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魔力の系譜 ~名も無き英雄~  作者: 胡麻かるび
第4幕 第5場 ―名も無き英雄―
221/322

Episode180 正義の魔法Ⅱ


「死になさい、アハハ!」


 およそ肉親の言葉とは思えない。

 恨み言ならまだ聞ける。

 だが直接的なこの呪詛は、ユースティンの心を抉った。


「全部あなたのせい。あなたのせいで私はこうなったの。本当なら私は故郷で王女様になってたかもしれないのに。皇太子様と結ばれて幸せな生活を送るかもしれなかったのに。お父様から聞いたでしょう。そのお父様が死んだのもユウのせい! なんで助けられなかったの。なんで見殺しにしたのっ!」

「く……苦し……い……」


 姉の背後から伸びる細い蔓は、明確な憎悪を伝えて放さない。


「ユウがお父様を殺したのよ! いつも面倒ばかり起こして。いつまでも私やお父様に心配かけて。ユウはそうやって甘やかされてばかりだったから苦労が分からないんでしょ! 私はユウのことばかりで結婚もできない。そんな時間もなかった。仕事だって忙しかったし、ユウが想像できないくらい重たいことも任された! なんで私ばかり……私ばかりこんな辛いことしなきゃならないのよ! だから教えてあげるわ。私がどれだけ苦しかったか。今身を以て知りなさい。お姉ちゃんの苦しみを、今ここで――!」


 投げかけられる呪詛の言葉は、朦朧とする意識ではほとんど聞き取れなかった。でも、ユースティンにはその言葉一つ一つが分からずとも、これまで姉がどれだけ苦しんできたのかは理解できた。

 そして父親を助けられなかった無力さは、今までも重々感じてきたことだ。

 でも何故そうまでして――。


 腰の鞘に手を伸ばす。

 そこに魔力剣が納められている。

 ひとまずこの蔓を斬らなければ、魔力汚染が進む前に……否、そうなる前に死んでしまう方が先だろう。苦痛の中で腕を必死に伸ばして、ようやく手が届いた。


「ごはっ……ぐっ……うぁ……!」


 力が入らないながらも何とか剣柄を握り、意を決して振り上げた。首を絞めていた蔓が斬れ、ユースティンはようやく解放される。どさりと力なく地面に落ちて、大きく咳き込む。


「がぁ……あぁ……ふっ!」


 さらに自らその魔力剣を右肩辺りに突き刺した。

 浄化作用が働いて黒魔力が体から消えていく。

 全身が震える中、なんとか這いつくばってその場からよろよろと移動する。


「ユウ、死んでよ。お姉ちゃんの為に死んで」

「……」


 ユースティンは挫けそうになっていた。

 黒魔力によって憎悪感情が増長されているとは理解できていても、ここまで恨まれるとは精神的に堪えられない。いっその事、姉の願い通りにこのまま死んでしまった方が自分自身も楽なんじゃないかと気弱になる。

 死んでしまった方が――。



 Eröffnu(生きろ)ng…!!



 そのとき、誰かの魔法が耳に反響した。

 温かい声だ。

 目的のためなら手段を選ばない――そんなカリスマ魔術師がかつて近くにいた。身近な存在だったが、ユースティンはついにその背中を追いかけるどころか、失ってしまった。

 そんな非道を極めた魔術師でさえ、最期は身を呈して息子に「生きろ」と願ったのだ。

 託された魔法は、確かに胸に残っている。

 ならば、最後まで挫けずに生き抜く事こそが彼の貫くべき正義だ。

 ユースティンは踏ん張って、よろける体を必死に支えた。


「姉さま、僕は死ぬわけにはいかない……」

「は――散々、私のことを苦しめておいて、それでも醜悪に生きたいと望むの?」

「それが……僕の正義だ」


 それを聞いたイルケミーネは深く俯いた。

 闇が蠢くように、彼女の周囲に黒い魔力の残滓が立ち込める。


「……許さない。許さないから」


 ユースティンは身震いした。

 もはやそこにいるのは姉ではない。憎悪の塊だ。

 それをしかと確かめてユースティンは力を込める。もう体はぼろぼろでうまく魔術が使えるか怪しい。でもそれは相手の同じこと。先ほどの一撃で魔力の大半を失ったイルケミーネはもう攻撃手段が限られている。

