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魔力の系譜 ~名も無き英雄~  作者: 胡麻かるび
第4幕 第5場 ―名も無き英雄―
215/322

Episode174 女神の伝言


 父親になる――。

 陽だまりが照らす静かな学園の廊下、受けた知らせは予想外で現実味がない。

 こんなにも唖然とした吉報はこれまでにあったか。

 俺の心になかなか暖気を見せないことに不安を感じたのか、シアも照れた様子から一変させて表情を曇らせる。

 嬉しくないの、とでも問いたげだ。

 嬉しい嬉しくないで言えば、心の底から嬉しい。

 シアの体に着いた黒魔力を撥ね除けたあの反応は、明らかに虚数魔力の作用――『反魔力』の力だ。そんな魔力を持つのは、この世に唯一"ロスト・オルドリッジ"という異例のみ。その力が伝播するとすれば、きっと血の繋がった子どもだけだろう。

 有り体の祝福の言葉が見つからずに膠着したのは、こんな災厄の状況という事もある。

 でもそれ以上に、きっと個人的なトラウマによるものだ。

 俺自身の生い立ちのせいか。


「場所を変えようか」


 ようやく捻り出した言葉。

 ティマイオスに断り、俺とシアは二人で校外へ出た。並んで歩くのはいつもの事だ。そこにもう一人いるのかと思うと不思議で仕方なかった。

 校庭を見渡せる石段の最上部で二人、腰を下ろす。

 広い敷地には昨晩の戦いの爪痕がくっきり残っていた。


「……こんなことばかりだな」

「そういう人ですから」

「俺に言ってるのか?」


 シアはにっこりと微笑んだ。

 その表情には肯定と歓迎の二つの意味が含まれている。

 いつからシアはこんな表情をするようになったのか。初めて出逢った海岸と冒険者で賑わう砂埃舞うスラム街で、この子はもっと人をからかうようでいて拒絶するように、あるいは礼儀を払うようでいて嘲笑するように、俺とも話していた。

 それがいつしかお互い無くてはならない存在になった。


「知ってる」

「……?」

「ロストさんが争いを嫌っているのも、戦いを好きなことも――」


 突然振られた話題は遠回しな表現だが本題に触れていた。

 シアは気づいているのだ。


「なんか矛盾してるぞ」

「してません。嫌いな争いを終わらせる戦いが、ロストさんは好きなんです」

「あぁ……」


 それは激励の言葉か。

 シアは俺が、ティマイオスの助言を受け入れて逃げる、なんて選択を決して取らない事を気づいている。もしあの賢者が暴露しなければ妊娠のことも明かさなかったかもしれない。

 気負わせず、王都での惨劇を鎮めてから言うつもりだったはずだ。

 今もこうして俺に微笑みかけるのはそういう意図があるのだろう。

 ――安心して行ってきて、と表情からも訴えている。

 でもその仕草が、彼女なりの背伸びを感じさせた……。


「本当は嫌なんだろう」

「なんのこと?」

「俺がこうしていつも――」


 そこで学園に突風が吹いた。

 荒れ果てた校庭から焦げた臭気を纏って俺たち二人の間を吹き抜け、シアの青い髪を靡かせる。黄金色の瞳がきらりと星の瞬きのように煌めいた。

 その煌めきは片目に浮かべる雫によるものだった。


「……」


 やっぱり溜飲は確実に溜まっている。

 シアは首に提げたロケットペンダントを取り、中を開いた。そこに何か文字でも刻まれているのかと思いきや、中には精巧な絵――否、それは写し絵の切り抜きが挟まれている。

 それはいつかの俺とシアのデートの風景。

 二人でこの街を散歩した束の間の休息の時だ。そのときにティマイオスに撮らせたマナグラフの写し絵である。シアはそれを大事層にロケットに入れて持ち歩いていた。

 俺も胸の内ポケットに入れていた写し絵を取り出す。


「これが私の理想です」


 写し絵の二人は陽だまりの中、ベンチで体を預け合って座り、笑っていた。

 平和の象徴だ。そこには騎士、戦士、護衛、英雄などの肩書きなんてものは何一つない。ただの恋人二人が映されているだけである。シアの遠くを見るような眼差しには、こんな日々が続けばいいと愁う純粋な願いが込められている。

