Episode204 海と大地の神リィール
神、それは絶対的存在である。
この世界の神は二人いた。
俺と関わりが深いのは、隣で単調な呪詛を繰り返す女神だ。
否――元・女神のケアだ。
「リィールのばかぁっ! ばーーかっ」
まるで子どもが親に駄々こねてるだけのよう。
薄紫の髪した黒い修道服の女の子。
これが女神の慣れの果てである。
対する雄神はその子どもにデヘデヘする親のような有態だった。
海と大地の神リィール・トゥラム・デ・ルウ。
薄緑の短髪に白い布の服だけ纏った青年だった。
全能の存在だろうが、今の俺は『神の超越者』……怯える必要はない。
「神だと言ったな」
「ハッ――こほん。いかにも、我こそがこの世界の統禦者リィールだ。大地を創造し、大海による恵みを齎し、星に息吹を与えし者。天地創造は我が力の賜物」
リィールは改まって精悍な顔した。
今更そんな顔されてもイメージ挽回は難しいんじゃないかな。
その男は俺の眼を真っ直ぐ見てから眉を顰めた。
「ところで君は……誰だ? 恥を忍んで聞くけど、余に名前を訊かれることを光栄に思って答えなよ。ほら、訊くは一時の恥。聞かぬは一生の恥って言うじゃない? ――ま、余の一生なんてもう残り僅かだから恥も糞もないんだけどね、ハッハッハ」
軽い……。
見た目もだけど口ぶりも軽い。
ケアとのご対面はもっと凄い人物と出会ったって感じだったけど、こいつには神の威厳を感じない。
第一印象は少女趣味だし。
「意味がわかんないけど、一応答えておく。生涯通じて俺に名前なんてない。今の愛称はジェイクだ」
「へぇ~、名無しくんかぁ」
興味深そうにリィールは俺を眺めると、穏やかな目をして微笑んだ。
好青年なオーラを漂わせる。
背景にきらきらした演出が漂いそうだ。
まぁ、背後には閃光のような階段がこの南アイル山の山頂に天空から降ろされているから事実、その表現は間違ってない。
にしても、やけに親しげじゃないか。
リィールは天空階段を解除して綺麗さっぱり消し去ると片手を挙げて指を弾いた。
――直後、この平坦な山頂の一部が隆起した。
「なんだ!?」
「まぁ、せっかくこうして出会ったわけだし、我が家でお茶会でもどうかな? 君からは面白い話が聞けそうだ」
隆起した大地は徐々に形を変えて柱がそそり立つ神殿のようなものが出来上がった。
ケアには申し訳ないが、ギャラ神殿よりも豪勢な創りをしている。
「父上、海神が下賤なヒト風情と関わるなど……斯様な気まぐれは破滅を生みますゆえ!?」
アンダインが岩石の神殿に入ろうとするリィールの背に忠告を挟んだ。
神は顔だけ振り返り、俺たちに一瞥くれる。
「え……其奴ら、ヒトじゃないでしょ?」
「な、なんと。それは誠ですか」
それだけ言い返してリィールは神殿らしき建造物に向かって再び歩み出した。
固唾を飲んだ……。
なんだろう、世捨て人ならぬ世捨て神?
オルドリッジ事変で最後に言葉を交わした女神ケアと同じ匂いを感じた。
隣のケアに視線を投げる。
ケアはあっかんべーしていた。
○
「いらっしゃい。さぁ、どうぞ」
「……」
警戒しながら神殿の内部へ入る。
岩肌から突然隆起して出来たから、どんな土造空間が待ってるかと思いきや、中は赤の天鵞絨が敷かれた廊下や綺麗に磨かれた白亜の壁で出来上がってる。
一体どんな魔法で出来てるんだ……。
リィールは腰に手をつき、胸を張ってその通路のど真ん中を闊歩していた。
誰か召使い……神の使いといえば天使だが、そんな存在がいるわけでもなく、神殿内部は静けさが支配している。
「なんだか警戒しているようだね?」
「当然だろ。初対面だし、もう一方の神には散々な目に遭わされたんだからな」
「ん……もしかしてケアと会ったのかい?」
リィールは立ち止まって振り向いた。
瞳の色が赤黒い……。
怪しい輝きを放っているが、雰囲気は柔和だ。
神というより皮肉屋みたいな印象。細身の体で凛と背筋を伸ばして俺を見据えている。
「こいつのことですけど」
袖にしがみついて歩くケアを前に差し出す。
ケアは慌てふためいて俺の背後に隠れた。
「へぇ~、ハッハッハ。いやぁ、そうかそうか。道理で」
道理で?