 意思をはっきりとさせたとき、後ろから助け舟がやってきた。


「先輩!」


 ランスロットだ。

 自身と比べると今回は彼の功績が大きいとユースティンも認めていた。姉の膨大な魔力を消し去ってくれたのはランスロットである。イルケミーネも目を合わせると、眉間に皺を寄せて咋に不快な態度を取った。


「さっきは良い動きだったけど、まだやるつもりなら容赦しないよ」

「……」

「私の目的の邪魔になるんだから」


 黒い蔦の先端がぴたりとランスロットを指し示して静止した。

 状況が呑み込めずにランスロットも尻窄みする。彼はどうする事も出来ず、声が出ない。

 そこに満身創痍のユースティンが叫んだ。


「お前は来るな……僕一人で決着をつける」

「で、でもユースティン先輩……体が……!」

「いいから! 姉さまは『白の魔導書』を持っていない。お前の目的はそっちだろう」


 ユースティンは殊、周囲の人間関係に関しては空気が読める性格だ。

 ランスロットがわざわざこちらの班に加わってイルケミーネとの戦いに挑んでくれたのは、本来の目的である『白の魔導書』の為であり、それが結果的にエスス王女の為の行動だという事も理解していた。

 そも、姉が魔導書を持っていない事に気づいても尚、付き合ってくれたことに感謝している程だ。


「『白の魔導書』……? それが目的だったの? あは、アハハハハ、ハハハハハっ」


 イルケミーネはそれを聞いて心底可笑しそうに嗤い出した。ランスロットの頑張りが報われないと決めつけるように。悪魔のように、嘲笑うように。


「もう魔導書は燃えちゃったわよ」

「え――」

「私が燃やしたの。王様の目の前でね。アハハ、あのときの王様の悔しそうな顔、最高に滑稽だったわ。ふふふ、魔導書で何がしたかったのか知らないけど、もう無駄な足掻きね。ゲーボの輝きも失われてる」


 ランスロットは絶望した。

 何も出来ない……。エスス王女の希望が失われた。『白の魔導書』さえあれば、殺されてしまった王家の人々も生き返らせると聞いて――それが再び王女の笑顔を見れる唯一の方法だと信じて、彼は勇気を振り絞って頑張った。

 しかし、それは既に焼却されている。


「馬鹿っ、諦めるんじゃない」

「……!」

「最後まで信じたものを貫くんだ!」


 ユースティンにしては珍しく、まるで彼の英雄の託言のようだ。

 でもこれは、彼自身が己を奮起させる言葉でもある。

 これから信念を貫くために。

 姉を救うと誓ったことが最後まで嘘にならないように。


「確かめてくればいいわ。闘技場の地下控え室よ。ただの燃え滓になってるけどね、ハハハっ」


 闘技場の地下控え室。

 ランスロットも黒帯選抜の騎馬戦で利用した事があるから場所も分かる。せっかく東区の方まで来たというのに、蜻蛉帰りになってしまうが、貴重な情報だ。


「聞いたか。さっさと行け……!」

「は、はい……! 先輩も頑張って!」


 慌ててそれだけ言い残すと、ランスロットは後ろに駆け出して愛馬に跨ってその場から離れた。

 ――頑張って。

 そんな普通の声援が何故だか今は心地良い。

 しっかりと姉に向かい合う。

 対峙しているのは自分自身が目を背け続けた存在だ。

 父親の想いや残してくれた研究。そればかりに縋って、今そこにある想いを踏みにじってきた。無碍にしていた。


 "世話を焼く相手がいない方が……姉さまは自由で幸せなんだ"


 そんなものは言い訳だ。

 ユースティンが彼女の弟である以上、目を背けて逃れ続けることは出来ないのだ。生まれながらに複雑な家庭環境だったが、姉と弟の関係もおかしな方向に進んでいたのは、何よりも自分自身の過ちだ。

 そう認め、あらためて姉の言葉を思い出した。



 ――それが正義なの?


