Episode172 学園汚染Ⅱ
――骸の群れは日常が変わってしまったことの象徴だった。
外へ飛び出せば、澄んだ空と蒼く染まる世界。
本来、静かな夜になるはずだった魔法大学の校庭には、逃げ延びた学生が騒然と事態を見守っている。
一方で、学生の中にはこの騒ぎを何とかしようと男子寮の前に集結する血気盛んな者もいて、それを抑えようとする職員との間で乱闘でも起こしそうになっていた。
それほどまで事態は混乱していた。
もしここに一人でも黒い魔力に汚染された学生が迷い込めば、さらに被害は拡大してしまうだろう。
「ここを隔離しないと汚染が広がるぞ!」
後ろの賢者に声をかける。
ティマイオスは宙に浮かびながら付いてきた。
どういう原理か分からないが、小刻みに電撃を放出してバチバチと音を立てながら低空飛行している。
その賢者は男子寮前の混乱を目の当たりにして呆れ顔を浮かべた。
「既に下々に命じておいたんだけど、あの様子じゃちょっとね~……」
「理事長パワーで鎮められないのか?」
「あー、そういうときだけティミーちゃんにカリスマ性求めちゃう?」
拗ねるような台詞だが、表情はどこか得意げだった。
にやりと笑みを浮かべて余裕がある。
何か策があるのだろう。
「ふっふっふーん、こういう事態も想定して策を練っておくのが大賢者たる、あたしの先見の明よ!」
任せなさい、とばかりに低空飛行のまま前に躍り出た。そして男子寮前に押し寄せる学生たちの面前に立つと職員たちを宥めてから言い放つ。
「学生諸君、きみたちの正義感は素晴らしい! ともに戦おうではないか!」
ティマイオスは扇動者のように声を張り上げ、注目を集めた。
「まずは我々の役割を決めようじゃあないさ! 今からきみたちは一人一人がこのティマイオス軍の兵士となる! だから、はいっ! 兵士らしくここに並んで並んでっ」
ティマイオスは自称アイドルに相応しく、にこにことした微笑みを向けて寮前の広場を示し、この辺りと明確な場所を手で指示した。
学生たちも士気が高まったのか、まるで突然軍務に就いた兵士のように整然とした動きで広場で整列し出した。四角い隊列で並ぶ魔法学生たちは、顔つきも古代文献で描かれる兵士のような勇ましさとなり、時折「ティマイオス様! ティマイオス様!」と王を崇めるかのように鼓舞し合っている。
凄い、ティマイオスにこんな統率力があったなんて――。
「よーし、整列終わったわね! じゃあ――――い・ま・で・す!」
突然の合図に学生たちも困惑する。
しかしその合図は学生たちに向けられたものではないことは明らかだった。その証拠に、足元には薄緑色に魔法陣が輝き出し、何かの罠魔法が発動しかけている。
あの輝きは見慣れたものだ。
冒険者時代、ドウェインもよく使っていた――。
「――トランジット・サークル!」
魔法陣の上のものを指定の場所へと転移させる魔法陣。
トランジット・サークルだ。
うわーという悲鳴とともに、整列した学生たちは一瞬でどこかへ消えてしまう。
そうして突然静まり返る男子寮前の広場。
その場に残るのは銀髪の少年だけだった。
今まさに大規模な転移魔法を発動させた張本人のようである。
「ユースティンか!」
「……ふんっ、また僕の手を煩わせやがって! ティマイオス、貸しが溜まっていくぞ!」
「あぁん、ユウたん素敵ー!」
素敵と褒められて赤面する正義の大魔術師。
……なんだ、策ってユースティンの事か。
ティマイオスはいつのまに転移魔法陣をしかけるように指示していたんだろう。
この二人は意思疎通を図る魔道具でも持ち合ってるんだろうか?
