Episode176 ガラクタ
結局の所、奴が黒幕なら最初から俺の問題だ。
その動揺を悟らないようにするのが精一杯で敵の思惑までは見抜く余裕がなかった。
噎せ返るほどの醜悪な熱気。
吐き散らす罵詈雑言は俺の心を抉る。
黒魔力に汚染された市民の声が耳朶を叩くたび、心の泥濘をかき乱されるようで息苦しい。ひやりと凍り付いた血が徐々に熱く滾る。
ここは本当に闘技場か?
まるで処刑台に立たされた罪人のようだ。
仮にこの惨劇が仕組まれたものだとしても、俺自身の失態を浮き彫りにしているようで直視できない。
「エンペド、なのか……」
石段の上から見下ろすラインガルドは姿かたちもそのままに、歪んだ表情を向けてきた。
その邪まな顔つきがすべての答えだ。
「生体憑依とはいかぬがな。――なに、同じ血筋だ。中々に馴染んだぞ、この体も」
やけに鮮明にあの戦いを思い出す。
違いといえば、奴の全身から黒い魔力が沸き立っている事くらいか。
目的は俺の肉体だったはず。
生体憑依には同じ形質の肉体が必要で、一番上の兄貴も、二番目の兄貴も期待外れだった。三番目の俺にのみ、唯一宿った才能――それが虚数魔力であり、エンペドが時間魔法の実現のために欲したもの。
ラインガルドと親戚であった事の衝撃はさておき、この男の当初の目的を考えればこの状況も頷ける。
「まだ懲りずに過去に拘ってるのか?」
「……」
「今更千年前に戻って何になる。お前の邪神も改心したぞ」
ラインガルドは答えない。
暗黙は肯定か? ――否、決めつけるにはまだ早計だ。
考えろ。状況から推察して奴の狙いを的確に把握しろ。
でなればまた罠にかかる。
そんな予感がしていた。
「俺を誘き寄せたいだけならなぜ王都を巻き込んだ? もっと手っ取り早い方法があったはずだ」
会話の合間、少しだけラトヴィーユ陛下に目配せする。
俺個人の問題に王家を巻き込んでしまった事やその不甲斐なさで頭がいっぱいだ。陛下は首を振って何か合図している。
ペレディルがそれに気づき、陛下の首に括られた鎖を引いた。
じゃらりと音がして、陛下が悲痛の顔を浮かべる。
「お父さん!」
「ロスト……構わずエススと共に逃げるのだ!」
"逃げろ"。
雷の賢者も俺にそう助言した。
何故か。――理由は単純明快だった。
それはこの謗りの嵐が証明している。
観客席から、身勝手な英雄は消えてしまえ。平和を脅かす戦犯が。そんな声が耳に届いた。その荒々しい声を聞くたびに背筋が凍りつく。
あまりにもこの状況が求めた理想と乖離しすぎていて……。
今の俺は反逆者だった。
多勢に反駁する異端。
俺はこんなにも憎まれていたのか。
兄貴に憎まれ口を叩かれたときにも似たような感情が湧いた。それは幼少期のトラウマが関わっている。俺はただ純粋に、人に憎まれることが怖ろしいんだ。
「ク、クククククク」
ラインガルドはこの動揺に気づいたか、不敵な笑みを浮かべた。
違う……俺は憎まれてなんかいない。すべては黒魔力に汚染されたことが原因だ。彼らは操られているだけなんだ。
そう暗示して自我を保つ。
「そうとも、イザイア――僕は、貴様のためだけに王家を巻き込んだ」
「なに……」
「王家を殺害したのも、王都を支配したのも、貴様に対する復讐のためだ。貴様がいたから王家は滅びる。貴様がいたから市民も変わり果てる」
眼光が刺さる。
奴の言葉が俺を煽る。
そんな……そんな身勝手な怨みで、この男は何をした。
隣には目に涙を浮かべるエススがいる。
ラトヴィーユ陛下も惨めな格好だ。
王族のほとんどが死んだ。
「だから貴様が戦犯だ。――"戦いを求めるその欲望こそが悪"なのだ」
昔、平和を求める或る戦いがあった。
子どもの未来のために戦士は消えるべきだと主張し、理想のために朽ち果てた魔女がいた。今の言葉はその一団の教えを最初に教えてくれた少女のものだ。
お前如きが――。
怒りに心頭する。
この男にだけはその思想を騙られたくない。
大事な思い出を穢された気分だ。
私怨で自ら荒らしたくせに、その罪は怨んだ相手にあると云うのか。
その身勝手な論理に、つくづく嫌悪感が湧く。
「散々殺して、色んな人間を踏み台にしてきたお前に……!!」
「ならば斃すか。僕という闇を振り払――――」
――固まれ。
ラインガルドの動きを止める。
時間魔法に出来ないことなんてない。
今度こそ消し去る!
