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魔力の系譜 ~名も無き英雄~  作者: 胡麻かるび
第4幕 第6場 ―名高き英雄―
233/322

Epilogue3 幸福な世界

※2016/9/5 09:17 終盤の本文途切れ確認※

※2016/9/5 18:40 全文再投稿※


時間少し巻き戻ります。

前話は事件から三ヶ月後の話。

今回は事件から一ヶ月後の時間軸でスタートします。


 旧王宮騎士団大逆事件の一ヶ月後。

 イルケミーネは魔法大学に戻っていた。

 王都は大混乱で人が住める環境ではなく、イルケミーネのように学園都市ロクリスへ一時避難する市民も多かった。しかし、彼女の場合は避難というよりも元来の拠点に戻る帰省だった。

 弟のユースティンとともに戻り、颯爽会いに行ったのは理事長のところだ。


「本当に申し訳ありません」


 信頼されていたとはいえ、相手は古来より生きる五大賢者の一人だ。

 黒魔力汚染の影響によるものだが、失礼を極めたイルケミーネがどのような責め苦を浴びるか分かったものではない。

 覚悟の上で謁見に伺った。

 だが、理事長室の奥に鎮座したティマイオスはいつもの調子でイルケミーネを迎え入れた。くるりと大きな椅子をターンさせて机越しに対面する。

 小さな体で足を組んで肘掛けに肘をついていた。


「やっと戻ったのねっ! さぁ、研究の続きをしてちょうだい」

「え……あの……私への処罰は?」

「イルケミーネへ処罰? 一体どんな罪状で!? ティミーちゃん、久しぶりの精霊力放出で前より幼児化待ったなしで疲れちゃってるんですけどー! イルケミーネが自虐に目覚めてお仕置きを望んでるなら話は別だけど?」


 イルケミーネは唖然とした。

 よく見るとティマイオス理事長は前よりも見た目が幼くなっていた。五大賢者の特性だ。彼女たちはエネルギーの源である精霊力が枯渇すると若齢化するという欠点がある。

 賢者ティマイオスは王都市街での戦いとは別に、王城を防衛する旧王宮騎士団の茶帯や白帯を単身で拘束して無力化したそうだ。

 雷魔法の性質からか、殲滅戦や敵陣一掃に手慣れているようだ。

 見た目は幼くても知能は衰えてはいなさそうである。

 今の歓迎の言葉は、きっとティマイオスなりの慈悲だ。


「……ありがとうございます」

「えっへん、精進するのよ!」


 ティマイオスは魔法大学の暴君理事長と呼ばれているが、その実、五大賢者の中で最も人情味溢れる人格者だ。

 エルフ代表のシルフィード。

 ドワーフ代表のグノーメ。

 古代竜族代表のサラマンド。

 魔法生物代表のアンダイン。

 彼女たち四人は別種族だが、ティマイオスは唯一、人間族代表で賢者に至った魔術師だった。人情を一番理解しているのは当然のことだが、彼女にとって人間族は皆、子孫のようなもの。我が子のように可愛いのは言うまでもない。(但し、可愛い人間族に限る)



     …



 イルケミーネは何とは無しに研究室に入った。違和感を感じることもなく、『マナグラム改良研究所』と手書きの貼り紙がされた扉を潜る。


「……!」


 だが、一瞬だけ――。

 本当に一瞬だけ、そこに若い青年が必死に実験台の上で作業している光景が視界によぎった。青年は魔力培地(マナジウム)入りの硝子皿と格闘し、実験を繰り返しては破壊してしまうという不器用さで、疲れ果てていた。

 額に汗を浮かべて集中し、失敗しては机に突っ伏す。

 そんな愚直な助手がいた気がした……。


 きっとそんな子がいたのだとしたら、彼も同じ志だったに違いない。

 マナグラムや鑑定魔法の不完全さによって幼少期に不遇な目にあった。だから同じ経験をする子が少しでも減らせるようにと――子どもたちの未来を救えるようにと『世界の基準(マナグラム)』を変える研究に専念した。


