Ëpisode168 仮初めの英雄達
王宮へ近づくと、濃霧の中から人影が現われた。
カイウスは一度ぴたりと立ち止まり、後ろから付いて歩くミディール王子はその巨躯に鼻をぶつけて痛がっている。
「ほう……ガハハ、いやいや、嫌な予感はこういうことかのう」
王城への城門からふらふら歩いて現われたのは騎士団長アレクトゥス……。
――ではなく、その生首だった。
「ひぇええ!」
ミディール王子が絶叫する。
その生首を持ち運ぶのは同僚のボリス・クライスウィフトだった。
団長の髪を鷲掴みにして、まるでお土産でも携えるように片手で乱雑に持ち歩いていた。
「なんだ、残ったのはおっさんだけか」
ボリスは残念そうに、納得するように、平然と呟いた。
その瞳は至極冷たい。
感情が何もないようにも見える。
だがカイウスにはその瞳の奥に眠る、憎悪の塊のようなものを垣間見た。
「此度の騒乱、ボリスも犠牲になりおったか」
「犠牲? ハッ、馬鹿が……おっさんのそういう凝り固まった陶器頭、前から鬱陶しいって思ってたぜ」
「若輩、未熟ゆえに付けこまれるのだ。叙任式で誓った王家への忠誠はどうした?」
カイウスが煽る。
これは扇動だった。
この後、おそらく戦闘になる。だから、その前に少しでも宮殿の現状を探っておく必要がある。果たして王族は生きているのか、あるいは抹殺されたか。
「チッ……くだらねえ」
「ガハハ、くだらぬとは? アリアンロッド王女と親しき仲だったのだろう? 姫と騎士の禁を侵してまで結んだ契りはどんなものなのかのう」
「うるせえ、何も知らねえくせに!」
怒りを露わにする。
ボリスの顔の血管が張って、黒い血脈が浮き彫りになる。
「あんなやつ、殺してやったよ!」
ミディールが驚愕の表情で短く悲鳴をあげた。姉の死以上に、今まで信頼していた騎士団幹部のボリスの寝返りが恐ろしくなったようである。
一方でカイウスは、やはりかと事実確認が取れて心苦しくなった。
ラトヴィーユ陛下の安否も危うい。
「王族を殺し、何を得る? 自身の鞍替えでも狙うか。お前さんの立場なら、よもや感情だけで殺害に及んだものでもなかろう」
努めて冷静に。
カイウスはボリスの力を知っている。この男は嘘発見器だ。相手の真意や正体を鼻で嗅ぎ分ける。そんな能力を前にして、カイウスがここまで嘘を吐くこともなく情報を探れているのは長年の経験ゆえの功労だった。
「もうこの国はお終いだ。平和だなんだってボケた糞爺どもに俺たちが飼われる道理はねえ」
「俺"たち"――他にも裏切り者はいるようだのう」
「は、どうだっていいぜ、そんなこと……。俺個人はただ誇りを取り戻したいだけだ。その解放の手助けをしてくれるって御仁がいてね」
「ならば陛下ももう手にかけたか、その手で」
「あの爺はまだだ。これからの舞台に使わせてもらうからな」
ラトヴィーユは生きている。
カイウスはそれが確認できて内心ほっとした。
どうやらそれ以上のことは聞き出せそうになかった。
ボリスの肉体から黒い魔力が舞い上がる。
着崩した黒帯衣装と溶け込んで、漆黒の戦士のように変貌していく。
臨戦態勢のようだ。
カイウスも、戦いとあらば、と意気揚々に徒手を構える。
戦力で劣ることはない。あんな痩身の体で振るう攻撃などカイウスには痛くも痒くもない。ただ、ミディール王子を護衛しつつ、という点で不利だ。
それを踏まえても実力は五分五分と云ったところか。
そう目算していた時――。
「おっと、噂をすれば影とはなぁ。奴さん、タイミング分かってるねぇ」
「……」
背後から黒い気配。
王城の城門とは反対の方面、カイウスとミディール王子がやってきた街の方から姿を見せたのは、二人組の男だった。
濃霧と城門へ至る石廊を灯す街灯。
気づけばすっかり日が傾き、霧も相俟って暗かった。
「ガハハ、挟み討ちとは良き戦術である」
向かいから来るのは赤黒く鈍い光を放つ剣を携えた襤褸の外套の男。あのような男は見た事がない、とカイウスは思った。だが、誰が見ても黒幕であることは間違いなかった。
後ろに控える男は、新人として騎士団に招待したばかりの男だったか。青白く眩い光を放つ剣を携えている。
「だろう。おっさんも呆け腐ってんじゃねえか?」
「ガーッハッハ! 良き戦術が勝ちに繋がるとは限らんがのう」
