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魔力の系譜 ~名も無き英雄~  作者: 胡麻かるび
第4幕 第5場 ―名も無き英雄―
223/322

Episode182 忠誠騎士Ⅱ


 まずは治癒魔法だ。

 先ほどの曲剣の攻撃で、裂けた脇腹の傷を塞ごう。

 そう思い、モイラは脇腹に手を当てて魔力を込めたが、ボリスがすぐに察知した。

 予備動作もなしに懐の短刀を投擲し、的確にモイラの右腕を狙う。

 街の路地裏で、薄暗さも増すこの地形において、彼はさも当然のように負傷した元同僚にとどめを刺さんと凶器を振るう。

 飛び道具を扱うには視界不良だが、お構いなしだ。


「……!」


 モイラは慌てて剣で叩き落とした。

 数にして二本の短刀。

 それが自身の手首と肘にめがけて一切のブレなく飛来してきた事に、あらためて黒帯の実力に圧巻された。また、黒魔力による狂化を受けても武術の腕前が劣っていないことが確認できた。

 余計な動きでまた横腹が痛む。


「俺の能力を忘れたわけじゃねーだろ?」

「……そうでした。御身は索敵の達人――モノを探ることに長けた『悪魔の証明クォド・エラト・インヴィニエ』。曰く、物の所在のみならず、自然現象や魔法の発生も感知できるとか」

「わかってんじゃねーか。だからあんたがこれから何をしようかってのも――お見通しだ」


 ボリスは言い終わる前、低姿勢で駆け出した。

 暗がりの道を狂犬が迫る。

 風が迫るような静かな動きだ。

 対するモイラは魔力で手製の剣を造り、その強襲を受け止めた。

 ――だが、あまりにも手数が多すぎる。


 振るわれる剣戟は左右二本のダガーナイフ。

 一刀であればリーチの差で優位性を保てたが、間合いを詰められると不利になる。モイラは両手で握り占めた剣柄を引きちぎり、一刀から二刀へと剣を分離させた。

 心象抽出による魔力の剣戟はこんな芸当も可能とする。

 交差する二刀同士は二十の斬撃の後に、十字型で競り止まり、動きを止めた。

 ボリスはまた何かに気づいてバク転して距離を取る。

 直後、魔力放出でモイラは二本の剣を肥大化させた――しかし、既にボリスは目の前にいない。力押しなら負けまいと、せっかく剣の大きさを調整したというのに読まれていた。


「判断が遅れましたか」

「違ぇよ、俺の読みが速いんだ」


 剣の押し合いになった場合、抽出する魔力量次第で物量を変えられる魔力の剣の方が勝る。だが、ボリスはその魔力流動を感知して距離を取ったのだ。

 モイラは下唇を噛み、片目で敵を睨む。

 手を読まれる戦いはやりづらい。

 それに口先では余裕を振るまうモイラだが、先ほどからの疲労と怪我で視界が眩んでいた。


「だが、あんたももう少し警戒心持った方がいいぜ」

「は――」


 背後から気配。

 敵はもう一人いる。

 ――ガレシアだ。モイラは振り向き様に剣を振るって背後からの無音の攻撃を弾き返した。どうやら曲剣二本をクロスさせて鋏のように首を刈ろうとしていたようである。彼女を野放しにしていたわけではないが、ボリス一人の相手でもやっとだ。ガレシアのことも警戒しながらボリスに挑めば、ボリスにやられてしまう。