 ――責任が取れるなら、ね。ユウも信念を貫いて。



     …



 今からでも正義の大魔術師になれる。

 僕は、僕がこれまでやってきた事を今日試されているんだと思った。

 砂塵が溜りきり、再び街には濃霧が漂っている。尤も、もう街とは呼べないほど東区は崩壊しきっているが。


「さて邪魔者もいなくなったし。やっと思う存分、殺してあげられるわ」


 非道な台詞が胸を刺す。

 しれっとした雰囲気で告げる姉さまもまた、魔力は枯渇している事は間違いないのだ。その証拠に先ほどの余裕な表情とは打って変わって、憎々しげにこちらを凝視している。


「僕は死なない。姉さまのことも殺さない」

「そんな覚悟で私に勝てると思ってるの? 甘ちゃんなんだから!」


 試しに一突き。

 姉さまの第三の腕が伸び、細剣(レイピア)でも突き出されたかのように鋭利な攻撃がしかけられた。足を一歩引いて体を半転させることでかろうじて回避する。

 少しずつ気勢を取り戻した。

 『魔力剣』を突き刺した肩の痛みは続いている。

 しかし、条件でいえばこちらの方が有利だ。魔力もまだ温存できている。魔術師にとって重要な攻撃手段は残っているのだ。

 手を前に突き出して魔術発動の姿勢を取る。


 勝敗は近接戦で決まる。

 姉さまに『魔力剣』を刺すことが出来れば僕の勝ち。

 僕が死ねば姉さまの勝ちだ。

 この勝敗条件で一つ考えられることは、姉さまが遠距離攻撃に徹するという事。

 僕を近づけさえしなければ負けることはない。

 しかし、姉さまは魔力が枯渇しかけている。考えられる攻撃手段は黒魔力の蔓だが、先ほどの巨木のような太い腕は作り出せないようである。

 ――ならば、勝敗は僕の魔術の腕前次第。


「勘違いしているようだけど、」


 僕の様子を見て、姉さまが不満そうに呟く。


「私の魔力が足りないと思ってるなら大間違い――Brandstift(燃え尽きて)er!」

「……!」


 同じ魔力弾を作り出して相殺させる。

 ――修正。

 魔力弾(バレット)を生み出す程度の魔力は残されている。姉さまの魔力量は無尽蔵だ。この東区エリア一帯を数回焼け野原にする程度の魔力は持ち合わせている。先ほどの巨木ごと魔力を削ぎ落としたとしても、まだ通常の魔法を使う余力は残されていて然るべきだ。

 しかし、なぜ黒い蔓の方は細くなったままなのだろう……。

 魔力総量と黒魔力の量は相関しない?


「それともう一つ、」


 そう呟くと、姉さまの左目が緑色にちかりと光り輝いた。

 あれは鑑定魔法を発動させたときの反応だ。


「ユウの魔力、体力、技能、怪我による補正(デバフ)、全部こっちで把握できるわ。そんな条件で有利だと思ってるなら、思い上がりもいいところね」

「……僕なら勝てる」

「諦めの悪い弟――Flamme(焼却)n!」


 姉さまの手から紅蓮の蜷局が伸びる。

 軽々しく放った魔法だが、西流の魔術で云うところの上級魔術ブレイズガストに匹敵する火炎放射だ。それを容易く放つ当たり、はったりでも何でもなく、魔力はかなり余裕がありそうだ。


