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魔力の系譜 ~名も無き英雄~  作者: 胡麻かるび
第4幕 第5場 ―名も無き英雄―
220/322

Episode179 正義の魔法Ⅰ


 闘技場の観客席に飛び込むと、すぐさま魔女は影だけ残してまた消えた。

 視線で追っていては尻尾を掴めない。

 そう判断したユースティンは魔力の気配だけに意識を傾け、その痕跡を辿った。外套のフードを目深に被り、あえて視界を遮ることでその気配に集中する。

 席を埋め尽くす黒魔力(にくしみ)の中、一つだけ特徴的な魔力がある。


 ――それがまた消えた。

 直後には観客席エリアの上部、闘技場の末端に現れる。

 この断続的な魔力の気配は自身が操る次元属性と同じものだ。それを瞬発的に何度も操る――そんな卓越した技量を披露できるのは、魔術界において『次元の領域』に初めて踏み込んだシュヴァルツシルト家の人間しかいない。

 一般的な魔術師がこの高度な魔術を行使するには、魔法陣を媒介しなければ扱えないからだ。

 故に、あの魔女は姉以外の何者でもない……。


「Brandstift(燃えろ)er!」


 ユースティンは悔やむ間もなく、狙いを定めて上方へと魔術を放つ。

 火球が高速回転して観客席の一部に直撃した。しかし、直撃した火球は黒い群衆を散らしてぽっかりと穴が空けるだけだった。

 既にそこに魔女はいない。

 牽制にさえならなかった。

 舌打ちを打ち、もう一度、魔力の気配を探る。

 もはや目を瞑るくらい、意識を虚空に向けた。

 辿る……魔女はどこへ行ったのか、この無数の黒魔力の何処に身を隠したのか。



「――追いかけっこでもしたいの?」



 すぐ後ろからイルケミーネの声。

 ユースティンは驚いて、振り向き様にロストから拝借した『魔力剣』を振るう。そこは既に誰もいなかった。周囲には闘技場のステージに向けて野次を飛ばす黒い民衆のみ。

 背筋が凍りそうだ。

 今、魔力の気配を微塵にも感じなかった。

 だというのに、すぐ真後ろに魔女がいたのだ。


「ふふふ、今度はユウがお姉ちゃんを捕まえる?」


 声はまた別の場所から聴こえた。

 見上げると、イルケミーネは闘技場の最上階から外へ向かって飛び出していた。黒い魔力の蔦が壁を掴んでいる。それを支えにして場外へと飛び降りたようだ。


「いいわよ。少しはこっちの立場も味わってみたら――!」


 その異質な動きを見て、ユースティンは変わり果てた姉の姿を悲観した。

 ぎりぎりと歯軋りし、魔力剣を握る手に力が入る。


「姉さま……」


 そう呟き、転移魔法で姉が今飛び立った最上階まで移動しようと左手を翳す。そこで自身の足元に一般兵が気絶したままである事に気がついた。

 ランスロットだ。

 事前の話では、彼と二人で『白の魔導書』を奪還するためにイルケミーネを追うという作戦だった。しかしランスロットは『ケラウノス・サンピラー』による大規模転移の衝撃で気絶して今に至る。

 お荷物でしかなかった。


「く……」


 置いていく手もあるだろう。

 ユースティンにとって優先すべきは姉のことであり、行動不能になった兵士がいれば、そのまま見捨てるのが戦場というものだ。でも此処に置いていかれたランスロットは、おそらく周囲の黒魔力に汚染されて敵の手に堕ちることは目に見えていた。

 それは忌避すべき事だ。

 何よりも"見捨てる"という行為は、周囲の黒い群衆と同列になるような気がしてユースティンの矜持が許さなかった。


「――Eröffn(開く)ung!」


 ランスロットの寝そべる床に転移ポータルを作り出し、その穴に飛び込んで転移する。開通先のポイントを視界に定め、二度の転移で闘技場外へと飛び出した。



     …



 街中の低層は鬱蒼として霧が濃い。

 さらには悪天で昼間だというのに薄暗かった。

 ユースティンは魔力探知で姉の気配を探りつつ、追跡の準備をした。

 魔女の気配はとても強く、蛻の殻となった街では目立つ。

 イルケミーネは闘技場のある南区から宿場街などがある東区に向かって素早く移動しているようだ。

 断続的な気配でもないことから、イルケミーネの移動手段は転移魔法ではなく、きっと黒魔力によって具現化した彼女の闇の一面――食虫植物(サラセニア)のような影が補助しているのだろう。