「そんな子、いるはずないのに……」


 何故だろう。

 イルケミーネはその子に申し訳がなくなって、目尻に涙が溜まった。自分自身の鑑定魔法の不完全さで不幸を招いた子どもは沢山いる。そのうちの一人が、めげずに魔術を勉強し、こうして魔法大学に入学してその研究に着手する――そんなもしもの世界があってもおかしくはなかった。


 (かぶり)を振って、研究を再開することにした。

 休んでいる暇はない。

 しかし、どこまで研究が進んでいたのか、朧ろげな記憶しかない。黒魔力に汚染されて短期的な記憶障害でも併発した可能性もある。そう思ってイルケミーネはいつも自分がつけている研究日誌を読み返すことにした。

 机の引き出しを開け、無地の紙束(ノート)を取り出す。



 『今日は手始めに研究室の掃除と魔力培地の作製。ユウに手伝ってもらったけど、掃除に使う初歩的な魔法で驚いて、なんだか子どもっぽかった。基本を学ばずに育った弟だ。これは姉として教鞭を取る必要がありそうね』



 そうだった。

 埃塗れの研究室の掃除をユースティンと二人でやった。



 『作製した魔力培地の正確さの検証。"迷宮都市"の話が出たときにユウはお父様のことを気にしてくれたみたいでちょっと萎縮してた。子どもっぽいと思ってたけど、ユウも少しは成長したのかな』



 『私の血を培養して古典的な魔力測定。久しぶりに、お姉ちゃんの凄いところ見せてあげようって意地悪しちゃったかな。小結晶の数をかぞえるユウの一生懸命な姿は健気で可愛らしかった』



 まるで弟との生活日記みたいで笑えてくる。

 ぱらぱらと捲っていき、最初の数ページのような調子で研究の進捗が綴られていた。ほとんどが弟に対する愚痴日記と化しており、数か月前の自分が微笑ましい。


「……?」


 しかし、最後のページに見た事もない筆跡でこう書かれていた。

 弟の筆跡でもない。



『先生との研究は楽しいです!』



 ――誰だろうか。

 イルケミーネは本業が宮廷教師だから日頃研究などしておらず、この筆跡の主が指す"研究"はマナグラム改良研究のことであることは間違いない。

 しかし、これはイルケミーネ一人で取り組んできた。

 共同研究者はガウェイン・アルバーティ教授だが、彼は魔法大学に戻れないからこの場に来られるはずがない。

 一体誰なのだろう。

 思い出そうとしても靄がかかって思い出せない。ファンレターにしては些か主張が控えめだ。でもイルケミーネはこの一文を読み、先ほどの架空の人物に対する申し訳なさが拭えたような気がした。

 ふとイルケミーネは実験室の奥の棚に視線が留まる。

 そこには赤黒く、鈍い光りを放つ正体不明の魔力が培地状に保管されていた。


「これは何かしら?」


 棚に並べられているのは硝子皿、フラスコの数々だ。

 すべて赤黒い色の魔力が納められていて、一つは粉末状のもの、一つは魔法植物の樹液と混ぜた液状のものと固形のもの。

 計三種類の赤黒い魔力が存在した。

 魔力培地の作製工程を踏襲したのだとしたら、粉末は魔石原末そのもの。それから作り出した魔力培養用の培地二種類といったところか。


「もしかして――」


 イルケミーネは閃いたようにその赤黒い魔力を取り出し、実験を再開した。これまで進捗していた『無詠唱術者(アリアフリー)』の"光る魔力"も、赤黒い魔力培地で再培養したところ、魔力に光りが帯びることなく、正常な計測が可能となった。

 『赤黒い魔力』は基本五属性の魔力を無効化してしまう性質がある一方で、新規の光る魔力粒子は『赤黒い魔力』に浸しても消滅することがない。

 この魔力は新発見だ。

 だが、随分昔にその秘密に気づいていた存在もいたのである。



 "君の魔力無効の力は古典的なものでしかない。戦闘パターンを分析していて分かったことだが、新規の魔法を無力化できるわけじゃない"


 "新規の魔法……?"