「Eiswan(防護壁)d!」


 魔力障壁を張って防御する。


「……くっ!」


 しかし、ひとえに火力が強かった。

 防ぎきれないと判断し、障壁も放棄して横飛びで回避する。戦闘経験が浅いとはいえ、魔力放出が高性能すぎて技能などなくても姉さまは強い。

 早いところ、勝敗を決しなければ徐々に追い詰められるだろう。

 水のグランド魔法を活用して波を作る。

 横滑りして姉さまへと近づく。


「焦ったわねっ」


 地面から針山が飛び出してくる。

 それは黒い魔力の"根"だった。地面から伸び上がり、進路を塞がれる。追い詰められた直後には足元から僕を串刺しにしようと第二、第三の"根"が飛び出そうとしている。

 慌てて進路変更して串刺しを避ける。


「ほらほら、逃げてばかりでどうするの? アハハッ、じわりじわりと殺してあげるのも愉しい。大事な弟なんだもの。大切に殺してあげないと――!」

「この……Starku(強化)ng von pa(一撃)t!」

「Starku(収縮)ng von pa(一矢)t」


 強化魔法で腕の強度を高める。

 しかし、その詠唱に反応して姉さまも同じ種類の詠唱を重ねる。

 姉さまが強化したのは実体化した黒魔力の蔓だ。

 それぞれ光りを纏い、僕の単純な拳闘を姉さまは強化された魔力の蔓で素早く捌き払った。

 ……体が軋む。

 先ほど首をきつく締められた事がかなり効いてるようだ。首回りも痛いし、身体の先端が痺れて思うように拳闘術も振るえない。姉さまもそんな僕の戦闘技能を鑑定のもとに見極めているのか、写し取った影の動きのように同じ手段で応戦してきた。

 しゅるしゅると蔓が巻き、僕の強化された腕や脚をすべて軽くあしらう。

 言葉の通り、楽しんでいる――。


「そうだ、良いこと思いついちゃった。ユウ、地上より高いところが好きだったわよね」


 僕が地面からの串刺しを警戒しながら動き回っている様子が目についたのか、姉さまは何を思ったか左手をぱちんと弾いて「Eröffnu(開通)ng」と言い放つ。

 真下に大穴が開き、突如として放り投げられた中空。

 姉さまの転移魔法によって空へと投げ出された。

 目算して城の尖塔ほどの高さまできたようだ。


「アハハっ、どうするの、ユウ!? このまま刺し殺すよ!」


 うねうねと動く食虫植物(サラセニア)の蔓や根が僕の落下を待ち侘びて、びしりと棘を形成した。


「Eröffnu(開く)ng!」


 僕も同じ手法で応じる。

 姉さまの足元へと転移孔を作り、空中へと曝け出した。すぐ傍に姉を喚び出し、落下の最中であることも厭わず『魔力剣』を振り翳す。

 甘い、とばかりに姉さまが火球を放ち、近距離から直撃して吹き飛ばされた。

 熱い。風圧に堪えられない。

 空中に放り出されて落ちていく。

 地上は瓦礫まみれだ。

 このまま何もしなければ転落死確定だろう。


「Eröffnu(開く)ng!」


 またさらに上空へ。

 僕も姉さまも、シアや賢者たちのように空が飛べるわけではない。

 空に行けば重力に従って地面へと落ち続けるし、空中に居続けるためには転移魔法を何度も行使してさらに上空を目指し続けるしかない。

 空を翔ける根性勝負(チキンレース)だ。


「アハハハハハ。これなら放っておいても魔力切れで死んじゃうわね! Eröffnu(開通)ng!」


 姉さまもさらに上空へ。

 己の生死も危ういというのに、姉さまはこの状況を楽しんでいた。

 魔法大学で落下実験をしている最中には緊急脱出用の魔道具を背負っていたから落下の衝撃も和らげることが出来た。

 しかし、今そんなものは持っていない。

 衝撃緩和の手段は山ほどあるが、高度が高すぎて致命傷は避けられない。

 重力落下実験では転移魔法によって得られた位置エネルギーそのまま温存される事が分かっている。

 即ち、高い位置から落ちゆく運動エネルギーが働いた時点で、それはそのまま緩和されることなく、地上に転移した瞬間に叩きつけられて、それ相応の衝撃を食らう。

 姉さまもそんな事は理解できているだろう。

 しかし狂人のように思考もおかしくなっているようで、もはや恐怖心すら薄れているようだ。


「ねぇ、もうこのまま一緒に死にましょう、ユウ」


 突然提案される心中。

 そんなものは言語道断だ。

 だと言うのに、姉さまは突然に転移魔法をやめ、目を瞑って重力に身を委ねた。


「ふざけるな……! Eröffnu(開く)ng!」


 代わりに僕が転移孔を作り出し、姉さまを同じ高さまで持ち上げる(・・・・・)

