Episode178 兄弟
白い閃光。
それは白昼夢かと思えば稲光り。
ティマイオスが発明した大規模転移装置『ケラウノス・サンピラー』の発動の合図がまた起こる。
予定では転移してくる仲間は四人いた。
既に四人とも登場し、もう奇襲作戦は始まっている。
想定外の状況が続き、奇襲とは名ばかりの強行突破に変わったけれど……。
だから俺自身も驚いている。
追随して降り立つ存在はいないはずだった。
可能性として考えられるのはシアかアルバさんくらいだが、学園の防衛に徹しているシアが持ち場を捨てて現れるとは考えにくいし、アルバさんも突然に戦意を取り戻したとも思えない。
「――――ひょぁあ!」
突然現れたのは先ほどの懐郷に映った家族の一人だった。しばらく顔を見なかったその男は、最後に見たときよりもちゃんと身なりを整え、魔術師然としたローブ姿をしている。
なんで此処に来た……。
男は立ち上がって佇まいを直す。
今の情けない声は聞かなかった事にしよう。
「兄貴……」
闘技場の野次も一瞬ぴたりと止まった。
憎悪を合唱するだけの観衆も突然の来訪者に澱みが静まり、しかして再び堪えきれずに狂騒に笑い転げた。
ふふふ……うぅ……はは……うぅ……。
あっははっ……うっ……ひゃはっ……うぐ……。
およそ支離滅裂な嗤いに違和感を覚える。
喉奥から無理やり捻り出すような、苦しさに堪えて湧き出るような、そんな笑い声に聞こえてならない。
イザヤは周囲を見渡してその常軌を逸した光景を目の当たりにする。かつては自身もそうなったのだと、覚えているのだろうか。
ぼんやりとその背中を眺める。
大きな背中だった。
俺の方に少し振り返り、怪訝な視線を送ってきた。さも不愉快だと言わんばかりに。
「チッ、なんて顔してやがる」
イザヤは舌打ちとともにすぐまた顔を逸らす。
たったそれだけ――でも、それだけの仕草でこの存在が頼もしく見え、此処に来た理由も判然とした。
見せつける背中が主張している。
虐げられ続ける舞台の中、唯一、"俺"のことを助けに来てくれたのだ。その証拠に、陰険な観衆の視線から俺を守るように、壁となって凄然とそこに立っている。
「ふ、フフフ……クククク……」
「あぁ?」
「誰かと思えば出来損なイの次男坊か。よもやこんな所で再会すルとは思わなかったぞ」
視線の先にはエススとラトヴィーユ陛下が捕われている。
傍らに立って来客を嘲笑う元凶がいた。
黒い魔力の陰りを漂わせ、邪悪な視線でイザヤを捉えている。兄にとってもかつて血の繋がった肉親であり、父親の"中身"だった男だ。今は従兄弟の体を乗っ取っている。
イザヤはそれを見てただ一言、
「あぁ、なるほど」
そう呟いた。
膨大な黒魔力の渦から何を理解したのか。
要領の良い二番目の兄貴は何事も理解が早い。それを逐一語ることも質問することもない。大学の講師連中からはそんな評判を聞かされていた。
兄は魔法大学の首席だ。
優秀な魔術師になるだろうと絶大な信頼を置かれている。
「兄貴、アレは俺が――」
俺が生み出した悪の化身なのだ。
エンペド自体は邪悪な存在だが、イザヤにとって唯一の父親だ。それを最初に葬ったのはこの俺である。
しかし、イザヤは手をひらひら振って言葉を遮った。
そうやって俺の慙愧を軽くあしらう。