 奇しくも、それはこの発見を公表したイルケミーネ・シュヴァルツシルトの父親だった。冴え渡る直感と閃きは天才魔術師の娘が引き継いだ。


 『赤黒い魔力』は『無詠唱術者(アリアフリー)』の光る魔力を可視化する。

 一方で基本五属性の魔力粒子を消滅させてしまう。

 そこで、魔力測定器(マナグラム)の基板を、虹色魔石から生成した魔力結晶に加え、赤黒い魔力を基板にした二層構造にすることで、基本魔力の測定のみならず、『無詠唱術者』の特殊魔力も測定することが可能となった。


 ――それから魔力測定器(マナグラム)の研究は飛躍的に進んでいく。 

 測定値に正確さが増し、従来の計測漏れの子どもを生み出すことはなくなった。旧王宮騎士団の黒帯騎士が保有していた特異能力も計測できるようになった。

 『赤黒い魔力』は自家培養によって増殖可能で、工業的に生成可能となったため、新型マナグラムの普及も問題なく行えそうである。

 しかし、『赤黒い魔力』の最初の提供者が誰だったか、その魔力結晶の原末を生み落した存在が誰だったのか……発見者のイルケミーネもついぞ思い出すことはできなかったのである。


 魔術界の『名も無き英雄』も忽然と姿を消した。



     ○



「姉さま!」


 イルケミーネは研究室に飛びこんできた弟を制した。

 最近は弟がよく訪れる。

 前は実験一辺倒で青春を謳歌していたというのに、彼も甘え癖が戻ったのだろうか。


「なによ、ユウ。器材を壊さないでよ」


 研究室は実験器材で溢れている。

 せっかくの工程が一度頓挫すると、数日間から数か月遅れることもある。日進月歩の魔術界と云えど、実験には時間がかかるものなのだ。


「壮行会のパレードが始まったんだ!」

「パレード?」


 ユースティンは硝子器材に溢れた部屋を走り抜け、そのまま乱暴にイルケミーネの腕を掴んで窓へと走り抜けた。


「Eröffnu(開く)ng!」

「え、えっ、えっ……! ちょっと―――きゃああああ!」

「Fliege(浮かべ)n!!」


 壁に体当たりする勢いで走り抜けたユースティンだが、直前で転移魔法を開いて窓の先に道を開通させ、そこに飛びこんだ。宙に投げ出された体は、すぐに続けざまに放たれた反重力魔法により、急上昇する。

 姉弟揃って空高くへと舞い上がる。

 無重力からの反発重力――これらは風魔法の応用のような押し上げの力ではなく、そもそも重力の存在を無視する浮遊魔術である。

 信じられないほどに急速に速度を上げることが出来るのだ。


「イヤァアアア!」


 イルケミーネは白衣のまま空を翔け、雲の上まで突き抜けた。

 ユースティンは姉を抱きかかえ、浮遊魔術を解呪する。そして自由落下のまま空から二人で落下していった。突然の浮遊感にイルケミーネも怯えて体が震える。


「ハーッハッハッ! いくぞ、姉さま!」

「もうやめてぇーー!」


 ユースティンは人類で初めて重力を克服した。

 魔力培地で観測したところ、彼には新たな魔力粒子が発現していたのである。

 それこそ反重力に関与する魔力因子だ。

 彼にとって陸も空も無関係の位相空間となった。

 後に、三次元転移魔術や浮遊魔術などの魔術基盤を編み出し、数多くの魔術功績を修めたユースティン・シュヴァルツシルトは『位相次元の大魔術師』として名を馳せることになる。


 陸が見えてきたところで今一度、「Fliege(浮かべ)n」と言い放ち、怖ろしい速度で魔法大学への校庭へと二人は降り立った。派手な砂塵が舞い上がり、ぴたりと大地に君臨した正義の大魔術師――と、その姉のイルケミーネに周囲の人間も驚いていた。