 ユースティンは東区を目指すことにした。

 背後にある闘技場では野次の気勢が上がり、何かに反応して盛り上がっている。だが、ロストは無敵だ、失敗することはない。とユースティンも信じて放任している。

 今は自身の務めを果たすのだ。

 目を背け続けてきた唯一の肉親の事である。


 ……初めて追いかける(・・・・・)側になったかもしれない。

 これまでの生涯で、思い返せばユースティンはいつも姉に心配ばかりかけ、気にかけてもらっていた。そんな事を考えながら素早く地上に白墨(チョーク)で魔法陣を描きあげる。

 何故だか目頭が熱くなる。


「Vorladu(出でよ)ng!」


 叫び、転移魔法陣から喚び出したのは一頭の馬だった。

 ヒヒィンと嘶きの声が霧の中に消える。


 ユースティンは何事にも用意周到に準備して挑むタイプだ。それはシュヴァルツシルト家の気質であるが、何でも想定して準備を怠らないわりには、ここぞという時には重大な事を失念している事がある。

 今回はそれも無いと信じたい。

 馬は学園都市の厩舎で使えそうな一頭を見繕い、その飼育場の下に転移魔法陣を仕掛けておいたのだ。もし広大な王都内で移動手段が必要になったときの臨時用の足だ。

 それが早くも役に立つとはユースティンも思いもよらなかった。


「よしよし、僕の言うことを聞くんだ」


 あらかじめ大人しそうな馬を選んでおいたのが功を奏し、気絶したランスロットを先に積み上げるのにも苦労しなかった。その後からユースティンが跨る。

 しかし、彼が乗り上がった直後に馬は暴れ出し、振り下ろされそうになる。


「どうどう……大人しくしろっ」


 こんな時に――。

 悪態をついて、ユースティンは馬を宥めようと無理やり手綱を引っ張る。

 ユースティンとて貴族として馬術の心得はある。しかし、彼自身の焦りを敏感に感じ取っているのか、馬も一向に言うことを聞かない。その駻馬(かんば)の相手をしている最中、ランスロットがようやく意識を取り戻した。


「う……うああっ! なんだっ」

「やっと起きたか。こいつが暴れて思うように――」

「あれ……なんでトニーが此処に?」

「トニーだと?」


 ランスロットは振り落とそうとする馬の首を優しく撫でる。

 それで駻馬もすぐさま大人しくなった。


「これはお前の馬なのか」

「そうだけど、でも何で――」

「理由はあとだ! 騎手を代われ」


 ユースティンは転げ落ちる勢いで慌てて馬から降りると、ランスロットを鞍に座らせる。そして後ろに跨り、二人乗りになった。

 混乱するランスロットの背中を叩き、馬を進ませた。不思議と彼が操れば、人喰い馬にも合い口とはこの事か、まるで魔道具のように主人の意志通りに動く。

 ユースティンは行き先を指示した。

 魔力探知によってイルケミーネの所在が概ね分かる。


「なんで先輩は魔力だけで先生だって分かるんですか!?」

「姉弟なら分かるだろう!」


 当然のように言葉を突き返されたが、魔術師でもなく、兄弟もいないランスロットにはその感覚はよく分からない。


「そうか……僕には兄弟がいないので分からないです」

「……」


 珍しい。

 ルイス=エヴァンス家と言えど、北方貴族で名の知れた家柄だ。没落ゆえの萎縮とも取れるが、それでも少産となる貴族は少ない。シュヴァルツシルトも少産だが、それにはちゃんとした背景がある。

 しかも父親が死んだ今となっては国内にいる肉親は姉一人だ。

 ユースティンはあらためて姉の存在がかけがえのないものに感じた。



 濃霧で覆われても、蹄の音が街の奥底まで響く。

 静けさはまるで亡国のよう。

 だとすれば内乱の末の滅亡だが、まるで怨念が漂流し続けるかの如く霧が晴れることはない。二人が騎乗するトニーもその怖ろしさを敏感に感じ取ったのか、突然立ち止まって嘶いた。