もうどんな言葉にも耳を傾ける気はなかった。
ラインガルドの周辺のみ、赤黒い魔力の被膜で覆われる。
動かなくなった奴をペレディルもラトヴィーユ陛下も驚愕の目で眺めていた。俺はその男に二歩の踏み込みで肉迫した。
魔力剣を振り被って下段の構え。
そこから繰り広げるのは師匠に仕込まれた奥義だ。
秘剣ソニックアイ。十の斬撃で細切れにし、こいつを一瞬で消滅させてやる。以前、屋敷でエンペドを葬った時にはまだ切れ味が足りなかった。鈍刀程度の切れ味だったが、『魔力剣』は対魔力に特化した得物である。
黒魔力の濡れ鼠となったこの男には強烈だろう。
連撃を繰り広げ、そのまま脇を抜けて石段を駆け抜けた。
斬り捨てた肉感さえも感じない。
まるで真空でも斬り裂いたかのよう。
走り抜け、後ろから爆風の音が上がる。
動きを止めて振り返ると、ラインガルドは黒い粉塵を撒き散らしてその場から消滅した。時間を止めてやる必要もなかっただろうか。今の速攻なら動きを制限しなくても殺せたかもしれない。
観衆も唖然として静まり返る。
やけに呆気ない……。
「ラインガルド様」
ペレディルがその名を呼ぶも、応える存在はもういない。――だというのにペレディル・パインロックは眉一つ動かさずに平然とその主の名に問いかけた。
だらしなく伸ばした横分けの髪や髭。
その飄々とした印象は不気味さを際立たせる。
「では国王を殺して、戴冠――という事でよろしいですか」
既に存在しないはずの者への問いかけが続く。
一体どういう事だ。ペレディルは壮絶な光景を目の当たりにして正気を失ったか。どちらにしろ、陛下に手を触れさせはしない。ペレディルの事も捕縛してラトヴィーユ陛下を助けよう。
安堵の中でそう判断した時。
"よいぞ、舞台も後半戦に移ろう"
何処からともなく声が響き渡る。
それは幻聴のように頭の中を駆け廻った。
聴こえたのは当然俺だけではない様子で、エススも驚いて目を見開いた。
その後、文字通り、歓声が響いた。
闘技場の観客席から舞台を眺める黒い市民たちが声を上げる。
「なんで……どこに消えた!?」
戸惑っていると、闘技場の入り口の方面に三人ほどの人影。
それは見慣れた魔術師と同僚だった。
可憐な銀髪に濃紺の瞳。イルケミーネ先生だ。
その後ろに二人、黒帯のボリスとガレシアの二人が気怠そうに近づいてくる。
「イルケミーネ先生……」
「せっかく不老不死について教えてあげたのに――きみはやっぱりまだまだ甘いね」
まるで憐れむような苦笑いを向けられる。
"歴代の賢者たちの在り方も不老不死に当たると思う"
"歴代の賢者、ですか?"
"彼らは肉体の柵を超越して魔力そのものへと昇華した。つまり魔力と一体化して生き続ける道を選んだ、というのかな……?"
