Episode190 紅い瞳の巫女
リゾーマタ・ボルガの内腔はトンネルだった。
黒魔力の消滅を確認した直後、ケアと二人で吸い込まれて門を通過した。
たっぷりと貯蔵された赤黒い魔力に浸される感覚は、やけに心地がよく、胎児に戻って母体に包まれた気分になるが、状況は最悪だ。
「う……ぁあああああ!」
万華鏡のように乱反射する。
過ごしてきた過去の時間がそこにある。
王都の騒乱の前。魔法大学。騎士訓練所。バーウィッチからの道中。オルドリッジ家の揉め事。リナリーの魔法学校の送り迎え。アザリーグラードの事件。歩いた大砂漠。アーバン・フラタニティ。シアとの出会い。サン・アモレナ大聖堂の事件。楽園シアンズ。冒険の日々。ソルテールの町。捨てられた日。幼少期から、そして出生前も――。
すべての時間が喪われていく錯覚。
俺は何をしてきたのだろう。
色んな人との出会いがあった。
それらをすべて消し去り、名前も消し、人々の記憶からも消え、今までの生き方をすべて否定されたような気分だ。
いや、俺自身がそうしたのだ。
すべてを否定したのは自分自身。
その結末を受け入れ、黒魔力を葬った。
「あうー!」
俺と同じようにケアがトンネルを転げ回る。
……あの子も巻き込んでしまった。
激しい閃光映像の中、歯を食いしばってケアを眺める。
"トンネル"を通過している彼女の体を赤黒い帯が漂っている。気づけば、俺自身にも同じ現象が起こっていた。赤黒い帯状の何かが俺を包んでトンネル内を導く。
ばちばちと紫電が走り、"トンネル"がその帯状の何かを認識して手繰り寄せているような反応……。
トンネルが赤黒い魔力を感知している……?
その時、あの言葉を思い出した。
女神ケアとエンペドが謀った陰謀の中、
"肉体や魂を同じ世界の過去へと送ることはできない"
"……を乗算しても負となりうる……虚数の魔力性質を持つ肉体が……"
そんな会話をしていた記憶がある。
まさかリゾーマタ・ボルガの内腔を通過出来るのは虚数魔力を持つ者のみ?
――もしそうなら、現代にいる仲間の誰かが俺のことを思い出し、助けに来てくれるという展開もないと考えた方が良さそうだ。
では、ケアの場合は何故……?
彼女も虚数魔力を宿していたのか?
それとも『自動人形』だから?
何はともあれ、ケアが自動人形だとしても女の子としての人格はちゃんとある。それに彼女は唯一、俺の境遇のすべてを知る子だ。
離れてしまえば本当に俺の全てを失う気がした。
「たすけて!」
「ケア! 今いくから……!」
必死に手を伸ばす。
万華鏡のトンネルの中、捻れた空間を必死にもがいてケアに近づこうとした。しかし、そもそも空間としての体を成していないのか、俺がどれだけ暴れたところでケアに近寄ることは叶わなかった。
「あぅう~!」
最後まで暢気な悲鳴をあげながら、ケアは凄い速度でトンネルの奥へと吸い込まれていった。俺から遠ざかり、その黒い修道服の少女は次第に見えなくなる。
先に往ったんだ、という漠然とした印象を受ける。
「ケアァーーー!」
叫んでも応えはない。
それどころか俺の声を掻き消すように大小様々な声が折り重なった。
"抑止力がどう働くか判った話ではないわ"
"虚数次元の魔法使い。あなたを待っていました"
"あなたがこの世界の救世主だったのね"
"ハイランダーの業火も、これから――"
"ある災厄を、たった一人の戦士が治めた伝説を歌った詩なんだ"
色んな人たちの声が耳に届く。
もう忘れた言葉もあった。
でも過去の憧憬を通過する度にそれは鮮明に俺の耳に届き、頭をぐちゃぐゃにかき乱していく。
これが英雄の代償か……。
誰かを救ったと思えば、一番救われなかったのは自分自身だ。
俺は間違えていたのか。
王都の闘技場で市民から浴びせられた罵声が頭に残っていた。
耳鳴りのように延々と響き渡る。
市民は一様にして「死ね」と言った。
戦いに身を投じ、誰よりも矢面に立っていたつもりが、気づけば波乱を巻き起こすだけの凶賊呼ばわり。
傲慢を吐き散らした凶賊は人々に疎まれ、憎まれ、抹消の道を選択させられた。
やってきた事が単なる偽善なんだと思わせられる。
俺が人々を危険から救ったことは事実だとしても、彼らの心までは救っていなかった。
むしろ彼らの自尊心を踏みにじっていた。
矜持や品格を引き裂いていた。
この仕打ちも、その傲慢が齎したもの……?