 落下による強風が体を冷やす。頭を冷やす。

 この状況で僕が出来ることを考え抜く。

 そうして考え抜いた末にした行動なのに、また裏目に出てしまったようだ。


「優しいんだ。ふふ、本当に甘ちゃんなんだから。アハハ、アハハハハハハハハハ。ほら、私の勝ち」

「え――」


 邪悪に微笑む姉さまの顔。

 背中から正面に伸びた黒魔力の蔓は、僕の胴を穿って四ヶ所ほど串刺しにした。

 腹、鳩尾、下腹部、右腿。

 それらが腹から入って背中から突き出ている。


「ぐ……うぅ……」


 堪える。

 まだ死ねない。

 これさえ堪えて手繰り寄せれば――。

 黒い棘が僕の体を再び汚染していく。そんなものの対処は二の次だ。せっかく掴んだチャンスを棒に振らないように……。

 黒い棘を引っ張り、姉さまの体を宙で手繰り寄せる。

 姉さまはもう目的を達成したと言わんばかりに、抵抗もせず、そんな僕を眺めていた。


「どう? 苦しい? 私の苦しみが分かった? どれだけ私がこれまで苦しんできたか。心はそれくらい痛かったんだよ。お父様の期待に応えるのも辛かった。この国にシュヴァルツシルトの居場所なんてなかったから作るしかなかったの。宮廷教師になったのもそのためよ。一緒に暮らしていたお屋敷も私のおかげで手に入れたんだから。アハハ、お姉ちゃんがどれだけ苦しかったか身を以て知るといいわ。それが分かったら最後は二人で死にましょう。どうせ死ぬんだから、早くその剣を突き立てるといいわ。私の苦しみを思い知ったのならそれで満足。早く、早く私の苦しみを――」


 うるさい姉だ……。

 ただ、それだけ辛い思いをさせてきたのは紛れもない事実。

 『魔力剣』は、いずれ突き立てる。

 ――あぁ、当然突き立てて解放する。

 姉に憑りついた負の感情を振り払って浄化してあげるのが僕の役目だ。でもその前に、ここまで僕を恨み抜いて、憎しみをぶつけてきた姉に一言、言わなきゃいけない事があった。

