Episode210 戦地への招集
エリンの王城を襲った者の正体は分からないまま、万全を期してパーティーは中止となった。
王都周辺地域の警備や近衛兵の実力を疑われるところではあったが、責任の矛先は幸いにもジョゼフ閣下へと向いている。
それもこれもパーティー前に、
"道中で何度も蛮族どもの襲撃があった!"
――と遅刻の言い訳を豪語したことが原因だ。
あの発言を会場の皆が耳にしている。
ペトロ国が威厳を示すために不必要な軍勢を引き連れたことが反勢力を刺激し、暗殺者を送り込む引き金になったんじゃないかと言及する者もいた。
暗殺……。
あの剣筋は確かに暗殺剣に似た技巧だ。
俺も得意とする『影真流』の剣技。
さらには一騎打ちや乱戦によって『聖心流』と『機神流』を使い分ける器用さもあった。
剣術の腕前はマナグラム分類でランクSかそれ以上に値するだろう。
「……」
じっとしてられず、ベッドから起き上がる。
ジョゼフ閣下の忠告は正直どうでもよく、俺は未だにメルヒェンのお屋敷でお世話になっていた。
部屋を出て廊下の冷たい空気を吸い込む。
窓の外を見ても雪が降り止む様子はない。
でも、一刻も早く外出したかった。
なんだろう。
俺は何故か、わくわくしていた。
強敵が現われたことが嬉しいのか?
否――そんな好戦的な性格じゃないし、新たな脅威に怯えるエリン人さえいる中、不謹慎だ。
そうじゃなくて親近感のような……。
あの強敵を、俺は同類だと感じていた。
悪意がないと刹那の対峙で確信した。
敵の目的はきっと暗殺じゃない。
暗殺の極意は本人さえも気づかず、綺麗に、美しく、死を捧げること――。
いつかトリスタンが講じてくれた。
あれほどの手練れなら、わざわざ派手な攻撃なんかせず、王城へ潜入して標的を狩るだろう。
加えてハイランダーとの交戦も手抜きだった。
故に、襲撃の目的はまた別にある。
真の目的は……パーティーの中止とか?
外の雪景色を眺め、あの華麗な戦いぶりに思いを馳せていると、また廊下で彼女とすれ違った。
――リア・アルターである。
青みがかった黒髪がいつに増してボサボサだ。
声をかけても反応は薄い。
リアとはよく部屋前の廊下ですれ違う。
「なんか体調悪そうだな」
「いえ、大したことないです」
平静に宣うが、ぼんやりしている様子だ。
こんな悪天候だし、仕方ないか。
「風邪でも引いたのか?」
「ご心配には及びません。身体だけは生まれつき丈夫なので」
「そうか……。そういえば魔族って人間族みたいに風邪引かないのかな」
「どうでしょうね」
「どうでしょうって――自分のことだろう」
まぁ、別種族と比べて体が丈夫か否かなんて、根拠もなしに答えにくい質問ではあるが……。
でも博識な彼女にしては珍しい返事だ。
「私は私のことがよく分かりませんから」
「それは、魔族亜種だから?」
「……」
リアは何も言わずに歩き去ってしまった。
初めて会ったときと同じだ。
リアは過去を掘り返される質問をされると、口を噤んで立ち去ってしまう。
少し不躾だったかな。
体調不良の時に配慮が足りなかった。
でも……なんとなく不審に思う。
直感がびんびん来てる。
○
貴族パパ魔人ことオーガスティンに呼ばれ、先日と同じ客間を訪ねた。
革張りの高級ソファに腰を下ろす。
「何度も申し訳ないんだが、君にまたお願いがあるんだ」
「イヤですよ」
「ハッハッハ、まだ何も言ってないだろう」
俺の即答を彼は豪快に許容した。
本題に触れずとも、人からの頼まれごとというのは嫌な予感しかしない。特にオーガスティンさんからのそれは王城パーティーの前科がある。