「その奥に進むんだ」

「視界が悪くてトニーも怖がってるみたいですよ!」 


 要望を聞き遂げるとユースティンは周囲を見回して舌打ちを打った。

 確かに視界は悪い。

 一寸先は真っ白な世界(ホワイトアウト)だ。

 自分たちが何処にいるかさえも分からなくなりそうだ。


「仕方ないな。こっちだ」


 ユースティンが真後ろを指し示す。

 引き返すのかとランスロットも眉を顰めるが、言う通りに真逆の方向へと愛馬を走らせる。

 その直後――。


「Eröffn(開く)ung!」


 愛馬の行先の視界が広がる。

 馬の足取りに合わせて踏み込んだのは、立ち並ぶギルドハウスの屋根の上だった。

 平坦な屋根(ゲーブル)が続くその"道"に突然昇り上がった馬。騎手であるランスロットは地上から突如として高い位置へ移動した事に一瞬悲鳴をあげたものの、トニーは動じることなく、むしろ先ほどの視界不良の霧の中よりも清々しそうな様子を見せて鼻をぶるぶると鳴らした。


「僕が転移魔法で誘導する。恐れずに屋根を伝って走らせろ!」

「無茶苦茶ですね、先輩……」

「はやく!」


 霧は不自然にも低層にだけ漂い詰め、屋根の上は澄み渡っていた。曇天であることには変わりないが、幾分か乗馬には適しているだろう。ユースティンは東区方面に、聳え立つ黒い支柱を見定めた。それはイルケミーネの黒魔力そのものであることは、方角から考えても間違いない。

 深く息を吸って、ユースティンは気を引き締めた。



     ◆



「姉さま、正義の大魔術師ってどんな人?」


 幼い頃、姉に願いを託された。

 僕が理想とする姉の、さらに理想の存在だと言うのだから、それはとても偉大で凄まじい魔法の使い手であるのだろうと幼心に考えていた。

 目標を明確にするために、一年ぶりに宮廷から帰ってきた姉に気になっていた事を尋ねた。

 僕はどうしても"正義の大魔術師"になりたかった。

 きっと今の僕は頼りない。

 姉に面倒を見てもらわなければ、満足に魔法も扱えない未熟な存在だ。世間には天才だと持て囃されても、それよりも上の存在をこうして目の当たりにしているのだから、僕の目指すべきものはもっと高みにあるのだと気づいていた。

 僕のふとした疑問に、姉は短く答える。

 小さく、口にすることも躊躇う様子で囁いた声だった。


「自分の信念を貫ける人――かな」

「信念?」

「自分の思ってることとか、やりたいこととか……」

「それが正義なの?」

「責任が取れるなら、ね。ユウも信念を貫いて――お姉ちゃんみたいにならないでね」


 姉が視線を下げる。手元には四角い鞄。

 その鞄が何なのかを知るのはもっと後のことだったが、僕はこの言葉を聞いて"自分のやりたいことが出来る魔術師"が正義なんだと勘違いをした。

 その結果が迷宮都市のあの痴態。

 己を貫くか。父の期待に応えるか。そんな躊躇の中で結局、何の信念も貫けず、僕は大切な存在を喪ってしまったのだ。

 姉の云う"正義の大魔術師"とはもっと別の話だった。



     ◆



 黒い大木の枝に立つ姿を捉えた。

 紛れもなくイルケミーネの姿だった。ユースティンは騎手の意志も聞かずに転移魔法によって進行方向を無理やりその大木へと集約させた。

 ランスロットが(アーメット)のバイザーを下げて戦闘態勢になる。特に意味を成さないとユースティンも思ったが、彼なりの精神統一だろう。


「追いかけっこにしては遅すぎじゃないかしら?」


 屋根を駆ける馬を見ても、イルケミーネは動じることなく声をかけた。

 待っていたようだ。

 その余裕ある問いかけでユースティンも今一度考えた。

 この逃亡劇はこちらの戦力を削ぐための陽動か。それならば敵側の目的は闘技場にあり、何か大規模な魔術儀式でも行っているのかもしれない。

 ――否、それは意味がない。

 戦力であればロスト一人で十分だ。

 それにイルケミーネ単騎で誘い出したとすれば、囮のようにも感じる。二対一なら返り討ちに遭う可能性の方が高いからだ。目的が国取りと魔術儀式の大成ならば、こちらの追跡を誘引すること自体に意味はない。

