Episode21 女神降臨
まどろみの中に赤い光が差し込んだ。体はふわふわとして水に浮かんだような感覚だった。
赤い海を漂うクラゲにでもなった気分だ。
霞む視界が徐々に鮮明になっていく。
見上げるは果てしなく続く空洞の岩肌だった。赤く光を放つ魔石がゴツゴツと突き出ており、かろうじて闇の中でも識別ができた。
赤い魔石の数々が、点滅するたび俺に警告しているかのようだった。
なにを?
きっと命の消滅を、だ。
そうだ、俺は失敗したんだ。赤黒い魔石を採ろうとしたところ、失敗して深い穴に落ちた。転落死だ。
悔しい。もっと生きていきたい。
"戦いを求める、その欲望こそが悪だって"
俺が死んだのは必然なのだろうか。世界から排除するために、事故に見せかけて女神が殺した……?
"―――違う。あなたはまだ死んでいない―――"
頭に声が響く。
それと同時に、漂う体が強い力によって引っ張られた。
空間を滑るように、俺はまどろむ意識の中で頭の声に身を委ねた。海を漂う感覚から徐々に、体の重みを感じ始めた。そしていつの間にか体は地面に対して垂直となっていることに気づいた。
意識が冴えわたる。
ぼやけた視界もクリアになった。
目の前に広がるのは、巨大な壁。
壁は人為的に作られたように綺麗な平面だ。
そこに何を示しているのか不明だが、禍々しい渦模様や樹形図のような幾何学図形、魔族文字のようなものも見受けられる。
さらにその中心には、巨大なミイラがめり込んでいた。腰から下とその両腕が壁にめり込み、上半身だけ突き出ていた。
俺はその姿にぎょっとした。
ミイラはあまりにも巨大で、巨人族やオーガ族のサイズよりもはるかに大きいだろう。
「こ、これは」
"―――わたしは、根源から派生した魔の起源そのものです―――"
「え?」
急に頭の中に声が響いた。ミイラが言葉を発しているわけではないが、頭に響く声はこの目の前のミイラの声のような気がした。
"―――わたしは、天地開闢から魔力による事象を見守ってきました―――"
「なに言っているか分からないよ」
"―――わたしは、この世の魔力の始まりにしてその地平線です―――"
「だから、さっぱり分からないって!」
理解不明すぎてイライラが募り、声を荒げてしまった。
少しの沈黙の後、ミイラの腹がゆっくりと裂け始めた。今までまったく動く気配がなかったので、急な出来事に驚いた。
そしてその腹の中から何かがぼとりと、頭上高くから落ちてくる。
「危ない!」
避けようとした瞬間、落ちてきた何かは地面に着地する前に空中で静止した。
眩い光を放ち、暗闇に慣れていた目にはとてもまぶしかったが、目を細めて見てみると、それが少女であることが分かった。
しかも、このダンジョンで何回か見かけた亡霊の女の子だ!
ふわふわした長い髪の毛。年齢は同い年くらいに見える。
その子が目の前で直立で空中に浮かんでいる。
しかも素っ裸だった。目のやり場に困るが、光も放っているから神聖な芸術美のようにも映った。
そしてその子はゆっくりと開眼し、やがて赤黒く渦巻く瞳を開放させた。
「……この方が分かりやすい?」
「喋った!?」
「私はあなたたちが女神と呼ぶ存在」
「………そうか。やっぱり、そうだったんだ」
女神と名乗るその少女の声は、その大層な存在のわりに幼い声色だった。
女神ケア・トゥル・デ・ダウ。
何度か見かけたが、やっぱり女神ケアだったんだ。
「意思疎通のためにこうして現世に受肉した。あなたが思い描いた女神の姿で」
俺が思い描いた女神の姿?
確かに女神と聞いてこういう感じなんだろうなぁと想像したが、しかしイメージと違って幼すぎるように見えた。
「女の子にしか見えないんだけど」
「あなたに目線を合わせるため」
女神は俺の疑問に何の躊躇もなく答えた。
「怖い思いをさせてごめんなさい。どうしてもあなたに触れたかった」
「俺に触れる?」
「あなたは本来この世界には現われない存在」
なんだなんだ? 俺はこの世に現れない存在?