――――――。
――――。
――。
暗転。
次第に黒い光に包まれて、放り出された。
突然に冷たい空気を感じる。
此処はどこかの森の上空のようだ。体の回転が止まらず、視界は上下左右、滅茶苦茶な状態だが、鬱蒼と茂る針葉樹と降り積もる雪、星空などは確認できた。
つまり、今が夜で、森が多くて、雪国の方に飛ばされた事だけ把握できた。
そのまま凄まじい速度で落下し、木々を薙ぎ払って地面に直撃する。
またこれか。
どうせティマイオス雲海の時みたいに大地にクレーターが出来るとか、そういうパターンだろ。
――と思ったが、衝撃を感じない。
まるで元々そこに居たように、森にいる。
意識がはっきりする瞬間、周囲一帯の空気が俺の体に吸引される感覚があった。
「……」
異様な現象に困惑するも、その後に訪れた静寂に自らが置かれた状況を突きつけられた。
誰もいない……。
もし、リピカの言葉が本当だとしたら、近くに知り合いなんているはずがない。ここは過去……少なくとも百年、二百年程度の過去ではなくて、もっと昔になる。
不時着の騒ぎで動物も一匹残らず立ち去ったのか、雪が積もる森は本当に静かだった。
一緒に吸い込まれたケアですら途中ではぐれてしまった。
静かな森で独り……。
一挙に悲しみが込み上げる。
あんまりじゃないか。
俺は確かに普通の人より強い。弱い弱いと思って生きていたらいきなり高性能な体を譲り受けた。化け物と呼ばれたこともある。
それで自分が出来ることを精一杯やってきた。
……だが、偽善だった。
偽善にしかならなかったんだ!
「うっ……ぐ、こんなのってありかよ……」
慕ってきた人たちが誰一人としていない世界。
孤独の淵に追いやられた。
孤独の……淵に……。
「うぁあああ! くそっ! ちくしょう! ちくしょう!」
取り乱して大地を殴りつける。
雪原が溶けて周囲に反り上がっているが、地面はまだ冷たかった。
何度か殴りつけて、はっとなる。
ふと身なりの事が気になり、俺が黒帯騎士の胴衣を着ていることに気がつく。王都の干戈騒乱を鎮めるため、気合いを入れる目的で着ていた衣服だ。
全裸にならなくて良かった……。
じゃなくて、ポケットに或る物が入ってる事に気づいて安堵する。
その紙を取り出して眺める。
「シア……うっ……うう……」
シアと二人で映った魔相念写機の写し絵だ。
理事長のティマイオスがデート中に撮って譲ってくれた物だ。この写し絵は消えていない。陽だまりの中、シアの眠たそうな顔も、綺麗な青髪もしっかり写っている。
『これが私の理想です』
その声が確かに聴こえた。
何度も戦いに身を投じ、嫌気が差してもおかしくないほど危険に晒された。そんな男に最後まで付いてきてくれた子がいるのだ。
これで最後だ、と約束して誓いのキスもした。
子どもだって出来た。
だから俺は何としてでも未来へ戻り、シアと自分の子どもに恩返ししないといけないのだ。
――帰ろう。絶対に。
そう決意した。
この先、何があっても、何としてでも帰る方法を見つけ出し、未来に帰るんだ。
だったら嘆いている場合ではない。
来る方法があるなら帰る方法だってあるはずだ。
すくりと立ち上がって、早速、方法を探しに向かう。
反り上がった氷の壁を払い除けて歩み出した。
「あの……」
「――――っ!」
突如、背後の存在に気づいて戦闘態勢に移る。
何処の誰が忍んでいるか分からない……。
今がどれくらい過去か分からないが、未来では当然とも言える倫理観や道徳観念も一切通用しない可能性だってある。
昔は戦争だって頻繁にやってたそうじゃないか。
そもそも声をかけた相手は人間か?
