Episode207 返り咲いた善意
意味不明な手紙を早速、届けに向かう。
混乱していたからだ。
ジョゼフ=ニコラ=パンくれ何某って誰だ?
ペトロって国が何で口出ししてるんだ?
王城パーティーって何のことだ?
想像以上に話がデカくなってるし、訳が分からなくて手紙の内容もほとんど頭に入ってこなかった。いや、送り主が俺のことを煽っていて、あとエトナのことが好きなんだろうってことはなんとなく伝わったが……。
もしかしてエトナの疲れってこいつのせいじゃないか。それに、俺の知らない間に重大な話が勝手に進んでしまってないか、これ。
もしエトナが俺を庇おうとしてこんなことになってるなら、早いうちに動いた方が良さそうだ。
無関心が誰かの迷惑になるなら、それは悪だ。
レナンシーのことを片付けた時点で俺にも責任が発生している。
巫女専用フロアである四階まで上がる。
メイドさんが一人歩いていたけど構うことなく、エトナの部屋を確認し、扉に手をかけた。
「あ、お嬢様は今――」
何か忠告されたけど、がちゃりと扉を開けた。
「お休みになりましたけど……」
部屋に入ってからそんな声が廊下から届く。
中は静かで、小さな寝息一つだけ聞こえてきた。
本当に疲れてたんだろうなぁ。
さっき庭先で言葉を交わしてからものの数分しか経ってないというのに、深い眠りについているようだった。
「ジェイク様、申し訳ありませんが退室願います」
「あ、すみません……」
ベッドで深い眠りにつくエトナの顔立ちはそれはそれは整ってて、白い陶器で出来てるんじゃないかってほど艶やかで、そして大人の女性としての妖艶さも漂わせていた。
文句のつけようがないほど完璧美少女だ。
貴族界ではさぞモテるんだろう。
…
マウナに何か聞けば分かるだろうか。
今回王都に呼び出されたのは姉の方だが、妹だって色々と国政やら外交事情は知ってるだろ。
俺がエトナの部屋を出、そのまま隣のマウナの部屋の扉に手をかけようとしたらさっきのメイドさんに凄い形相で睨まれたので適当に誤魔化して四階から立ち去った。
……うん、ちょっと冷静になろう。
寝泊りしてる客室に戻って手紙を読み返した。
このジョゼフ=ニコラ=パンくれ何某は明らかに悪意を持って手紙を書いてるな。
嫉妬心とバカさを感じさせる興味深い文面だ。
それよりも『ハイランダー軍』とは――。
"ある災厄を、たった一人の戦士が治めた伝説を歌った詩なんだ"
ハイランダーの業火と関係ありそうだ。
これからこの地でも災厄が訪れるのだろうか。
リバーダ大陸でも『アザレア大戦』が控えてるってのにラウダ大陸でもか。
二大陸で同時に災厄が起こるとか。
不穏すぎるな……。
ふかふかベッドに転がって何度も読み返した。
なんでだろう。
このくだらない文章に煽られて気分が悪くなったわけでもない。
神経を逆撫でされたわけでもない。
それでもこの手紙の事が気になるのは――。
「不甲斐なさ、か……」
今の俺はエトナに対する謝罪の思いで一杯だ。
青魔族問題のことを舐めていた……。
領土を侵略されたから追い返しただけの話だろうと単純に考えていたけど、この"問題"っていうのはそれだけじゃない。エリンが弱小国だったとしたら、侵略に太刀打ちする術がない以上は頼れる存在に頼るしかなかったんだ。
――そこで出てくるのが同盟国。
これまでの旅で『ロワ三国』って言葉がよく出てきたけど、近隣に二つの国があるんだ。
そのうちの一つがこの手紙を送りつけた男がいる『ペトロ』ってところか。
どうだビビったか、なんて誇らしく語ってる時点で、きっとハイランダー軍含め、自国の軍事力に自信があるんだろう。
ペトロは軍事力を餌にエリンへ恩を売りつけたかったのかもしれない。
その狙いが阻止されてしまった。
俺が先に解決してしまったから……。
オーガスティンさんも言ってたが「エリンが不平等条約を突きつけられるところだった」という話だから、まず間違いないだろう。
「……」
