Episode151 魔力因子環境分配学
――黒い魔力。
黒はすべてを飲みこむ色。
存在するとすれば属性は"支配"や"汚染"……。
そればかりが頭に残る。
イルケミーネ先生には「大丈夫よ、調べるだけだから」と軽く忠告を受け流された。それよりも俺の赤黒い魔力の正体を調べるための方法を考えて、と宿題も課せられた。
心にわだかまりは残るが、しかし今のところ何も被害はない。
あの黒い粘ついた魔力をカレン先生が採取してからこの数か月、何も害はなかった。それを突然これから調べ出したところで、急に何かが起こるわけでもあるまいし……。
そう自分に言い聞かせて考えないようにした。
それにイルケミーネ先生は魔術界の熟練者だ。素人の俺以上に怪しい魔力の対処は心得ているだろう。
大丈夫。大丈夫なはずだ。
気持ちを切り替える。
"虚数魔力"の実態を調べる方法を考えなければいけない。
これまで何かヒントはあっただろうか。
少し整理してみよう……。
魔力を観測するには鑑定魔法かマナグラムに頼るしかない。
しかし、それができない。
古典的な方法に頼るとしたら、魔力を培養して結晶化させる。そしてその色を従来の魔力と比べることで判断するのだ。これは見たこともない色の新種の魔力だぞ、と――。
それを調べるため、魔力を培地上で培養する必要がある。
虚数魔力は"魔力培地"を溶かしてしまうから培養できなかった。
だったら、虚数魔力を培養できる新しい魔力培地を作れないだろうか?
平たい教室の大きな机の前に座る。
四角くて広い机だ。
向かいにはシアが座っている。
これから始まるのは『魔力因子環境分配学』の講義だ。
シアも"魔石生成の仕組みについて学ぶ"という科目解説に惹かれて、これを受けたかったようだ。やはりこの授業は元冒険者の肩書きをもつ者には興味深いものらしい。
「お疲れですね」
「そうか?」
ふいに目が合って、シアは薄い唇を小さく動かした。
可愛い。彼女には誰にも負けない可憐さがある。
「見てください、この帽子」
「……?」
それはバーウィッチを発つ前、シアとデートしたときに服屋で買った魔術師用の鍔の広い帽子だった。あのときはまさか王都へ行った後は魔法大学に通うなんて思いもしなかったが、魔法学生という今のシアに、その帽子はよく似合う。
「こないだエススさん―――エスス王女様と学園都市をお散歩したときに、これを買いました」
帽子には金の装身具が付けられ、紺色の生地とよく合っていた。金はシアの黄金色の瞳とも相性がいい。
「いいな。シアはそういうのがよく似合う」
「ふっふっふ」
ご満悦な様子だった。
いつも無愛想に口元だけ笑う彼女だが、それが可愛さを引き立てている。
「氷の薔薇もお気に入り」
「あぁ……」
あれは俺とシアの絆の証だ。
迷宮都市で巨人族から買ったもの。
一緒に冒険して、色んな騒動に巻き込まれ、最後に無事にプレゼントした代物だ。俺がエンペドに存在を消されかかっているときにも氷の薔薇のおかげで、シアはそれに気づくことができた。
未だに特別な日には彼女はその髪飾りをつけてくれる。
「私はこのブローチはエスス王女様とお出かけする時に身に着けることにしました」
「ふーん……」
「でも氷の薔薇も身に着けて歩きたいです」
「ふむ」
「…………」
「え、あぁ――」
そこまで言われて意図が分かった。
俺も鈍感系と呼ばれるほど鈍くない。『直感』という能力も未だに健在だ。
シアは、俺と一緒に出歩きたいということだ。
確かに最近は講堂と研究室と寮を行ったり来たりしていて、ろくに外出していない。ましてや、シアと話すときも、こうやって授業が被ったときくらいだ。
それは彼氏としてどうなのだろうか……。
前世、イザイアとして大学に通っていたときもこんな風に引き籠り気質でろくに人と関わってこなかったのも事実だ。
そういう悪い癖は前世から引きずったままである。
研究は少し頓挫してしまったけど気晴らしは絶対に必要だろう。
「いこう!」
「何処に?」
「デート」
「…………」
シアは少し頬を赤らめる。
そういえばここは講堂で周りに学生がいた。
俺のそういう人目を憚らないところはシアにとってマイナスポイントだろうか。
「……はい」
シアは小さく、それでいて嬉しそうに返事をした。
安心した。
むしろ純粋に喜んでくれているようだ。
