Episode209 また別の脅威
闇雲に走り、ついぞ何処に来たか分からない。
ただ、閉じ籠るためには昏い場所が最適だと本能的に判断して、屋外に飛び出した。
城外に出、テラスを外周して庭園へと至る。
段差を下りてみれば、王城からの明かりさえも届かない暗がりがあったので、闇夜に溶け込むように草花の影に身を潜めた。
「はは……」
自然と笑みが零れていた。
落胆の意味を込めた自嘲の吐息だ。
空から静かに降り頻る雪は、俺の髪も夜会服も徐々に濡らしていく。
寒かった……。
――始まりの日と同じだ。
俺は何も変わってない。
臆病で、消極的で……まだ世界を知る前の、勘当されたばかりの頃から何一つ変わっていない。
同じように膝を抱えて殻に閉じ籠っている。
「顔を立てるどころか、これじゃあ泥を塗ったようなもんだなぁ……」
メルヒェン家への恩返しは果たせなかった。
巫女の二人も恥をかいたことだろう。
傍迷惑な存在だな……。
最初から俺が王城パーティーになんか参加しなければ良かったのだろうか。
エリンを救った英雄がどんな人物だったのか、闇のヴェールに包まれたままなら、同盟国へアピールできなくても、威厳を保つことはできただろう。
リアの忠告をしっかりと聞いて、こんな所に来なければ……。
いや……そもそも……。
「関わらなければ良かったって思ってる?」
刹那、仄かな炎の温もりを感じた。
それは慣れ親しんだ声だった。
顔を上げれば目の前にはエトナがいる。
――暗闇の中、炎魔法で灯りを点け、それに照らされて浮かぶドレス姿の巫女は、やはり何処から見ても憧れの女性に似ていた。
信念を賭けて戦った魔女と瓜二つだ。
だが、これは幻覚じゃない。
エトナ・メルヒェンという友達がそこにいる。
ドレス姿で庭園に降り立てば、雪で湿った土に触れて裾が汚れてしまうだろうに、そんなことお構いなしで其処にいる。
俺を探してくれたようである。
いつものように怒り出すかと思ったが、そんな雰囲気は感じさせなかった。
気高であれど寛容に彼女は手を差し出した。
「ほら、立ちなさいよ」
「……あぁ」
言い訳も謝罪も拒絶の言葉も浮かばず、為すがまま、俺はその手を取って立ち上がる。
「その――」
俺はどうにか伝えなければならない。
エトナの――俺を認めてくれた少女の期待に応えられなかったことを謝らなければならない。
でも先に口を開いたのはエトナだった。
「今日は、ありがと」
予想外の言葉。
諦念も皮肉も感じさせない声に戸惑う。
「ありがとって……俺が逃げ出して恥を掻いただろ……エトナもだけど、エリンの人、皆……」
「それはそうね」
「なら――」
「でも貴方は頑張ってくれたじゃない。私たちに出来ないことをやってくれた。それ以上のことを求めるなんて、こちらの傲慢だわ」
それは青魔族問題のことだろう。
本来なら王城パーティーでもばしっと決めて同盟国に威厳を示せれば最上だったのだろうが、それが出来なくても根本の問題は解決した。
だから、それ以上を求めるのはエリンの傲慢だと言うのか。
……それは国民代表の言葉じゃない。
きっとエトナだけの気持ちだ。
「随分、優しいんだな」
「優しい……まぁ、エリン人は温厚で甘すぎるって揶揄されてるけど」
「そうじゃなくて、エトナが」
「わ、私? 嘘……そんなこと初めて言われたわ」
嘘じゃない。
今回だけでなく以前からそう思っていた。
俺の幸せを願っていると言ってくれた。
どこかで俺が苦労しないように庇ってくれた。
エトナは本質的に優しいんだ。
「なんでだ?」
「えっ……な、なんでって……」
「なんで俺を庇うんだ?」
それは糾弾ではなく純粋な疑問だ。
エリンドロワ王都での決戦のとき、誰一人として俺を庇う人間などいなかった。
"最強"を称されるとはそういうことだ。
しかし、エトナはそうじゃない。
