Episode197 聖典の真相
神殿に通され、石造りの涼しい空間に入る。
天井の側面は穴が空き、湿気対策も窺えた。
中は複数の松明で照らされて明るい。
四人揃って床に敷かれた藁敷きのクッションの上に座る。ほとんど床に直接座り込んでいるようなものだ。
それよりも俺は、これから振る舞われる牛肉料理のことを想像し、陰鬱な気分になっていた。確かガラの古代文明で行われていた儀式は牛の胃を生きたまま取り出し、草の消化物を体に塗って女神に捧げるという話を聞いた事がある。
グロテスクだ。
牛さんが可哀想である。
「う~……」
「ジェイクって情緒不安定よね」
俺のゲンナリした様子にエトナが声をかけた。
「もう成人してるんでしょう? いい大人がそれじゃだらしないわよ」
「……確かに成人してますけどね」
「歳はいくつなの?」
「十七です」
この体では十七歳だ。
その前にイザイア・オルドリッジとして二十四年生きたけど、記憶もほとんど抜けてるし、カウントしなくていいだろう。
それも含めたら四十一歳。そんな自覚はない。
「魔族のくせにそんな若造だったの!? てっきり四十歳くらいかと思ってた」
「だから、人間族です」
「それは嘘よ。新種の魔族に決まってる」
前世分含めれば見事に的中している。
巫女は内面を見極める力でもあるんだろうか。
「エトナも同じくらいじゃないですか」
「いいえ、ジェイクの場合は人間族で換算すると八歳になる」
どうしても俺を魔族にしたいようだ。
ちなみに魔族の寿命は人間の約二倍らしい。その意味でいえば、寿命が存在しない俺には既に年齢を数える意味はないかもしれない。半魔造体は老いることがなく、肉体を完全に破壊されない限りは死なないのだ。
「なんですかそれ……じゃあ、リアは?」
「私はちょうど二十歳です」
向かいに座るリアもすぐ答えてくれた。
年上だったのか。
いや、彼女は魔族だから人間族換算で十歳?
肉体的には七歳も年下か。
見た目が少女なのはそれ故か。
それにしてはしっかりしている。
「リア先生も人間族でいえば十歳ってこと。つまり、私が一番お姉さんなんだからパーティーのリーダーはこの私ね」
えっへんと胸を張るエトナ。
程よく膨れた双丘が強調されて目に留まった。
そんなことよりパーティーを組んだ覚えはない。
もう二週間弱過ごしてお互いの素性も分かり、気楽に話せる関係にはなってきた。
でも、それは俺の意に反することだ。
俺はこの時代の人たちと仲良くなりたくない。未来に帰るときに弊害が生まれるし、何より人と深く関わると、
"――死ね。失せろ、凶賊"
深く関わるとロクなことがない。
雑談に華が咲いた頃、香ばしい匂いが漂って何か料理が運ばれてきたのだと感じた。ウォードや神殿入口付近にいた青魔族の女性二人が大皿に盛りつけた肉料理を運んできたのだ。
丁寧に焼いてある。
一見して普通の牛肉料理という感じだ。
胃が丸々運ばれてくることはなかった。
「あれ、牛の胃は? 生きたまま取り出されるんじゃないの?」
「クメウォ マギ クゥ? ピッキニ パウォ ポォ アリーヴェ」
「エッキ ゲラ パウォ。ドレッパ スヴォ セム エッキ アウォ プヤスト」
俺の妄言をリアがわざわざ通訳してくれた。
「"そんなことするものか。苦しまないように殺して捌く"――だそうです」
「そうなんだ……」
命を頂くなら当然だとウォードも真面目な顔して語った。
噂に尾ひれはひれが付くように、伝承も拡大解釈されて伝わるんだろう。未来人からしたら古代人って何してたか怪しいところもあるし、語り草に醜悪さを飾り付けて伝わったんだろうな。
そう、伝承もすべて正しいわけじゃない。
ここがガラ遺跡の原型でもケアがモデルになるなんて――。
――貴方が造り出す剣とこの魔剣は瓜二つ。
――そして私とこの子も瓜二つ。
――これら過去の遺物と現在を結びつけて言えることは何だと思う?
リピカの言葉。
俺が過去に存在した証拠はいくつもあった。
――俺が既に千年前に……?