それはつまり居てはいけないという意味だろうか。
「つまり、俺はここで消されるってこと……?」
「それは違う。私があなたをこの世に呼んで、生み出した」
「え、え? ちょっと待って。ケアが本当の母親だとでも?」
「それも違う。あなたの魔力の起源は虚数次元にある。それをこの世界に結びつけたのが私」
虚数次元? 結びつけた? なんだそれ。
「うまく言葉に置き換えられない」
「なんで呼んだの?」
「その理由は話すと長い。ただ、あなたにしか出来ないことがある」
「俺にしかできないこと?」
光を纏う女神ケアはただ無表情だった。
幼い無垢な顔立ちとは裏腹に、そこに歳相応の柔らかな表情は一切ない。しかし、その目は確かに俺を真っ直ぐ見据えて、信頼を寄せているような印象すら覚えた。
「今より太古の昔、私はヒトへ魔力の使い方を教えた。その理由は、ヒトが私を愛してくれたから。
当時、魔法は奇跡の御業として秘匿に扱われた。
燃焼コントロール、水の多量生成、高電圧発生。
ヒトは自然界に自由に干渉し、交わり、いつしか新たな種も生まれて多様性が育まれた。
獣人族や巨人族がそれにあたる。
ヒトはどの生命よりも美しく、そして愛らしかった。
種として育ち続ける彼らを、私は側面から観察し続けた。
しかし私はヒトの知恵と欲を侮っていた。
魔法はヒトからヒトへ継代的に伝播し、いつしか魔法を探究するものが現れた。
そして私は忘れ去られていた」
一部、10歳の俺には難しい言葉もあり、理解が追い付かなかった。
しかし女神ケアは淡々と語り続けた。
「魔を司る神として意義を与えられた"わたし"は、魔力を自在に扱うヒトを抑える力を失った。
魔物は私が設計した抑止力の一つ。でも魔法を扱うヒトという一つの種は予想以上に成長が強く、意味がなかった」
「魔物をケアが生み出した?!」
「そう。魔力に対して、魔力を行使しても新たな強い力が芽生えるだけ。そこで私は新たな力を行使することにした――――それがあなた」
「………」
新たな力と言われても実感が湧かない。俺はいつだって足を引っ張っている。
「……なにか勘違いをしているんじゃないかな?」
「あなたは、この世界の"魔法"は使えない」
女神ケアは俺の困惑を読み取るように、俺の悩みの芯を突いてきた。
「そうだよ。俺は魔法が使えない。腕っぷしもまだまだ。何の力にもならないよ」
それはもはや彼女にとってはクレームにも感じたのかもしれない。貴方が作り出した新たな力は残念ながら欠陥品でしたよ、と言わんばかりに。
イザイアが俺を欠陥品呼ばわりしたように。
「あなたはその起源が故に、この世界の魔力に干渉することができない」
ほら見たことか。結局、失敗作だったって事じゃないか。
「でも逆にこの世界の魔力に干渉されることはない」
「………? でも今までいろんな戦いの中で、魔法は受けてきたよ。炎魔法でヤケドしたこともあるし、電撃も食らったら痛い」
「それはこの世界で生を得た、あなたの体と思考にダメージを受けているだけ。"あなた"という存在と起源に、魔力で干渉できる者は一人もいない」
…………?
目線を合わせるためなら、知識レベルでも合わせてくれよ。いちいち何を言いたいのか分からないな、この子。
「魔法は"根源"を辿る力。虚数次元を起源に持つあなたは誰からも干渉されることはない」
「さっきから言ってる"虚数次元"っていうのはなに?」
「実数次元で構成されたこの世界に反する次元。本来、魔力とは多次元に、量子的に展開する一つの粒子そのもの。虚数次元にもその粒子は存在する」
だめだ。頭が痛い。この問答は、続けようと思えば俺の人生が終わるくらいまで果てしないものなんじゃないかと思えてくる。
「あなたは虚数次元に有る魔力の使い手。言わば、反魔力の魔法使い」
女神ケアは片手を伸ばして俺の頬に手を添えた。光に包まれたその右手は、しっかりと温もりがあって人間味があった。
そしてしばらく俺の瞳を見つめていた。
まるで何かを探るように。
「可哀想に。力が無いと差別を受けてきたのね。今、少しだけその大いなる力を開放してあげる」
「……な、なにするの?!」
「ヒトの魔力はその血に宿る。あなたもヒトであり、反魔力を宿すのはその血脈―――」
次第に、ケアに添えられた右手の温もりが、その熱を増した。
"どうやって測ってるの?"
"血だよ"
"血?"
"マナグラムに仕組まれた魔術が、血液のマーカー量を測って数値化したり、ランク化してるの"
マナグラムを初めて装着したときのリンジーとの会話を思い出した。
魔力は血に宿る、か。
「今、その血と反魔力を、より強固に結びつける」
その言葉を受けた刹那。
「――――――」
彼女の右手からの光が強まり、それと同時に体に稲妻でも駆け巡ったかのような衝撃が走った。あまりの痛みに声すら出ない。
「反魔力はこの世界の魔力にとって"無"そのもの。魔力が無い運命は、あなたをこれから最強にする」
「――――――」
体は消滅するように軽くなり、徐々に感覚は失われていった。