ミディール王子を脇へと誘い、その巨躯の内側へと控えさせる。
今のこの状況、少しでも王家の血族は守らなければならない。それがカイウスという野人が考え切れる限りのことだ。あとの判断は優秀な連中に任せる。
――その覚悟があった。
「怪力屋のサウスバレット」
襤褸の外套の男、ラインガルドはひっそりと呟いた。
「ただ単に力強いという能力……そこに何の意義も感じない。時代遅れもいいところだ」
「そこな坊主、お前さんはこの老いぼれに何を求める。力こそがすべてよ。少なくとも、我輩が生きた時代はな」
「ふん、腕力ごとき。魔力の前では無力だ」
「どうかのう、試してみるか?」
「……すこぶる滑稽だ」
城門へと至る通路の、端と端を囲む二人の猟犬。
ボリスとラインガルドは黒い魔力を纏い、間髪入れずに突進をかけてきた。
――左から痩身の男が駆ける。
右手にはダガーが一本。投げつけるのではなく、素直に斬りかかるつもりらしい。
――右から真っ黒な怪しい男。
禍々しく尖った黒い爪が城壁や床を破壊しながらなりふり構わず突進してくる。
カイウスはそれらを見切り、両手を組み合わせた握り拳で石廊を叩いた。
轟音とともに石廊が反り立つ。
その石材を第一障壁とし、死角となっているうちにカイウスはミディール王子を片腕で抱きかかえて大きく跳躍した。
挟み討ち如きで狼狽えるカイウスではない。だが、良き戦術であることに間違いはないのだ。一度戦場を脱して、せめて攻防戦に持ち込むことが懸命だった。
悲鳴をあげるミディール王子を全身で守り、街の大通りへと体ごと滑り込ませる。
近くの家の壁を破壊して武器を創る。
ただの瓦礫だが、牽制に投げつけるには持って来いだ。
「ミディール殿下! 後ろへ!」
敵はすぐに迫り来る。
ボリスは街の壁を伝い、上から襲いかかろうと攻め込んでくる。ラインガルドは緩慢な動きでゆらゆらと歩いてきた。
静まり返る街の大通り。
その中でもボリスは、立ち並ぶ建物の屋根上を駆け抜け、カイウスめがけて飛び込んでくる。
それを大きな石礫でカイウスは豪快に払い落とした。
――しかし、目の前には陽炎のように現われたラインガルドの強襲も迫る。
カイウスは即座に腰の剣を抜く。
本来両手で握るツーハンドソードをカイウスは片手で振るう。相手の得物は赤黒い鈍色の剣だった。これは魔剣だと、カイウスは知っていた。だが魔剣が魔剣と言われる由縁は、魔力を無効化する性能ゆえだと聞いている。ここでカイウスの物理攻撃において、とりわけ魔剣であることに引け目を感じる必要はない。
そう判断し、遠慮なくカイウスは剣を振るった。
存外、手練れのように見えてラインガルドの剣術は三流だ。
取り立てて怖れるものではない。
カイウスは騎士として剣を振るい、ラインガルドを押し返していく。
凶器がぶつかり合うにしては鈍い音。
それが静寂した濃霧の街に残響する。
だが、復帰したボリスも真横から再来する。
ボリスの狙いはミディール王子のようだ。そこにも牽制を入れつつ、二つの脅威をカイウスは押し返してみせた。
魔法至上のこの世界において、ただの肉弾戦に特化した戦士がそれらの脅威を押し返せるのは、ひとえにこの老騎士の実力だった。
「チッ……こいつ、やっぱり鬱陶しいぜ……!」
ボリスが悪態をついた。
カイウスはそれににやりと笑い返す。
若造が鍛錬も忘れて舞い上がるからこうなるのだ、と示すように。
決して劣っていない。
魔剣を握る魔王と魔力強化された黒い騎士の二人掛かりでもカイウスは劣っていなかった。
「こんな老いぼれになんてザマだ。ペレディル!」
しかし、そこにまだ一人の脅威がいた。
辺境貴族のしがない騎士だが、その男の手には聖剣があった。
さらにはその聖剣の能力を最大限生かす能力も――。
「御意。すべてはラインガルド様のために」
城門の方から一人の男が現われる。
栗色の毛、髭を伸ばした飄々とした男だ。
ペレディル・パインロック。
その彼が青白い波打つ剣を片手に、ゆっくり近寄ってきた。
ペレディルが剣を振り翳すと、地響きが鳴り始めた。
「あれが噂に聞く聖剣。教会も暴きおったな、悪ガキ共め……」
カイウスは今一度構え直す。
聖剣は天変地異を引き起こす。大地の神がその昔、天地創造に使った剣であると謂われていた。