むしろ失敗を繰り返す俺に愛想をつかさないパパ魔人の懐の深さに敬意を表するほどだ。
「話だけでも聞いてくれ。こないだの王城パーティーの件だ」
「やっぱりですか……」
王城があれほど派手にやられたんだ。
王都郊外の警備や王家の護衛を強化する必要もあるだろうし、戦士の存在が求められるとは思っていた。いや、もしかしたら補修工事なんて雑用程度のことでも力を求められるかもしれない。
そんな重労働の対価には大きな報酬が吊り下げられるだろうが、そもそもこの時代の資産に興味のない俺には、報酬が提示されても魅力には思えないのだ。
「どんな依頼であれ、乗り気じゃないです」
「君の力が必要なんだ」
そんな月並みな言い方されても。
「ジョゼフ閣下の証言では、先日の敵はハイランダー軍に肉弾戦でギリギリ、ないし、乱戦で少しは張り合える程度の強さだったそうだな?」
「なんですかその俄かにハイランダーの方が強いとアピールしてるような証言」
「ハハッ、原文のままだぞ」
閣下は本当に自尊心が強いな。
しかも、その証言は間違ってる。
敵は単騎で尚且つ手を抜いていた。
ハイランダー軍の九騎兵を束ねても尚、あの一騎の方が勝っていた。
「実は、最近ペトロは領土拡大のために北アイルの山岳地帯で遊牧民族と交戦中だそうだ。ペトロ皇族も口を揃えて、そこから刺客を送り込まれたと言っている」
さすがオーガスティンさんは外相を務めてるだけあって国勢に内通している。もしあれがペトロの軍を追った者であれば、真っ先に疑われるのは現在の戦争相手だろう。
「遊牧民族とは?」
「山岳地帯からその先の平原に住む獣人族だ」
「あぁ、獣人族……」
アリサやパウラさん、ボリスの顔が浮かぶ。
彼女らは同じ獣人でもそれぞれ羊系や鳥系、犬系に分類されていた。
その遊牧民族はどんな獣人だろう。
――詳しく話を訊くと、鉱脈豊かな山岳地帯に防衛線を張っているのは『犬系統』だそうだ。
つまり、ボリスの祖先に当たる種族。
「ペトロは今回の件もあって徹底的に山岳地帯の制圧を狙っている。禍根を残さず、早いうちに叩いてしまった方が同盟国全域の危険も減らせると踏んだのだろう」
「もしかして今回の依頼って……」
血生臭い話が出てきて推測がついた。
オーガスティンさんはすまなそうに目尻を下げ、困った表情で俺を見返す。
推測が確信に変わった。
「先日の刺客と相見えた者に加勢してもらった方が、戦闘も有利になるとペトロは考えている。ジョゼフ閣下の証言はどうあれ、ハイランダーすら苦戦したのは皆知っていることだからね。あんな脅威が遊牧民族側に回ってるなら、戦力の水増しが必要なんだ。そこで、ペトロ皇族からエリン王家に君の協力を仰ぐ書簡が送られきたのだ」
「現地で戦ってくれということですか?」
「まぁ、ざっくり言えばそうだ」
「……ハイランダーだけで十分じゃないのか」
皮肉を呟いた。
オーガスティンさんに皮肉を言ったところで困らせてしまうだけだろうが。
うーむ……。
侵略者はペトロ側だ。
獣人族は悪くないが、一度吹っ掛けた以上は向こうも攻撃してくる。
そうすればペトロだけでなく、同盟国であるラーダやエリンにも危険が及ぶのは言うまでもない。
不本意だが――。
いや……。
俺はその脅威に"会いたい"と思っている
不本意ではない。
もしあの外敵が遊牧民族からの刺客であれば、今一度、戦地へ向かえば会えるだろうか。
「つかぬ事を伺いますが、敵の獣人族って魔法の方は……?」
「なに、心配はいらない。獣のごとき知性に魔力は宿らないだろう。『巫女』の力は人間族ですら極めて稀なのだぞ」
オーガスティンは誇らしそうに語る。
己が娘二人にその極めて稀な力が宿っていることが自慢なのだろう。
