Episode195 魔術の祖
あれから他の魔族の尋問も済ませて一日経った。
結局、どの青魔族も同じことを言っていた。
『族長』と『新族長』の二人が鍵で、新しい生活を求めただけの青魔族に人間族と敵対する意志はなく、むしろ穏健派なのだと判明したのである。
「では、いってらっしゃいませですじゃ。エトナ様、マウナ様、お気をつけて」
出立の日、運良く晴天だった。
一面の雪景色だが、日光を浴びるとまだ温かさも感じる。周囲の針葉樹に降り積もった雪も少し溶けては寒さで凍りつき、氷柱が下に伸びていた。
俺もメルヒェン家の私物である厚手の外套を借りることが出来た。
さすがに黒帯胴衣一着で旅しろというのは酷である。
いってらっしゃいと送り出した老翁らも、数日後には此処を後にして真反対の北の町へ向かう。丸一日ほどで辿り着く距離らしく、俺たちが『溢れ者』の拠点に辿り着くよりも先に町へ戻れるだろう。
森の合間を先往くのは青魔族のウォード。
それに続き、四人の青魔族が先陣を切る。
後方を付いて歩くのは俺とエトナとマウナとリアの四人。
他七人の青魔族は警戒しながら護衛に回ってくれた。
魔物が現われたときのボディーガード役を彼らは買って出たのだ。脅迫めいた事をした後だが、部族間の平和的解決には何かと協力的だった。
各々、曲剣や鉈、カトラスを持った青魔族は剣呑な雰囲気を漂わせている。
まるで俺たちが捕虜になった気分だ。
結局、事情が分かった俺たち人間側は『新族長』に会おうと決断した。
決断したのはエトナだが……。
この辺りまで生息域を広げているのは『溢れ者』だけで、ひとまずその集団と話ができれば、北の森まで攻め込んでくることはないそうだ。
――というか、新族長が好戦的である筈がない。
それが俺の知る人物なら。
「ケア・トゥル・デ・ダウ?」
エトナが眉間に皺を寄せた。
「初めて聞いたわ」
女神の名を知らないのか。
……巫女のくせに?
未来では存在を疑う人は多くても、その名を聞けば誰しも「あぁ」と反応を示すほど有名な女神だった。
俺のことを散々嵌め落としてくれたがな。
そこに隣を歩くリアが補足してくれた。
「魔族語で『偉大なる魔の始祖 ケア』という意味です」
「偉大なる魔の始祖……変わった敬称ね」
「はい」
「そのケアという人はジェイクの知り合いなの?」
知ってるも何も、半生を共にした仲だ。
仲間といっても過言ではない。
「俺もケアもたまたまこの地に流れ着いた部外者です。以前は一緒に旅した仲でした。ケアだってエリン人でもないし、青魔族でもない。途中ではぐれて何処に行ったんだと思ってましたけど、まさか青魔族の『逸れ者』に拾われてるなんて思いもしませんでしたよ」
「そう……幼馴染のような存在ね」
まぁ、そんなところか。
嘘はついてない。
二人揃って未来から来ましたなんて言っても混乱を招くだけだろうし、変に情報開示しない方が良さそうだ。
ケアの所在が分かった今、あの子と一緒に未来へ帰るために必要な情報は"俺とケアが本来一緒にいるべき存在だ"という事実だけ。それさえ伝わっていれば、俺が青魔族の『逸れ者』一派からケアを連れ出そうと動くのは当然だし、後々一緒に行方を眩ましても不自然ではない。
「ケアもジェイクのように不思議な力が使えるの?」
「いえ、全く。普通に会話できるかすら怪しいです」
「ロワ語は喋れないの?」
「意味は理解しますが、"あう"くらいしか喋りません」
「……ほんと二人して犬みたいなコンビね」
紅い眼を細め、エトナが呆れ顔を向ける。
何とでも罵ってくれ。
俺は未来へ戻ってシアと再会するためなら、此処でどう思われようとも構わないと意志を固めたのだ。
「それにしても、なんでそんな人が『新族長』と崇められてるのかしら。ジェイクくらい強ければ神格化されても不思議じゃないけど」
「俺にも分かりません」
こっちが聞きたいくらいだ。
ウォードにその辺りの経緯を聞こうとしたが、新族長の偉大さに興奮してまともに会話できなくなったので、リアも聞き出すのをやめた。
会って話せば分かるだろう。
教えてくれるかは別として。
○
ようやく北の森を抜けるという頃。
日暮れが近くなって夕陽が差し込んできた。
風も冷たさを増して、不穏な気配を感じる。
――――……。
俺がぴたりと立ち止まると、それに次いでリアやウォードたち魔族も足を止めた。
何かが来る。
木々が小刻みに振動している。
おそらく一般人なら何の異変も感じないくらいの些細な微動だった。
目を凝らすと、降り積もった雪の一部から粉雪が泡のように吹き上がっている箇所を見つけた。そこから今まさに怖ろしい魔物が飛び出して――きそうな気がする。
直感以上に冴え渡る何かが未来視を発動させた。
「……!」
胸騒ぎがしてその場所へ俊足で駆け抜け、虚空を殴りつけた。
刹那、何かを抉る感触が腕を伝う。
――グォォォ!