 ユースティンは考えあぐねる。

 いずれにせよ、目的はイルケミーネ本人なのだ。

 役目は『魔力剣』による黒魔力からの解放。

 それに集中すればいい。


「色々考えてるみたいだけど、全部外れてるわ、きっと」

「なんだって?」


 屋根上のユースティンと巨大な食虫植物(サラセニア)の枝に立つイルケミーネが同じ高さで対峙する。


「だってこっちは目的が人によって違うんだもの。一致団結してクーデターを起こしたとでも?」

「……その魔力に指揮系統は働かないのか?」

「何の話? 私は私のやりたいようにやるだけよ――こんな風にね!」


 イルケミーネが手を翳す。

 それに合わせて蔓が素早く伸び、二人が足場にしている家が倒壊した。

 馬が暴れ、ランスロットが悲鳴をあげる。


「うああっ!?」

「――くっ、Eröffn(移れ)ung!」


 ユースティンはすぐに馬ごと自分たちを転移させた。

 地上へ降り立ち、馬を走らせる。瓦礫がぼろぼろと落ちてくる。直後には、黒い食虫植物の"根"が襲いかかる。魔女は馬ごと落して移動手段を奪おうとしているようだ。

 ユースティンはまた転移魔法を展開し、再び別の屋根上へと二人と一頭を転移させた。


「よ、酔いそう……」

「しっかりしろ! この規模の戦い、足を失ったらこちらの負けだ。ほら、走れ!」


 魔術師は騎手の激励と黒魔力の対処、馬の行き先の指定などで大忙しだった。

 だが、彼は慌てることなく冷静に対処していく。


「Elektriche Ku(電磁弾)geln Triplik(三連)at!」


 馬を走らせ、屋根伝いに駆け抜ける。

 黒い巨木の中心からは最愛の姉がこちらに狙いを定めて物理的な攻撃をしかけていた。

 それは黒魔力の蔓による攻撃が主だったが、その都度に立ち並ぶ家々やギルドハウスが破壊され、屋根という足場も失っていく。

 地上は瓦礫だらけで、馬の滑走路を確保するのもこのままでは危ういだろう。

 牽制のための電撃球の三発も無惨に黒魔力の蔓に呑み込まれる。

 相手にとって攻撃がそのまま防衛手段になり、退路を削ぐ破壊工作となり、ユースティンとランスロットは追い詰められていく。


「ユウは昔から無力だったもんね。可哀想……可哀想すぎて見るに堪えないわ」


 慈悲の言葉とは裏腹にイルケミーネは街を破壊し続けた。

 舞い上がる砂塵と轟音は彼女の膨れ上がった黒魔力の破壊力をそのまま表していた。一般市民ならたかが知れた蔓でも、かつて国の宮廷教師だった大魔術師の魔力が汚染されると、これほどまでに肥大化するようだ。

 ユースティンは次の転移先を見定め、逃げ惑いながらも姉に問いかけた。


「だったら姉さまの目的はなんだ!? こんな事がしたかったのか!」

「うーん、そうねぇ……」


 イルケミーネは恍けたように視線を逸らした。

 余裕綽々だ。戦況はユースティンとランスロットが不利だった。敵となったイルケミーネの魔力量が膨大すぎるが余り、彼女の汚染された魔力がこうして実体化した時、まるで居城を築く程の巨大なものとなる。