「……ぜぇ……はぁ……ユ、ユウ……今の上昇に何の意味があったの……」

「意味? 意味なんてあるはずないだろう! 僕は格好よく校庭に降りたかった、それだけだ!」

「……」


 眩暈がする頭を振り払い、イルケミーネもこの少年の面倒を見るにはもう少し若さが必要だと、ほとほと姉弟間の年齢差を呪った。

 地面にへたれ込んで、少し呼吸を整える。

 イルケミーネは校庭を見回して、人の群れで作られたアーチ状の通路に気づいた。


「なに? 壮行会って……こんな派手に見送る人なんていたかしら」

「イザヤ・オルドリッジ先輩だ」

「イザヤくん――って、あぁ」


 イルケミーネも何度か会話をしたことがある。

 最近は研究室に引き籠りがちでろくに学生と話はしていなかったが、そもそも彼自身がだいぶ大人しくなったと噂で聞いている。

 以前から、女学生との噂が後を絶たないイザヤだったが、それでも容姿端麗で頭脳明晰な彼に憧れ、人気を博していた。王都の事件を皮切りに変な噂は聞かなくなり、さらには校内の掃除や人助け、ボランティア活動も進んで実践するようになった。

 何が彼を変えたのかは謎のままだ。

 しかし、イザヤ・オルドリッジは才能や容姿だけでなく、その性格までもが聖人君子のようになった。今では学生たちの理想、模範生として尊敬されている。


「ユウもイザヤくんのこと尊敬してるの?」

「そんなわけあるものか。僕が尊敬するのは唯一、正義の大魔術師アンファン・シュヴァルツシルトだけだ」

「じゃあ、なんで見送りに来たのよ……」


 先ほどの絶叫体験を思い出して溜め息を吐く。


「こういう機会に姉さまと一緒に居たいから」

「え……」

「そうでもしないと、姉さまはすぐ悪い方向に進むだろう?」


 振り返った少年の顔は真剣そのもので、イルケミーネは頬を染めた自分自身が恥ずかしくなった。


「まぁ、一番大事な局面で失敗するのはシュヴァルツシルトのお家芸だからねぇ」

「――それもきっと二人なら大丈夫だ。僕が駄目になったときは姉さまが、姉さまが駄目になったときは僕が注意し合えばいい。それでシュヴァルツシルトは完璧だ」

「……」


 少年も気づけば大人になっていた。

 甘え癖なんて幼稚なものではない。弟に追い抜かれたことに気づいたイルケミーネは、ただその逞しい横顔を眺め、今は亡き偉大な"正義の大魔術師"に思いを馳せた。



     ○



「本当に退学しちゃうんですか、イザヤ先輩!」

「イザヤ様がいなくなったら私……ぐすっ」

「イザヤ先輩の第二ワンド、私にくださいっ」


 詰め寄せる学生たちを軽く往なし、イザヤは魔法大学を歩き去ろうとした。

 ちなみに卒業生から第二ワンドを貰うという風習は魔法大学の伝統のようなものだった。メインウェポンではなく、サブウェポンに相当する杖を授かって思い出に残す。

 ――しかし、イザヤの場合は卒業を目前に控えて学位を辞退し、退学した。


「もう行かないと。俺はまだ『大魔道士』には程遠い」

「ま、待ってくださ――」


 イザヤは降り切るように立ち去った。

 魔法大学は……世間が狭かった。

 これまでのイザヤはただの御山の大将でしかなく、自身の矮小さを思い知ったのだ。

 そう気づいたのは王都での戦いがきっかけだった。

 今思えば、なぜ熾烈を極める激戦区に自ら赴き、その本陣と戦って時間稼ぎをしていたのか、動機をまったく思い出せない。

 しかし、死を覚悟していたイザヤは生き残った。

 そして自身の小ささに気づいた。

 その経験から彼自身の存在意義を問うようになったのだ。

 自分には何が出来るだろうか。

 誰のために生きられるだろうか。

 この世界における自分の役目は――そんな哲学に耽り、敬虔な宗教家も真っ青なほどに運命論を考え始めた。手元には、大図書館で譲り受けた『四元素説のリゾーマタと集合離散法則』『魔力因子の生態配分とアガスティア運命論』といった因果律についての書籍を携えている。