そう教えてくれたのはイルケミーネ先生だ。
その彼女に憐憫の目を向けられて絶句する。黒い魔力を滾らせた先生は感情のない父親の面影を漂わせる。笑顔を浮かべているはずなのに、視線は戦慄するほど怖ろしい。
そうか……。
ラインガルド――否、エンペドは不老不死になっていた。
魔力と一体化して生き続ける道を選んだ。だからあの魔力はエンペドが残した怨嗟でも何でもない。エンペドそのものだ。その一部を『反魔力』の力で打ち消した所で、完全に抹消する事は出来ないのか。
闘技場で浴びせられる罵詈雑言の数々も奴の一部なのだ。
"見たか、この男の傍若無人ぶりを!"
頭に扇動の声が響き渡る。
その言葉は黒魔力に汚染された王都の市民全員に行き渡っていた。
"これが英雄の正体だ。己が力を誇示するだけの脅威!"
エンペドの煽りに反応して雄叫びが上がる。
闘技場は俺とエスス以外、誰も味方などいなかった。
人に認めてもらえない。
それは恐怖でしかない。
「グガガ……グクク……」
ペレディルの足元の影から黒い何かが形を成して浮かび上がる。それが徐々にラインガルドの形を成して奴はその場に復活した。
「こんナ脅威は悪の象徴だ。見過ごセない。招き入れた王には責任を取らセて斬首刑に処す。ふフ、ふふはハハ。ハハハハハハ!」
「駄目だ、そんなこと!」
俺は再び石段を駆け、エンペドに魔力剣を振るった。
切り裂けば奴は直ぐに消滅する。しかしその都度、何処かの影から黒魔力が浮き出て、エンペドは復活した。無限に湧き出る黒い男を、消し切ることなど出来なかった。さらにこの圧倒的な暴力の光景を目の当たりにした観衆は、罵倒の声を強めて俺を糾弾する。
この場において俺は絶対的に"悪"だった。
「ほら、跪け!」
鎖を牽き、ペレディルがラトヴィーユ陛下を突き倒す。
俯せに倒れて陛下の頸が晒される。
「やめて!」
エススが叫んだ。
振り翳す刃は国王への斬刑の斧鉞。
今まさにペレディルが振り下ろそうとしている。
――固まれ!
時間魔法でペレディルを止める。
すぐさま駆け抜けて陛下を救おうと石段を滑り込んだ。
そこに立ち塞がったのはボリス・クライスウィフト。目の前に現れた痩身の男に対処するため、咄嗟に『魔力剣』を創り出して応戦する。
カァンと乾いた音を立て、魔力剣と短刀が衝突した。
「退けよ!」
「お前こそもう諦めたらどうだ? これが今の王都だ」
ギリギリと鬩ぎ合う時間さえも勿体ない。
足払いしてボリスを転ばせ、追随する回し蹴りでその身体を突き飛ばす。
そしてまた駆け出した。
「イヤ! 助けて!」
「王家のガキは本当にうるさい子ばかりねぇ」
しかしピタリと動きが止まる。
気づけば野放しになっていたエススが赤い魔族に掴まっている。ガレシアもいたか。彼女らはラトヴィーユ陛下とは対極の位置にいた。
「でも良かったじゃない。貴方はこれから一生見世物になるの。痴態晒しの王家の末裔として」
ガレシアに掴まって泣き叫ぶエスス。ペレディルに刃を振り翳され、断頭にかけられるラトヴィーユ陛下。そして俺の動きを止めに応戦するボリス。それに加えて今まで観衆として騒ぎ立てていた市民の連中も身を乗り出して闘技場の石段へとぞろぞろ押し寄せてきていた。
捌き切れない。
もう時間を止めるしかない。
――止まれ!
