Episode187 為すべき救国
その光景を見て、誰もが目を疑った。
輪っかが三つ折り重なった銀の球体内部が禍々しい色相の魔力で満たされた。
それを操作する汚れた白い法衣の女。
手を翳し、腕を振るい、それに合わせるように銀輪の装置もまるで鋼の心臓のように拍動していく。内部の赤黒い魔力が血潮を彷彿とさせる。
「アアアアア!! アアアァァ……!」
廃墟の聖堂内に響く断末魔の悲鳴。
その声の主は一連の騒動の首謀者だった。"ラインガルド"と呼ばれていたと、忠を尽くした唯一の黒帯モイラ・クォーツが魔法大学での作戦会議のときに教えてくれた。
その黒幕の存在は覚えている。
黒幕は四つん這いになって磔にされ、抵抗のために黒い体表をうねらせて暴れていた。憎悪の言葉を吐き散らしながら足掻く様子は、まるで死を悟った蟲のようだ。
あれは討ち取るべき存在。
それが蒸気のように消え去るや否や、大気中を覆っていた濃霧もすっかり消え去り、破壊されつくした聖堂の周囲にこべりついた黒魔力も消え去った。
終わった……。
悪の親玉は消滅し、すべてが終わったのだ。
その勝利へ導いた存在は?
誰が黒魔力を消滅させた?
汚れた法衣を着るメルペック教の大司祭か?
違う。今、そこにいる"誰か"が勝ち取ったのだ。
誰かが……。
――確かにその時まで覚えていたはずなのに。
「う……ぁあああああ!」
その直後、銀輪の装置へと吸い込まれていく二つの影。
なぜか、片方の男は黒帯が着る胴衣を着ていた。王宮騎士団に所属している僕ですら、あんな黒帯の男は見たことがない。確かに見た覚えがなかった……。
その男こそ、この重要な局面で身を挺して悪を滅ぼした英雄的人物であるはずだ。
そんな戦いの鍵となった男を僕は知らない。
男は、大司祭に瓜二つの女と一緒に銀輪の装置へと吸い込まれた。
内部の赤黒い魔力に放り込まれると、一気にそれらが凝集して小さくなり、跡形もなく彼らは消えた。転移魔法でも発動したかのように。
魔力がなくなった銀輪の装置は力を無くしたように崩れ落ちた。
ぎんぎんと甲高い音を立てながら、三つの輪が床に散らばる。そこにあるのはただの歯車の残骸だ。
「そんな……」
法衣の女はその場で崩れ落ちた。
ぺたりと座り込んで、無惨に散らばる三つの輪を眺めている。
「少し考えれば分かったものを……私が意図せず『深礎』の手伝いをしてしまうなんて」
大司祭は後悔していた。
あまりにも尊い存在を失ってしまったと嘆いていた。
それは僕とて同じ心境だ。
名前も思い出せないような男なのに、その彼が消えてしまった事が何より悲しい。大事な存在だった。尊敬もしていた。憧れだった。残された僕らはその犠牲をどう受け止めればいいのか……。
教会の司教座へとゆっくり進む。
そこには僕が希望を届けたいと切に願った王女様が蹲っていた。希望とは、背中に背負った『白の魔導書』のことだ。これさえあれば、死んでしまった王家の人たちを蘇生させられるかもしれない。
犠牲は尊い……。
でも、今そこにある希望を届けたい。
それが僕の役目であり、この戦いにおける任務なのだ。
しかし――。
「……?」
がたがたと音を立てる聖堂の椅子。
乱雑に放置された長椅子が突如として動き出し、音を立てた。それが豪快に跳びあがると、まるで意思を持ったように司教座近くに蹲るエスス王女を襲う。
彼女を掬い上げるようにぐるりと回転し、長椅子の上に乗り上げさせた。
「きゃああ!」
「エスス様!?」
それが勢いを失うことなく、僕の上空を飛び越えて教会入り口へ移動する。突然のことに戸惑いを隠せない。僕だけじゃなく、ラトヴィーユ陛下も、白い法衣の女も。
大聖堂の破壊された扉近くにいたのは――。
「大人しくしろ!」