地響きの中、城門周囲の家々が崩壊して無数の瓦礫が浮かび上がる――。
「くっはっはっは!! これは最高です! 最高の剣です!」
ペレディルは剣を振る度に、街が破壊されていく。
それに伴ってペレディルの"武器"も増えていた。彼の特殊能力は、ただ物を動かすだけの『念動力』だ。こうして聖剣によって動かせる凶器が増えていく。
最悪にも、聖剣とペレディルの相性は良かった。
「死ねェ! 黒帯ぃ!!」
ペレディルは突然豹変し、目を見開いて『念動力』を発動させた。弾丸のように襲い掛かる無数の瓦礫はまるで魔術師が放つ魔力弾と似ていた。
カイウスがそれらを叩き落とす。
――数が多すぎる。
背後にいるミディールも守りつつとなるとどう考えても腕が足りない。
もはや払い落とすのを諦め、両腕で防御してひたすら飛礫を受け入れることにした。カイウスならばある程度の打撃に対して負傷することもない。
「……ぐっ!」
でもそれは飛礫だけに集中して防御していた場合。
横から近寄ったボリスが、ダガーを身動きのとれないカイウスに突き立てた。
「おっさん、肉だるまかよ。全然動じないんだな」
ダガーナイフを捻られ、肉を抉られる。
さらに何度も刃は突き立てられた。
カイウスは強靭な肉体とはいえど、団長のように不死身の肉体を持っているわけではない。万が一、致命傷が与えられれば死んでしまうだろう。
出血も激しく、カイウスは意識も少し遠のいていた。
よもやここまでか、とそう諦めて、せめて王家存命のために王子を庇って死のうと決意した時、助けが駆けつけた。
「カイウス!!」
はっとなり、見ると一頭の馬が駆け寄っていた。
馬上には同志、魔眼のモイラ。そして背後には娘がいた。
「親父殿……!」
「くっ……ハハ、ガーッハハ! 運はまだ我輩に味方したか!」
カイウスはまだ娘のアルバが正常なままここに姿を見せてくれただけで満足した。しかし直後には女々しい顔して落ち込んでいる娘に気づき、不満に変わる。
モイラは、仲間の巨躯へ短剣を突き立てるボリスを見て、彼も敵の手に回ったと判断した。そして馬上から跳び上がると、即座に心象抽出で剣を生成し、斬りかかる。
ボリスはモイラ相手では分が悪いと判断したのか、その場を退いた。
逃がさないとばかりにモイラは踏み込んで剣を振り上げ、ボリスを追い詰める。ボリス自身も寸でのところで剣筋を躱し、バク宙で街の壁に這いあがった。
「……あんたは剣も真面目すぎて付き合いきれねぇ」
「ボリス……ガレシアもでしたが、残念です。この身を賭してもあなた方を成敗します」
「嫌だね。俺は俺らしく生きていたいだけだ」
そう言い残すとボリスは屋根伝いにどこかへ走り去ってしまった。深追いは無用と考え、モイラはカイウスへと駆け寄った。
「カイウス、大丈夫ですか」
「ガハハ……騎士たるもの、まず王子を心配せよ」
「……ミディール殿下、ご無事で」
状態としてはカイウスの方が心配だ。
満身創痍で、地面に散る血飛沫の量も半端ではない。
王子は恐怖のあまりに一言も喋れなくなっていた。
口をぱくぱくとさせて青ざめている
モイラはその光景を片目に写し、亡き兄弟たちの姿が頭に浮かんで悔しさが襲いかかった。生き残りであるこのミディール王子に何か伝えるべきかと考えたが、カイウスが察したようで首を横に振った。
彼女も伝達はあとだと考え直し、敵の殲滅に意識を向けた。
「さて、元凶はあそこの襤褸マントですか。我ら黒帯が二人も揃えば、あんな輩――」
モイラはラインガルドとペレディルの二人を見定め、心象抽出で剣を構え直した。しかし、カイウスはモイラの肩に手を置き、それを制す。
戦いは待て、と言わんばかりに。
「カイウス?」
カイウスは歯を食いしばるばかりで何も言わない。
そして遠くで立ち尽くす娘のもとへ向き直った。
「……じゃじゃ馬がァ。じゃじゃ馬らしく馬鹿のように猛進してればよいものをな。ガハハ」
「親父殿……その傷……早くヒールで」
「よいか、女郎。サウスバレットは最強たれ。心して頂点を目指すのだ」
「……」
その顔つきはどこか普段のカイウスと違っていた。
体中から滴る血潮。
屈強な戦士とはいえ、老騎士には少し無理が祟ったようだ。