そう念じて訪れる静止した世界。
久しぶりの光景だ。
赤黒い魔力が空間すべてを覆い尽くし、切り取られた時間の中で孤独になる。先ほどまでの喧騒が嘘のように静かだった。
この魔法は持続時間が短い。
急いで俺はエススをガレシアから引き剥がして助け出した。俺に触れた一瞬だけ、ガレシアもこの時間を共有していたが、すぐに蹴り飛ばす。
エススを抱きしめて距離を取った。
「ロスト……!」
「ごめん、エスス……今回ばかりは……俺の負けだ」
失意の中でも謝罪だけは入れておく。
俺は思い上がっていた。力も魔法もあるからと、どんなピンチも切り抜けられると高を括っていた。でも敵の陣地に踏み込んでみればこのザマだ。
戦いはどうとでも対処できるが、向けられた悪意を振り切るには読みが甘かった。
「ううん。まだ負けって決まったわけじゃないよ」
そう言ってエススが懐から取り出したのは親指サイズの小さな笛だった。此処に乗り込む前にティマイオスから託された魔道具だ。それは待機する皆へ合図を送るための魔笛である。
頼もしいお姫様だ。
彼女の言う通り、まだ作戦は始まったばかり。
二人で此処に乗り込んだのは第一の目的を果たすためだ。
「早くお父さんを助けて皆を――――え」
エススが固まって俺の背後を見ていた。
その視線の先に俺も目を向ける。
そこには本来、動けるはずのない男が刃を振り下ろして卑しい笑みを浮かべていた。
ペレディルがラトヴィーユ陛下に背中から剣を突き刺していた。静止して動かない陛下は、まだ自身が刺されている事にすら気づいていない。
「……間抜けガ。足元を見てミろ」
背後からは悪魔の囁き。
背筋が凍りつく。
足元を見やると、そこには黒魔力の蔓がひっそりと巻きついていた。
蔓は俺の足とペレディルを繋いでいた。
足元の黒魔力自体が大仰に声を発している……。
「聞いていルぞ、貴様に触レてさえいれバ、『時の支配』も頒つのダと」
「きゃぁああああ!!」
エススの悲鳴が木霊する。
「う……おお……」
虚脱した拍子に時間魔法が解除されてしまった。
時が動き出し、ラトヴィーユ陛下も腹から突き出た凶器を目の当たりにして呻いていた。背中には鋭利な剣が突き刺され、腹にかけて穿たれている……。
惨い光景が、酷く目に焼き付いた。
○
白雲が一面に広がる世界。
その広大な神秘には賢者の力の凄まじさを思い知らされる。
強風が吹き付け、地上よりも圧倒的に寒い。
後衛組の四人は『ティマイオス雲海』に来ていた。
この天上界の創造主ティマイオスと雲海経験二度目のユースティンはしれっとした顔で『ケラウノス・サンピラー』の設置された部屋に入る。
まだ魔術の世界に馴染みのあるモイラさえも驚きできょろきょろと辺りを見回していた。
ランスロットに関しては言うまでもない。
「合図が遅いな。ロストたちはとっくに王都に着いている頃だろう」
ユースティンはケラウノス・サンピラー直下の大穴から下界を眺めて一言呟いた。
視界に広がる俯瞰風景には王都全域が映されている。後衛組はこの装置から王都へ瞬時に移動して強襲をかける予定だ。
そのためにティマイオスはエススに魔笛を渡した。
ランディングポイントを地上から指定して『ケラウノス・サンピラー』の精度を高める魔道具だ。以前、楽園シアンズの攻防戦でもジョバンバッティスタの召喚用に使われていた物である。
これは合図に使うことも出来る。
事前に示し合わせた信号では、長い一回で「笛の鳴る地点へ」。短い一回で「王城へ」。長い二回で「笛の鳴る地点と王城へ散開」。短い二回で「待機」という合図で合意していた。
「ユウたん、焦る気持ちはわかるけど……」
「……」
ユースティンは魔剣を握る手に力が入る。
姉の顔を思い浮かべ、今一度決意を新たにした。これはあくまで汚染された王都を奪還するための戦いだが、彼にとっては別の意味で救出戦なのだ。
「……きゃぁ……あ……」