この屋敷を出入りしていた人が総じて暗い顔してたのも、ペトロ国との外交に余計な歪みが生まれてしまったからか。
一度「助けてください」とお願いしてたのなら、「あ、解決したんでやっぱり大丈夫でした」なんて軽く終わらせられる話でもあるまい。
その皺寄せがメルヒェン家に来ていたのか。
言い変えれば、オーガスティンさんやエトナが俺の責任の肩代わりをしていたんだ……。
なんて馬鹿だったんだろう。
ジョゼフ=ニコラ=パンくれ何某の言う通り、俺は低能だった。
臆病者はまた不幸を生むのかよ。
一枚の写し絵を取り出して手紙と見比べる。
「シア……」
シアが今の俺を見たらどう思うだろう。
人と関わることを避け、責任を余所に押し付けて、自ら動こうとしない俺を見たら……。
"英雄譚には幕締めが必要です"
"一人で抱え込むのはやめましょう"
"ロストさんが優しい人だから――"
シアは俺を気持ちをよく知っていた。
未来へ帰ったとき、胸を張ってシアと再会できるように……俺は最後まで英雄であり続けたとしっかり言えるように……。
困ってる人を見過ごすわけにいかないよな。
これはきっと偽善なんかじゃない。
○
食事を運んでくれるメイドさんにお願いしてエトナと会わせてもらえないか相談した。
メイドさんは「お嬢様にお伝えします」と冷淡に答えて立ち去ってしまって、少し不安だったが、食膳を下げに来たときには、夜に部屋を訪れていいと返事をもらえた。
俺はさっそく夜、エトナへ会いに行った。
扉をノックして返事を待つ――。
「ジェイク? どうぞ、入って」
「失礼します!」
部屋に入ると普段着姿のエトナがいた。
……お疲れの人は皆、偉いんだ。
俺はエトナのことを尊敬してるし、今、俺の意志で何か手伝いたいと思っている。
理想に徹するためだとか、
人助けをしてる自分に自惚れてるとか、
英雄になるためとか、
そんな傍迷惑な欲望や衝動によるものじゃない。
自らの意志でエトナの為になりたいと思った。
「な、なんか今夜は目がギラついてない?」
「そうですか?」
俺の顔を見てエトナは身構えた。
頬も少し赤いが、まさか体調が悪いのか。
「エトナこそ今日は気弱ですね」
「だ、だって……ジェイクの様子が変だから。まさか変な気を起こそうとしてるわけじゃないわよね? 一応、あなたのこと信用してるんだけど……」
変な気?
まぁ、久しぶりに水を得た魚のようにやる気に満ち溢れているのは事実だ。この時代では"人と関わらない"というポリシーで行動していたが今回に関しては違う。
エトナを不幸にさせたくない。
この子が頑張り屋さんだからだ。
俺に出来ることなら身を挺する覚悟が出来た。
そういう意味では変な気を起こしてる。
「変な気を起こしてます!」
「え――えぇ!?」
予想以上に驚いたエトナは窓辺へ後ずさりした。
「ちょ、ちょっと、さすがにそれはマズいわよ! た、確かに、あなたにエリンを救ってもらったのは事実だけど、私だって立場もあるし――お願いされても無理なんだからっ」
「何故ですか?」
「な、何故って。そ、そんな……」
「むしろそんな立場だからこそ、色々と抱えた状態から君を解放するために、こっちで動ける限り動きたいと思います」
「大胆なこと言うのね!?」
「実はそういう一面もあります」
はっきり答えているつもりなのだが、エトナが逆に当惑して口をパクパクさせ、顔面も真っ赤だ。
本当に体の調子が悪いのかもしれない。
倒れそうになって窓に背中を預けているので、心配になって歩み寄った。
「大丈夫ですか? ベッドで横になった方が?」
「あ、あぁっ……いえっ、いきなりベッドよりまずは優しく――ってそうじゃなくてっ」
本当に様子が変だ。
俺が一歩近づく度にどんどん身体が傾いて倒れそうになっている。
「あっ……」
「おっと。危ない」
実際に倒れてしまったので、さっと近づいてエトナを抱きかかえた。間近で目が合った途端にエトナがジタバタと暴れ出した。
「ダメーっ! まだそういうのはちょっと!」
「まだって何ですか?」
「だから――」