その問いにリピカが答えることはなかった。
分からないと言っていたし、彼女自身も既に神の役割から降ろされたただの人形だった。リゾーマタ・ボルガを通過して過去に送られるなんて予想していなかった。
そもそも必然か偶然かはこの際どうでもいい。
俺の目的はただ一つ、帰ることだ。
それは誓いだった。
巻き込んでしまったケアも置いていきたくない。
そのケアもちょうど姿を見せた。
仰々しさもなく、ちょこちょこと歩み寄り、俺たちが料理を食べる様子をにこにこした顔で眺めてきた。
食事が必要ないから食べる気はないのだろう。
微笑ましくなり、俺もパクパクと肉を平らげて、美味しいぞこれと無言で表現してみる。するとケアもご機嫌な様子で体を左右に降り始めた。
「気が散るわね。食事はいいから本題に入りたいんだけど」
何か不快だったのか、エトナが口を挟む。
本題とは青魔族のことだ。
匙を置いて口元を丁寧に拭いた後、エトナはケアに向き直り、真剣な表情で語り始めた。ケアは無垢な表情のまま、微笑み返した。
エトナはやりづらそうに一度歯噛みした。
「……新族長の考えを確認しておきたいわ。まず、このままだとこの村は危険よ。青魔族の侵略問題はエリン王家も最優先に考えているようだし、ペトロやラーダの同盟国の援護も取りつけるように手配している。最終ジャッジは分からないけど、最悪、戦争になるわ」
エトナは威圧的にケアに物申す。
交渉の常套手段か、戦争という言葉も強調した。
なのに、ケアは惚けた顔で首を傾げるばかりだ。
「つまり、あなたたち『溢れ者』がいくら穏健派でも、エリン側は歓迎のムードにないってこと! 族長から離れた派閥って話だけど板挟み状態なのよ。それをこれからどうしていくか、何か考えがあるかを聞いているのよっ」
「あぅ……」
声を荒げたエトナを見てケアは萎縮して口を閉じた。煮え切らないケアの様子にエトナはさらに苛立ちを示していく。
負の連鎖だ。
「あぅじゃなくて――!」
「やめてください。ケアはこういう子なんです」
「こういう子って、リーダーがそんなんで青魔族の人たちはどうするのよ! あの人たちを守れるのは新族長のあなたなのよっ」
心配の矛先はそこだったようだ。
エトナは責任感が強く、そして何より優しい。
文句は垂れながらも青魔族と一週間、旅を共にして親近感が湧いたのかもしれない。
きっと戦争なんてしたくないんだ。
穏健派の拠点に着いてから青魔族の視点で考えていた理由もそれか。勝手に棲み家を作るなと吠えかかったのも、目立ったことをして、エリンと戦争になることを危惧したのかもしれない。
とんだ天邪鬼がいたものだ。
「ケアはただの偶像です。決断ができるリーダーじゃない」
「じゃあ誰が青魔族を守るのよ?」
誰が守るのか……。
孤立した集団は安寧の地を求めているだけだ。
ケアは俺と同じお人好しだから青魔族に担ぎ上げられて族長の座を断れなかった……と思う。直接聞いてないから分からないけど、でも想像はつく。
それは彼女には荷が重すぎる。
「俺が――」
"――貴様が戦犯だ"
トラウマが心の泥濘を掻き乱す。
俺自身が表舞台に立つことを拒絶している。
でもケアの困った様子を見て、この場で唯一の仲間を助けられるのは俺しかいないのだと思った。
三者の意見を整理すると解決手段は明快。
『溢れ者』は戦いたくない。
エリン側は土地を侵略されたくない。
両者の意見を尊重するなら、沿岸部にいる『族長』を説得あるいは屈服させ、別の地へ向かってもらうしかない。
「俺がレナンシーを説得します」
「……なんでジェイクが出ていくの?」
「ケアは俺の仲間だからです。俺も青魔族を守る立場にあります」
「あなたは私たちと都にいくんでしょっ」
街を目指したのは情報収集のためだ。それより優先することがあるなら後回しで良いと思ってる。
エトナは眉間に皺を寄せた。
睨めっこが続き、しばし気まずい空気が流れる。
剣呑な雰囲気にマウナもおろおろとし始めた。
「……好きにしなさいよ。もう知らない」
エトナは拗ねたように立ち去った。
俺とケアのことを気にしながらマウナも姉の後を追った。
この選択は間違ってないはずだ。
要らぬ親交は未来へ帰るとき邪魔になる。