そもそも俺たちは相性が良い。シアがたまに皮肉っぽく、少し曲がった言い方をするときも、俺は気にせず直接的に表現して想いをぶつけてきた。
多分そういうやりとりもシアは気に入ってくれている。
「さて、学生諸君――君らは"魔力"がどこから来てどこへ行くのか、それを考えたことがあるかね」
講義が始まった。
『魔力因子環境分配学』の授業だ。講師は教室をぐるぐると巡回しながら、手にもった袋から石を取り出して各四角い机の上に一つ一つ置いていった。
透き通った石の中からは薄い虹色の輝き。
一般的な虹色魔石だった。
「この大学の試験に合格した君たちはよく理解していることだと思うがね。魔力は我々の血に宿っている。しかし、魔力の所在は血流だけかと問われれば、それは否―――間違いだ」
少し高慢そうな細くて背の高い、釣り目の講師だった。
一通り机を回って魔石を配り終わると教壇の上に戻っていった。
「血流から滾り、放出し、魔術を発動させた後、その魔力は消えるわけではない。霧散したように見せて、実はその粒子は大気中に残っている」
講師は黒板に絵を書き始めた。
簡単な人の絵。そこからぐにゃぐにゃの矢印を引っ張り、体外へ。それが爆発するように放射状に矢印をいくつも描いていく。
そこに『魔力因子』と書き足した。
ぐちゃぐちゃの汚い字だった。それをばんばんと叩く。
「ひとたび大気中へ放出された魔力を、我々は魔力因子と呼ぶ。この魔力因子は我々の体、そして外界の環境との間を絶えず循環しているのだ。君たちが食事をし、排泄をし、それが巡るのと同じように――」
魔力はすべての生物が持つものであるが、外の世界にも存在する。
そしてその全総量は決まっているのだと云う。
これを『魔力量保存法則』と呼ぶ。
さらに、その生命個体の許容量以上に魔力が貯蔵してしまわないように、自然界へ排出する系もあり、それを『魔力因子ネゲントロピー理論』と呼んでいるそうだ。
魔力許容量はマナグラムで表示される「×××/○○○」の○○○に当たり、その個人の肉体の魔力貯蔵限度を示している。魔術により魔力が消耗されたとき、血一滴あたりに×××の値の魔力が残されていることを示す。
魔力許容量は成育とともに増えるが、人それぞれ限度があり、それが才能とも云われるものだった。
これに関しては触りだけ紹介され、講師は続けた。
「環境中へ放出された魔力がどのような形で、何処に存在するのか……実はどこにでも存在する! 息を吸えば、大気中の魔力因子が君たちの血流に再び戻るだろう。食事を取れば、そこに含まれる魔力因子も接種できる。消耗した魔力が、しっかり食事を取ってしっかり睡眠を取ることで回復するのはそういう理屈だ。理屈であって真理ではないが……失礼、まだこれは仮説の段階でね。だが、その仮説を裏付ける研究は――」
講師は、魔法植物の例や、土壌や川から取ったものを培養して魔力の小結晶が観察されることを例にとりながら、外の世界にどこでも魔力が存在することを示した。
続けて、教卓の上の魔石と、隣に並ぶ小瓶を手に取る。
「しかし、魔術師の諸君らは早急に魔力を回復させるときにはこれを使うだろう? これは魔力ポーション。はるか昔から存在する魔力因子の凝集体だ。これの原料がこの魔石であることはよく知られていることだが……魔力の環境を学ぶ上ではこの魔石の存在はかかせない。配った魔石を各自、自由に手にとって観察してみてくれ。学生によっては魔石の現物を一回も見た事がない者もいると思って今日持ってきたのだよ」
俺たちの四角い机にも魔石は置かれている。
俺がぼーっと魔石を眺めていると、同じ机に向かい合って座る男女二人が恐縮しながら、いいですかと断りを入れて魔石を手に取った。
そんな怖がって断りを入れなくてもいいのに。
やっぱり立場上、偉い人だと思われているのか……。
その男女二人は物珍しそうに魔石の輝きを観察していた。よく見ると、ずっと魔術一筋で生きてきたって感じの子たちだった。
小奇麗な魔術師ローブを羽織っていて、手も綺麗だ。
外に出ないで勉強ばかりして大学に来たのかもしれない。
魔術の世界で生きる人たち以上に、冒険者の方が魔石を見慣れているというのは皮肉なものだ。
シアも同じことを考えたのか、冷めた目をしてる。
――しかし今はこの魔石が頭を悩ます原因。
ここで俺が自傷して、魔石に血でも吹きかければどろどろに溶かしてしまうだろう。
魔力培地がそうやって溶けたように。
俺の血を培養できる方法は何かないか?