体が熱くて本当に具合が悪そうだ。
そっとベッドに降ろしてあげて掛け物をかけてあげた。
「え……?」
「横になったままでいいから聞いてほしい」
面食らったようにピタりと動きを止めた。
安静にしてくれれば良くなるかな。
寝台の横に膝をついてエトナを見る。少し涙目にもなっていたが、少しずつ熱が引いてるのが分かった。
「俺はエトナに色々と迷惑かけていた気がします。王都へ行って戻ってきたエトナはすごく疲れた顔してました。王家への報告で何があったか分からないけど、きっと俺のせいかと思ってて……。だから何か手伝えることないかって心配してるんです。戦うこと以外は何の取り得もない男だけど、何か力になれないかなって……余計なお世話ですか?」
真摯に伝えたつもりだ。
だというのに、エトナはワナワナと拳を震わせていた。何かの逆鱗に触れてしまっただろうか。手助けするって言葉が彼女のプライドを傷つけたのか。
少し肩を震わせたかと思えば、エトナはほっと息をついて、くすりと微笑んだ。
「なによ……そんな顔されたら、まるでこっちがジェイクを助けたみたいじゃない」
「え?」
「ほら、表情」
体を起こしたエトナは、俺の頬に手を伸ばして、抓ったり弾いたりした。
「旅してたときより朗らかだわ」
指摘されて気づく。
目つきも顔つきも変わっているのか。
「そう、か……」
「その方が素敵よ。もっと自信持って」
自信……。
俺は自信がなかった。
何に? ――人助けすることに、だ。
人を助けない自分が嫌で、人を避けていれば何も悪いことは起こらないと殻に閉じこもっていた。でもそれ自体が俺にとってストレスだった。
俺は根本的に……人助けがしたい。
それに理由がなきゃいけないのか?
最後に嫌われるかどうかまで考えて選択しなければならないのか?
違う――これは偽善でも自惚れでもなくて、俺がただ人として在るために必要な善意だ。善意でやったことが空回りして最近は失敗が続いてただけだったんだ。
そんな基本的なことに今、気づけた。
この子のおかげで……。
「なんだかよく分からないけど……とりあえずそれ拭いてよ」
「ふく?」
俺が戸惑っていると、エトナはサイドテーブルからハンドタオルを取って、無理やり俺の目元あたりを拭い始めた。
「あ……」
どうやら勝手に涙が流れていたらしい。
情けない姿を見せてしまった。嗚咽するような泣き方ではなかっただけマシだが、男が女の子の前で涙を垂れ流すというのはどうにも格好つかない。
「はぁ――どっちかっていうとジェイクは自虐体質みたいだし、この際もう打ち明けちゃおうかしら」
「もしかしてペトロ国のことですか」
反射的に言い返したらエトナが一瞬息を飲んだ。
「知ってたの?」
「オーガスティンさんから。あと、この手紙を読んで……」
ポケットに忍ばせていた手紙を取り出す。
パンくれ何某が書いた怪文書である。
「ちょっ、なんでこれをジェイクが!」
「宛て先は俺ですよ」
「渡した覚えがないんだけどっ」
「庭に落ちてて……」
己が失態に気づいたのか、エトナは額を抱えて大きく溜め息をついた。
「第一皇子からみたいですね」
「ジョゼフは曲者なのよね……」
「あと王城パーティーのことも書いてます」
「ええ!?」
不安が一気に押し寄せたのか、エトナは慌てて俺から手紙を奪い取って読み始めた。内容はエトナに対するラブレター的な意味合いも含まれている。
こんなもの人に読まれたら恥ずかしいだろう。
「あぁ~! 本当に私って馬鹿だわーっ」
「この人はエトナの許嫁?」
「違うに決まってるでしょう! こんな奴と一緒になるなんてまっぴらごめんよ」
まぁ文面から見ても性格悪そうな様子が窺えるし、普通の人なら毛嫌いして当然だろう。
「俺はもう逃げずにどこでも出向くつもりです。というか、なんでエトナは隠そうとしたんですか?」
「隠したっていうか、わ、私はただ……ジェイクの幸せを想って」
「俺の幸せ?」
異性に幸せを願われたことなんて人生で初だ。そんなもの俺自身も眼中になかった。でも大事なのは疲弊した人たちの方の心の安寧や幸せである。
