山岳帯にいるという事は、やはりあいつは獣人族の手先だったのか?
――いや、獣人族側も犯人探しをしていた。
到底、罠を張っていたように思えない。
「ねぇ……王城での襲撃も、バジリスクの群れも、獣人族の仕業とは思えないわ。私たちロワ三国と獣人族以外にもう一勢力いたんじゃないかしら?」
エトナも同じことを考えたようだ。
巨人。断続的な爆発。バジリスクの群れ。
それらは獣人族側も意図してなかった。
ならば、この山岳帯での混乱は三つ巴状態がもたらしたもののように思う。
「これもそのもう一勢力の仕業じゃない?」
「でも何であいつはこんなことを……」
それだと尚更、動機がわからない。
バジリスクや巨人の宝玉を盗んだ犯人が『黒外套』で、魔獣の大群を生み出した犯人だったとすれば、そいつは何故この場で俺たちを助けたのだろう。
目的に一貫性がない。
もっと複雑な、まったく別の出来事が裏で起こっている気がした。
「うーん」
「――ま、いいじゃない」
俺の眉間の皺が深く刻まれ出したところで、エトナが緊張を解いて朗らかに笑顔を向けてきた。
「考えてもキリがないことだってあるわ。今は巨人も姿が見えないし、バジリスクも全滅したみたいだし、犯人が誰だろうと私たちの役目はお終いよ」
「でも、このまま放っておくのは――む?」
喋る途中で人差し指で頬を突かれた。
自然と言葉が止まる。
「お節介ね。そんなだから奥さんのことも自分の目的も忘れちゃうのよ?」
言われ、思考も止まる。
また追求に追求を重ねてしまった。
そうだ……多分、何かがあれば俺は追い求めてしまう。そんな性格だから何かに忙殺されて本来の目的を忘れてしまうのだ。
真理探究の性は先祖代々不変な模様。
血は抗えないな。
「きっとジョゼフも今回で少しは懲りたでしょ。進軍も慎重になるでしょうし、貴方も解放されてリバーダ大陸へ心置きなく出発できると思うわ」
「……エトナは大丈夫なのか?」
「なーに? 私と別れるのが寂しいの?」
悪戯っぽく返されて俺も面食らった。
気恥ずかしくて顔が火照る。
「そ、そうじゃなくて」
「ふふ、冗談よ。でも私もちょっと寂しいかな」
「え……」
「なーんてね。さ、帰りましょうか」
俺の反応を待たずしてエトナは踵を返し、下り方向に山岳帯を歩いていった。
何か色々心残りだが、将官もいない、敵影も消えた――となっては俺のような傭兵は帰還するのが常套なのだろう。
そもそも自軍は誰一人残っていない。
本陣のみんなは戦いが始まる前にバジリスクの群れを見てとんずらしてしまったからだ。
深追いせずに帰った方が賢明だろう。
はてさて帰り道はどうしたものかとエトナの背を追いかけて小走りに駆け寄ったその時。
「あれ、リア先生!?」
エトナが前方を見て驚いた。
視線の先にはしばらく行方を晦ましていたリアがのんびりこちらに向かって歩いている。
山岳帯を登り方面に歩くリアの姿はまるで、登山にきた一般人が偶然通りがかったみたいな雰囲気だった。
「おや? お二人ともお揃いで」
「お揃いで、じゃないわよっ! リア先生、いままで何処で何してたの?」
仲間の一人と再会して安堵したのか、エトナは必要以上に声が大きくなった。
リアはしれっと答える。
「お花を摘みにいくと言ったはずですが」
「いくらなんでも長すぎでしょうっ」
「この一帯は植生も少なく、なかなか花らしいものが見つからなくて時間が掛かりました」
「え……?」
エトナと俺は同時に疑問符を浮かべた。
俺たちの困惑を余所に、リアは嬉々として背に隠していた花束を見せつけてきた。
黄色い花弁に青々とした草花の寄せ集めだ。
「どうですかっ? これこそペトロ北部の山岳帯にのみ生えると言われる『エマグリ草』です。本によると、この花の蜜にはリラックス効果と軽い幻覚作用があり、ハーブティーにして飲むとそれはそれは素晴らしい世界が垣間見えるとかなんとか」
何やら怪しい植物を採取したようだ。
「花摘みにいくって、まんまの意味かよっ」
「それ以外にどんな意味があるんです?」
「そりゃあ用を足す時とか……」
「そんな紛らわしい言葉使いませんよ、言語学者的に」
「言語学者なら尚更ちゃんと伝えろよ! ってか、これから本陣が出撃するぞって時によく花を採りに行こうと思ったな!?」
「今を逃したらもう手に入らないのではと考えたら、その、衝動的に……」
「……」
リアが変わった奴なのは知っていた。
今までの素行でも感じていたことだ。
でも今回ではっきり分かった。
こいつは変人だ。