今か今かと魔笛の合図を待ち侘びていた四人だが、ほんの微かな悲鳴が届いた。本当に小さな、この上空に届いたことが奇跡と云える小さな悲鳴だが、それが王女殿下のものであると誰しもが気づいた。
「エスス様の声だ!」
「もしかしてだけど、もの凄くピンチな状況なのかしらねぇ」
「僕が先行する! ティマイオス、装置を起動しろ!」
そう言うや否や、『ケラウノス・サンピラー』の起動も確認せずにユースティンは大穴に飛び降りた。普段人類が到達することもない天界から地上に向けたダイブだ。モイラがその光景を目の当たりにして短く悲鳴を上げて呼び止めるが、ユースティンは聞く耳を持たず慣れたように飛び降りた。
さらに驚きだった事は臆病なきらいがあるランスロットですら、それに追従する形で飛び降りた事だ。
そういうものだと勘違いしたらしい。
「ランスロットくん! 装置起動前に飛び降りちゃダメだっての!」
「え……ええ、えぇええあああぁぁあああ!!」
発明した賢者が忠告を挟むも、時すでに遅し。
身を投げ出したランスロットは鎧の重みとともに地上へと自由落下していった。
「仕方ないわね、うちの学生は。モイラたんも準備して!」
「は、はい……!」
ティマイオスは電撃魔法を部屋上部に取り付けられた発射台に通して、雷光を轟かせた。大魔術発動前に見せるようなエネルギーの凝集反応が起こる。
モイラはそれを確認して巨大な発明の凄まじさを思い知る。
王宮騎士団黒帯と云えども、天空から飛び降りるという行為は常軌を逸していて躊躇した。
「よし、今よ!」
「え、ま、まだ心の準備が……!」
「装置は待ってくれませーん! ピカっと光れば一瞬だからっ」
ティマイオスはモイラの体を突き落してそのまま自分諸共、飛び降りた。
「ひゃぁああ!」
モイラも少女のような高い悲鳴を上げる。
元々白い顔面が余計に蒼白になって落ちていった。途中でティマイオスに掴まれて雷光に乗り、瞬時に地上へと転移したが、舞い降りた瞬間に盛大に尻餅をついた事はモイラにとって昨今の中でも指折りの恥辱となった。
○
絶望だ。
一番の護衛対象に致命傷が与えられた。
しかも俺の不注意によって……。
ここ一番の局面でどれだけ惚けた事をやっているんだ。
「よくもお父さんを……許さない……!」
エススは勇敢にも量産型の魔剣を構えてペレディルに向かう。
最低限、聖心流の剣技を学んだ事があると聞いたが、その腕前は基礎レベルだった。白帯とはいえ王宮騎士団に入団した男に挑むには、些か無謀だった。
すぐに剣戟は受け止められ、エススが得物ごと押し返される。
悲鳴をあげてエススは倒れた。
……俺はそれを眺めても少しも動くことができなかった。
何故だろう。
立て続けに起こるこの怠慢は原因不明だった。
なんで俺は思うように戦えない?
兄貴のときもそうだった。
戦意を喪失したわけでもないのに、身体が思うように動かない。
「どうシタ、イザイア」
背後には悪魔の囁き。
黒魔力の影が俺の後ろに纏わりつく。
「ククッ、思うよウに戦えないのだろう?」
「なん……で……」
「単純なことよ。貴様は今、戦いたくないのダ」
そんな事があるはずない。
エンペドを心底憎いと思っている。
そしてペレディルのことも許さない。ラトヴィーユ陛下を早く助けたい。体を一突きにされては、早く救助しないといずれ絶命してしまう。
――だと言うのに、どこかで納得している自分がいる。
「周りを見ろ。戦う度に否定される。貴様の剣は悪だと非難される――ここで剣を振るう行為は貴様自身の信念を否定するのだ」
「……」
黒魔力に汚染された民衆は俺を悪だと糾弾し続けている。
今までの戦いでこれほど否定された事はない。
それも、こんなにも大勢の人間に……。
悪いのは奴らだと――正常な倫理観があればどちらが正義なのかはすぐ分かる話なのに、それでも俺はこの扇動に揺さぶられていた。
それが奴らの狙いだと言う事も分かっていた。
でもここまで何も出来なくなるのは、それが俺の"生き様"だからか。