俺の力を認めながらも尚、庇おうとする。
気高に俺を支えようとしてくれる。
「そ、それを訊くなんて……ジェイクは本当に無神経というか野暮天というか……」
「……?」
「まぁ、そうね」
こほんと咳払いしたエトナの顔が、少し火照っているように見える。だが、むしろ魔力弾の火力を高め、気持ちを切り替えるように頭を振った。
その焔が暖となって心を和らげる。
「私の信条ってとこかしら」
「信条……?」
「みんな、偉人や天才に期待しすぎなのよ……誰だって同じ悩みを抱えてる。ジェイクもいくら強くたって、きっと私たちにはわからない悩みをたくさん抱えてるでしょ?」
悩み……。
自分が強いと自惚れたことはないが、特殊な力を持ってるわりに心が弱いな、と嘆くことはある。
エトナの指摘はまさしくそれだ。
「私も魔力のせいで特別扱いされてきたから分かるのよ。……不平等な力は争いの種になる。お互い理解されず、理解できないのは仕方ないけれど、理解する努力はしたい――それが貴方から見ると、庇ってるように映るのかもしれないわね」
そうか、それで――と思わず言葉が漏れた。
エトナは知っている。
強さと弱さは表裏一体だってことを。
だから俺の外面だけでなく、内面の弱さまで認めているんだ。
特別な力に半ばうんざりしている様子を見せるのもそれ故か。国王陛下との会話が終わった後も、巫女として持て囃される己を呪っているかのような落ち込み様だった。
そして、そんな呪いがあるからこそ、
"魔法を広く知らしめるきっかけになる"
平和を願って歌うんだろう。
旅の途中、エトナは歌っていた。
魔法の普及を願って『詠唱』という魔術を考えていると言った。
魔法を少しでも平等なものにするために。
魔力に悩まされ続けた俺にとって、強く共感できる信条だった。
「だから、ジェイクも気負う必要ないのよ」
「今回の情けない姿もか?」
「ふふ……そうよ、人には適材適所があるんだから。何か怖いことがあっても――私がずっと守ってあげるから」
言い終えてから、エトナは「あ……」と吐息を漏らした。
それはほろりと漏れた本音のようだった。
取り繕うように腕をじたばたさせ、赤面する顔を隠すようにエトナは俺からの視線を遮った。
「い、今のは……その、深い意味はないから! 勘違いしないでよねっ」
大人らしく感じていた妖艶な雰囲気の女性が、少女のように取り乱す姿を見ると、なんだか可愛らしいと思ってしまう。
でも俺は感謝の気持ちで一杯だ。
それを茶化そうだなんて思えない。
「勘違いなんてしない。気持ちは伝わったし、すごく嬉しいし……なんだか救われた……」
「そ、そう」
「だから俺も、エトナのピンチには駆けつける。危ないことがあったら身体を張って守るよ」
「か……か……」
エトナは口をぱくぱくさせて固まった。
壊れた絡繰り人形のようだ。
赤魔族に匹敵するほど顔面真っ赤にさせて、なにやら意を決したように口火を切った。
「え、えと……ジェイク……私は――」
――刹那、それは突然に降り注いだ。
遠方から飛来する凶悪な鏑の音。
直感から方角を悟り、聴覚から飛距離を探り、視覚にてそれが事実だと認識する。
全身が警笛を鳴らしていた。
見上げると、赤黒い緒を引いた細い流星が、夜空で邪悪に煌めいて差し迫っていた。
「――――っ!」
剣の精製。……そして飛来の前の跳躍。
俺は魔力剣を右手に握りしめて跳び上がった。
迫り来るは"鏃"の数々だ。
赤黒い砲弾が十数本ほど王城へ降り注ぐ。
俺は庭園から踏み込んで中空に跳び、それらを斬り払った。
悪天候の視界不良は関係なく、幸いにも赤黒い矢の雨霰は、その存在を知らせるかの如く、卑しく輝きを放っている。
鏑矢のように空気を切り裂く轟音は、まるで自己主張しているかのようだ。
なんだ、この攻撃は……?