「まず自分を守れよ、馬鹿」
「え……」
「お前は何も悪くないだろうが」
兄は吐き捨てるように俺を庇った。
振り向く事はない。
闘技場の観客席から浴びせられる罵倒の数々を跳ね返すように、前を見てそう呟いた。
頼もしい背中だが、まさか戦うつもりなのか――。
イザヤがどこまで事情を察したのかは分からない。でもこれまで平穏に魔法学生として生きてきた彼が渡り合える相手ではないと俺も気づいていたし、それは敵陣も同じだろう。
ラインガルド含め、ペレディルも俺とイザヤのやりとりを嘲笑うように眺めている。
「弟にすら劣る出来損ない風情が、父に挑ムか」
「……本当に親父だったんだな」
一瞬の戸惑いも振り払い、兄貴は続けて不満を垂らす。
「出来損ないってなぁ、一応これでも主席をやらせてもらってるんだが」
「我が末裔も零落れたものよ。ソんな狭い世間で粋がるな」
「……末裔? まぁいいや。ここはオルドリッジの屋敷じゃないんだ。好きにやらせてもらう」
イザヤは杖を握って静かに目を閉じた。
これまで戦闘を繰り広げた所など、黒魔力に支配されたあの誘拐事件の時にしか見たことがない。戦力外と思っていた兄が前線に立つことに不安しか感じなかった。
「ああ、それと」
イザヤは俺を尻目に一言呟く。
その瞳は凛々しいものだが、強い視線にこの場の誰より温かみを感じた。
「魔法大学でのこと、ありがとな……」
感謝の言葉は例の評判回復の件だとすぐに気づいた。兄が此処に駆けつけてくれた理由がはっきりする。
……いや、礼を言うのはこっちの方だ。
何より勇気が湧いた。全てを清算する勇気が。
今一度、手に取った紙切れに一瞥くれた。
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ジャックへ
地下聖堂で待つ
一緒に過去を清算しましょう
女神より
==============
これは精神論でも抽象論でもない。
事実、過去を清算する力の存在を思い出した。
皆を救う方法がまだ一つある。
これだけ大勢の人間を、これだけ大規模に巻き込んだ事柄さえも消し去る力。
ふふふ……うぅ……はは……うぅ……。
あっははっ……うっ……ひゃはっ……うぐ……。
狂騒の中、微かに混在する悲鳴。
よく見ると彼らもまた泣いていた。
狂喜で笑い転げながらも合間に嗚咽を漏らし、そして瞳からは帯を垂らすように黒魔力の涙を流していた。全体を見れば埋もれてしまう程度の阿鼻叫喚だったが、確実に個々の人間も苦しんでいる。
心の内では王都の人たちも、こんなこと望んでいない。
それなら躊躇する必要はない。
兄貴が檄を飛ばしてくれたおかげで俺も心を取り直せた。
あとは……やるべき事をやるだけか。
――英雄譚には幕締めが必要です。
微笑むシアを思い出し、その言葉が胸を刺す。
肌身離さず彼女の写し絵も持ち歩いてる。
すべてを清算したとしても、これさえ残っていればきっと大丈夫だろう。
□
駆けつけたとき、弟はやはり酷い顔をしていた。
その目は昔と変わらない。
優しさに満ち満ちた純粋なもの。
しかし、その優しさに付け込まれて悄然とする不憫なもの。
何故だか涙がこみ上げてきた。