だが、俺は魔法戦を心配したのではない。
敵勢に魔法使いがいないなら、あの刺客が扱っていた神性魔力の『心象抽出』は一体……。
どうも「パーティーの敵襲は獣人族の刺客」という説が見当違いな気がする。
まさか女神は、この時代でもエンペドとは別枠で俺のような改造人間を造っていたのだろうか。
そんな話は聞いたこともない。
――ならばこそ、会ってみたい。
あの脅威に決して悪意はなかったのだ。
今回の一件も何か意図があって王城パーティーを襲ったんだと思う。あれだけ無数の矢を放ちながらも死傷者ゼロだったんだ。
器用な芸当に魅せられても無理はない。
「ちょっとお父様、いいかしら?」
俺が前向きに遠征依頼を検討しようとした折、扉が開いて双子の巫女が揃って顔を出した。
「どうしたのだ。エトナに、マウナも……」
「もしジェイクが行くなら私も行くわ」
「なに……? いや、その話を何処で聞いた」
「マウナに教えてもらったの」
エトナは隣の妹に目配せする。
それに対してマウナはテヘッと舌を小さく出してウィンクした。
あざとい……。
「ごめんなさい。たまたま廊下を通りかかったときに聞いちゃって。ジェイクさんの事ならお姉ちゃんにも伝えないと怒っちゃうから」
からかうように姉の顔を覗き込むマウナ。
エトナは煙たそうに目を逸らし、溜息をついてオーガスティンさんへと再び向き直った。
「もしペトロ軍に加勢したら、ジェイクの扱いは傭兵でしょう? どの同盟国にも属さないから、ただの駒扱いだわ。後見人が現地にいないとどんな苛酷を強いられるか分かったものじゃないわ」
あんな馬鹿王子の軍だし、と付け加えてエトナは自身の同行を請うた。
気遣いは有り難いが……。
駒扱いは幼少期から慣れているし、エトナの身を案ずるとすれば、付いてきて欲しくない。
「エトナ、気持ちはありがたいけど……」
「何よ? 私は巫女なんだから護身術くらい心得ているわ。魔法だってあるし、土地制圧戦なら本陣に混ざらない限り戦火も及ばないはずよ」
「でも戦場では何が起こるか――」
革張りソファから振り向きながら会話していたのだが、エトナは強い視線を送りながら、不満そうにずいずいとこちらへ近づいてきた。
勝ち気だった。
俺の傍らに寄り添うとエトナは小声で囁いた。
「……私が守ってあげるって言ったでしょ」
照れながらも気高に。
視線を逸らしながらも前を向いて。
エトナは弱者の俺を庇っていた。
そうか……。
あれは約束のようなもの。
友達なら――俺とエトナが対等な関係であるなら、こうでなくては。
当然、オースティンさんは反対した。
「駄目だ。森伏の儀とは違うのだ。巫女が戦地へ赴くなんて危険なこと……」
そこにマウナが寄っていき、オーガスティンさんの耳元で囁いた。エトナには聞こえなかったようだが、超人の聴覚を舐めないでほしい。
俺には聞き取れた。
「お姉ちゃんとくっつけるチャンスだよ」
そう口添えしていた。
そこから父親と娘でごちゃごちゃ裏でやりとりしていたが結局、オーガスティンさんが途中から折れた。貴族パパ魔人はエトナの安全確保のための一仕事がまた増えてしまったようで、山岳帯制圧戦の指令書を慌てて引っ張り出し、冷や汗を流して何処かへ出ていった。
マウナが姉に告げ口したのはそんな理由か。
ふ、余計なお世話を……。
俺とエトナにはそんな低俗な物とは違う純粋で深い絆が結ばれているのだ。
色恋沙汰と一緒にしないでほしい。
――その意味でエトナに微笑んでみたのだが、少女の顔色は些か気風が違う。照れというよりも乙女の恥じらいを感じた。
なんか変な空気にさせてしまっている?
