Episode158 ティマイオス雲海
理事長室の奥の部屋にその空間はあった。
暗がりの中心に大きな魔法陣が薄らと光っていた。
アザリーグラードの迷宮で迷い込んだ転移の間に似ている。
「ここは転移の間?」
「なるほどね。どうやら、きみたち二人はあたしの仕掛けをもう経験したことがあるようね」
「よくあの迷宮には行ってたからな」
アザリーグラードの迷宮。
ジャイアントGといい、転移の間といい、あれら古代アザレア王国の戦力や魔術トラップは、このティマイオスが提供したものだった。
「ジャイアントガーディアンだけじゃない。ブラックコープスもあたしが発明した自動人形よ。素晴らしいでしょう? あの頃のティミーちゃんはバリっバリの軍事技術者だったのでーす! 格好いいでしょう! ね、格好いいと思うわよね!?」
「……」
あの頃ってのは千年も昔の話か。
それに苦しめられた側としては絶対同意したくない。
ユースティンも特に返事せず、部屋の奥へと足を踏み入れた。
こないだの件もあるからユーステインは二回目だ。
ここから向かうのは天空の世界。
雲海という名の新天地だ。
転移魔法陣に乗る。
ユースティン、俺、イルケミーネ先生の順に。
「あれ、ティマイオスは行かないのか」
「あたしは技術を提供するだけ」
「この先はどうなってる?」
「ユウたんが分かってるから聞いてみなさい」
ユースティン主導だと不安しかない。
俺はイルケミーネ先生に目で意見を求めたが、肩を竦めるだけだった。
まぁただの転移装置だし、大丈夫だよな……。
扉を締められ、転移の間に閉じ込められた。
小さな覗き窓からティマイオスの釣り目が見えた。
じゃあいくわよーの声の後、部屋中がバチバチと稲妻を起こし、吸い込まれるような感覚とともにその場から転移した。
○
ふわりという浮遊感。
そして強風。寒い。
空だ……。
広大な空のど真ん中に、不自然な白雲の大地。
俺たちはそこに降り立った。
雲と聞いてたから踏み心地もふわふわしてるかと思ったが、砂利のような感触だ。
歩くたびにシャリシャリと音が鳴る。
しかもご丁寧に道の舗装までしてある。
白い雲海自体は凹凸が激しいのだが、舗装された道は真っ直ぐ平たく伸びていた。その道を進むと、洞穴が競り上がった場所がいくつもある。そこには怪しげな魔道具の数々が保管されていたり、また別の魔法陣が敷かれていたり、と色々な用途で使われているようである。
――天空に住む雷の賢者。
確かにこれなら暮らしていけそう。
「こっちにこい」
ユースティンはそれら不思議な光景に目もくれず、目的の場所へと向かう。一際大きな洞穴があり、そこの奥へと入っていく。
「ユウ、ちょっと待ってよ」
「なんだ、姉さま」
「ここに来たのはいいけど、一体何するつもり?」
「これが『ティマイオス雲海』の真髄、ケラウノス・サンピラーだ」
洞穴の中央には特大の穴が空いている。
覗き込むと、遠く離れた大地が見下ろせる。
王都も見える。
黄昏の谷も、黎明の森も、そして学園都市コクリスらしき街も見下ろせた。
さすがにバーウィッチの方までは見えないか。
なかなかお目に架かれない光景に感嘆の声を漏らす。
五年前、楽園シアンズでの戦いのときに召喚されたジョバンバッティスタも、ここから地上を見下ろしていたんだろうか。
「上を見てみろ」
洞穴の天井部分にはこれまた特大の魔法陣。
黄色く輝き、それがまるで眼のように大穴を通して大地を見下ろしていた。
「この魔法陣に電撃属性の魔力を通すとシステムが起動して雷鳴が起こる。それに乗れば、一気に直下へと転移する仕組みだ」
「ほう……」
しかし、それを使って地上に降り立ったらただの『ティマイオス雲海』体験ツアーだ。
ユースティンがやりたいことはそうじゃなかった。