リィールはケアの姿を見ても分からないのか。
そのまま続きを語ることもなくリィールは再び歩き出した。
なんか背中から悲愴感が漂ってる。
…
ある大きな扉の前に辿り着く。
廊下に突然現れたように門を構えていた。
リィールが門前に立つとその扉が突然がばっと開いた。
その先は真っ白な空間が広がっている。
中央に純白の机と椅子三つがあった。
リィールは躊躇せずにその椅子の一つに腰掛け、背もたれに大袈裟にもたれかかると腕を後ろに回して寛いだ。
振る舞いが脱力系男子のそれだ。
手のひらでもう二つの椅子を示す。
「ほら、君たちの椅子だ。どうぞ」
「あ、どうも」
促されるままに俺とケアは椅子に座った。
レナンシーの分の椅子はない。
「アンダインは椅子なし!」
「そ、そんな……妾にも情けをかけてくだされ」
「馬鹿者。『愛』に焦がれて身を滅ぼさんとした愚か者にかける情けなどあるものか」
「はっ、滅相もないことですのじゃ……で、でも父は『愛』を理解せよと妾を地上へ送り遣わせたのではありませぬか」
部屋入口付近でレナンシーは伏し目がちに不平を伝えた。
「そうだけど……うーん、そうなんだけど、まさか『愛』ってやつが破滅願望まで生み出すなんて予想外だし。というか、それでアンダインは結局『愛』が何なのか分かったのかい?」
「いえ、我が身の生誕から八百有余年……ただの一つも理解できませんでしたのじゃ……」
「そうか。なら廊下で自滅未遂を反省しろっ」
ぐわっとリィールの赤い瞳が開眼するとレナンシーは「あーれー」なんて咋な悲鳴をあげて部屋から強制退場を強いられた。
勢いよく扉は閉じられ、俺とリィールとケアの三人だけになった。
「見苦しいものを見せてしまったね。……可哀想な娘よ。アンダインは頭のネジ一本外れちゃってるだけだから悪く思わないでくれ。余がそう仕立てたわけだし、余にも非がある」
ネジ一本どころか、三、四本程度はぶっ飛んでると思うが……。
リィールは優雅にぱちんと指を弾き、純白のテーブルの上にティーカップを出現させた。たった今、一からすべて構成されていくようにカップが出現し、底から紅茶が湧き上がっていく。
なんて異様な光景だ。
「余が創造神だからこその業さ」
「そうは言っても飲む気はしないな」
「ま、体裁みたいなものだから飲まなくても気にしないけどね、ははは」
じゃあティーカップは放置しておこう。
触らぬ紅茶に祟りなしだ。
「で、ジェイクくんだったか。君はどこのはぐれ神かな?」
「はぐれ神じゃなくて人間!」
「嘘でしょ……余の星で生まれたってこと?」
カップに口をつけたリィールが手を止める。
「そうだよっ! 神様だから明かすけど、俺はイザイア・オルドリッジで、この時代のエンペドってやつの千年くらい後の子孫! で、まぁ何やらあって俺も子どもに転生したけど、同じ時代に転生してきたエンペドをぶっ倒したらリゾーマタ・ボルガの力でこの時代に送られて来た! つまり未来から来た! 今は未来への帰り方を探してる最中だ!」
リィールはぽかーんとしている。
滅茶苦茶に端折って伝えたから上手く伝わらなかったかもしれない。
「え、何……言ってることさっぱり意味わかんないんだけど、神でも分かるように話してくれない?」
「えぇ……」
これは、どうしたものか。
神でも分かるようにって貴方が分からなかったら俺も絶望的なんですけど!