 かといってボリスにだけ意識を集中していれば、今の攻撃のように隙を突かれて首を刈られる。

 魔眼を開放しようものなら、もう片方の敵に討たれることを意味していた。だから彼らは、同じ方向に立とうとしない。


「あら、惜しかったわぁ……あはっ」

「お前はそればっかりだねぇ」

「くっ――」


 危険を感じたモイラは、追撃で何度か剣を振るって牽制し、敵二人から距離を取る。短く息を吐き、小刻みな走りでその場から逃走した。

 きりがない……。

 このままでは体力や傷口も悪化して泥沼状態になる。

 早く、逃げながらでも治癒魔法を――。


「ガレシア! 奴さん、回復の機を狙ってやがる。さっさと終わらせようぜ」

「もう競争はいいのかしら?」

「面倒くせー。それに黒の御仁がお呼びだ。さっさと片をつけて戻るぞ」

「はぁい」


 手の内が読まれている。

 さっさと片を付けたいのはモイラも一緒だった。

 魔力の剣を投げつけて、それを踏み台としてまた屋根上へと跳ね上がる。屋根のゲーブルを受け身で転がり、そのまま反対側の路地へとすぐ落ちた。怪我を負ってもこの程度の動きはまだ容易い。

 石畳の路地に着地すると同時に駆け出し、さらに距離を開いた。

 家々を遮蔽物にしながら、モイラは戦略を練り直す。

 それまでの時間稼ぎだ。


 しかし、相手の方が敏捷性では一枚上手(うわて)のようで、後ろを振り返ればボリスが家の壁を張り付きながら迫ってくる。ガレシアの姿は見えないが、まったく別のところから突然現れる可能性もある。


「古より舞い降りし紅蓮の螻……! 温床の大地は我が母堂なり。天高きソエルは我が尊父なり。灼熱の大地を熾したまえ……ブレイズガスト!」


 モイラは走りながら魔力を込め、後方を走るボリスに向かって上級魔法を放つ。

 特大の火炎旋風がモイラの手先から放たれ、過ぎ去る民家を焼き払った――しかし、その進路上には既にボリスの姿はない。


「やはり一つ一つの魔法では読まれますか……はぁ……」


 溜め息は何への嘆きか。

 モイラは両手を開いたり閉じたりして魔力の調子を確かめた。

 ここ最近、心象抽出ばかり使っていたから不安だったが、先ほど放ったブレイズガストを見る限り、問題なさそうだ。

 先ほどの上級魔術はこれから挑む大魔術に向けた準備運動である。溜め息は、そんな大魔術による反動を憂いでのもの。これだけ追い込まれたように見える戦況でも、彼女はまだまだ余裕だった。