これ以上、双子の巫女と親交を深めるのは後々問題になる気がした。
どちらにせよ、ケアを解放するには溢れ者を『族長』のもとへ返してお役御免にしないといけないのだ。
「ジュニアさん、ありがと」
「ん……」
普通にお礼を言われて、俺はなんとなくケアの頭をぽんぽんと叩いた。
変に気遣いを覚えられても困る。
この時代の人たちにどう思われようと二人で未来へ帰れればそれでいいさ。ただ、メドナさん似の少女を怒らせてしまったのは俺も落ち込むけど……。
そもそもなぜ怒り出したのか分からない。
呆然とする俺の外套をケアはくいっと引っ張って、「だいじょうぶ?」と言わんばかりの顔で見上げてくる。
「二人で頑張ろうな」
「うんー」
「レナンシーに交渉しにいくか?」
「レナンシーは倒す」
「えっ?」
ケアがいきなり物騒な事を口にし出した。
言葉達者になって違和感が拭えない。
「倒す方法をつくってたの」
「ちょっと待て。お前、なんか様子が変だぞ」
「……?」
穏健派どころか、強硬派はケアの方じゃないか。
◇
「ちょっと! お姉ちゃん、どうしたの?」
夕闇の畦道を走って追いかけてくれたのはマウナだった。息を切らして、私のところまで追いつくと膝に手をついて項垂れた。
体力がないくせに無理しちゃって。
「らしくないよ。まだちゃんと新族長さんの話を聞いてないじゃん」
「そういえばそうね」
「そういえばって……」
確かに突然感情的になってしまった。
振り返れば何故あんな風に立ち振る舞ったのか。
淑女としては些か問題のある態度だった。
「ジェイクさんのこと?」
「ジェイクがどうしたのよ」
「あの人が口出ししてからお姉ちゃん、急に怒り出したじゃん」
「んー……」
ギャラ神殿の会話を振り返る。
……確かにジェイクは不思議な人だ。
圧倒的な力と速さで敵を翻弄できるわりに、それを驕ることも悪用することもない。最初に私を抱きかかえたときも忠告まで入れてくれて、紳士な人だと思ったほどだ。
しかも、その力自体が後ろめたい物だとばかりに謙遜する。
すべての事に自信がないのだ。
そんな彼を連れて王家に自慢でもしてしまおうかと――。
「もしかしてペトロ国の交換条件を気にしてるの?」
「……」
「ジェイクさんがいれば条件を呑む必要ないもんね」
「違うわ。それに青魔族問題さえ何とかできれば良いんだもの」
ジェイクを後ろ盾のように扱うつもりはない。
ましてや自陣営に取り込もうなんて。
『血の盟約』も以ての外だ。
あんな怯えた目をする男にお願いするなんて可哀想だからだ。きっとあの力は意図せず手に入れたものなんだと思う。ジェイクはその力で何度も傷ついて生きてきた……気がする。
気がするだけだけど、なぜかジェイクの事に関しては確信に近い状態で分かる。
なら、さっき感情が昂ぶったのは――。
「じゃあ恋でもしちゃったとか。嫉妬?」
「ば、馬鹿ねっ、そんなことあるわけないでしょ!」
「あは、図星のときの反応だ」
妹はすぐ私を茶化す癖がある。
私の片割れなんだから、もっと礼節を弁えてほしい。
親しき仲にも礼儀ありだ。
――でも初めてジェイクと目が合ったとき、その瞳に魅了されたのは事実である。
彼の瞳は深みある赤だ。
万象を見通すような神秘的な瞳だった。
◇
神殿の奥にケアの個室があった。
松明で照らされてるだけで質素なものである。
風通しがよく、石の壁に水滴が滴って床の溝から垂れた水が流れるような構造をしていた。湿気が籠らない工夫のようだ。
部屋の奥、机の上にある物が広げられている。
それは俺も見覚えのあり過ぎて混乱した。
「せまくてごめんね」
「いや、いいんだけど……」
「私は一向に構いません」
背後からリアが付いてきた。
「なんでリアがいるんだ」
「私は新族長と対談に来たのですよ。まだその最中だというのに、なぜ居るのかと問うのは失礼ではないですか」
「てっきりエトナを追ったのかと」
リアは彼女らの護衛だ。
俺の感覚ではリアは双子の巫女らと同じグループだから、仲違いが生まれれば向こうに着くと思っただけだ。
「彼女のことは気にしないでください。きっと今晩にでもジェイクさんのところへ謝りにきます」
「あ、そう」
一時的なご乱心であると俺も助かる。