ユースティン自身も口悪いわりに何かと協力的だし、うまいこと口車に乗せられて理事長の犬みたいになってる。
否、性格的には猫か。
さすがユースツン、素直じゃない。
「さ、これで邪魔者は消えてくれたわ。早いところ汚物は消毒しましょ!」
ティマイオスも自分の学校の学生に対して酷い言い様だ。間違った表現ではないが、さっきも平然と一人殺そうとするし、意外と極悪非道だった。
もしかしたら賢者の中でも一番残虐性高い可能性がある。
◇
外が騒がしくて真夜中に目が覚める。
――ああ、また魘されていたようだ。
最後の記憶は大きな背中。
私を負ぶってくれた人は誰だっただろう。
それが白馬の王子様だったらどれだけ幸せか……。
そんな少女のような夢を見て馬鹿馬鹿しくて自ら叩き壊す。頭が痛い。
はっとなって周りを見回すと、ベッドの傍にはしっかりと四角い鞄が置かれていた。
これは王家から託された大切な財宝だ。
この役目を任されてから私はどれだけ自らを犠牲にしてきたことだろう。
少女には過ぎた大役だった。
「……」
そうだ、過ぎた大役だったのだ。
"彼"を見ていると、特に昔の自分を思い出す。
背伸びをして、無理をして、いつしか自分を忘れていた。いつにその糸が解れるか、そんな風に思って見守り続け、もう数か月が経った。
――だというのに、彼には才能がありすぎる。
もう魔道具の基本を覚えたと云う。
どんな魔道具職人も一年は修行する『付与』という技術を、たった一日で彼は体得したのだ。
彼が腐るはずはない。
腐りかけたところを支え、導いてやる役割は私にはない。
いつか崩れ落ちるかとハラハラして見ていた自分が悍ましい。
それは余計なお世話だった。
英雄は名実ともに英雄だ。
それを少しは疑って、最後の最後まで世話を焼こうとしていた自分が悍ましい。
私と違って"彼"には才能があるのだから……。
とどのつまり、私には最後の最後まで才能なんてなかったのだ。
姉として背伸びをしているうちに、宮廷教師として背伸びをしているうちに、身の丈にあったことをしてこなかった私に残された呪いか――。
"――……が憎い"
でもそれももう終わりだ。
王都へ来い、という命令が頭に反響する。
◇
汚物消毒が始まる。
周囲に残った職員や学生をさらに街の方へと避難させ、俺とティマイオスは男子寮前で待ち構えた。
結局、ランスロットは何処に行ったか分からない。
エススもシアも姿を見かけなかったが、その二人は大丈夫だろう。
こういう非常事態にシアの取る行動はだいたいわかる。
おそらく今頃はエススを連れて遠くへ避難させ、街の高い建物にでも上って弓の狙撃準備をしているに違いない。
でも援護は必要なさそうだ。
なにより消毒は意外と簡単だった。
男子寮から緩慢な動作で這い出てくる黒い影を、ティマイオスの電撃魔法で捕獲して、そこに俺が『魔力剣』を放って突き刺すだけ。
なるべく致命傷は回避したものの、どうしても学生が傷ついたり、魔法で火傷したりする。
その辺のフォローは、ユースティンがしてくれる。
治癒魔法で傷を治し、転移魔法ポータルサイトで遠くへ運搬するという連携で対応した。
数の暴力というか……。
わりとパーティーのバランスが良くて余裕の勝利である。
一通り片付け終わり、男子寮の中を見回る。
無用な戦いにならずに済んだようだ。
もぬけの殻となった男子寮の確認が終わり、再び外へ戻る。
黒い魔力が飛び散った以上、しばらく寮は使わない方がいいだろうという話でまとまった所で、一つの疑問が残った。
「ところで、この黒い魔力って一体どこから――」
正体は分かっている。
あれはエンペドが残したものだ。
ヒトの想いが代々、魔力を進化させるといわれている。
その最期、憎しみながらに消えていったエンペドがこんな悪あがきを残したんだと思って俺は自己解決していたが――。
そもそも何で突発的に発生するんだろう。
遠くから嘶きの声。
静寂する魔法大学に荒々しい馬蹄の音が響く。