困惑しながらも、右手の剣を使い、時には軌道予測にて迎撃用の魔力剣を射出し、それらを撃ち落としていく。
その砲撃を一目見た様子では、明らかに通常の矢とは異なり、魔力生成された魔弾に見えた。
……それに虚数魔力をぶつけても消滅しない。
魔相は神性の色を秘めている。
即ち、神の魔力を使った攻撃だ。
次第に重力に逆らえず庭園へ落下し、着地する。
「ジェイクっ……なによこれ!?」
「分からない――――っ!」
息つく暇もなく次弾が迫ってくる。
俺は地上でそれを薙ぎ払った。
数が多くて拉致があかない……。
夜会服で来ていたジャケットをその場で脱ぎ、エトナを包むようにして抱きかかえる。
「あっ……」
「悪いけど、少し乱暴に扱う!」
彼女を抱いたまま王城内へ避難した。
城内は幸いにも被害がなく、射出された矢は城壁の防護でなんとか防ぎ切れているようだ。
急いでパーティー会場へ戻ると城壁に矢が当たった衝撃音で会場が轟くのみで、実害はなさそうな様子だった。
しかし、国外の来賓者やエリンの王侯貴族は騒然として、時折悲鳴も上がっていた。同盟国の会合を狙った襲撃と思っているようだ。
ある程度、参加者は揃っている。
ざっと見回した限りでは、パンくれ閣下とハイランダー軍の姿が見当たらなかった。
それ以外は死傷者ゼロで安心した。
エトナを二階ギャラリーに降ろすと同時に叫ぶ。
「エトナは此処にいろ!」
「わかったわ。気をつけてっ」
心配の言葉も挟まず、エトナは俺を送り出した。
信頼されているんだろう。
俺は二階の吹き抜けから一階ホールへ跳び上がり、身体を反転させて着地すると、再び屋外を目指して駆け抜けた。
……一体、誰の攻撃だ。
未来よりも戦争が頻繁に起こってるから、突然の敵襲なんて、ままあることかもしれない。
"何度も蛮族どもの敵襲があった!"
パンくれ閣下もそう騒いでたが、恨まれているから当然だとエトナは軽くあしらった。
でも問題は攻撃手段。
飛来した矢は、神性の魔力で造られた魔弾だ。
それはおかしい……。
そもそもこの時代は"魔法使い"が稀少なのだ。
巫女は百年に一度しか生まれない以上、魔力を造形化する『心象抽出』なんて術も広まってないだろう。
さらに……反魔力が作用しない魔弾。
それ即ち神性の魔力によるものか。
"一つだけ神から戒告を与えておこう"
リィールの言葉が甦る。
神は俺に、一強なんて状態はありえないと助言した。俺がこの世界にいる限り、対になる脅威は確実に存在すると――。
その脅威がすぐそこまで迫っていたか。
○
王城から飛び出すと、城下町から王城までの道と野原で既に戦闘が起こっていた。
赤黒い魔弾はもう襲ってきていない。
遠目にその様子を確認する。
――戦場を駆け巡るは九騎の勇兵。
それに対するは一つの小さな影だ。
たった一人……。
勇兵の体躯と比べても至極矮小な人影は、されど凄まじい速度と破壊力で九騎を翻弄していた。
厚い装甲を纏う九騎の兵は、言うまでもなく『ハイランダー軍』である。
彼らの戦いぶりは凄まじい。
あれだけの重装に包まれていながら、振るう剣戟は敏捷性に長け、周囲の草木も丸々なぎ倒す破壊力があった。
そして"軍"だからこそ出来る戦術か、時には仲間の鎧を踏み台にして跳び上がり、宙から力を込めて斬鉄を振り下ろす――。
そんな重厚なグレートソードを振るう兵もいた。
落ちた地点には大地に亀裂が入り、その力強さをありありと見せつけている。
しかし、それらの洗練された攻撃さえも容易く躱し、九騎を出し抜く一人の敵影があった。
――その脅威はたった一騎だ。
小柄な体を利用し、大地に這うように駿足で駆け抜けると、ハイランダー軍の兵の足元を斬りつけて機動力を削いでいる。
「あれは……」
しかもその一騎は『魔力剣』を扱っていた。
俺も使い慣れた赤黒い魔剣だ……。
小さな一騎の剣戟は、目にも留まらぬ超速――剣術の流派は不定型であり、聖心流のように一撃一撃に渾身の力を込めるような振り方もすれば、影真流のように下段から剣を振り上げて速業を披露することもある。
時には、魔力剣自体を投擲して曲芸的な戦い方も見せる。
機神流のような剣捌きも窺えた。
「なんだ、アイツは……」
ハイランダー軍の洗練された攻撃や、魔力の面影も感じさせる破壊力も凄いのだが、それ以上に、その小さな影に俺はどこか……魅了されていた。
どこの誰なのかは分からない。
黒い外套を纏っているだけで装甲は無し。
外套が翻ったときに見せる肢体はか細く、少し白い肌もちらつかせた。
女……?