まぁ、そのおかげでバジリスクの群れから逃げ遂せたっていうのもあるか。何より、あれだけ大混乱な状況で無事だっただけでもありがたい話だ。
「――昔から追い求めると止まらない性分でして、実験用にもたくさん集めてきました。ところで野営テントがもぬけの殻だったのでここまで登ってきたのですが、他の皆さんはどちらに?」
エトナが黙り込んでリアを見下げている。
先生と呼んでいた存在への畏敬の念が崩れ去るのを感じているのだろう。
俺も最近経験したからよく分かる。
神様とか神の娘とかに。
「詳しい話は後だ。リアも一緒に帰ろう」
「……はい」
エトナに変わって俺が声をかけると、リアも深くは追及せずに頷いてくれた。
どこか満足そうである。
そんなにエマグリ草が欲しかったのか。
――いや、多分違う。
リアの表情は緊張が解けた者が見せるものだ。
仕事を終えて安堵したような、そんな表情。
目的の花を手に入れられて満足したとか、そんな次元じゃない。
「……?」
不審に思った。
今のリアはとことん血生臭い。
最初はバジリスクの死骸の残り香かと思った。
でもその残り香がずっと付いて回る。
下山してテントに戻ったときも、最低限の荷を背負って出発したときも、エトナの案内の通りにペトロ軍が退避所によく使う町まで歩いているときも、ずっとだ。
斃した"そいつ"自身が漂わせているように。
◆
北アイル山の山頂。
男が三人の姿を見下ろしていた。
盗んだばかりの拳大の宝玉を二つ、手で器用に捏ね回しながら。
「――あのマガイモノはなんだ」
男は我が目を疑った。
魔造の目を持つ男が間違えるはずもないが、疑わずにいられなかった。本来存在するはずのない者の姿を目撃したからである。
皆目、見当もつかなかった。
イレギュラーがこの世の常とは良くも悪くも前世から感じていたことだが、あまりにも不可解。
「……」
男は目を閉じて熟考する。
思えば、この時代に来てからというもの、イレギュラー続きだった。女神と二人でやってきたはずだというのに、近くに女神が存なかったことが発端だ。
そこで男は、己の存在が揮発しないうちに独りで何が出来るかを振り返り、整理し、女神不在でも入念な準備は怠らなかった。
それももう三年前の話。
現在は邪魔の入らぬよう、『ボルガ』以外で脅威となる伝説、伝承、神造兵器の類いは回収し尽くそうと企て、世界中を旅して周りながら今は魔獣の宝玉集めをしていた。
北アイル山脈には『バジリスク』と『リトー』の宝玉が眠ると知り、盗むことに成功した。
その矢先、マガイモノの存在に気づいたのだ。
随分と昔、科学者だった男は仮説を立てて検証することを得意としていた。
だからこそ、すぐに閃いた。
時間を支配する上で、その命題は付き物だ。
――並行世界『もしも』の存在。
イフの世界では"アレ"が勝った。
そして何の因果か、同じ時代へやってきた。
それが男の立てた仮説だ。
特異点となるこの時代に同一の存在が寄り集まっても不思議ではない。
手に入れた宝玉を使って早速、検証した。
魔獣の宝玉は、その魔物・魔獣の支配権を手にする覇王の力を秘めたモノ。
その種の意思を操ることができるのだ。
憎悪にまみれた女神が考えそうな『黒い魔法』の御業だった。
もしアレが仮説通りの存在なら、直面した諸問題への対処も無意義で、生温い方法を選ぶだろう。
そう思い、魔物の群れを仕向けて検証した。
結果、やはり"仮説通り"だった。
「こんなこともあるのだな」
男は嘆いた。
もう必要ない廃棄物が障害として其処にいる。
一度は滅ぼした存在が其処にいる。
それは嫌悪感を湧き立てた。
アレを排除しなくては――。
「いいだろう。お前は何度でも嵌め落とすぞ」
幸いにも、こちらが先に気づいた。
男はアレの動向を見守ることにした。
◆
最初の疑いは血生臭い匂いからだ。
見た目や振る舞いは誤魔化せても匂いというものは染みついてしまう。
半魔造体の五感は誤魔化せないぞ。
そう考え出したら色々なことが疑わしくなってしまい、気になって気になって仕方なかった。
……リア・アルターは怪しい。
あれから山岳地帯を抜けて下山。
退避所に指定された町へと到着したときには既に夜となっていた。
俺とエトナが合流しないことを心配したランスロットは、夜間にも関わらず、探しに出ようと捜索隊を編成してくれていた。いざ出発というときに俺たち三人が現われたため、なんとかすれ違いにならずに済んだのだ。
翌朝にはジョゼフ=ニコラ=パンクレス閣下は都へ一足先に帰った。