 姉さまを手繰り寄せ、そしてそのまま――。


「え……」


 姉の体を抱き留めた。

 しっかりと、耳元でちゃんと聞こえるように。

 せめてこの魔女にも救いがあるように。


「今までごめん、姉さま……」


 それが僕の答えだ。

 腹からも背中からも血が噴き出る。

 空からそんな赤い軌跡を残して落ちていく。

 苦しいし、確かに痛い。

 これが姉さまの味わってきた苦しみだと言うのなら、まず謝りたかった。

 謝らなければならなかった。


「なっ……なんで今更、そんなこと……!」

「僕がちゃんと伝えてなかったから」


 僕だって姉さまが大変なことは知っていた。

 でも知っていながら、僕自身が重荷になりたくなくて目を背けてきた。

 それが間違いだったんだ。


「もう無理しなくていい。姉さまは姉さまのやりたいように生きればいい。それを貫けるのが正義の大魔術師だって、教えてくれたのは姉さまなんだから」

「……今更遅いよ、ユウ……なんで……なんでよ……」


 赤い軌跡に混和する透明の雫。

 それは姉さまの目から零れ落ちる後悔の軌跡だった。

 気づけば、姉さまから湧き出る黒い陰りは消えてゆく。まるで落下の風圧がそれらを掠め取るように。

 ――黒魔力(にくしみ)は消え去った。

 残された姉さまは顔を真っ赤に腫らして僕にしがみついてくる。姉さまは少女のようにわんわん泣き散らした。


 もう『魔力剣』なんて必要ない。

 強制的な浄化の力なんて借りなくても、ちゃんと向き合えばこうして心は浄化されるのだ。


「酷いよ……こんなになるまで私は……なんで、なんで……!」

「いいから……姉さまは何も悪くない……」


 地上までの距離はあと僅か。

 このまま待ち構えていれば、いずれは二人揃って転落死だ。


「ユ、ユウ、下……!」


 刻一刻と近づく鋼の大地。瓦礫ばかりの針山地獄だ。これだけの重力加速が付いた状態では、転移魔法や魔力による緩衝もほぼ無意味に終わる。

 ぶつかれば死ぬ……。


 ――もしこの窮地を脱せるというのなら。


 それが僕の目指した正義の大魔術師。

 僕は信念のために、家族が残した想いのために生き続けなければならない。

 アンファン・シュヴルツシルトは生きろと願い、未来を僕に託した。

 その想いがあれば、この窮地を脱せる。

 きっと出来るはずだ。

 "最後まで信じたものを貫くんだ"。



「――――Fliege(浮かべ)n!!」



 天に向けてそう叫んだ。

 空の彼方にいるかもしれない誰かの耳に届くように。刹那、体中がきらりと光り輝き、これまで感じることもなかった魔力属性が体の奥から湧き上がる。


 それは父親が残した研究だった。

 反重力魔法――人類が重力を克服するために考案した神秘の研究だ。

 次元の魔法を持ってしても、重力の魔法を持ってしても、「反作用」のエネルギーがない限りは成し得ない。

 頼みの綱は『虚数魔力』だ。

 しかし、僕にそんな魔力は宿っていないし、おそらく今後宿ることもないだろう。


「う、浮いてる……」


 ぶわりと浮かんだ二つの体。

 自然落下が止まり、僕と姉さまは緩やかに地上へと舞い降りる。

 横向きのまま、ふわりと地面に着地した。


「……」


 初めて反重力魔法が成功した。

 想いがあれば、こんな奇跡も起こせるんだ。


「ユウ……う……うあぁぁああん! う、うぐ……ごめんね……ごめんね……!」

「痛い痛い痛い」


 しがみつく姉さまを振り払う

 まったく年甲斐もなく泣き腫らして。


「それより治癒魔法(ヒーリング)でもかけてくれ」


 先に治癒魔法を要望する。

 元の姉さまに戻ったのならそれでいい。

 何より、謝らなければならないのは僕の方だ。


 姉さまの救出にも成功したし、二人揃って生き残ることもできた。あとは『白の魔導書』が無事であれば、一通り役目は終わりか。冷静にそんなことを考えながら、曇天を仰ぐ。

 少しだけ青空が垣間見えた気がした。

 護ってくれてありがとう、父さま……。



     ◇



 倒壊しかけている地下聖堂から遺物を掘り返し、それ(・・)を大聖堂へと運ぶ。運搬自体は苦でも何でもないものの、物が縮小しているだけに瓦礫の中から探し出すのに苦労した。

 どうせならパウラに手伝ってもらえば良かった。

 後から後悔しても遅いか。



 ―――かちり。


 頭に何か針が刺さったような刺激が襲う。

 最近は減っていたが、未だに起こるものなのか。


 半壊した大聖堂の隙間から空を見上げた。

 赤い軌跡が一瞬だけ確認でき、すぐさま塵のように消えてしまう。

 それだけ見て私には何が発生(・・)したのか理解できた。


「反重力魔法ね……」


 魔法は絶えず、進化し続けている。

 ある学説では魔力の粒子は偶然進化するわけではなく、新しい魔法を求める人々の想いが魔力を進化させる、と云う。

 その学説は概ね正しい。

 今もまた新たな魔力の系譜が紡がれた。


「シュヴァルツシルトの未来に幸あれ」


 私は過去に犯した罪の一端が救われたことが嬉しくなり、心の底からそう祈った。

 神の居なくなった混沌世界でもそんな救いはあるのだ。

 私がやろうとしている事にも、そして名も無き英雄のこれからにも救いがあればいいけれど――。



※次回は2016/8/7(日)に1話だけ更新します。

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【魔力の系譜~第1幕登場人物~】
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