危険な種族かもしれない。
もしかしたら現代では絶滅した危険な種族かも……。
古代幻想種なんて云う脅威も、ここでは生きている可能性も……。
考え得る可能性を瞬時に頭の中で展開して戦いに備えた。しかし、その声の主は、あまりにもその不安を拭い去るには十分な容姿をしていた。
「怯えてる?」
俺の様子を見て彼女も心配そうに顔を覗き込む。
その顔は懐かしくも、かつて慕った女性と瓜二つで驚愕する。
「え……メドナさん……?」
メドナさんにそっくりだった。
白い髪に赤い瞳。着ているものは黒いドレスではなく、白い毛皮のコートだったが、この強烈な容姿を見間違えるはずがない。
「まさか、また俺は死んだのか」
そこで思い出すのはオルドリッジ事変。
メドナさんは死者の国で門番をする聖女だ。
そういえばこの雪景色は、あのときメドナさんと再会した時の光景とよく似ていた。
「どう見ても生きてると思うけど……。あと私はメドナなんて名前じゃないわ」
「そう、ですか……。じゃあ、名字はローレンさん?」
「それも違う! なによ、いきなり失礼ね」
「ご、ごめんなさい……」
人違いだった。
血縁かと思ったけど、そういうわけでもないらしい。
でも見た目は丸っきり一緒だ。
年齢もきっと当時のメドナさんと変わらない。
俺が今、十七歳だからこの子も同い年くらいだろうか。
とにかく、まず言葉が通じることに安心した。
「知り合いによく似た人がいて……失礼しました」
その子は俺が喋れば喋るほどに眉を顰めていく。
何だろう。何が気に食わないのかさっぱり分からない。文化が違って、俺の作法一つ一つが礼儀を欠いているように映るとか。
だとすれば憎まれる前に、
"――死ね。失せろ、凶賊"
憎まれる前に早々に立ち去った方が良さそうだ。
あまり人と関わらず、最低限の情報収集だけして時代の見聞を広めよう。
塵も積もれば山となる。
落ち着け……冷静に……。
慌てたところで、おそらくここは過去の世界だ。
シアは待っているどころか、まだ生まれてすらいない。
さらにこの半魔造体の肉体は老いることがない。実質、不老の体だから、やっとシアと再会できたって時に俺だけお爺さんになっている可能性もない。
大丈夫だ。焦らずゆっくり。
「どこか近くに街はありませんか?」
「はぁ……?」
また眉を顰める。
こっちは敬語で礼儀正しく質問しているつもりなのに、何かに違和感があるようだ。言葉ももしかしたらもっと古風な言葉遣いがいいのだろうか。
古風な言葉遣い……。
そういえば、身近な人ではトリスタンがちょっと古臭い言葉を使うかな。
そんなイメージで喋れば通じるだろうか。
「……かたじけない。どこか近隣に人里はござらぬか」
こんな感じだったかな。
いや、なんか違う気がする。
ござる調で話してなかったし。
でもまぁこれが昔の人の言葉としては適してるはずだ。
「ふざけてるの?」
「わー、ご免なさい! かたじけのうござる!!」
駄目だ、通じない。
どういう文化圏かさっぱり分からない。
怖ろしい。こういうちょっとした積み重ねが糾弾に繋がるのだ。
もうこの子との接触は避けた方が良さそうだ。
走り去ることにする。
「ちょっと待って」
「は、ハハァ」
「なんでいきなりカタコトになるのよ。さっきまで流暢に喋ってたのに」
「へ、ヘェ……拙者、風来坊にして俗世のこと学ばず……礼を欠いては……その、えーと……」
「普通に喋って!」
怒られた。
俺は平伏した顔を上げて、その高貴な少女を見上げて息を飲む。
やっぱりメドナさんに似ている。
似すぎている。
「俺の言葉が通じますか」
「もちろんよ。それどころか流暢すぎて驚いてるほど――あなた、魔族でしょう? 魔族が街に用があるっていうのも、それを人間族の私に尋ねるのも不自然だわ」
紅い瞳の少女が腰に手をついて俺を眺める。
仕草が少し高圧的だ。白い毛皮のコートも高級感漂うし、もしかしてこの少女は何処かの貴族令嬢か何かだろうか。
貴族令嬢の扱いには慣れている。
とにかく何処ぞの黒髪令嬢のように、これが王子様との運命の出会いだと勘違いさせないことが一番大切だ。
ともあれ、俺の質問に眉を顰めていた理由が判明した。
この子は俺を魔族だと勘違いしている。
そして魔族を忌避している。
俺が生きた時代より人種差別が顕著なんだろうか。
「何処の出身なの? 肌色から青魔族ではなさそうだけど」
「出身はバーウィッチです」