神視点でケアから伝えてくれないか。
だが、ケアは同じ言葉を繰り返すだけだった。
「リィールのばーかっ」
○
神様ってことはヒントをくれると期待した。
だって全知全能の存在だろ。
女神だって『予定調和』とかいうテクニックを使う強敵だったわけだし。
因果の力で絶対相手嵌め落とす神だった。
――リィールに斯々云々の事情をすべて打ち明けた。あまりに話が長すぎて、だいぶ時間を使ってしまったけど最後までちゃんと聞いてくれた。
「はぁ~、そうかぁ……それは大変だったね」
「随分と他人事だな!?」
女神の陰謀もあるんだから、リィールだって無関係というわけでもあるまい。
「仕方ないよ。君の話しぶりから察するに、神の在り方は承知済みだろ? ヒトが崇めるほど神だって万能じゃないんだ。その……リピカとかいう司書の云う『舞台監督』って言葉は言い得て妙だ。余らは『深祖』から派生した事象の監視者でしかない。バランス調整ならするけど、一から十を創り変えられるわけじゃない。余はおろか、この時代のケアも未来で起こることなんて知るものか」
テーブルに肘をついて手を組むリィール。そこに顎を乗せて俺を下から覗きこんだ。
冷静に見ると美形だった。
――しかし、視線を変えてケアを見るや否や、その美形が崩れてデレ~っとなる。
「それにしてもケアは未来じゃこんな姿なのかぁ……ぐうの音も出ないほど可愛いねぇ。君の心象抽出で出来た容貌なら余と君は趣味が合いそうだ」
「俺はそんな趣味じゃない」
同族に思われたくなくて言い返したら、はははと柔和に笑われてやり過ごされた。
ケアと違ってリィールには全く毒気を感じない。
でも隣に据わるケアは噛みつかんとばかりに呻っていた。
外敵を警戒する子犬のような有様だ。
「余はケアと仲違いしてしまったからね。彼女にその記憶が残ってるなら余への罵倒やアンダインに攻撃的なのも納得だよ」
「それはどういうことだ」
「――ケアの目的を知ってるだろ?」
女神はエンペドを使役して『絶望』を集める。
目的は、人々の間で薄れゆく神への信仰を取り戻すためだった。
「信仰なんて薄れて当然さ……。統禦者は未熟な人類の育ての親に他ならない。余が"大地"を作り、ケアが"魔力"を与える……それでしばらく見守って、成熟したら自立して子は巣立っていく。それでいいんだ。むしろ我々が"剥製"に変わる日がくれば、それは無事に人類が育った証拠。親として本望だろう?」
なんて出来た人なんだ……。
世捨て人風な雰囲気はそんな思想から来るのか。
女神に聞かせてやりたいくらいだな。
「ケアは分かってくれなかった。余は唯、人類に唯一仕組まれた『愛』の起源を知りたかったからアンダインを遣わせたまでさ。ケアは『愛』を否定して『信仰』を求めた。だからレナンシーのことも認めないし、その存在を生み出した余のことも、この通り誹謗し続けている」
リィールは呻り続けるケアに微笑み返した。
「まぁ、喧嘩別れした神二人ってわけ。その恨み辛みが巡り廻って君に飛び火しちゃったのは申し訳ないけどね。……でも謝罪くらいしか出来ないよ。君を遣って信仰を取り戻そうなんてつもりもないし。剥製になっても――いや、剥製になれるなら幸せ者だ。別の世界では存在すべてを忘れ去られて"剥製"にすらなれない統禦者だっているくらいだ。それに……」
腕を伸ばしてケアの頭をぽんぽんした。
リィールの表情はどこか儚げ。
彼は好青年な神でありながら大人の落ち着きと変態性を少々有してるナイスガイだったようだ。
「ケアは未来で『愛』を識ったようだね……あれだけ人類を憎んだケアの抜け殻が、慈愛に満ちて悠久の時を生きている。皮肉な話だが、余は最愛の人の末路を知れて満足さ」
「パートナー……そうか。雌雄一対の神だから、リィールにとってケアは嫁みたいな存在か」
「ま、そんなとこかな」
なら俺は壮大な神の夫婦喧嘩に翻弄された子どもってわけだな。
酷いオチがあったものだ。
…
俺は最後にリィールに尋ねた。
「ところで俺が未来に帰る方法なんですが――」
「魔力の話は全然わからんよ」
「あ、そう」
まぁ予想はしていた。