 彼女は元来、魔術師として生きてきたのだ。

 武芸を究めようとも、魔力に関して黒帯随一であることは言うまでもない。



     …



「あは、見つけたわぁ」


 上方から飛び込んでくる赤い影。

 モイラは横跳びで、串刺しせんと刃先を向けて落ちてくるガレシアを回避した。直前まで立っていた場所の地面が抉れ、瓦礫が吹き飛ぶ。


「その様子じゃヒーリングも間に合わなかったわねぇ」

「……ふっ!」


 にたりと笑うガレシアを無視して、モイラは次の場所へ。

 王都の街は酷い有り様だ。ギルドハウスの屋根上へと跳び上がってその光景を一望すると、変わり果てた王都の姿が拝めて眩暈がした。

 眩暈は血液不足もあるだろうが、明らかに気鬱の類いだ。


 しかし――――魔術師としての好奇心も勝り、これから完成するだろう芸術美を想像してモイラは多少の高揚感さえ覚えていた。

 背徳的であるが、まぁ、元より崩壊した王都だ。

 終戦の宴の前に一つの"肴"として見納めるのも許されるだろう。



 二ヶ所目、三ヶ所目と場所を移してモイラは地面に魔法陣(・・・)を設置していく。脇腹から滴り落ちる血を自ら絞り取り、大地に魔法陣を描いて魔力を付与させた。

 隠蔽のために、怪我した脇腹への治癒魔法(ヒーリング)をかけるように見せかけ(・・・・)ながら……。

 ボリスによる『悪魔の証明』の探索から逃れるためだ。

 モイラはあくまで"体を治癒させるための逃走"と思わせるため、無駄に魔力を消費して治癒魔法を虚空に向けて放っていた。


 ――本命は、この複数の魔法陣。

 個々の魔法陣の距離は闘技場が丸々一つ収まる程度の広さだ。

 魔法陣そのもので、土地全体に魔法陣を描く。

 四ヶ所目のセットし終えた頃、壁伝いにボリスが現われた。


「そら、もう満身創痍じゃねーか。諦めな」


 痩身の半獣がダガーナイフ片手に飛び降りた。

 モイラはそれを躱して、また駆け出す。


「逃げてばっかじゃ、黒帯とは呼べねーぞ……っと!」

「きゃあ!」


 歳相応の少女の悲鳴が響く。

 ボリスは着地の直後、体当たりしてモイラを吹き飛ばした。彼女はその衝撃で家の壁に激しく体を打ち付ける。

 しかし、それでもまだ立ち上がって次の場所へ駆け出した。



 血が足りない……。

  血が足りない……。

   魔力が足りない……。



 傷口はどんどん広がり、身体も急速に冷えていく。

 五ヶ所目。描く魔法陣は決まっている。

 朦朧とする意識を堪えて、モイラは魔法陣を描き終えた。そこにガレシアの追撃があったが、小さい魔力弾(バレット)を放って迎撃する。また、ボリスも現われてまた蹴り飛ばされた。

 蹴り上げられた直後に短刀を投られ、右肩に突き刺さる。左腿にも。

 モイラは既に戦えるような状態ではない。あと一つ、魔法陣を描けば完成だが、ボリスの言う通り、彼女は文字通り満身創痍だった。

 ――しかし、皮肉にもそんなボリスの蹴りのおかげで次の目的地までの距離は稼げた。


 滑り込んできたのは王都南区の大通り。

 かつては何台もの馬車が行き交いした石畳の頑丈な通りだが、今は誰一人として歩いておらず、ゴーストタウンと化していた。

 幸いにも、そこが最後の――六ヶ所目の魔法陣の設置場所だ。

 近くにボリスも降り立つ。ガレシアもそこから二時の方向に降り立った。

 彼らはまだ傷一つ負っていない……。


「まぁ、俺ら二人からよく逃げ続けたってもんだが」


 はっ……はっ……。

 短く息をして最後の仕事へ。

 俯せに這いつくばりながら、ある程度の目測をつけ、右肩から滴る血で魔法陣を描く。手早く、複雑な幾何学模様でも、決まった法則のもとで陣を描く。こんなものの速写投影は魔術ギルドの入団試験で余裕で熟していた。今更、間違えることもない。

 しかし、描き終える直前――。


「だから、無駄だってんだよ!」

「がはっ……!」


 モイラは蹴り飛ばされて固い地面を転がった。


「何度試そうが、お前の負けだ」

「あぁ……う……」

「その残った魔力を全部治癒魔法(ヒーリング)に使ってればまだ長く生きれたかもしれねーが……苦し紛れに無駄な足掻きを選んだあんたの失策だ」


 幸いにもボリスはこの布陣に気づいていない。

 ――否、そもそも気づけるはずがない。


 『悪魔の証明クォド・エラト・インヴィニエ』は其処に発生した魔術や現象の、その正体を解き明かす能力だ。さらに魔力の流れを察知できれば、相手の放つ魔術や戦術をも見破ることができる先見の魔法。

 ――故に、未だ発生していない現象を見破れるはずはない。

 所詮はその程度だ。

 緩慢な動作で起き上がり、相手を見据えた。


「ふ……ふふふ……」

「何がおかしい? 死に際になって気が狂ったか、魔眼のモイラ」

「いえ、狂っているのは貴方がたです。やはり意志なき力など、その程度ということでしょう」

「あぁ……?」


 ボリスは不機嫌そうにモイラを睨む。


「意志だなんだって……口ずさむ奴が俺は死ぬほど嫌いだ。そんなもの、結果の前では意味がねえ。あのおっさんもどうだ? 強情を張った結果があのザマだ。死んじまえば馬鹿みてーだろ」