「やめてっ」
そこにいたのは残党だった。
お得意の念動力で長椅子を操り、目の前で王女を攫って縛り上げた。
親玉を失っても尚――否、失った今だからこそ、それを好機にと動き出した"真の敵"。僕にとってはその男こそ、最後にして最大の宿敵でもある。
ペレディル・パインロック……。
同じく騎士家系の生まれであり、公式試合の騎馬戦で一戦だけ交えたことのある存在だ。
くせのある栗色の髪を長く伸ばし、両頬に這うように横分けにした髭の男。そんな気品さえも感じさせる風貌の男が、今そこで狂気を振り撒いて高らかに嗤っている。
「はーっはっはっはっ!! はーっはっはっひ、ひぃ……はは」
「ペレディル……」
「馬鹿な主が消えてくれて助かった! ひひっ」
ペレディルは眼が血走り、醜く涎を垂らしながら縄で縛った王女を引き摺って外へ向けて、せかせかと歩き出す。およそその不可解な行動には冷静さを欠いていた。
この場で王女を連れ去った所で何になる。
いや、きっと何にもならないからこそ、その破滅に抗うために暴挙に出たとしか考えられない。
「嫌だっ、助けて!」
「エスス!」
ラトヴィーユ陛下も傷口を治療したばかり。
動こうにも、起き上がることさえ出来ていない。
こちらの戦力には聖堂騎士団のパウラ・マウラもいるが、意識を失ったままで壁に背をつけて眠りこけていた。
――僕は自然と駆け出した。
この場で王女様を、エススという一人の少女を助けられるのは僕しかいない。いや、僕が助けるのだ。
その場に居合わせたからじゃない。
助ける余力が残ってるからじゃない。
すべてを捧げ、あの子を護ることが僕自身の願いそのものだ。
「君は……ランスロット・ルイス=エヴァンス!」
陛下の呼びかけも今は無視だ。
優先すべきは王女の救出。
大聖堂の外へ出たペレディルはここまで乗りつけてきた馬の荷としてエスス王女を積み上げ、走り出したところだった。
ヒヒィンという嘶きと王女の悲鳴が混ざり合う。
大聖堂から脱するには教会大橋を通過しなければならない。
橋を駆け抜け、幾多の屍を蹴散らしてペレディルは馬で駆け抜けた。その進行を妨害する存在が、僕以外にも一人いた。
「うぬっ!?」
舞い降りたのは妖精の狩猟者。
リム・ブロワールは黒魔力が消滅した後も、狂気を振り撒いていた。彼女の殺戮は黒魔力とは無関係に実行されている。この大橋を通過する者を問答無用で叩き斬る狩人と化していた。
馬で駆け抜けようとしたペレディルの首を刈ろうと、大斧鉞を片手に跳躍し、その場に立ち塞がったようだ。
「ハハハッ、ヒハハハハハッ」
しかし、狂っていたのは対峙する貴族も同じ。
ペレディルは聖剣を頭上で振り回して地震を引き起こすと、それにより崩れ落ちた大きな瓦礫の幾つかを橋の側面から『念動力』で浮かび上がらせ、足場を作った。
橋から陸地を繋ぐ、臨時の足場が完成する。
そこに無理やり馬ごと飛び込み、橋を経由せずに王都西区の土地を踏んだ。
「……」
リム・ブロワールはそれを虚ろな目で見送った。
彼女の目的は橋を通過する存在を狩ることだ……。先ほどの僕がそうであったように、一度橋を通過してしまった者には関心を逸してしまう。
ペレディルが通り過ぎた後、臨時で作った足場は崩れ、崖下の深い川へと落ちていった。
――奴が逃げ遂せた。
僕は橋を作る能力なんて持ち合せていない。
愛馬のトニーも橋を渡った先にいるし、僕は、僕自身の力でこの橋を通り抜けなければならない。それは大聖堂に向かう時と同じだった。
決意しろ。
ランスロット・ルイス=エヴァンスは、最後まで少女を守り抜くという事を。
相対するは黒帯No.5――実力はトップクラスの大斧鉞の狩猟者リム・ブロワールだ。No.2のボリス・クライスウィフトを押し返す狂気の殺戮者がそこにいる。