俺はずっと気に病んでいた。弟にしてきた過去の仕打ちは酷いものばかりで、それでも復讐もせずに俺を気遣い続ける弟の存在が怖かった。裏で何を考えているか計り知れなかったからだ。
でも違う……。
弟は、昔も今も優しく在り続け、そうあろうと努力していただけ。その揺るぎない姿勢が眩しくて、自身の醜さを浮き彫りにされるようで目を逸らしていた。そんな弟の事だから、何処で厄介事に巻き込まれ、何処で俺みたいな狡賢い奴らに目の敵にされるか分かったものではない。
それを理解している俺自身が、守ってやらなきゃいけないんだ。
兄として――そう、兄である俺の役目なのだ。
爆風とともに何かが駆け出した。
その発生源は、今の今まで会話を繰り広げていた父親を名乗る怪しい男ではない。その少し離れたところでギザギザした青白い刀剣を握る髭の男だ。
切っ先を下げたままに迫ってくる。
目測、在り得ない速度だった。
男の肉体強化は黒魔力に因るもの。以前、俺もそれに襲われ、堕ちた経験があるから理解できる。
……理解ができても対応できるわけではない。
強襲への対策は魔力障壁を造り出して身を守る程度。それもバチンと弾け、剣戟の前に成す術なく吹き飛ばされた。
「兄貴!」
石材が敷き詰められた闘技場に転がり、体を激しく打ち付けた。
なかなかに痛い……。
かろうじて起き上がり、口元から垂れる血を拭う。
魔術師の戦闘スタイルは基本的に援護射撃か遠方からの殲滅攻撃。それを可能とするためには前衛の戦士の引き付けが必要で、その隙の魔術詠唱によって主砲の役割を担う。あるいは、小技で足止めする前衛の魔術師と高火力の魔法を放つ後衛の魔術師の二手に分かれるというのも手である。
でも今はそんなもの、当てにしない。
「俺が今そこに――」
「いいから! お前は……お前の役目を果たせ!」
王族二人へ視線を送り、弟に合図した。
俺がお前を守るから、お前はそれよりもっと大事なものを守れ。ここでは彼らが逃げる合間の足止めができれば満足だ。
「ハハ、そんな様子では数刻と持たぬぞ、小僧」
「……」
対峙する騎士からは……不思議と凄みを感じない。
何故だろう。これまで戦場で生の戦士と戦ったことのない俺ですら、そこで得意げに特殊な剣を翳す髭の男を怖いと思わなかった。まるで同列の存在と向かい合う程度の心境だ。
――同列の存在。
髭の男の身なりや仕草、高慢な態度はまるで貴族のそれだ。
あぁ、そうか……。
こいつも俺と同じで体裁ばかり気にする貴族の出なんだ。相手の態度から確信に変わる。東方では見たこともないから、西方や北方の貴族だろうか。貴族連中は、俺の知る限りでは矜持を守る事しか考えず、より大きい存在に媚び諂う。
そんな生き方をしてきた。俺自身も、きっとこの男も。
理解できるからこそ赦せない。
まるで自分自身の醜い部分を見せつけられるような気分だ。
「どうした、見栄を張るわりに踏み出せないか。ならばまた、こちらから行くぞ……!」
男が踏み込み、凄まじい速度で駆ける。
目で追うのがやっとだ。
魔力による防護壁を創り出そうとして、先ほどの痛みを思い出す。また、あの痛みが。また、臓物を抉られる痛みと肺臓が潰れる苦しみに耐えなければならないのか。
それは怖い。痛いのは嫌だ。
――違う、そうやって痛がっていては何も変わらない。
俺は弟のために何が出来た?