鮮血が吹き上がって血飛沫が俺の顔にかかった。
見えなかった魔物が突然、姿を現す。
風が吹き荒れて、何か魔法が解除されたような反応が目の前で起こった。
どうやら目の前の毛むくじゃらの白い魔物が、何か魔法を纏って姿を晦ましていたようだ。この魔法は何処かで見た事がある。
……シアが使っていた『空圧制御』だ。
風の結界で姿を晦ますことが出来る技である。
しかし、俺の攻撃で腹を抉られてとっくに死んでいた。
大猿のような白い体毛の死骸が俺の体に覆い被さる。
「雪の悪魔!」
「ウェンディゴ?」
「雪山や冬の森に現れる魔物! 姿を見せずに旅人を襲うことから悪魔と怖れられているわ」
「あ、そうなんですか」
エトナが遠くから解説してくれた。
気持ち悪いのでウェンディゴを地面に放り投げた。
図体が俺の二倍あるわりに力は弱々しい。
「そうなんですかって、一流の戦士でも命掛けで狩りするA級の魔物なんだけど」
「へぇー」
「ちなみにこの毛皮もウェンディゴ産。高かったんだから」
エトナはふわりと白い毛皮のコートを見せびらかした。
雪の魔物の毛皮だけにかなり暖かいらしい。
何級とかの格付けは詳しくないが、今更魔物ごときで引けを取る俺ではない。それこそ悪魔みたいな狂人と幾度戦ってきたと思ってるんだ。
青魔族たちは目を見開いてぶるぶると震え始めている。
ウェンディゴってそんなに怖い魔物なのか。
俺がひょこひょこと暢気に歩いて戻ると、エトナも溜息ついて俺を迎えた。
「はぁ……やっぱり滅茶苦茶な男ね」
察するに、またやってしまったようだ。
変に力を見せつけてしまうと恨まれるキッカケになる。気をつけてもどの辺までが驚かれない事なのかの判断すら難しい。
こればかりはどうしようも――。
――オオオオ! オオオオ!
直後、森中に魔物の呻き声が響き渡った。
大地もさっきの微振動じゃなくてはっきり揺れていた。
「しまった。仲間が集まってきてるわ」
「ウェンディゴのですか?」
「ええ……彼らは火が弱点だから焚火でもしてれば寄ってすら来ないんだけど、仲間を殺されたら話は別だわ。見境なく襲ってくる」
「仲間想いな魔物なんですね」
「ジェイク、責任取って何とかしなさいよっ」
エトナに何とかしろと命じられた。
その彼女自身も炎の魔力弾を灯して身構え始めた。青魔族も各々の得物を構えて、森の周囲から飛びかからんとするウェンディゴの襲撃に備え始めた。
"――命令されて戦う心地良さを感じる"
エトナははっきりしてて良い。
根に持つタイプじゃなさそうだし、戦うか戦わないかをすぐ指示してくれる。
命令そのものも俺の意志と通ずる。
「わかりました。ウェンディゴは全滅させますか?」
「本当に出来るの?」
「もちろんです」
「じゃあ全滅させて。十体も狩れれば、毛皮だけでメルヒェン家の別荘一軒くらいの収入になる」
相場は分からないけど、それって超高価なのでは……。
雪の悪魔討伐の難しさを物語っていた。
その後、数にして二十体くらいのウェンディゴが襲いかかってきたが、軒並み返り討ちにして屍が詰み上がった。
木々を利用して立体的に動き、近づかれる前にぶっ殺した。
途中であまりに殺し過ぎて可哀想になってきたので生け捕りにしたのだが、エトナが「早く殺して! 仲間を呼ばれる!」と焦っていたので、二次被害が発生する前に魔力剣を突き刺して駆逐した。
時間にして十数分程度だったと思う。
あっという間だった。
「もうウェンディゴの気配はないですけど、なんで青魔族は怯えているんですか?」
「ジェイクさん、ご自分の姿を見れば分かります」
「ん?」
リアに指摘されて外套を眺めると、ウェンディゴの血で真っ赤に染まっていた。
顔も腕も、血が冷え固まってカピカピになっている。
ひぇぇ、悪魔はどっちだよ。
○
日が完全に沈む頃になり、森を抜けた。
小高い丘みたいなところで広大な平原が見渡せる。
今日はここでキャンプして一晩過ごすらしい。
今のところ予定通りで、『逸れ者』の拠点まであと六日ほどの旅になるそうだ。
ウェンディゴの毛皮はその場で剥いで回収したが、都までは運搬しきれない気がして青魔族たちに『新族長』への貢ぎ物として半分ほどプレゼントした。
今、青魔族らも恐怖と恩義の狭間で、せっせとテントを何戸も張っている。
人間族側の寝床と青魔族の寝床をそれぞれ用意してくれたのだが、エトナとマウナとリアは同じテントで、俺だけ一人になった。
俺と一晩共にしようという青魔族もいない。