「この魔石が虹色の輝きを放つのは、様々な属性の魔力因子が混ざり合って結晶化しているからだと言われている。地域によってこの魔石の色合いには差があり、そこの土着民族が得意とする属性魔法とも関連しているという研究結果があるのだ。これは非常に興味深い。各属性の魔力の分配には地域的な偏りがあるということを有力視する説で――」
呆然と魔石を眺める。
その虹色魔石の輝きから過去の情景が重なった。
初めて魔石採集をしたガラ遺跡。
あそこの地下深くは魔石の鉱脈が豊富だった。
そして怪しげな魔石を採取しようとしたとき、俺は崖下に落下したのだ。
赤黒い巨大魔石が存在した。
"――天然物の宝玉かな? 天然のわりに純度が高そうだけどねぇ"
"――それってつまり、私たちがレアなお宝を発見したってこと?"
"――多分………新しいマナファクターの発見かもしれない"
その時のドウェインとリズベスの会話。
新しいマナファクター。
赤黒い魔石は実在する。それは俺の魔力と同種の結晶が存在するということだ。一方で、虹色魔石が虹色なのは各属性の魔力因子が混ざり合って結晶化しているから。
魔力培地は虹色魔石を練り込んで作る。
赤黒い魔石を魔力培地に練り込めば……?
「お、何かね、ロストくん。君がこの講義を選んでくれたことは私も鼻が高いよ」
俺はいつの間にか挙手していた。
どうしてもこの講師に聞きたいことがあって。
「魔石の色合いに差があるってことは、虹以外の色の魔石も存在しますか?」
「ほう! 君は戦士としての実力に加えて頭の方もキレるようだね」
「いや……それは……」
「ご明察の通り。実は魔石には様々な色がある。この観点は魔相学にも関わることだが――天然の魔石は、そのほとんどが様々な属性が混じり合い、虹の色相を放つ。しかし稀に純度が高い単味の魔石が形成されることがあり、非常に稀少価値が高い!」
「それは、特殊な色の魔石も? 例えば桃色や赤黒い魔石が生まれることもあるんですか」
「もちろん。そういった類いの魔石は人工的に作り出すケースがほとんどだがね。単味の魔力を培養し続け、結晶を肥大化させれば人工魔石の完成だ。むしろ、人類が進化して得た特殊な魔力は、そのように魔石化して保存している――」
人工魔石か。
赤黒い魔石は実在しているのだから、それを人工的に作り出せれば、それを原料に魔力培地を作り、俺の魔力も培養可能に――――いや、人工魔石をつくるには"培養"という過程が必要だから、そもそもそれが出来ない俺の魔力は魔石化できない?
堂々巡りだ。
あの赤黒い魔石を採取しにガラ遺跡に向かうのはどうだろう。
ここから往復で何ヶ月かかる……?
その間、エススの護衛の役目を放棄してシアとランスロットに押し付けるのか?
「それは駄目だ……」
「……?」
俺の呟きにシアが首を傾げた。
講師の方は俺の質問を話題の一つとして取り上げ、色々な雑学を混じらせて講義を展開していた。
「――実は君たちが見かける単味の魔石で最も代表的なものは『月』かもしれない。あれを巨大な魔石とする説がある。月の輝きは美しいのは何故か。それに心惹かれるのは何故か。文学的な意味とは別にして、あれ自体が魔石であり、人々は本能的に魅了されてしまうのではないか……とね。まぁ、空の星々のことなど、空想でしか検討できないがね。答えはすべて、神のみぞ知る。月の女神にでも聞いてみたいものだ」
月の女神にでも……。
待てよ、赤黒い魔石に詳しそうな専門家がこの学校に一人いた。
彼女はあの遺跡で生まれ落ちた女神の成れの果てだ。
何かヒントを貰えるかもしれない。
○
大図書館へ向かう。
リピカ・アストラル。その名前が偽名なのか何なのかよく分からないが、あの女は女神ケアの成れの果てだ。
メルペック教会の教皇のくせに、大聖堂にいるふりをして、ここの司書をしている。
そもそもメルペック教皇が誰かを知る人はほとんどいない。
聖堂騎士団のパウラさんですら知らなかった。
巷で流行りの喫茶店の給仕係をやっている可愛い女の子が世界を裏で操る魔王だったとしても、魔王の顔を知らない一般人にとっては分からない。それと一緒だ。
だから無数の蔵書に囲まれ、涼しい顔でリピカは過ごしている。
実習棟を曲がり、校舎の間の道から奥へ。
「くそ……! くそくそくそ!」
悪態をつく誰かの声が校舎に反響した。
「あいつが来てから……! あいつが来てからうまくいかない!」
進行方向からこちらに向かってくるようだ。
俺は物陰に身を潜めてその声の主がやってくるのを待った。
校舎の影から現れたのは兄貴。
小難しそうな書物を二冊、小脇に抱えて髪をかき乱していた。
兄貴、大丈夫かな……。
「何が――"あなたが弟のように時を操る魔法でも使えるようになったら相手にしてあげる"だ! 俺を完全に馬鹿にしてやがる。あの女……!」
どうやら図書館でリピカに会ったようだ。
口ぶりから察するに……フラれた?