リィールはケアのようにヒトの心を見透かす様子は一切見せなかった。
俺が警戒もせずに女神のことを愚痴れたのも、この神がまるで偶然、街で知り合った粋なお兄さんって雰囲気を感じたからだ。
きっと騙したり操ったりと云ったヒト分野は専門外なんだろう。
海と大地を司る神は、人類や魔力に関しては専門外で、専門外だからこそ気さくに相談に乗ってくれる親と成り得たのだ。
帰りの廊下もわざわざ見送ってくれた。
赤の天鵞絨の上を歩く最中も俺のことを気遣う様子さえ見せてきた。
「……君はとっくに余もケアも超越してる。『愛』も『魔力』も『力』もすべて持ってるんだ。そんな在り方は、君が名無しくんだからこそ手に入れられたんだと思うよ。だったら、きっと君自身の力で未来に帰ることも出来る。こんな月並みなアドバイスしかできなくて悪いけど」
「いや――」
俺はそんな粋な神との出会いそのものに感謝していた。神にも良い奴がいたんだってことが分かっただけでも嬉しく思う。
「あなたに会えて良かった。色々ありがとう」
「ふふ、余も同感だ。きっと未来では余は既に剥製化しているだろうが君の幸せはいつまでも願ってるよ」
俺はケアの手を引き、神殿を後にした。
静寂な神殿はリィールの人となりを示している。
「あ、一つだけ神から戒告を与えておこう」
「ん……?」
不穏なこと言い残してくれるなよ。
今、凄くいい感じでお別れできそうだったんだから。
「この世はバランスで出来ている。余とケアが一対であるように、エントロピーとネゲントロピーは一対で存在することで世界の調和は保たれている」
「はぁ……」
「君がはぐれ神じゃなくてこの星で生まれた以上はその法則は必ず付き纏う。一強なんて状態はありえないからね――つまり、君がこの時代に送られた以上は君と対になる"何か"あるいは"誰か"は必ず存在している……それにだけは、気をつけて」
対になる誰か……。
一瞬だけエンペドのことが頭に浮かんだ。
でもあいつは未来では消滅したし、この時代のエンペドは今の俺にとって脅威ではないだろう。
ただの一般人なんだから。
そんな宿敵みたいな脅威が何処かに潜んでるってことか?
「あ、そういえば」
歩み出しかけた足を止めてもう一度、リィールに向き直る。己を振り返ってみて、この時代に来てからの違和感を同時に思い出したのだ。
「俺は未来から来たわけだけど、この時代の行動次第で未来が変わる、なんてことは在り得るのか?」
「……面白いことを聞くね」
「それ次第では慎重に行動しないと、未来に帰っても俺の知る人物に再会できないなんて可能性もあるのかと思って……」
神殿の入り口に佇むリィールの姿は逆光だった。
大地の隆起で出来た神殿だというのに、内部からは強い光が発せられている。
「バタフライ・エフェクトのことかな。パラレルワールドなんて考え方は人類が好き好んでしているよね。でも答えは否だよ、ジェイクくん」
「否……?」
「パラレルワールドは確かに存在するが、君が生きるこの世界は、それ以外の何物にもならない。つまり此処で君が何をしでかしたとしても、君がかつて生きた未来では、それが起こった事として成り立っているんだ」
「……よくわからないな」
「まぁ、つまりさ、気にしなくていいって事だよ。君の運命に偶然はない。君の此処での決断は、すべて正解のものとして未来は存在している」
逆光に映るリィールが昔の女神の姿と重なった。
"運命に偶然はない"
"あなたの決断は、すべて正解になるの"
「そうか……それだけ聞ければ安心だ」
やはり『リィール』は神だった。
気さくで親しみやすさに溢れていても女神の叡智と同じものを持っている。
また困ったときは助言を求めたいものだ。
俺はケアを連れて神殿を出た。
振り返ると既に大地の隆起はなくなっている。
ただ平坦な南アイル山の頂きが続き、白い雪景色だけが視界を覆うだけだった。
※リィールとケアは第3幕 第4場『◆ 統禦者の見る世界』で少しだけ二人の絡み描写があります。
※「運命に偶然はない」=『Episode28レッド・ジェイド結成』参照。
次回更新は2016/11/3(木)祝日に1話更新できると思います。