「僕は、このシステムを使わずにこの穴から飛び降りる」
「はぁ?!」
俺とイルケミーネ先生が同じ悲鳴をあげる。
「正気なの、ユウ?!」
「僕の反重力の研究には落下実験が必要だ。今日はロストの時間魔法の直後に反重力魔法を放ち、大気中に残存した虚数魔力とやらを僕でも扱えるかどうか試す」
「待って、私たちが扱う魔力はあくまで体内にあるものよ。魔法を使うなら外界の魔力を一旦、血流に取り込まないといけない。そんなことわかってるでしょ」
「虚数魔力自体をロストしか使えない道理はない。今までは落下の距離が足りなくて僕の体に魔力を貯蔵する時間がなかった。でもこの距離なら、呼吸で取り込む魔力分だけで、もしかしたら―――」
「そんな僅かな量で魔法が発現できるわけないじゃない!」
「虚数魔力の正体も分からないんだから魔力変換率も未知数だ! それに今までの地上の実験でも少しは発現できていたんだ。あらかじめ深呼吸でもしておけば可能だ」
「未知数のものに身を投げ出すっていうの?!」
「魔術の発展には冒険はつきものだろう。姉さまは教職に走って魔術師としての探究心を忘れてしまってる」
何の言い合いをしてるのか半分くらい理解できない。
実験を進めたいユースティンとそれを阻止したいイルケミーネ先生の姉弟喧嘩には違いないんだろうけど。
呆然とする俺に、イルケミーネ先生が耳元で囁いた。
「ロストくん、時間魔法を使うフリをしなさい」
「え……」
「この分からず屋は、言っても無駄なんだから。自分が間違ってたと実験結果で示すしかないわ」
「でも、そんなことしたらユースティンが地面に打ち付けられて死んでしまうんじゃ?」
「私が途中であの天井の魔法陣を起動させて落雷を落とすから。それでユウも地上に転移できるでしょう?」
大丈夫なんだろうか。
確かに、事前に時間魔法を使ったかどうかは俺にしか分からない。
何もせずに「今、時間止めてたぞ」とでも言えば、止められた相手からは一瞬の出来事だから確認できるはずもない。
「いいわ、ユウ。そんなに言うならやってみなさいよ。すぐに自分の間違いに気づくはずよ」
「……僕は間違ってなんかない」
「もし間違ってたらこの研究はお終い。いいわね?」
「ふん―――ロスト、やれっ」
険悪なムードだ。
俺はイルケミーネ先生の指示通り、時間魔法を使うフリをすることにした。
手を翳し、とりあえずそれっぽく。
力を込めて、目を瞑り、そして「止まれっ」と言う。
時間魔法使ってます感を出した。
「よし、使ったぞ。今俺以外の世界中のすべての時間が止まってたはずだ」
「……」
ユースティンは深呼吸し始める。
少しでも大気中に放出された虚数魔力を自分の体内に取り込もうとしている。
しかし――。
「嘘だ。今のは何もしてない」
「ユウにはそんなことわからないでしょ」
「いいや……もしかしてと思ってロストの肩に雲の砂利を一粒、転移させて落しておいた。聞くに、時間魔法は術者の体に触れてる物は時間を止めないということだから、ロストに触れた一粒は僕が確認できる時間を切り取って体から払い落ちた結果しか見えないはず――でも砂利が肩から滑り落ちていく様を最初から最後まで僕は確認できた。つまりこれは、時間魔法なんて使ってないってことだ」
なんだ?! 解説も意味が分からなかったぞ?!
この意味の分からなさは迷宮都市の地下深くで捻れ通路を攻略した当時のユースティンの解説ばりに意味不明だった。
「それこそ嘘よ。ユウは転移魔法なんて使ってなかった」
「あぁ、嘘さ。はったりだ。でも今のロストの反応を見れれば十分だ。やっぱり使ってないんだろう?」
天才一家の会話は俺を置いてけぼりにして推理が進む。
俺自身、自分がどんな反応していて何処が不自然だったか省みる隙がない。
頼むから皆もっと素直に生きてくれ!