○
赤茶けた大地を進む。
今日は天気も良くて晴天だ。
ここはエリンとペトロの国境である渓谷の地。
――『黄昏の谷』だ。
未来では西方エマグリッジと中央地域の領土の分け目だったのだが、古代ではそっくりそのまま国境になっていた。
変わらず荒廃した大地が一面に広がっている。
耐久性に優れた鉄製馬車に乗車したが、長距離移動にしては乗り心地は最悪……。
ガタゴトと激しく振動して尻が痛い。
壊れないことを優先した結果なんだろう。
騎乗物の技術は未来の方が進んでいるようで、少しだけ安心した。
「俺たちが西の遠征隊に編入か……」
「警備サボってたの見つかったからなぁ」
「はは、お前もか。まったく故郷が恋しいぜ」
同席の兵士二人が会話していた。
二人は背後の王城やエリンが誇る霊峰――南アイル山を遠目に眺めて故郷に想いを馳せていた。
「あの山……知ってるか、お前」
「なにを?」
「あそこで青魔族の長が身投げしたって話」
兵士は世間話のように噂を広げていく。
「あれだけ国を侵略してたくせに、身投げの理由は失恋らしいぞ」
「本当か? 傍迷惑な話だな」
「あぁ……だがあんまり悪口は言わない方がいい。侵略は止めても族長はまだあそこに住み続けてるって話だ。あの山は雪解けもないから青肌の連中は住みやすいんだってよ」
「おっかねぇ。さっさと出てけよ」
「はは、まさに『レナンシーの島』だな」
件の俗称の広がりを垣間見て、あぁ、そういうことかと物思いに耽る。いつしかそれが語り草となり、あの山が『南レナンサイル山脈』の名で呼ばれる日が来るのだろう。
古代の産物は、確実に未来へ繋がっていた。
"君がかつて生きた未来では、それが起こった事として成り立っているんだ"
ふと神の言葉を思い出した。
他に、古代の伝承で重要なものを見聞きしたことはあっただろうか?
何か大事な――俺にとっても身近な物にそんな伝承があった気がした。
もちろん『ハイランダーの業火』は別にして。
「ジェイクさん、険しい表情ですね」
突然、リアに声をかけられた。
「戦争なんて初体験だから緊張してるんだよ」
「意外です」
「これでも平和主義なんで」
ご冗談を、とリアは口上を述べた。
心配してくれたんだろうが、先日のリアの方が酷い顔だった。
今はすっかり顔色も良い。
「リアの方こそ無理するなよ。学者が戦場に訪問なんてあんまり良いイメージじゃない」
「家族はよく旅歩く性分だったので、私も何処かの地に腰を据えるのは性に合わないんです」
リアも俺と同じ流れ者だったか。
言語学者らしいといえばそれらしい。
「先生が家族のことを話すなんて珍しいわね?」
リアの口達者を指摘したのはエトナだった。
エトナもまた馬車に同乗している。
尻が痛くないかと尋ねるのもデリカシーに欠けるだろうかと思って聞けなかったのだが、彼女はペトロにもよく出向いているそうで、この道のりには慣れているのだとか。
だが、他二人の兵士の隕鉄を纏う姿と打って変わり、身動きの取りやすい質素かつ清潔な軽装はどこか浮いていた。
俺もリアも、人のことは言えないが……。
エトナは見た目の印象もあって特にそう思う。
彼女は楽器を弾いたり、歌を歌ったりしている方がお似合いだ。
ちなみに今回、マウナはお留守番である。
「まさか北アイル山の先に故郷があるとか」
「あの一帯は獣人族の縄張りです。私の生まれはもっと遠くですよ」
「だから、その遠くってどの辺なのよ」
「遠くは遠くです」
「……うーん、なんだかジェイクも同じようなこと言ってた気がするけど、魔族って故郷を隠す習性があるのかしら?」
「だから俺は魔族じゃないって何度も――」
そもそも俺の"遠く"は、時間的な問題であって距離的な問題ではない。
○
一日で『黄昏の谷』を抜けてペトロの領土に入った。そこから中継地点の村や町に何度か寄り、宿泊しながら計一、二週間の旅を経てようやくペトロの首都へ辿り着いた。
ペトロの都は鋳造技術栄える煙たい街だった。
ラーダの鉱脈から産出された鉄や銅を精錬したり武防具を作製したりと、古くからの軍事国家の姿をありありと見せつけられる。
長閑で華やかな文化を感じるエリンの空気とは根本的に違っていた。
売っている品物も戦士向けの商品ばかりだ。
俺たちは旅の疲れを癒すために宿を取ってまず一泊することになったのだが、俺は何故かワクワクしていて疲れを感じていない。
舞い上がっているんだろうか。
あるいは、これから会えるかもしれない強敵が待ち遠しい?
そんな戦闘好きな人間じゃなかった筈だけど。
――違和感はそれだけじゃない。
旅の途中、リアは頻りにリバーダの話をした。
やれ、ボルガの力を早く見たいだの。
やれ、ケアやウォードがギャラ神殿に残されたままで可哀想だの。
やれ、アンダインの厄災の予兆の正体は一体何なのかだの。
――実の所、俺はそれら置き去りにしてきた存在をすっかり忘れていた。
驚くべきことに……。
リアに逐次、話題提供されて思い出すのだ。
あまりに何度も忘れるので、おかしいなと自分で省みたこともある。
でも原因は分からない。
ロワ三国のことで忙しいからとか、そんな甘い理由ではない気がする。
何故なら俺はケアのことも大事だし、青魔族もリバーダ大陸へと連れ戻してあげたいと真剣に考えているからだ。
何より大事な目的があった筈だ。
初めてこの時代に降り立った時、決意したこと。
――帰ろう、絶対に。
何処へ?