「ロスト・オルドリッジ!」
久しく聞いていない声。
静かながらも凛々しさのあるそんな声だった。
声の主は騎士団の先輩である魔眼の人だ。
彼女が魔法大学の正門をくぐり、そして寮の前まで駆けつけた。
「え、モイラさん?」
「……ふー……ふー……」
モイラさんだけじゃない。
手綱を取るモイラさんの前後にも人が乗っていた。前には見たこともない少年がいる。王宮で見かけたような高貴な衣装を身に纏っていた。そして後ろに乗っていたのは白帯の胴着を着た女騎士――。
「アルバさんも?!」
予期せぬ来訪者に頭が混乱する。
しかもアルバさんは傷だらけだった。目には光もなく視線を下げている。まるで何かに絶望している様子だ。
訳が分からない……。
三人を乗せてきた馬も喉奥から変な音を立てながら荒く呼吸している。
穏やかでない鬼気迫る三人の状態に不吉なものを感じた。
「王都が……」
「王都が? 王都がどうした?」
モイラさんは他二人を乗せてまま、馬から降りた。
降りた拍子に足を崩しそうになったが、すぐに持ち直した。
かなり疲れている様子だ。
「……陥落状態です」
「……」
聞き間違いでなければ、最悪な知らせが届いた。
そう告げるモイラさんの顔は煤だらけで汚れている。きっと壮絶な戦いを繰り広げて逃げてきたのだ。だから嘘であってくれと願っても、真実だとすぐ判断できた。
今日こうして黒い魔力が再び湧き起った事も偶然とは思えないタイミング――。
不吉なものは確かに忍び寄っていたようだ。
「モイラ……!」
「あぁ、良かった……エスス様、ご無事で……」
空から降りてきたのはエススとそれを担ぐシアだった。
やっぱり安全な上空へと避難していたようである。
「どうしたの……? ミディールも、なんで此処に?」
エススもそのただならぬ雰囲気を察したのか、心配そうな顔してモイラさんを覗きこむ。
"陥落"と言ったが、どういう意味なのか。
まさかラトヴィーユ陛下まで……。
○
場所を移し、校舎のエントランスホールで話を聞く。
ティマイオスとユースティン、エススとシア、そして俺の五人だ。
心神喪失状態だったアルバさんとミディール王子を急遽、医務室へ運び、とにかく休んでもらうことにする。
その間、アルバさんは小声で何度もカイウスを呼んでいた……。
一体なにがあったのだろう。
モイラさんが見てきた王都の状態は壮絶だった。
まず数日前、街周辺で禍々しい気配を感じ取ったボリスが、偵察に向かったことから異変が始まったと云う。
それから街の各区で市民の暴動が始まった。
調査を命じられた王宮騎士団は、黒帯も含めて各地区の警備に配備されたという。そこでモイラさんが見てきた市民の姿は『黒魔力』を纏う屍人のようだったと――。
間違いない……。
黒い魔力による被害は魔法大学だけの話ではなかったという事だ。
それに憑りつかれていたのは、市民だけではない。王宮騎士団のほとんども支配された。黒帯であるボリスやガレシアも――。
最後、王都を発つ前にその元凶をモイラさんは見届けた。
「――その男は襤褸を纏い、部下と思わしきペレディルから、名は"ラインガルド"と呼ばれていました」
「ラインガルド……!」
「知っているのですか」
直接最後に見たのはいつだったか――。
初めに出遭ったのは演奏楽団だ。その後、子どもの頃に初めて対人で戦った存在だった。迷宮都市では記憶喪失中に変わり果てた姿を一度見かけたが、それ以降は見ていない。
なぜそんな奴が今さら王都に現われた?
目的はなんだ?
「発生源はその男で間違いありません」
「なぜわかる?」
「カイウスがその最期に言っていました。あれは"実態のない憎しみそのものだ"と――」
カイウス、死んだのか……。
状況から考えるとアルバさんも死別の間際に居合わせたという事だろう。だからあんな風に……。
悔やまれる。
――しかし、何か引っかかる。
憎しみそのものがラインガルドの正体……?
黒い魔力もラインガルドのもの?