まぁ、エトナも真面目に考えてたからあんな風に言葉を荒げただけだろう。
誰も悪くないし、謝る必要ない。
協力してくれるなら大歓迎だ。
それよりも――。
「ケア、まずレナンシーを倒すとか以前に俺が感じてる違和感を伝えたいんだが」
「いいよ」
「――お前、本当にケアか?」
「なんでそんなことを聞くの?」
「俺の知るケアという女の子は鈍くて、反応も遅くて、複雑なことを考えようとすると途中で考えるのをやめるくらい怠け者だ」
「あぅー」
ケアは赤面して頭を抱えた。
俺に"ケアらしさ"を大っぴらに語られ、恥ずかしいようだ。
今更そんな"ケアらしさ"を出されても困る。
「それでお前は誰なんだ。まさか、また第二第三のケアだとか言うんじゃないだろうな」
ケアのコピーが量産されすぎて訳が分からなくなりつつある。
この容姿のオリジナルは『アリサ・ヘイルウッド』だ。そこから女神ケア、少女ケア、教皇リピカと同じ容姿の少女が次から次へと登場してきて量産化待ったなしだった。
薄紫色の髪した修道女には逐一、本人確認を取る必要がある。
「わたしはジュニアさんの知るわたしだよ」
「じゃあ、その反応の良さはなんだ?」
「ぅー」
ケアは困ったように目を落とした。
女神や教皇のように敵意を感じられないところは安心する。
「わたしは魔力のつかい方をおしえてもらったの」
「誰に?」
「リピカさん」
俺が知らない間にそんな交流があったのか。
パウラさんが保護している最中か。
あるいは王都の騒乱の渦中か。
「この世界に来てしばらく魔力をつかう練習してたら意識もはっきりしてきたよ」
「意識もはっきり……今までのケアが異常だったって事か」
本来のパフォーマンスを発揮すれば、ケアもちゃんと喋ったり考えたりできるのか。そういえばリピカも、ケアが神性の魔力で頭を掻き回された反動で思考が鈍磨している、とか言っていたような……?
ガラ遺跡後のドウェインと同じ状態か。
「それなら納得だけど違和感は拭えない」
「これまで迷惑かけてごめんね」
「いえいえ……って、そんな礼儀正しい子だったんだな」
「記憶はのこってるから」
ふむ……物言わぬのを良いことに変なことしなくて良かった。あのとき「体は好きに貪ってくれて構わない」と女神が託したのは罠だったんだな。
「待て、それだけじゃない。レナンシーを倒そうって……ケアはもともとそんなに暴力的だったのか? 性格も変わってる気がする」
「ぅー、それはきもちの問題だよ」
「気持ち?」
「レナンシーのことは、考えるだけできらいになるの」
「なんだそれ」
嫌いだから衝動的に倒すって?
理屈じゃないんだよと言うことか。
レナンシー可哀想だな。
困惑の傍ら、リアが相槌を打って前に出てきた。
「その気持ち、わかります」
「リアも考えただけで憎らしくなる相手がいるのか」
「当然じゃないですか。ヒトには相性があります。ジェイクさんはご自身が苦手だと思う相手はいないのですか」
「うーん……」
エンペドの事は考えただけで憎悪が湧く。
でも奴が憎まれることをしたからだ。
苦手だと思う相手はアイリーンとか。
でも倒そうなんてとんでもない。
苦手ってだけで、その好意は嬉しかった。
「それで、レナンシーを倒す方法とは?」
リアが俺を置いてケアに意見を促した。
エリン側からすれば元凶であるレナンシーがいなくなれば、問題解決に近づくと思っているのだろうから、リアの焦りも理解できる。
でも節操がないな。
ぽたりと石壁を這う水滴が一滴、側溝に垂れた。
リアの詰問に反応したかのようだ。
「レナンシーは神さまがつくった魔法のいきもの」
「魔法生物のことか?」
「うん。だから"ふじみ"なの」
神製の魔法生物か――俺と似てる。
不老不死の魔造体って事なんだろう。
そこでまた何か引っかかる。
「なんでケアがレナンシーの素性を知ってる?」
「それも記憶にのこってるよ」
「ケアの記憶に……?」
レナンシーはケアと縁のある人物か。
神が創ったと言うからには元女神のケアが知っていても不思議ではない。
つまり、ケアは神の記憶を共有しているのだ。
"女神だった頃の記憶も持ちつつ、女神であるはずがない私が何者かなんて、そんなもの、答えが得られるはずがないでしょう?"