 旅の道中で読破するつもりだ。



 まず目指すは故郷だ。

 バーウィッチのオルドリッジ邸に帰省し、母や兄に会おうとイザヤは思った。それが何故か、誰かに対する贖罪になるような気がした。



 "これからお互いしばらく大学にいるんだし、家族として――"


 "そもそもお前なんか××じゃない! 化け物め!"



 そう、家族として……。

 思い返すのはいつも怯えた目でイザヤを見る誰かだった。

 きっとイザヤに歩み寄ろうとしていた存在がいた。自分はそれを振り払って無下にしたのだ。それでもその存在はイザヤのために自ら汚名を言い広めて――。


 思い描く心象は、降り頻る大雪の日々。

 積もった雪の中で失くした(ワンド)を素手で見つけ出し、手を真っ赤にして差し出してきた者がいた。幼い日々の記憶で朧げだが、それでもその小さな子どもは当時のイザヤに比べたら立派な英雄だったのだ。


「この(ワンド)は誰にも渡せないよな……」


 赤い大魔石が先端についた杖をイザヤは取り出し、再び歩みを進めた。

 その小さな英雄が探し出してくれた杖だ。

 これがあればイザヤは道を踏み外すことなく、正しく人生を歩んでいけるような気がした。

 だから、易々と他人に渡せるものではない。



     …



 約二ヶ月かけて、イザヤは故郷に辿り着く。

 数年間離れていたので街の様相も変わり、すっかり見違えた。

 貿易が盛んな東方の主要都市だ。

 人の往来が激しく、王都の焼け野原と比べるとこちらのが都会のように思えた。

 川を渡り、街の中でも古くから地主が居座る区域へと入る。この川も幼少期は駆け回って、よく使用人に怒られた。あのときも兄と三人で――いや、兄と二人で遊んだ思い出の橋だ。


 屋敷の庭園が見える。

 以前よりも庭園が質素に見えた。外壁も変わり、門を潜ると、なぜか庭園の一部が稽古場のようになっていたり、屋敷の外装自体が変わっていたりした。



 ――――……。


 音もなく気配もなく、気づけば誰かが刀剣を自分の喉元へと押し当てている。

 その刀剣の持ち主は紺色の胴衣に身を包んだ長髪の男だった。瞳は真っ白に濁り、既に光を失っている。そんな男がこれほど器用に人を脅せることにイザヤは再び世界の広さを思い知る。


「御身は……ご当主殿の弟君か」

「そうだ」

「失礼した。御身の立場上、侶伴を引き連れて馬車で、と思っていたのだが――まさか単身で門をくぐるとは」

「構わないよ。貴族ってのはそういうもんだ。俺がその型に嵌らなかっただけで、この判断は正しい。不審者が来たらまた頼む」

「……」


 警衛役の男はしっかりと役目を務めていた。

 イザヤは感心して賛辞を述べたが、驚いたのは警衛役のトリスタンの方だった。

 こうしてオルドリッジ邸に身を潜めてから、貴族界の社交を長い間眺めてきた。貴族というものは一概に横柄な者が多く、何かあれば保身に他責で、他者を糾弾するばかりだ。しかし、オルドリッジ家の次男であるこの男は、そんな傲慢さも見せることなく、警衛の失態を受け入れた。