「カマをかけたのねっ」
「ふん、魔術師たるものすべて疑ってかかれだ」
「こんの~、いつからそんな生意気な弟になったのっ」
イルケミーネ先生がユースティンに掴みかかる。
それに抵抗しようと暴れ始めるユースティン。お互いの魔術師ローブを掴み合い、大穴の間近で取っ組み合いしている。
これは嫌な予感しかしない。
直感が弱い人でもこの後に迫る展開は目に浮かんだことだろう。
「あっ―――」
短く悲鳴をあげたのはイルケミーネ先生。
その細い体が投げ出され、大穴から空へと落ちた。
ばさりと銀の長い髪が舞い上がる。
ここは天空だ。
そのまま地面に体を打ち付けてしまえば即死間違いなしだ。
「きゃあ!」
「姉さま――!」
イルケミーネ先生が地上に落ちていく。
白い雲の大穴から。
ユースティンも動揺していた。
俺は即座にユースティンの体を叩いて目を覚まさせる。
「ユースティン、ケラウノスを起動して落雷を落とせ!」
雲の洞穴の天井にある魔法陣を起動させてしまえば、イルケミーネ先生はその落雷の魔法に乗って、無事に地上に転移できるはずだ。
「い、いや……」
しかしユースティンは焦りの胸中でも踏み止まった。
何考えてやがる、こいつ。
「先生が落ちてるんだぞ!」
「反重力があれば、いける……!」
「まだそんな馬鹿なこと言ってるのか?!」
確証もない魔法に姉の命を預けるっていうのか。
「ちっ……馬鹿野郎め!」
俺はすぐさま大穴の間近に滑り込み、直下を覗きこんだ。
そして狙いを定めて「――固まれ!」と念じる。修練していた甲斐もあってか、俺の時間魔法の赤黒い被膜はイルケミーネ先生を捉えて包み込んだ。
今、先生とその周囲だけの時間が静止している。
「俺が時間を止めている間に、早くしろ!」
「……」
しかしユースティンは迷っていた。
落雷を使うか、反重力を使うか……。
そんなもの、姉の命を確実に守るためなら選んでる場合じゃないというのに。
俺が電撃属性の魔力を使えれば、すぐさまあの魔法陣に魔力を送り込んでシステムを起動させられるのに。
しかも今、先生を静止させることは出来ても根本的に助けた事になっていない。
俺が魔法を解除してしまえば、また地上に真っ逆さまだ。
「そうだ、ポータルサイトを使え! 迷宮都市ではよく俺と遊んでただろ? 蹴り落とした後に転移魔法で拾い上げるやつだよ! それで先生をこっちに戻せばいい」
「うるさいぞ、僕に命令するな!」
「な……」
「今なら試すチャンスだ。反重力魔法を」
――こいつは真性の馬鹿だった。
"大義親を滅す"だかなんだか知らないが、そんな家訓で身内を滅ぼすなんて。
迷宮都市での経験は何だったんだ。
アンファンはそんな研究のためにお前を生かしたわけじゃないだろう。
その最期は、間違いなく家族のために身を挺したはずなんだ。
「ロスト、そのまま姉さまを引き留めていろ」
「……っ!」
あぁ、頭にきた。
もうこんな奴に頼らない。
少しは見直したと思ったけど、ユースティンはやっぱり当時のユースティンのままだ。
否、もっと酷くなってる。イルケミーネ先生の言う通り、あの当時、裏で陰謀を画策していたアンファンとそっくりになっている。
俺は時間魔法を解除して、先生を今一度解放した。
「――きゃあああ!」
「お前、何をして――」
そしてすぐさま大穴から飛び降りる。
浮遊感が体を襲う。
でもそんなことに構ってられない。俺は体をなるべく真っ直ぐにして落下速度を速めた。
……先生、今俺が助けるから。
「先生!」
イルケミーネ先生の元へ辿り着き、体を掴んだ。
態勢を変えて手を掴み、そして二人で落下していく。
眉を顰め、恐怖に耐える先生の顔が目に入る。
そしてその周囲は見渡す限りの地平線、水平線。
すごい光景だった。
――天空。
大地は確実に近づいているはずなのに、まったくそんな風に見えない。ただひたすら風を受け、次第に落ちている感覚に慣れてしまい、まるで空を飛んでいるような錯覚に陥る。
さて、このままイルケミーネ先生を掴んで地面に落下したところで二人揃ってぺしゃんこになるだろう。
俺が仮に下敷きになっても、きっとこの加重は避けられない。
閃いたのが、俺が先に地上に落ちるという事。
そしてまだ落下途中の先生の時間を止めて、その後から抱き上げる――というのはどうだろう。そうなるとこの垂直落下による先生の加重はどうなるだろうか。
先生の体は押し潰されずに済むだろうか。
先に地上に落ちた俺が無事でいられるかどうかも分からないけど、俺自身は多分平気だと思う。
体が頑丈という次元を超えているし。
先に降りた後、大学に応援を呼びに行けば何とかなるか……?