大聖堂の問答を思い出す。
リピカ……お前はやっぱりケアだったのか。
もしそうなら、ケアはこのまま未来に帰れずに何処かで生き続ける運命だ。
それなら俺自身も――。
嫌な予感が降って湧く。
頭を振った。気を取り直そう。
「倒す方法はこれだよ」
ケアが机の上の物をようやく指し示す。
ずっと気になっていた。
リアが興味深く手に取り、読み始めた。
「これは……獣皮紙か何かですか」
「牛の皮でつくったの」
そうだ、それはどこからどう見ても――。
「巻き物のようですね」
「聖典、アーカーシャの系譜だ」
原聖典『アーカーシャの系譜』。
俺の右腕を封印していた聖典。
それが……こいつの作ったものだったのか。
「作れるはずない。神が綴った最高級の呪いだぞ。そもそもケアが魔族文字を知ってるはずが――」
「これは魔族言語です」
「そんなまさかっ」
リアと並んで聖典の出来栄えを眺める。
どうせ真似して作っただけの模造品だろうと思ったが、禍々しい字面は俺と半生を共にした『アーカーシャの系譜』そのものだった。
「なんでこんなものを!」
「ジュニアさんがいなくて寂しかったから、おもいでに……」
寂しかった? 思い出?
なに言ってんだ。
「リア、なんて書いてあるか読めるか?」
「少し待ってください」
アーカーシャの系譜は災いをもたらす聖遺物だ。
魔法の起源が記されているもので、内部の図解には確か複雑な万物万象の創造譚が書かれているんだ。そんな神の御業で記されたような叡智の賜物を、ケアみたいな天然お惚け少女に書き綴れるはずがない。
そもそも『アーカーシャの系譜』は究極の封印法具としても名高い。
つまり魔道具だ。
ケアが魔道具作製の工程を理解してるはずもなく、封印魔法を使うなんて話も初耳だ。
「これは魔族語のようですが、筆が雑で誤訳してしまう部分もあるかもしれません」
「いいから訳してくれ」
訳した内容次第では今のケアの頭脳が神域であると証明される。それならこれから起こる出来事だけでなく、未来への帰還方法も知ってるかもしれない。
息を飲んでリアの言葉を待った。
「えーっとですね……コホン。
ジュニアさんはつよい
さんきょうだいでいちばんつよい
みんなをいっぱいたすけたよ
めがみさまはジュニアさんをあいしてる
ジュニアさんはすごい
せかいでいちばんすごい
まりょくをけしちゃうことができる
けんでたくさんのわるものやっつけたよ
ジュニアさんはやさしい
だれにでもやさしい
よわいこはみんなまもってあげる
みんなジュニアさんにかんしゃ――」
「わかった。もういいや」
読み上げたリアも赤面していたが、ケアが一番真っ赤になっていた。
両手で顔を隠して恥ずかしがってる。
これはポエム的な何かだ。
ケアはポエマーだ。
「なんだこれ」
「あぅ……アーカーシャの系譜……」
赤面して震えた声でケアはそう公表した。可愛さ倍増だったが、それよりもこれを『アーカーシャの系譜』だと言うケアに呆れ果てる。
しかし内容はどうあれ、見た目は聖典そのものだ。
聖典に書き記された内容はこちらが正解で、未来の方が誤訳の可能性が高い。
古代人のふざけて残した遺物が未来で悍ましく解釈されがちなのは重々分かった。聖典の謎を追うことに生涯を捧げたアルマンド・バロッコ氏も浮かばれないなぁ……。
「これでレナンシーをふういんするの」
「本当にできるのか?」
「うん……」
なんとも頼りない。
俺が怪訝な目を向けていると、ケアは恥ずかしさに耐え兼ねたか遠ざかるようにトコトコと神殿入口まで戻り、こちらに手招きした。
何か見せたいものがあるようだ。
本来のパフォーマンスでこのポエムだ。
彼女の潜在能力には驚きが隠せない。
このポエムこそ『アーカーシャの系譜』です。
作中で語れませんが「Episode122 いざ王都へ」にて、ケアが頑なに聖典を手放そうとしなかった理由は、聖典が自身の黒歴史であり、人に渡してはいけないものだと感覚で感じ取っていたからです。
※アルマンド・バロッコ氏…「Episode24 巻きつく聖典」に登場。
※魔力の使い方について…「Ëpisode165 聖剣」にてリピカより伝授されてます。