イザヤはあぁいう神秘的な女が好きなのか。
あぁいう……っていうか完全にアリサと同じ顔だが。
実家の兄貴もアリサを気にかけていたし、俺だって初めて見たときはアリサのことは意識していた。
オルドリッジ家は"アリサ顔"に惚れ込む習性でもあるのか。
「それにまずい……最近は取り巻きの女の子たちからも俺の評判が下がったように思う……ちっ、それもこれもあいつが俺を追いかけたから……!」
イザヤが独り言を呟きながら道を横切っていく。
俺はその様子を物陰から覗きこんで眺めていた。目は血走っていて怖い形相だ。まるで子どもの頃に見た親父の顔にそっくりだった。
イザヤの言う"あいつ"は間違いなく俺のこと。
憎まれたものだな……。
タイミングも悪かったけど、昔の禍根はそんな簡単に解消されないということだ。
俺の心も痛む。
しばらく眺めていると、さらに誰かが反対から歩いてきた。
「そっか。ランスロットはクダヴェル領の古株だったんだね」
「は、はい……そうですっ」
「ごめん。ボク、頭では分かってても外の世界のことは全然知らなくて」
「い、いいえ、そんな! そ、それよりエスス様、あの時は――」
「ボクのことは呼び捨てでいいよ」
「え、えぇぇええっ! それはいけませんっ、僕は騎士団員で、エスス様は王女様でっ――」
エススとランスロットだ。
そうか。今日は俺とシアが講義が一緒だったから、エススの連れ添いはランスロットが請け負ってる。
エススは優しそうな顔して笑顔で会話しているのに対し、ランスロットはいつも通り重鎧に身を包んでガシャガシャと音を立てながら歩いていた。
しかも忙しなく、兜のバイザーを上げたり下したりして狼狽していた。
緊張の様子は分かるが、あれじゃ視界が悪そうだ。
「ふふふ、やっぱりランスロットを見てると安心する。変な意味じゃなくてね、ロストやシアのような凄い人たちばかり見てると緊張するからさ」
「………」
エススの極上の微笑みがランスロットの心を射止めた。
彼は身動き取れずに固まっている。
まるで中に人など入っていない置物のように、重鎧は動きを止めてしまった。
そこに苛立った兄貴が俯き加減でせかせか横切った。
――イザヤとランスロットの肩が、ドンとぶつかる。
「うわっ!」
「ぐっ、痛いだろうが!」
ランスロットは態勢を崩し、エススにもぶつかって二人仲良く倒れ込んだ。エススは小さく悲鳴をあげたものの、呆然とその鎧を眺めていた。
「誰だっ、こんなところにボロい鎧を放置した奴は――ん?」
イザヤは怒り狂った形相で二人を眺めた。
そこにいたのが王女殿下であることに気づくのに時間差があったようだ。
「いてて――――あっ! エスス様、大丈夫ですかっ! 申し訳ありません、僕が……」
「ボクは大丈夫。ランスロットは?」
子どものお飯事でも見てるかのようだ。
そこにイザヤが慌てた素振りでエススに駆け寄り、手を差し出す。
「エスス王女殿下ではありませんか。大丈夫ですか、俺――いえ、私がとんだ粗相を。ささ、お手をお取りください」
ランスロットのこともお構いなしに色目を使っているのは丸わかりだった。
エススも戸惑ったようにイザヤを眺める。
「あれ、ロスト……に似てる人?」
「ちっ――――はは、実は私は彼の実の兄です。オルドリッジ家は多彩な才能を持つ者ばかりで……。私も多分に漏れず、魔術に関しては自負しています。どうですか? 魔法の世界に興味がおありなら、私と個別にお話でも……」