 ユースティンは再び地上に転移し、家を遮蔽物としながら姉の乗る巨木へと近づく――。


「一般――いや、ランスロット、チャンスは一度だ。姉さまの洞察力は怖ろしいから次はないと思え」

「は、はい……!」

「今から二度目の転移で行くぞ!」


 馬で崩壊する街中を駆けながら、彼らは作戦をもう一度確認した。

 イルケミーネ・シュヴァルツシルトの特異的な能力はその"眼"にある。

 鑑定魔法だ。

 魔力探知の最高峰を極めたとしても到達しえない看破の魔法だ。未来視までとはいかずとも、相手の力量を知ることで正鵠を射ることを容易にする。

 イルケミーネは家々に身を隠しながら移動する二人を見て、心底呆れそうになっていた。


「私から身を隠せると思ってるの? 馬鹿じゃない!?」


 頭上から蔓が伸び、地下からは根が這い出る。

 進路が絶たれてトニーの滑走路がなくなった。

 ユースティンは立ち乗りするかの如く、腰を上げて左手を翳した。馬の進行方向に大穴が開き、その先には屋根の上の風景が広がっている。


「Eröffn(開く)ung!」


 一度目。

 ユースティンは再び馬ごと転移して、まだ残された屋根上へと移動した。慣れたものでランスロットもトニーももう動じることはない。ただ眼前に広がる虚空の風景に覚悟を新たにして敵に挑む。


「チェックメイト――もう足場はないよっ」


 取り残された最後の足場(ギルドハウス)

 それさえも黒い巨木の"根"が地上から伸び上がり、無惨にも破壊された。視界がぐらつき、ユースティンもランスロットも、跨る馬とともに落下する。

 ユースティンは馬の鞍を蹴り、単身でその場から離れた。


「Eröffn(移れ)ung!」


 二度目。

 片目を瞑り、狙い定めるはイルケミーネの頭上。死角へと誘う転移孔(でぐち)。そこへ繋ぐ転移孔(いりぐち)はランスロットとその愛馬(トニー)の足元に展開する。

 ランスロットを彼女の頭上へと転移させて奇襲をかけようという狙いだ。


「馬鹿の一つ覚えみたいに。何処へ転移した所でもう――」


 イルケミーネはそんなものを奇襲とすら思わない。

 何処から現れようとも、彼らを黒魔力の蔓で串刺しにしてやろうとすら考えている。彼ら二人が考えた幼稚な作戦など、往年の間、宮廷教師として最前線で仕事をしていたイルケミーネにしてみれば鑑定魔法の力があろうがなかろうが、お見通しなものだった。

 ――しかし、彼女が能力は決して未来視ではない。

 マナグラムの素となった力量数値化の能力だ。相手の魔術自体を見通せても、工夫自体は見通す事は出来ないのだ。

 ユースティンはもう片方の目を開き、また別の目標(でぐち)を見据えた。


「――Duplik(もう一つ)at!」


 ユースティンの真下にも転移孔が展開される。

 転移魔法(ポータルサイト)の重ね掛け……。

 目標(でぐち)はイルケミーネの真正面。ユースティンは『魔力剣』を構えてその孔へと落下する。狙いはイルケミーネ本人。その退魔の剣を突き刺せば、それだけでこの戦いは終わるのだ。


「……!」


 魔女は初めて目を見開いて動揺を見せた。

 ――転移先が二ヶ所ある。

 これまで一騎と思って攻撃していた相手が突然、二手に分かれたのだ。それは些細な変化であり、優秀な魔術師であれば容易に対処できるレベルの陽動だ。その程度……そう嘲たものの、どの程度か見誤ったのはイルケミーネの方だった。

 イルケミーネは前線で戦う魔術師ではない。

 冒険者経験もなければ、対人戦で攻撃魔術を放った事もない。

 そんな机上の魔術師が、戦場で慣れが生み出す油断の恐ろしさを知るはずもなかったのだ。


「―――うおぁぁあ!」


 ランスロットがイルケミーネの頭上から『魔力剣』を振り翳す。馬に跨ったまま、鎧の兵士が飛び込んでくる様は相手の力量がどうあれ脅威に他ならない。

 彼の狙いは黒い巨木だ。

 その巨木の本質的な"根っこ"はイルケミーネの背中にある。

 魔力の発生源はイルケミーネであり、黒い巨木と彼女は背中一つで繋がっていた。それを断ちさえすれば、イルケミーネは実体化した魔力の大半を失うだろう。


「姉さま、今……!」


 解放してあげる、と彼女の正面から現れたのがユースティンだ。

 上空と正面――その二手を対処する事はイルケミーネにとって決して不可能ではない。しかし、度重なる相手の転移魔法の逃避行動によって遠距離攻撃が基本となっていて、標的も一つだった。