エンペドの残した禍根の類いかと思っていたけど、そうではないのか。以前からラインガルドは闇魔法に精通していたが、それも関係しているとか。
分からないことだらけで頭が混乱する。
俺が困惑していると、シアが代わりにモイラさんに問いかけた。
「つまり黒い魔力の発生源が王都にいて、街を乗っ取っているということですか」
「街だけではありません。王城も既に……」
「待って! それじゃあ、お父さんは……宮殿のみんなはどうなったの!?」
エススも焦って問い正した。
宮殿の王族はエススにとっては家族のようなものだ。それが既に手にかけられてるとあればエススも落ち着いてはいられない。
「ラトヴィーユ陛下は捕まっています……他の王家の方々は……」
言い淀むほど残酷な事実がそこにある。
その仕草は、すべてを察するには十分すぎた。
「嘘だ……嘘だよ……!」
エススは目に涙をいっぱいに浮かべ始める。
モイラさんも否定はしない。
酷い話だ。
元々、異様な存在だと感じていたがここまで大胆なことをする男だっただろうか。俺の知っているラインガルドとは何か食い違う気がした。
でも許せない。
明確な悪がそこにいるのなら――。
「なら早速、王都へ行きましょう。どういう状態か、この目で確かめないと――」
校舎の入り口から誰かが語りかける。
もう草木も眠る時間さえとうに過ぎているというのに、一体こんな時間に誰が――。
校内の薄明りから仄かに照らす外の人物。まるで亡霊のようでいて、慕っている存在なのに何故か怖ろしいと思えてしまった。
「イルケミーネ……イルケミーネ……!」
その姿を見納めて、エススも衝動的にその人物にしがみつく。
悲しいときに共感できる人物、頼りになる人物は心強い。エススにとってその宮廷教師は王宮での日々を共にした恩師であるはずだ。
しかし、何かがおかしい。
そう気づいたのは俺だけじゃないようだ。
「姉さま……?」
「……」
魔術師と賢者は見極める。
そこにいる者は"綺麗"か否か。
昵懇の度合いでいえば、おそらく最も彼女を疑いたくなかった二人だろう。だがそれ故に、より敏感に、より繊細に勘付いてしまった。
暗黙は、その勘を言葉に出せば確信に変わると見た故か。
「宮廷教師のシュヴァルツシルト師……? 急いてはいけません。一度作戦を――」
魔眼の騎士も不審に思う。
さて何故か。何故、イルケミーネ先生は此処にいるのか。
俺が送り届けたときは寝静まっていた。
寝つけが悪く起きてしまったとすれば、まだ可愛いものだ。
「イルケミーネ……痛い……離して」
だが、王女の腕をつかむ様はきわめて乱暴だ。
そこに温情の欠片も微塵も感じない。
「どうしたの、エススちゃん。早く陛下を助けにいかないと、ね」
「……!」
冷徹な眼差し。その目は微笑むことはなかった。
口元ばかりが釣りあがり、怖ろしい魔女のような表情。
見上げれば巨大な影が先生の背後に潜む。
王女をそんな風に呼ぶのはイルケミーネ先生、ただ一人だ。
しかし背後に映る彼女の影は肥大化して、まるで別の何かがそこにいる。
黒い魔力を纏う先生はどうにも似合わなすぎて……。
確かな肉感を持って姿を現した魔女のようにしか見えないのだ。
「王女の手を放しなさい、シュヴァルツシルト――」
警告の主が剣を生成する。
モイラさんの手元には一本の剣。赤い刀身の魔力の剣だ。
なぜ――争いは終わったはずが、どうして凶器が必要なのか。
抗うようにイルケミーネ先生が左手の平を翳した。
「――ぐっ!」
同時にモイラさんの周囲に黒煙が舞い上がる。
それに弾かれ、細身の体が大きく宙を舞う。吹き抜け式の校舎の廊下を豪快に転がっていく。黒い魔力に汚染されたかと心配したが、なぜかモイラさんの体には浄化作用が働いて効いていない。
でも起き上がることはなかった。
ここに到着した時点で彼女は既に疲労困憊な状態だった。
とても戦える状態じゃない……。
――俺もその意思を継いで魔力剣を携える。
俺にできることをしなければ。