水魔法で大量の水を作ってクッションにするとか。
シアは空から急降下するとき風を緩衝材にして滑り落ちてると聞いたな。
そういう方法もできるか。
この高さなら無理か。
分からない。
そんな方法を色々と考えながら、先生を引き寄せる。
すると――。
雷鳴が鳴り響いた。
態勢を仰向けに変えて空を仰ぐ。
さっきまで居た雲は、他の雲と紛れてぶ厚い積乱雲にしか見えなかったが、間違いなくアレはティマイオス雲海だろう。
そこから雷光がぴかっと光る。
それから激しい轟音とともに、特大の雷が俺たちの軌道に迫った。
「姉さまぁあああ!」
ユースティンの声が木霊した。
その声が届く前に、高速でユースティンが落ちていく。
声は後から聴こえたのだ。
そしてイルケミーネ先生を雷光ごと包み込んで、一瞬で消えてしまった。
「……?」
あの馬鹿ユースティンがケラウノス・サンピラーを起動してくれたようだ。
そして雷に乗って地上へ転移した……?
途中にいたイルケミーネ先生も攫って、二人仲良く地上に落ちたらしい。
俺はというと、何故か空に留まったまま。
「なんで俺だけ残った?!」
確かに俺の体も雷を浴びた。
原理で云えば、イルケミーネ先生やユースティン同様に俺の体も地上へ一瞬で転移できるはずなのだが、それが出来ない。よくよく見ると腕や脚が普段通り、魔力弾を受けて無力化する反応が起こっていた。
まさか……。
電撃魔法も無効化するから、俺はこの転移装置に乗ることができないのか。
「マジかああああああああ!!」
とりあえず叫ぶ。
落ちて地面に体を打ち付ける運命しか待っていないことに気づいてしまったから。
○
その日、学園都市の郊外に大きなクレーターが出来た。
空から隕石が落下したとか、未確認飛行物体が飛来してティマイオスが極秘裏に回収したとか校内で噂されたが、その真相を知る人物は数少ない。
ましてや、それが同じ大学に通う学生によるものと気づいた者は誰一人いなかった。
そのクレーターは後に学生の観光名所となり、『ロクリス・クレーター』としてパワースポット的な扱いを受けたのはまた別の話である。
「お疲れ様です」
エススの部屋でまた、シアに体を洗ってもらっていた。
今日は別に何かをするわけじゃないが、癒してほしくて訪れた。
「正しいことするとよく裏目に出るよな……」
「不器用なロストさんも好きですよ」
俺の体はあんな上空から落ちても何ともなかった。
いや、一瞬体が変な方向にひしゃげたけどすぐに戻った。
相変わらず無茶苦茶な身体をしていて半魔造体の怖ろしさを知る。
無敵すぎる。
でも心が痛いのは変わらない
「シアさん、やっぱり少しだけいいですか」
「……最初からそのつもりかと」
エススには悪いけどそのまま洗い場で事に及んだのだった。落魄れるつもりはないけど、こういうのって歯止めが効かない。
恋人だしな。悪いことはしてない。
…
自室に戻ってベッドの上にぐったりする。
ユースティンもだいぶイルケミーネ先生に怒られたことだろう。
俺も怒ったし。
しばらく反重力魔法の研究を辞めてくれないかな。
――と期待しても無駄なこと。
ユースティンは部屋の机でまたガリガリとペンを走らせて何かを書き殴り、"虚数魔力"という新たな要素を考慮に入れて実験のことを考えていた。
俺があんな空高くから落ちても平気だったこともあり、彼は余計に俺のことを物のように扱ってくる。
「ロスト、今度は危険がないように二人で雲海へ行くぞ」
「……」
「あと姉さまとやってる虚数魔力の結晶化の研究、早く進めてくれ」
「……」
「実態が掴めれば、僕自身が虚数魔力を操れる日も近い。反重力の研究も進む」
「……」
もう何も言う気はなかった。
ユースティンには兄貴のことで借りがあるのは事実だし、むしろこの暴走を傍で誰か監視してやる必要があるのでは、と思った。
俺みたいな頑丈な奴が一番適してる。
何か危険なことがあってもユースティンのことも守ってあげられる。
その方がイルケミーネ先生も安心だ。
「それと――」
ユースティンは筆を止めた。
少しだけこちらに視線を送ってくる。
でも慌ててまた机に視線を戻し、そして何か呟いた。
「すまなかった……姉さまのこと、ありがとう」
ご覧の通り、何が一番大事かは少しだけ思い直したようである。
俺は態勢を変えてそっぽを向いた。
そんな態度で騙されるものかという姿勢は見せつつ「先輩が馬鹿なだけですよ」と投げかけておくことにする。