あの皇子のことだ。失神したことが恥ずかしくなったんだろう。
傭兵は報酬をもらって現地解散となり、ランスロット率いるラーダ兵は一度、ペトロの都へ軍事会議のために集合するように通達があった。
エリン勢力も現地解散だ。
"勢力"と言っても、俺とエトナ、リア以外には、行きの馬車で一緒だった派遣兵二人しかいないが。
黄昏の谷を抜け、王都で派遣の兵士二人と別れ、メルヒェンのお屋敷に辿り着いたときには、お屋敷を出て一ヶ月の月日が流れていた。
「お姉ちゃーん、会いたかったよ~!」
「もう、子どもじゃないんだから……」
マウナと会うのも久しぶりだ。
姉の姿を見た途端に飛びついてきた。
庭園でじゃれ合う双子の光景は微笑ましい。
「それで、どうだった?」
「どうだったって――ああ……あのね、こんなとこで話すことじゃないでしょ」
「じゃあ、いつ話してくれるの?」
「長旅で疲れたから後にしてよ……」
「えー、聞きたーい」
マウナは目を輝かして土産話を催促した。
鬱陶しそうにエトナは振り切り、エトナは屋敷へ戻っていってしまった。
それをしつこくも追いかけるマウナ。
「――あ、ジェイクさんも我が家に帰ってきたつもりでどうぞ遠慮なく。部屋も同じ客間が空いてるからっ」
振り返り際にマウナは俺に声をかけた。
手をあげて合図し、その恩情に感謝を示した。
土産話か……。遠征は惨憺たる結果だった。
獣人族との争いに拍車をかけただけだ。
ペトロはバジリスクの大群を見て怯んだだろうし、獣人族も聖域の宝玉を盗まれて犯人捜しに奔走しているし、あの山岳戦線をこれからどうしていくんだろう。
まぁ、俺には関係ない話か。
それよりも問題は――。
「なんですか?」
振り返って教育係に目を向ける。
「リアも疲れただろう?」
「いえ、別に」
「……」
「それよりリバーダ大陸へ急ぎましょう。ジェイクさんは意外とのんびり屋さんみたいですので、また冬が訪れて来年へ持ち越し、そしてまた冬が来て来年へ持ち越し、さらにまた冬が来て来年へ持ち越し……なんてことを繰り返し、気づけばリバーダ大陸へ出立する頃には五回ほど冬を越しているかもしれません」
「そんなのんびりじゃねーよっ」
リアの中で俺はそんなに怠けた人間かっ。
そういえば、冬も越してエリンも暖かくなっていた。雪解けの季節というのか。庭園も日陰に残る雪山以外の雪は解けている。
……まぁ雪の心配より、問題は彼女に対する疑念を抱いたままで旅に出ることである
「では、いつリバーダへ向かうのですか?」
「一週間後」
「一週間? どうしてですか。ジェイクさんなら休み要らずでしょう。明日には行きましょう。いえ、行きます。私は先に行ってしまいます」
「あぁそう。ご自由に」
「む、そこは『か弱い女の子一人で行かせるわけにはいかないな』とキザっぽく言ってすぐ荷造りするところだと思うのですが」
「本当にか弱いのか?」
俺は真面目に問い質した。
疑いの眼差しを向ける。
リアは俺の視線に目を背けることもなく、ぼーっとこちらを眺めていた。
赤い瞳をしている。
この虹彩、よく見ると……。
「ふ、バレてしまったら仕方ないですね」
リアは目を伏せて嘲笑った。
「ま、まさか、やっぱりお前は――」
「ふっふっふ、そうです……。何を隠そう、私には先祖代々から伝わる、秘められし邪竜の力が宿っているのです!」
「はぁ、邪竜?」
「はい。解放の時が早いと『まだ……まだそのときじゃ……』と言って右腕の疼きを押さえ出すのが習慣でして」
「ふざけてんのか?」
「はい。いつもの嘘です」
嘘つきめ。
リアの嘘は今に始まったことじゃないが、今のは少し苛立ちを覚えた。
「わかりました。ジェイクさんが言うなら一週間待ちましょう。それまでに装備を整えておきます」
「あぁ、約束だ」
一週間あれば十分か。
その間にリア・アルターの素性を探る。
この女、絶対なにか隠してる。
……俺は、王城パーティーを襲った犯人や山岳地帯でバジリスクの大群を屠った『黒外套』こそ、リアではないかと疑っていた。
よく見ると外見の特徴も一致している。
小柄で、色白……まぁそれだけだけど。
「装備って……リアは武器を持ってるのか?」
「ええ。一応、護身用のナイフを」
「魔力で造れるのに?」
鎌をかけてみる。
「魔力でつくる? 何を言ってるのですか、私は巫女ではないですよ」
さすがに単純すぎて引っかからないか。
まぁいい。
一週間でできる限り、嗅ぎ回ってみよう。
まずは周囲の人間から当たってみるか。
こうして一週間の素行調査が始まった。