先生に憑りついた毒を消す。
「一体いつから……」
そんなことは重要じゃない。
でも口に出してしまう。
いつから忍び寄っていた。
いつから先生の中に潜んでいた。
「いつから? 私は私よ、ロストくん――この大学にくる前からね」
視界が霞む。
先生の背後から黒い魔力の蔓が飛び出してくる。
俺はそれを斬り落した。
身を翻し、床を這って、そのまま真っ直ぐ駆け出した。姿勢は猪のように。だがそんな獣の動きも神速に迫れば、卓越した戦士の走りに見えただろう。
さっさと『反魔力』の力で先生を助ける――。
「きみの弱点はそういう真っ直ぐなところっ!」
床に伸びる影の根が反り上がる。
その根に掴まれて、視界が上下反転する。吊し上げられたようだ。俺はその根を何度も斬り落とすも、また間髪入れずに別の黒い蔓に掴まれる。
先生の周囲の魔力はまるで巨大な食虫植物のようだった。
蔓を伸ばし、根を伸ばし、校舎を破壊し尽くしながら俺たちを翻弄していく。
そうか……。
こうして俺を常に捕まえていれば、時間魔法で"寝首を刈られる"心配もないという事か。先生にはよく肩に手を置かれ、何度も時間魔法を披露させられた。
この性質は重々把握していたという事か。
ならば時間には頼らず、あとは力技で刃向うしかない。
「くっ……!」
「イルケミーネ、どうしちゃったの!? なんでみんなと戦うの!?」
状況を受け入れられないエススが未だ先生に必死に訴えていた。
まずい……。
冷静に考えると今のこの状況、数の有利はあるが先手で勝利を取られたようなもの。先生の目的がエススなら、あとは逃げればいいだけなのだ。
早くこの蔓から抜け出さなければ――。
でもこの魔力の塊は、力任せに振り払えるようなものではなかった。
粘度が高く、暴れれば暴れるほど沈みゆく底無し沼の水柱のよう。
それに先生の影が俺の判断を鈍らせる……。
先生と過ごした日々がちらついた。
「エスス様を離せ……!」
俺の無力に応えるように、ある騎士がその場に姿を見せた。
――エススを守っているのは俺だけじゃない。
今までどこにいたのだろう。主役は遅れて登場するというが……。
騎士は鬼気迫る雰囲気で剣を構える。
その威勢に反してランスロットは震えていた。
震えを感じて鎧がカチャカチャと小刻みに音を立てている。相変わらず格好がつかなくて、こんな状況でも彼が必死に恐怖に足掻いているのが伝わってきた。
「ふん……無謀な子は面倒くさいだけっ」
黒い魔力の塊が勢いよく放たれる。
それをランスロットは反射的に得物で斬り落とす。
「……!」
本人も斬り落とせた事実に驚いている。
これまでの激しい訓練で、ユースティンにしごかれた成果がここに来て発揮できていた。
間違いなく、ランスロットも成長している――。
「それで何!?」
でもそれだけだった……。
ランスロットが特訓の成果で見せられるものはこれまでだ。それに続く黒い魔力弾の次弾で鎧ごと弾き飛ばされた。
壁に背中を打ち付け、ランスロットはそのまま動かなくなる。
そのすぐ隣にはまだ三人もいる。
これだけの戦力をすべて凌駕できたら、それこそこちらの完敗だ――。
騒然とする深夜の校舎。
そこに稲光が弾けて青く光る。
「イルケミーネ……どうやらお仕置きタイムのようね。ユウたんには見せられないようなキツ~いやつが必要かしら」
「ティマイオス様、―――邪魔はしないでください」
雷の賢者が宙へと浮かぶ。
派手な音、激しい稲光が校舎を駆け巡り、ティマイオスが雷光を放った。
「シアたん、今よ!」
――だがそれはフェイントだ。
本命はその背後から横へと駆け抜けるエルフの強襲。
シアが低空飛行して大きく周り込む。先生はティマイオスの雷光を、黒い蔓を避雷針にして受け止めた。その隙をついてシアが肉迫し、相手の懐に入り込んで弓を構える。
その間、わずかの刻限。
完璧すぎる阿吽の呼吸だ。
シアが弦を引き、まさに獲物を射抜く――。
「ちぃ……」
「きゃあ!」
しかし正確に捉えてはいなかった。