エンペドが俺の前で黒い影を作り、立ちはだかる。
「戦士になりたい――人々の理想の戦士像であれと願い過ごした果てに、貴様は人々に怨まれる自分が厭いなのだ。それが他者の理想に依存して生きた貴様の、脆き信念だ」
「それは……」
「意志のない戦士など元よりガラクタ同然。願望器として生き続けたツケが回ったな、ククク」
「違う……」
言葉では否定しても、心の内では認めてしまいそうになる。
雷の賢者も言っていた。
"多勢を正義とするのなら異端はこっち側なの"だと。
俺は異端になりたくなかった。己が信念のために悪は貫けない。なるべく多くの人を救いたいと生き続けた結果、自らを否定されたら何も出来ないのだ。
それが人の願いなら、と受け入れてしまう。
――故に戦意はあっても体が動かない。
ここでエススやラトヴィーユ陛下のために戦い続けることは、それ以外の多勢を否定する。俺の理想を否定することになる。
酷い話だ。
正義感も信念もあったものではない。
俺は有耶無耶で優柔不断な操り人形だった。
「きゃあ!」
「ほら、もうお終いだ。こっちへ来い!」
遠くではエススが髪を掴まれて引き摺られている。
ペレディルが乱暴にエススを捕まえていた。
その傍には串刺しにされたラトヴィーユ陛下が項垂れている。もう死んでしまったのだろうか。その姿を間近で見たエススは泣き叫んでいた。
なんて不甲斐ないんだ……。
そう心が折れかけたとき、上空から稲光が奔った。ぴかりと光った後に雷鳴が轟き、闘技場に二つの人影が突然現れる。
「なんだこの惨状は……」
「うぁああああ――うげっ!」
華麗に舞い降りたのはユースティン。
そしてほぼ同時にランスロットが俯せに倒れた状態で着陸する。『ケラウノス・サンピラー』が作動したようだ。また少し後にモイラさんとティマイオスも転移してきた。
こちらの陣営が四人も増え、敵陣も動揺が隠せない。
「ユウ……!」
「――Eröffnung!」
ユースティンはイルケミーネ先生と視線を交えるや否や、間髪入れずにいつものワンフレーズの魔術を炸裂させた。同時とも言える速度で先生からも「Eröffnung」の一節が放たれる。ユースティンは即時に先生の前に転移したが、先生自身も一足先に別の場所へと転移していた。
「チッ……いくぞ、一般兵! 姉さまを止めに!」
不時着して意識が戻らないランスロットまで巻き込んでユースティンは颯爽と消えた。次第にその三人は転移を重ねて遠ざかり、姉弟で魔術戦を繰り広げながら闘技場から姿を消していく。
その背中を見て、待ってくれと弱音が零れそうになった。
今の俺ではエススも陛下も救えない。
「ガレシア、今一度あなたに宣誓しましょう。投降する際には私が介錯すると――」
「あっはは、投降? この状況で何を言ってるの」
モイラさんもガレシアと対峙して心象抽出による剣を造り出した。ここに現れた救出チームの中に決して「ロストを助けよう」なんていう存在はいない。
それもそうだ。
俺も救出チームの一員で、さらには実力も一番と自負できるほどの力がある。
だから、俺が助けを請う事は間違っている。俺に与えられた役目はエススとラトヴィーユ陛下を救う事。弱音を吐いてる場合ではない。
モイラさんも同僚と剣戟を交えながら闘技場に犇めく群衆を縫うように移動していった。
「雑魚散らしは私の役目かしらね! いざ、制圧制圧ーー!」
ティマイオスも意気揚々と市民に向けて雷撃を放とうと構えている。宙を駆け抜けて市民を翻弄し、そのまま王城へと目指して闘技場を後にした。
ティマイオスとモイラさんには王城の制圧任務がある。
其々に其々の戦いがある。
俺がここで戦わないのは義務を放棄することだ。
でも、今の俺は誰よりも無力だ。
そこに虐げられている人がいるというのに、助けようにも体が動かない。
こんなに芯のない人間だったのか。
多勢に非難されるから弱者を助けないなんて、ただの臆病者じゃないか……。
※まだ陛下は生きてます。