当然、未来に……。
そのためにはリゾーマタ・ボルガを目指すべきであり、そのためにはリバーダ大陸へ向かうべきであり、そのためにはアンダインとともに海を渡るべきなのだ。
それを後回しにしている?
なぜだろうと焦燥感が付き纏う……。
贅沢にも一人用に拵えた宿部屋で自問する。
俺は慌てて肌身離さず持ち歩いていた写し絵を手に取った。ティマイオスから譲り受けた魔相念写機による写し絵。
そこに映る最愛の人の姿。
シア・ランドールの姿は色褪せていない。
「大丈夫だ、忘れてない。シアが何より大事だ。大丈夫、大丈夫……」
自分に言い聞かせるように反芻した。
写し絵を胸に押し当てる。
己の存在の希薄さに焦燥感を覚える……。
少しでも帰還が何処かを見失っていたなら、それは戒めるべきだ。
深呼吸して念じた。
忘れるんじゃないぞ。
これが終わったらちゃんとリバーダへ向かう。
「ジェイクさん、この辺に棲息する魔物ですが」
「あっ……! えっ?!」
気づけばリアが俺の部屋へ入ってきた。
怪しいことをしてるわけではないが、お年頃の男の部屋に無断で入ってくるとは如何わしい場面に遭遇しても知らないぞ。
先生とはいえ、リアは実年齢二十歳。
人間族換算で十歳程度の女の子なのだ。
情操教育によろしくないだろう。
それはともかく、俺は驚いて写し絵を落とした。
ひらひらと宙を舞ってリアの足元へ滑り込む。
「これは……」
リアが屈んで、写し絵を手に取った。
この時代の人間が魔相念写機の技術を知っているはずもなく、紙切れに人の姿がくっきり映っていたらびっくりするだろう。
お子様には刺激の強い肖像画だぜ。
――と思ったんだがリアは平然としていた。
「この女性がジェイクさんの大切な人ですか?」
「い、いいから返してくれっ」
何の疑念も抱かずにリアは尋ねてくる。
大切な人……その通りだ。
それが手元から離れるだけでまた忘れるんじゃないかと不安でたまらない。
「ふむ。この紙は痛んでますね」
「どういうことだ」
「ちゃんと保管しておかないと破れたり滲んだりしてしまうってことです」
特にこの都市は空気も汚いので、と小さい声でリアは諭してくれた。
それは困る……。
この写し絵が無くなったら本気で泣く。
ショックで呆然としているとリアは明るい口調で或る提案をしてくれた。
「私に一晩貸して頂ければ、硝子細工に挟んで加工しておきますよ」
「本当か!?」
「はい。この街は防具だけでなくて細工製品も造ってますし」
ペトロの産業技術はそんなに進んでいたか。
未来で言うところのペンダントのようにしてくれるって事だろう。
リアは本当に優しいな。
俺は信じて任せることにした。
「ありがとう。リアは器用で言葉達者で交渉も得意で……本当に何でもできるんだな。さすが先生」
「そ、それほどでも」
リアが照れて目を逸らした。
色白の頬が仄かに赤らむ様は少女らしさを感じさせる。照れ隠しなのか、リアは「それよりもこの辺の魔物の棲息ですが」と遮るように話題を変えた。
周辺環境についての講義だ。
遠征前に少しでも疲弊を防ぐためにも、棲息している危険な動物や魔物を知っておくのは基本だ。
山岳地帯なんてただでさえ馴染みがない。
今更こんな超人にそんな知識が必要かと問われれば「必要ない」と自負できるほどの体力はある。
だが姿勢として――。
リアの懇意を無下にしたくなくて、俺は真剣にその講義に耳を傾けた。
小柄な先生の講義は耳に心地よい。
不思議と、彼女と会話していれば先ほどまでの焦燥感も失せてくるのだ。