 ボリスの言う人物は、モイラを王都から一時逃がしてくれた老騎士のことだ。

 カイウス・サウスバレット――今思えば、彼こそ黒帯内で最も矜持を強く持っていた。モイラはその騎士の最期を垣間見て、この二人を打ち倒そうと決めた。黒帯も皆、カイウスほどの器量があれば、このような事態にはならなかっただろうに。

 そう悔やんでも今更か……。


 結果がすべて。

 言われてみればそうなのかもしれない。

 ボリスの生い立ちは不遇なものだと聞いている。

 たらい回しにされた挙げ句、本来の力を発揮することも出来ず、最後には王女の慰みものになった。ボリスにとって、最初から王宮に仕える理由も道理も無かったのだ。

 振り返れば、魔眼のモイラもそうである。

 彼女も、王宮に仕える義理はあっても道理はない。

 気鬱が晴れれば、己が力でも生きていけよう。

 王宮騎士団の連中はそんな輩が山ほどだ。

 だから、黒帯の六人は皆――。



 "……所詮、我輩らは仮初めの……"



「仮初めの騎士……」


 モイラはカイウスの最期の言葉を今ようやく聞き届けた気がした。

 仮初めであるが故に道を間違えた。

 それはモイラもだ。ボドブ殿下を守れず、赤い魔族の餌食にしてしまったのだ。

 自身にも踏み間違えた道がある――だからこそ、こうして踏み外した仲間に引導を渡してやることが、黒帯としての最後の務めであると信じて、モイラはここまで来た。

 右肩から溢れてくる血に触れる。

 既に出血多量で死にそうだ。

 しかし、死ぬ前には。まだこの眼に視界が広がる内は……。

 せっかく時の支配者から授かった視力だ。

 盛大に打ち上げよう。


「けりをつける準備も理由も出来ました。貴方がたを粛清します」

「そんな死に体で? 出来るものならやってみろ」


 かろうじて濾し取った魔力で抽出する。

 細身の剣を手中に納め、モイラは駆け出した。その踏込みは以前と比べると劣るものだ。しかし、前へと進めれば十分だった。

 正面からボリスの刃。

 右からガレシアの刃が迫り来る。


「神代より栄えし鋭峰の鼓動――」


 詠唱を開始した。

 モイラは二刀の剣でボリスとガレシアの剣戟を弾き返した。

 漏れた得物が至る所に刺さる。


「……っ! 紅蓮の輝きは星の血脈――!」

「待て! こいつ、何か仕組んでやがったか」

「――カノの与えし星の息吹を、この血に召して顕現せよ!」


 モイラは力を振り絞って二人を振り切り、前に飛び出した。倒れ込みそうになる体を必死に食いしばって支え、大地を蹴って跳びあがった。

 宙返りで下に向き、振り向き様に右肩の血を指先で絡め取って飛ばす。

 それが先ほど描きかけだった魔法陣へ降りかかり、不完全だった六つ目の魔法陣の線が繋がった。それと同時に描いた魔法陣の線に沿って、赤い魔力が強く輝き出す。

 ――今、ようやく大魔法が完成した。

 個々に散らばっていた魔法陣が接続し、散見されていた小規模魔法陣が一つの現象として成立する。ボリスは己が能力を通してようやく悟り、これから起こることを予見した。



「テメェ、今までの魔法陣はこれの――」

「なによこれ……!」



 ――しかし、もう遅い。

 ボリスとガレシアは大円陣(・・・)の内側にいる。

 今ここで詠唱を最後まで紡げば、六つの魔法陣で囲った大円陣の領域内は虫の息すら残さない大火の渦中に落し込まれるだろう。

 モイラは上から驚愕する二人を見下ろして、決意を改めた。

 王家の人たちの顔が浮かぶ。

 ボドブ殿下、オェングス殿下、メング王妃、アリアンロッド王女殿下、団長アレクトゥスや老騎士カイウス――無惨に殺された彼らの弔いにこれを送る。