嗚呼、悲し哉……。
「ジェイクさん、服と体を洗いませんか?」
エトナが一際大きな焚火を魔法で用意したり、リアが青魔族の一団と会話して情報収集している間に、マウナが声かけてくれた。
優しい子だなぁ。
「一応、雪で拭いました」
「それだと臭いが残っちゃいますよー」
確かに外套は黒汚れして体も少しベタついている。
一応これでも貴族出身だ。このまま寝るのは辛い。
「それに、お湯の方が汚れもしっかり取れます」
「お湯なんてあるんですか?」
「魔法で用意できます」
そうか、マウナも巫女だからエトナのように魔法が使えるんだ。
「マウナはどんな魔法が使えるんですか?」
「基本的に自然界の事象は一通り……火や雷、水など起こせます。あとは風も」
「すごい。万能ですね」
「そ、そんなことないよっ! お姉ちゃんの方が巫女の力は強いから」
俺がそれとなく感心を示すと頬を赤らめてあたふたし始めた。
……そういえばこの子、俺と『血の盟約』を交わしてくれと願い出てきたのだった。まさかこの気遣いも近づくための口実だろうか。
気持ちは嬉しいけど、この身は嫁一筋と決めたからな。
いや、マウナも別に夫婦の関係を求めているわけではないはずだ。『血の盟約』は確か、相棒のような関係だと云うから、所謂、恋愛関係のような俗な意味合いは無いはず。
「血の盟約って深い絆で結ばれる誓いの魔法なんですね」
「あっ……あぁふっ、えぐ、ゲホゲホっ」
マウナが狼狽して突然に噎せた。
こないだの告白を思い出して恥ずかしくなったようだ。
「ごめんなさい。国のためとはいえ、ジェイクさんに不躾なお願いをしちゃいましたね」
「国のため?」
「あ、今のは聞かなかった事にしてくださいっ」
なんだ……?
もしかしてメルヒェン姉妹って何か裏がある?
こんな辺境でひっそりと教育されていたというのも引っかかるし、しかも、"リア"という貴重な人材を付けてまで教育していた、というのも違和感。
巫女の存在はどんな価値があるんだ?
会話を逸らすように桶を取って来て魔法で水を注ぐマウナに、俺は構わず会話を続けた。
「マウナのような巫女はどれくらい居るんですか?」
「ん、ん~……百年に一人くらい生まれます」
「ひゃ、百年!?」
俺が想像していたよりも圧倒的に少なかった。
という事は一世一代に一人くらいの頻度か。
「はい……最近は徐々に増えているそうです。あくまでロワ三国で統計を取った限りだけど、もしかしたら他の国にはもっといるかも」
「エトナとマウナはとても貴重な存在じゃないですか」
「そんな事ないってばっ! あんまり茶化さないでっ」
本心で言ってるんだけどな。
マウナは褒められ慣れてないようだ。
桶に組んだ水に手を翳し、マウナは念じ始めた。
ぐつぐつと水が煮えたぎり、すぐにお湯になった。
こんな魔法、俺が生きた時代では当然のようになっていた。魔法学校の学生寮も自発的にお湯を作って浴びろみたいな意図を感じさせる湯浴み室があったくらいだし。
でも、この時代ではこんな技も百年に一人しか使えない奇跡の御業扱いなんだ。
魔力ゼロが基本の世界か……。
"魔法なんて見るの初めてで、何が起こっているかも理解できないかしら"
出会ったばかりのエトナの言葉を思い出す。
そりゃ初見の人の方が多いだろうな。
「もし良かったら私が体を拭きますよ」
「……」
微笑むマウナを見て、その献身的な姿に惚れ惚れする。
エススとは王女と騎士の関係だったから、それと同じ顔の人物に遜られても戸惑う。
立場がすっかり逆だ……。
いや、マウナも人間国宝級の存在。
そんな子に体を拭わせるなんて冒涜的である。
「大丈夫です。これ、有り難く使います」
「あ、遠慮しなくても――」
俺は桶を受け取って近くの木蔭まで歩いていった。
焚火の近くから離れるとかなり暗くなって視界が悪かった。
……未来でも俺一人じゃ、お湯を作る事さえできない。エトナやマウナがどんな立場であれ、俺にとっては魔法が使える魔術師は皆、偉大だった。
借りた湯と布でまず体を拭き、余った湯で血濡れの衣服を洗った。
着替えはテントに用意されている。
ついでに黒帯の胴衣も洗っておいた。
○
"あぁ、目覚ましくや、魔性の侵攻を嘆く歌"
"草木も生えぬ雪原の中、なぜ我が神ヘイレルは救わぬか"
"屈して祈りを捧げ続け、ついぞ戦士や舞い降りる"
"漆黒の衣纏いし豪傑。瞳の色や、まさに万物の理を見えん"
その声は確かに耳に届いた。
『ハイランダーの業火 第一楽章』?