件の痩身の騎士は橋の袂で項垂れていた。
死んではいなさそうだが、先ほどのリムとの戦闘でだいぶ深い傷を負っていた。それで殺されずに済んだのは、単に黒幕の駆逐のタイミングと彼が押し返されたタイミングが被さったおかげだろう。
運が良い……。
僕自身はこんなに不運なタイミングで黒帯を退けなければならないというのに。
でもそんな状況を……雲泥の実力差のある相手を前にした状況でも、恐怖心なんて微塵も湧かなかった。それどころか今まで以上に闘志が湧く。
だって、これを早く倒さなければペレディルに逃げられてしまうから。
騎士の願いを果たせないから。
先手に出たのはリムの方だった。
軽々と持ち上げた鉞を振り被ったまま、重心を前に僕のもとへと差し迫る。大橋を俊足で駆け、殺戮の限りを尽くさんと襲いかかった。
引き抜くは予備に備えていた二本目のロングソード。
一本目は大聖堂へ入るための戦いで折れてしまった。磨きが足りず、切れ味も不安な剣だが……まぁ十分だ。彼女の一閃を受け止めるのに切れ味など関係ない。
必要なのは受け止める技術のみ。
交叉する剣戟を、少しだけ牽いて相手の破壊力を弱める。
「……!」
出来た。
無様に剣を折ることもなく、僕はリムの大斧鉞を受け止めることが出来た。困惑はリムの吐息から。取るに足らない案山子と見極めていた相手に一閃を防がれたのだ。
その困惑の隙を突く。
「ハァァ!」
その得物を押し返すと、リム・ブロワールも力負けして仰け反った。
そうだ……。早くそこを退け。
僕は一秒でも早くこの橋を渡ってペレディルを追いかけなければならないのだ。
しかし、狩猟者も甘くはない。僕に押し返された刃をそのまま回転させ、勢いを殺すことなく、くるりと身を翻すとそのまま逆手から横一閃の追撃を放った。
僕は腰を屈めて、それを回避した。
――ぶるぶると巧みに操られる斧。
その空気を切り裂く音を聞き遂げ、次は"上から振り下ろされる"と読んだ。視認する事もなく、僕はロングソードを振り上げて、敵の追撃を弾き返す。
読みが当たり、リムの薪割りの一撃は軽々と返される。
「ぁ……」
戸惑いの声。微かな吐息は乱れてもいない。
リムにはまだ余裕がある。淡々と仕事を熟す木こりのように、僕を殺すことに何の苦労も感じてさえいなかった。その狩りの対象である僕自身が本気で戦わなければ、元々敵う相手ではないのだ。
僕は攻めの一手に出る。
聖心流、縦斬りの構え。
振り上げた剣を姿勢を直すと同時に構え、真上からリムめがけて振り落とす。
それを容易く斧の柄で弾き返すリム・ブロワール。
棒術のように軽々と……。
次は横斬りだと挑戦的に、歯を食い縛って剣を振るう。
それも容易く弾かれた。
呆気なく弾かれる剣戟の雨霰に僕は苛々していた。
「早く……早く僕に倒されろ!」
繰り出されるは無数の剣戟。
棒術のように大斧鉞の鉞、鉾、柄すべてを操って、リムは僕の攻撃をすべて弾き返す。だが、僕の攻撃の手に休みなどなかった。
僕のこの流れるような剣捌き。
聖心流とは逸したその攻撃の連打に違和感を覚える。
その剣術はどこかで……。
"×××、僕に……剣術を教えてくれ……"
"わかった。今日はとことん付き合うよ"
その影が浮かび上がる。
僕に魔法大学で剣術を教えてくれた人がいる。
それは先ほど消えていった名前も顔も思い出せない男のような気がしてならない。
僕の剣技を見て、戦いづらそうだと指摘してこういうのはどうだと提案してくれた友達が。その友達はかつて僕の屋敷で養子として迎えられた義理の兄と同じ剣術を扱っていた。
そうか、君が……。
しかし、思い出しそうになると頭痛が遮った。
「うっ!」