「お前には力がある――腕っぷしだけじゃどうしようもないがのう。それだけじゃのうて、強くあろうとする意志こそが力なのだ」
「何を言っているのだ……馬鹿親父……」
「ガーハハ……感じた事を言ったまでよ」
あの日、アルバが苦しみながらも強さを選んで決断したことをカイウスも見ていた。
そんな娘が誇らしい。
まだまだ半端者だが、あれだけ見れれば十分だと、悲鳴を上げる肉体がそう諭す。娘の頭を無茶苦茶に撫でて叩き、カイウスは振り返った。
「カイウス、明確な敵ならば私の魔眼で即死へと誘えましょう。その後でもあなたの治療は間に合います」
「いや……アレは実態のない憎しみそのものだのう……。死の概念はない。増してや陛下を拘束し、王宮も支配しているともあれば、アレを斃したところで我らでは解決しきれぬ」
「ではどうすれば?」
「伝えるのだ」
「伝える……?」
「学園都市へ向かえ。あの男なら――何故かのう、ガハハ、あの男ならと思えてしまう」
そう言い遺し、カイウスは前へと一歩踏み出た。
顔面蒼白だが豪快に笑っていた。
モイラはそれですべてを察したようだ。カイウスはもう助からない。カイウスにヒールを掛けた所で、魔眼で敵を葬った所で、何も解決しないのだという事を、カイウスも理解していたし、モイラも理解できた。
そして他の仲間を逃がすための囮が必要になるという事も――。
「茶番が過ぎルな。ペレディル、あいつらが死んでも奴らは誘き寄せる手筈は整えてある。皆殺しにしろ。自己犠牲は一番虫唾が走ルんだ……あいつラも殺してしまイたい……」
「御意」
ペレディルは剣を掲げた。
それとともに起こる地響き――。
カイウスはモイラを突き飛ばし、早く行けと合図する。
モイラはその意思を汲んだ。
気が動転しているミディール王子を引っ張り、馬へと乗せた。そして父親が何をしようというのか、まだ理解できないまま立ち尽くすアルバのことも引っ張った。
だがそれは振り払われる。
「……馬鹿親父、なんなのだ! 何を……!」
「アルバ、お父様のご意志です」
「嫌だ! 離せ!」
モイラのことも振り払う力で父親の元へと駆けつける。
その間もペレディルは街を聖剣の力で破壊させていく。浮かび上がる瓦礫が、凶器の数々が浮き上がり、鋭利な部分がカイウスに向けられて一斉射撃された。
「馬鹿娘がァ……手間をかけさせおって!」
「きゃああ!」
カイウスはアルバを渾身の力で掴み、モイラのもとへと乱暴に投げ飛ばした。
その直後に飛来する高速の弾丸。
カイウスはさらに追撃を受けた。
石の破片が突き刺さり、血がびしゃりと噴出する。
「親父殿……! 親父殿……!」
モイラに無理やり馬へと乗せられ、アルバとミディール王子は学園都市へ向けて出発した。娘の泣き叫ぶ声を聞き遂げ、まだ褒めるには早かったか、とカイウスも半ば後悔する。
「……やれ、最強には程遠いがのう、いずれは辿り着く極地と見た」
「あいつらを殺せ! 標的を変えろ!」
ラインガルドは尚も諦めない。
ペレディルは『念動力』を使って石飛礫を動かした。
――しかし、カイウスが跳びあがる。
障壁となってすべての弾丸を受け止めた。
既にその身は死に体だ。
何処にそんな余力が残されているかは分からない。
「ガハハ……滾るわい、無性にのう! 未来は明るいものよ。なあ、過去に捕われた亡者ども」
「この老いぼれ、どこにそんな力が!」
カイウスはツーハンドソードを振るい、ペレディルと聖剣を交える。
魔剣とは異なり、地の理を超越した聖剣に物理的な攻撃は通じなかった。カイウスの剣は折れ、聖剣がカイウスの体を袈裟方に斬る。
しかし尚、カイウスは笑っていた。
それは希望が残されているからだ。
娘は生きていた。強くなった。学園都市には真の英雄もいる――。
「……ごぅ! ひゅう……ひゅう………所詮、我輩らは仮初めの……」
王宮騎士団の黒帯は仮初めの英雄だった。
王宮から認められ、役割りに当てはめられただけの形ばかりの見世物だ。
真の英雄とは必要なときにこそ現われる。
必要なとき――――王家が本当に必要としたときに力を発揮する、そんな能力を持ち得た男が学園都市にいるのだ。
死に際、そんな未来が視えた気がしてカイウスは満悦して朽ち果てた。
第4幕第4場 終わり。
次話から第5場へ移ります。ロストさん視点に戻ります。