あいつの方が長い間、想像を絶するくらい痛くて怖い思いをしてきたに違いない。
「くっ……!」
紡ぎ出す魔力障壁。
壁状に展開して数枚を重ね掛けして防護する。
それも敢え無く砕かれて、破壊された風圧で盛大に吹き飛ばされた。闘技場の端に背中を強く打ち付け、血反吐がこみ上げる。
『我が息子ながらに頗る無様よ。お前ごときに何ができル? クックック』
「はぁ……はぁ……」
壁から染み出した黒魔力が囁いた。
確かに俺が出張ったところで何も出来ないかもしれない。
そんな自分が情けなくなる。
「あぁ……所詮、何も出来ないかもな。でも――」
でも弟が教えてくれた。
あいつは無力でも、雪嵩から杖を探してきてくれた。そんな姿に俺も救われた。あんな殺伐とした家庭環境でも、あいつだけは俺に味方して助けようとしてくれた。魔法大学で悪評が広まった時もそうだ。
――大事なのはその姿勢。
周りすべてが敵に回っても、俺だけはお前の味方だという姿勢。例えそれが無力で打ち砕かれるだけのものに終わっても、怯える弟を安心させることは出来る。
「兄が弟を守ろうとして何が悪い」
自分を奮い立たせて立ち上がる。
戦える。魔術の真髄を、この敵対する髭の男は知らない。大学では防衛戦術も学んできたのだ。今一度、思い返せ。魔術師がどうやって白兵戦で戦うのか。
戦術を練っている最中、弟の存在が視界に入った。
「まだそこに居たのかっ! さっさと行け!」
俺が吠えると弟は少しだけ萎縮した。その仕草も酷く昔のままだ。でもすぐに決心したようで、俺と眼が合うや否や、強い視線を返してその場からふっと姿を消した。
本当に造作もなく一瞬で。
あれは以前にも一度だけ見たことがある。
研究室の中で忽然と姿を消しては別の場所から現れるロスト・オルドリッジの能力を垣間見たことがある。
あれが時を支配する『時間魔法』。
でもそんな魔法なんかよりも――。
――刹那、赤黒い世界に迷い込む。
世界すべてが死んでしまったかのような風景。
静止した世界だ、と瞬時に理解した
「兄貴、ありがとう」
肩に置かれた手は力強いものだった。
わざわざ挨拶なんかいらないってのに。
あいつは見た目の魔法なんかよりも、心の方が人一倍成長している。生意気に強くなりやがって……。
俺も強くならないと。
直後、ばきりと乾いた音が闘技場に鳴り響く。
王様とお姫様を捉えていた鎖が割れた音だった。二人ともロストと共にその場から姿を消した。ちゃんと逃げてくれたようだ。
「くそっ! あいつらが逃げたぞ!」
取り乱す髭の男。
今更だ。むしろ遅いくらいだ。
時間を止めれば逃げ出すことはいつでも出来たのだ。それをせずに真っ当な勝負に臨んでいたのなら、それはロスト・オルドリッジという騎士の優しさでしかない。正常な思考能力を欠いた髭の男には解らないようだ。
「ペレディル、落ち着け。ボリスの能力ですぐに見つかる。もう奴に逃げ場なんてないんだからなァ……クックック」
しかも奴らは揃いも揃って勘違いしてる。
あいつは逃げたわけじゃない。この現状を打破しに、新たな策に出たのだと俺は気づいた。静止した時間の中、最後のやりとりで悟った事だ。
……だから俺の役目もまだ終わってない。
「待てよ」
闘技場から立ち去ろうとする奴らを呼び止める。
俺など眼中になかったかの如く、呆けた顔して二人は振り向いた。もうこの場に味方は一人もいなかった。
「まだ、俺との勝負がついてないだろ」
俺の挑発に眉を顰める元凶の二人。
心底くだらないと言いたげだ。でもそれでいい。そうやって少しでも奴らが意識を傾け、ロストたちの時間を稼げれば本望だ。
――あいつは俺に「ありがとう」と言った。
およそ初めて感謝されたかもしれない。
これだけの事で……これだけの事で感謝された。
ならば最後まで踏ん張るのが兄としての務めだろう。
迷惑ばかりかけてきたんだから。
「詠唱の時間なぞ与えんぞ、魔術師」
「いらねえよ」
髭の男は冷徹な眼差しを向ける。
屈する気なんて更々ない。
こんな風袋ばかり飾る奴に負ける気がしない。
「Starkung Start――」
「……!」
学んだばかりの東流魔術だが、こんな形で役に立つとは。
俺が兄貴のように学術肌のペーパー魔術師と勘違いされては困る。魔法至上主義の時代、本場の魔術が如何なるものかをこの男はきっと知らない。
魔術の総本山でトップに登り詰めた実力を見せてやろう。
脚部に魔法陣の模様を纏う。
それが強く輝き、呻りをあげた――。
※次話は場面が変わり、また別の姉弟の話になります。