 その写し絵を眺めたまま、シアは続けて呟いた。


「それでもロストさんは戦いにいく」

「それは――」

「それは、貴方の物語だから」


 シアが俺の言葉を遮る。

 俺の方から言葉にすれば、悩んでしまう事を知っているから。

 彼女は俺のことをよく知っていた。

 何を目指していたか。どうやって生きてきたか。そしてその発端となる物語(エピソード)も……。


「英雄譚には幕締めが必要です」


 あぁ、そうか……。

 最初に願ったものは"孤高の戦士"。

 そうやって戦いに傾倒していたらこうなった。だからここで投げ出すわけにも、目を背けるわけにもいかないんだ。

 王都を荒らした"悪の根源(ラインガルド)"は"孤高の戦士"が生み出した最後の首魁。

 ――それを斃して俺の物語は幕を閉じる。


 彼女が既にそう悟っていたのなら頭が上がらない。

 最初からシアは、すべてを終わらせてきて、と訴えて俺に微笑んでいたのだ。


「わかったよ。これで最後だ」

「本当に?」

「あぁ、約束する」


 誓いの口づけを交わす。

 すべてが終わったらシアと子どもの三人で生きていこう。

 もう英雄の物語は幕引きだ。

 昇りゆく太陽が俺たちの横顔を強く照らしていた。それがこの誓いと、いづれ生まれてくる子を祝福してくれている。そんな気がした。



    ◇



 三日ほど掛けて瓦礫を取り払い、ようやく姿を見せた転移魔法陣。

 大聖堂の或る祭室は粉々になっていたが、陣形は生きており、まだ若干の回路の接続は残されていた。魔力を通せば、ほんの小さなものなら送り込むことは出来るだろう。

 教皇リピカはそう判断して、慌てて魔法陣の上の砂利を手で払った。


「これでは(わたくし)たちが乗ることは出来なさそうですわね」


 聖堂騎士団第二位階パウラが溜息混じりに呟く。

 豪奢な(なり)の衣服や蜂蜜色の毛先は黒い煤で汚れ果て、みすぼらしい姿を晒していた。ラインガルドとペレディルの襲撃を受け、彼女には魔力も体力もほとんど残されていない。

 休息を取りに都市へ戻ろうにも大聖堂と王都西区を繋ぐ巨大な石橋には障害があった。


「外へ出ようにもあの狂人がふらふらしてますし……。あぁ、もうここで終わりなのかしらー! 嫌ですわぁぁ! まだケアさんの着せ替えショーの半分も終えてませんのに!」

「パウラ、うるさい!」


 橋には、たちの悪い悪霊が彷徨っている。

 斧鉞を引き摺る王宮騎士団幹部のリム・ブロワールだ。今の彼女は生き物を見つけたら無差別で頭蓋を叩き割ろうと襲いかかってくる。

 パウラはそれに抗う術もなく、この聖堂にて二晩過ごした。

 事実上の軟禁状態である。

 閉じ込められた三人の内、リピカとケアの二人は食事を取らずとも生きていけるが、パウラは普通の獣人族の女だ。聖堂に残された水や草葉で食い繋いだとしても限界がある。

 このように発狂して声を荒げても仕方ないとリピカは寛大な心で許していた。しかし、ここまで露骨に少女趣味を叫ばれては見過ごせない。

 ましてや、その対象が自身と同一の存在であれば尚更だ。

 リピカは、荒れた祭室を恍けた顔で見守るケアに一瞥くれて溜息をついた。


「この魔法陣なら極小の転移位相トンネルは構築できるわ……肉体みたいな複雑なものは送れないけど、メモくらいは送れる」

「ロストたちへメッセージを?」

「ええ……もう王都の異変には気づいているはずよ。あとはアレの罠に掛からせないように、こっちへ誘導させるわ」


 戦いの最中に交わしたやりとり。


 "――そんなにイザイアに依存して、彼を抹消したあとは貴方に何が残るの?"

 "――たとえ何も残らなかったとしても、僕の心は満たされる"