「……」


 心眼で写し取るその姿に不思議な懐かしささえも感じた。

 刀剣を腰に納め、トリスタンは再び外壁に跳び上がってバーウィッチの街並みの観測に戻った。



 イザヤは実家の戸を叩くと、使用人が出迎えた。

 慌てて引っ込んで、どたばたと階段を駆け上がったかと思えば、また引き返してイザヤを先に客間に通さなければと思い至ったのか、また戻ってきた。

 使用人の教育は大丈夫だろうかとイザヤは呆れた。

 しかし、この不完全さがまたオルドリッジらしいと口元を緩めた。


 客間に訪れ、その後に顔を出したのは兄と母親の二人だった。

 母親は声を発せなくなっていたが、しかし、イザヤの存在を認識して涙を流した。口を開いて何か喋ろうとしたミーシャだが、声は届かない。

 ただ、唇が「おかえりなさい」と告げていた。

 ……きっと大変な思いをしたのだろう。

 そこに立ち会えなかったイザヤは自分自身の傲慢さを呪った。

 せめてこの瞬間は、家族が再会できた喜びを分かち合えるようにと母親(ミーシャ)の体を抱きしめた。

 そこにアイザイアも寄り添う。



 オルドリッジ家は家族の形としては歪なものだった。激しい戦いの末に消滅した父親がいた。そしてもう一人の家族の存在も――。

 残念ながら、この三人はそのかけがえのない一人を覚えていない。

 噛みしめる幸せは誰がもたらしたものなのか。

 この一家を守り抜いた男が誰だったのか。

 その記憶は忘却の彼方に消え果てた。


 ――だが、これは『名も無き英雄』自身が望んだことだ。

 彼が、その三人の寄り添う光景を見れたとすれば、きっと満足してそっと立ち去ることだろう。その男は他者の幸福だけを願って生き抜いたのだから。

 邪魔者は消え去るだけだ。



     ○



「おーい!」

「うおーい!」


 野蛮そうな赤毛の男が貴族の屋敷が立ち並ぶ通りを無粋に歩いてくる。

 それに続いて幼い少女の声が木霊した。

 何故かその少女は全身鎧(フルメイル)姿で、がしゃがしゃと荒々しく音を立ててオルドリッジ邸に訪れた。

 目当てはオルドリッジ家ではなく、そこに警衛として身を置くかつての仲間だ。


「トリスターン!」

「スターン!」


 トリスタンはやれやれと溜息をついて、門外へと跳び下りた。

 仕事中だと邪見に扱って手で振り払う。

 アルフレッドはそんなこともお構いなしに話を続けた。


「いいじゃねぇか。たまには顔合わせたってよ!」

「フレッド……ここに来るのは本当に大事な案件があるときだけにしてくれ」

「堅いねぇ。ま、俺はお前のそういう所が好きだぜ」


 娘の前でニコニコデレデレとしているだけの父親だ。数年前はこんな男に身を委ねて冒険者稼業に勤しんでいたと思うと、頭が重くなる。

 トリスタンは心眼で写し取ったリナリーの姿格好を指摘した。


「それに――なんだ、リナリーの……鎧か? せっかくの可憐さが台無しじゃないか」

「おお。これはな、巷で流行りの全身装甲(パンツァー)スタイル! 王都の子どもたちは皆この格好してるらしいぜ」

「パンツァーお兄ちゃんだらけだよっ」


 眉を顰めて視線を逸らす。

 呆れて声も出なかった。

 どうやらリナリーは好んで重鎧に身を包み、そしてフルフェイスの兜までしているようだ。今のご時世、そんな装備では魔術戦で遅れを取る。剣の道を極めた者同士との戦いならある程度の防護にはなるだろうが、機動性で劣れば格好の標的にもなろう。