「えっ……お兄さん? いや、それは――」
兄貴は咋な作り笑いでエススに紳士さをアピールしていた。
その勢いに慣れていないエススは狼狽するばかり。
「ま、待て! エスス様から離れろ!」
そこに颯爽と立ち上がるランスロット。
がしゃりと大袈裟な音を立てて、鎧は自力で起き上がった。
普段は頼りなさしか感じない彼だが勇敢なときは勇敢だ。その胸中は別にして、ちゃんとエススの護衛としての役目を果たそうとしている。
「おや、中に人がいたのか。てっきり鎧が放置されているのかと」
「ぼ、僕はエスス様の護衛役の騎士だ! お、お前のような男が寄り付かないようにお仕えしている!」
「へぇ……"のような"というのは一体、俺を何者だと思っている?」
そういってイザヤは懐から取り出したのは杖だった。
魔術師にとっての武器。それを取り出すということは戦う意志を見せつけたということである。ランスロットもそれに気づき、腰の鞘に手をかけようとしていた。
「だ、駄目だよ、ランスロット……! ここで争いは」
「エスス様、下がってください。この男はエスス様に色目を使ってましたっ」
ランスロットの言葉にさらに兄貴の眉間に皺が寄る。
「それは心外だなぁ……俺がそんな下品な男に見えたのか?」
「あ、あぁ……!」
「この学園では学生同士の諍いは公認されている。魔術による競り合いは自己研鑽の一環だからな。俺は侮辱されたことを理由に、君をここで魔術で滅多打ちにすることもできるんだが?」
余裕そうに振る舞う兄貴に対して、ランスロットは足を震わせている。皮肉にも、それが鎧の甲鉄を振動させてカチャカチャと音を響かせてしまっている。その様子を見てイザヤも不敵に笑った。みっともない、と。この兵士はそれほど実力がない、と。そう判断したのが顔色を見て分かった。
ランスロットは根性のある男だ。
だが、残念ながら実力は伴っていない。
王宮騎士団といえど、エススの護衛といえど、それは気合いと根性と若干の運で手に入れた仕事。剣術は王宮騎士団の白帯よりもまだ劣り、しかして魔術の腕前も並以下である。
兄貴と争っても負ける……。
ランスロットに花を持たせようと黙って見ていた俺だが、やっぱり仲裁に入りたい。
あの兄貴の苛立ちは俺のせいだから。
お前の漢気を棒に振ってしまうけど、ごめん。
―――……。
時間を止めるまでもない。
細かい足取りで音を殺して近寄り、その二人の間に割って入る。
兄貴と対峙して睨む。
「くっ……またお前が……」
「兄貴、ランスロットは王宮騎士団の使者だ。敵に回すなら俺も容赦はしない」
「…………ふん」
イザヤは眉間に皺を寄せ、こめかみに血管を浮き上がらせて俺を睨んだ。全身から怒りの感情を剥きだしにしている。
明確な嫌悪感。
"――お前なんか弟じゃない"
そうだ、今は弟じゃない。王宮騎士団黒帯のエススの護衛だ。
「これは失礼しました。私の無礼をお許しください、王宮騎士団のロスト様」
そう言うとイザヤは踵を返して立ち去った。
ゆっくりと。敵対の意志を背中で象徴するように。
心の奥底で泥濘が渦を巻く。
なぜこんなに嫌な気持ちになるのだろう。
後ろではランスロットが、エススを気遣っている。
「エスス様、ごめんなさい。大丈夫ですか?」
「うん、ありがとう! ランスロットも勇敢で格好よかったよっ」
「……」
ランスロットはまた置物の鎧に戻った。
兜の奥では顔面真っ赤なんじゃないか?