「噴き上がれ、『汝の意(ウルカヌ)志有り(ス・セレ)き大火(マ・フォ)の要塞(ートレス)』!」



 一つの魔法陣の両端から紅蓮の炎が大地を駆ける。

 別の箇所に設置した魔法陣からも同じように伸び、動線上の建物を炎で焼き払いながら線と線が繋がった。激しく炎が燃え上がり、大円陣内部は炎のカーテンに囲まれる。


「うぉおああ……っ!」


 ボリスはその炎が拡がる直前、円陣の外部へとかろうじて抜け出した。

 冴え渡る直感と『悪魔の証明』の恩恵によって、焔に閉じ込められることなく脱したようだ。しかし、身体の半分は焼けてしまったようで、体から煙を燻ぶらせながら尻尾を巻いた犬のように俊敏な動きで逃げていった。


 ……ちっ、逃したか、とモイラは舌打ちした。

 だが、もう一人の宿敵はまんまと罠にかかった。


「ぁ――――」


 大円陣の内側から溶岩(マグマ)が壮絶な勢いで吹き上がる。

 ガレシアが悲鳴を上げる間もなく、最高級の炎魔法の大噴火が直撃した。溶岩は、魔法陣同士で接続された内側だけに放射され、範囲内のすべての物に猛威を振るう。高くて太い火柱が天空の雲にまで届き、領域から領空に及ぶまで、すべてを燃え尽くしていく。


 間近で見上げるモイラにまで熱気が立ち込めた。

 雲を突き抜けた特大の火柱は、きのこ雲を作りながら徐々に霧散して消えていく。魔力が大気中へ戻ったときの反応だ。



 ――これが神級に格付けされる大魔法。

 モイラが魔術ギルド職員だった頃、地味な調査員として過ごしていたのは、むしろこの大魔法に"足を引っ張られた"からだと云える。

 西流の魔術は派手で、豪快で、最大級の火力を誇るものが多い。

 その一方で実用性は限りなく低かった。

 魔法大学での功績が目覚しくても、そのような凡愚な人生で終わってしまうのは、ひとえに無駄の極みがもたらすものだ。

 モイラも出番のない大魔法の研究に魅了された結果、卒業後は一度も今の魔法を使うことなく過ごしていた。何度もこの魔法を放つと、地形変動や環境汚染に繋がる危険性があり、教会からも封印指定にされていた禁じ手である。

 今回は既に都市が崩壊していたこともあって盛大に焚きつけることができた。

 モイラも満足して仰向けに倒れる。

 

「ふー……ふー……」


 魔力の消耗が半端ではない。

 力を溜め込んでいたわけでもなく、魔術師としては現役を退いている。

 "魔眼のモイラ"には現役時代ほどの魔力はなく、その枯渇による反動で意識を失いかけていた。一人、ボリスのことは逃してしまった事は悔やまれるが――ボドブ殿下やメング王妃の仇は取れただろう。

 モイラは体裁を構う余裕もなく、そのまましばらく眠りにつこうとした。



「ぐ……が……!」



 誰かが焼き尽された大地で体を起こした。

 特大の神級魔法をお見舞いしたというのに、まだ息があるとは……。

 確認するまでもなく、ガレシアだった。

 モイラは少しだけ顔を上げ、声の主を見やった。

 さすがは魔族だ。

 生命力は人間族と比べても桁違いである。

 しかし、見てくれはもう誰だか分からないほど黒焦げになっていた。

 赤い肌だった彼女は今や焼け爛れた黒い魔族だ。


「モ……イラ……」


 ゆっくり、緩慢な動きでこちらに歩いてくる。

 モイラはもう力が残っておらず、戦いに臨むどころか起き上がれそうにすらない。――見るに、きっとガレシアも同じで、放っておけばそのうち死ぬだろう。仮にモイラのもとまで辿り着いて、とどめを刺されたとしても悔いはないと、彼女自身も考えていた。