……とは少し違う気がした。
俺が夢中になって弾き続けた歌だからこそ覚えた違和感。
メドナさんとの思い出の歌。
仲間の死を前にしても尚、戦士を目指そうと勇気づけられた歌。
それに似た歌が静かな夜に響いている。
「……?」
ぱちりと目が覚めた。
物音一つしないが、遠くからでも研ぎ澄まされた耳には容易に届く。
テントから出る。
煌々と月明かりが雪原を照らし続ける。
この辺りは天気が良い夜が多い。
雪に影を落とすほど明るい夜だった。
凍てつく空気だが、視界は驚くほどに澄み渡っている。
俺は雪原から足跡を見つけ、その足跡の行先が近くの森に向かっていることに気がついた。先に進むと声が近づいてくる。
小さな森の中、ひっそりと炎魔法で灯された空間に少女が一人で佇んでいた。
「ついぞ戦士や舞い降りる。漆黒の衣纏いし豪傑。瞳の色は……瞳の色は……」
紅い瞳が夜空を見つめていた。
エトナだ。空を見上げて掠れるような小さな声で歌っていた。
巫女と呼ばれるに相応しい見目麗しい光景だ。
俺は魅入られて、思わずその景色に加わりたくなった。
「一人で危なくないですか?」
「――ジェイク?」
「歌声で目が覚めました」
「そんな……聞こえるような大声は出してないわ」
耳をとんとんと指し、ぱっと手のひらを開いてみせる。
耳も良いんだ、というアピールだ。
巫女には魔物を退ける力があるから大丈夫よ、とエトナは言い訳しながら目を背けた。魔物の特性をよく理解していそうだけど、過信は禁物だと思う。
「その歌は……?」
「ふ、ふんっ、あなたには関係ないでしょ」
聴かれた事が恥ずかしかったようだ。
確かに、誰もいないと思って家で歌を熱唱していたのを家族に見られたら恥ずかしくて死にたくなる心理は理解できる。
それが赤の他人なら尚更だ。
「でも綺麗な歌声でした」
「そ、そう……?」
赤面して満更でもない様子だ。
でも世辞じゃなくて心からそう思ってる。メドナさんに匹敵する歌声ではないが、それでも光る原石を感じて感激した。
「その歌は『ナントカの業火』って曲ですか?」
「違うわよ。今のはなんとなく歌っていただけっ」
「なんとなく?」
「そうよ。魔法の詠唱を考えていただけなんだから――あ、詠唱って言っても分からないか」
失礼な。
無詠唱術者の存在も知ってるし、今まで出会った魔術師の姿をよく覚えてる。詠唱は中級や上級魔法を放つために必要な呪文だ。
でも待てよ……。
魔法を使える巫女の存在が稀な、『魔力弾』さえ凄まじい技だと扱われるこの時代で、魔法に中級や上級なんてランクも未だに存在しないか。
属性さえ分類してないみたいだし。
「詠唱は凄いのよ」
月明かりに煌めく巫女の白い髪、紅い瞳が俺を見る。
それは魅惑的な光景だった。
昔の憧れの人にそっくりなのもあるけど。
「きっと『魔法』を広く知らしめるキッカケになるわ」
「詠唱すれば素人でも魔法が使えますしね」
俺の返事にエトナは目をぱちくりさせた。
「どうしたんですか?」
「あなたって理解は早いわよね……」
「……?」
「まぁいいけど。私は、魔法が『魔術』として一般的に知られる世界が来ることを願ってるわ。そのために『詠唱』という術を考えてるの」
魔法が魔術として知られる世界?
その二つは同義の意味じゃないのか。
現代では無詠唱術者が持て囃されるというのに、エトナはその価値観の違いをありありと俺に見せつけた。
「魔法使いが増えたら巫女も尊敬されなくなりますよ」
「それでいいの。不平等な力は争いの種だから」
それは、これから生まれる『魔術師』という概念の創始者の言葉になろうとは、俺もこのとき考えもしなかったのだ。