 それをもとに何が目的か理解した。

 さらに『魔力昇華(アセンション)』により紛い物の魔力となって現界したエンペドを葬る方法も、リピカは一つ閃いていた。

 必要なものは時間と神性魔力とイザイアという存在。

 これからメッセージを送る相手は、偶然にもその三つの要素をすべて持ち合せていた。

 リピカなりの皮肉も込めて、ついでに意図も理解できるようにメモには"宛名"を書いた。転移魔法陣の片隅にその紙切れを置き、両手を付けて魔力を込める――。

 魔法陣に魔力が伝導して燐光を帯びる。

 光とともに紙切れは消え、魔法大学の図書館へ転移した。

 リピカはすくりと立ち上がると踵を返して別の準備を始めることにした。


「あら? 大司教様、どこに行かれるんですの」

「地下聖堂よ。せっかくだから昔の遺品(・・)を整理しておくわ」



     ◇



 俺たちが医務室に戻る頃にはエススもだいぶ落ち着いていた。

 それどころか、絶望に打ちひしがれてミディール王子の傍で肩を落としていた。兄弟の突然の不幸を次第に現実として受け入れ始めたのかもしれない。

 医務室にいる他の面々も同じように意気消沈している。

 すっかり負け組の有り様だった。


「エスス」


 声をかけても返事なく、エススはぼんやりと俺を見返してはまた視線を落とした。


「陛下を助けに行くぞ」

「うん……」


 前向きな返事のわりに覇気がない。


「どうした?」

「他の兄さんやお姉ちゃんの事はもう助からないのかなって……そう考えてたら、お父さんももしかしてもう……」

「陛下は大丈夫だ。こんな事言うのも何だけど、殺すつもりなら最初からやってるだろう。それを敢えて生かしてるってことは何かあるはずだ」


 モイラさんがカイウスから聞いたそうだ。

 陛下は生かされている、と――。

 それならまだ望みも残されている。

 いや……そもそもその隙さえあれば絶対に大丈夫だ。

 今の俺に助けられないものなんてない。

 力も、魔法もある。

 俺がエススを励ましていると、ティマイオスが割って入って声をかけた。


「エススたん、白の魔導書のことが知りたいなら一人詳しい存在を知ってるわ……ヒトの生死の采配を誘引する行為は禁句(タブー)なんだけど、特別よ」


 死別の肉親を嘆く王女に目も当てられなくなったか。

 ティマイオスは白の魔導書が引き起こす奇跡の真相を教えてくれようというつもりらしい。この賢者は残酷になったり情に厚くなったり、いまいち性格が掴めないな。

 "――あたしは可愛いものの味方よっ!"

 いや、性格なら掴みやすいか。

 あれが甘言ではなくて言葉通りの意味なら、とんだ依怙贔屓な賢者だ。



 大図書館へ向かう。

 建物が見えてきた時になってようやく思い出した。

 こんな時、いつも頼りにしていた存在がいる。

 それが身近にいるというのに、なぜ今まで考えなかったのか己の間抜けさに、頭を叩きたくなる。神の憑代だったリピカなら白の魔導書の奇跡についても知ってて当然だ。それに王都の大聖堂と行き来している彼女なら向こうの現状も把握しているはず。


「ねぇ、理事長先生……もしかして詳しい人って図書館の司書さん?」


 エススが不安になってティマイオスに問いかける。

 理事長は任せとけと言わんばかりに溌剌に返事をした


「おうさ!」

「でも司書さん、最近姿見ないよ?」

「うぇえ!?」


 ティマイオスは素っ頓狂の声をあげる。

 俺も拍子抜けして転げそうになった。

 エスス曰く、ここ数日の間に本を返却しようと図書館へ行ってもリピカをまったく見かけなかったという。

 図書館に入って確認したが、確かにもぬけの殻だ。

 王都と繋がっているという事に不穏な気配が感じられてならない。


「そんなまさかっ!」


 司書室の奥へと踏み入ったティマイオスが叫びをあげ、金切り声が静かな空間に響き渡る。俺とエススの二人も駆け込み、図書館の奥地にひっそりと佇む古びた木製扉を開けた。

 部屋の中央には、もはや見慣れた転移魔法陣が設置されている。

 しかし、魔法陣の陣形がズタズタに引き裂かれて模様を完全に描けていない。部屋自体は荒らされた形跡はないため、転移魔法陣だけが破壊された様子だった。


「これは……」

「むむう、大聖堂側も襲撃されたみたいね」


 眉間に大きな皺を寄せてティマイオスは嘆いた。

 陛下だけでなく、リピカの安否も危ういということか。

 色んなことが後手に回ってしまっている。ラインガルドもこれを予見して聖堂を制圧していたのだとしたら、中々に行き届いた策だ。


「理事長先生、ロスト! これ見て!」


 エススが床に転がる何かを発見して持ってきた。

 一枚の小さな紙切れだ。

 何か文字が書かれている。



 ==============

 ジャックへ


 地下聖堂で待つ

 一緒に過去を清算しましょう


          女神より   

 ==============



名無し(ジャック)……誰のこと?」


 宛名を見てエススは首を傾げる。

 これは言うまでもなく俺に対するメッセージだ。

 宛名と署名を、敢えて以前の通名にしているのは何故だろう。

 女神より、か……。

 あの屋敷の騒乱を思い出す。

 暴れるエンペドの成れの果てを押さえつけ、最後は倒した。

 そのとき女神も一緒に消えたのだ。


 "自分の過ちを認めるのか?"

 "過ち……。そうね、そもそも欲張って現界したことが最初の過ちだったのかもしれない"


 蜷局を巻く赤黒い魔力の渦。

 それが消滅したときに崩れ落ちた金属の音が頭に反響する。


「何にしろ前向きなヒントではなさそうだ」


 過去を清算しようだなんて、極めて後ろ向きな提案だ。

 間違っても白の魔導書に関する話ではない。

 リピカもこの状態なら相談を持ちかけられそうにもない。さてどうしたものか。

 俺はその紙切れをポケットにしまった。




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