その一瞬の隙を突かれた。
リムは僕のロングソードを切っ先で抑え込むと、ふわりと宙を跳び上がって回し蹴りする。それを諸に食らい、橋の上を仰向けに飛ばされ、背中を引き摺った。『白の魔導書』ががりがりと削られる音がする。
間髪入れずにリムは跳び上がり、僕めがけて薪割りの一撃を――。
"――en; Converge lim{x→0} 1/x^⑤――"
白い光が体を覆う。
腹が真っ二つに裂かれた。
真上から振り下ろされた斧は僕の腹の装甲をかち割り、鎧を削ぎ落とした。鉄の腰当てがばっくりと割れてしまう。残りの装甲は胸当てと篭手とブーツくらいか。
全身装甲だった僕の装備も随分ぼろぼろになったものだ。
でも、おかげで生きている……。
僕はリムの得物の柄を握り返し、持ち上げた。
担い手であるリムごと持ち上げる。
それを投げ飛ばし、起き上がった。腹からは爆散したように血が飛び散っていた。だというのに、僕自身は無傷だ。それどころか体もどんどん軽くなって、感覚も研ぎ澄まされいくような気がする。
このままではいけない。
いい加減、決着をつけないと。
一刀での攻撃が届かないのなら――。
腰に据えた、もう一本の剣を取り出した。
それは存在するはずのない魔力の剣だ。僕が常備している剣は予備も含めて二本だけ。一本は既に折られて、今は二本目を使っている。だからもう一本なんて存在するはずがない。
でも、その残り一本の存在を僕は不自然だとは思わなかったのだ。
「二刀流……」
リムはこの戦いでおよそ初めて理性的な単語を口にした。
僕の構えを見ておかしいと思ったようだ。
でも不思議なことなんてない。聖心流を極めれば、二刀流で剣技を操る剣豪もいるのだ。僕は剣豪ではないけれど、聖心流の心得がある。今なら二刀流でも剣が振るえそうな気がしていた。
早く決着をつけたい。
これ以上、この女に構ってる余裕なんてないんだからな。
○
「なんで……だ?」
戸惑いの声はその斬鉄の音に掻き消えた。
橋の袂でだらしなく尻を着き、戦いを見届けていたのは王宮騎士団No.2ボリス・クライスウィフトだ。彼は元凶が消滅したと同時に、黒魔力の呪縛からは解放されていた。
ペレディルのように発狂せずに理性を保っていられたのは、彼が汚染されても尚、正常な思考回路で王家に対する叛逆を実践していたからだ。もちろん、黒魔力が増長する憎悪が、罪業感を掻き消していたからこそ実践できた叛逆と云えるが――。
現在の彼は潔く、どんな罰や拷問も受け入れるつもりで事の顛末を見届けていた。
しかし、達観した彼ですら戸惑いは隠せない。
自身が負けた黒帯の同僚リム・ブロワールに対するは、非力で騎士団入隊すら難しかった少年兵だ。さらには南区の闘技場では、ボリス自身が彼に手を下し、確実に殺したはずなのだ。
それが何故か生きて現われた。
――それだけではない。
蹴り飛ばされて地面を転がる彼を真っ二つにするべく、リムは薪割りの一撃をランスロットの腹にお見舞いした。
そして当然のように裂かれる彼の胴体。
腰当ては砕かれ、顕わになった腹部も抉られた。
血も噴き出て、普通の人間であれば絶命しなければならない一撃。
……直後、彼の体が光に包まれた。
そのすぐ後には何事もなかったかのように彼は起き上がり、また平然と戦いに挑み始めたのだ。まるで怨念に囚われた死霊のよう。
常軌を逸した戦いに、相手をするリムも、そして観衆に成り下がったボリスも唖然としていた。
だが、あのような奇跡は黒帯の間では些か見慣れたものである。
騎士団の任務の傍ら、あらゆる超常、あらゆる神秘を見てきた彼らにとって不死の現象など、儘あることとして認識していた。
尤も、身近な人物にそんな能力を持っていた存在もいたのだ。