 ガレシアは左脚が焼失していて、脛で体を支えながら歩いてくる。

 モイラも、それを目一つ動かしてしか見ることが出来ない。


「殺……」


 まだ闘志があるというのか。

 もう体のほとんどは機能していないだろうに。

 されど、余力はなかったらしい。少し歩いたところで、ガレシアはついに力尽きて倒れた。俯せで倒れ、しかしてまだ腕の力だけで這いずり寄ってくる。


「殺……して……わたし……コロ……」

「……」


 違った。

 モイラは彼女と目が合ったとき、全てを悟った。

 あそこで這いずる魔族は以前のガレシアだ。劫火に焼かれて正気を取り戻したのだろうか。目の色、表情も黒ずんでいて読み取れるものではないが、モイラにはそれが元のガレシアに見えた。


「殺……して……」


 苦しみながら這いつくばるガレシアを眺めた。

 放っておいても、いずれ死ぬだろう。

 それはモイラも同じだが、ガレシアの場合は確実に死ぬ。

 彼女を少しでもあの状態で放置することは、王家の人々に対して弔いになるだろうか。モイラはそんな事を考えながらガレシアを眺めていた。

 しかし、ガレシアは片目から黒い涙を流していた。

 体が痛くて、死ぬのが怖くて泣いているのではない。

 きっと己の罪を感じて嘆いているのだ。

 ――なんてことをしてしまったのかと、悔いているのだろう。


 そうか、とモイラは少し目を瞑って考えた。

 彼女は死ぬ直前、正気を取り戻して罪業感に嘆き苦しんだ。

 これ以上は、介錯してやるのが残された黒帯としての情けである。

 ほんの少し残された力を振り絞り、片眼の眼帯を外した。

 死へと誘う魔眼の呪い。


「逝きなさい……あなたがそれを罪と感じたのなら、もう贖罪は十分でしょう」


 魔眼の呪いが発動する。

 石英状の瞳が開眼し、ガレシアを射止める。

 それを見納めた直後、彼女は生気が抜かれたように静かに息絶えた。死んだ。


「……」


 あれだけ憎んだ仇だが、何故だか悔しくなるものだ。モイラは眼を閉じて見送った仲間との懐かしき日々に思いを馳せた。

 しばらく上空を仰いでいると、遠くから甲高い声が耳に届いた。


「おーい、モイラたーんっ! またとんでもないやつ、打ち上げたもんだねぇ!」

「……ティマイオス様」


 雷の賢者がふわりふわりとやってくる。

 こちらは死闘だったというのに、古来より生きる賢者は暢気なものである。あの様子では先駆けて向かった王城は既に制圧済みのようである。


「ティミーちゃん、城の制圧余裕でした! ――って、モイラたん血塗れ、血みどろ! 今助けるからっ!」


 陽気な声に少し癒される。

 モイラは遠ざかる意識の中、賢者の手の温もりと癒しの魔法の中で静かに瞼を閉じた。願わくば、ボリスにも相応の報いと、安らかな死がありますように。

 白く霞む視界に、白亜の王城や穏やかな騎士団の日々が浮かび上がる。

 ――皮肉にも、あれだけ苦しんだ魔眼の呪いが最後には仲間を安楽へと導いたのだ。

 そんな運命を悲観して、彼女も眠りについた。



王宮騎士団No.3 ガレシア死亡。

No.2 ボリスはしぶとく生きてます。

No.5 リムも未だ教会前の橋を徘徊中!


※2016/8/15(月)~8/17(水)まで書ける限り更新します。

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【魔力の系譜~第1幕登場人物~】
【魔力の系譜~第2幕登場人物~】
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【魔力の系譜~魔道具一覧~】
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