先生は素早く後退し、シアの弓矢を回避している。
――だが、第一目標はクリアした。
先生は弓矢を回避した代わりにエススを手放した。
王女の身が投げ出され、床に倒れる。
シアは素早くその彼女を拾い上げて、先生から距離を取った。
護衛として有能すぎる働きぶりだ。
一方、イルケミーネ先生は失敗と判断したのか、そのまま黒い魔力の上を波乗りするように操り、校舎から外へと素早く飛び出した。
ユースティンもよく水魔法の応用で使う滑走技と同じものだ。
そのまま逃亡を図ろうというつもりらしい。
それは駄目だ。
このまま逃して敵側に合流されたら、余計に先生を助けることが難しくなってしまう……。
先生が逃げ去ったことで俺もようやく蔓から解放される。
すぐさま校舎を飛び出した。
既にシアが空を駆け抜けて後を追っている。
黒に染まった銀の魔術師と蒼のエルフが校庭を踊るように滑り、戦っていた。
「……!」
シアは武器を持ち替えていた。
手元にはヒガサ・ボルガ弐式――そこから賢者の発明の最たる技術、電撃の魔法兵器レールガンを放って、イルケミーネ先生の黒い魔力を削ぎ落とす。
乗り物が弾け飛び、先生もうまく先へと進めないようだ。
――なんだか嫌な予感がする。
「シア、あとは俺が……!」
俺が先生を救い出す。
時間を止めて魔力剣を突き立てれば、兄貴と同じように助けることができるんだ。
でもその判断は遅すぎた。
「あぁぁっ!」
薄らと暗がりに響いたのは大事な人の悲鳴だった。どちらも大切な人だったが、過ごした年月でいえばどちらの方が大事かは分かりきったことである。
――悲鳴とともに俺の足元まで滑り転げてきたのはシアだった。
先生の放つ黒い魔力弾が直撃し、体中に汚い泥が纏わりついていた。
シアは短く呼吸をして苦しそうにしている。
俺はそんな大事な人が穢される瞬間を目の当たりにして、心底この黒い魔力が憎々しくなった。
「シア……!」
「わ、私はいいから……イルケミーネ先生を早く……」
途切れ途切れの声で、シアは俺を手で払って合図した。
シアは自己犠牲の精神でそんなことを言っているわけではないのだろう。
仮に黒い魔力に汚染されても、あとで俺の『魔力剣』で浄化すればいいだけの話なのだから本来追っていた方を優先しろ、と言いたいのだ。
その意図する所は目を見てすぐ判った。
――でもそれは先生に対しても同じ事が言える。
仮に今、時間を止めて先生を追えばどちらも助けることが出来よう。
しかし、そんな合理的な判断は今の俺に出来そうにない。それ以上に俺はシアが一度でもこんな汚い泥に穢される姿を見たくないのだ。
「俺はシアの方が大事だからな」
そう言って『魔力剣』を生成する。
一番傷にならないところは何処だろう。
早くこの泥がシアの中に入る前に消し去ってやりたい。
そう思って刃を片手で振り翳す。
「……?」
でも不思議な事が起きた。
なぜかシアの体に浴びせられた黒い魔力は止まったままだ。それどころか、シアの肉体に触れた部分から蒸発音を立て、徐々に掻き消えていく。
別に俺の魔力剣に触れたわけでもない。
自浄したというか……。
「――あれ?」
そして黒い魔力が霧散して消えた。
シアの体に異変はない。
なんだと不思議に思ってシアの目を見る。
俺の戸惑いとは相反して、シアは普段通り冷静に一言呟いた。
「ああ……やっぱり、そういう事ですか」
「どういうことだ?」
彼女は何かに納得した様子だが、俺は意味が分からないままだ。
まさか俺と長く連れ添っていて、シアにも『反魔力』なんていう異次元の力を手に入れたとか?
そんなことあるのだろうか。
とにかくシアは汚染されない体だという事が分かってほっとした。
一方で、イルケミーネ先生を逃がしてしまった後悔も後から押し寄せてくる……。
一晩であまりに多くのものを失ってしまった気がする。
シアは妊娠してました。
※次回は2016/7/3(日)に一話のみ更新予定です。
都合により土曜日執筆できません。