「まさか団長と同じ『不死鳥の冥加』か……?」
王宮騎士団団長アレクトゥス・マグリールは不死身の肉体を持っていた。
不死身とは語弊があるが、騎士団長は如何なる傷も回復し、首を刈られない限りは存命する。不老ではないにしても、不死であると認められた男である。
今まさに下っ端騎士に起こる現象も、不死の力が顕現したように見えた。
「いいえ、彼は不死身じゃない」
背後、教会側から出てきたのは教皇リピカ・アストラルだ。
彼女は運命論者として"彼の英雄"が残した戦いの結末を見届けるべく、橋の袂まで出てきた。
ボリスはその神々しい存在を背後に感じながらも、戦いから目を離せない。
……この興味は、ランスロットの不死状態に驚いてのものではない。不死身の肉体なんてものは幾らでも手に入る。人間をやめて魔力昇華すればいい。賢者に頼んで人体改造でもしてもらえばいい。死なないなんて状態は何の奇跡でもないのだ。
だから目が離せないほど夢中になる理由は、また別の要因。
それは彼が起き上がる度に爆発する"力"そのものだ。
ランスロットは右手に鉄の得物を、左手に魔力の獲物を構え、二刀流でリムに挑んでいる。先ほど一刀で立ち回っていた時、リムの斧鉞の一閃に翻弄され、太刀打つことが出来なかった。
しかし、胴体を真っ二つに両断された後に起き上がった彼は、まるでそれまで二刀流一筋で生きてきた剣豪のように巧みに剣戟を振るい出した。
雨霰のような剣戟の数々は、瞬き一つの間に片手五撃の剣閃を放ち、それが二本分で十撃の攻撃を繰り広げる。さすがのリムも脅威の剣術に押されている。
あの黒帯騎士を押しているのである。
……ボリスが闘技場でランスロットを殺害したとき、彼はただの無力な少年だった。でも今、橋の上で狂気の狩猟者と死闘を繰り広げる男は決して無力ではない。
それどころかリムを圧倒している。
生きようとも、逃げようともせず、彼は目の前の障壁を倒すことしか頭にない。
「強くなり方が不自然だ……。やっぱり力を隠し持ってやがったって事か?」
「……」
リピカはその"系譜"を眺めて、あぁ、そういうこと、と静かに呟いた。
この神に見放された混沌世界で、舞台の主役として走り続けていたのは彼自身だったようだ。
時の支配者でもない。
名も無き英雄でもない。
これは、大英雄ランスロット・ルイス=エヴァンスの栄光の物語。
かの暗殺者が、故郷の親友の死をきっかけに北方のルイス=エヴァンス家の養子に迎え入れられた時から、そしてその親友が呪いの指環『現界せし無間魂魄』を二つも持っていた時点から運命づけられていた≪予定調和≫だ。
「魔法は絶えず、進化し続けている」
その言葉は、名も無き英雄にも贈ったものだ。
「最強を究める余りに弱点が現われたり、最弱が実は最強と成るための布石だったり……そういった進化が、魔法の世界では常に在り続ける」
「いったい何の話だ?」
「ランスロット・ルイス=エヴァンスの話よ」
ルイス=エヴァンス家は現代では没落した一介の貴族に過ぎない。
彼らは初代王宮騎士団団長ランスロット・ルイス=エヴァンスの血統を"忠実に受け継いだ"がために、その才を発揮することなく、気づけば田舎の地方貴族の落ち零れとなった。
"この男の伝説は建国から千年経った今でも語り継がれている"
"――この男、ランスロット・ルイス=エヴァンスはな、戦場では人が変わったように強くなる男だったそうだ"
ラトヴィーユ国王陛下もその逸話は知っていた。
知っていたどころではなく、そんな奇跡の逆転劇に憧れ、類似の能力を持つ騎士を国に迎え入れたいとさえ思っていた。
「でも修練場での戦いじゃ、団長に傷つけられても痛がるだけで終わったじゃねーか」