お姫様と騎士――いや、鎧の兵士か。
○
せっかくなのでランスロットとエススも引き連れて図書館へ向かった。
そもそもこの二人も図書館へ向かうところだったらしい。エススが治癒魔術の参考書を探しに行くのに随行したところを、ばったり兄貴と遭遇してしまったようだ。
図書館の内部は本特有の匂い。
静かで落ち着く匂いだ。
「混沌の世界を彩る三つのピース……仲良く揃って私に何の用かしら?」
「お前やっぱり何か知ってるだろ。これから起こることを」
「はて、何のこと。私にはわからないわ。過去の事象に基づいて未来を推測することなら出来るけど? それはヒトでもできることでしょう」
薄紫の髪をした司書に声をかけ、突然そんなことを言われた。
人の運命を調整して偶然を意図的に作りだす『予定調和』――そんな先見の眼は既に失われたと言っていたが、まだ何か隠している気がする。
敵意はないようだが――。
俺は先にエススが知りたがっていた治癒魔術の参考書の場所を聞き、ランスロットと二人で向かわせた。三階の書棚にあるらしく、螺旋階段を上がっていかなければならないから少し時間は稼げそうだ。
吹き抜けになっていても俺とリピカの会話は聞こえないだろう。
まぁ聞こえても何も問題はないが、リピカは俺以外の人間がいると情報を隠匿したがる癖があるような気がした。
「そう……赤黒い魔石ね」
「それが必要だ。俺の虚数魔力を観測するためには培養させる方法を探さなきゃいけない。でも虹色魔石が原料だと培地を溶かしてしまう。多分、虚数魔力の性質のせいだ……」
「…………」
リピカは黙って聞いていた。
はるか遠くの天井を少し仰いだ。
そこには手摺りの近くで仲良く本を探すランスロットとエススの姿がある。
「貴方は重大な勘違いをしている」
「どんな?」
「魔力は進化する。多様性も育む。一人の人間の血脈には様々な属性の魔力が宿っている」
「それは知ってる。最近も勉強したからな」
「じゃあ、なぜ貴方は、貴方自身の魔力を一種類だけだと思っているの?」
「はぁ……?」
また意味のわからないことを。
こいつが、あの「あぅあぅ」のケアの将来の姿だったとしたら、やっぱり人と会話するのが苦手なのかもしれない。
「これは何れ気づくことだから余計なことは言わない。それで、赤黒い魔石のことだったかしら」
「あぁ、うん」
何か引っかかるものを感じたが、変な押し問答に入ると頭がこんがらがるから敢えて無視だ。
「魔石に拘らず、魔力の結晶を磨り潰せば、それが"土壌"の栄養源になると思わないかしら」
「魔力の結晶って……それが魔石になるんだろう? 同じものだ」
「異なる場合もある。例えば最近、貴方は私と一緒に赤黒い魔力の結晶をどこかで見ている。さぁ、それは何処でしょう?」
リピカはにやりと怪しく嗤う。
シアのような無愛想な笑いとは違う。無機質な、そこに愛嬌の欠片もない嗤いだった。
この女はこうやって人を試す。
俺の記憶を掘り起こさせる。大聖堂で再会させたあの日を。
封印指定を持参して、地下聖堂で封印したあの日を。
"――さて、ではこれは何でしょう?"
"――これ、『魔力剣』か?"
そこにあった魔剣は『ケアスレイブ』と呼ばれていた。
女神の眷属が遺した反魔力の剣。
俺の魔力剣と寸分違わず存在する、固定化された魔力の剣だ。
「ケアスレイブ……!」
「その通り。アレは造形化された魔石のようなものよ」
「そうか。ケアスレイブを磨り潰して培地にすれば俺の血も培養できるんだな!」
閃いたとばかりに大声を出すと、リピカは不機嫌そうに俺を見た。
「そんなの私が許すわけがないわ。封印指定なのだから。封印を解くわけにはいかない」
「なんだよそれっ! 俺に気づかせといてそれはないだろう!」
「図書館では静粛に。……落ち着きなさい。あんな魔剣、貴方でも簡単に作りだせるわ」
「は……」
魔剣を簡単に作りだせる?
一体どういう原理で。
という俺の疑問を表情から察したのか、リピカは続けた。
「魔剣は貴方の言う通り、魔力剣と何ら変わらない。その形、その性質、その能力ともどもまったく同じもの。違いは――その剣に永遠があるか否か」
「剣に、永遠があるか否か……?」
「貴方の魔力剣は、時間が経てば崩壊する。魔剣は崩壊しない。さぁ、ここまで言えばわかるでしょう、時の支配者さん」
いつも最後まで答えを言わないリピカに苛ついてしまう。でも今回に限ってはかなりサービスしてくれた方だ。
――その剣に永遠があるか否か。
時間を操作する俺だからこそ、その剣に永遠を与えることができるのでは。
この閃きを反芻したい。
魔剣を作り、それを磨り潰し、特注の培地を作る。
そうすれば俺の血も培養できるってことだ。