「あ――気にしないでっ」
「俺もエトナの幸せを願ってます」
「はぅ……っ」
「だから抱え込むのはやめてください。王城パーティーでも何でも行きます。ペトロの連中が脅してくるなら脅し返すくらい出来ます」
裏返せば、それくらいしか出来ない。
でもこの外交の歪みは俺がもたらしたものだ。
責任取るつもりで自ら動くのは当然のこと。
俺の怠慢で女の子に苦労かけたなんて……そんなこと、未来で誰も許してくれないだろう。
「じゃあ……ジェイクは全面的にエリンの味方ってことでいいのね?」
「リバーダ大陸へ向かう前までは」
「十分よ。なら、私たちの親愛の印に」
ほら、とエトナは手を差し出した。
ここは握手という事でいいんだろうか。
「まず私たちも、友達から……始めましょ」
上ずった声でエトナは呟いた。
少し怯えがちで、頬も赤く染めていた。視線がそっぽ向いているのは少女ゆえの恥じらいか。何を今更と思うが、確かに俺とエトナの関係はこれまでの旅では主従関係か利害関係者という感じでしかなかった。
これからは、ちゃんと友人として付き合おうという事だろう。
「わかりま――」
友達なんだからそれは変だ。
「わかった。これからよろしく、エトナ」
「……っ」
俺はその手を強く握り返した。
絆を結ぶようなものだ。
わざわざ『血の盟約』なんて結ばなくても、お互いを信頼し合うための第一歩だ。
大事なことを思い出させてくれた彼女を俺は大切にしたいと思った。
「あら、あなたって意外と……」
握り合う手に視線を移し、エトナは俺の手をまじまじと眺めてきた。
禍々しい魔族紋章入りの手だ。
ただの人間から見たら凶悪に見えるだろう。
それなのに――。
「綺麗な手をしているのね」
"――綺麗な手をしているからね"
それは幼い俺とメドナさんのやりとり。
すべて脳裡に焼き付いている。
当時の俺を少しだけ取り戻せた気がする。
◇
嫌な予感がして駆けつけてみれば――。
これは勘というやつだ。
私には父譲りの勘がよく働く。
人間の五感とはまた別の第六感の存在を疑っていたが、どうやらこの"勘"というものは、五感すべてが研ぎ澄まされていることによる相乗効果で、物事の変化や流動に敏感になりやすいから働くそうだ。
それはともかく彼が部屋から出てきた。
なんだか顔つきが違う……。
何があったのだろう。
順調だったと思ったのに、その顔色の変化は不穏な気配が漂っている。
「あれ? なんでリアがこのフロアにいるんだ」
「それはこちらの台詞ですよ」
「俺はエトナに用があって……」
双子の魔術師の片割れとの密会。
まさか……。
「ところでジェイクさんはいつ頃、リバーダ大陸へ向かうのでしょうか。私も旅支度するので教えていただけると心構えもできます」
「ちょっと王都に用事があるから遅れそうだ」
「用事――まさか例の招聘の件ですか」
先日聞いたばかりだが、王都の招聘に応えずにリバーダ大陸へ向かわせるような準備はしていた。
でも、この力強い視線では……。
「そうだよ」
「青魔族の方々を待たせてしまいますよ」
「まぁ、数日くらい待たせても問題ないだろ。向こうの大陸に戻るのを怖がっているくらいだし」
「ケアさんも待つことになります」
「神殿暮らしが気に入ってるし、ウォードや村人が守ってるから大丈夫じゃないかな。何より青魔族の内乱は終わったから危険もない」
「……」
王都に行ったら数日どころではなくなる。
何より今はペトロやラーダの各国の王家や騎士が駆けつけているのだ。
推測だが、エリンも何か緩衝材として祝典のようなものを開くに違いない。あの兵団と接触してしまえば、名も無き英雄の物語は着実に史実通りに向かって収束を始めてしまう。
因果律が正しく作用してしまう。
「待たせて悪いけど、こっちも大変でさ」
「……」
「――ま、まぁ連絡するよ。じゃあ!」
引き留める術がない。
彼を王都へ近づけずに因果を編み出せない。
どうすれば――。