 それが王都の流行とは些か信じがたい。

 そも、王都は王宮騎士の叛逆事件以降、荒れ果ててそれどころではないはずだ。


「信じてねぇな。だがこの記事を読めば、堅物のお前も信じざるを得ないぜ!」


 そう言って赤毛の男は腕を突き出した。

 どうやら新聞記事を見せているようだが、既に失明しているトリスタンは文字を読むことは出来ない。


「すまないが読み上げてみてくれ。この通り、文字など読めぬ身でな」

「えぇ、なんだよお前、心眼に見通せないものはないとか気取ってたくせに……」

「つらつら書かれた文字など見通せるかっ!」


 お互い大人になっても馬鹿を言い合える仲間がいることは良い事だ。

 文句を言い放ったトリスタンだが、心の内ではそんなことを考えていた。そう感じさせてくれた一番初めの親友がいたからだろう。

 ふと古い記憶が蘇ったのは運命の悪戯か……。

 アルフレッドが読み上げた記事がその存在を確かに浮かび上がらせた。


「えーっと……『旧王宮騎士団大逆事件の禍根は着々と解消されつつある。先日、記念すべき叙勲式ならびに騎士叙任式が執り行われた……段上で輝かしく、その勲章を授受された騎士ランスロット・ルイス=エヴァンスは此度の戦いでの最大級の戦果を上げ、次期女王と報じられたエスス・タルトゥナ・ド・エリンドロワ王女殿下の専属騎士に任命された』……続けるぞ?」


 トリスタンの動揺を感じ取ったか、アルフレッドは一度確認を挟む。


「……『旧王宮騎士団初代団長として名高い大英雄ランスロット・ルイス=エヴァンスと同系同名の彼がこの国の救世主として現われたことは、国民すべてが感動し、』…………声に出すと長ぇーな、これ。とにかく結論だけ読む! 『今では彼が武勲を発揮する以前の装備――全身装甲(フルメイル)装備が王都からセントラル、また王国全域で流行の装備となり、』……ほら、これだ!」


 赤毛の男の主張も、ほぼ耳に届かない。

 トリスタンは心が洗われるような気分になった。

 ふと心眼を鎖し、闇の中で瞑想に耽る。


 『ランスロット・ルイス=エヴァンス』。

 それはかつて自らが養子に迎え入れられた或る北方貴族の嫡子だった。臆病な子で、剣術などまともに扱えなかった少年である。

 最初の出会いは暗殺対象として。

 その彼が――。



 "だめだ。子を殺るなんて、やっぱり間違ってる"


 "ただ殺すのとは違う。死を捧げるんだ、美しくな"


 "この子はまだ……! まだ何もしていない。死んだら何もできずに終わっちまうじゃないか!"



 そうか……。

 彼はマルクが最初に守った存在だった。

 その少年が、今こうして救国の英雄として国中から讃えられている。

 トリスタンは思った。

 ああ、マルク……やはりお前は正しかった。

 お前の示した道を歩んだこと、俺は絶対に後悔はしない。


「――おい、トリスタン! 聞いてんのか」

「ああ、聞いているとも。お前も本当は、この記事を知らせに来たのだろう?」

「ハッ、当たり前じゃねーか。トリスタン・ルイス=エヴァンスの名を忘れたとは言わせねーぜ」


 そして導いたのはこの男、アルフレッドだ。

 世界は繋がっていた。

 トリスタンの歩んだ道、進むべき道が悲しみに満ちていたとしても――。



 その過程に、一つの間違いもなかったのだ。



「フレッド、また一緒にダンジョンでも行くか」

「なんだ急に。仕事があるんじゃねーのかよ」

「たまにはいいじゃないか、そういう人生も」


 男二人と少女は笑い合った。

 世界は幸せに満ち溢れている。

 例え、誰かの犠牲の上に成り立っていたのだとしても、きっとその先には……。





(第5幕に続く)


※2016/9/5 09:17 終盤の本文途切れ確認※

※2016/9/5 18:40 全文再投稿※



※イルケミーネ先生の研究日誌:「Episode173 失ったものと授かりもの」で登場しています。

※赤黒い魔力の無効化:アンファンの回想入ってますが、「Episode70 窮地の激情」での場面です。


次回更新は、2016/9/10~11の土日になります。

貴重なご感想ありがとうございます。

この場を借りて御礼申し上げます。

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◆ ―――――――――――――― ◆
【魔力の系譜~第1幕登場人物~】
【魔力の系譜~第2幕登場人物~】
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【魔力の系譜~魔道具一覧~】
◆ ―――――――――――――― ◆
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