だが、その破壊力には勇ましさがあり、ハイランダー軍ともども、道端の草木ならず、岩までも破壊し尽くしていく。
戦場の近くまで駆け寄るとパンくれ閣下がいた。
戦況を見て苛々している様子だ。
「鼠一匹に何を手こずっているんだっ!」
その反応も当然だろう。
だが正直、どちらも強い……。
ハイランダー軍は、魔力の恩恵によるものか知らないが、普通の人間にしては考えられないほどの力や敏捷性で周囲の障害物ごと薙ぎ払っていく。
一方、敵の強さは反則級の魔力の賜物。
俺と同じ神性の魔力による"ズル"である。
ハイランダー軍の強さが破格なら、敵の強さは規格外なのだ。
九騎束ねて同格の戦いであれば善戦だと思う。
俺は歯軋りするパンくれ閣下に声をかけた。
「加勢しますよ?」
「要るものか! ここは我がハイランダー軍の武勇を示す好機なんだ――む、まさか君もあの鼠と同じ勢力か? さてはこの襲撃も自作自演。加勢するフリして我が軍の威厳を損なわせるつもりだね。その手には乗らないさっ」
「違いますって……」
パンくれ閣下は疑わしきは罰するタイプらしい。
怪しい輩は徹底的に弾劾する気だ。
「どちらにせよ、ハイランダーがあんな鼠に劣るわけがない! 軍配は我らに上が――」
――言い終わる前に魔弾が閣下へ飛来した。
俺は素早く移動し、直撃する前にその牽制攻撃を素手で掴んだ。
さっき王城に飛来した赤黒い一矢。
心象抽出で造形された神性魔力の矢である。
狙撃手は、今なおハイランダー軍を翻弄し続けている小柄な黒い影、その人。
彼(彼女?)は九人も相手にしながら、こちらへ狙撃するほどの余力を持っているようだ。
後方に弓兵が潜んでるわけじゃないのか。
単独犯?
「ぁ……あぁ……」
パンくれ閣下は恐怖で押し黙った。
何にせよ、単独でこの規模の戦いを披露できるならハイランダー軍の負けである。
死傷者が出る前にアレを制そう。
俺が戦意を向けると同時に、小さな外套の影はぴたりと攻撃の手を止めた。俺へ何か言いたげに固まっているが、猪突猛進に迫るハイランダー軍から遠ざかるために間合いを取り――。
「消えた……」
そして忽然と姿を晦ました。
塵一つ残さず、すっと一瞬で消えたのだ。
どんな魔法を使ったのかも未知数……。
何だったのだろう。
敵は明らかにハイランダーを凌駕していた。
俺とのタイマンでも五分五分か、それ以上の戦いを見せたかもしれない。
逃げる必要があっただろうか?
それに城も、外壁の傷以外は特に被害なし。
侵略に来たわけでもなさそうだが、それにしては派手なことをしてくれた。
考えても訳が分からなかった。
俺の困惑を余所に閣下は声を張り上げた。
「……しょ、しょ、しょしょ、勝利だー! 我がハイランダー軍の勝利である! ふ……ど、どうだい、ジェイク君。ペトロの勇兵の凄まじさをその眼で垣間見ただろう?」
パンくれ閣下は引き攣った顔しながら強がるようにそう告げた。
しかし、膝は震えている。
「わ、わかったら、金輪際、エトナに近寄るなよ。メルヒェン家からも出ていくんだっ」
「あぁ、えーっと」
それには頷けない。
先ほど、守ると宣言してしまったばかりだ。
俺はあの子の傍にいたいと思う。
「……だ、だが、僕の命を救ってくれたことには感謝しよう。あ、ありがとう、助かったよ」
「どういたしまして」
ジョゼフ=ニコラ=パンくれ何某閣下……。
死にかけて怯えているのか、顔面蒼白だ。
なんだか憎めない人だな。