 それが突然、近接戦へと変わり、標的も二つに分かれる。

 卓越した騎士であれ、若干の動揺は誘えるだろう。

 ユースティンはそれを見越してこの一点に掛けて逃げ回っていた。

 あとはロストから託されたそれぞれの『魔力剣』を以て、イルケミーネを奪還するのみ。

 しかし――。


「Eröffn(消えて)ung」


 イルケミーネが小さく囁く。

 目の前にぐわりと拡がる巨大な転移孔。

 それがユースティンを呑み込み、彼は転移させられ(・・・・)た。

 次元の魔術はユースティンだけのものではない。姉の専売特許が鑑定魔法とはいえ、彼女自身も転移魔法は扱えるのだ。

 ユースティンは地上に吐き出されて体を強く打ち付ける。


「あぁあぁぁ……!」


 呻き声はユースティンのものではない。

 イルケミーネの声だ。

 彼は咄嗟に上空を見上げた。すると、こちらの奇襲は失敗に終わったものの、ランスロットの強襲は一部成功した様子で、黒い巨木に『魔力剣』が突き刺さっていた。ぼろぼろと崩壊を始めるのに合わせて、ランスロットと愛馬(トニー)は落下していた。


「Eröffn(開く)ung! Eiswan(防護壁)d……!」


 咄嗟に彼らを低空まで転移させ、魔力障壁を緩衝材(クッション)にして地上へ喚び戻した。馬が慌てて身を起こして蹈鞴を踏んだ。

 ランスロットは地面に倒れ伏している。


「いてて……」

「大丈夫か」

「う、うん……先生は!?」


 ランスロットも崩壊する黒い巨木を見て、目を丸くした。

 完全勝利ではない。実体化した黒魔力の大半を削ぎ落とすことには成功したが、敢え無くイルケミーネの奪還には失敗したようだ。

 ユースティンは体の痛みを堪えながら、「Rutsch(スライド)e」と詠唱して水魔法の力で移動した。

 周囲一帯は黒い巨木の猛攻により瓦礫の山とべちゃべちゃと降り注ぐ黒魔力の雨粒ばかりだ。それが身体に付着する度に、二人とも『魔力剣』で撫で払って無効化する。


「姉さま……?」


 支えを失ったイルケミーネはそのまま地上に落下したと思われる。

 ユースティンは姉の姿が見えずに不安になって探し回ったが、見当たらなかった。一体どこへ行ってしまったのかと思った、その刹那――。


「ぐぁっ!」


 細い蔓が首を絞める。

 突如として瓦礫の中から黒い蔓がユースティンに襲いかかった。その瓦礫の中から黒い陰りが沸き立って、ごろごろと音を立てたかと思うと魔女が姿を現した。


「はぁ……はぁ……」

「姉……さま……!」


 憤怒が可視化したかのように黒い湯気が立っていた。イルケミーネは傷だらけの体を起こして、よろよろと緩慢な動作でユースティンのもとへ歩み寄る。

 まるで憎悪の塊だ。


「よくも私の依り代を――」


 黒魔力の蔓がユースティンの首を強く締め付け、吊り上げた。首から黒い汚染が始まり、ユースティンの体にも徐々に黒が染まりゆく。


「私の目的が何かって聞いたわね、ユウ」


 肩で息をしながらイルケミーネが顔を上げた。

 その表情が歪んでいて、以前の優しかった姉とは似ても似つかないものになっていた。ユースティンは首を括られる苦痛と汚染による恐怖心で悶えながらその姿を見た。


「――殺すこと。そう、殺スことよ。生意気な弟を殺す事が目的よ。死ンデ、ユウ! 私の為に。死になさい! アハハ!」


 ユースティンは肉体的にも精神的にも苦しかった。意識も朦朧として、黒魔力の汚染で思考も掻き乱されて頭がおかしくなりそうだ。

 そこにいるのは本当に姉なのか。

 姉の表情は狂気に満ちている。

 まるで迷宮都市(アザリーグラード)の焼き増しだ。

 あの日、正義を貫けなかったように、今回もまた――。



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【魔力の系譜~第1幕登場人物~】
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