「聞いたこともない町ね……。それで、見たところ戦士のようだけど、ここに現われた理由は? そもそもさっきの気象干渉は何? 周囲一帯の木や雪の結晶化もその副反応?」
「……」
来た理由は答えようがない。
俺だって知りたいくらいだ。
未来から来ましたなんて言って信じてくれるとは思えない。そもそも此処が本当に過去なのかという確信もない状況だ。時系列の交わりのない異世界の可能性すらある。
ここら一体の異常現象も俺の仕業じゃない。
「答えなさい――場合によっては、巫女の力で制裁を下すわ」
「巫女?」
「驚いた……『巫女』と聞いて平然としてるなんて。度胸は時として早死にを招く」
「度胸なんてない。ただの臆病者です」
大衆に罵られるだけで身動きが取れなくなるような臆病者だ。
俺が質問に答えられずにいると、『巫女』と名乗る少女は手のひらを正面に向け、片手を添えた。魔術を放とうとしているようだ。
次第に赤い魔力が手先に寄り集まり、彼女の手に炎が灯った。
炎属性の『魔力弾』だ。
魔法学校に通う田舎の幼女でも作り出せるような魔法を、彼女は得意げに見せびらかしている。
「どう? それとも『魔法』なんて見るの初めてで、何が起こっているかも理解できないかしら」
「あぁ、いや……」
口ぶりから、『魔力弾』魔法が凄まじい技の一つなのだという価値観は伝わった。
こういう時は怯えるふりをするべきか。
郷に入っては郷に従え理論は、シアが推奨する人海戦術だ。
しかし、変に舐められて奴隷のように扱われるのも今後の行動が制限される危険性がある。メドナさん似の少女の奴隷になるのは、ご褒美であっても本意ではない。
かといって力で屈服させる事だけは絶対に駄目だ。
傲慢に力を振り翳せば、人々の恨みを、
"――死ね。失せろ、凶賊"
恨みを買うこともあるからな。
優先すべきはこの時代の人たちの自尊心だ。
人助けは必ずしも救いにはならない。
偽善に終わることの方がきっと多い。
ありがた迷惑だけは避けなければならな……――。
「アアアアア!」
刹那、紅い瞳の少女の後方から悲鳴が空気を切り裂いた。
それは老若男女問わず、色んな人たちの声が混じっている。耳を澄まして意識を集中すると、どうやらその先に集落のようなものがあるらしい事が判った。
大人の男の声が複数……あとは枯れた老人の声も複数。
子どもは少なそうだ。
そして濁った罵声が人間側の数以上に聞こえてくる。
言語は理解できない。別種族のものだ。
「そんな! もしかして青魔族が――」
紅い瞳の少女は魔法を解除して踵を返した。
俺のことなど気にも留めず、颯爽にその声の方向を目指して走っていこうとした。雪原に足を取られて、なかなか前に進めずにいる。
多分、少女が暮らす集落に何かしらの襲撃があった。
少女は『巫女』の力があって、集落を助ける術を持っている。
だから駆け出して助けに戻った、といったところか……。
以前の俺だったら、迷わず手助けに行っただろう。
しかし、それは彼女の矜持をずたずたに引き裂くことになる。
恨まれるキッカケにもなるだろう。
だから――。
「ちょっと、あなた! もし敵じゃないなら証明して!」
「証明?」
「戦士なら力を貸してって言ってるの!」
森の奥へとせっせと走る彼女が後ろ目に叫んだ。白い髪が乱れて靡く。
彼女は俺に力を貸してと直接言ってきた。
……なるほど、それなら単純明快だ。
"頼まれたから助けた"という理由が出来る。彼女の誇りを傷つけることはない。そんな操り人形のような生き方も悪くないかもしれない。
「わかりました!」
一度の跳躍で彼女の近くに降り立つ。
積もった雪が反動で跳ね、白い粉塵が凍てつく空へと舞い上がった。
「え……?」
「任せてください、巫女様。戦いには慣れてます」
驚いて見開かれた紅い瞳。そして白い髪。
仕草は違えど、やっぱりメドナさんに酷似していて、なんとなく俺はこの少女についていく事が未来に戻る近道になる気がした。
メドナさんにはいつも助けてもらったし。
「エトナ……!」
「なんですか?」
「エトナ・メルヒェン! それが私の名前!」
巫女様と呼ばれる事に抵抗があったのか、突如として彼女は自己紹介した。
ほら、名前も少し似てる。
※次回更新は2016/9/17(土)に一話だけ更新します。
三連休ですが、日曜月曜は私用のため更新できかねます。申し訳ありません。
いつも貴重な感想ありがとうございます。
この場を借りて御礼申し上げます。