「当時のランスロット卿は、確かに戦場で"傷つけば傷つくほど"、戦術や身体能力、五感を高める特殊能力を持っていたわ」
「じゃあ……」
「言ったでしょう――魔力は絶えず、進化し続けている」
リピカはその少年の後ろ姿を眺めて感嘆の息を漏らした。
素晴らしい運命の軌跡を辿った。
そんな進化は根っからの騎士家系でなければ、退化にしか成り得ない。
ルイス=エヴァンス家が代々受け継いだ騎士の"性"は、究極的にエリンドロワ王家への忠を尽くす形で進化を遂げた。
「彼の一族は、傷つけられて身体機能を飛躍させる能力から、死んでから爆発させる能力に進化したのよ」
「はぁ……?」
死んでから――。
彼は確実に死を経験し、ここに来るまで何度か死んでいた。
アレクトゥスのような不死の肉体ではない。
死を超えて初めて、力を覚醒させるのだ。
だが、それを発揮するためには、この神秘が蔓延る世界においても不変の法則――"死んだ人間は生き返らない"という真理を乗り越えなければならない。
それを可能とする唯一の奇跡を、王家は建国当時から持ち続けた。
王の選定用の儀礼具として。
"――en; Converge lim{x→0} 1/x^⑥――"
リムとの交戦に不覚を取り、彼はまたしても死んだ。
その彼の体を白い光が包み込む。
光の発生源は彼が背中に括りつけたものからだ。
それは王家に代々伝わる秘宝が示す『ゲーボのお導き』。
魔導書『白の魔導書』――!
彼とその神秘は合わせて一つだ。
二つが揃って初めて一つの奇跡を発揮する。
騎士だけでは生きられない。
王家だけでは生きられない。
……他の黒帯の騎士と、彼らが仕える王族はそれぞれ独立しても生きてゆけた。依存せずとも、反旗を翻したとしても力を発揮できた。
故に、彼らは真の意味での専属騎士には成り得ない。
"所詮、我輩らは仮初めの……"
老騎士は最期に悟った。
黒帯は仮初めの英雄であると――。
王宮から認められ、役割りに当てはめられただけの形ばかりの見世物だ。
真の英雄とは必要なときにこそ現われる。
"王家が本当に必要としたときに力を発揮する、そんな能力を持ち得た男が学園都市にいるのだ。"
老騎士にはその未来が視えた。
名も無き英雄の姿ではない。
ランスロット・ルイス=エヴァンスの姿をそこに垣間見た。騎士団長アレクトゥスも同じである。走馬灯として映し出されたのは、非力ながらも果敢に挑んだ少年兵の姿。
彼は無力でも忠誠心だけは誰にも増して強かった。
その彼が、王女の言葉を信じるのは自明の理――『白の魔導書』が王家を蘇らせると盲信し、盲信したからこそ、その奇跡の恩恵に与れた。
"白の魔導書に必要と判断された人間は死んでも選ばれる運命にある"
"それは、どういうことですか……?"
"選ばれたら、死んでも蘇るんだって"
穏やかな日々の王女と騎士のやりとり。
魔導書に選ばれたのは王女だけでなく、騎士も同様だった。
その彼が名高き大英雄と同姓同名であるという事実は因果が仕組んだ必然か。リピカは、橋の上で力を覚醒し続ける鎧の男を見て、そんな感傷に耽る。
……没落もするわけだ。
ルイス=エヴァンス家が騎士として名誉を得るためには、一度ないし二、三度は死ななければ、力が発揮されない。しかし、死んだ人間は生き返らない。
そんな没落の未来が待っていても、その血はこの時のために進化し続けたのだ。
「――『為すべき救国への収斂』か」
国の滅亡間際にようやく発揮される特殊性に、リピカはそんな真名を授けた。"死"を乗り越え続ける毎に極限へ至る能力に限界はない。
死んだら死んだ回数だけ無限大に近づいて強くなる。
既に六回も死を乗り越えた彼の力は、もはやマナグラム分類にも収まらないほどの成長を遂げていた。




